2016-10-31

昔話

日本古来の民話であり、、ある意味、日本の道徳を慣習的に伝える教材といえる。
、、とすれば、現代社会の矛盾を感じずにはいられない。
日本の昔話の特徴の多くは
~無口
~無欲
~神の力により報われる
が基本と言い切れる。
対して、現代社会は
~自己主張
~個人営利主義
~化学的立証できないものは認めない
となっている。

日本的道徳心を高めれば、
現代社会では認められないではないか!

道徳観を言い出すのなら、社会変化を考え
昔話などの価値観の撤廃をしたりしないとならない。
しかし、バカのような改訂で今の桃太郎のように
~家来と平等
~悪事を行った鬼に制裁なし
としてしまい、道徳どころか秩序も失われるのだから
道徳も秩序もある意味、過去のモノになったのではないかって思ってならない。

2016-10-28

昵懇

読めますか?
答えは、じっこん。
昵懇の間柄。
仲がいいという意味だったりするが、
漢字にするとなんかそうは感じないのは、面白い。
そして、昵懇の間柄っていうとなんか違法性の匂いを感じてしまうのは
職業病なのかなあ。
でも、得てしてそういう結末になることが多く、
これまたイメージで損する表現と言わざるおえない。

2016-10-27

詰腹

他から強いられて切腹すること。
転じて強制的に責任をとらされたり辞職させられたりすること。
でもこれって、主観的な被害妄想でしかないといえる。
この時代、能力主義ということは責任回避することも能力。
詰腹を切らされることは、ある意味能力がないこと。
逆に、自分の責任を他人に押し付けて、詰腹を切らせるべきだ。
そんな恥ずかしい、ひどいことっていうが
詰腹を切った側など、残った人間にいいように悪玉にさせられるいい材料でしかない。
みよ、明智光秀、石田三成がいかにひどい扱いを受けているか!
どう考えても詰腹を切らされた有能な人たちの典型例ではないか!
彼らを悪役に思うより
彼らにならないようにすることがある意味、彼らへの供養かもね。

2016-10-26

心太

「しんた」?
いえ、「ところてん」と読む。
この字だけでも変なもの。
そして、この食べ物、、どうやって食べる?

甘い
すっぱくさっぱり
旨味を利かせて

地方により
黒蜜
三杯酢
だし醤油
といろいろとあるそうだ。

つるっとしたそのゼリー状の食べ物。
日本のいろいろなところが見えてくるものかもしれない。

2016-10-25

効用

ききめ。効能。
経済学で、財貨が消費者の欲望を満たし得る能力の度合
僕が思うに、経済活動、、人間が一番求めるものってこの気持ちではないだろうか?
効用が満たされることが、自分の欲求だけでなく、その効用を企画したものの思いも
満たされるといえる。
効用がすべての結果といえるような気がする。
だったら、何事も効用があると思えばいいのではと思うが、
人間はそう簡単ではなく、欲求と同じくらい不満を持っている。
が、その不満こそ効用を満たすための要素でもあるから
人間の本能って面白い。。。
おや?ちょっと待てよ。
多くの宗教って無欲を最上に考えるのは、、、
人間の持つ本質に目を背けていないか?
また無欲になった聖人は聖人ではなく、人と呼べる存在ではないではないか?
僕はこういう疑問を感じてしまう。
効用こそ人間が求め、与えるものと思うだけに。

2016-10-24

論功

功績の有無・程度を論じて決めること。
論功交渉などいうが、なんか過去の、、戦国時代のって思っている人がいないか?
これって身近な査定、プロモーションそのものである。
考え方を変えれば、
大した実力でなくても、論功で大きな成果にしてしまえばいいといえる。
ある意味、戦火の中では安全な功績を得る方法である。
多くの人間は、そんなの実力ではないっていうが、
あえて言えば、これこそ実力であり、いろいろと行動することなど
実力ではなくただの肉体労働、、労奴でしかないといえる。
欧米のいうホワイトカラーとは何か?
計画系と実行系で評価、高給取りが多いのはどちらか?
そこを見失ってはいけない。
旧来の価値では、仕事をしっかりしていれば、評価されるというが
それは作業員として、労奴としてであり、決して権力を握れると思うべきではない。
現代の能力主義を真に理解することはこの事実を念頭に考えないのは
生きていることが無駄とも言い切れるのだから。

2016-10-21

短観

全国企業短期経済観測調査 のことで、日本銀行が作り出した熟語。
日銀の一面、調査機能が導いた結果で国際的に信頼されて
TANKAN という言葉で広わたっている。

台風がtyphoonになったように、
改善がkaizenになったように、
熟語が英語でも使われるようになると日本のビジネスも
まだまだ捨てたものじゃないって思えてくる。

2016-10-20

太鼓

動物の皮などで作った薄い膜を枠(胴)に張り、それをたたいて音を出す楽器。
象徴的な打楽器。
で、日本の民衆に古くから慕われている楽器ともいえる。

叩くだけで音ができること、その音が楽しいから音楽ともいえる。
太鼓囃しで古来日本人は祭りを感じたりしたらしい。
太鼓の音が娯楽だった時代は、、古き良き時代だったのか?
それともつまらない時代だったのか、
人の価値観かもしれないが、太鼓というものが
それだけ日本人のノスタルジーに訴えるものって感じてしまう。

2016-10-19

幻想

非現実的な事柄を思い浮かべる事。想像のこと。
しかし、この幻想を幻想のままにしないことが進化といえないか?
飛行機
高層マンション
ITを駆使した携帯電話
など、100年前からすれば幻想の世界の話であったが、
今では当たり前のこと。

でも現代社会に思うことは
幻想といえども、想像できた事柄が存在し、それを実現させている。
しかし、現代社会において、幻想たる想像の兆しが全く見られない。
幻想なくして、進化なし。
この先の未来に期待できるとは言えない。

幻想を夢みる社会のほうが健全だったと思ってしまう。

2016-10-18

耐久

長く持ちこたえること。
日本人は耐久性が高いものをいいものという。
長く使えるものがいいものという。
しかしだ。
現代社会において、長く使っているものに信頼感がない。
いくらいいものでも、10年ものなどは倦厭されるし、
長く使っているものが少しでも支障をきたすと
「そんな古いものを」
って声が上がる。

本当に民意ってひどいなあ。
自分がいいと思っているほど、
他人は批判し始めるし、それが他人である自分たちに迷惑をかけていると
いうロジックを生み出すのだから。
どんないいものを使い込んでもろくなことがない。
考え方によっては
自分がいいと思うために、他人を不幸にすることに問題あるか!
って言い切れるようにならないと価値は存在しないと言えないか??

2016-10-17

漁読

もしかしたら、僕の造語になってしまうかもしれない。
しかし、現代社会の熟語の多くは
明治時代の翻訳や活字により生み出された言葉が多く、
逆に今、新しい熟語が生まれないほうがおかしいとおもうこともある。

本題に戻そう。
僕は本、書籍を数多く読み、ただ読み漁っているだけである。
人によっては、どんな書籍からも得るものがあるとか、
ひとつの書を暗唱できるまで読み込むとか言い出す人も言える。
僕からすれば、その書の中に、
少しでも自分の人生に役立つ文が存在するかどうか
それだけのために読み漁る。
はっきり言えば、現代の作家、執筆家の著作物など
大したことないと見下してしまうことがある。
それは物であり、そのモノから何を得るかだけである。
道具、食材、と書籍は同価値しか僕は感じてない。

ある意味、製造物、生産財に過ぎないとみなしている。
その中で好き嫌いをもって、ものにあたることは現代人として当然であり、
その中で自分にとって都合にいいものがあれば、それでいい。
そのために、そのいくつかをみつけるために、読み漁っている。
漁っているのは、自分の金で買っていて、その対価において、
使えないと判断できるのだから、別に問題ないと思っている。

本を多く読んでいるから偉いではなく、
多くの本などの情報から、気の利いた発言、行動ができるか
それが偉いかどうかであり、読書は手段にすぎず、
その手段の在り様として、僕は漁読をしていると感じている。

2016-10-14

勤務

職務をもってつとめること。またそのつとめ。
知的産業界において、
考えている時間は勤務時間ではないだろうか?
逆に出勤していても考えていない時間は勤務時間ではないといえないか?
弊社はできるだけ勤務行為を優先させるで
出勤稼働時間にこだわらないことにしている。
ただし、社会秩序の範囲は守るように考えてはいるが、、、

考えるときって、職場より自宅や歩いているときのほうがいいアイデアに行きつく。
そう考えると、勤務時間ってなんだろう。
一つの場所に監禁して、何も思いつかなくされるのは
なんかばかばかしく感じる。
社是として、こういう考え方から脱却したビジネスにしたいものだ。

2016-10-13

律儀

義理がたいこと。実直なこと。
考え方によっては、頑固、柔軟性がないといいきれる。
日本的な美学では一本気を褒めるが、
経営、采配においてそれは批判されることばかりだ。

確かに一度受けた恩や筋通すほうが潔く、、そして楽だ。
そう、楽なのだ。
しかし、現代社会、楽では成り立たない。
なぜ、方向転換するのか?
これまでを否定していいのか?
に答えることができないとビジネスでは前に進まない。

律儀であることは、もはやただの偏屈と言われても仕方ない。

2016-10-12

演目

上演される演劇・演芸などの題目。
サービス、イベントを一言で言ったものでなくてはならない。
これって惹句の世界であり、いかにインパクトがあるものにしないとならないが
時代は繰り返すのか、またやたら長い演目名が出てきたりしている。
その長さに
「自分たちの作品を一言で表せないからこうなってしまった」
バカか、、、
自分たちの作品を演目名で説明しなくてはならないということは
その作品を見る意味、そしてメッセージがぼやけるではないか!
自分たちの投げかけるサービスに自信をもって演目をつけ行動することなくして
何がプロか、、って思ってならない。

2016-10-11

怪盗

フィクションに登場する盗賊。
一般に手口が鮮やかであったり、神出鬼没な者を指し、「泥棒」とは区別される。
盗みは良くないとされる社会、
しかし、それゆえこの怪盗には称賛や憧れが注がれる。
社会秩序ゆえの搾取されたものを取り戻す行為は
盗みであっても正当化されるという願いを込めて。。

思うに、怪盗は、快盗 としたほうがいいのかなあって思ってしまう。

2016-10-07

祝儀

時節や時期や機会や出会いなど、
人生や日常においての節目節目に金品を贈る行為。

僕の持論だが、ご祝儀を金銭で処理しないで、ビジネスとつなげるのは愚行だ。
祝儀は金で解決すべきだ。
「結婚するんだって、ご祝儀で仕事をやる」
「アイツは子供が産まれるので、昇進させた」
日本の悪しき文化であり、そして全く能力主義ではない。
能力主義でない年功序列社会そして鎖国ビジネスであれば
これは効果的なやる気促進行為だが、現代社会では癒着、不法行為の温床と見なされる。
日本人は金で解決することを悪いという発想だが
金で後腐れなく処理することができないほうが悪いとなぜ理解できないんだろう。
現代の日本人は、、、

2016-10-06

素行

平素の行い。ふだんの品行。
僕からすれば、現代人の多くは素行が悪い。
その悪さを指摘すれば、より悪い行動の抗弁をし始める。
いくら言ってもダメなもの、
つまり素行が治しようがないものは、、、
古来日本では、躾、罰を与えていたし、場合によっては
神隠しを行い、いなかったことにした。
今の日本ではそれができないから、より素行が悪化すると思ってならない。
みんなが嫌な思いをしないために、素行で人の存在を決めることは
決して悪いことではないはずのに、、なぜか、人を間引くことを良しとしないのは
古来日本の文化への冒涜に思うがね。

2016-10-05

粗品

他人に贈呈する品物の謙遜した呼び方である。 粗末な品物という意味。
粗品といいながら、粗品であってはならない。
これが日本の文化。
手柄を誇張しないこと、これが日本の美学。
だから、自分の成果を誇張する能力主義は美的ではない。
この文化と評価の矛盾がおかしい能力主義を導いている。

どうなんだろう、日本の美学ってどうしていきたいんだろうこの国は、、
まー、何も考えていないんだろうけどね。庶民は。

2016-10-04

役職

役目や職務のこと。特に管理職をさす。
いやはや、日本の管理職という概念の曖昧さゆえの
不満が多くて面白い。

管理職という言葉に多くを期待しているが
期待している人間ほど、自分が何もできていないことを無自覚に
発言していることが多い。

日本の管理職に求められていることは
進捗管理  management
作業指揮  leading
企画計画  planning
説明責任  presentation
苦悩相談  counseling
を何から何まで管理職の仕事にしている。

しかし、すまないが、現代日本人にこのうち、
3つ以上できる人は存在しないと言い切れる。
僕とて、状況にはよるが、2つ以上、3つ目は無理といえる。
その足りないところを補助するのも部下の仕事なのだが、
その部下たちは自分ができないのに役職上司に
すべてを求めるからうまく行かない。行くわけない。

僕からすれば己のできることは、まず上記のうち何かを明確にして
それ以外を部下、外部組織に助けてもらうことを言える、聞ける組織にすることが
現代日本には急務だと思う、、が、無理だろうな、理解がなさすぎなんだよね。

2016-10-03

管理

外資系の日本企業で学び、それを絶対したくないと思っていることがある。

「管理とは、部下の手柄をいかに自分のものにするかの評価である」

これは綺麗ごと抜きで最も使えない発想である。
僕が人間をこき使うことに長けているとしてもこの発想ではない。

上記のような発想だと、そもそも手柄が発生しないし、
逆に足を救われるトラップを仕掛けられる。
実際問題、僕は多くの上司をトラップで失脚させた。
なんせ、僕は手柄立てることは簡単にできてしまうからだ。
その点をひけらかすのはどうでもよく、
問題は手柄を狙う管理をいかに否定したうえで
あるべき、、よりベターな管理とはだ。

あまり深くは考えないでほしい。
自分が管理される立場であれば、簡単だ。
~その結果、次に自分の利になる何かが用意されている
~その人が一番、自分の利に合っている次を提供してくれる
のであれば、手柄をその人のためにでも頑張ってくれるものだ。
大きな理想や
自己英達は
結局、一人のエゴにすぎない。

そして、エゴ、個人の思いを理解することが重要。
相手を管理するということは
相手を興味や次の可能性を示すことであり
それが結果的に自分の次につながるように調整することこそ
管理の本質ではないだろうか?