2015-01-30

典型

規範となる型。基準となるもの。
、、、、現代社会っで、典型的っていうときって
概ね、その発言者の思い込み、偏見でしかないと思ってならない。

この個性多様化の時代。
典型的という発想自体がありえないといえる。
そこで、相手に向かい、典型的っていう発言は
その発言者のつまらない人生経験からの発言であって、、
うーーん、バカらしいな。

2015-01-29

甘物

甘いもの。
科学的には糖質といえる。

現代社会では、糖質は目の敵にされる。
しかしだ。
人間の文化を育んだのは糖質の塊である、麦、米ではないか。
また、脳の栄養源は砂糖といわれているし、
甘いものは女子供にとっては好物とされる。

なんか、
人間って甘いものを目の敵していながら、
それが人間そのものの特性と歴史ということに
案外気づいていないなあ。

2015-01-28

進呈

人に物を差し上げること。

まー、日常生活ではあまり使わない。
渡す側として、進呈というほどものを渡せるほどのものを渡せるかというと
そして、仰々しく進呈なんて表現したら
もらう側が恐縮してしまう。

きれいな言葉、、
でも使い勝手が悪いっていえるねえ。

2015-01-27

花粉

種子植物門の植物の花の雄蘂(おしべ)から出る粉状の細胞。

でも、今は花粉症っていう問題のほうが大きな意味になっている。
花粉症という概念はある意味、人災、人が招いたことなんだけど、
どうも花粉のせいにしたがるのは、なんか人間のエゴを感じてならない。

植物は生体に従って、生殖活動の一環を行っているだけで
それを促進させようとした人間の植樹の結果でしかすぎず、
そこを考えてない日本人がわるいと思ってならない。

なんか、責任転嫁しすぎではないか??

2015-01-26

筆致

書画や文章の書きぶり。筆のおもむき。筆つき。

うーーん、もう感性の世界。
この表現にどう感じるかが問われるし、
それの良し悪しってどうなのって?感じる。

まーこのブログも見る人が見ると
筆致がわかりやすいものなのかなあ。

書いている自分にはわからんが。

2015-01-23

厳選

きびしい基準で選び出すこと。
とはいうが、その厳しい基準っていうものの厳選された条件なのだろうか?
たいたい、それは主観的、独断的判断である。

厳選というものはほぼ、
ある特定の人間の思い込みでしかない、
その思い込みをしている人を心酔できるかどうかである。

多くの人に選ばれたものについては
厳選なんて言わないのだから。

2015-01-22

粗探

他人の間違いに厳しいが
自分の間違いを全く認めないどころか、その指摘を批判する。

これが日本社会の能力評価だといえないか?
日本は、よりよいものを目指す傾向から
いいものを素直に評価しない、、それよりいいものという発想で
改善点という粗探しを行う。

そう、評価どころか粗探し。
それで、減点させる評価が染みついている。

だから、良くしようという思いより粗を認めないことで
その粗探し自体が粗であるという論理に変えて
自分の正当性、減点をさせないようにすることが、、今の能力評価、、、

うちの会社ではそんな愚かな評価はしないだけに、、
バカらしく外の評価を見ている。

2015-01-21

敢行

思い切って行うこと。

現代社会はそのことをさせない。

リスクがある。
無駄である。
その時の責任をどうとるか。

でも、動かないと何も変わらない。
何もしないで衰退することを是とするより、
敢行していろいろと経験することのほうが重要と思っている。

だいたい、何もしないからこそ
この社会は悪い方向に進んでいるような気がするだけにね。

2015-01-20

海馬

大脳辺縁系の一部である、海馬体の一部。特徴的な層構造を持ち、
脳の記憶や空間学習能力に関わる脳の器官。

なんで脳の器官なのに、海馬っていう名称なのか?
それは、その器官の形が、海馬、、タツノオトシゴに似ているからであり、、
タツノオトシゴは、海馬というの、、、なんか、、頭が混乱してしまう。

これは日本語訳、医薬用語がごちゃごちゃしているからであり、
中途半端な和訳がこれを導いている。

和訳と専門用語の乱立がある意味、日本語の英語を苦手にさせる要因なのかもね。

2015-01-19

預言

どうも日本人は回教(イスラム教)に対して、理解がないから勘違いしている。
預言であって、予言ではない。

預言者ムハンマドと
予言者ノストラダムスを同じように語るバカが
偉そうにしゃべっている人がいて、
こういう人がいるから、、、本当に失礼だと思ってならない。

預言者は
巫女、シャーマン、潮来 であり、
昔の中二病的な表現で言えば

神の地上代行者 

といえる。

お釈迦様、
イエスキリスト、
をバカにしていたら、結構、罰が当たるというのに、、

統計学的には
世界の信者数では

33% キリスト教
20% イスラム教
06% 仏教

であるし、この統計もキリスト教側の欧米観点での統計だけに
これだけ大きい宗教に対して、あまりにも世界は、
日本は、ひどい扱いだなあって思ってならない。

英語、グローバルとかほざく前に
こういう人の心の理解をもっとすべきだろうと思ってならない。

2015-01-16

諸説

 いろいろな説・意見。または、うわさ。
でも実際は、、思い込みの言い訳ではないかと思う。

自分の思い込みを言った後に
「諸説あります」
と付け加えれば、あたかもそれでいいとなり、、
現実において、不正解がなくなるともいえる。

現代社会のこの現象、、危なくないか。
自分の意見をあたかも一つの諸説ということで正当化させることはなんか
恐ろしいなって思ってしまう。

2015-01-15

工具

工作に用いる道具。

一つ質問。
コンピュータは工具だろうか?
多くの一般人は物を作っていないと言い切って
工具ではないと思うだろう。

しかし、現在社会において、モノづくりはもうすでに
手で作るより、設定などを画面で行っている。
つまりは、、コンピュータしか触らなくてもモノづくりを行ってしまう。

もっといえば、モノという存在も
手で触れない価値、サービス、電子媒体になっている以上、
工作という行為自体の概念も異なっている。

現代において、工具にコンピュータが入るのではなく、
工具=コンピュータということを自覚することこそ
現代人の認識の乖離を正すべきだとぼくは思う。

2015-01-14

動線

建物の中を、人が自然に動く時に通ると思われる経路を線であらわしたもの。

なんだけど、
建物を運営している側は 導線 であると考えている。

同じ ドウセン という音であることだが、
自発的に動くのか
それとも、半強制的に動かされるのか
で大きくイメージが異なる。

自分でそれを選んだという気持ちにさせるが
実はそれはこっちの企てた道筋だった。
それが物売り企業側の理想形なんだろうな。

しかしだ。
結構これって恐ろしい結果を導きかねない。
企業側の思惑通りの導線で購買が行われて
企業側は読み通りって思って、次もそれに準じて考えると
大きく失敗する。
それは、導線戦略の間違いではなく
そもそも、顧客はそんな導線ではなく、
気分のままの動線での購買だっただけだったり、、

マーケティングって案外そんなものではないかって思う。
考えれば考えるほど、バカらしいくなるからね。

2015-01-13

敵愾

敵に対して抱く憤りや、争おうとする意気込み、、
ってこの漢字読めるかな?

答えは てきがい

敵愾心に燃える という時に使うが
感情的にわかってもいざ書くことは難しい言葉。

本来ならば、敵愾心という概念は平和主義の社会ではあってはならないというから
覚える必要はない?かもしれない。

しかしだ、敵愾心ということは実に根深く存在する。
なんだかんだで、企業競争、スポーツなどで耳にする。
結局、人は平和なんか無理無理。
敵愾心あっての種としての向上心になるのだから、、
バカな平和主義とか、、本当になくそうよ。

2015-01-09

近日

近いうち。ちかぢか。
この定性的な日付の言い回し。
これが人の計画を狂わす。

近いうちということで
明日、明後日、などに行動制限がついてしまう。
その近日にイベントが発生するので
自分がいなくてはならないゆえに、ほかのこと、遠出ができなくなってしまう。
でも、人によっては近日という表現は
ただのリップサービス認識であり、
全くそのイベントを起こす気がない場合もある。
また、その逆でリップサービスだと思ったら
実際にイベントを起こされて不在だったということも。

近日とか、
定性的な期限表現は
効率化、契約主義の現代社会では
使ってはいけないというというルール、、
いや教育で洗脳するくらい必要があるはずでは?

2015-01-08

無事

普段と変わりないこと。また、そのさま。

無事であるということを告げるときには
何か災害、事故に見舞われた場合に使う。

ただ、無事とはなんだろうか?
怪我がないということ
精神的支障がないこと
ビジネスに支障がないこと
社会的に問題がないこと
無事という言葉にいろいろな意味を込めすぎて
何を確認すべきかを忘れてしまい、ただ無事のという言葉を当事者から
引き出したいという聞く側の論理で確認しているような。

無事ということは
当事者から報告すべきなのに、
ついつい、野次馬根性で聞きたくなるのは、
日本人の悪い習慣かもしれないな。

2015-01-07

言分

言いたい事柄。主張。文句。

基本的に言分といわれてしまうと
それは独善的見解の表れのように感じる。

それぞれの言分とされるが、
言分を口にする者としては自分の意見こそ一番と思っているし
現代社会では、言分を認めてしまうことが悪いという
自己主張の社会になってきているのでこれはこれでいろいろとおかしくなってきた。

こんな社会だからこそ
自分の言分とされるものをあんまり押し出しのは
僕としてはバカらしいし、恥ずかしいって思ってならない。

むやみやたらに自己主張させる、、
言分をむやみに蔓延させることを恥じる社会が僕は戻すべきだと思ってならない。

2015-01-06

正式

定められた正しい方式や、簡略化しない本来の形式に従っていること。

正しいってなんだろう?
正式の礼儀作法といわれるものが時代とともに変わる?
いや、そう思い込んだ人が自分が正しいとして
正式な礼儀作法を変えてしまう。

そう、正式なんてものは思い込み、権力に迎合する。
正式を盾にする論理、それこそある意味邪道なんではないかって思ってしまう。

正しさ、、
それはもう幻想、、
いや、正式とは他人を従わせる力を持った者の証しではないかと悟った。

2015-01-05

貧乏

年の始まりにあえてこの言葉で始めたい。
貧乏とは何か?

貧乏という定義を常に自分の恐怖観念として思い続けるとこそ、
貧乏を寄せ付けなく、一定金持ちでいられるものと僕は人生訓にしている。

基本、貧乏の定義は人それぞれに違う。
しかし、他人、、人的集団からすればある程度の基準で貧乏が定義付けられる。
その定義で人は貧乏とみなされる。

それゆえ、貧乏の基準、水準はそのTPOで変わるのだが、
そこに触れることとなる自分ゆえに、
その貧乏の域にいないようにあがくことが求められれる。

そう求められることが人の向上心につながるべきなのだが、
そこを否定して卑屈になる貧乏
貧乏に気づかない感覚が貧乏
自分が貧乏とみなされたくないから他人を貶める貧乏
これまで裕福だったから、いきなり水準が下がると自分として生きていけない能力貧乏
貧乏の本質は、、財ではなく、その考え方、生きる姿勢だと思う。

新年を迎えるにあたり思いたい。

自分がどれだけに貧乏に近く、そこからどう遠ざけるアクションを起こすか!
人それを、努力、hungry spirit とみなす

っと。