2019-12-27

水平

静かな水面のように平らなこと。
様態描写から、あがりさがりがないこと。
水平思考という言葉がある。
すでに広く使われて、ノウハウも固まり不具合も出し尽くして安定して使える技術を
に対して、今まで無かった使い道を考えることである。
確かに最新技術を追い求めることは技術者エンジニアには本分だろう。
しかし、ビジネスとしてはマーケットとして、
求められているものを手ごろな価格、早い納期、不具合がないものを
多く提供することが求められ、それは必ずしも最新技術ではなくていい。
供給側は自分の欲しいもの=市場が求めていると思い込んで
最新技術を求めてしまう。
しかし、需要側は必ずしもその最新技術ではなく
自分たちの要求を満たせるものそして、それが手ごろに使いこなせること
つまり、水平なものが前提だったりする。

技術職でもあり、そして、ビジネスを行っている身として
最新と水平を意識していこうと思う。

2019-12-26

賭博

賭博と博打の違いは?
賭博はその財をかけた遊戯
博打は賭博などで財をかけて勝負する行為
、、、IR法が騒がれているが、現代日本では賭博行為は禁止されている。
しかし、競輪、競馬、パチンコは認められていないか?
他のブログでも書いたが、
税金をいっぱい払えば、天下りを多く迎えれば違法だろうが合法になる。
麻薬はダメでも、たばこ、飲酒はOKなのは納税をしているかどうかだ。
だから、IR法で認められるということは税金をいっぱい納めればいいだけということ。
なんかひどくないって思うが、それが人間の本性。
イギリスの政府公認の拿捕行為、、、つまり公認海賊だったのは
その分、納税していたから。
賭博が認められるかどうかは、その規制に超える納税をする博打を打てるかどうかだね。

2019-12-25

無精

精(せい)を出さないこと。面倒くさがってひどく骨惜しみすること。
やる気がないということか?それともサボタージュの表れか?
無精である姿勢はあまり現代社会では認められないはず。
なぜ無精を示すのかを理由をなくて無精に振舞うことは
評価、結果主義では損なことなのだが、結構その姿勢を出し
なんか被害者面するのは、、愚かな現れとしか感じられない。

2019-12-24

無休

休まないこと。
戦後、休まないことへの価値観が流転し続けている。
そしてその価値観は
労働者
経営者
顧客
でいつもづれている。
働かせたい経営者と働きたくない労働者だったが、
残業代ややりがいがあるのでもっと仕事がしたい労働者に
世間の目から休ませないとならないと判断する経営者
その判断にいつも自分の視点で批判的な顧客の見解。
働くこと=支払いが生じることゆえ
それに見合う判断をすべきだと思うが
市場に合わせて、儲かるときは徹底的に休まずでも僕は思うがね。

2019-12-23

悪食

人が普通には食べないようなものを食べること。いかものぐい とか
粗末な食物。粗食 の意味を指す。
ちょっと思う。
数年経つと悪食が良食その逆が起きやすい時代だと。
例えば、ココアは健康にいいとか言っていたが、時間がたつと糖質、カロリーから
逆によくないと言われ始めたり。
体にいいものと評価された食材は次にはやる体にいいものから否定される。
まーある意味、人間の味覚はマスメディアに踊らされているだけで
本当に体いいものなど、僕からすればなんでもあり、なんでもないということ
しいて言えば、自分が好きなものが良食で、嫌いなものは悪食で構わない。
好きなものばかり食べて、病気になっても
嫌いものを無理して食べても病気になることへの
正確な統計比較をしていないことは政策的にやってはいけないこととわかれば
おのずと踊らされていることにも納得いくかな??

2019-12-20

原書

翻訳される前のもとの文。
翻訳された書物はその言語圏の価値観に合わせた翻訳されていることがあり
筆者そのものの意図していない表現になっていることもある。
これは物語の全体像を伝えるためにはその言語圏での表現であるべきか?
それとも、筆者の意思を反映させていない背信行為か?
いろいろと思うことがある。
これは外国語だけでなく、専門用語で書かれた専門書を
一般人にいかに理解してもらいビジネス展開させるかというポイントでも発生し
自分としては、、、、
まー専門書を専門用語でしか書いていない人はビジネスなんて考えてないから
僕の訳のほうが正しいという自負があるけどね。

2019-12-19

採点

評価して点数をつけること。
個人主義、個性を認めることになり
一義的な評価が出来ないこの時代。
何に何点なのかを定めることは、その点数に合わせた行動をすることにより
個性が否定されることになる教育矛盾に気づいているのかいないのか?
そもそも採点基準というものは採点する側の恣意でしかないのに
それに公平性を求めること自体、採点者の個性否定では?って思う。
どうも現代人は自分の個性を認めさせ、
他人の個性を否定することに当然と思っていることに
なんかおかしさを感じる。

2019-12-18

公安

「公共の安全と秩序」の略称であり、
これを維持させていくのが警察である。
とすると、、現在の警察の動きは変に感じる。
~民事のことばかり気にする
~法令違反をしている警察官や法令の理解の悪い警察官が多い
まー、これは警察の問題だけでなく、
社会として、民意が「公共の安全と秩序」を理解していないからだとも言える。
こういう社会って、、、アメリカ、イタリアにあったなあ、
そこで、マフィアが生まれたんだっけ、、警察権限は落ちたので
自らの命と財産を守る結社として、
「公共の安全と秩序」を本当に守れるのは何かって思うばかりだ。

2019-12-17

黙認

公然とではなく、暗黙のうちに許可すること。知らぬふりをして見逃がすこと。
黙認は不作為化か?という議論になる。
知っていて何もしないことのは罪か?
黙認せずに行動したために不利益を被ったときに他の黙認者が支援するか?
現代社会において、黙認という無関心でいることが
一番自分を守ることができる行為になっている。
それがいいか、悪いか、、というより社会の構造的、道徳的な問題なのでは?

2019-12-16

買上

買い上げる。
買うとどう違うか?
用例から考えると
~官公庁などが民間から物を買う。
~地位や権力のある者が下の者から買う。
~全部買う。買い尽くす。
となっている。共通することは相当額が動きそうな話となる。
上げる、引くところから上に移動させる。
日本的な価値、感覚の表現かも?敬語のようでもあり、また規模表現でもあり。

2019-12-13

再建

物事を立て直す。もとに戻す。
再びという文字が入っているが、同じものではない。
見た目は同じに見えても、その時の最新技術や今後の耐久度を考えて
元のものより進化したつくりになることが多い。
また、その再びとはどの時点にすることか?
全盛期?再建直前?
そう考えると、覆水盆に返らず
同じにモノとは言えないだろうな。

2019-12-12

文体

文章の様式。和文体、漢文体、あるいは書簡体のことでもあるし
書き手の個性スタイルともいえる。
要は、読み手から見た文章表現の捉え方。
共通認識である文字というもので文体というものを示すには
それ相当の情報量が必要であり、一言、二言で文体は示せない。
最近のSNSでは文体を示すことは難しいと言われるが
その短文より、発信先としての履歴そのものが文体であり、表現の現れである。
文字と写真、そして更新時間などから個性が示せる時代になっているので
必ずしも文字に依存しないところまで来ている。
活字偏重主義の20世紀ではないことを理解しないとならないし
文字依存の評価にこだわっていることが間違いという認識を早々に持たないと
市場的地位を維持できないことも痛切に感じている。
ただ、文字を使わないと共通認識を得られない事実もあり、
その意味で、このブログ更新も矛盾の中で書いている次第。

2019-12-11

屋敷

一般概念として 家屋と敷地を合わせたもの。
そして、現代通念としてはお金持ちの象徴だろう。
一戸建ての家ではなく、屋敷と表現される建造物を持つということは
それだけ自分個人の領土権をもっているような。
逆に同じくらいの敷地を持っていても、ビルやマンションを建てていると
お金持ちというより、投資、投機目当てのお金を稼ぐことに勤しんでいるゆえ
お金持ちの概念から外れる。

しかし、景気変動が多く、未来が右肩上がりの経済事情ではない昨今
大きなお屋敷に住みたいという思いより、
お金を有効利用して老後も稼ぐことに勤しみたい
と思うほうが現代社会として健全な心の有様だと感じている。

2019-12-10

凡愚

平凡で、取り立てて利口だとは言えない人・状態。
平凡な人という概念が狂っている。
世論、現代社会が平凡と思っている人はまず存在しない。
その人であれば、ある意味パーフェクトな人間ともいえる。
可もなく不可もなく、マイナスがない人間を平凡というが
この個性や自己主張の多い日本において、そんな人間がいるわけがない。
長所、好きな分野を求める人に不可、マイナスがないわけがない。
理想の結婚相手に最低的な平凡ラインを口にするが
そんな人間はパーフェクトでありその以上って
どれだけないものねだりをしているのか
そして、そこの人間に釣り合う当人なのだろうかもね、、

2019-12-09

防衛

防衛という言葉は守っているのではなく
自分の意見に従えというただの威嚇攻撃でしかない。

「防衛は相手が攻めてきたら、対抗する」
という論理で成り立っている。
その論理だと、どういう相手が攻撃してきたら倒していいという論理だ。
一見正しいように感じるし、欧米人の発想はこの程度だ。
しかし考えてほしい。
この発想だと、相手に攻撃させるようにさせれば何をやってもいいことになる。
だから、今のアメリカのように自分たちの言い分が通じない相手は
今後アメリカに攻撃するかもしれないから防衛のために倒す。
というとんでもない論理で今の平和が成り立っている。
これで、先住民をインディアンとみなして
先に勝手な言い分で土地を奪っておいて、
それを取り返しに来た先住民から防衛という名の殺戮をした
結果で作り上げたアメリカ合衆国。
これはおかしい!
そもそも相手を怒らせないように自分たちの行動を戒めようということが
真の平和ではないか?!
軍略ばかり考えている僕でさえも簡単にわかることだ。
まー僕は平和なんて求めていないことが根本的にこの論理が分かるのかもね。

2019-12-06

年少

年が少ないこと。若いこと。幼いこと。
最年少記録という言葉が持ちはやされる。
でもそれって最年少というより
そう教育してきた親の功罪ではないかと。
子供の可能性を尊重とは
~ある一つを極めようとさせる
~いろいろな汎用的なチャンス
どの可能性なのか。
僕としては、その可能性という不確実なものに
なんとなく違和感を感じるがね。
可能性という表現から、親の子供への所有権論につながるだけに。

2019-12-05

定規

直線や曲線、角を引くために用いる文房具。

昔は定規の品質が悪く目盛りが連れていることが多かった。
母が買ってくれたものは小学校学校指定でない定規のために
7cmに対して、僕は6.9cmで×になった。
合っていると定規をもって担任の先生に言ったが、
「指定の定規を買わないほうが悪い」と言われた。
今そんなことを言ったら、教師失格だが当時はそれが普通で
その結果が成績表に反映される時代だった。
母も母で世間の価値観を嫌っていて
「なら定規の会社に文句を言うべきだ」
っていうがそれを担任には言ってくれなかった。

それが今の自分の学歴にも影響しているのだから、
僕の学歴と学力の差は生活環境で起きていると思ってしまうなあ。

2019-12-04

花崗

火成岩の一種。流紋岩に対応する成分の深成岩。
学説的にはマグマが固まったものと言われている。
最近、花崗岩と書くようになっているが、
一昔前は花こう岩と書き、
地学、理科の教科書でただ覚える単語だったような。
~地上デジタル波での高解像度放送
~とある人気のTVロケ番組
で絶景風景を放映する以上、
それを形成する岩、花崗岩は頻繁に登場する。
花崗岩という表記も日常的に使われ始めている。

もっとも、、花崗岩は、日本人にはなじみのある御影石という
呼称もあるんだけど、それが同じものって気づいているのかなあ?

2019-12-03

御身

相手の体をうやまって言う言葉。
健康、健常であることへの願いの現れである表現。
何をするにも体が資本というのだが、
最近、その体についてもいろいろと思うことあり。
人工知能や電脳化が進めば進むほど、人間の肉体がいらなくなるのでは?
肉体があるから食事、運動という非効率概念、それに伴い
健康管理、治療が必要になるのでは?
僕の見解は、SFじみているというかもしれないが
そのSFはSpace Fantasy ではなく、science Fiction  という
科学的根拠に基づいた創作活動という見解から
近未来の可能性としては十分あり得る。

御身を大切にするということがなくなる時代、なさそうですぐ来ると僕は考える。

2019-12-02

流血

負傷、病気等により、人体もしくは動物等の血液が体外へ流出する現象。
現在の価値観だと、流血の描写を放送で流すことを忌む。
また、流血させることを悪徳に扱われる。
それって全く持って逆に間違っていないか!
生き物であるということは、脈が体中をめぐっている。
動物の多くはそれが血である。
流血をするということは、その生命への危機を如術に表している。
そういうことになるからこそ、どうすべきか!
をショッキングでいいから、、いやショッキングに伝えることが
生命危機回避、行動の本質的な対処になるのである。
流血シーンを目の当たりしない者がいざ事故災害にあったときに
初めて見て気が動転して役に立たないというバカらしいことや
どれくらいの暴力で流血するかもわからない愚かな子供のいじめの言い訳が
「まさか血が出るとは思わなかった」
という愚言に同情する社会に落ちぶれていることに危機感がないのだから
どこまで社会の価値観は変わる?いや狂うのだろうか?