2014-12-26

私欲

自分一人の利益だけを考える気持ち。
日本では、これを悪徳に考える。
、、、しかしだ、
能力主義って私欲の塊じゃないのか?
その評価、報酬だけでなく
その能力自身、自分の欲の結果、身に着けた能力ではないか!
それを、社会のために身に着けたというなら
能力主義、その報酬を社会還元、、もらわないべきではないか。

日本のこの矛盾、呆れる発想。
ある意味、カッコつけの美学、、、
なんか、、恥ずかしい。

だって結論は
「俺以外のクズども、跪け」
でしかないのに、、、

2014-12-25

確保

確実に手に入れること。失わないように、しっかりと保つこと。

ある意味、何気なくそして一般的なことかもしれないが
実はこれがビジネスを阻害している可能性があるということを知っているか?

確保はある意味、本題の事前準備であり、
目的は、確保したものを活用してこそ意味がある。
また、確保をする側、される側だとする側に権利がある。
この事実が何を意味するか?

むやみに権限濫用で確保行為を行うが
実際にはそれを活用しない。
それどころか、確保している権利と確保を手放す責任を別に考えて
好きな時に手放せばいいし、その手放しに何も問題ないとしている。

確保ゆえに、
次の展開もできないし、
好きな時に無責任に手放されて機会を失うことが
現代社会はやたら多い。

確保をする際に、
事前に責任対価を支払うようにさせないとこの先にビジネスが発展しないような気がする。
顧客のためにという思いが、顧客のモラル、責任を狂わせた
社会責任を人間は支払い正す時期に入ったと思ってならない。

2014-12-24

摩耗

摩擦に伴って生じる固体表面部分の逐次減量のこと
基本、消耗品ではないものが稼働により減価していくことだろう。
でも、、その摩耗は人の精神にも使われる。
もちろん、人の心は消耗品ではないどころか、稼働によって減るものではないが。

摩耗とどう付き合うかが
ある意味、経営側の腕の見せ所。
摩耗を意識させないようにすることが僕としての経営ポリシー。
物が摩耗する前に新しいものに変えることで
その変える行為が人の気分を一新させてくれる。
だって壊れてから新しくするとき、
現実的には、壊れるまでの間、結構摩耗により性能が劣化しているのに
パフォーマンスを求められることで、人の気持ちも摩耗するだろう。

それより、できるだけ摩耗がないような状態を維持して
いつもその人の最高のパフォーマンスを気に掛けることが重要。

古いんだよ。コスト意識で摩耗を無視する発想は。
人の気持ちをコストで言いくるめるのは経営が下手な証拠。
人も物も摩耗させないようにする気持ちを持ってい挑めば
それなりに答えてくれざる負えないと思うし
そうならない人材は、摩耗ではなく、消耗品、不良品とみなすことが経営判断といえるがね。

2014-12-22

拡充

組織や施設を広げて、充実させること。

現時点であれば
この拡充がうまくいっていないから、
経済が回らないのかもしれない。

拡充は鶏卵論そのもの。
購買需要があるから、拡充
増員しやすいから、拡充
設備を増やしたいから、拡充
のはずが、

購買需要が見込めない
人が集まらない
設備を増やしても

という論理で、一向に進まない。

僕はふと思った。

効率化、
経費削減
で正しいのではなく、逆に悪行ではないか!

程度な浪費
経費支出
無駄なようで、いろいろな市場の呼び水、タネになるのでは?

今までの価値観を否定する、そんな時代を受けれるべきではないかと。

2014-12-19

有無

あることとないこと。
とかく、この世は、無いことに価値が有る。

無線
無料
カロリーゼロ

ということに好評価、価値があるとなっている。

あるべきものがなくなることで価値が出る。
それは、
目に見えるものがなくなり、見えないカタチで今までのことを行ってくれる。
それがある意味、新時代の付加価値。
結構、形而上、形而下の世界のようで、、、そうでもないのかな?

この先、
何が消えて価値が出てくるのか?
そこを知りたいものだ。
なんせ、ビジネスそのものといえるから。

2014-12-18

引際

 それまでの地位・立場などから退くときの時期や身の処し方

僕は引際の美学にとても重きをおく。
出会いより、引際が重要だと思っている。

地域、組織に半永久に束縛される時代でなくなった現代。
仕事や活動において、関わる人がコロコロ変わる昨今。
その仕事、活動をいかに終わらせて、別の活動に移るかが重要である。
また、それをうまく終わらせないと、次のこと、また新しいこと、出会いもできないともいえる。

上記の概念から
引際はナイマス的な発想から、プラス、、積極的なアクションをしていく必要がある。

終わりの定義
やり残したことについての意思だし
自分が離れることへの思い

その手のことをうまく振る舞わないとならない。

個人主義の現代、
どうせ、いなくなるんだからどうでもいい
と思う輩が多い。

しかしだ、
どうせいなくなるからこそ、自分自身の行動の締めをどうするかを
いい意味で学習する場と思うべきだし、
自分ではない人の引際のまずさ、不利益を勘案させるために
自らをどう振る舞うべきかを考える必要がある。

自分で自分のシリをふくではないが
自分の行動への締めくくりを意識した人生が重要と最近考えるようになってきた。

2014-12-17

双璧

2 ともにすぐれていて優劣のつけがたい二つのもの。

脱線するが、
完璧と同じく、璧つまり、宝玉のことで壁ではない。
双璧を二枚看板、、壁を板と間違った使い方をしていることが目立つと思った。

まーー、そもそも、、この双璧という表現も現代社会では使えない言葉になってきている。
個人、能力、専門、効率ということが
同じカテゴリのものを2つそろえることは無駄とされるし、
そして、双璧とされる側たちも、あいつと並び称されることを忌み嫌うこともあり得るのだから。

双璧という概念がないことは
考えようによっては、適材適所といえるが、
それって、相互補完のない、脆い状況だと僕は思う。
双璧をもち、それぞれが補完、そして切磋琢磨できる環境をつくることが
組織為政者のあるべき姿と思うが、
今の現代経営は自分の治世において汚点を出さないような経営感ゆえ
それは難しいだろうな。

2014-12-16

復帰

悪い状態から力を盛り返して、再び活動を始めること

僕自身、再起って言葉に新規より期待してしまう。
新規と違い
再起は今までのブランド、そして失敗を踏まえての新たな行動だけに
期待値、予測値がわかりやすいといえるからだ。

そこに期待する自分と反対に
もし自分が再起する側だったらと考える。

再起、、したくてするものではない。
過去の栄光があるのに、
今は堕ちてしまった状況
それをどう過去の栄光に匹敵するカタチで舞い戻るか
それは大きな賭けとプレッシャーを感じることになるだろうっと。

ある意味、
自分の期待と
その再起を狙う人への応援とをかけて
再起に財布を開きたいと思う。

再起でもダメだったら、それはそれで、送別費用でいいじゃないか。
そのくらいのゆとりと見守り感をもって現代社会を生きようよ。

2014-12-15

字幕

映画やテレビ等の映像メディアで、
題名・配役・解説・会話等の情報を文字を用いて表示する画面、もしくは文の総称。

日本人は字幕が好きという。
場合によっては吹替より字幕のほうが優れているって言い出す。
理由も、、なんか、、、
ばーーか、

字幕という概念は日本だけだよ。
基本、吹替もしくは原作そのままで流すんだよ。

役者の名前の声が楽しめるからという。
生の声を聞けて理解できるなら
そもそも字幕なんかいらないし、
そうであれば、もっと英語が話せる人が多いのではないか!
論理的のようで結構、感覚的な偏見を勘違いして言い出すこのあり様。

日本のこの大きな勘違いがあるからこそ、
英語の普及も、価値観の偏重で国際感覚が鈍いという事実があるのに
そこの自覚なく変な価値観に胸を張っている姿が気持ち悪く感じるよ。

2014-12-12

御下

おさがり
目上の人から譲り受けた使用済みの衣類や品物の意味で
弟は兄の御下がりを着る。

少子化、ファッションセンスの高いとされる現代では
兄弟であってもおさがりはまずないと聞いた。

うーーん。
僕なんかおさがり人生だからなあ。。

貧乏だった幼少期は親戚の姉のフリルつきの下着を着せられ
上着も隣の兄さんからもらったジャンパーだった。

高校1年から時代から背も体重もかわらない
まるでオウサンショウウオみたいな僕は親から渡されるおさがりでなくても
学ランがほつれていたら、体の大きな後輩が新しい学ランにしたから、あげます
といわれそのまま着ていた。
今も
妹が季節ものでなくなったから着なくなったユニセックスのコート
・体型がかわってしまった弟のGパン
を平気着ている。

あっ
そうそう、昨日履いていた靴下
農家だったため、あまり履かなかった
死んだ爺さんの靴下だったなあ。

ここまで来ると、僕は大したものだ。
ファッションとかいうレベルではない新たな境地だなあ。

2014-12-11

相場

 市場で競争売買によって決まる商品の値段・価格。
ほんの少し前までは
相場というとビジネス、企業間での言葉に感じられた。
しかし、インターネット、通販の普及で
相場の概念は個人購買のレベルで身近なものになっている。

例えば、
ある商品が発売された。

Aさんは
どうせ、数か月もすれば、安くなると思って買わない。
対して、Bさんは
この商品はそう多く生産されないから、すぐに買っておこう。
一応、自分の分だが、場合によってはオークションにもだせるからね。

Aさん、Bさんが行っている購買方法はまさに
相場を読んでの買い方である。

店頭価格崩壊により、
ほぼすべての品物が相場の下にある時代になった。

しかし、本当は昔から、多くの人は相場をみていたんだけどね。
・バーゲン
・お勤め品
などの購買タイミングを読んでの買い物。
相場なんて意識せずに感覚的に行ってきたが、
それは、店ごとの特定の季節もの、生鮮品だっただけに
相場とは言えないものだったが、
インターネットの市場がそれを全商品、そして相場市場に変革させたことは
多くの人に強く印象付けているといえる。

2014-12-10

馘首

捕虜や罪人などの首を斬り落とすこと
転じて、解雇、免職となっている。
それも悪い意味での会社から切り離す行為といえる。

現代社会において
馘首ということはなかなか起きない。
えっ?
と思うかもしれないが、
それは巧妙に馘首にならない。
~延長更新の契約を結ばない
~依願退職を申し出てもらう
~転籍というカタチで新しい方向に進んでもらう
という風にして、いかにも会社に非がないようにして事務処理を進める。

労働基準法が厳しいからこそ
こういう話になっているかもしれないが、
される側としては、余計腹立たしく
馘首されたほうが、よっぽどすがすがしいかもしれない。

こういう事務的に波風立てず
多くの人間のストレスを与える
馘首行為ってどういう本当に正しいのか??

2014-12-09

悪鬼

人間世界に悪をばらまく鬼たち。

ただ思う。
悪ってなんだろう。
鬼ってなんだろう。

そもそも、悪い人って本当に悪い人なんだろうか?
ここにも書いたが、ギャング、ヤクザはもともと自分たち、地域を守る自警団。
正義の塊だった。それが、、つまり、正義と思っているつもりが悪になっている。

鬼って、姿が異形だから鬼。
それって、差別であり、鬼という輩のほうが鬼の心根ではないのか?

僕が思う悪鬼って
悪鬼という存在に責任転嫁した庶民の心根。
つまり、庶民どもがすべて悪鬼そのものではないか。
悪鬼を滅ぼすということは人民の大量虐殺であるべきだと、、

結局、善も悪も鬼も人そのものではないかと思ってならない。

2014-12-08

頑固

自分の考えや態度を絶対に変えようとしないで最後まで押し通すこと。
昭和のおっさん、、、それって老害。
そして、若い奴はど自分が自分がジコチュー。

頑固にもほどがあるというか、、頑固の論理がバカらしい。
頑固である自覚どころか
「自分を説得できないお前が悪い」
「自分の考えを直させなかったお前が責任をとれ」
と言い出す始末が実に多い。

責任を取らない頑固って、、
自業自得という概念がない頑固って、、、
うーーん、
話し合いっていうけど、
こういう輩が多い中
話し合いって本当にバカらしいって悟りの境地になってきたよ。

2014-12-05

上位

日本の価値観の論理矛盾を指摘しよう。

ビジネスでは大きな、強い側に合わせることを強いる。
そうしないと、ビジネスのシナジーが生まれないし、
小さいもの、弱いものと共倒れしてしまうことはあってはならない論理である。

しかし、家庭内では
「お兄ちゃんなのだから、」
「大人なのだから、、」
といって、大きな、強いほうが抑制される。

日本人はこの現実に矛盾を感じていない。
、、、、、バカではないか?

ビジネスに合わせるべきではないか?
家庭内でおかしい教育をしてくるからこそ、
ビジネスで、、
「今の若い者は、、、」
って発言が絶えないのではないか?

家庭もビジネスも同レベルで考えないから
矛盾、ストレスが起きてしまうのではないか?

よーーく、周りを見てほしい。
世間で偉くなっている人の多くは
家庭でも、親の徹底して英才教育、、ビジネスを徹底されているからこそ
その地位になっている。

家庭の安らぎと言い出した時って
ビジネスで負けたときと言い切っても構わない状態である。

こういう事実に対して
日本人は目を背けるのは、
文化かそれとも恥じらいなのか?
論理的って言い出す癖に、根本的なところがおかしいことにいつも疑問しか残らない。

2014-12-04

苦悩

あれこれ苦しみ悩むこと。

人はいろいろと悩む。
それに対して、他人は別の価値観でそれを見ている。
個人主義が蔓延しておかしいことを言い出す。

「そんな悩み、誰でも思うことで、大したことないはずだ」
「なぜそこで悩んでいるかわからない」

この手の発言が無邪気にされるからこそ、多くの人は傷つく。
というか、現代社会は結構バカだろう。
人の悩みに対して、意見するなんて、おかしいと感じないのか?
それって自己表現とかとは全く違うのに
ストレス、コミュニケーション障害って
バカな発言が正当化されるから起きているので
食らっている側に責任転嫁させるなよ。

2014-12-03

略奪

暴力的にうばい取って自分のものにすること。
しかし、これは被害者と言われる側の論理であって、
略奪した側からすれば、
「何を言っているの?頭おかしいのではないか!」
っていうことになる。

こういうとなかなか理解できないだろうが、
別に略奪というものがあからさまなものだけではなく、
むしろ日常茶飯事である事実に目を背けていないか?

公園に咲く花、
民家の軒先に咲く花、
きれいに咲いているから、摘み取っていく。
しかし、それは公園の管理者、民家の人たちが育てた結果なのだが
それを無視して摘み取って行くことは略奪そのものである。
言われて気づく者もいるが
「いいじゃないか、別にあなたのものではない!花はみんなのものであり、私にも権利がある!」
といかにも自分が正当であると言い出す輩、、個人主張の最悪な結果になっていることも多い。

そう略奪という概念は
人間、、いや生物の本能であり、
ある一定の秩序では抑えるべきものであったが、
おろかの自己主張偏重主義がその秩序のタガを外したため、
犯罪認識が欠落した無秩序の発想が横行し始めた。

僕からすれば、このまま野放しにしておけば
「いいじゃないか、殺されたがっているし、自分は殺す権利がある!」
という時代が、、、すでにニュースに多く出ているなあ。

これが自己主張の末路、、いや無秩序回帰への始まりかもしれないな。

2014-12-02

値下

値段を下げること。

行為だけを考えると
利益、はたまた仕入原価以下だとただ損をしているということになる。

値下げという行為を経済学的にいろいろと捉えれば
~競合と同品質で値段を下げれば、自分たちのほうだけが多く売れる
~デフレにより、市場購買力が下がったために、それに見合う価格に変更
~確かにもう利益にならないが、それを持ち続ける在庫管理費用を持ち出すより早々に売却したいため
など、いろいろと要因が出てくる。

しかし、
上記などの理由と同じレベルで庶民は
企業側のいう
「利益還元」
という言葉をとらえているが、それは嘘。
利益還元と言いながら、上記のような企業論理で動いている。
顧客に対して必ずしも誠実ではない。

日本人の未だに大きな思い込みであり
企業は顧客に好かれるのではなく
常に買ってくれることを望み、
その裏には、株主、、つまり企業所有者の利益追求に
値下げでより多くの利益貢献を行うということを迫られている。

この事実を知ったからこそ
知らないで値下げを消費者のためと思っているお気楽人間が
多ければ多いほど、経済は活性化される
何か矛盾を感じてしまう今日この頃である。

2014-12-01

老害

昨日、ちょっと憤慨した。

仕事を出したこともないが
いろいろと宴に声をかけている老人から
自分のあるべき論を聞かされて
酔った勢いか
「お前は社長をやるべきではない」
と言われた。

いろいろと言われることを耐える勉強と思うが
彼にそう言われる筋合いはないし、
彼の論理は破綻している。

「社長は自らの意思でやっているし、許可制ではない。
 まして、取引先もないし、出資者でもない、あなたにとやかく言われる話ではない。
 それに、あなたとて社長になれる。がなっていない。
 社長でもないくせに偉そうにいうな。
 町工場、商店、世間には社長はあふれている、あなたの思う社長が
 思い込みであり、世間的にマイノリティーな見解である自覚がないのか?」

と怒った。

「知るか、そんなクズどもなんて!
 俺が思う社長はそんなクズじゃねー」

だそうだ。

世間で言われる、高給取りのエリートだった人の末路、
自分の思い込みが社会のあるべき姿である姿勢
これが、老害ってことだろうな。

高齢化社会、
こういうことが多く見受けられると僕は先見的に感じとった。

まずは自分として
こうならないように
あまり、自分の意見を社会通念と思わないようにしないとね。

2014-11-28

居座

ある場所に座って動かないでいる。
僕自身、物理、論理的にも、居座ることが嫌いだ。

自分の存在理由
~自分の提供できるもの
~自分の責任
がないのであれば、早々にそこから離れたいと思っている。

とりわけ、役割についても
空間的、時間的にその務めを果たせればそこから離れるべきだと思う。

僕とは逆に価値観で
~居座ることに意義がある、何か起きたときに対応できる
~我慢して続けることが重要
と言い出す人がいる。

しかし、その人は自分が見えていない。
上記の論理は周りから
~あの人がいるから、問題が起きていると感じて、嫌な存在
~早く辞めてくれないかなあ、邪魔で仕方ない
という見解のほうが多い事実を知ろうとしない。

居座るということは、時間、空間の個人占有。
そのことの意義を自覚できない人ほど
自分の価値を過大評価して、社会悪になっている。
そんな存在になりたくないし、
そういう存在を消すのも、、自分が現代に居座るサダメと思ったりする。

2014-11-27

米車

アメリカの自動車。アメ車。

現在、韓国、中国が日本車へ猛烈なバッシングをして
自国の自動車の優位性を叫んでいる。

日本人の多くは、いろいろと不快な感情を持っているかもしれない。
僕自身もそういう思いがないわけではないか、
下記のことを考えると、そいうもんだって思いたくなる。

今の韓国、中国の動き。
全く同じことを戦後復興で日本がアメリカに向けてしてきた。
~アメ車より、日本車のほうが優れている。
~全然壊れないのは日本車であり、アメ車では、、
このような比較を繰り返して、今の日本がある。

当時のアメリカ人からすれば、
敗戦国、日本のくせにという思いであったろうな。
いざとなれば、叩き潰してやるって思っていただろうな。

それと同じ思いを今の日本がしている。
この先、韓国、中国の自動車に市場が支配されるかどうかは
歴史を観て受け入れるが、それ以上、もしくは自動車ではない市場に
日本は切り替えるかは、ある意味、今が分岐点といえよう。

2014-11-26

冷静

感情的にならずに,落ち着いていること。
日本語の使われよう、傾向を分析すればおのずと結果となるのが
冷静=見下し
という状況であるといえる。

起きている事象、人物に対して
under control
であるからこそ、冷静といえる。
つまりは、周りを見下しているという状態。

冷静を他人に求める状態、
自分の支配下でがたがた言うなっていう状態、
それすなわち、他人を大きく見下してと言わざる負えない。

冷静って言葉が出てきているときは
あなたは相手に見下されているということだ。
僕は武力解決容認派であり、
そういう事象を素直に認めることが後に当人、およびそれに関わる多くの人が不幸になることも
見えているだけに、ここで争うべきと促進させていきたい。

所詮、人の世の歴史は冷静では何も解決してきていない。
冷静や話し合いは
ある意味、人をバカにしていると多くの人民の目に映るという事実は
気づいているようで、気づけない事実のようだから。

2014-11-25

胡坐

両膝を左右に開き、体の前で両足首を組んで座る座り方。
というより、
胡坐をかく
という意味で使うべきことのほうがいい。

胡坐をかくの意味は
呑気に構えて何の努力もしないことの喩え
なのいだが、

最近、管理役務を追っている女性が
「私にすべて伝えて」
という姿勢で伝えても何もしない。
その状況に対して
「胡坐をかいていないで、自分から」
と指摘されて
「女なのに、胡坐をかくわけないじゃない」
と反論していた。

仕事、そして教養レベルからして
どれだけ、人生において胡坐をかいて、その地位になったんだろうと僕は思う。

まーこれからこの手の人材が、老若男女、ごろごろ増えるだろうね。
・自分の価値観が一番
・マークシートで培った選択肢ありきの知識
・自己弁護のためなら、社会を敵に回す  まじめに自覚のない中二病
はどんどん量産されつづける社会だけに。

2014-11-21

寛解

病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態。
医療用語のようであるが、こういう症状については
医学では横文字、、独語、、いや英語で stage level などを用いていうのだろう。
では、一般的に、、、、、、
これまた曖昧すぎて、使えない。

完治したといえない状態であり
でもやばい状態でもない。
一時のものであれば、小康状態とかいうが、それでもないと言える。
それに、、、、
もし僕が
「今は寛解のようです。」
と応えたところで、その意味を分かる日本人がどれだけいるだろうか?
病が重いだろうから、いろいろと確認したくても
寛解って言われたら、どういう状態か憶測もできない。

こういう言葉があるという認識する、
逆に知らないほうが、世間的にはいいことかもしれない。

美しい日本語、、というが、
日本人が使えない日本語がどんどん増えている昨今に
日本語を見直すことは逆に人を混乱させるのではないかと思ってきた。

2014-11-20

広報

企業だけでなく行政や各種団体の活動内容や商品などの
情報発信を行う業務、またはその担当者や部署

だからこそ、ここから発信される情報が正確かどうかは別問題。
それぞれに組織、団体を代表しているわけであり、
その組織、団体のための広報であることが求められる。

多くの庶民の勘違いは
広報の言葉を鵜呑みにして
その広報の発言を根拠に動き、
うまくいかないとその責任転嫁したがることだ。

広報が責任を負っているのは
その組織、団体であって、それ以外は知ったことか!
ということ、、いやそうさせるために広報が存在するということを知ろう。

広報を信じてしまうかどうか、個人責任である事実、、
というより、、、なぜ他人のせいにしたがるんだろう、現代人は。

2014-11-19

審判

 ある問題について検討し、
その是非や適否などについて結論を出すこと。
スポーツなどで、一定の規則に従い判定すること。

とはいえ、審判する根拠という物自体が僕からすれば偏っていると思っている。
それこそ、審判されるべきものといえる。

審判されるものは事前に決まっている。それに照らし合わせて審判される。
そんなことあり得ない。
なぜなら、審判されるものは事前に決まっていない事案だから
審判される概念が出てきているわけである。
決まっているものをわざわざ争うことはない。
そういう前提であるからこそ、審判の意味がでてくる。

だからこそ、問題でもある。

事前に決まっていることは、ただの思い込みではないのか?
審判する判断はただの思い込みの押しつけではないのか?

このような根本的な問題を感じていたら
規律、法治は成り立たないだろう、、、
しかし、規律、法治という概念する正しいのか?

審判そのものを自分で審判することこそ、
混沌という概念であり、審判の上位概念がその審判の根拠たる規律の真逆、混沌ということは
哲学すぎて、あまり語っても意味がないかもしれないがね。

2014-11-18

醍醐

牛乳を精製した中で最も美味しい味。
チーズとかと同義に扱われるが、
同じようで異なる歴史観がある。

基本、これは日本人の大好きな旨味成分であり、
その代表例にすぎない。

その旨味が味の最高峰であると日本人は捉えているからこそ
この醍醐という言葉、それを派生させた、事象の重要なことを
醍醐味という言葉がある。

また、旨味成分を発見したもの日本人であることから
アミノ酸
イノシン酸
グルタミン酸
という概念を民族として太古から知っていた事実は
数少ない日本人の優れた性質と言ってはばからないだろう。

2014-11-17

知見

 実際に見て知ること。また、見聞して得た知識。
しかし、それは個人に帰属しているものであり、
知見があるからといって、必ずしも他者に役立つかはわからない。

人はチームとか組織と言って
群れて他人の知見を求めたがる。
しかし、他人の知見というものはそういうものではなく、
その知見で得られる結果が役に立つかどうかの判断であるべきだ。

どうも
・群れる
・安全
・責任回避
でしか、知見を認識できない日本社会に堕ちていると感じてならない。

2014-11-14

書振

文字を書くときのようす。また,書かれた文字のようす。書きっぷり。文章のようす。
要は、その書き物全体の有り様といえる。

最近のビジネスで感じるのは
自分は棚上げて、
よくも、まー他人の書き振りを批判出来るなあって思うことが多い。

「この表現では相手に伝わらない」
「この意味はそうは受け取られない」

と言われて、下記の直せば、全く相手に伝わらない。
その結果に

「そうではない、まだまだ間違っている」

なら、あなたが書けばと言い出して、
いざやると

相手先から
「言いたいことが逆にわからなくなった」
と言われ、その人自身のほうが間違っていると感じるが

「そもそもあなたの事前説明がよくないし、そもそも、相手がバカだから、、」

といいだして、、、、、
悲しいかな、その発言が学芸会のような組織だから
まかり通ることが今では普通になっている。


書き振りを通して
現代人の多くが
加害者なのに
評論家
被害者
気取りという歪んだ構造がよくわかってきた。

2014-11-13

好嫌

一歩引いて、社会を見ると実に変なことが多い。
好き嫌いについてなんかそうだ。
「好き嫌いなく、食事をとろう」
「個人の好き嫌いで仕事を選ぶな」
とか平気で言われる。

しかしだ。
好き嫌いこそ、人の個性そのものではないだろうか?
それをいろいろなカタチで否定するのはどうだろうか?
こう表現するといろいろと反論も出てこようが
そもそもそれこそ好き嫌いそのものではないだろうか?

個性や嗜好を認めるが
好き嫌いは否定する現代価値観に疑問を感じる。
この日本の価値観そのものがどう考えても外国人に通じない。
それの自覚なきまま、国際化とか言い出すのは、、愚かとしか思えない。

2014-11-12

積極

僕の認識はただ、うざったいだけの心持ちかつ
愚かな発想としか思わない。

積極的にという発想と
僕の思う必然的は全く異なる。
そして、必然的である以外は無駄である。

愚かな指示にて
「積極的に自分から」
と言われて、自分から自発的はなく、相手側も受け入れが出来ていない状態で
来られても互いに嫌な思いをするだけである。

それゆえ、僕は自分の思うタイミングでしか動こうとは思わない。
しかし、僕に対して無礼な輩は
「もっと自分から相手側にどんどん」
だけでなく
「もっと伝えるべき」
とまで言い出す。

それによって、利益が僕にあるとは到底思えないだけでなく、
その行為によって、今後の与信が失われるともってならない。
僕の発想と逆に、今動かなないからだって言い出す人も多くいるが、
それはそれで、僕と価値観がかみ合わない相容れない存在として、
どっちか折れるか、もしくはもう付き合わないほうがいいと判断まですべきと心得ている。

2014-11-11

愛社

自分の所属する会社への好意の現れ。
愛社精神にあふれている人、、
昭和の時代なら、それは好感の対象だった。
しかし、それは過去であるし、今では
僕からすれば、それは新興宗教の洗脳と変わらなく感じる。

終身雇用、
企業戦士、
と会社組織がその人の人生をすべてかぶってくれた。
それゆえ、日本人の好きな封建制度、御恩と奉公、一所懸命になれた。
しかし、これまた最近の日本人が好きな
グローバル
能力主義
によって、会社組織とは契約関係でありあくまでも個人の価値が認められる範囲内において
という発想になってきている。

そうなれること、および会社側も効率化のもと、
社員の人生を被る義務がなくなった以上
関係は希薄なることは必然。

その状況を第三者と冷静に見れば、
契約条件にあった活動をすべきであるし、
何か希望をもって、熱く会社の行く末を語りだす輩に対して
何か妄信的な洗脳でも受けているのかって思ったりしてしまう。

愛社精神がなくなった。と嘆くが、
それは個々人のせいではなく、
社会前提の価値観、方向性の賜物であり、
逆に愛社精神を言い出す輩こそ、
現代社会のある種の癌といえよう。

僕は会社を動かしている側だからこそ
愛社精神というより、
いかに市場、顧客、そして、従業員と契約をし続けられるかを
常に考えることを思っている。
この思いは
今までに語られている愛社精神というより、
生き残るためのサバイバル精神にきわめて近い僕は思っているがね。

2014-11-10

見学

実地を見ることによって、見聞と理解を深めること。
社会科見学
工場見学
いろいろと見学というイベントはある。

見聞、理解を深めることはいいこと、、、なのだろうか?
ちょっと理解に疑問をいただく。
現代社会、
無駄な知識は無責任な批判のネタになるだけだったり
その浅はかの知識を絶対と思い込む愚かさも目立つ。

僕は無駄な知りたがりについて、
バカのの入り口という認識と
身の回りのものに、やるなら真剣に責任をもって挑むという諭す。

調子に乗って、無駄なことを見学する姿勢はかえって社会悪という自覚を
庶民は持つべきだと強く思う。

2014-11-07

原発

あえて今触れてみよう。

原発の問題ってなんか大きな矛盾を感じる。
環境にやさしいのは、、、、原発のほうではなかった?!
原発にすることで
CO2、、カーボンオフセットにつながると触れ込みで
国際公約までしていたような。

日本人という視点を外れ、
外の人としてこの日本を見れば
結局、自分たちの生活のためならば
国際的公約した温暖化なんかどうでもいい。
と映るだろう。

確かに原発の起こした事故の規模は大きい。
しかし、それってどんな世の中、いや自然の摂理において
そうなることは宿命だろう。
ハイリスク、ハイリターン、
いいものであればあるほど、それが破たんした時のリスクは大きい。

日本においては
リスクが大きいから、、、原発はよくないと煽っているが、、
リスク視点で見れば
シティバンクが過去に受けた
「大きすぎて潰せない」
という別の判断もできたといえる。
日本人の好きなグローバルという考え方で言えば
むしろ後者であるべきだったと思う。

原発を社会悪のように扱うけど
これまで、
・オイルショックから石油依存の解消
・地域経済活性、口実をつけた地域支援に税金転用
をしてきて今まで来た。

上記問題はすでに解消されてきたと思ってきたことが振り出しに、、いや
それを当然と思ってきた輩がはしごを外されたと思い込むリスクは大きい。
だって何も考えずに済んでいたことに自分なりにアクションしろというと
人間はすぐに責任転嫁するも動物だから。

これまで、かおれからの社会伝播を考えると
原発への国民感情、、、きっと裏目に出るだろうな。
見に見える論点ばかりで今は考えているが
これからおきる人間のあさましい心の闇がぶつかり合うということに。

2014-11-06

寒天

紅藻類の粘液質を凍結・乾燥したもの。
似ているゼリーはゼラチン質であり、全く異なるそうだ。

日本食にはそういうものが多く、
かつ、それがヘルシーとか言われてきている。

寒天がヘルシーな食材?
数百年前までは、西洋の食材を求めていたし、
日本食は蛮族の食べ物と蔑まられた明治時代の欧米の言葉もある。

時代とともに変わる価値感だろうが、
そもそも、ヘルシーって言葉は
飽食時代の産物であり、飢餓との戦いから大きく進化できたから
食べるものにカロリーを求めなくて済んでいるということに
人類の進化のある意味究極系を感じる。

もっとも、
行きつく先に到達した種族は、、、エントロピー、カタルシスの考え方では、、
これ以上は言うまい。

2014-11-05

庶務

種々雑多な事務。
・契約の細分化
・作業の効率化
・作業の専門性
を高めたために
庶務の位置づけが微妙になっている。

雇い主からすれば、
庶務をすべきであり、庶務もできないか!ってくる。
しかし、
雇われた側からすれば
そんな作業の契約はしていないし、
その活動は自分の専門外であり、不当な役務強制だ!
そんな作業のために雇われていない。

という対立構造になる。
経営者である僕としては、この雇われ側の論理を正とみなすようにしている。
庶務なんてありえない。
庶務それぞれも立派な仕事であり、それに対してスペシャリストも存在する。
だから、庶務を付随行為とみなさず、それごとに委託契約を結ぶべきだと感じている。

人によっては
「そこまでするのか?そんなことまで、、」
と言い出すだろう。

僕からすれば、それはおごりであり、かつ発想がもう現代ビジネスについていけない遺物だと言いたい。
どんな行為にも価値を感じずして、付加価値ビジネスができようか!

2014-11-04

隠味

調理の際に主要な食材以外の材料(目立たない程度であり、たいていは微量)を加え
調味する技法、またはその材料を指す。

現代人の味覚の退化、味付けの濃いものを食す習慣から
この隠し味の存在を気づかない輩多いどころか、
そのことに気づけないことに恥どころか、開き直りが実に多い。

、、、、何も味覚だけではなく、すべてにおいてだ。
五感に強く訴えるものしか測れず、
その裏にある秘めた要素に気づかないどころか、理解できない。

確かにそれは些細なアクセントかもしれないが
その些細なことほど、

蟻の穴から堤も崩れる

ということになるということが、、わからないのだろうな。

2014-10-31

宴会

飲食を共にすることによりお互いのコミュニケーションを深める行為をいう。
通常2〜3人程度で行うものは宴会とはいわず、ある程度まとまった人数で行う場合に宴会という。

最近の若者は飲みに付き合わないとかいうが、
実際問題、若者は好きな輩と宴会、、パーティーを求めている。

飲み会は嫌がるが、宴会パーティーは好むという傾向に気づいているだろうか?

その根底には、
好き嫌い、我慢を放任した、愚かな日本の教育のせいでもある。

嫌なものはいや。
だから、好きなみんなと集まって楽しむもの。
という発想であり、
嫌でも付き合わなくてならない、
嫌なものを好きになる、、少なくても嫌いにならないようにする行為、努力が
日本だけでなく、社会には必要である事実を、
なぜ、強制的に若者に伝えなくなったのか?
それにより、腹の探り合いという概念がなくなり、
ビジネスが回らなくなった事実になぜ気づかないか?

本当に、僕には現代社会の発想が理解できない。

2014-10-30

兼務

本務のほかに他の職務を兼ねること。

僕は2パターンの人間しか見たことがない。

僕のように、両方を100%こなしてしまい、
結果的に、自分か周りかを過労にさせる者

「自分は兼務だから」といい何もせず
すべてを中途半端、、いや他人任せに肩書きだけを欲する者。

どっちもどっちという人間は
ほぼ下のパターン、使えない人間に属するだろう。

僕からすれば、兼務という概念がおかしい。
兼務ではなく、その兼務こそその人自身という発想になる。

それは属人主義という輩がいるが
すでに、時代は属人いやもっと深く個人帰属になっているのだ。
組織や工数という考え方で兼務とか言っている発想では
この先のビジネスが見えていない証拠と僕は言い切れる。
それだけ、これからの将来っでわかりやすく残酷といえるのだから。

2014-10-29

観点

 物事を考察・判断するときの立場。見地(けんち)。
結構、抽象的な表現であり、
頭の切れる人たちは楽しく使えるものだろうが、
作業、現場主義の人には理解しがたい、、いや怒らせる要因に成りかねないものだったりする。

考えてみればそうであり、
観点を言及して人たちは基本、自ら手を動かさない。
理論と効率化で人を使おうとしている立場で、
現場と相手先を納得させることが仕事となるからだ。

役割分担という言葉で言い切ってしまうこともあるが、
現場の人の動きを体で知っていないと
心意を込めて観点という言葉を使っているか伝わらないといえる。

現場を知らずに観点という言葉を踊らせているから
納期、見積もり、品質、そして組織運営がおかしくなっている。

多くの事業。
技術的、人力的に実現が難しくないことが多いのに
事業として成立しなくなるものが多い。
その理由は、概ねこのように観点などの問題で
決別になるからだ、

観点という概念自身。
事業成功からすれば、観点がづれているのではって思うことが多い。

2014-10-28

盥回

やったら負けである。

誰もやらないからこそ、
という気持ちで挑むことに
聖人君主のように言われるのはレアケース。

誰もやらないからこそ、それなりの理由があるし、
それゆえの盥回しなのであり、
多くはそこで手を挙げて実行したものが訴追される。
それが現代社会だ。

そのリスクを取るかの賭けに出たからこその
賞賛だという見解もあるが、あくまでも賞賛であり、
その勝算は実益が伴わない、強いてはリスクを呼び込むだけのもともいえる。

「そんな、、」
「盥回しをさせる社会なんて、、」
と言い出すが、、
そう思っている輩ほど
「なぜ自分だけ不幸になるのか」
「冗談じゃない、みんなやっていないではないか!」
と言っている実情に気づいているか?

盥回しをやめる方法。
簡単さ、
自由ではなく、強制させること、
自由を抑制することで得られる幸福もあるという事実がそろそろ台頭してきてもいいはずだ。

2014-10-27

有線

線があること。
気づかないかもしれないが
有線という言葉、無線という言葉の後にできたということはお分かりだろうか?
今まで、有線だったものが無線になったからこそ、
無線接続という概念の反対語の意味で、無線がないということから
有線といわれるようになっている。

新規の概念が出てくると
旧概念の名変更が余儀なくされるのは
日本においてはよくあることかもしれないが、、
それって本当に使いづらい言語って思ってならない一つの要因だなあ。

2014-10-24

寸暇

ちょっとした休み。
「寸暇を惜しんで行う」
なんて、いう表現に使われる。

しかし、これはある意味、日本の古き悪い表現。

今、昼寝などのちょっとした休み、、そして
休暇を強制的取らせることが重要になっている。

集中力回復、凝り固まった姿勢、マインドの解放が
後のビジネスに有用と考えられるようになったし、
その科学的立証も進んでいるからだ。

しかし、日本人には無理だろう。
~上記の諺
~もったいない思想
~担当、責任感
~自給計算の給料体系(残業が顕著)
からすると、下手に休むことが罪悪感を生む。
逆に罪悪感を感じないと組織からいろいろと圧力がかかったりする。
その結果が
長時間労働や有給消化率の悪さである。

うーーーん、
どうなんだろう。
休むことありき、休む時間は検討時間の一環という発想でビジネスを展開できないか?
僕はそうさせて、付加価値を高めているビジネスをしているが、
理解してくれるステークホルダーがなかなか少ないだけ、
派生できないのは、弊社の伝播努力の問題?
いやいや、社会全体としての改善意欲のなさを恥じないことが問題でしょうが。

2014-10-23

弾丸

銃や砲に使用され、それらから発射・推進して主に目標に物理的損傷を与えるもの。
丸というが、必ずしも玉ではない。
その事実について
現代日本では弾丸そのものを見た人はそう多くない。
日本において、銃を所持することは日常的ではないからだ。

確かに銃社会ではないからこそ、
治安が維持されているといえる。
しかし、それは天敵のないところの安全であり、
いざ外敵がきたときに絶滅させられないか?

オセアニアの動物が猟犬にかみこされたように、、

愚かな人ほど
「そんなことあり得ない!なぜなら、日本の平和は、、、」
と妄信を振りかざすが、その思い込みがあるときほど
一瞬で暗転するのが人間の歴史。

銃への弾丸の装填、トリガーの轢き方など
知っておいたほうがいいのではって最近は強く思う。
なんせ、生き残ったほうが死んだ側を
「あいつ、平和ボケだっただけだよ」
って言われることになるだけだからね。

2014-10-22

受容

受け入れて、とりこむこと。

その概念について、僕は現代社会に思うことが多い。
言葉、文字上では、受けての容量になっているが
そこよりも、<送流> のほうが重要だと。

送り手側の送り出し方、流量が現代社会は大きく狂っている。

自分が自分がの発想で、相手に叩きこんで
それが自分の思うようになっていないと
「なぜ、できないんだ!」
と騒ぎたてる。

いくら受容するとしても
それに見合う、送流を考えずに行う今の社会
少し見直すことを感じてならない。

送り手本位で考えるから
多くの交渉事でおかしくなっている事実になぜ気づかないって
本当に思ってならない。

2014-10-21

運行

バス・列車などが定まった道筋を動くこと。
運転と違い、自由意思がなく、定まったルートである必要があり、多くはそれに定時性を伴う。

日本の運行管理はトップレベル、、、いや次元が異なる。
なぜなら、
日本は定時発着率が悪いと言われることがある。
なぜなら、定時発着という概念があり、何分遅れているかを表明するからだ。
外国の多くは、発着した時間こそが定刻であり、
早い、遅れるという概念がないに等しい。

運行のように定まっているからこそ、
遅れるという概念を持つのは、、もしかしたら、
日本人の忘れ去れそうな美徳の一つかもしれない。

2014-10-20

新作

新しい作品。
言葉にするとこうなるが実際結構難しい。
新しいとはどこまでか?

出た瞬間は新作だろう。
しかし、いつから新作でなくなるかは定かではない。

時間的経過という定量的判断
類似作品が出てきたのことによる、定性的な価値の平準化から
そして、同じ作品元が次の作品を出すまでという送り手の意思
といろいろとあり得る。

とはいえ、
新作と言い切れる間は短いに越したことはない。
新作という評価は、ある意味付加価値でもあるが、
いつまでも言い続けるとその価値が大きく下がるリスクもある。

新しいことが価値として認められる資本主義経済は
いろいろと複雑な価値観が蠢いているなあ。

2014-10-17

武勇

勇ましい手柄。
しかし、それは時とともに逆に、損害事件に転化されることが多く見受けられる。

戦争における被災国の賠償
企業の功績と社会的責任
飲み屋で豪快にやって、後で請求書

武勇伝を口にする人の話って
逆にその人を陥れるいいネタになると強く感じてきた。

さあー、どこのバカが武勇伝を誇って語っているか、聞きたいものだ。

2014-10-16

視聴

観ている側、、
最近ではテレビ、ディスプレイの動画を見ている人を指すと言い切れよう。

ここに変容が表れ始めている。
多くの勘違いしているテレビサイドの輩は
テレビを観なくなったといいだすが、
そもそも、テレビ画面という発想がおかしい。

視聴者はいろいろと視聴している。
昔から舞台、コンサートなど観ていた。
その後の映画もそうだ、
しかし、統計という概念でいえば
それがテレビの普及で一般的になっただけだったということであり、
今はネットでそれ以上の統計が取れるようになり、
また、双方向かつ自由な時間で観れるとなれば
必然的にテレビでなくてもとなるだろう。

舞台、映画から視聴者を奪ってきたテレビ、
その座が奪われることに、テレビは躍起だが
視聴する側からすれば、観れればいいじゃん、その一言に尽きるのだがね。

2014-10-15

練度

訓練を積み重ねて得られる,熟練の程度。
何回も練習して、磨かれる技術。

、、、、、、本当かな?
数多く同じことを繰り返しても、、、
いや繰り返せば繰り返すほど、
同じこと、ルーティン化して、技能向上にならないでは?
毎朝、歯を磨くが人によっては毎日磨いているのに
虫歯になる人が実に多い。
それは何度も磨いているが、それをただルーティンとしてこなしているだけだから、
うまくなろうと思って、試行錯誤していないから。

同じことを繰り返すことを練度とみなすはどうだろうか?
逆にいろいろなことを試みるほうが練度育成になるのでは?
今の練習概念、組織的カリキュラム、
そして個々人の意識すべてを変える必要があるのでは?

2014-10-14

揚鳥

鶏肉を油で揚げた料理。
から揚げ
竜田揚げ
フライドチキン
など、
差異があるが、油で揚げた鶏肉には変わりない。

日本人の多くは
唐揚げ弁当が好きなのに
フライドチキンではごはんを食べない。
それってあまりにも企業戦略、洗脳されすぎ。
バカすぎる輩は
「何言っているの?フライドチキンでごはん食べるんなって異常だ」
お前こそ、異常だ。

外国からすれば
餃子でごはんを食べたり
ステーキにライスなんて異常だといわれかねない。
この事実は全くの無視で、自分こそ正しいという偏見の異常さである。

食文化の変遷やその国民、、いやその人の味覚については
あまりとやかく言うべきではないといえる。

2014-10-10

知事

都道府県の県政の長である。
あれって思わない?

村長
町長
区長
市長
なのに、、、
なぜ、、知事?

県長
道長
府長
都長

ではないのか?

辞書にあるのは
物事を治め司るという意味のサンスクリット語を漢訳した言葉に由来する。
とされているが、、、実は嘘。
嘘とは言わないが、、、

県庁
道庁
府庁
都庁

と同音の建物が先に定義されていたため、
それと識別するために、、
はじめは、長官、、県令、そして総督だったが、それが軍事用語っぽいから、、
GHQの要請もあり、知事を当てたが正解。

あまりにもひどい話しすぎてなかなか伝わっていないのは
なぜだろうか?

2014-10-09

同業

職業や業種が同じであること。
外国ではその業種でユニオンを作るくらい価値観が共有されている。
日本も見習うべき、、、とは全く思わないし、
それって、どうなんだ?って思う。

考えてほしい。
同業であるということは
自分の食い口を奪い合う敵ではないのか?
仲良くする対象だろうか?
そうやって、傷をなめ合うような関係を作るから
個々の能力は発達していないではないか!

マイスターという発想がなくなりつつ欧米だから
日本は、モノづくり とか言っている。
つまり、傷をなめ合う関係より
いち職人としてのプライドを高めてきたといえる。

最近、同業で団結をし始める傾向がある。
力が弱いからこそ、団結で!
とは愚かなことを口走る。

一騎当千
自分の腕一つでなしあがっている職人気質がないことに
恥ずかしさを感じる世の中に戻したいものだし、
そうしないから、経済的に落ちていくばかりではないかと。

2014-10-08

泰然

落ち着いていて物事に驚かないさま。

年を経たら、そうなりたいものだと思うが、
なかなか、、、というか、それは人格的、時代的に難しいかもしれない。
落ち着くということは
自分以外、自分のために手足のように動いてくれることだといえる。
それだけの体制、崇拝、そして信任を得る必要がある。
しかし、この欧米化した個人主義の世の中、
そんなことを目指すことが禁じられている。
そういう状況を作り出せば、
やたら、メディア等にバッシングされるし、そのバッシングが正当化される社会である。

俯瞰的にみれば、
現代社会は
落ち着きがなく
そして、統制のとれていない社会にみえる。
それはあたかも、、混沌、無秩序そのものであり
こういう状態を地球規模、神様的視点からして許されるものだろうか?
地球は神は泰然が当然なだけにね。

2014-10-07

新任

ある職務に新しく任ぜられること。

期の変わり目でよくおきる。
人事は変わるもんだから、それは仕方ない。
だからこそ、いなくなる人への惜しむ気持ちと同じくらい
新しく新任された人に迎え入れる気持ちが重要。

バカみたいにコミュニケーションと言っている割に
現代社会はおかしい。

新任者の挨拶を無視したり
前任者からの引き継ぎ課題を来たばかりの人に迫ったり
平気でする。

こういうことをするから
人の定着率が低くなり、人材不足という問題になるのだが、
そもそも論、
新任者をきちっと迎え入れて、ゆとりを持ってみんなで支援することをしっかりやれば
新任者が熟練者に育ち、定着率、人手不足はなくなるのではないか?
人手不足は
新任者ではなく、既存人間の人間性が足りていないということではないか!

2014-10-06

上陸

陸に上がるというより、
船舶又は航空機によって外国に入国すること
という意味と言い切ってもいいだろう。

外国生まれのものが日本に入ってくる。
日本生まれのものが外国に、、受け入れられないことをガラパゴスっていうが、、
考え方がおかしいと思わないか?

日本人は欧米のものを安易に受け入れすぎる。
そして、外国は日本規格に基本、嫌悪があるということを。
だって日本とて、中国、韓国製品に気持ち的に壁があるように
欧米諸国も同じである事実に目を向けるべきだ。

安易に上陸を許すことで門戸を開くことが
いいことと思っているが、
国産、、純血国内を守る気持ちのほうが
人減の本能に近く一般的と思うべきなのだがね。

2014-10-03

遅刻

機能していない組織を垣間見た。

自分が遅刻するから、
その旨を作業現場に電話したら、
誰もでなかった。

そのため、連絡なく彼は無断欠勤にみなされた。
不服に思って、
「自分は遅刻することを電話したのに誰も出なかった!
 これは自分には非がない!」
と主張した。

、、、、実はその組織、全員遅刻するが常習化していた。
そのことで、経営層から目をつけられ、
組織として直せと指摘をうけていた。
その指摘を受けて
「みんなこれから遅刻しないように、どうしても遅刻しそうなときは事前電話連絡をするように」
とした。
その結果、全員が電話をすればいいと思い
遅刻を正当化しため、
誰も現場にいなかったということだ。

そして不服に思って自己主張している彼こそ
「みんな、」
と言い出した組織の長であった。

言うまでもなく、その組織はとりつぶしになるのだが、、
この事例、
他人事ではないという自覚を持ったあなた、あなたの組織は大丈夫。
そうではない、あなた!
あなたの組織はもう手遅れと思うべきと僕は確信していまう。












2014-10-02

振返

物理身体的に振り向くというより、
過去に思いをはせることといえる。

最近、多く感じるのは
本当に人間はだめになってきている。
振り返りのあるべき価値は反省ではないかと僕は思うが
最近はよかったときの思い出話で、今はだめだと愚痴ることが実に多く見受けられる。
反省については振り返るべきとしようものなら
「つまらないことは思い出せるな」
という始末。

日本のプロパガンダ的には
・日本を取り戻す
・改善をし続ける
とか言っているが、現場サイドでは
・昔はよかった愚痴り
・反省するどころか、なかったことに
をしているのだから、、、
もう二度、、そもそも日本というもの価値はすでになくなっているのではないだろうか??
それこそ、振り返って自分たちを観てみるべきで、
新興国は決して日本なんか目指していないカモ?

2014-10-01

独特

そのものだけが特別にもっていること。また、そのさま。

が、そんなことは一切ない。
他人がそう言い切ってしまうだけである。
当事者、該当物は独特とは感じたことなどないはずなのだから。

独特という言葉自身も僕からすれば差別用語とみなすべきだろう。
発言者の思い込みで、その対象を区別してしまうのだから。

ぼくから、独特と言い出す人ほど、
独特の感性であり、他のものへの許容がないのではないかと思う。
独特という感覚って結構、バカげた偏見そのものと思うべきではないか?
そこに気づかないでグローバルとか、多様化とか言い出すなよって強く思う。

2014-09-30

清潔

汚れがないこと。衛生的であること。
現代社会において、それが本当だろうか?

丁寧に疾病対策をちゃんとしているが見た目が老け込んでいる人が
自分の席の周りも掃除できない女に

「きったねー手で触れるな!」

というところを見た。

今までの日本の道徳では、
精神の清潔さも重視するものであったが、
この女を批判するどころか、現代社会は愚かにも、、
その女を擁護したり、セクハラに問題を昇華させるだろう。

身だしなみ、精神もきれいであることが
真の清潔とするならば、
現代社会そのものは汚れきっているといえるのでは。

清潔という概念、きれいにするためには
存在そのものもきれいにすることを視野に入れるべき時になったといえるだろう。

いくら磨いてもきれいにならないものを処分することは
美的にはOKであれば、人間そのものも例外にすべきではないということだ。

2014-09-29

定時

時間通り。
ある意味、日本のもつ国民的付加価値だったといえる。
しかし、それが揺らいでいる。

フレックスタイム制とか、生活残業をいう発想ために
定められた時間への概念が軽視されてきている。
今では、
遅刻を当然のようにしてきて
定時通りに稼働している人に対して
「早く帰るなよ!」
という言葉を浴びせて、無駄な残業代を稼ぐ輩が実に多い。

日本国家に身を置き、
その時間感覚で稼働する以上は
定時を守って行動したいと常に思うし
だからこその納期、タイムリミットの緊張感もあるべきだと強く思う。

日本型新裁量労働制
通称
残業代ゼロ法案

庶民レベルの発想がおかしい。

そもそも、残業代という概念ではなく、
定時以降も市場からの需要で入金されものへの稼働であれば
残業ではなく、超過報酬であり、
稼働レベルが低いものが長く仕事をしていることは
定時を守れない逆に減俸ペナルティーであるべきではないのか?
それが会社からの不当な扱いでなされているのであれば、
それこそ、職業選択の自由の行使ではないのか!

日本人、
僕からすれば、かなり麻痺っているとしか言いようがない。
残念な国民に成り下がったって思ってならない。
それは残業というより、居座り守銭奴ではないか。

2014-09-26

危険

未来において、損害や損失が発生する可能性があること。
しかし、そうだろうか?
危険を冒さず、発展はできない。
事前に危険な経験をしているから、もうリスクが激減される。
考えようによっては
危険を冒すことで、損害防止、未来利益につながるといえる。

とかく現代社会は危険を問題視する傾向にある。
しかし、その発想こそ
未来において、損害や損失が発生する可能性がある
まさに、危険ではないか!

2014-09-25

規模

物事の構造・内容・仕組みなどの大きさ

人間は自分の経験をもとに規模の尺度を測る。
それだけならいいのだが、最近の人間は
自分の経験こそ最大限の規模と思って、相手の規模を見下す傾向がある。
思うに、最近の仕事が専門的、専従的になっているで
他の業界、いや他人の世界を認められない視野になっているかではないだろうか?

僕からすれば、
普通に思える規模間であっても
「これほど大きな案件は過去にない」
とか言い出すどころか
それより定数的に大きい規模の話をしても
「それはカウント仕方が違うから、話ならない」
と言い出す始末。

規模という概念は定数的な比較をするための概念なのだが
もはや自画自賛で比較することを認めない価値観の現代に
いったい意味があるだろうか??

2014-09-24

埋没

うずもれて見えなくなること
世の人に知られないこと

根本的に世間、人の目に触れられない状態。
埋没という状態は人の目に触れられないのだから
誰かが、その存在を訴える必要がないと埋没という概念にはならない。

最近思う。
必要のないことを埋没していると騒ぎ
その結果、今あるべきものが逆に埋没させてしまっているのでは?

僕は何かにつけて、、ということも言われても
何か今の社会はよからぬ方向に埋没がすすんでいると思ってならない。

2014-09-22

決手

物ごとに決定を与える資料又は手段。
旧価値観においては
決め手となるものが定番に近かった。
だから、決め手になるものを用意できるかこそが
物事の白黒だったといえる。

しかし、現代社会は決め手に欠ける。
本当に文字通り、決め手にかけているので
何事も決まらなすぎる。

価値の多様化は
信心の多様化でもあり、
みんなを納得させる、信心に訴えるものがないからこそ
決められない。

そう考えると、
決め手なんかよりも、
そこ決める判断をすること自体、
いや、そこにいること自体をなかったことにするほうが手っ取り早いのでは。
まーそれが正しいことは、みんなの大好きな
西郷隆盛の「短刀ひとつあればすむ」でよくわかる。
そうか、決め手は根本的にはこういうものであるべきだ!

2014-09-19

赴任

仕事をする場所へ行くこと、
グローバル化で
地方赴任
海外赴任
という話があるが、、、

グローバル化というなら、逆だろう。
現地のスタッフを雇ってそこの地場産業として育成させることがグローバル化であって、
日本から、人を出すという発想はおかしくないか?
まして、新人ほど赴任させたがるのは、、なんか、、バカではないか?

商社のように、
赴任先でビジネスを起こさせる研修目的で
自社の費用負担での教育であればいいが、
単に送り出している、、、帝国陸軍の上陸作戦のように新兵を向かわせる事自体
非グローバル化の現れだといえる。

発想を変えて、
日本が海外に進出したいなら、
進出先の国で、働きたい優秀な幹部候補生を日本で育てて
現地に戻すことこそグローバル化であって、
赴任するのではなく、こっちに赴任してもらうという発想になれないところが
日本の弱さと断言できよう。

2014-09-18

主張

自分の意見や持論を他に認めさせようとして、強く言い張ること。
実はエゴでしかない。
エゴの多くは、社会不適用、共同活動の妨げになる。

日本はバカ化している。
討論で自己主張を強く求める教育を強いている。
それが結果として、治安の悪化につながってくることへの関心がないことに僕は驚く。

主張は必ず、摩擦をもたらす。
その摩擦に対して、
いつまで、武力解決なくしておさまらない現実に背を向けるのだろうか?
武力で制する自信なくして、主張すべきではない。

逆に、主張しないからこそ、
今までの日本は高い治安と安全を得られた。
譲り合いの美徳感と出る杭は打たれるという不文律。

それが崩れてきている、、いや馬鹿のように崩してきている外国かぶれの輩のために
どんどん悪くなってきている事実はどう感じているのか?

主張をするなら、高い軍事戦闘力
日本古来の譲り合いならば、下手なグローバル化抑止
どっちかを一方を選択できない判断力の輩に何ができようか、、

2014-09-17

糸口

 巻いてある糸の端。糸の先。
転じて、物事のきっかけ、手がかり になっている。

多くの人が勘違いしているのでここに言いたいが
糸口となるようなことは論理的なものではない。
逆に、論理的ではない着眼点だから糸口になるのであり、
糸口から論理的、分析的に展開できるものである。

最近、多くの人間が学がり、論理的に考えている。
でもそれって、僕からすれば危ないし、無益、、いや有害だといえる。
各位それぞれが、論理的といいだすと、自分の論理が正しいという立証ばかりになり
本質を見失うからだ。

いろいろな事象の糸口ってそんな崇高な頭の良さではなく
日常のふとしたことに気づける感受性の高さ、広い視野であり、
論理や熟考を超えた世界に気づくことである。

糸口なんてものは、凝り固まった感覚ではなかなか見つけられないし、
それを見つけても柔らかい感覚でないとほどけないものだから。

2014-09-16

瀑布

平たく言うと滝のことである。
水が崖から大量に流れ落ちるさまである。

滝、瀧、瀑布、
水の流れを竜、布に例えるとは、
なんとも粋な表現だと僕は思う。

水は何にでも姿が変わる。
だからそれをどう例えるか、見る人の表現力に関わるのだが
それをこのような表現で表すところは、、、
逆に昔の人は知りえる情報が少ないからこそ
そのような発想ができたのではないかと思う。

何でも知ることはいいこと。
でも、知らないからこそ生まれる粋な表現に少し気持ちを傾けることが
現代人には必要なのかも?

2014-09-12

前職

以前に従事していた職業・職務

他人からすれば、その人の過去の過程でしかないが
当人からすれば人生そのものであり、
それが価値基準となっている。

現在同じ組織に属していても
多くの人は、自分はもともとここではないという感覚でいる。
それゆえ、
~この組織は間違っている
~自分の経験からすれば
~そもそも、私がここにいてやっている
という態度、発言が同組織内での軋轢を起こす原因になっている。

過去に引きずられる人生、、
というが、人生というものは今まで行ってきた前職、経験こそ人生であり
現時点などは過去に向けての通過点、過去を彩るため
布石でしかないという感覚ももつべきだろう。

2014-09-11

本部

 組織・団体などで、活動の中枢となるところ。

僕は気になる地位がある。
副本部長という地位だ。
日本独自の基準だと思っていたが
senior vice-president
sub-director
やら、同じような肩書きが多く見受けられる。

ただ、思う。
本部ってその組織で何を司るところ?
本部長、副本部長の業際、執行権限は?
ということは全く考えていなく、
組織ではなく、ただ当人に箔をつけるだけの肩書きに
本部という存在が利用されていないか?
って思ってならない。

基本、どんな組織体でも本部は一つであり、
本部の責任者が、その組織の長であるべきだと思う。
本部を同一組織に複数作るということは
結果的に、組織が組織として機能していないという論証に他ならないという
事実を鑑みて、本部という役割を見つめてみよう。

2014-09-10

日報

作業の進捗を日々単位で報告してまとめ上げていくこと。

僕は、現代運用されている日報は否定していて、
自分の管轄している日報こそという思いがある。

ただ形骸化した運用に成り果てていた日報でも
ルールはルールとしてちょっとやるべきと感じ真剣で従った結果、
バカの上司に

「こんな無駄なことに真剣になって」

と言われた。
無駄なら、やめるのが上司の務めのはずだと思いをもっていた。

だから、弊社の日報管理は
出す社員の報告をしたいマインド
毎日読み、把握する管理職の把握力
それをかみ合わせることが重要だと思い、今に至る。

週次報告をただ出している屑な管理制度とは
日報で得られた情報量、
行動の契機、そのスピード、
もはや話ならないと思っている。

やることに意味があるからこそ、
人は意味をもって続けられる。
それを感じるべきだと僕は思ってならない。

2014-09-09

結論

議論や考察の結果まとまった考え。

必ずしも、
正解ということではない、この事実を多くの人は錯覚している。
そもそも、正解ということもあり得ない。
何が正しい、それは後になって判断されるのが人間の生きざまであり、
現代人が行っている筆記試験はある意味、異様な光景ということも
ゆくゆくは後世の人間に批判されると僕は思っている。

結論を導き出すために、人は多くの議論と時間とそして精神を使っている。
場合によっては、正しいと思われる結論ゆえに多くの人が不幸になることも
多々見受けられる。

現代人の多くは勘違いを させられている が、
ナチス は ドイツ国民の総意であり、
あの時点では何も違法性どころ、遵法、国民みんなの期待に応えたのである。

多くの人が導く結論が正しいということより、
間違っていると後世から後出しじゃんけんのように言い続ける人間の歴史観って
なんか卑怯でまた同じようなことを繰り返す前提、それが本性ではないかと思ってならない。

2014-09-08

難聴

加齢のせいか、
耳が遠くなってきた、、、と思っていた。
そういえば、自分の責任に感じるが、結構すではなかった。

話している側の滑舌、そして言い回しがよくわからない社会になっている。
正しい発音?
自分はそう思っているが、聞く側からすれば
ちょっと違う、いや全く間違っているといわれかねないことが多くなっている。

簡単なところで言えば
not at all 気にするな という意味でもあるが、
日本人の英語教師は
ノット アット オール
であるが
ナラロー
がネイティブの発音だったり

今はやりで言えば
let it go
はレリゴー である。

英語だからというが、
グローバルやら、横文字のこの日本という国
日本語でもない言葉を独りよがりで使っている社会なのだから
結果的に難聴にもなるだろうなって思う。

だから、僕は加齢かそれとも社会の悪化っと悩むが
だいたいは、、、言うわずもがな。

2014-09-05

老獪

いろいろ経験を積んでいて、悪賢いこと。

しかし、それって、
相対的な若い人間のひがみではないか?

年老いた年配者は分かっている。
しかし、若者が新しい技巧にはやって行動したがる。
それを止めれば、抵抗勢力といわれるし
それをそのままやらして、失敗を外で見ていれば、老獪といわれる。

失敗するとわかっているの関わるのはバカなのに
それに付き合わされて責任も取らせられたら、、、

所詮、人間は自分本位。
長生きで経験から得たことに対して
若い自分がそれを持っていないことやそれを自分に使わないことに
老獪と言い出し、悪者扱い。

人間はどれだけ、悪者が悪者を作り出す生物なのだ。

2014-09-04

厨房

料理をするところ。
では問題!

給食などを作る空間などは
厨房といわず、調理室とかいう。
厨房と調理室の違いは?

正解などない。
もっと言えば、厨房と台所の違いは?
両方ともkitchen と訳せるものである。

調理室
厨房
台所

に違いなど、人、、いや日本人という民族の思い込みでしかない。

小さな調理室
大きな食事処の台所

という文章表現に問題はないだけに
大きさでもないし、
商用私用でも分けようがない。

この厨房のように曖昧な表現は使う側は好きに使いだすのだが
それを聞く側の認識がかみ合わない場合の可能性をついつい忘れがちである。
~そこを厨房って呼ぶか、普通
~台所のくせに、かっこつけているのか
~そもそも、厨房って今はそういう意味では使わない
とか、
同じ日本語でもそれぞれの定義の確認からしないとならないそんな時代といえる。

2014-09-03

形骸

ムクロ、死骸から派生して、
形は成しているが、存在意義を亡くしているもの をよく指す。

形骸化
社会において、いろいろなところに存在する。
しかし、形骸化の認識は人それぞれ。
自分はすでに形骸化したと思っているものも
相手側からすれば、未だに価値があると思っているものもある。
いや、、、
これが人の拠り所、根拠の論理で抗争になる。

形骸化しているから無視する論理と
それを重んじる論理と
はいつものように対立する。

自分たちは形骸化と思っていても
存在することに意義があるとしたら、
それは全く形骸化していないのである。

多くの場合、個人、集団レベルでの認識抗争だが、
僕は感じている、今の流れで
社会規範とりわけ、法律も近いうちに形骸化が起きるだろうと。
だって、ルールを守っている人に対して
守っていない側が平気で
「何バカみたいに守っているの?守っても何もない」
と言い出してルールを無視しているのに、
警察官の屑どもがそれを取り締まるどころか
「それを取り締まったら、自分たちが危ないではないか!」
なのだから、現代法治制度そのものの形骸化はすでに始まっているといえる。

形骸化を誰かが認めた時点ですでに価値はない事実が始まるのだから
新しい価値で、その形骸化が生み出す害悪から
自分を守るべきだろうと考えてならない。

2014-09-02

研修

知識や技能などを修得すること だが
現代では、企業内での教育プログラムだろう。
そして、その研修の優先度の強さが企業の強さだろう。

弊社みたいな会社だと研修と言っても
そのときに、業務があれば業務優先にせざる負えないし
「研修するの?」
って言われる。

中堅になると、業務より研修が優先される。

そして、大手だと、、顧客へのサービスよりも社員研修が優先される。

ただ、、
そこまで研修する価値があるのかね?って僕は思う。
弊社の場合は研修コースなんかより課題を空いた時間にさせるようにして
当人のための教育を施す。
研修は参加することに意義なんかないって悟っているだけに、
業務より優先させる認識を社員に与える発想が
ちゃんと見え据えて経営している僕には理解しがたいがね。

2014-09-01

疾患

「疾患と病ってどう使い分けるの?」

こういう質問を
子供にされたらどう答えるか?

多くの日本人は悩んでしまう。

人によっては
・気分
・かっこよさ
とかいう人もいたり、
・そもそも、疾患とは、、

とか言い出す人もいるだろう。

これは別に日本語だけの問題ではない。
decide / determine

のように、英語、、強いてはすべての言語に起きている。

一つの言葉で複数の意味を持つ多義語という言葉あるが、
その真逆に、同じ意味でいろいろな単語を持つ言葉も存在する。

意味と語彙が
1:1なんてことはなく、
1:N N:1 であり、言葉の意味は実は定義できないかも。。。

だから、、何でも言うが
人間のコミュニケーションという概念の多くは会話だが、
上記のように、N;Nの関係に意味と語彙がなっているのだから
伝わっていると思うほうが、異常だと僕は考える。
伝わっているではなく、究極的には自分の相手をいろいろな力でねじ伏せているのが
実際のコミュニケーションともいえる。

会話で成り立つという社会、コミュニケーションの発想。
それ自体が僕は、人が慢性的にかかっている大きな疾患だといいたい。

2014-08-29

航空

飛行のための装置(航空機)の、設計・開発・製造・運用・利用などを
広く指すための概念・用語

ライト兄弟以来、有人飛行という概念が今にいたり、
人が空を飛ぶことが目的から手段になってきている。

陸路からより行動範囲のとれる海路に進化したものが
より三次元的に自由になった空路というもので
行動範囲の自由が高まった。

逆にその分、
手段となったことで抱えるリスクの高さも大きく、
陸路、海路と異なり事故が起きた場合の死傷率がきわめて高いといえる。

人が空を飛ぶということは
宗教的、自然哲学として許されるものではないが
そのリスクがある意味、自然調和となっていると捉えられる。

身近になった航空。
今ではLCCという概念で
コスト面でもより身近になってきてもいる。

だからこそ、
その航空というものの概念とそのリスクを考えながら
恩恵を享受すべきだといえる。

事故が起きる、おきたとき
それについて、被害者でいるべきだろうか?
自然の摂理に逆らうことを自ら選んだ結果という感覚を
一つの価値観としてある事実から目を背けるのはいかがなものだろうか?

2014-08-28

提言

自分の考えや意見を出すこと。

コミュニケーションとか、
自己表明とか、
重要なことといわれるが、
実際のところ、提言より重要なことがある。

それは、地位の確立である。

いくらいいアイデアの提言でも地位がないとだめだし、
逆に大したことのない提言でも地位があれば、まかり通る。

バカな人ほど、
いい提言があればそんなこと関係ないとかいうが、
現代だと、そいい提言だとしたら、
地位がある者がその提言をいかにも自分の提言としてしまうのが実情。
逆に、いい提言であれば、自分の地位と相談して、表明をあえて控えるべきといえる。

こういう事実、なぜ日本では教育しないか、、本当に変な社会に感じてしまう。

2014-08-27

残業

世間ではようやく認められて、某商社も推奨し始めてきた。
早朝シフト。

そもそも論をいうとしたら、、、
残業という概念。
それは戦後からの高度成長期の3Cにつながっている。

戦後の人口密集、
経済の劇的な成長、
物欲が社会支配していた時代。

家に帰っても娯楽もないどころか、
暑い寒いの住居。
その点、職場はクーラーが完備されていた。
そして、働いた分、経済活性につながっていたので
給金にそのまま反映させても問題がなかった。

だから、残業ということが推奨されて
遅くまで働くことが高い価値だった。

その価値観のまま、今の社会人はいるが、
経済は停滞
娯楽は飽和状態
一家にほぼエアコンが完備
の状況下で、無駄な残業はまったく意味がない。

逆に、効率よく働くことが求められて
残業することが経済的に負担になっているとまで言われている。

定時どおりの稼働、
少しでも作業をこなしたいのであれば
残るのではなく、早く来ることで時間を有意義に使え。
それがこれから求められる社会だと僕は思う。

だから、
定時以降に、打ち合わせを入れることを当たり前になっているビジネスは
少なくても5年以内にビジネス的に破綻、ビジネスモデルの再検討を推し量ることになるではないかと
思っている。

今までの常識、これからの非常識、、、いや社会悪となることは
多くの社会生活で見受けられているだけにね。

2014-08-26

施策

ほどこすべき策。
実行すべき計画。

企業、国家ではそのかじ取りに施策が問われる。
そして、結果だして出さなくても批判される。

結果を出しても批判される?
首をかしげるかもしれないが
現代社会の施策というものはそういうものだ。

いい施策があるって当然という論理だから
結果を出さないことに対して、
批判をされることは必定である。

その上で
結果を出した施策を継続したり、
その施策に傾倒するすると、
先を見ていない言い出す輩多い。

批判する側は楽なもので
「いつかは失敗するリスク」
と言い続けていればよく、各種要因で結果が芳しくなくなると
「ほら、みたことか!」
って言い出せばよい。

僕は施策を講じる側として思う。
批判するということに価値を感じている現代社会は
王政時代に庶民が批判できなかった社会より醜い結果になるのでは?って。
なぜなら、施策は長期的やり続けることが重要で
やらないより、やること
やめるより、やりつづけること
が出来なくなることは発展性がないといえる。
施策批判は、、無価値、いや罪というべきではないかと、、

明らかに悪い施策も批判できないのか、、という愚かな意見ではなく、
それよりいい施策を講じることが重要であることを一度考え直すべきだということに。

2014-08-25

開錠

セキュリティーが問題になっているが、
実際問題、
施錠より、開錠が問題だと僕は思っている。

セキュリティーをかけるという発想。
その行為により、通常よりアクションに支障がおきる。
それは安全のために仕方がないこと。
って割り切れているだろうか?!!
そんな都合のいいわけがない。
むしろ、セキュリティーがあるけど、よりよい効率的、生産的なアクションを
社会は求める。

それゆえ、開錠方法が独特にそして、違法的になってくる。
多くの人間の愚かな勘違いは
開錠されたことで安全性が失われての被害だと思っているが
そうやって、施錠やら安全性とかで圧迫しながらも強いる強制活動のほうが問題で
その問題へのはけ口が被害だと僕は確信にいたっている。

施錠の多くはかける側の論理ではなく、
かけさせる側の強制。
対して、開錠は使う側の利便性。
開閉の目的がかみ合わない以上、被害は永遠になくならないといえるだろうね。

2014-08-22

遵法

法律に則って行うこと。
今までは、正しいといわれてきた。
そう、もうこれは今まではって言い切るべきだろう。

グローバル、そして地政学的政治問題が多発している昨今。
自国の法を根拠に他国を多角的に攻め立てる根拠になっている。

我が国に著しく不利益を与えるから、
我が国に定める法令に基づき制裁を加えるという論理は
遵法そのものの行為である。

これは今に始まったものではない。
アメリカのスーパー301条は
アメリカの遵法を相手国に強要している。
たとえ、相手国が自国内において遵法であってもだ。

この点に関して、
盲目的に、アメリカは正義、正しいという
妄信的な信頼をさせられている日本の世相があるが、
それは経済、武力の脅威にさらされているだけで
法が屈しているにすぎない。

遵法という論理ははっきり言えば、、
逆らうだけの力があるかないかだけの問題、
隷属であることというの証明に過ぎない。

2014-08-21

偏食

好き嫌いなく食べないといけない。
けど、周りを見渡してほしい。
好き嫌いが激しい人ほど
仕事ができるような気がしないか?

かのイチローも、食べたくないものは食べないとポリシーを小学校から貫いていて
担任を怒らしても、自分を貫いたそうだ。

ある意味、自分の意見にこだわる。
とりわけ、口にするものを、、

世間でいう
いうことを聞くように育ている教育の結果が今の社会であるなら
それに背いた結果、社会で大きな結果を出していることが多い。

偏食と人を蔑む言い方をしているが、
なんでも食べるほうが鈍食という愚者なのではないかって思ってしまう。

社会の価値観、、
それに従うことって案外無駄なんだろうな。

2014-08-20

立派

威厳があって美しいさま。堂々としているさま。また、非常にすぐれているさま。
僕は立派であることとは、何かを犠牲にしたということだと思っている。
何もかも持っている人は立派という表現を用いられることはまずないだろう。
立派には苦労、悲しい過去がなくてはならない。
逆に立派とは、マイナスからの今に至っていることへ工程への賞賛である。

~立派な人になろう!
ってことは、現在の生活を認めていない、親、周りの人に
失礼なことを言っているってことでもある。

案外、人はこの事実に気づかないが
結構、他人に失礼な言い回しだったりする言葉ってあるもんだ。

2014-08-19

利害

得することと損すること。
利害の一致という表現などで使われる。
人間社会の利害関係って
複雑なようだったり、案外単純だったり。

いや、結構感情的になっていたりしている。

利害というものの根源は
それで笑顔になるか、怒りにつながるかである。
他人から見て、それは損をしているとしても
そこで関係を維持できることこそ、利益と思う人は
「長期的なパートナーシップに向けての投資」
という発言をする。

逆に、絶対的に金銭的に好条件であっても
該当環境、しいてはその人間が嫌な場合
「行うことによるリスクが高い」
という言い方をする。

論理、説明といっても
自分がいい、いやだ、ただそれだけが利害の根源といえる。

2014-08-18

賠償

他に与えた損害をつぐなうこと。

近代法では、
賠償責任は個人、当人に帰属して
その一族、、保護責任がない親族になどに派生しないことが原則である。

しかし、どうだろうか?
国家を法人として
未だに、敗戦国扱いされる日本、
もう戦争経験がない人口のほうが多くなっているのに、
未だにその責任を押しつけられる。

いいように、不戦意識を洗脳しているが、、、
それをさせているアメリカは
どんどん宣戦布告、開戦している事実がある。

賠償は、負けた側が払うものであり、、
実は正しさは勝った側の論理でいくらでも立証できる。

いつまでも賠償求められるなら
その倍賞を贖うために、勝つために、、、
という発想も間違っているとはいえないことを
強く意識すべきだと思う。

2014-08-15

霊魂

霊魂とは何か?
夏になると定番の命題といえる。

定義的には
肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの
とされる。

しかし、そういう学術的な話ではなく
興味本位の怪談による背筋が凍るの間隔
風習的なお盆による死者を向かいいれる習慣

それによって、霊魂は身近にとらえている。
学術的な検証など考えずにだ。

ある僧侶曰く、

供養された魂は香りを楽しむ。
だから、
線香や香りのいい花を添えるし、
お供え物もそのものを開封してその香りを味わってもらう。
香りを楽しんだ後のお下がりは
生きている我々が食べることのほうが、
供養された者と一緒に味わい、ものを大切に扱う心に通じる。

すごくこの言葉には趣がある。
霊魂という見えない存在への敬意
そして、現世の人々とあの世の霊魂への共生を説いている。

とかく論理的、科学的を求める現代、
上記なような感覚を持って、
見えない
いや、見ようとしていないものへの敬意を再び呼び起こそうではないか。

2014-08-14

割入

相手がたの話し合いに割って入る。
最近は極力控えるようにしている。

割って入ることは
・気づいていない認識情報を対象者に伝えること
・自己能力の立証
という効果があり、自己主張においては恰好の場ではある。
また、知っていることを相手に伝えるということで
世間で言われているコミュニケーションを円滑にさせるということでは大きなポイントといえる。

しかしだ。
その行為はいかんせん機能していないといえよう。
・気づいていない認識情報が欲しているものとは一概に言えないし、
 それが必ずしも正しい情報かどうか
・そこにその当人がでしゃばってほしくない
・円滑なコミュニケーションというものはみんな集まると収集がつかない
ということが起きている。

人の思惑と相まって初めて成り立つコミュニケーション。
割って入ってくることをコミュニケーションとしてwelcome と感じている幻想で
どれだけ人間関係が失敗しているのだろうか?

統計的に証明しているように
コミュニケーションを取り出されるようになってから
精神科の人間関係ストレスが増えていることは
ある意味、本末転倒な愚かな社会と言えないか?

2014-08-13

蜜蜂

蜂蜜を作ってくれる蜂という認識だと思うが、
実はそれ以上に重要のは、果実の受粉だそうだ。

果実はめしべにおしべの花粉が付き、それが受精して初めて果実になる。
その受粉行為は人的に行うより、
蜂の蜜採集で行われるとき、蜂自身に着く花粉を介しての受粉が一番いいらしい。
これは自然の長い歴史で
受粉を蜂に頼る植物はよりよく受粉できるように
蜂の行動に合わせて、蜜の位置、おしべの花粉の位置を工夫して
また、雌花側もその花粉をうまくつけてもらえるように
進化して来た結果であり、それに従った蜂もまた進化した結果となっている。
蜂と植物の共存関係が成り立っているといえる。

それだけでなく、その蜜蜂と植物を生業にしている人間も
その共存関係の延長上にあり
養蜂家
農家
持ちつ持たれつの関係だそうだ。

それゆえ、
先の蜜蜂を盗む事件というものは
蜂やその蜂蜜を盗むという行為だけでなく、
自然の共存関係
人間社会の共存経済
をも脅かす大きな事件だった。

たった1cmくらいの蜜蜂かもしれないが
それが自然、人間界において大きな役割を担っているとよくわかった。

2014-08-12

水鉢

水を入れておく、、、なかなか人手で動かせないもの
という認識であるべきかな?

旧家で大きな水瓶にメダカを飼っているとき、
その水瓶は水鉢と呼ばれたりするし、
お墓の線香を置く香炉の上にあたるくぼみも水鉢である。

と書くと、水鉢の水は飲料水とは言い難い。
水鉢は人ではないもののために注がれるものである。

こんなことを考えて、、ちょうどお盆のお墓詣りを行かれたらどうだろうか?

2014-08-11

冷涼

ひんやりとして涼しいこと。
定性的、相対的な温度なので、
人によっては異なる感覚といえる。

現代は暑いとなっている。
夏日というのが30度以上とされていたのに
猛暑日という35度以上の気温が言われるようになってきた。

だから、日によっては20度台でも
冷涼といわれる可能性がでてきたといえる。

この冷涼感への認識は
未来はどこまで変わっていくのだろうかって思う一方
本当にこの気温がこのまま上がっていくのは
二酸化炭素?
室外機によるヒートアイランド?
と人為的なこと?それても
地軸のせい?
いろいろと考えてしまう。

2014-08-08

略図

要所だけを簡単にかいた図。

略するということはいくつか省くことになる。
省く内容を間違えると、略図というより
別のものになってしまう。

略するということは
捨て去る技術のであり、
なんでも欲する現代社会の人間には難しいことになっているといえよう。

2014-08-07

公費

国または公共団体の費用。
庶民は、政府、自治体に無駄使いをするなっていう。

、、、、愚かすぎる。
公共サービスって基本、市場論理で賄えないからこそであり、
見た目上は無駄遣いにみえるからこそ、公共サービスである。
それを無駄遣い、節約って言いながら
公共サービスの向上を求める愚かさになぜ気づかないのだろう。

はっきり言えば、現代人はもう限界である。
安くていいもの、というものはいくら知恵を絞っても出てこない。
それは現代人がもうそれだけの能力がないのだから。
もうあきらめて、ほしいものを得るためには多くな負担を支払う。
支払えなければ、我慢、、いやあきらめてみじめになるべきだ。
そうなるからこそ、
「貧乏いやだから、頑張ろう」
っていうハングリー精神が芽生えるわけで、
公費に甘えるなって。

2014-08-06

作品

最近、
今流行の事件のせいで、
表現作品が自粛、クレームがつきやすい。

全く馬鹿馬鹿しい。
考えて欲しい。
プラトンの饗宴という古い古典にも書かれている。

<作品は永遠の命を持つ。>

作品を出すという創作活動は
今だけではなく、それ以降の人類に向けてであり、
一過性の今の事件、しいて言えば現代生きている人間のみに阻害されるものではない。

まして、その作品の触発されて模倣犯、その事件の当事者たちの気持ちとかいうが、
そういう発言をしている輩が
模倣犯にならないような自己努力
当事者たちの気持ちがわかるならそんな発言にはならない はずだろう。

生産性の輩ほど、文句ばかり言い出す。
創作活動を阻害すると、、、のちのちの文化に影響する。

作品は未来に残せすが
バカの民意は何も残らない事実をもっと強く意識すべきだ。

2014-08-05

念頭

心の中の思い。胸のうち。
ある意味、気になること、心配事と言い換えることもできる。

念頭に置くという表現は基本、一人称。つまれい自分自身に向けて使う。
自分に起きている心配事だから、自分しかわからないはず。
それを他人に理解されることを望んではいけない。

ただ、最近はやたら、他人に干渉、使役する行為が気になる。
「なぜ、あれを念頭に置いていないんだ。」
「念頭にないとはどういうことだ。」
ってあるべき発言ではない。

これは、指揮命令が徹底していない、できない社会制度の問題だろう。
その人に命令する、責任を取るということができれば
相手への念頭発言など、、そもそも、その人への指揮命令が当人の念頭事項になるのに、

自由、個人主義がかえって、
人の精神まで干渉するという皮肉さにそろそろ築くべきだなあ。
指揮命令を悪いことではないのに、、

2014-08-04

使回

同じ物体を都度都度、幾度も使うこと。
物を有効活用、効率的、そして大切に使い、そして経済的とされる。
ある意味、そうなるべきだと風潮が高い。
しかしだ。

こと自分の物になると人は嫌がる。
衛生
接客
という理由で、他人と同じものを断る。
そして、その風潮もまた認められている。

とりわけ、医療面では、衛生もしかしたら、感染でとかいう。

僕からしたら、使い回しを使った医療でダメになる人間は
自然淘汰されるべきではないか、もしくは使い回しされないような
自主的な自己健康管理をすべきだといえる。

この意見が極論という輩がいよう。
現実を直視させよう。。

今長寿を迎えられているご老体の多くは
今の衛生基準とは程遠い、不衛生、使い回しを平気で受けて来て現在まで生きている。
そんな人たちの免疫力あってのことであり、
衛生とかを口にして、免疫力のない劣勢種が
ガタガタ言い長生きする価値があるだろうかといえる。

2014-08-01

苛烈

厳しく激しいこと。
程度表現であるが、一般的には使われない。
多くは争い事に使われることが多いといえる。

苛烈な争いとは、いけないことだろうか?
多くの人々は争い事を否定するが、
苛烈な技術競争
苛烈な試合
というと、それは好意的に翼賛する。

僕からすれば、全く同じ
負ければ、財布か肉体にダメージをうけることは変わらない。
まして、戦争より、
技術
試合
で負けたほうが、多くの人の人生が崩壊する社会なのにね?

人間って不思議な生き物と思ってならない。

2014-07-31

連盟

共同の目的のために行動をともにする誓いを結ぶこと。また、その組織。

という言葉の定義の裏腹に、
同じような組織体連盟が多数存在すること事実にどう思う。
大きいところでは、経団連と新経団連とか
身近では、PTAと保護者会
など。
一見すると、
共同の目的のために行動をともにするのだから、
一緒にやればいいのではないかっと思ってしまう。

実はここが人間というものの性である。

共同の目的 という真の意味は

あいつと一緒にやりたくない
自分の主張が通らない時点で目的と外れている

というポイントがある。

連盟における共同の目的とは
根本的に、自分が生き抜くための条件であり
達成することなどどうでもいいということが事実である。

それゆえ、同じような連盟が多く立ちあがり、
聞こえがいい、共同の目的からしたら、
そんな連盟の乱立では難しいということも
そもそも、共通の目的という建前でしかないという人間の性からすれば、
いたし方ないとしかいいようがない。

そんな建前と本音が、人が結ぶ連盟なのだから。

2014-07-30

奨学

学問や学術研究を奨励すること。
僕は奨学行為と奨学金は同じ言葉にしないほうがいいと考える。

奨学という行為に対して
研究開発
公共、公立学習施設設置
はあるべきだが、

現代の奨学金は
学問や学術研究というより、
就職予備軍への貸付に成り果てているし
それについて、返済できないことを恥じないような輩が
学問や学術研究を奨励を受けた人間のすることか!と思ってならない。

経済的に苦しくて、学ぶことができない。
その人たちに救いの手
そんなで救われる輩など、たかが知れている。

有能で未来ある者は経済に関係なく才能を発揮しているし、
そうでなくても一旗揚げる覚悟の輩は
自己努力で学問ではなく、実技、技術を身に着ける。

天は助くる者を助く

奨学金目当て者をそう思い込むのは愚かとしか言いようがない。

2014-07-29

特典

特別に与えられる恩典。
現代社会はこの特典で問題がおきている。
市場において
特定の購買条件を満たすと特典がつくこと、
販売促進、つまりプロモーションとして常套だが、
その条件を満たさせないで、特典がもらえない人が
「そんな条件がおかしい、私にもあたえるべきだ!」
と平気で主張する。

将来的な潜在需要を掘り起こすために
その主張に答えてしまうと
わざわざ条件を満たすためにアクションした人から
「なのために、条件を満たしてきたと思っているのだ」
と既存の支持層離れを起こしてしまう。

僕は思う。
どんどん特典での付加価値をつけるべきであり、
そして、条件を満たさない意見を切り捨てるべきだ。
特典のためにいろいろと支出することは無駄遣いではなく
市場活性化である事実をもっと理解するべきだし、
条件を満たさないで騒ぐことは
重要と供給論理に従わない愚かない意見で
恥じるべきということを強く躾なくてはならない。

主張すれば通る甘い社会ではなく、
対価を支払う、そのためにも労働して収支をあげることが
健全な社会であることをもっと、現代人に思いなさせないと
これからの経済社会は成り立たないといえるのだから。

2014-07-28

無恥

恥を恥と思わないこと。

この考え方自体、
グローバルでは鎖国的な発想となっている。

例えば
欧米人のように馴れ馴れしい、厚かましいことを
日本人は恥に思う。
また、
中国の品質管理について、
加工業者として、恥かしくないのか!とかいう。

しかし、
それは思い込み、
日本人のその恥ずかしさの発想自体が
国際感覚として、恥ずかしくないのか!
って言われかねない。

また、日本人同士でも
私のそんなことをするなんて、恥知らず。
あんな価値観でよく恥ずかしくなく生きているなあ
って互いに言い出す。

日本人の恥の感覚、、
もしかしたら、根深い恐ろしい問題かも??

2014-07-25

陪審

民間から無作為で選ばれた陪審員(ばいしんいん)が、刑事訴訟や民事訴訟の審理に参加し、
裁判官の加わらない評議によって事実認定と法の適用を行う司法制度

裁判員裁判

僕はこの制度発足から、バカだと思っていて
結果今予想通りの結果になりつつある。

控訴、上告されて、裁判員裁判の結果がどんどん覆ってきている。
裁判員裁判の結果に比例してどんどん増えている。
そんなの当たり前だ。

裁判員というから話だからおかしくなる。
これをあなたの仕事と置き換えよう。

今まで努力や資格試験によって身につけてきたやり方、ノウハウで仕事が効率化されてきた。
そこに、国の命令で
「これから無資格の人が君の仕事を行う。」
となって、やってきた。

あなたが今までやってきたことが通じず、
感情に任せて判断されてしまう。

それにより、いらぬ作業、ありえない結果による対応でてんてこ舞い。
その上、その結果について、上位機関は今までどおりであれば
その行為そのものを否定するだろう。

なんのために今まで培ってきたノウハウか!
プロを馬鹿にするな!

ってね。
プロ意識を持つということは上記になるという結果でもある。

その上、司法は

法の番人
三審制
身分が憲法で保証されている

ということから、素人が出てくることを認めていないことが容易に理解できよう。

三権分立
でも、裁判員裁判を、行政、立法、司法を強制した。

根本的に考え方腐っているということをなぜ、現代人はわからないのかなあ。

2014-07-24

仮説

真偽はともかくとして、何らかの現象や法則性を説明するのに役立つ命題。

最近、仮説&検証という言葉がちやほやされていた。
僕からすれば、それは昔からの研究開発以外何者でもないと確信している。

仮説検証って結構都合がいい。
それを行っている人はその検証結果に
◯ならば、「仮説は正しかった」
☓ならば、「なぜダメか分かった」
と言い張る。

しかし、それは当事者の言い分であり、
その仮説検証を観ている側からすれば
◯ならば、「そんなわかりきったをなぜわざわざ行う」
☓ならば、「無駄な時間を使いやがって」
となる。

仮説検証を行う場合
それを誰からも邪魔されない権限と予算が必要であり
景気が良くなっているからと言って、、
いや、景気が良くなっているからこそ、
そういう訳のわからないところにリソース配分することはできなくなっているといえる。

結局、仮説検証行為と言われることも
それはだたトップダウンでの研究開発費にすぎない。
現場サイドの思いではないという事実を常に意識しなくてならないといえる。

2014-07-23

既読

僕はSNS系に触れないようにしているが、
既読についてはいろいろと物議があるようだ。

しかし、面白いのは
そんな既読に目くじら立ている輩ほど
業務上の日報、週報のレベルが低く、
それに対しての提出先の既読への興味が無いときている。
相手に読んでもらいその反応を知るターゲットが間違っているとか
言いようがない。

その進化の先かどうかわからないが
SNSでビジネスをする企業にも関わってきたが
僕は経営者、先見性のある人間として
断言できるのは、
そのやり方は永続性、コミットメントが見いだせない。
既読やいいね!に拘束力が成り立たないし、
電子立証が当分認められないこのご時世において
そうさせるわけにはいかないだろう。

既読という概念の
読んでもらえないか側に力を持たせることがおかしい。
むしろ、読まずにはいられない状況づくりに気を回すべきということを理解すべきだ。

2014-07-22

当分

ある時点からしばらくの間。
定量的ではなく、そして定性的ともいえない曖昧、
いや、何もしないという発言。

当分という概念は
使い手、聞き手 それぞれの思い込みに繋がり、
「当分といったではないか!」
「当分っていつまでだ」
「当分はもう十分の期間を過ぎている」
となり、争点の種になりかねない。

だから、当分という言葉は禁止すべき言いたいが
まずこの現代日本では難しいんだろうな。

当分がもつ、物事を棚上げする機能のおかげで
目の前の問題に対処できるという気質だけに。

2014-07-18

充分

現代人は充分と十分の区別ができないどころか、楽な方に流れている。
要求に対して、
自分として満たされた場合は 充分であり、
相手が満たされたかどうか憶測の意味での 十分 となる。

それが、馬鹿みたいに すべて 十分 になっている。

この発想は
「わたし、そういうこと出来ないタイプじゃないですか!」
というところと共通の感覚に相違ない。

正しい日本語、
相手に伝わるかどうか表現語としての日本語、
たぶん、それぞれの人間がそれぞれに勝手に思い込むことができる
ようになっている。

「ちゃんとした日本語で話せ!」
「おまえこそ、日本語で話せ!」
となりつつ、いやすでに、そうなっていることに気づいてるのかな?現代人。

2014-07-17

桃缶

桃の缶詰。

僕の先入観か、
どうしても、葬式、入院を連想してしまう。

いろいろな意味での労りの現れかも知れない。
生物より日持ちがして
後で家族で分けられる。

でも、この固定観念は
フルーツ缶詰の地位が確立されてからのこと。
そして、今はチルドとかいろいろな保存方法が生まれている。

僕のこの先入観は、僕の代で終わるのか?
それとも、日本の風土文化になっていくものか?

ちょっと時代の推移を見てみたいものだ。

2014-07-16

団地

生活または産業などに必要とされる各種インフラおよび物流の効率化を図るために、
住宅もしくは目的・用途が近似する産業などを集中させた一団の区画もしくは地域

言葉で記せばそのとおり。
しかし、いい年した僕は間違っていた。
団地=マンション、アパート
と思い込んでいた。

そのため、
工業団地というものは、工場地帯で働く人々の住まいの集合地だと思っていた。
実態は多くの企業棟でしかないのだが。
愚妹が、県の外郭団体の保健指導の責任者として
工業団地に赴いたことを話題にした際に、

「にーちゃ、勘違いしているよ、にーちゃの好きな団地妻はいないよ。
 いるのは、メタボとヤニが止まらないおっさんばっかりだよ。」

なるほど。
案外、人の思い込みは些細な事で気づく。。。

でもおい、好きなって定義は間違っているだろ!

2014-07-15

工場

実際の製品を生産(製造)したり、
既成製品の機械関係の点検、整備、保守等のメンテナンスを行う施設

こうじょう と 読むと
大きな企業の生産箇所に感じるが
こうば と読むと
中小零細の作業場に感じられるのは、
日本語の妙だろうか?

ファブレスという言葉があるように
ものづくりというものが、
変化、分業のさらされている。
必ずしも、工場での生産が生産の中心とはいえなくなっている。

また、
多品種少量生産
限定品
カスタマイズ品
という最近のトレンドから、
大掛かりな工場では逆に作りづらいとも言われている。

産業革命後に成り立ってきている工場を用いた生産方式。
これからの生産、付加価値創造は
果たして、工場のままありつづけるのかどうかの今はその分岐点かもしれない。

2014-07-14

配信

通信社・新聞社・放送局などが、
入手した情報やニュースを
支社や他のマスコミ機関・官庁・企業などに配送すること。

もうこれは古い定義とすべきだろう。
ネットの普及、高速通信、情報リテラシーのコモディティー化
により、誰でも配信できるようになったし、
誰でもそれを観て自分の意見をいえるようになった。

だから、逆に既存の報道機能の無能さが目立ってきた。

今まで、自分たちが民衆の代弁者と思っていたが
案外、それは独り善がり、いや勝手な思い込みということが
いろいろと目立ってきた。

最近気になったのが
あるキャスターが
事件をスマートフォンで撮影してネットで流したことに対して、
「一般人が報道すべきではない、そういうことは我々のようなわきまえた、、」
という発言をしていた。

配信することが特権という発想を垣間見れて
本当にダメだなあって思った。

配信された情報をどう受け取るかというより、
それをどう思い込むかというレベルなのか?!

2014-07-11

期日

前もって特に定めた日。
僕は期日の捉え方のその人の性格と信用を感じるようにしている。

期日を
・日にち
・死線
・条件
と僕は考える。

条件
つまり、その日までにしなくてはならないと考える人が
一番信用できる。だって、その日ではなく、その日までの時間全体で考えているからだ。

死線
デッドエンドラインと考えて
その日にはやらないとならないと思っている人が僕の思う最低ラインの人間である。
期日を認識しているが、その日までどうにかしたいという発想だから
全体を見ていないといえるからだ。

最低というか、人して扱わないのは
期日を単なる日にちとしか思っていない輩だ。
だって、期日にできないなら仕方ないと
責任感がない以上は、その輩が生きていく責任に僕は関わりたくない。

スケジュール管理が
ビジネス、ツール、個々の認識で
これだけ蔓延している昨今。
だからこそ、
期日の感覚が狂っているだけで、
社会不適合と言い切れるといえるのではないか?!

2014-07-10

時雨

一時的に降ったり止んだりする雨。
しかし今、そんな雨はゲリラ豪雨になっている。

これは今だから、豪雨になったのか?
それとも昔から?

僕は昔からそういうものはあった、
それが洪水、河川の反乱であったと思う。

だが、人をだます人間は
今の変化は人の業であり、
二酸化炭素やら公害とかで温暖化しているというが、
そう言っている人の真意は
だから、自分のビジネスにお金を払えって言うことがありありである。

そもそも、地球には氷河期、地軸の変動ということが起きていた。
だから、今その端境期にはいったと考えるべきで
人間がどうこうできるものではないと思うべきではないだろうか?

豪打の言い出すくせに、
その自然に立ち向かうことはより豪を重ねることなのに、
都合がいいなあ、人間という化け物は。


2014-07-09

卓上

机の上におけるサイズ。
実際問題、どのくらいの大きさ?

実はこの言葉はある意味、相対的な表現。
今まで、机の上に置けないとおもわれたものがそれだけ
ダウンサイジング化されたということ。

パソコン
計測器
大型家電

がいい例である。

しかし、演算処理する機構がどんどん小さくマイクロ化された今、
卓上ということすらも、大きいとみなされ、
今の主流は、
持ち運びサイズ
そして
ウェアラブル(着けてられる)
になってきている。

つい10年前までは、卓上で
「おー、すげー」
だったものが、現在では
「あれ、いつの間にか、気づかなかった」
までに大きさに進化しているのだから、
技術革新のスピードは尋常ではないといえる。

2014-07-08

多分

数が多いこと が 本当の意味。
それが転じて、数の多さ=高確率 という意味で
おそらく
という意味になり、多分の使用のほとんどは推測の意味で使われている。

人間は未来視はできないが
予測などの推測、計画などで、次への対応をする。
その次への対応において、高確率のものを選びたがる。
それゆえ、多分などの言葉を用いだした。

それは、辞書的な建前の論理。

多分がおそらくという意味で使われだした真意は
日本人特有の無責任、責任回避の論理。
~自分の意見だけではなく、数字が物語っている。
~自分は断言していない、多分を用いて言っている。
そんな理由である。

言葉の使われはじめなど、色々なことに
建前、ある意味、責任や批判を恐れずに
ありのままを伝えるべきだと強く思う。

事実を数や批判により、捻じ曲げないようにすべきだといえる。

2014-07-07

牝狐

めすの狐。
というより、
男をだます女 という言う方が一般的だろうか。

聞くところによると
キツネはそう賢くないとも
そして、メスは情に深いとも聞く。
つまり、キツネに取っては、、いい迷惑かも。

語源をいろいろ文献などで辿ると
遊郭らしい。
色白の京の女性がしっかりしていて
なかなかなびかないことの下衆の
心理学的な 

酸っぱいブドウ

の意味でそう呼んだ。

「あいつはどうせキツネだから、女じゃない!」

おっと、酸っぱいブドウでは言う側はキツネなのに、
下衆側の真理とは皮肉なものっだ。

2014-07-04

昆虫

宇宙人の支点で現地球を見たら
生命体の数から間違いなく支配的数にいるのは昆虫である。

といった学者がいた。

しかし、それって、いろいろな意味で思い込み。
その学者先生の勝手な思い込みで

昆虫というカテゴリにしているが、
それって人間も哺乳類とみなしているのと変りなく
人間も豚もネズミも1と数えている。

昆虫だってもっと細分化できるはず。

そして、もっと大きく見れば
植物の数のほうが圧倒的に多いといえる。

昆虫という概念そのものが人間が生み出した考え方であり、
僕らが同じと思っていている昆虫も全く違うかもしれない。

それに、宇宙人がその学者先生の価値観どころか
全く人間と違う価値観であれば、そういう概念すらないともいえる。

昆虫というカテゴリは本当に一義的、今の時代で
当てはめた、6本足の外骨格のいきものの総称にすぎないと思うべきである。

2014-07-03

混合

二つ以上の異なる成分物質に適当な操作を加えて均質なものを得ること。
これが正しい意味。
だから、同じ治療効果を求める医療行為の組み合わせ(保険外、保険内)を
混合診療というのは、日本語として間違い と言い切れる。

言うならば、保険適用範囲の緩和 のはず。

正しい日本語とかいうけど、
政府側がこうやって間違った使い方をどんどんする社会に
何が正しいのか、全くわからない。

2014-07-02

比類

それとくらべられるもの。同じたぐいのもの。
でもこの言葉の使い方って
比類なきもの
比類なくすばらしい
と、基本、比類ない と否定形で、
比べることができないという意味でしか使わない。

言葉として、全否定前提の言葉ってなんか不思議。

でも言語っていうものは数字と違い、
曖昧なことで話を進めるための手段である以上
意味の全否定を定性的な強調表現としては常套手段なのは確か。
die hard
という言葉もなかなか死なない っていう否定による強調であり、
日本語だけでなく、英語にもあるのだから。

2014-07-01

背音

バックグランドミュージック、サウンド。
いろいろなところで流れている音楽である。
最近、その音楽の音量から騒音というクレームも挙がっている。
とりわけに海の家や人が集まるところで言い出す人が多い。
それって正論だろうか?

僕は間違っていると思う。
もし、背音がなくなると
周りの人の会話が耳に入ってしまう。
聞きたくもない他人の話の内容が聞けてしまうのは
プライバシーを守る観点で
集客している側の立場としては、背音を使うべきだと思う。

最近の庶民の意見は
一過性、自分よがりで
周りの影響を考えずにいう傾向と
それで生じた副作用すら他人のせいにするきらいがある。

あまり庶民は考えずに発言すべきではないと思ってならない。
もっとも、庶民の意見は僕にとっては背音と変わりないのだが、、

2014-06-30

間違

真実と違うこと。
しかし、間違いって本当に間違いだろうか?

例えば、鎌倉幕府の開幕は
1192年
ではなく
1185年
となっている。

もし試験で1192年と書いたら、間違いとされる。
しかし、僕ら世代は1192年が正解とされてきた。
では、過去すべてが間違っていたから、
それらをすべて訂正できるものだろうか?
それが入試試験の問題だったり
それを間違えたことでいじめにあったり
をなかったことにできるか!

正解って正しいのではなく
その時点での権力者の意向でしかない。
1185年だと言いはった人が
今権力をもっているだけで、それに従っていることが正解でしかない。
また、1190年とかに変更されることも充分、
いや、過去の文献を権力者が勝手に解釈して
そもそも鎌倉幕府というものはなかった、機能していなかった
とか言うかもしれない。

それだけ、正解というものがあやふやであり、
間違いこと真実かもしれない。

とりわけ、
育ち方、考え方って正解がないはずだが、
最近はやたら、その点にも間違いとか言い出す傾向にある現代社会。
自分こそ正解で、相手が間違っているって根拠が
自分のそう考えるからでまかり通ることから、
何か混沌めいて来ているなあって思ってしまう。

2014-06-27

吉祥

よい前兆。めでたいきざし。
でも、あまりこんな表現を使わない現代。
読みも実は難しい。

吉祥寺  は きちじょうじ
吉祥天  は きっしょうてん(ラクシュミのこと)

そもそも、吉祥天を祀っている寺があるから吉祥寺。
その吉祥天の旦那が多聞天こと毘沙門天。
ゆえに、、めでたい人を妻に持つから毘沙門天は七福神に、、、

そういう流れも組んでいるのだが、
吉祥の意味は、、、どんどん廃れ、地名になるだけか、、
日本語の今後ってどうなんだろうな。



2014-06-26

選手

競技会・試合などに選ばれて出場する人。
あれ?では 日本人が口にする
代表選手
っておかしくない。頭痛で痛い と同じレベルではないか!

そもそも、選手という概念も日本独特。
それぞれの競技のプレイヤーにすぎないことを
選手と一区切りにまとめた表現、あたかも敬称になっているのは
僕としては言語性、多言語との翻訳を考えたら見直すべきだと思う。

これに対して日本語の伝統というバカにいうと
選手 っていう概念こそ
国際的な競技、試合に使われるものであって
相撲取りとか選手って呼ばないのだから、
伝統もあったものではないという理解をすべきだと思う。

正しい日本語というより、
相手に伝わりやすい言語機能に重きをおくべきだと僕は考えてならない。

2014-06-25

年貢

日本史上の租税の一形態。
年貢の取り立て、というとかなりメイナスイメージ。

しかし、年貢を英語で言うと、、tribute トリビュート。
よく耳にする
トリビュート・アルバムって年貢の歌集?

そもそも、年貢とは捧げ物、貢物であり
その偉大な存在に自分から進んで捧げるという意味。

年貢は取り立てるものではなく
自ら進んで出すものだったのに、
権力を使って、
「お前が進んで捧げるものだぞ!」
という黒歴史を連想させることがよく分かる。

2014-06-24

薀蓄

蓄えた深い学問や知識のことであり、
それは結果ではなく、手段であるべき。

知っていることは武器ではあるが、武器を持つことが目的ではなく、
武器を使って、勝ち取ることが結果である。

昨今は、ネットで知識を得ることが容易になっているのに、
ものを知っていることを未だに自慢して自分の優位を保とうとするが
薀蓄を披露することはただの布石であり、それから得られるものがないのに
薀蓄を披露することを恥と分からないことこそ、
薀蓄がないとしか言いようがない。

2014-06-23

連結

つなぎ合わせること、またはつなぎ合わさっている性質。
個々が連なっていることで
鉄道や会社のつながりによく使うのが今の一般だろう。

思うに、連結という概念が現代社会では希薄になっているといえる。
個人主義、能力主義、結果的に、その連結を否定することになっている。

必ずしも連結していることがいいこととは思わない。
逆に重要なのは、連結しなくなっているからこそ今まで当たり前だったことなどが
なくなっているのに、それが当たり前のように話す感覚、教育を戒めることだと僕は思うね。

2014-06-20

欣快

非常にうれしいこと、キンカイと読む。
でも、もし、あなたが、

「欣快に存じます」

って言われたら、貴方自身は不快になってしまうのかな?
正しい古来からの言葉を使えば使うほど、
コミュニケーションの問題を作ってしまうなんて、
日本って、なんか歴史や愛国精神が軽薄な国って思ってしまう。

2014-06-19

徒然

徒然草 の つれづれ。

意味は多岐に渡る。

・することがなくて退屈なこと。また、そのさま。手持ちぶさた。
・つくづくと物思いにふけること。
・しんみりと寂しいさま
・長々と。そのままずっと

いろいろな意味があるが、、、真意は
意味が無いこと
という意味。

目的意識なく、ただ時間が過ぎているだけ。

その目的がない時の狭間で
筆を走らせたのが、徒然草。いわゆるフリーライティング、随筆ともいえる。

今は効率化、生産性にこだわる時代だけど
チカラを抜いて、目的も持たずに行う行動に案外、いいものが会ったりするかも、

徒然なるままに~
現代社会が思い出すべき、温故知新の一つかもね。

2014-06-18

土台

建築物を立てる際に、
基礎の上に、しっかりと建築物を支えられる構造、材質を入れること。

が、現代社会では
建築工法、建築の専門性、安全基準の徹底が増して
一般人が基礎や土台作りに関われないことになっている。
それゆえ、基礎も土台も人間のコアスキルに言われるようになっている。

コアスキルとされるが
土台とみなされるものの習得に関しては面白いことが見受けられる。
多くのスキルは自発的にそして、習得結果が自分でもある程度感じられるが
土台となるものは、その習得度、習熟度が自覚できないことが多い。
色々な場面で、他人から
「基礎がしっかりしている。」
「土台があるからできる。」
と他人の評価で自覚する事が多い。

それゆえ、現代社会では目に見えないこのような基礎、土台の鍛錬に
需要が認められないから怠る習熟が求められる側と
いろいろとあと付けに近い理論をぶつけて習得を促す側との
知恵比べが見えることができて、金額ではない需給バランスが垣間見れて面白い。

2014-06-17

境界

事物や領域などを分ける境目。
その境界をどうか使うが、世の中のビジネスだと僕は思う。

境界そのものをなくしていくこと
境界を作ること
境界を監視すること

自分の仕事がどうやって境界に接しているかを
考えると、自分たちの付加価値がどういうものかよく分かる。

すこし、自分の関わる境界を考えてみてはどうかな?

2014-06-16

実務

実際の具体的な仕事。
実際のところ、実務って何か?

自分の行っている業務に対して
自分自身は雑務、本務ではないが
会社側の認識としては、それが実務だとみなされていることが多い。

自分はもって違うこと、もっと優秀な仕事ができると思っていても
使う側としては、それが一番、それ以上させることは意味が無いと思っている
事実は否定出来ないし、それが現実といえる。

こういう状態を
スキルアンマッチと言い張ることが多い気がする。
それは、ただの労働者の責任のないワガママに他ならず
もしもっと優秀であれば、自分で環境を変えるべきで
他力本願で人のせいにし続けることはもうやめるべきだろう。

2014-06-13

多感

ちょっとしたことにも感情を動かされること。感じやすいこと。
それって、’神経質’とどう違うのか?

用例として
~多感な時期だから
~彼は神経質だから
となり、状態と性質という使い分けが感じられる。

でも、この手のことって、辞書に書いてないし、
なんとなくの世界。

日本語のなんとなくは中庸で良い所って言われるが、
提出書類をだす立場として、
教育する立場からして
なんとなくの文章で、相手もなんとなく嫌だがまかり通ることは
果たして、社会的有用なのだろうか?

2014-06-12

入魂

 ある事に全精神を傾注すること。
頭の悪い者には理解できないだろうが、
入魂を行うということは
効率性、生産性を失うと同義であり、
現代社会の大量生産に入魂という概念があってはならない。
生産品質の均一を考えれば、当然のことだが、
精神論を口にする愚かな人ほど入魂を口にする。

ワンオフの唯一価値のものだからこそ
入魂の概念があるという事実とそれに伴う
大量生産の区別をしっかり出来ない輩が市場に多くて困る。

精神論、言葉遊びで社会、経済を歪めるな。
それこそ、社会構造という唯一の価値への冒涜と言わざる負えない。

2014-06-11

掃除

ある対象からゴミや汚れを取って
綺麗にする事で清掃とも言われる家事労働のうちの一つ。
でも、ここでは不要な存在を滅殺するほうも含めて考える。

掃除をすることになる前提は
必ずしも汚すことを目的としてるわけではない。
何かを有意義な活動をした結果、
次の行動をするためには、過去の遺物を消去しなくてはならない。
その活動が掃除である。

だから、掃除で除去されるものは
もともと有意義な存在だったが、
今では次の障害になる存在。
ということで、次の行動が明確であればあるほど、
掃除すべきものは、ものではなく、人ではないか、
そんなことを思ってしまうのは、たぶん多くの社会人の心情を表したにすぎないのかも?

2014-06-10

序数

物の順序を表す数。
1,2,3,4~

当たり前のようなになっている連番認識だが、
それって本当に連番管理されていているのか?
ということが現代社会になっている。

例えば、
同時に大量なデータ受信したときの優先度
複数の作業を行うときの処理の順番
能力主義とされる場合の優秀な人材ランキング

本来ならば
一定のルールに対して、その序数的順番が振られるが、
その一定のルールが、人間としてできないことが多い。
出来ない理由は
・目視、可視化できないくらいの高速、マイクロの差異
・複雑な依存関係からどこがどこに影響するかの因果把握
そして
・人間としての好き嫌い、自己判断による社会的地位の脅威
が挙げられる。

順番通りにすべきだが、
人間というものは、
自分の思っている順番こそという思い込みや
その順番にせざる負えない社会制度がある以上
正しい序数管理は無理といえる。

2014-06-09

運営

団体などの機能を発揮させることができるように、組織をまとめて動かしていくこと。
では、
経営
運用
との違いは?

日本語においては、ニュアンスの違い、
文脈上、なんとなくで使わることになると思う。

基本的に、営利、非営利、であっても
組織を機能として動かすことは、
人の運営であり
財の経営であり
仕事の運用であるからだ。

人、金、物、の管理は
人間社会が存在する以上永久な課題だ。
貨幣ない社会という発想もあるが、
金というのは、交渉をスムーズにする手段であり、
組織を回すのはその交渉そのものといえる。

運営、経営、運用は
一言でいえば、他人との交渉を上手く方向づけていること。
その一言で言いきれよう。

2014-06-06

大胆

思い切りよくやってのけること。
しかし、世間ではやり過ぎといわれる。

この世は何をやっても批判される。
繊細に行動するれば、意味が無い。
適切に行なっても、もっと効果的にできる
大胆にやれば、やり過ぎだ。
実に他人の評価は馬鹿らしい。

でもそこを逆手にとって、
自分の管轄下にはその逆を感じ取ってほしく思う。

どんな行動にも意味がある。
そして、その勢いの強弱でどうなっていたかの考察を教えてやることだ、
大胆な行動に批判することは実に愚かだ。
だって、大胆な鼓動も出来ない愚民がやらないことを正当化させるだけの
実に非生産性なことだからだ。

2014-06-05

雛壇

雛祭りに、雛人形や調度品などを並べて飾る壇。
一番上が、お内裏様とお雛様。
それから、下位に行けば行くほど身分が低くなる。

しかし、時代は変わり、雛壇の意味が全く変わっている。
映画館の席
集合写真の台座
そして、
芸人が座る大道具
となっている。

核家族、集合住宅住まい、習慣の非継承から
雛祭で雛壇をだす家庭が激減しているので
子供によっては雛壇という存在すら知らない家もあるそうだ。

だから、雛壇の定義も崩れ
お内裏様ではなく、
一番下の手前が一番重要な席となっている。

映画館においても、プレミアシートがそこだったり
集合写真の中心人物の位置
雛壇芸人で人気のある人の席

は一番手前の席だから。

時代は変わる、これもその一つかもしれない。
ゆくゆくは
雛壇というものを飾る奇妙な行為
お内裏様って誰?
となっていくのかなあ。

2014-06-04

猟奇

奇怪・異常なものに強く興味をひかれ、それを捜し求めること。
現代社会では、殺人事件の接頭語のように使われる。
が、
そもそも、猟奇って定義自体おかしいのではと思う。

殺人と行為自身、それだけで既に猟奇的という言うべきだろう。
それをあえて、猟奇的とつけること、
それを猟奇とするかしないかの明確な判断がないといえるのに、

また、考えてみれば、個性、価値の多様化で
他人の嗜好を認める認めないすら、
勝手に思い込んでいる時代なのだから、
他人がすべて、猟奇と感じるかもしれない。

例えば、
小魚の踊り食いをする人を
「生き物を丸呑みするなんて猟奇的」
と言い出す人間がいて、
その人間はステーキをレアで食べている。

踊り食いをする人からすれば
「血が滴るような肉を食べるほうが猟奇的」
と反論することもある。

第三者からすれば
ただの食事、調理の問題だと流す事もあれば
そんな食べ方すべて猟奇的だと言い切って騒ぐ人もいるし
その騒いでいる人に対して、また、必要以上に騒ぐなんて、狂っている、猟奇だ。
とまで派生する。

つまりは
自分からみて他人はすべて猟奇とみなせてしまうそんな社会なのであると。

2014-06-03

公準

一般には,証明はされないが,証明の前提として要請される基礎的な命題。
、、なんと曖昧な言葉なんだろう。
この言葉を使うのは、、経済学の世界くらいだろう。
それゆえ、、公準という言葉自体、
社会として認めてもいないかもしれない。

そう考えると、
日本語の熟語の中でどれくらいが使われているいるのか、
いや、どれだけ使われずに消えていくかのことをまとめて
’公準’化させてもいいのでは?

2014-06-02

住民

そこに住んでいる人々、、
僕が思うに住民って概念が狂っていると思う。

一般的な学生、社会人の生活の多くは
校舎
職場
であり、住んでいると言われる場所、住所は
衣食住の拠点といわれるが、そこに時間的に長くいたりしない。
ある意味、
純粋に住んでいるのは、通勤通学先と言えないか?

そして、気になるのはその地域への自治だ。
ただ寝ているだけのところに納税、選挙権を持っているが
実際に改善されてほしいのは勤め先の方ではないだろうか?

とりわけ納税は
納税している企業より
住んでいる人のほうが、納税額以上に受益を得ているのではないか?
受益者負担が間違ってきている。

この矛盾にそろそろ気づくべきで
社会制度の根幹がすでに変わっているので
仕組みもそれにあわせるべきと考えることを
これからの政治制度の検討ではないだろうか?

自己権利だけの政権奪取、分党とかはもうどうでもいいので。

2014-05-30

濡衣

無実の罪、根も葉もない噂。
でも、なぜ濡衣という濡れた着物がこういう意味になったのか?
調べると、かなりの説がある。

海女の「潜く」行為と「被く」をかけた説
継母の作為説
魔女裁判行為説
実がない、蓑無いから転じた説

などなど、、
どれが本当か全くわからない、、それこそ、すべての説の根拠が濡衣かも知れない。
本当に謎の語源となっている。

それだけ、曖昧な意味を濡衣。
でもそんな言葉を多く使う日本人は被害者体質ということも言える。
濡衣を着せられた、というが、
その裏には、そうさせた、そういう人間とみなす力があるはず、
その濡衣を着せる行為自身に話題を持っていかない。
あくまでも被害者側の思想である。

プロパガンダ、情報戦略という考え方にたつと
いかに濡衣を着せるかを考えることが最善という思想もあり、
そのような考え方すること自体を忌むべきものと思っている日本人気質では
他国との交渉は苦労、損することが多くなるはず。

「話せばわかる」というより
「そちらのせいだ、どうしてくれる?自分たちではないという説明しなさい」
というやり方がビジネス、外交でも目立っていることに気づいているだろうか?!

2014-05-29

奔流

勢いの激しい流れ、、
しかし、現代社会において、
水、、液体の流れに対して、この言葉をあてることはなく、
激流、洪水というだろう。

この奔流という言葉は、時代の奔流という
感覚として使われることが多い。

時代の奔流というと
触れることも
見ることも
できない。

それを感じるのは、自分の思っている定点的価値観が
直ぐに通じなくなるということでであろう。
その期間、どうかわるかが、言い様がない、
まるで、大きな流れに飲み込まれているかのごとく、
それが奔流ということになる。

なかなか、使い分け、注釈のしようがない言葉だね。

2014-05-28

役者

演劇の中で役割を演じる人、、
というが、役割を演じるということであれば、
人間であること=役者 と言える。

人は自分の役割を感じることで、社会を営んでいる。
その役割を演じきることが、社会人として一人前、、かもしれない。
しかし、子供が子供らしくということを求められる昨今。
自分の存在を演じきれるということが難しい。

自分の存在は他人に認められて存在するといえば
その理想を求めて演じることだろうが、
それは大人としてのアイデンティティに関わるという意見もある。

自分自身を演じきるということは
人間が死ぬまで考える課題であり、
自分という役者人生そのものとも言えるだろう。

2014-05-27

畝須

この言葉、どこまでの世代で理解できる言葉だろうか?
うねす と呼び、IME でも変換されるが、
意味は、、、鯨肉の一部でだいたい、喉から前びれの辺り
クビから胸肉あたりである。

今でさえ、鯨肉はなくなりつつある。
鯨肉を日本の食文化というが、
鯨でなくてもその栄養を補給できるようになっているからである。
逆に、日本の食文化がなくなるというが、
粟、稗、については全く食べなくなっているのではないか!
あまり、クジラ肉にこだわるのはどうかなって思う。

僕自身、鯨肉が嫌いなので、なくなっても別に気にしないが
畝須という言葉がなくなることに対してはちょっとさびしい。
もっとも、、畝須という言葉自身すでに現代日本人の中にはなくなっているかもしれないが。


2014-05-26

素敵

心を惹かれる様
とはいえ、敵という文字を使うのに、心を惹かれるって、、

語源を調べると
素晴らしい出来、
出来を、的 で崩して、訳して

素的

その的も庶民の俗的な流行語で

素敵

となったそうだ。

言葉が進化するといういい例かもしれないが、、
めちゃくちゃだといえる。
まして、、、現代人の多くは上記のことを全く理解せずに
素敵という言葉を使うのだから、、
素敵って決して、素敵なものとはいれないね。

2014-05-23

四季

季語としては均等4分割が望まれるだろうが、
今現在の地球規模の気候では
均等どころか、四季という4つすら危うい。

春と初夏、そして梅雨、

を区別できるだろうか?

猛暑、極寒、を夏日、冬日とみなすべきだろうか?

暦は地球の自転、公転で導かれた周期性を認められるが
季節は地域や文化性で大きく異なる。

まして、地球には氷河期が周期的にやってきていて、
今はまさにその氷河期であるのだから、
もっと暑いくなることも地球では起こりうる。

地球規模のほんの一時に今を四季で捉えて
衣食住に旬を持たせる今までの日本文化。
その文化を残しながらも、
生活様式、思考は西洋化をグローバルとしている。

今の日本人は
四季の考え方も気候というより、
ビジネス商戦の意味でしか捉えていないといいきれるのでは?

2014-05-22

一丸

ひとつのまとまりになること。
特に、複数人が結集し、力を合わせて事に当たるさま。
であるが、

勘違いしてはならないのは
民主主義の国家は国家が一丸になってはならないということだ。
それはファシズムだということにつながるからだ。

民主主義の国家は多くの意見を内包しながらもそれを認め合っていくべきであって、
国民のみんなが同じ意見になるということは
一見、民主主義のようで結構、キテいる国家だといえる。

僕は民主主義が必ずいいものとは思っていないマキャベリストであるから、
国策的に一丸にさせることはある意味効用があると思っているが
その前提としての民主主義の否定が必要と思っている。

だから、民主主義を掲げて、国家一丸となってという
矛盾した愚言を耳にするは、
胡散臭い、自己中心主義者の思い上がりに感じてしまう。

自分の意見を通そうとするファシストですって言い切る勇気もないくせに
国家一丸とか口にするなよ。

2014-05-21

逓減

数量がしだいにへること。
現代社会ではまず使わない表現だといえる。
あからさまに、学術表現といえる。

学術の世界の言葉の多くはこういうものが多く、
実社会と離れている事が多い。
内輪言葉になっているのだが、学術、つまり研究機関側の
頭のいい人達からの見解は逆で

「庶民が訳の分からない言葉でしゃべっている」

と言い張る。

実はこれが、日本人がノーベル経済学賞を取れない理由なのだが、、、
この点については、ここで論じるのも、、、悲しいことだなあ。

2014-05-20

贅沢

必要な程度をこえて、物事に金銭や物などを使うこと。
とはいえ、贅沢は相対的な思い込みでしかない。

戦時中の人から見れば
現代人の食生活は贅沢の限りだろう。
逆に、原始時代から見れば戦時中の食生活も贅沢だろう。

贅沢は時代とともにかわる。
贅沢において重要なことは、
どこから、贅沢とみなすかだ。
時代とともにかわるのであれば
今まで贅沢だったものを普通とみなす行為があるはずで、、
その行為を行う人こそ、その時代の覇者といえる。
多くの人が勘違いするのは、
贅沢をしている人がその時代の覇者と思っているようだが、
贅沢品を庶民レベルで扱うもの、
そういう文化価値観を矯正できるものが覇者であるといえよう。
だって、今まで贅沢品だったものを普通と言いきれることって
相当のチカラがなくてはムリといえるだろう。

贅沢というものを操られる存在を目指すのが
男、、、いや漢の夢かもね。

2014-05-19

眼下

見おろす、、、
それから、転じて、見下すという意味になる。

電車の中である女性たちの会話で気になって


今私、派遣社員をしてあげているんだけど、
社員が全然使えないんだよね。


この発言について、どう捉えるか?
社会構造的問題
女性の社会進出
とかいろいろとあるけど、ここは言葉に注目する。
言えることは、
多くの人間が自分以外を眼下に観ていることが多いことに気づく。

これもまた、僕が散々に立証している
社会の能力主義、勝ちの多様化の結果といえる。

特定、ニッチの領域において自分が一番という見解を認めるがゆえ
それ以外の他人を認めない、自分が一つでも勝っていれば
自分が偉いという発想の末路。

これでは、総合的に、状況的な判断ができなく、
職種、業務特性が見いだせない。
その眼下の発想がある以上、
なんで自分が自分の分野以外で、自分が認めない奴らに、、という論理で
労使関係、指揮命令の徹底はできないだろう。

この問題が、今の人手不足の原因であり、
この会計のためには強制力を認めることが必要ということに
社会全体が気づくはいつだろうか?

その点、僕のステークホルダーにはその意義と対応を伝えているからこそ、
新古典的な年功序列が意味をなし始めているが、、

眼下にみたとしても、
その眼下は限りなく深く、目視できない事実、実績があるという概念と恐怖感をね。

2014-05-16

才覚

才能と才覚の違いは?
辞書上の意味での才覚は
すばやく頭を働かせて物事を処理すること。
つまりは、頭の良さ。
反対に才能は技術、技巧という手の良さといえるだろう。

という言葉上の定義を詳しく知らなくても
「商売の才覚がある」
「この分野、習い事の才能がある」
と案外使い分けている事が多い。

言葉は論理的思考の根底なのだが、
言語そのものは感覚的だということを感じてしまうなあ。

2014-05-15

反逆

権威・権力などにさからうこと。
ということは、自由、開放ということ。

反逆というのは、支配的立場からの思いであって
反逆をしている側は反逆という概念ではなく
自由、正当な行為と思っている。

人は自分の今の立場を前提で言葉を紡ぐ。
しかし、実際問題、相手からすれば全く逆の思いでいるということ。
反逆、開放って大事のような表現で使っているが
人間同士のイザコザってこういう認識の違いの言葉表現から
起こるものしか無いとおもうべきである。

2014-05-14

奮起

ふるいたつこと。
勇気・元気をふるい起こすこと。
、、、どういうこと?

奮起するという行為は現代ではありえない。
危険鈍感、
非暴力社会
になっているので。

現代の意味としては、

気持ちを入れ替えて

と同義とみなすべきだろう。
それにより、自分自身を鼓舞させていくという意味で。

しかし、こんな腑抜けた日本国の発想で
グローバルとか口していいのだろうか?
生きるために奮起している抗争状態
人の命を奪わないと自分たちが生きていけない状況だから奮起している
そんな環境下にある世界中の人々からすれば
今の日本の感覚ってどうなんだろうって思ってならない。

2014-05-13

考証

伝承や二次資料などにより広く一般に知られている事件や出来事について、
その客観的な証拠となりうる古い文献や器物を入念に調査することにより、
その事件は実際にはどのようにして起きたどんな事件だったのか、
その出来事とは実は何だったのかを明らかにすること

とても長い説明であるが、
一言で言えば、

過去への思い込みが正しいと正当性をもたせること

自己防衛の行為。
自分たちの思い込みが過去であるいいはることでしかない。

未来がわからないという言葉があるが、
過去のほうがもっとわからないということに現代人は気づかないのか?
いったい、今の歴史の教科書は何度編纂されている?
それだけ、既成事実と思われていることすら、正しく伝わっていないのだ。

逆に、データ分析、シミュレーション技術の発達により
物理的、工程的なことは容易に予想でき、
未来がわかる。

未来がわからない ということはもう過去の言葉であり、

過去はもう正しく伝わらない
未来はある程度予想できる

ということ概念をもつべきだろう。

2014-05-12

根拠

現代社会、、根拠の根拠たるところがブレている。
僕の経験から
「君の言っていることの根拠は?」
と問われ、自分なりに答えたら
「そんなの根拠ではない!」
と言われた。

対して、その人の示す説明についての根拠について
僕から
「根拠の説明になっていませんが、、」
と答えた。

彼と僕とでは、二度と話すことは無いと思う。
なぜなら、根拠というものは価値観の共有が前提であり、
共有できない以上は互いに根拠として認められないからだ。
根拠以前に、、互い存在自身を認めていないからどうにもならない。

現代社会は価値の多様化が認められている。
ということは、自分の思っていることでは相手を納得させることは難しい以前に
自分が相手の価値観にあわせるという工程、思考の準備が必要になる。
しかし、自分の価値観=アイデンティティである以上は
それは困難というかありえない工程になっている。

万人を納得させる根拠という概念で考えるからこそ、
万人にうけない欠陥品になる。
いっそ、根拠という概念を捨てるべきだといえる。
実際問題、根拠ないものが売れているし、
その売れたことにバカどもが持論をあとづけするのだから
根拠などは愚者の発想でしかないかもしれない。

2014-05-09

渦中

水のうずまくなか、
転じて、揉め事の中心。

揉め事を、水の渦と表わすことはとても粋な感じがする。
と同時に、その揉め事というものは渦と同じで
近づくと巻き込まれるという意味も含んでいるのだろうとも感じる。

揉め事というものはいつの時代も残る、いわば人間というより、
生物の本能だと思う。

極めて狭義の回答にむけて、多くの存在が集まるから
水の渦のように、回答の直行できず廻り始める。
廻るからこそ、衝突がおきたり、その近くのものも巻き沿いを食う。

まさに自然の摂理なんだろうな。

2014-05-08

前衛

軍隊における前衛部隊、先頭部隊。敵に対する最前線の意味から派生して、
いろいろな活動分野で最先端(前衛)に立つという意味。

でも、、いえだからこそ、
前衛ということは、一般的に認められていないということといえる。
誰もやりたがらない、誰もその価値をわかりづらい
それが前衛と言う存在。

前衛的と称されている以上、
その存在は社会、価値基準から逸脱しているということなのだろう。
つまりは、市場、社会から見放されているという自覚を持たないとならないという
きつい現実であるということを。

2014-05-07

女工

富岡製糸工場が盛り上がっている。
世界遺産候補になるからだそうだ。

建物とその産業貢献度でのことで世界遺産だというが、、
日本のブラック企業の源流を世界遺産にするというのに
日本人は他人ごとだなあ。

女工哀史
ああ野麦峠

今から35年前にヒットした映画であり、
製糸工場での過酷な労働実態でヒットした作品だ。
プロレタリアート視点での話であり、
多くの人が共感したものだが、、
この事実については、富岡製糸工場と無関係とばかりに話を進めている。
製糸産業界として行ってきたのだよ、女工さんに過酷な労働を。

無関係とみなしているくせに
ブラック企業とか言って
過酷な労働を嫌がる時代になっている、

考えようによっては、
今のブラック企業とされるところも
後の未来では世界遺産ではないが、賞賛されるような文化の国なんだから
なんら恥じることなく今のやり方を貫くことが
ある意味信念となるとなってしまう。

世界遺産って騒ぐ前に
今の日本の礎になっていただいた
女工さんたちへの慰霊の念を記念碑なども
含めて、一連の事実を後世に残す遺産にすべきではないか!

2014-05-02

取説

すでに熟語化している
取扱説明書の略語。

最近の取扱説明書においてはいろいろな取り組みが行われている。
あるものは、分厚くすべてを書いているが理解できない、
あるものは、取扱説明書自身をなくして、動かしながら理解を求めるチュートリアル化、
またあるものは、その機械そのもの中に取り扱い説明書をないぞうさせている
などなど、

僕は逆に根本を正したい。
その製品をなんのために買ったのか?
その目的を達成することができるものを求めて買っているのだから
買う前にその使い方理解しているべきで、、
そうでないもの、取扱説明書を読まないと使えないものって
そもそも、あなたにどんな意味で必要だったの?

2014-05-01

劇薬

激しい薬理作用,
体内蓄積作用がある医薬品で,
薬事法の規定に基づき厚生大臣が劇薬に指定したもの。

さて気になるのは、、なぜ、劇?
薬の効能を表わすに、強い薬、弱い薬というのであれば、強い。
発音的に、ゲキであれば、激 ではないか?

劇的な効能という
まるで劇を見ているように緊張や感動をおぼえるさま。
という意味で使うからだろうか?

薬事法的にも 劇薬 となっているから、、変えようもないかもしれないが、、
多言語からしても、理解に苦しむ表記のような気がする。

2014-04-30

捨象

事物または表象からある要素・側面・性質を抽象するとき、
他の要素・側面・性質を度外視すること

難し過ぎる説明であるが、
簡単言えば、考えるうえでそれを抜いて考える、、、
つまりは、見なかったことにして話を進めることを難しく言っていること。

この捨象という言葉を使わずとも
結構、現代社会は捨象の塊。

都合のいいことばかりを目立たせることは
つまり、捨象しているということ。
それが自己主張だとか言い出すこと。

僕は自己主張の現代社会を大きく変える要素は
この捨象が注目される時と思っている。
近いうちに、捨象がトレンドになるとまで思っている。
気付かずに、捨象していることを見ぬくことが流行るまで言い切りたいな。

2014-04-28

聞入

人間の聞き入れには範囲、、つまり上限、下限がある。

自分の範囲において、あまりに難しいことへの聞き入れについては
自分の理解の悪さを詫びることはまずなく、、
「何を行っているかわかんねーよ、常識的に話せよ」
となるのが、今の社会である。

対して、あまりに簡単、かつわざわざ自分がやるべきではないと判断してしまうものには
「なんで、自分がそんなことに」
となってしまう。

現代社会における
個人への聞き入れは、相当難しい。
当人の許容を憶測して、聞き入れてもらいたい側が判断するのだから、、
逆にそうなっているから、
「ならいいよ、面倒くせー」
ってなり、聞き入れてもらいたい側からの要請が減っていることも事実。

つまりこれが、コミュニケーション不足になっている。
現代人よ、
かなり自分を殺して、相手の要請を聞き入れる努力を心がけよと言いたい。

2014-04-25

許可

案外、人間が思い込んでいるが、
許可の根拠なんて思い込みと恐怖的支配でしかない。

一つ例をあげよう。
メキシコにある神殿について
原住民は神の許可を得たもの、神官のみその神殿に入れた。
しかし、侵略者であるスペイン人は
スペイン国王の許可でその神殿を調査、財宝を接収してよいとしてそこの神殿に侵入した。
原住民は抵抗したが、その原住民こそ王の許可がないとして殺してまでして。

許可っていうのは権威の象徴でしかなく、
その権威より強い権威で圧倒すればどうでもいいという
危うい思い込みである。

上記のことを過去の黒歴史と思っているようなら、
現在の国際法、そして領土問題についてどう説明する?
今までにうまくやってきた君らのルールに
資本、権力、年功の理由でルールを変えてしまい、
今までの許可への効力が全く無に帰することなど
全く同じである。

結局はなんだかんだ行っても、
許可を発動のため”力”になることは明白であるがね。

2014-04-24

常備

常に持っている在庫。
一昔前は、それを過剰在庫という扱いして
業務改善の矢面に立たせていてが、
ITバブルの崩壊、そして震災を受けて
いつしか、常備して臨機応変に対応できるこそ、重要となっている。

物の価値など、
10年一昔、
今トレンドとなっていることが未来では悪意になることが多い。
人によっては、不変的なものがあるというが、
不変という概念すらも、と思うのは
鴨長明と同じ境地か?!

2014-04-23

一助

わずかばかりの助け。少しの足し。
ただ、、一助という言葉を使っている人の多くは、
一助ではなく、それがターニングポイント、起爆剤になるべきだという思いが
強いことが見受けられる。
そもそも、現代人が一助という言葉を日常生活で使えるかどうか、
そ腕もない言葉をわざわざ使うということは
社会への不満、自己主張の表れがこもっていると言えよう。
かくいう、自分も難しい言葉を使うのはその思いがあるからで、
思いは思いのまま、行動で起こすと嫌な思いに繋がることもまた、、、

2014-04-22

法定

近代国家の必須条件は
法定国家であることだ。
だとすれば、今の社会は近代国家から逸脱しはじめてきた。

法定されていなければ、制限することも裁くことも出来ない。
それが法定国家である。

しかし、社会の高度化が進み、
法整備が間に合わないといわれ、
なんとなくイメージだけで、捕まえて後付で裁くことが実に多い。
ウィニー事件なんかその典型例だといえる。

これは実に危ないというか、
「あの人、気持ち悪いと思わない、死刑にしてよ」
ということが冗談ではなく、現実化していることが目につく。
守るべき法ではなく、イメージで裁かれるとなっているのなら
他人の目を気にして、、
いっそ、他人はすべて加害者だという認識がどんどん助長されるし、
自分の思い込みこそが正義となってきていることは
すでに振り返ればそうなってしまっていることに気づく。

社会契約の名のもとに法定を守ってきたが
機能しなくなってきているのだから、
そろそろ、自己防衛、他人との付き合い方を
真剣に考え直すことを先にしたほうが
幸せになれるのではって、ここに提起しておきたい。

2014-04-21

注目

注意して見つめること
注目することより、されることが重要であることがよく分かる時代。

最近やたら、深海魚が水揚げされて注目されている。
これは自然気象の変化とかバカなことを言っているコメンテーターの愚言では無視して
基本、注目論理そのものである。

つまり、
ダイオウイカの海中での生態がブームになったので、
漁師たちが
今まで、頻繁に網にかかっていたが
商業価値がないし、それだけ大きいので無駄な積み荷にあるから
海に戻していた深海魚をそのまま、持って帰ってきているだけである。
網を懐中に入れて引き上げているのだから
深海魚がかかっていたのは頻繁であるが
それについて詳しく考えるほど、漁師の生活は豊かではない。
それは売れないという市場、経済の論理であったからリリースしていた。

しかし、注目されることが地域活性に繋がることもあり
それをわざわざ持って帰ってくるそうなっただけだ。

報道する側からすれば、
新鮮で注目するネタも
現場、地方で当たり前のことを最近のゲスな報道は理解がなくて
見るに耐えない。

2014-04-18

組織

結論的に言えば、
組織に属することは、この先メリットがなく、
組織にいることそれ自体が罪になる時代が来ると予言しておこう。

一人ではことを成し得ない。
それが人間たる所以である。
人間として、他の人間と関わり、その人間とともに生きる。

当たり前とされる、迷信でしかない。

考えて欲しい。
結果は個人に帰属することは自然界でも当たり前である。
それに逆らい、共同、コミュニティーの概念を持つことで福利などが芽生えたが
結果、集団的構想、集団内の権力構想を導いた。
また、組織という括りで、罪もないのに連帯責任を押しつけられる。
そのギャップから、自然界の法則に基づき、
能力主義、個人主義に、、回帰しているしているだけの現代社会。

SNS、クラウドサービス、転職の自由、が共通しているのは
同組織に組みさなくても、互いの価値観、利害をあわせることが出来ることが可能になった結果である。
そうなると、組織に属することはある意味、リスク、損する方が多いという話になってくる。

日本の義務教育で集団活動をインプリンティングしているが、
グローバルに考えると、集団活動を強制している国家のほうが少ない。
組織をいいものと捉える考え方、、実は大きな破綻だといえる。

自分が属する組織について
自分を守ってくれるという甘い認識より
自分にとって得られるメリット
自分が貢献することでのリターン
をドライに考えられるようでないとこの先の時代、生きていくことは苦痛以外なんでもなくなるといえる。

2014-04-17

色味

印刷や映像などの媒体における微細な色合いのこと。
大きなところでは同じなのに
この色味の差異により違うという認識、クレームが起きる時代。

技術の進化でいろいろな色彩が扱えるようになったことは
いいことというより、人に無駄な労力をストレスを導いたっていうことにならないか?!

2014-04-16

人権

自分は当然と思うが、他人には認めない権利。
この認識でいないと現代社会を理解できないといえるが
なかなかわかっていない概念。

現在権利と言われるものが実に多い。
人間に認められるということは当然、他人にも等しく認められる権利であるが
自分の権利ばかりを強く主張する。
例えば
表現の自由とプライバシーはそれぞれ権利に基いて主張でき
それぞれ他人の権利を否定する事が多いことなどが顕著である。

技術、生活様式の変化で多種多様な権利が人間に登場してきている。
でもそれは、権利の数だけ、他人と揉める機会が増えるということを
認識しなくてはならない。

2014-04-15

再起

一度没落したものが、再び復権を目指す事を指すこと。
日本では、再起することは難しいとされる。
当人の心持ちというより、社会的にリスクを感じ、再起させない価値観が蔓延しているからだ。
人によっては
それでは有能な才能にチャンスを与えないで、
どんどん消極的になるということにリスクを感じるという。

確かにそうだが、
考え方によっては、再起ということはありえない。
同じ失敗を繰り返すことになるからだ。
再起ではなく、新しく行動を起こすことであるべきで、
再起という発想自体が日本的な感覚、
失敗した者が、
その失敗を糧に
新しい思いと考えで行動するということこそ、
再起とせずに支援すべきことなのだろうと思う。

2014-04-14

冷凍

冷凍保存と冷蔵保存の違いは?
工業製品上の定義
一般社会的な認識がこの国は曖昧だ。

凍るか、その凍る状態を水分的な0度認識で
冷凍というかもしれないが、
現社会の一般人認識は
冷蔵庫の冷凍室、冷蔵室、どっちに入れるかでしかないだろう。

たしかに
冷蔵
冷凍
とは異なる。
しかし、その行為の目的はそこではない。
保存に関して言えば、食材をより長く食べられる状態にしておくことでしかない。

冷凍、冷蔵の定義、その分野の科学技術の追求より
専門的、高度化されている。
僕からすれば、専門化、高度化させるほうが
簡単である、自分の好きなことをしているだけだから。

しかし、真に求められるのは、食材を長期保存させる方法を
より簡単に
よりおいしいまま
というポイントを見失ってはならない。

その一般認識との乖離が社会的にチグハグな結果を導いていることが
多いのではと思ってしまうことが多くなってきているなあ。

2014-04-11

残滓

残りかす、金魚のフンの意味である。
しかし、言葉の難しさから
そういうマイナスの言葉のイメージより
余韻のほうに使われるほうが多い、、といっても
そもそも残滓という表現自体使われることがないのが実情である。

このように、
本来意味
それを異化した使い方
そして、その言葉自体の存在にまで言及されると
言葉自体の変容がわかるのだが、
悲しいのは、その変わっていることへの
書き手と読み手の乖離が大きいこと
そして、読み手のほうに力が力を得ていることだ。

書き手は読み手を信者のように思い
読み手はお客様のつもりで読むというこの状況では
”残滓”について、

「言葉を理解して読め」
「わかりづらい表現を使って何様のつもりだ」

となるんだから、読書というコミュニケーションの価値は薄れていくのだろう。

2014-04-10

百姓

百姓という言葉を聞くと、祖父のことが偲ばれる。
自分が産まれたときには、既に父方の祖父はなく
母方の祖父が、爺ちゃんだった。
根っからの米作り農夫であり、
口癖が
「俺みたいな百姓が、、」
だった。

自分を卑下する言葉として、百姓と言っていたが、
祖父はそう捨てたものではなく、
・天気を記載するために、田んぼに立てなくなるまで日記をつけていた
・内閣の大臣の名前を変わる度に覚えようとしていた
など、地道にじぶんができることはこなしていた人だった。

百姓という言葉が身分を蔑む意味であったかもしれないが、
百姓として生き抜いた祖父は
snobbism のようで
gentry だったと思えてならない。

2014-04-09

練炭

石炭を粉末にして、蓮根状の穴をあけた円筒形で成型したもの。
最近では見なくなった。

実はこれってこれから重要かも。
そもそも、練炭は日本で編み出された技術で
固形燃料という概念。

燃料というものは基本、
気体、液体、ということ状態が多く、
販売、物流では扱いづらく、その扱いコストがかさんでいるのが実情。

しかし、
シェールガスの登場により、固形燃料の地位が上がっていると並行して
バイオコークスという固形燃料も登場してきている。

これから、固形燃料をいかに使いやすくするかは
この練炭の技術、それを効率よく燃焼させるエネルギー化の技術が
注目されるのではって思い、今の燃料事情を僕は見ている。

代替エネルギー、その代替という代わりのものという発想ではなく
いかに新しい着眼点を持つかがビジネスの視点だといえるので。

2014-04-08

薔薇

言わずと知れた、難しい漢字の象徴たる熟語。
IMEに代表される変換エンジンのおかげで
書かずとも、画面出力されるようになっているので
難しさは薄らいできている。

そして、この薔薇にはより古い呼称もある。
それは茨。
いろいろな地名に使われている、茨。

中国では、同じ意味でもより略称された漢字が登場するというのに、
日本では逆だったことがわかる。

もっとも、今薔薇とは言わず、rose と商品名に使うのだから
何のために、薔薇という難しい漢字を当てたの、、、、
なるほど、
これもひと目を引くために、あえて難しい漢字を作ったのではならないかと
商的な匂いを感じとってしまうのは、職業病の一つかなあ。

2014-04-07

魔女

超自然的な力で人畜に害を及ぼすとされた人間、または妖術を行使する者のこと

今はいない。科学の社会だから。
と思っている人が多いが、発想が逆。

魔女とみなす凡人

は永久、人の中に存在している。

そもそも、魔女は魔女ではない。
人より、叡智に優れ、凡人の理解できない技術で人助けをしている人がそう呼ばれてきた。
悲しいのは、その理解できない技術ゆえに、庶民が助けられているのに
その恩を仇で返して、魔女と呼び、
ムラ社会から隔離し、いらぬ噂で社会から遠ざけた。

魔女になるのではなく、魔女にさせられるのである。

この事実は庶民には理解できていない。
だから今でも、
異能の才に対して、自分の知らない思い込みで
どんどん作り話、中傷が庶民の妄想で膨らませて批判する。
その異能の才を理解できない凡夫なのに、
終いには、歴史的悲劇、魔女狩りにつながったと言い切れる。

僕は経営者、少なくてもそれなりの権力を持つものとして思っている。
魔女とされる異能な才を伸ばすことが重要だと。
そのために、庶民を切り捨ててでもいいとまで思っている。

だから、思う。
今新聞を賑わせて、あの魔女狩り。
庶民を理解できないのに、
なぜあんなひどいことをするのか。

間違っていようが、、庶民風情の生活に何ら問題し、
あっていたら、この先にお世話になるだろうことに、
口出しする発想がおろかしく思ってならない。

庶民の味方が正しいとされているが
実際問題、将来を救えるのは魔女であり魔女の味方だと僕は確信しているだけに。

2014-04-04

余計

必要な度を超えてむだなこと。
現代社会は実は、余計でできている。

余計の同義語は、付加価値だ。
本来の価値以上にその付加価値をつけて
購買衝動を促進させている。

ある人によっては
「そんな余計なものを抜いて簡素なものでいいのに、、」
と言い出す。

その余計が実際にはいろいろと派生している。

あるものは
余計な付加価値が本来の価値と同等に必要条件になってきているもの。
その付加価値がないと本来の価値とはいえなくなるまで昇華してきた証拠。

対して、
逆に、付加価値を余計なものとみなして
あえて、付加価値を落としてシンプルさせることが
そのものの価値を生み出す結果になるもの。

どれも経済発展には必要なことかもしれない。

余計なお世話、日本語の言葉があるが
余計なことをしないと人の生活は豊かにも発展しない事実を忘れてはいけない。

2014-04-03

早起

業績のいい会社のトップの出社時間は早いことが多い。
この事実に対して、
あとづけのように、早く出社すれば、業績が良くなるような論理を振り回す輩が
いるがそれはなんかバカらしい。

思うに、
自分の時間をコントロールできるかということだと思う。
朝早くから出社するために
早起きをするという自己コントロール
周りより早く来ているから、話しかけらない時間空間のコントロール
そしてそれを繰り返す体調コントロール
それらができているからこそ
法人格である会社もコントロールできているといえるだろう。

バカ論理に振り舞わされて
飲んだ挙句に、徹夜で早く会社に来るだけになったり
早い日もあれば、来ない日もある
発想では何もコントロールできない事実に人はいつ気づけるのだろうか?

2014-04-02

換金

何かを売って、現金化すること。
現代社会の言い訳論理そのものといえる。

個人のパチンコ景品交換
企業の売れ残り在庫処理
宗教でのイスラム金融

どれもただ、換金しているに過ぎないが
なんだかまどろこしい論理でその換金を正当化しようと
必死の論理を作っている。

思うに
金銭というものに罪悪を感じる文化、風潮が
色々な民族の中に存在しているのではないだろうか?
それを強引に、欧米主導の貨幣経済を強要されているから
それにあわせるために自らの精神を納得させるために
必死なのではないだろうか?

貨幣経済が平和的なルールという考え方も
ある意味、近現代の支配された認識という考え方もある。
現にその換金をめぐり、恐慌、戦争を引き起こしている事実について
欧米の責任に言及させない権力について、遠い未来、宇宙的視点からすれば
おかしな時代だったといわれる、貨幣経済期になると僕は思う。

2014-04-01

学術

専門的な研究として行われる学問、
バカである。

絵画は認めて、漫画やイラストは認めない
クラシックは認めても、ポップス、ロックは認めない
純文学は認めても、ライトノベルなどは認めない

その基準がいかにも独断的である。
その独断的だけならいいが、
その活動に対して、補助金や免税効果をもたらす施策を施す。
そのくせ、アニメなどに、クールジャパンなど言って干渉してくるのは、、
この国の政策的の愚かさを感じてならない。

基本、どんな生産的活動にも平等にしなくてはならないではないだろうか?
芸術、工芸、工業、機械化、
どれも同じ基準であるべきだろうが、、、

もっと言えば、教育の仕方も読み書き算盤だけを徹底してそれ以外は
独自の専門性を自ら選ばせればいいのでは感じる。
若い子に判断させるのはっていうが、
その若者に現代人という未来のない世代がいうほうがどうかしていないか?

学術、、、術は すべ なのだから、
その生きるすべを自己責任で行わせることを意識させるべきだろう。

2014-03-31

偏重

物事の一面だけを重んじること。
これって第三者から見た、
専門性、選択と集中そのものといえる。

自分として
限りある資源、時間を特定の分野に特化しようとする前向きな発想なのだが、
第三者からすれば、
全体を見ていない偏重という見解でみなされる。

自らで判断して決めたことに対して
それを偏重という批判する発想はいかがなものだろうか?
とりわけ、その判断に巻き込まれていない本当の第三者が無責任に
そう発言することはある意味、罪に等しいのではないだろうか?

日本のムラ社会発想での社会全体影響感覚のまま
個人主義を無理に導入しているからこうなっていると僕は結論づけている。
みんなという概念に重きをおいている日本において、
個人主義を偏重した結果の失策といえる。

みんなとか社会のためとかいう発想を捨てるか
個人能力主義をやめるか
そこを偏重、選択と集中、を明確にすることが既に必須条件になっていると言えよう。

2014-03-28

探求

あるものを得ようとしてさがし求めること。さがし出して手に入れようとすること。
ということは、あるものが手元にないということとも言える。
探し求めているものの実態、手に入れたときの感覚を経験していないから
ワクワクもするが、実際には結構味気ないという思いもしたりする。

探求するという行為自体が
愉悦な状態かもしれないと思うことがある。
結果主義である現代をよくよく考えると
相手への結果
自分は過程
を楽しむことが幸福のサイクルなのかなあ?

2014-03-27

年層

年齢層という概念は難しい。
商品などを発売する際に
ターゲット年齢層を考慮して発売されることが多い。
それにより、ヒットしたならターゲット通りなのだが、
年齢は万人に共通して経るものである。
ターゲットとしていた年齢層は必然的に年取る。
少年は青年、成人は老人。

それに対して、商品はそれに合わせて進化させることは難しい。
その形状、機能を前提に生活を考えている人からすれば
変わることはあってはならない。

万人に受けるものはなかなかヒットしない。
ターゲットを選定すると当たるがそれを維持することが
商品のターゲットである年齢層に受けなくなる事実。
実に、時間経過というものは、、、面白い。

2014-03-26

既知

既に知っていること。

情報化社会において、この概念が大きな問題。
自分は知っていて当然ということを
必ずしも、相手が知っているかとは限らない。
そこでの衝突こそ、コミュニケーションがうまくいっていないとことになる。

社会の多くは

「なぜ知らないんだ」
「知っていて当然のことだ」

「聞かされていない、教えてもらっていない」
「自分だがわかっていればいいのか!」

で成り立っているような感じまでしてしまう。

調べればわかると言い出すが、
実際問題、そういうときは調べて出てくる情報と
使われている情報の意義が異化されている実態なのだから。
いくら調べても無駄なことになる。

既知と思うことほど、しっかり相手に意味定義をしなくてはならないかもしれない。
そして、同時に無知となっている側は
「そんな事知っている」
「俺の認識とは異なるので間違っている」
という発言をして、コミュニケーションに壁を作らないようにこともとても重要と
思うべきだ。

2014-03-25

胡椒

香辛料の代名詞といえる。
歴史上、この味覚のために
通貨と同等の扱いを受けた時代すらある。

が、日本においてそう使うものだろうか?
確かに、異国料理とりわけ肉料理においてはこの存在は必要というレベルといえる。
しかし、昨今注目されている和食において、胡椒は必要というより
不要に近い。
名前は同じでも、柚子胡椒に胡椒ではなく、辛子である。

日本国で生育されていない調味料を
異国の文化に従って、変に重用する文化も日本らしいが
そういう強い刺激で日本本来の淡い味覚を麻痺らせていることに
おかしさを感じることはないのだろうかって思いもまた日本人らしさの愚かさを
感じてならない。

2014-03-24

観光

楽しみを目的とする旅行のこと。
日本は観光立国と言い出しているが、
それはちょっと虫が良すぎ。

考えて欲しい。
日本を家と例えてみればわかりやすい。
日本人はお客を招くのが下手である。
とりわけ、一見さんについて、、
そう一見さんという言葉があるくらい。

ホームパーティーで未だ知らない人を迎えられる気質ではないどころか
知っている人が来るとしても
部屋の掃除ができていない、お迎えする準備ができていないと言う論調で
嫌がるほうが多い。
できるだけ、人を迎え入りたくない。

そんな気質の日本人が観光立国というのは
来てほしくはないけど
お金頂戴っていう気持ちのところに行きたいと思うだろうか?
そういう気質そのものを理解した政策、舵取りをしなくてはならない。
観光という言葉に騙されて、自らを見ない考え方では
また失われた10年を繰り返すだけといえるだろう。

2014-03-20

膳立

お膳立て、
大きな仕事の前払いをしておくことに使われる。
僕の人生、このお膳立て、当て馬のようなことばかりである。

難しい問題、
やりたがらない事件
の担当にさせられ、
有能ゆえ、結果が出るとところになると
それを奪われる。
つまりおいしいところを持っていかれることばかりだ。

有能なら奪われないようにすればいいと思うかもしれない。
そう、それを行った結果が、
僕が受けている悪名だといえる。

膳立にならないように、、
強いては、自分を守るために
相手を潰すこともまた人生の目的を叶えるための
お膳立てと僕は感じてしまうのは、僕が悪意の塊だからだろうか?!

2014-03-19

東洋

限りになく、日本語といえる。
中国からすれば、東洋は日本でしかない。
東の海の果てだから、

しかし、日本からすれば、
海ではなく文化圏のように扱って
反対語が西洋になっている。

航空移動の発達
文化、経済のグローバル化
でもはや東洋という区切りはなくなったといえるが、、、

でも、未だに、西洋料理とか
洋風という言葉が日本に残る。
それをどう外国人に翻訳していくか、
そもそも、その認識で、グローバル対応できているといえるのか?
この国の文化認識の歪を感じてならない。

2014-03-18

腐心

漢字と意味がかなり異なる。
意味は、目的のためにいろいろと考えることなんだが、
漢字だけで見ると、、心が腐るというイメージになってしまう。

共通認識を与えるべき言語が相手との認識を惑わす。
その原因の一つが、単語の意味定義が挙げられる。
とりわけ、日本人は勝手な定義をして、それが一般化されると日本語として
正しく受け入れてしまう。
言葉は生き物という認識で。

逆に、僕が腐心を正しい意味で使うと
多くの庶民レベルは
「腐心って心が腐っているという意味だよ、バカなんじゃない」
っていう評価を受ける。

本当に日本人の考え方では意思疎通は難しくなる一方だと言える。
これを打破するために、教育と騒ぐご老体も多く活動なさるが、
芸を仕込むには適さない動物をいくら調教しても、、という思いがよぎるのは僕だけ?!
本当に、現代社会を生きるためには腐心させられる。

2014-03-17

手段

ある事を実現させるためにとる方法

目的と手段という表現で使われることが多く、
目的のために手段と言われる。

目的のほうが上位とされる。

しかしだ、
それは自分の思い込みであることが多い。
人によっては、手段こそ目的かも知れない。
そして、その目的を優先させて手段を軽視することは
他人からすると、バカにされているという思いになったりする。

例えば、
Aさんは
ある職業に着きたくて、とある学校に入るという場合
目的は就職であり、手段として入学なのだが、
対してBさん
ただその学校に入れればという思いであれば
目的が入学なのである。

だから、
Aさんからすれば、学校なんて手段にすぎないが
Bさんからすれば、それは人生の大きなポイントである。
AさんとBさんとしでは
価値観の違いで喧嘩になることはあるだろう。
A,Bどちらかが入学できなかった場合
Aが落ちれば「Bは大きな目的もないくせに」
Bが落ちれば「Aは学校なんてどこでもいいくせに」
となる。

目的と手段を間違えるなっていうけど、
その発言自体が、目的と手段という固定観念で見失っていないかと思ってならない。
目的と手段を使う時
基本、自分の思うことを先に告げて
それに相手が合わせられるかどうかで進めるべきである。

2014-03-14

符牒

作業者同士で使用される言葉、
また売買の場や顧客が近くにいる現場などで使われる独特な言葉の事
はっきり言えば、コードネームってこと。

悲しいかな。
日本語のその意味を示す言葉があるのに、
今では、外来語のほうからその日本語を説明し無くてはならないなんて、、
というより、
日本語という言葉はそもそもなんだろうか?
意味定義ができない、外国語に頼っている言語。
もっと言えば、日本国内でしか使えない専門言語というべきなのかなあ?

2014-03-13

破戒

聖職者がその属する宗教の戒律を破ること
科学的根拠がないとして、
多くの地域に根付いて禁忌を破る行動が目につくようになっているし、
それで経済発展してきたという。

でもちょっと待てよ。
科学的根拠って万能だろうか?
その禁忌を破ったことで
結構、、凶作、、、不況になっていることも目につく。

論理、科学もいいけど
信心的な統制や歴史的な戒律があっての現代じゃないかと思うことが多い。

信仰の自由は多くの民族において重要なこと。
ちょっと日本人はその辺を軽視し過ぎではないか?
身の回りの道祖神に一礼をする心持ちがあるべきではと思ってならない。