2015-08-31

経絡

経は経脈を、
絡は絡脈を表し、
古代中国の医学において、
人体の中の気血榮衛(気や血などといった生きるために必要なものと考えられていた。
とされる。

考えられていた、という発想が僕からすれば
何を言っているんだ、、って言いたい。

針灸を知る僕らすれば、経絡こそ医学であり、
西洋医学の知識のほうは論理学としか感じられない。

どうも現代は、西洋医学に毒されすぎである。
解剖や化学反応に特化して、あたかも正しいような説明をしているが
西洋医学って結構わかっていないくせに正しいようあ嘘をついていてることが
その嘘が嘘とわかると、新発見ってか言い出してくる。

対して、経絡などの感覚であり、経験からの効果は
説明は必要なく結果が出ていている。

胡散臭い説明ばかりで、本当に効果があるかというところを蔑ろにする西洋的な発想より
なんだかわからないが、経絡を理解して行えば、過去の経験からこうすれば効果的の
ほうがいいのではないかと思ってならない。

解剖学の前提で、開腹手術。
本当は開腹せずとも治るほうがいいはずなのに、
わけのわからない理由で開腹する現代社会になんか、
なぜ多くの人は違和感を感じないのか?

僕は開腹手術で医療事故を医師たちに言い訳されてから本当に医療を信じていないからね、

2015-08-28

再建

衰え滅びたものをもとのように築き上げること。
でもそれって、全く新しいものではないのか?
再建というの思いは、
昔をよしと固執する妄執ではないのか?

新しいものを新しいと認めない安心感、信頼感をもつから
再建というわけであり、その再建という発想自体が
社会の新陳代謝を阻害しているともってならない。

2015-08-27

蛍光

発光現象の分類。最も広義には、ルミネセンスによる光(発光)全般を指す。 
広義には、
ルミネセンスのうち、電子の励起源が可視光より短波長の電磁波による発光を指す(フォトルミネセンス)

というが、蛍光とは蛍光灯の明かりとしか感じないのが現代日本人。
もっと言ってしまうと、蛍光って蛍の光であり、
当て字にしてもひどい。
日本語、いろいろな意味で、、論知的というより、伝わらない言語だなあ。

2015-08-26

常用

日常使用すること。
といいながら、常用という言葉は日常には使われなく
使われるとしたら、常用漢字という4字熟語の時くらいである。

日常使用されるというものは意識されなくなることであり、
いわれてみれば、そうだったというものが多い。

昔年寄に言われたことは
「自分の考えたサービスが、日常といわなくても、人々の中に溶け込み
 当たり前になることがビジネスでの社会貢献といえる。」

将来、そんな常用になるサービスを興したいものだ。

2015-08-25

添加

別の物を加えること。
でも、、、添加物っていうと、
あらかじめセットとみなされているものを指していると思わないか?
それは別のものというより、ある種決められた組み合わせとなり
添加とはいえないのではないかって思う。

元来、ちょっとした組み合わせだったものが
ことのほか好評だったので、
それが定常化するものを添加というのは、、
そろそろ言い換えるべきと思うなあ。

2015-08-24

虐待

自分の保護下にある者(ヒト、動物等)に対し、
長期間にわたって暴力をふるったり、
日常的にいやがらせや無視をするなどの行為を行うこと

でも、僕は虐待の感染病であり、社会生活をするときに
全員感染してしまっているものと考える。
とりわけ、現代社会はそれが顕著である。

あるものが、目下の者を叱る。
しかし、叱るという行為自身がもはや虐待と他人には見える。
当人の意思は届かない。
その虐待とみなされた人に対して、バッシングなどの行為を行う。
僕からすれば、それもまた虐待である。
ある行為を虐待とみなせば、それに関わるものはみな虐待行為に関わっていまう。
しかし、当人は自分の行為は虐待ではなく、他人の行為は虐待と騒ぎ立ている。

これって、魔女狩りなどでさんざん人間は厭な思いをしてきたのに治らないのは
根本的に人間の本性そのものだからではないかって悟ってしまう。

2015-08-21

何様

自分を見つめて
自分にとって都合のいい存在を洗い出してみる。
そして、自分が逆にそう思われる存在としたら、どう思うか。
不快だったら、その関係は良くないないというか
ただ相手を利用しているだけであり、いつか破綻するんだろうなって思う。
僕はこのシミュレーションに長けているから

自分に置き換えて考えることで最低限の付き合いを続けられることが多い。
人間関係なんてそんなもの。
なのに、、多くの人たちは自分のことを棚において
「あいつは何様のつもりだ!」
って自分こそ何様って思うことを平気で言い出すから、、本当に人間はダメだなあ。

2015-08-20

不純

純粋・純真でないこと。
よく、不純な動機と揶揄するが、それって熟考したってことと同義だとおわかりか?
不純であるということは、複合、混合つまりはいろいろな切り口を持つということである。
純であるということは、無知、何もできていないという表現が伴い、
純であることがいいというには、、なんか偏見、差別のような気がする。

純粋であることが正しいという価値観そのものが
社会から不純な動機とみなされかねないメビウスの輪の論理になるような気がしている。

2015-08-19

極書

きわめがきと読み、実は鑑定書のことである。
極め書きというからには、
極めた人によるお墨付きということで。

僕からすれば
現代価値ってそのものではなく、
鑑定書がその価値を維持しているといえる。
だって、鑑定書がなければ、差異がわかるわけないんだから、現代人ごときが、、
つまりは、誰かの決めた基準に従うことが価値という感じがしてきてならない。

ある意味、人間の極めた姿鑑定眼ってこれではないかと悟ってしまう。

2015-08-18

英傑

知力、勇気などのすぐれている人。英雄豪傑。
つまり、英傑とは英雄豪傑の略語だそうだ。
最近、英雄がいない、豪傑が出てこないという人がいる。
そんなの当たり前だといえる。
英雄、豪傑は後世になりいわれるもので、当代のうちにそう呼ばれる人はある意味
ばったもの、忘れ去られる存在ではないだろうか?

武力、暴力批判の現代社会では
英雄、豪傑は出てこないかもしれないが
ある意味、仕事の仕方、決断、実績からそれに見合う評価はきっとあるだろう。
そう呼ばれるような存在になりたいと思うと同時に死んだ後にどう評価されるかなんて
どうでもいいかなあって思ったりしてしまう。
この文章を読んで、批判的に思われても
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや と思ってしまうがね。

2015-08-17

座学

教室の席に座り、先生の話しを聞くタイプの授業、講義。
一般的な授業というものは、座学である。
しかし、座学というものはあまり身につかないということがわかっている。
人間は五感で概念を理解する。
座学は、視覚、聴覚だけである。
しかし、現場主義、、OJTだと、
触覚が加わり、場合により、味覚、臭覚も出てくる。

ではなぜ、座学が多いのか、、それは安くかつ無責任にできるからだ。
紙と机があればよく、出席していればそれに参加したといいきれたりするからだ。

本当に役立つものを身に着けたいなら、
座学を否定する社会にしないとならないかもって思う。

2015-08-14

空缶

飲み終わった飲料の容器で、主にアルミ、スチールのものをさす。
お気づきだろうか?
最近の缶コーヒーの缶がスチール製からアルミ製に変わってきていることに。

そもそも、なぜ缶コーヒーはスチール缶だったのか?
その理由もまたわからないままだと思う。
缶飲料で怖いのは致死率の高いボツリヌス菌があり、
それは高温滅菌をする必要がある。
乳成分はその対象であり、
缶コーヒーは当初ミルク入り加糖が当たり前だったため
高温滅菌をしなくてならなかった。
その高温滅菌にアルミが熱膨張する素材のために耐えられず
スチール缶になっていたというわけである。

しかし、この定義、および当時の技術から
現代は進化していて、アルミの材質アップ、そして
製造工程でボツリヌス菌が入らない衛生管理と
ボツリヌス菌がいるかどうか検査の仕組みも改善されてきたので
コスト、軽量化に優れるアルミ缶で缶コーヒーが出せるようになってきた。

理由を調べれば、そういう理由で変わったとわかるが、
多くの庶民は
「あっ、言われてみれば、入れ物がちがう、でも味が同じならどうでもいい」
とか言い出すだろう。

それって、日本古来の価値観、
目で味わうという概念も理解できない愚民であると僕は感じるし
そういう感覚だから、相手とのコミュニケーション、そしてビジネス感覚が
おかしく経済が活気づかないと思ってならない。

空き缶一つからでも、いろいろなことがわかるように感覚を研ぎ澄ます気概が
なさすぎるぞ、現代人は。


2015-08-13

独善

自分だけが正しいと信じ込んで行動する態度。ひとりよがり。
悲しいかな、当の本人は自分がそうだと気付かないから
独善という評価を他人から受ける。

自尊心が高い人間が増えたせいか
「こんなことも知らないのか?」
と言い出す輩に対して
「はーー、何を言っているの?それって何?あなたの妄想?」
と言い返す。

もうどっちもどっちだと思うような議論、いや口喧嘩が実に多い。

確かに、自分の経験は何よりも実体験なので自分の中では正しい。
しかし、それは自分の経験であり、他人の経験などはその対象どころか
自分が経験していないから、どうでもいいという風潮が顕著になってきている。

独善という表現は善ではなく、他者を悪とみなす意味表現の象徴に感じてならない。

2015-08-12

反対

物事の位置・順序・方向・あり方などが逆の関係にあること
現代だと、反対運動が挙げられる。

今の大きな反対運動って原子力発電所の再起動。
日本人を長期的世代を超えてみると
本当にバカな民族だ。

現在、
現在、年寄が原発反対って騒いでる。
「未来のこともたちのために、再稼働させるべきではない」
といっている。

対して、その子供たちが本当にそう思っているか、
もしこれからの電気需要を抑止してまで原発を止めるべきか!
もしかしら、年寄と反対かもしれない。

なぜこういう言えるか。
それは今、反対と言っている年寄の親たちが
高度成長期に
火力発電所の排ガス
オイルショック
拡大する電力需要から
「未来の子供たちのために、原発導入は必須だ」
として原発を推進してきた。

親は子のために、と言いながら、、
しかし、子は親と反対の意見を言い出す。
親、子、孫とそれぞれの世代が
未来のためといいながら、自我を押し通すのが
この国の伝統なのか。

後50年たてば、
「原発をなぜ否定したんだ、電気が足りないではないか!」
とまた言い出すのは、人間を俯瞰している僕からすれば見えた未来でしかない。

2015-08-11

連責

連帯責任、、
ビジネスマンで低位の者が非常に迷惑をこうむるポイントと僕は思っているし、
これを解決させることこそ僕のビジネスソリューションだと思っている。

イメージを具体化させて伝えよう。
上司の命令でその仕事を行うが、自分ではそれでは良くないと思っている。
その思いに対して、信念をもって苦言を呈せば
上司から使えない部下として、社内に噂と評価を流されて
出世どころか、その会社に残れやしなくなる。
逆に従えば、いつかはその問題が明るみに出たとき
第三者から、
「なぜこんなことになっている、わかっているならなぜ改善しなかった」
と共犯者のように扱われる。

やってもやらなくても、報われない、連帯責任を負うのは
現代社会の大きな問題。まして、そういう使えない上長というものが
上記の温床で大量発生している。
何もしないで、失敗しない人間が周りの失敗から昇進してしまったり、
机上の空論で他人を批判、自分の失態は自分の理論を実現できない部下のせいと
権力を使って言い出すことが許される現状なのだから。

僕は思う。
ピンポイントではこのような危ない状況を改善できると自負はある。
しかし、社会全体がこうなっている以上、部分最適より
いっそ破綻して再創造するほうが、全体的にいいのではないかと。
ダメな人間に関わるものすべて生命に関わるくらいに大きな破綻がこの社会には必要と思ってならない。
過激かもしれないが、そのくらいのことが起きないと現代社会は変わりはしないのだから。

2015-08-10

水質

その水の性質や化学成分のことであり、
水質検査などで内容を科学的把握する際に使われる。
思うに、水質という概念そのものが
ある意味、日本独特かもしれない。
水質をちゃんと調べて、その結果で行政が動くということだけでなく、
飲み水として大丈夫という基準をつけることなど
外国では発想すらないものである。
蛇口を捻って飲める水は必ず水質検査に合格した証拠を立証できることは
日本が本当に水に恵まれそして、水への徹底した管理意識が高いと言えるし、
ある意味、外国のミネラルウォーターなんかより
日本水というものを日本ブランドで売るべきだと思っている。
たかが水にお金を払うか、、、というが
この間まで、お茶をコンビニで買うなんておかしいと言われた昨今から考えれば
もう水になってもおかしくないと言い切れる。

2015-08-06

漢文

古代中国の文語体の文章のこと。

気になる。
大学入試試験で、国語に漢文問題がある。
漢文は国語か?
漢字がだからというが、ならカタカナも英語とみなしてもいいといえるではないか!

どうもこの国の考え方は偏っているとしか言いようがないし、
それを指摘する僕のほうが考え方が偏っているとされることが多いのは
社会全体が、はだかの王様となっているのではないかと思ってしまう。

2015-08-05

好評

よい評判。
、、、いや、なんでもないこと。

広告代理系の仕事をしていたのでわかるのだが、
発売前にTVCMを作成し
放映されることを見込んで
「好評発売中」
と銘打っている。

誰も買っていないものなのに、、、
これはもうお約束で、ただの接頭辞でしかない。

よって、
「君はお客様に好評だよ。でね、」
なんて、目上の人から言われた場合、
あーー、ただ、なんか命令したいだけなんだなあ。って
思ったほうがいいとりかいしておくべきだね。

2015-08-04

異才

人並み外れた才能。
これっておかしくない?
才能って言われること自体、人並み外れているから才能といわれるものであり、
それをまた識別して、異才と言うのはどういう理由なんだろうか?

日本人は基本、他人と同調、一緒であることをよしとする。
それが今までの価値観であり、人と違う能力を忌み嫌ってきたこともあり
他人に畏怖を与えるものは能力であっても、異なるものと見なしてきたから
異才という言葉が生まれたとも言える。

最近の能力主義偏重の現代化
そして、いまだ残る能力への畏怖、忌み嫌い。

だから、日本では能力主義とそれを批判する発想が同勢力で蔓延しているようで
それが社会的停滞を招いているように感じるのは直視できている自分だけのような気がして
それもまた異才なのかなあって思ってしまう。

2015-08-02

珈琲

コーヒーはもう日本では普通の飲み物、というか喫茶とみなされている。
紅茶、烏龍茶と違い、茶葉ではないのに、
お茶扱いされているのは僕個人としてはどうかなって思ってしまう。
それだけ、コーヒーが生活に馴染んでいるといえるが、
そのコーヒー自体、日本では何一つ製造できないということも
ある意味、日本の食生活文化の象徴とも言えるような思いがあるね。