温度を保つこと、、
人類の生活、、生命維持の根本。
恒温動物は自らを保温することこそ、生きる証拠である。
その恒温動物に属する人間の保温は他の恒温動物のそれを超えている。
自らの保温に、衣服、健康法 だけでなく、
いる場所それ自身も保温するための住居、暖房器具
保温を維持する飲食するものでさえも、保温するために、加熱調理
ということを行っている。
そして、形而下から形而上の保温での
コミュニケーションを言葉で確立しているのだが、
その意味での、保温はどうやらほころびがでてきているようだけどね。
2012-11-29
2012-11-28
一票
平等選挙においては、一人一票とされている。
平等という概念においてはそれは正しいが
適切であるかは別問題だと思う。
集合住宅の住民投票での一例を挙げよう。
多くの場合は一部屋一票で住民投票になるが、
ある住民が
「それは平等ではない、ひとり一票であるべきだ」
という。
対して、
「そうではない、支払った分の価値、部屋の価格に応じた票の重さであるべきだ」
という人がいる。
住民投票の一票を
・部屋
・住民
・価格
にどこを基軸で考えるか?
それぞれに言い分があると思うが、
僕はもう一人一票の時代は終わったと思っている。
この住民投票も一人一票になると
裕福層はこの集合住宅から消えていくだろう。
住み替えることができる資産があるからだ。
残った若年、貧民では維持、判断する力がないので
住宅全体価値や住む人のモラルが低下するだろう。
それが、、スラム化である。
時代は変わった。
平等選挙を勝ち取った結果が終わり
右肩上がりの成長が止まった今では
一人一票では
逆に衆愚、、結果的に貧民の増産を導いてきている。
一人一票ということより、
何を決めなくてはならない
決めなくてはならないことにどれだけ出資、投資したかで決まるほうが
未来のある判断と確信している。
2012-11-27
点数
人間の評価軸、、、今では貨幣よりこちらが価値基準になっている。
点数、、現代的に言えば、ポイント
近年の人間の行動において、ポイントが伴わないときはないだろう。
出産、臨終と人間の生き死に関わる医療機関の医療行為の算定も点数方式
教育の現場では、テスト、試験は100点満点の点数方式
買い物には、その店、市場にかかわるポイントカードの確認が求められ
仕事においても、点数のよる比較が基準、査定になる。
点数をつける、それ自体が今の市場経済といえる。
点数による数字化はその数字が説得力、影響力をもつといえるが、
僕が意識しているのは点数をつける基準を
つける側が勝手に決められることもまた市場経済といえる。
ポイントに支配された社会といわれるが、、、
ポイント基準を生み出した人に従順に従っている社会であり、
もらってうれしいポイントと思えている今は、
ある意味いい状態といえるだろう。
僕みたいに、そもそもポイントをもらうってどういう意味?
と考えだしてしまうと、、、、、おっといけないいけない!!
2012-11-26
2012-11-22
2012-11-21
障壁
防壁である。
攻め手からすれば、それは立ちふさがる壁になるが
守り手からすれば、それは自分たちを守る頼もしき壁である。
参入障壁とか、規制による障壁という表現で
さぞ自分たちが正しいという表現をするが、
それは、自分たちの営利を狙うところであって、
既存ルールに則って行動している側からすれば、
それらがセーフティネットになっていることが多い。
僕からすれば
派遣法改正が現在の非正規社員による貧富の差を大きくしたといえ るし
関税をなくせば、たぶん農家なんかより、 日本古来種の食材はなくなるだろうともいえる。
社会情勢は勢いのあるほうが強い。
ゆえに、攻め手に傾く意見が多いが
それが結果的に今まで当たり前だったことがなくなることにつなが ることへの
理解が異様なまでに無頓着すぎることへの反省を
もっと日本人はすべきだと思う。
2012-11-20
僕等
僕等という表現を使うときって、
案外、自分だけであることが多い。
「僕らの意見としては」
「僕らのものでもある」
というときは大概、自分の見解であって、他人が同調しているとは言えない。
日本人は個人であることを嫌う。
しかし、なぜか近年は個人主義が横行している。
個人の意思を集団の意思のように口にして自分を正当化しようとする傾向がある。
しかし、これはそう通じるものではない。
領土問題でこのやり方のような見解で
国際世論とか言っているが、
それは自己主張を訴えきれない逃げとしか受けとらえられないともいえる。
自己主張を集団ではなく、
自己の力で主張することを強く意識すべきだといえる。
みんながというきれいごとはもうやめるべきだ。
案外、自分だけであることが多い。
「僕らの意見としては」
「僕らのものでもある」
というときは大概、自分の見解であって、他人が同調しているとは言えない。
日本人は個人であることを嫌う。
しかし、なぜか近年は個人主義が横行している。
個人の意思を集団の意思のように口にして自分を正当化しようとする傾向がある。
しかし、これはそう通じるものではない。
領土問題でこのやり方のような見解で
国際世論とか言っているが、
それは自己主張を訴えきれない逃げとしか受けとらえられないともいえる。
自己主張を集団ではなく、
自己の力で主張することを強く意識すべきだといえる。
みんながというきれいごとはもうやめるべきだ。
2012-11-19
氷柱
氷柱と書いて、つらら という読みは難しく、そしてなんか抒情的な感じを受ける。
この漢字の熟語をあてる前から、つららと呼んでいたものを
後からこの熟語に充てることになったといえる。
既存の風土文化を尊重する思想で、
これはこれでいいものとする日本の価値観もあるが
ビジネスライクでものを見るとこれが不正、 非効率の温床となっている。
抒情的、心情的、そして古来伝統の尊重は
生産性、効率化、画一という条件からは外れている。
日本文化の維持と
経済、技術のためにグローバル化という発想は
虻蜂取らずに今の実情をもたらしているといえる。
氷柱はつららという言葉を
氷柱は
ひょうちゅうで○で
つららはもう×という画一的な基準を定めてしまう。
それが真の意味でのグローバル化である。
そんな!っていう人もいるが
江戸弁を標準語として
方言を教科書から廃絶したからこそ
全国的に画一的な義務教育の実現ができているという事実があり、
そのおかげで、近年まで教育水準の高い国と言われていたのだ。
あいまいなところにところに趣きを尊重できるほど
今の日本にはゆとりはないという思いで
これからは少し既存の価値を整理すべき時期といえよう。
2012-11-16
若手
いくつまでが若手なんだろうか?
僕の把握している仕事場では、30代になっても
一番年下という環境がざらにある。
平均年齢が高いのではないか?って思うかもしれないし、
そういう環境に若年層の雇用をって言うかもしれない。
しかし、
コスト削減
能力主義
においては、前提条件というか
ある程度の経験や実績がない人材は求められない。
それゆえ、30代になっても最年少、若手扱いされることになる。
これでは若年層が育たない??
いえいえ、若年層、、
そんな社会は甘くないぞ。
もっと愚直、もっときつい下積みや苦い経験をしないと
現代では若手扱いされないものということ。
若者に甘くなった社会
その分、若手として認められなくなった社会で
あるギャップは大きいものだなあ。
2012-11-15
違憲
法曹に触れていない人からすれば
違法と違憲の違いはなんだろうと思うかもしれない。
簡単にいえば、違憲は法律そのものは憲法の定めるものと反している。
法律そのものの違法性を違憲と司法、裁判所が出すものと考えればいいだろう。
法律が違憲?
頭の悪い政治家が定めるからだ!っと思ってしまうかもしれないが、
一応、法律はそれなりのスペシャリストたちが熟考して作成して
政治家が代表してそれを制定している。
だから、それなり考えているのだが、、
明文化されてしまうと、
社会変動や複雑な人間の行動を予期できない。
今までにない行いが生まれ、その行動に法律をあてはめてしまうと
これまで、これからの人の判断を悪い方向にしてしまう可能性がある事例に
当判決を示すとされる。
だから違憲は
・司法部から
・積極的ではなく、訴えのある裁判の結果として
・強制力はなく、その提言を立法府が気づくように
というものである。
一般庶民が声高に違憲を騒ぐ現代社会、
・庶民のテロ的台頭が悪いのか
・統治機構として権力分立が機能しなくなってきているのか
どっちにしても、
そろそろ、違憲という概念も変わっていかなくてはならないのかも?
違法と違憲の違いはなんだろうと思うかもしれない。
簡単にいえば、違憲は法律そのものは憲法の定めるものと反している。
法律そのものの違法性を違憲と司法、裁判所が出すものと考えればいいだろう。
法律が違憲?
頭の悪い政治家が定めるからだ!っと思ってしまうかもしれないが、
一応、法律はそれなりのスペシャリストたちが熟考して作成して
政治家が代表してそれを制定している。
だから、それなり考えているのだが、、
明文化されてしまうと、
社会変動や複雑な人間の行動を予期できない。
今までにない行いが生まれ、その行動に法律をあてはめてしまうと
これまで、これからの人の判断を悪い方向にしてしまう可能性がある事例に
当判決を示すとされる。
だから違憲は
・司法部から
・積極的ではなく、訴えのある裁判の結果として
・強制力はなく、その提言を立法府が気づくように
というものである。
一般庶民が声高に違憲を騒ぐ現代社会、
・庶民のテロ的台頭が悪いのか
・統治機構として権力分立が機能しなくなってきているのか
どっちにしても、
そろそろ、違憲という概念も変わっていかなくてはならないのかも?
2012-11-14
手帳
電子機器の小型化で、手帳のもつ記入、確認機能については
電子手帳、携帯電話、ノートPC、スマートフォンで事足りる。
むしろ、そのほうが記入、確認しやすいといえるようになってきている。
となれば、ビジネスにおいて手帳は存在しなくていいのか?
いや、逆に打ち合わせに参加していること、
言ったことをちょっと覚えようとしていること
への意思表示、、、言葉が変えれば、御守り的に機能になっているかもしれない。
人は過去の成功経験、習慣からなかなか抜け出せない。
だから、年寄りは
・朝の情報は朝刊から
・備忘は手帳から
という発想から抜け出せない。
スマートフォンで、上記機能は事足りるとしても
それを行っている若手の行為は年寄りの経験、習慣から認められない。
それをジェネレーションギャップとして対立するのもまた社会の一事象ではあるが
手帳を年寄りの目前にだして、それを使っているふりをして
実際には、電子機器で処理をすることで無駄な不信感を仰がないことも
ある意味、現代のビジネスマナーかもしれない。
手帳という概念、機能、目的性は時代とともに変わる。
自分も年寄りに近付いているので
手帳というものはもはやビジネスツールではないし、
紙媒体を使うこと自体、問題視される時代になってきているかもしれない。
その雰囲気がでてきたときは、、、、
僕が権力を持っている間は
今の年寄りのように、相手に気を使わすビジネスマナーを行使してみようかな?
電子手帳、携帯電話、ノートPC、スマートフォンで事足りる。
むしろ、そのほうが記入、確認しやすいといえるようになってきている。
となれば、ビジネスにおいて手帳は存在しなくていいのか?
いや、逆に打ち合わせに参加していること、
言ったことをちょっと覚えようとしていること
への意思表示、、、言葉が変えれば、御守り的に機能になっているかもしれない。
人は過去の成功経験、習慣からなかなか抜け出せない。
だから、年寄りは
・朝の情報は朝刊から
・備忘は手帳から
という発想から抜け出せない。
スマートフォンで、上記機能は事足りるとしても
それを行っている若手の行為は年寄りの経験、習慣から認められない。
それをジェネレーションギャップとして対立するのもまた社会の一事象ではあるが
手帳を年寄りの目前にだして、それを使っているふりをして
実際には、電子機器で処理をすることで無駄な不信感を仰がないことも
ある意味、現代のビジネスマナーかもしれない。
手帳という概念、機能、目的性は時代とともに変わる。
自分も年寄りに近付いているので
手帳というものはもはやビジネスツールではないし、
紙媒体を使うこと自体、問題視される時代になってきているかもしれない。
その雰囲気がでてきたときは、、、、
僕が権力を持っている間は
今の年寄りのように、相手に気を使わすビジネスマナーを行使してみようかな?
2012-11-13
輝度
新人のとき
画面インターフェイスプログラム開発の際に
「エラー箇所を高輝度させる」
という仕様に、どういう意味か悩んだが、
エラーフィールドの文字の色を変えるものだった。
輝度という日本語は
輝くという意味で自分のなかではプラスイメージであったとしても
翻訳する人が
highlight
を、強調させるの意味を、高輝度させるとしている意味に使ったために
文脈的にマイナスイメージになってしまったといえる。
語彙の意味に主観はない、ただ意味を持っているだけだから。
しかし、その言語に成り立ちや背景で
人、、語族はそれに主観をいれて使用する。
上記のような僕の視点は、明るい=正しいという日本的な主観もあれば、
抽象名詞に性差を入れてしまうフランス語のようなものもある。
他の言語を理解、翻訳する際に
その背景もかいくぐって、訳さないと意味が伝わらないと思う。
最近、英語ができる人と会ったが
英語はできるが、人の心が全く読めないので
全然コミュニケーションが出来ないことにがっかりした。
ある意味
輝いていましたよ、その人は。イー意味で。
画面インターフェイスプログラム開発の際に
「エラー箇所を高輝度させる」
という仕様に、どういう意味か悩んだが、
エラーフィールドの文字の色を変えるものだった。
輝度という日本語は
輝くという意味で自分のなかではプラスイメージであったとしても
翻訳する人が
highlight
を、強調させるの意味を、高輝度させるとしている意味に使ったために
文脈的にマイナスイメージになってしまったといえる。
語彙の意味に主観はない、ただ意味を持っているだけだから。
しかし、その言語に成り立ちや背景で
人、、語族はそれに主観をいれて使用する。
上記のような僕の視点は、明るい=正しいという日本的な主観もあれば、
抽象名詞に性差を入れてしまうフランス語のようなものもある。
他の言語を理解、翻訳する際に
その背景もかいくぐって、訳さないと意味が伝わらないと思う。
最近、英語ができる人と会ったが
英語はできるが、人の心が全く読めないので
全然コミュニケーションが出来ないことにがっかりした。
ある意味
輝いていましたよ、その人は。イー意味で。
2012-11-12
2012-11-09
石油
石油って何だろう?
僕が小さいときに、
化石燃料ということで、
古代生物が死亡した後、その屍骸から生まれると言われていた。
未だに、この話を信じている人がいるだろうが
真っ赤なウソである。
そんなにいっぱいの屍骸が中東に集まるものか?
そんなに大量の脂が集まって出るものだろうか?
石油について
人間は本当に理解していないといえる。
化石ではないということが明確でもではいったいなんなのか?
そして、石油が燃えて生まれた技術について、
安全性の心配をいつも口にする。
・石油の枯渇
・石油製品の健康被害
・石油燃焼による温暖化
でも、上記不安には実際何も根拠がないと言い切れる。
・後数年で石油は枯渇すると言われて、、未だいや、今では無尽蔵のような言われ方
・石油製品だけの問題ではない健康ブームの他社製品批判
・氷河期を繰り返す惑星、地球、その規模からしたら温暖化って些細な事象なのに
自己主張のワイルドカードになっている石油問題。
根本的に悪いのは
石油を無理解な人間そのものということを
主張する意見を聞くたびに強く感じてならない。
僕が小さいときに、
化石燃料ということで、
古代生物が死亡した後、その屍骸から生まれると言われていた。
未だに、この話を信じている人がいるだろうが
真っ赤なウソである。
そんなにいっぱいの屍骸が中東に集まるものか?
そんなに大量の脂が集まって出るものだろうか?
石油について
人間は本当に理解していないといえる。
化石ではないということが明確でもではいったいなんなのか?
そして、石油が燃えて生まれた技術について、
安全性の心配をいつも口にする。
・石油の枯渇
・石油製品の健康被害
・石油燃焼による温暖化
でも、上記不安には実際何も根拠がないと言い切れる。
・後数年で石油は枯渇すると言われて、、未だいや、今では無尽蔵のような言われ方
・石油製品だけの問題ではない健康ブームの他社製品批判
・氷河期を繰り返す惑星、地球、その規模からしたら温暖化って些細な事象なのに
自己主張のワイルドカードになっている石油問題。
根本的に悪いのは
石油を無理解な人間そのものということを
主張する意見を聞くたびに強く感じてならない。
2012-11-08
灌漑
農地に外部から水を人工的に要求すること。
現代日本人にはなじみのなくなってしまった概念だが
灌漑の考え方は物事の進める集大成ではないかと思ってならない。
水は高いところから低いところに流れる。
この自然の法則の前提をもとに
地質調査
適する農作物選定
工事技術
治水工事の工程管理
水利権の分配法制
と
大学の学部すべてに横断するレベルのものが求められている。
好景気だったとき
発展途上国に灌漑の技術支援支援をしていた日本は
技術を誇っていたのではなく、
その技術を相手国が敬うものだった。
って考えると
灌漑の概念が失われた今の日本は
技術を発展させる土壌もないのでは、、、
そんな国が、未だに高い技術力というのは、、いい加減失笑レベルに感じてならない。
2012-11-07
都会
都会と都市の違いは?
都会と田舎の違いは?
都会という言葉自身、とても曖昧である。
一つ言えるのは、この言葉は、比較、蔑みを内包している。
都市の反対は、村落という地区、地域をさすが
都会の反対は、田舎をあてることが多い。
田舎という言葉に、田があるように農業、
都会という言葉に、会が会社と当てれば、商業を暗喩する。
農業よりも商業のほうが上のようなイメージをもたらす。
士農工商と逆の意味になっていることに、
歴史的な思いを感じてならない。
都会という言葉の示す定義がかなり曖昧なのは
その真意が地域差別に通じるし、
今までの身分制度への批判も内在していると考えると
結構、言葉の成り立ちは奥が深いと思うし、
都会と都市の使い分けへの真の理解ってほぼ無理だなって思ってしまう。
都会と田舎の違いは?
都会という言葉自身、とても曖昧である。
一つ言えるのは、この言葉は、比較、蔑みを内包している。
都市の反対は、村落という地区、地域をさすが
都会の反対は、田舎をあてることが多い。
田舎という言葉に、田があるように農業、
都会という言葉に、会が会社と当てれば、商業を暗喩する。
農業よりも商業のほうが上のようなイメージをもたらす。
士農工商と逆の意味になっていることに、
歴史的な思いを感じてならない。
都会という言葉の示す定義がかなり曖昧なのは
その真意が地域差別に通じるし、
今までの身分制度への批判も内在していると考えると
結構、言葉の成り立ちは奥が深いと思うし、
都会と都市の使い分けへの真の理解ってほぼ無理だなって思ってしまう。
2012-11-06
想定
この社会での計画や実施は難しい。
自分がいくら想定して考えても、その想定通りにできることは難しいし、
想定通りにできないことについて、他人は
「そんなことも、想定していなかったのか?」
と平気で指摘してくる。
悲しいかな、
情報取得が多くなっている今だからこそ、
想定することが困難になっているともいえる。
自分のとりえる情報で行動を行っても、
それとは異なる情報収集で想定を覆すことが可能になっている。
また、平等、能力主義はその他人を否定すること、
それにより、相手を委縮されることへの配慮がないに
容赦ない概念だけに、、
最近、提案などが少ない理由の多くが
このように、いろいろな考慮への想定を否定することがあるからだと
僕は感じる。
他人の想定を否定することは
他人の視野や行動を抑止すること、それは自由の否定であり、
平等、能力を肯定している社会として相反する気がしてならない。
想定することに対して、少し寛容、少し支援的な姿勢に
社会全体として向かわないと成長できない状況と今の日本を俯瞰して思う。
2012-11-05
分掌
難しい言葉に感じるが
仕事を手分けして、役割を持つという意味である。
幼いころから、この手のことはずっとしてきた
集団生活を行う前提条件である。
集団生活の前提条件であるが、
この分掌が実は人間の争いの中心である。
自分のやりたいこと≒自分の分掌
と思うことが根本であり、
その思いが、他人の分掌と抵触する。
「自分のやるべきことではない」
「お前がなぜやらない」
ということから、いろいろともめごとが起こる。
実はこの分掌感は身分制度がある時代にはない概念だった。
支配層からの絶対命令に従うだけである。
だから個々での争いはなかった。
支配層と被支配層の争いが歴史に残っているが
それはレアだからこそ、教科書に残るので
起きていない数百年の間、問題なかったという考え方もできよう。
平等があるから分掌で争いが絶えないこの時代と
何もなく言われた通りの仕事を充実して行っていた身分制度の時代
比較できないと庶民は言うが
案外、身分制度があったからこそ、
自分の役割、分掌が明確で、
責任感満たされていたのではないだろうか?
仕事を手分けして、役割を持つという意味である。
幼いころから、この手のことはずっとしてきた
集団生活を行う前提条件である。
集団生活の前提条件であるが、
この分掌が実は人間の争いの中心である。
自分のやりたいこと≒自分の分掌
と思うことが根本であり、
その思いが、他人の分掌と抵触する。
「自分のやるべきことではない」
「お前がなぜやらない」
ということから、いろいろともめごとが起こる。
実はこの分掌感は身分制度がある時代にはない概念だった。
支配層からの絶対命令に従うだけである。
だから個々での争いはなかった。
支配層と被支配層の争いが歴史に残っているが
それはレアだからこそ、教科書に残るので
起きていない数百年の間、問題なかったという考え方もできよう。
平等があるから分掌で争いが絶えないこの時代と
何もなく言われた通りの仕事を充実して行っていた身分制度の時代
比較できないと庶民は言うが
案外、身分制度があったからこそ、
自分の役割、分掌が明確で、
責任感満たされていたのではないだろうか?
2012-11-02
2012-11-01
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