2015-12-28

改変

内容を変えて、違ったものにすること。
モノの捉え方によってはこれまでの事実を否定することであり、
実績の初期化ともいえる。

人間は自分の人生、行為を否定することはしたがらないが、
他人に対しては鈍感であり、改変というものの多くは
他人から与えられる何らかの力により改変は行われる。
だから、計画通りというときには改変とは言わず、よくて進化というくらいだろう。

改変がいい機会でもあり、そして崩壊の起点にもなる。
改変により、今まで行えなかったことができるようになるから、
それで変わるものもある。逆に今まで保っていたものがなくなるので
安定とされるものもなくなるが。

来年に向けて、弊社はいろいろなものを改変することになった。
上記の通り、何らかの力を受けている意識があるが、それも自覚したうえで
前向きに受け入れていくつもりだ。
保っていたものがなくなるからこそ、もう引き返せないという背水の陣で挑めるのは
ある意味、人生の醍醐味に感じるようにならないと、人生を楽しめていないと思わないとね。

2015-12-25

熟考

よくよく考えること。十分に思いをめぐらすこと。
日本においては、未だに熟考することに好感を持たれる。
それは、浅はかという言葉があるように即応することが失敗すると思われているからだ。
しかし、そこの価値観は根本的にみなすべきであり
もともと「時は金なり」という諺があるように、時間をかけてもったいないことになる。
また、この集合知の世界で
個々人がそれぞれため込んだ情報や判断軸で行動されても、、、
それこそ浅はかになりかねない。

熟考という概念を捨てて
すぐにアクション
情報を集合知に集めるということが
これからは求められるだろう。
それこそ、社会のクラウド化
そして、これは個人能力主義の崩壊にもつながり
新たなビジネス、社会価値がなると思えてならない。

2015-12-24

香辛

植物から採取され、調理の際に香りや辛味、色をだすこと。
英語で言えば、spice で、その物質群は spices といえる。

料理において、香辛をまとうことは当たり前になっている現代。
入っていない料理など料理ではないというかもしれない。
しかし、根本を考え直せば
元の味が知り、それよりもっと美味くなるから香辛を行うわけであり、
元の味を知らずに食べ続けるのはどうなんだろう。

現代人に多い味覚障害。
近代までその概念すらない症状といわれる。
それは、どんどん高刺激な香辛を求めた結果
何も感じられなくなってしまったということ。
本来感じるべき、元はどんな味なのかを気づかずに。

クリスマスから年末年始
いろいろな美味を口にする時期だが、
食べすぎ、呑みすぎという話以前に
その食材のもともとの味やそれをいかに調理したのかを考えそれに感謝する。
本来、そういうものが謝肉祭などの祭りの意味であったことを思わないから
経済、社会が熟成していかない日本と思ってないらない。

2015-12-22

弁証

弁論によって証明すること。
つまり、口頭で証明することで現代社会では重要とされる。
でもね、それって本当、結局は話しても無駄だと思う。

いくら証明しても、いろいろな切り口で
「納得できない」
と言い出したり、
自分が理解できない表現で証明されても
「何を言っているがわからない」
と聞く耳を持たないことが実に多い。

それに証明とは、、つまり持論を他人に強制させることである。
それを口頭でいくら説明し、それが証明していると言っても
抵抗できる力を持っている相手には無駄である。

僕は結論付けると
弁証には2つの条件がいる。
一つは
弁という言葉が互いに理解できることであり、
その理解の結果で、聞き手がどう行動するかを
聞き手側も弁証できること
そして、もう一つは
証という言葉の裏にある、証拠、根拠というものであり、
一般的には、科学的、物理的な物証を考えるだろうが
それはあくまでも一般的であり、人間である以上そんなものより
実効支配的な脅威があれば、人間というものは従うということ。

弁証はあたかも口頭で証明しているが
その裏には、圧倒的な力がない以上無意味である事実に
向かい合わなくてはならない。

「嫌だ」といわれる環境では言葉は本当に無力であるということを。

2015-12-21

訓戒

組織における軽度の処罰。
職務上・経済上の不利益は特に生じない程度の、軽度の処分である。

良く知られる懲戒処分とは違うようだ。
懲戒処分は組織外に向けての処分で
その処分を受けることは公に、そして自分の職務経歴書に書かなくてはならないとのこと。
しかし、訓戒は組織内のことだから
職務経歴書に表すものではない。

だから、懲戒処分を行わず
訓戒後に、自主退職が慣行になりつつある日本。
でも、これってある意味、閉鎖的、、臭いものには蓋の論理であり、
今の時代、どんなことでも人伝、ネットなどで情報はいくらでも流れてしまうもの。
その訓戒を出すことが出される本人、出す組織の価値を問われることになる。

自分自身、
これまで懲戒検討、訓戒は発令し、
それをカタチとして従業員に強いることを数度経験したが、
出す側の冷淡や苦悩、
出される側の想定外の対応、
いろいろと人間の極限の心情をみて、学ぶところがあった。

能力主義である以上、
懲戒もまたマイナスの能力評価
出さないということは、賞罰必定ではなく
真の意味での能力評価とはいえないと僕は強く感じるし
そういう甘えがこの先どんどん日本を悪化させていくと思ってならない。

2015-12-18

親書

みずから書くこと。
とりわけ、手紙に使われるが、
親書での手紙は本当になくなってきたといえる。
~IT機器の台頭、社会がそれを受け入れる
~多種多様なフォント
ようになり、乱筆乱文になる親書より、電子的なものが当たり前になりつつある。
今では、eメール、SNS,で手紙という概念すら危ういし
年賀状という物質的なハガキすら、電子を使って書くのではなく製作している状態といえる。

だから、だろうか、筆まめな母はITが使えなくもないが
ちゃんと親書でのお礼状などを認めることへ、おどろき、感銘を与えているようだ。
この時代にちゃんとした行いができるといわれる。

時代が進めば、今までの所作がいらなくなることが多い。
しかし、だからこそ、古き良き所作を行い続けることは
価値を持つといえるだろう。
それは、ただ親書であるだけでなく
~書体
~時節のあいさつ
~機知に富む文章
の総合力が問われ、それに答えられて初めて、感銘など人の気持ちを動かすようだ。


2015-12-17

予告

前もって告げ知らせること。前ぶれ。
現代社会、技術、満足度の水準が高くなればなるほど
予告ができなくなってきている。

昭和の時代、
いろいろなものが計画的に行え、
それに対して、受け手が期待を込めて待ってくれた。
しかし、現代では
受け手からの意見が双方向どころか
モノ言う受け手になってきて、送り手側の計画に対してダメだしをするようになったり
技術水準の過信から、どんどん納期が短くなり
予告を出す期待感への価値がなかったり
そもそも予告を出す工数すらなくなってきている。

予告を計画のバロメーターと考えてみれば
今の社会全く無計画になってきたなあって思う。

そのくせ、需要予測はトレンド傾向を分析を求めているが、
その分析ツールの要件や実装が計画通りに行えない人たちに
求める価値があるのかって遠目で思ってしまう。

2015-12-16

憂国

国の現状や将来について心を痛めること。
でも、これは現時点、社会において認められていない、
もしくは蔑まされている身分の人の思い。
逆に、今を楽しんでいる人からすれば、
「なんて馬鹿なことを言うんだ!」
という意見で一蹴されかない。

未来は不安であり、どんなものでも確約されているとは言いがたい。
しかし、寿命のある個々人レベルではなく、
国家レベルにおいてはそう簡単には変わらないと思っている。
しかし、国家という概念も人間の産物。
ネット普及、タスクヘイブン、グローバルという概念が台頭している昨今。
国家が国家足り得るか?、そしてそんな国家の社会保障がいつまで有効なのか?
案外、気づかぬうちに亡くなる概念であり、
憂国という概念より、
これからどう生きるために社会を利用するかを考えることが
何よりも重要だといいたい。

まー、昔から日本人はその本性を隠すために、憂国といってきたけどね。

2015-12-15

怪人

文字通り怪しい人物。
でも、これってその人への主観的な思い込みでしかない。
当人、および当人に関わる人は怪人ではなく、
親しい人、もしくは重要な人かもしれない。
もっと言えば、怪人と思われるほど、他人の持っていない異能を有しているかもしれない。

僕からすれば
怪人
天才
ヒーロー
は紙一重、というか、周りの人間が自己中心的な思い込みでしかない。
自分にとって、有益かそうではないかで他人をそう評してしまう。
ある愚かな人は
「社会にとって有益な人かどうかだ!」
と胸を張ってバカ発言をする。
だって、その人のレベルでの思い込みの社会であって、
それが万人、未来永劫的に有益だろうか?

例えば織田信長。
当代では、最悪な怪人だろう。
しかし、後世である今では、英雄扱いになっている。
でも、それは織田信長自身が変わったのではなく、
社会が変わったわけだから。

怪人とは、時限的な評価、そして当代の人間の愚かな思い込みでしかない。
人間の主観って本当にあさましいと感じてしまう。

2015-12-14

至宝

非常に大切な宝。
思うに、現代において’宝’とは何だろうか?

~価値の形而上化
~通貨の電子化
~変動相場

により、物質的なモノとしての価値は失われつつある。
しかし、だからこそ、固定的な存在価値のものは実在、固定的価値を示すことが
宝とみなされているかもしれない。

~金銀、宝石などの自然的な有限資源
~先人が作りだした、美術品

そして、今では宝足り得るものとして
あえて希少価値を示す、限定生産、シリアルナンバー付与。

価値観は変わっても、宝を求める人の気持ちは変わらないようだなあ。


2015-12-11

駅前

公共交通機関である電車の駅の近くの立地のこと。
人間が拠点を構えるとき、大きな判断要素になるといえる。
通勤、通学に便利ということだけでなく、
駅前には多くの消費財の店舗なども集まっているから、
いろいろと便利となっている。

僕はここがこれからのブレイクスルーポイントではないだろうか
~在宅勤務
~ネット学習
~ネット通販
などから、必ずしも駅の周りに住む必要はなくなる。

対面交渉の重要性
土地神話
という迷信に等しい考え方をそろそろというか
まだこだわる人間をどうにか淘汰することが
これからの社会の必須と考えてならない。

2015-12-10

黴菌

ばい菌のこと。
人体に有害な細菌などの微生物の俗称。

最近はばい菌とはなかなか言わなくなっていないか?
このばい菌という言葉についてあまり語源が書かれていないが
ちょっと調べればわかること。

文明開化以前はなく、っして最近使わなくなった言葉。
つまり、開国後に新たに入ってきた概念の言葉を日本語訳したものであり、
それはウィルスのことである。

古来日本における病気の源は気の問題だったが、
欧米の科学では、目に見えない菌などに引き起こされるもの。
その病気の菌の類はウィルスと呼ばれていた。
ウィルスはラテン語で virus であり、
そのローマ字読みとわかりやすいように接尾句に菌をつけて
ばい菌とあてた次第。

この事実、なぜネットなどで書いていないの?
まー、学者が定義したというより、
巷で広まった呼称は定義できないからかなあ。




2015-12-09

気密

 密閉して気体の流通を妨げ、気圧の変化の影響を受けないようにすること。
言葉の定義はこれだが、私生活レベルでは住居において、内気が外気に漏れない、
もしくは隙間風が入ってこないことといえる。

建築技術や建物老朽化でその建物の気密性は変わる。
自分が実感して感じることは
昔住んでいたオンボロ邸宅だと、気密性のかけらもないため
冬寒すぎて、布団から出れない思いをしていたのだが、
今のマンションではそれを感じずにすむ。
逆に玄関を開けるまで気づかず、上着を忘れてしまいけていることだ。

四季を感じる生活を重んじる日本では気候、気温の変化を肌で感じられないことは
良くないこととされるが、現在の気象下では身体に悪影響を与えるようになっていることは
四季を重んじる以上に深刻な問題ではないだろうか?

思うに、
現代人はこのように気密性の高い住居や高度な科学技術の進歩の恩恵で
肉体的に劣化して、四季に耐えられなくなってきたか?
それとも
地球の変化に耐えられなくなり、気密性の高い住居技術などが進化したのか
どっちなんだろう?

2015-12-08

静観

成行きを静かに見守ること。
人によっては行動前提主義、いろいろと行うことがよく、
下手な鉄砲数撃ちゃあたる
という発想でいる。

でもそれは僕には合わない。
考え方を替えれば
下手な鉄砲は撃てば撃つほど弾のコストがかさむし
その誤砲で事故が起きるだろうし
そして世間的には、下手という認識され社会的評価が下がる。

いろいろな意味で静観することが必要だと思う。
~自分自身の状況
~自分の周りの動き
~これからの変動要素
などを把握することが必要である。

そして、最近強く思うのは考えすぎないということ。
あまり考えすぎて結論にいはならない。
それは需要予測エンジンもそうだし
人間の考える詳細な計画がほとんどうまく行かないことで分かるように。

時代やいろいろな事件、事象に巻き込まれる自分を
静観しているから舵を切れるという思いで考えたほうがいいかもしれない。
考えすぎる自分に今はそう言い聞かせている。
焦って考えずに、ただじっと動きに眺めていることも重要であると。


2015-12-07

先物

先物取引のことで
将来の予め定められた期日に
特定の商品(原資産)を
現時点で取り決めた価格
で売買する事を約束する取引のことえである。

なんか、マネーゲームと思うかもしれないが、
日常生活でも、事前予約で買っておくことで
いざ発売日には買えないくらい値上がりしていた
なんてことがを抑止することは気づかずに行っている。

そに何気ない取引において、値上がりしていたら、
事前予約していたものを
売ってしまおうという発想がマネーゲームになっている。

あれ??
これって、ダフ屋と何が違うの?
なんか言い訳をしているけど、結局おなじことではないか!
権力者は汚く、
自分たちが認めるものは先物取引とか言い出して法整備するが
コンサートなどのダフ屋行為を個人で行うものは違法とする。
こういうの法的な贔屓活動を正しく指摘し是正することが
超法規的に必要に感じてならない。

資本主義、自由財産というものが
結局は多くの財産をもっとものがそれを維持拡大させるものを
象徴する事例と僕は思っている。


2015-12-04

旅路

旅をして行く道筋。
でも、旅路という表現には、死を意味することがある。
これは日本語だけではないみたいで
go
という単語の真意は、発言者の元から人が離れていくことを指し
離れた結果の最終形が死であり、goneという表現の裏には死が潜んでいるそうだ。

一昔前は
通信連絡手段が限られ
連絡先の所在、戸籍も画一的なかったり
交通安全がほとんど保証されていない
という状況では、旅というものは命の危険があり、
旅立つときはある意味、今生の別れかもしれないといえよう。

昨今、旅行ブームで国内外いろいろと行けるようになっているが
その背景には、旅路を保証するいろいろな社会基盤が挙げられる。

ちょっと前までの考え方では
旅路の果てで息絶えてしまったといわれても、
それは旅立つ決断した自らの責任であり、
この考え方は安全といわれる今でも忘れてはいけない前提条件だと僕は思う。
事故があると旅行に関わる企業体を責めるが、
その旅行に行こうとしたこと自らの責任はいったいどこにやら、、


2015-12-03

役務

漢字で書くとこうなるが、サービス業務のことである。
役務つまり納品ではなく、労働での対価をもらうことである。
日本語が誤った英語理解となっているのが
サラリーマンとサービスである。
これって僕の中の結論で言えば、
サラリーマンではなく、サービスマンと言い換えていきたい。
つまり、会社務めとは、役務で収入を得ているのだから
サラリーというより、サービスを生業として人のことといえるから。

正しい日本語の前提として、
英語概念と日本語の訳を近づける努力からではないかと考えるだけに
僕はそう考える。
もっとも、正しい日本語、、というか正しい日本人なんてものは
ありえないと心で感じていることは事実だがね。

2015-12-02

胆力

物事に簡単に驚いたり恐れたりしない気力。度胸。

文章でみるとこのように表現するが、
実際にそのような人格者、存在は見当たるだろうか?

胆力という言葉は使わないが若者が
「あの人、マインドつえー」
ということはある。ほぼ同義だろう。
しかしそう言われる人は大概驚いたり恐れないことを
無感情
鈍感
とあまり、社会生活をともにしたくない人ともいえる。
あくまでも社会人である以上、一定の反応と思慮がないとならない。

胆力という言葉が
中国の戦乱の時代、つまり社会より個々の戦闘力が重視される時代であれば
評価されていたといえ、今の社会では、、、??、、、!!
あれ?
個人、自由、能力主義、
これって、戦乱の時代とあまり変わらないのでは?
もしかしたら、胆力ってこれから求められる重要なことかも??

2015-12-01

氷河

積雪がその上層に降り積もる雪の重みで圧縮されて氷塊となり、
低地に向かって徐々に流れ下るもの。

というが、市場経済においては氷河期の意味、
経済流動性が停滞気味の意味で使う氷河のほうが多いだろう。
多くの人々の認識が異なるのは
氷河期のように経済停滞するということに対して
他人ごとのようにいうが、
停滞させているのは自分自身の貯蓄意識である事実をそろそろ認めるべきかなって
痛切に感じている。

貯蓄は美徳というのは、
戦後復興の日本政府が洗脳させた概念であり、
欧米、そして大陸系の人たち
つまりグローバルではその美徳感は全く通じないのである。

経済を回すということは消費であり、それを浪費というマイナス表現するのも
日本だけである。

確かに見通しの立たない借金をしてまで消費をすることはおかしいが
貯蓄し続け、あたかも永久凍土のように資産を氷漬けにすることが
日本経済を氷河期にしている事実も理解しよう。

外国人によるインバウンドによる経済効果、、
あたかも個々人輸出、
輸出で成り立つ日本からの脱却のためには
この貯蓄氷河期の脱却ではないかなあって思ってしまう。

2015-11-30

粋人

粋な人。
この粋って価値観の問題に感じる。

自分の行動を中心に考えて、
相手の行動に対して
「粋ではない」
と言い出すと、言われた側が
「はーー、お前が粋とか言える立場か?!」
ってなり、売り言葉買い言葉の喧嘩になる。

そう、現代社会の価値の多様化により
”粋”という言葉は死滅したといわざる負えない。
だって、なんでもありというということは評価できないということであり
”粋”なんてことは当人の思い込みそして、他人への攻撃的な発言になっている。

これに気づかないと
自分では、かっこつけて生きざまのように”粋”を口にするが
他人からすれば、面倒な嫌な人間でしかない悲しいことになる。

2015-11-27

完成

完全に出来上がること。
最近、、、いや人間は完成を認めないほうがいいのかもって思う。
身の回りでは、BETA版、試供版が挙げられる。
そして、過去においても
東照宮の陽明門の逆さ柱
「画竜点睛」
ということで完成を忌み嫌う。

完成させるということは、そこで過去、老朽化となる。
完成させることにより、いろいろなことが終わり、そして減耗が始まる。

完成させるより、常に未完成のほうがいつまでも進化し続けるし、
まだ完成していないからこそ、価値が決められないといえる。

契約、納期という考え方で完成を要求することが
20世紀においては当たり前のようであったが、
やはり、完成させることにより、価値の減耗、そして機能改善を求める傾向により
完成を求めないで、常に進化を求めてきている。

そもそも、完成ということは完成条件が固定されることが前提なのだが、
市場、社会情勢でその条件がぶれることが多く、それを当然と言い出す以上
完成を求めることがおかしい自覚をもっと依頼者が自覚すべきではないかと思ってならない。

2015-11-26

馘首

捕虜や罪人などの首を斬り落とすことで、
責任を取らされて解職、解雇されることの「首を斬られる」の語源でもある。
何かを行ってその結果での引責が馘首の真意である。

それゆえ、僕は思う。
経営判断の失敗では馘首すべきではないと。
そこは自分の資産を失っても、馘首すべきではない。
それと同時に
引責とは、作為だけではなく、不作為もまた引責とみなすことにしたい。

自分の判断と等しく、傘下のものにも同じ責任をもつことで
始めて労使は対等になるのではないかなあ?

2015-11-25

上梓

図書を出版すること。
語源は、梓(あずさ)が版木であったため、
その梓に文字を上げる、刻むことから来ている。
すでに、版木を使うことはないので、意味として残っているといえる。

しかし、その図書を出版するという行為もまた変わりつつある。
ネット公開、自費出版など
誰でも文章を一般公開できる今、
図書という存在意義、
出版の定義、
それぞれ揺れているといえよう。

過去からの概念で、図書として出版することに価値、地位を見出す人がいるが
その人口数も漸次減っていくものだろう。
上梓することへの価値、
意見を公開させる手法をランク付けなどは
この先大きく変わっていくのだろうって思う。

2015-11-24

公募

広く一般から募集すること。
しかし、日本においては公募といいながら一般から受け付けていないことが多い。
~公募情報の閲覧権限
~提出する書式
と応募するまでのお約束が大変だけでなく、
~これまでの実績
~コネクション
など、目に見えない判断基準で判断の俎上にも上らないということも多々ある。

その今の日本のやり方を一方的に批判する気はない。
一定水準を満たしているからこそ
品質が担保されるわけで、そこが曖昧だと公募をしたために
逆に失敗してしまうということになるから。
しかし、それが業界的、社会的硬直を招き
結局、貧富の差を産んでいるといえる。
つまり、公募に応えられる者が財産、ノウハウが富み、
次の公募にも対応できるために次のチャンスに結びつかないということになる。
それでどんどん、公募が公募ではなくなっていくことになる。

まーここで言っても結局は、、、
歴史で習った墾田永年私財法、、
つまり、開墾した誰でも土地を所有できる法律だが、
それで貴族が荘園を増やし、誰でも土地が持てるという名目がなくなった。
それは今の公募にもいえること、、、
そう歴史は繰り返される。

とうことは、貴族の没落は、、やはり根本的には武力に帰依するんじゃないかなあ。

2015-11-20

畑違

専門の分野・方面が違うこと。
組織の活性化のために、畑違いの人材登用、活用なんて言いだしたり
しているが、それが成功しているのだろうか?

ニュースなので、成功事例を行うのは
レアケースだからニュースにするのであって、
成功が日常的だったら、ニュースにならないと思ってならない。

畑違いの難しさは当人より受入先に対応にある。
畑違いの人材が来た場合
~何をどうするのか
~どこを変えるのか
ということを整理しなくてはならない。
投入された畑違いの人が昔のままのやり方をしてしまったら
受入先の部署そのものの存在がなくなってしまうからだ。

とはいえ、整理できるくらいしっかりしているのならば
わざわざ畑違いの人材を招かなくても、自浄努力でどうにかなるのだがね。

なかなか人材登用は難しいといえる。

2015-11-19

公私

公的なことと私的なこと。
これは江戸時代の武士に向けての言葉であり
武士=公務員
公務=仕事
だったのだが、それを現代人に割り当てて、
仕事と私生活とするようになっている。

公私混同という言葉があり、
日本人、、いや現代人は仕事と私生活を分ける傾向がある。
それは、自分の価値観を強制しない、させないという思いだろうが、
僕からすれば、その概念おかしくないか??って感じる。

職業選択の自由
能力評価
は、ある意味、仕事のためというより、
自分のためであり、その先には私生活のためというものがあり、
仕事と私生活を分けることは根本的にできない。

通信手段の発達
BYOD
在宅勤務
となりつつあり、仕事の概念が
時間、場所の拘束ということではなくなり、
本人の意思で行うことになる。

僕自身、そして弊社の経営方針として
時間活用の自由を許している。
制約が課せられていないときは、
場所、時間を有効に使うことさせているので
その時
どこにいても、連絡、仕事ができる最新ディバイスを与え
何をしていても、遊ぶ、休むは次の仕事への充電行為、勉強もまた
という認識で行っている。

公私混同という概念を超えた
人生における活動、行為が有償、自己投資なのかは
当人の裁量で行える仕組みを与えることが
多くの経営者が考えることではないだろうかって思っている。

2015-11-18

口答

口で答えること。
一見、いや現代人の常識では、会話として当然と思えるが
僕からすると、これがコミュニケーション問題の根本だといえる。
はっきり言おう。
口答はただの時間の浪費だ。そしてこれは問題の温床だ。
口答は気軽にそして迅速に伝えれるとか言われる。
しかしだ、
~言い間違いに当人が気づかない
~音声だけなので証拠が残らない
~聞き間違いを確認しづらい
などのコミュニケーションのロスが多すぎる。

飲食店などで
口答オーダーだけだと
~聞き洩らし
~聞き間違い
というオーダーを受ける側のミス
~言い間違い
~思い込み
というオーダーする側の落ち度
を確認できず、原因が定かではないから
落としどころが見いだせないで、店として信用に影響が出かねない。

最近の飲食店はその経緯から
口答からメモとり、お客に注文を書いてもらう。
そして、今ではタッチパネルとなってきている。

たしかに、その分の設備コストはメモ帳から、お客記入の筆記具そして
タッチパネルディバイスと高騰してきている。
しかし、店の信用信頼、そして客自身の注文責任が明確化ということは
口答における曖昧なリスクに比べれば圧倒的に安いといえる。

オーダーシステムを人から機械にするのは
人件費削減というが、人件費ではなく
人間の曖昧さでステークホルダーの多くが傷つくことを回避させる
最善の手段と考えるべきではないだろうか?

2015-11-17

無類

くらべもののないこと。無比。
一緒にできるものがないという意味で使われる。
語源としては、無双と同種といえよう。
という言葉を現代語訳するとしたら、
それは
No.1だろうか?
Only 1 だろうか?
日本人としての感覚では、その第一人者とかいう表現で
同視することが多いが、英語、、欧米系の概念だと区別される。
high specific
specialty
となり、相対(数値評価)、絶対(○×評価)で判断される。

でも、、、英語の語彙からしても
spec-
という接頭辞を使っている時点で
日本語と同じく語源、起源は同じようであり、
要は必要性に対して応えられるか観点は外していないと思われる。
多言語、現在の用例が異なっていても
人間としての感覚はどこでも同じだったとわかるといえる。



2015-11-16

鷹揚

ゆったりとしてこせこせしない様子。おっとりとして上品なこと。
鷹揚に構えると使うのだが、なかなかねえ。
鷹の様をみてつけられた言葉なのだが、
鷹狩をしている時代どころか、鷹自体が絶滅危惧の意味
その意味の理解は難しいとえる。

言葉と環境はリンクしている。
それゆえ、環境が変わると言葉が変わる、
それは仕方ないし、ある意味の言語表現の違いも環境によるものかもしれない。
そう考えると、、現代語と古文の境目を考えると同時に
今の現代語とされるものも、一度どこかで区切ったほうがいいのでは?
また、文語と口語で分けるべきではないか?なんて思ってしまう。

2015-11-13

呻吟

苦しんでうめくこと。
難しい言葉で、小説などのアクセントに使われるくらいだろう。
悲しいことにこの言葉の意味がわからなくて
読者が呻吟してしまうことに筆者はあえて選んで使うのだろうか?

考えてほしい。
書籍でこの文字が出てきた場合、
この文字をどう調べるのか?
国語辞典?
無理だろう、だって読み方がわからない。
漢和辞典?
呻という文字はクチヘン
吟という文字もクチヘン
それで調べる。
とても時間のかかる作業だ。

そう考えると、ネットとは楽だな、
この文字をカット&ペーストで
検索ポータルに持っていけば、シンギンという読み方まで出るのだから。
そう、国語辞典、漢和辞典が手元にあって使いこなせない状況を
デジタルとネットは克服していたのである。

デジタル化で文字が書けなくなるというが、
そもそも現代人は言葉を知らないし、理解できていないのだから
開き直って、文字を書くことをあきらめてしまうことを制度化してもいいと
こういう文字にぶつかると思ってならない。

2015-11-12

心象

感覚(的要素)が心の中に再生したもの。イメージ。
実際に見ていなくても、映像が脳裏に浮かぶ状況といえる。

これは前提として、
イメージに近しいものを事前に目視していることがあり、
人生経験というか、それなりに多くの映像情報を脳裏に
インプットされていなくてはならない。

僕が重要だと持っていることは2つ。
~多くの映像情報を得る経験
~インプットされている
というポイントである。
旅行好きで多くの映像情報を経験しているように見えても
旅行に行く行為が好きな人間は映像情報を覚えていない。
覚えていたとしても、すぐに上書きされてしまう。
逆もまたしかりで、インターネットなどの情報サイトで見たものを
インプットして覚え、そのインプットだけで多くのことを評価してしまう。

現代人の心象の力が乏しいとは言わないが、
同一物体、事情、概念に対して、
人間それぞれの心象が異なることになることに対して
現代人は許容なく他人の心象を聞くと自分の心象とちがうことに
批判ばかりで、そこの止揚が産まれないことを嘆きたいなあ。

2015-11-11

暗澹

見通しが立たず、希望が持てないさま。
多くの現代人はまさに暗澹かもしれない。
、、ではなく、人間である以上、常に暗澹であるといえる。
なぜなら、未来という概念を持っているから、
多くの動物は常に本能のまま生きているので、今をどうするかだけであり、
未来という概念はない。

未来という概念、それにつながる計画という概念があるからこそ
人間はモチベーションなどで、本能ではない快楽を得られるが
それに呼応して、不安になる暗澹ということも同時に感じる。

仮に現代人が過去の人より暗澹であるいえるのであれば
それは、これまでの人類の経験を多く知っているがために
予想のつくレベルの結果、
多くは成功しない事例
から、希望や期待を未来に感じなくなっているからだといえるのかな?

2015-11-10

内訌

うちわもめ

人間は愚かにも同じことを繰り返す。
今はやっている能力主義、それって内訌の火種であり、
言葉を変えて表せば、下剋上
「能力のあるやつが上に立つ」である。

下剋上では平和は望めないし、
敵が身内になってしまい、組織として存在意義が見いだせないから
長幼の序を進めて、江戸の安泰を得た。
その流れを汲んで、年功序列、終身雇用を社会制度として認めてきた。

しかし、現在はまた能力主義、、つまり下剋上を容認している。
それは必ず、組織内で内訌がおきることを恐れるどころか
互いの競争心を煽っていいといわれる。

人間、実は競争心なんて持っていないよ、殺戮の本能だけさ。
相手に勝つということは相手から反撃されない状態にすることで
競争ではなく、つぶしあいになるだけ、、10人の組織が5人と5人でつぶしあうだけ

これはまた、戦乱の臭いがするねえ。
戦国時代と違う?だって、
それは、後世になって、生き残った人たちが言うだけのこと。

「あの時代は戦国時代より、おかしく、潔く殺しあわなく
 ねちねち、議論という言葉で他人を追い詰める
 なんて、卑劣な時代だったんだろう。
 あんな時代に生きることなんて考えれれない」

と評価されることになることが、十分考えられる。
僕はいつも思う。
人間の価値観がいつも偏った思い込みで
その一瞬の事象を正しいと思い、そしてそれで内訌を起こしやすい動物だと。

2015-11-09

恩返

受けた恩に報いること。
日本の昔話の多くはこの構成になっている。
つまり、日本の道徳価値観の根源である。
行ったことに対して、報いを受ける。
ある意味、等価交換に等しく、
この概念を理解して大人になる、、、、はずだった。

最近の日本人は、情操教育というか
昔話を理解どころか、なんか間違った解釈した絵本などを読み、
子供を大切したがる社会構造
個人主義偏重が重なり、
恩返しを全く理解していない。

~自分はされて当然、されないほうがおかしい
~あいつバカだから、ただでやってくれるんだよ

なんて平気で言い出す。

こんな子供を、生意気と思うことがまたおかしいと
指摘されるおかしい社会にまでなっている。

恩返しの裏には
調子にのった悪党を懲らしめる鬼がいる。
鬼を恐れて、子供は更生していくのだが、、

現代社会において鬼がいてはならない。

僕はこの社会に鬼を復活させることで、
恩返しの真意を理解できるとまで感じてしまう。

鬼が社会悪だと思われても
恩返しの概念を理解させるための必要悪だと
僕は確信しているだけに。。

2015-11-06

演奏

音楽を現実に音として響かせる行為。
結構、奥が深い言葉だ。
楽器から音を出す、それは「鳴らす」
楽器を操る、それは「引く、拭く、打つ」
そして楽器から美音をだす、それが「奏でる」といえる。

科学的なところでは、楽器から空気振動を起こせばそれは音になるが
それを感性の世界で耳触りのいい音とするのは
科学領域でいくら説明しても、理解しづらい。
まして、モーツァルトのEine kleine Nachtmusikなんて、
作曲当時は理解できるレベルではなかったわけであり、
それを後付のように科学で説明しても、、と思う。

奏でて演じるということは
演じるためには、対象は何を模したことで演じるになるのか
それを楽器で行うということは
絶対音感を持たない僕には理解できないが
それはすごいことだとはわかり
たぶん
Eine kleine Nachtmusik
を初聴して訳も分からず興奮した当時の大衆、、
(もっとも、大衆といっても貴族しかモーツァルトは聞けなかったが)
と同じ感覚だと思ってしまう。


2015-11-05

難民

戦争・天災、また人種や信条などでいためられて)困難におちいった人民。
人道的とか発言で受け入れることを議論しているが、
人間を俯瞰して、長期的、本能的なところをみれば
受け入れるべきではないといえる。

今時点において、困っている人を助けるという発想だろうが、
それって今視点でしか過ぎない。
仮に同人種の難民を万人単位で受け入れたらどうなるか、、
30年後、その国はその国家運営が危なくなる。

難民の子孫が発言力を持たないままだと
該当難民の子孫は
「難民あがりのくせに」
とあたかも奴隷制度が再び起きるだろう。
助けてやった側、助けられた側ということで格差が生まれる。

逆に難民の子孫が発言力を増したら
「この国をただし、支えているのは自分らだ」
と言い出して、既存の人種、民族に反旗を翻してしまうだろう。
難民たちの子孫は自分たちの土地であると主張したがる。
人間は今の視点でものを見るから
生まれ育った土地であれば、そこは自分の土地と思うものである。
それが親たちが難民として庇護された土地であっても。

そうならないようにすると今までの為政者は言ってきているが
プランテーション
ユダヤ人迫害
アパルトヘイト
とどの時代もこの手の人種の壁で人は争いを起こしてきている。
それは人間の本能であり、否定するものではない。
そうさせないため、未来のために今できることは
一時の自分の感情に流されないことをしないことだ。
それいう視点、、僕のような視点を持つものは、、
ノストラダムスのように指導者的なことはできないんだろうな、
一時の感情で成り立っていることが今の民主主義だけに、、

2015-11-04

管制

危険を予防するために、ある種の行動に対し、強制的に管理・制御・制限すること。
現代社会では、人はいろいろなことが行動できるようになった。それゆえ、
管制が必要だと思うが、この言葉は管制官、航空用語でしか使われない。
X軸、Y軸、Z軸において自由に飛び回れる航空機だけに
管制官の指示で成り立っていることがあると思う。

自由な行動ができるからこそ、管制が必要なのだが
現代社会はその管制すらからの自由も主張する。
それって、無秩序、無政府状態、混沌に戻っていて
社会性がないということに気付いているのかなあ。

2015-11-02

知能

頭の良さ、

知能指数、人工知能などで知能という言葉はよく耳にする。
では、知能と知識の違いは??

知識は情報を格納、それを格納したところから検索、出力することと言え、
大量な情報を自在に扱えることが知識レベルの高さ、それを頭の良さと
みなしてきた。
ある意味、団塊ジュニアの受験戦争はこの知識レベルの高さを争っていた。
そして、今はその知識を人からコンピュータに代替されて、
ムーアの法則のように、高いスペックのコンピュータが
知識レベルが高さとみなされていた。

そして、今は知能が求められ始めた。
知識との違いは、検索性が類推、関連、応用を交えて、
1:1対応ではなく、相手の求める次のことや相手が気づかないことを
提案までしてくれることであり、必ずしも多くの情報が必要ではなく
使える情報をあることが前提である。

ある意味、量より質に変わってきているといえるが、
この知能を求めるということは、
果たして、人として、いやその当人自身が存在する価値はどうなるのか?
知能レベルを外に依頼することは、当人がいなくても問題ないにつながるし
当人のコストを考えたら、むしろ消えてほしいとならないか?

2015-10-30

万引

小売がネット販売を推奨することで得られるものは
万引がなくなることだ。

お店を営んでいる知り合いから言われてなるほどって思った
万引へのデメリットは
・仕入れ額だけでなく、販売機会、売上を失う
だけでなく
・顧客を疑う
・従業員を疑う
・違法が行われた店というイメージがついてしまう
という、万引きされた品物代より
人間関係が失われることが一番大きいと言われた。

ネット販売は顧客の顔が見えないことが問題だって言う人がいる。
でも、リアルに顧客と品物が近いからこそ万引が起きるし
それに関わる従業員もまたその嫌疑をかけられてしまう。
それって顔を見ているから余計、嫌になると思った。

なんだかんだ、ネット批判する古い考えの人もいるが、
今までの人間の本能ゆえに苦しめられてきたこういう万引行為を
撲滅に近づけられるのは、ネット販売の恩恵として
大いに認めるべきだと僕は思ってならない。

2015-10-29

燃料

化学反応・原子核反応を外部から起こすことなどによって
エネルギーを発生させるもののこと。

現代人の生活において、自動化を行うときには
直接、間接的に燃料がないと行えないといえる。
そして、燃料をエネルギーに変えるときは、必ず危険が伴う。
火力、原子力はよく目にする。

再生可能エネルギー、、
安全そうに言われているが、エネルギー化させるときに
何かしら、もしかしたら今時点で見えていない危険がないのか
ちょっと不安。

火力燃料による温室効果ガス排出だって、
想定していなかった危険だっただけに、、

2015-10-28

民間

公の機関に属さないこと。

公共機関の民間委託ってどうなんだろう。
民間なのか、公共なのか?
愚かな互いの思惑で失敗ばかりになっていると思ってならない。

行政は
「民間にさせてやる、こっちの意向、公共性に従え」
民間は
「行政は運営できないから、こっちがやってやる」
なのである。もともとかみ合うわけがない。

名著、、いや迷著 <学問ノススメ>によれば
人は自分の力量にあった政府しか頂けないとある。
馬鹿は馬鹿のレベルでしか統治されないというから
今の公共機関の民営委託も考えようによってはそうなんだろうな。

僕なら、公共機関のサービスの無駄とか口にしないよ。
だって無駄と思われるものだから、公共機関がやるしかないのだから。
もっとも、無駄というものがある特定の人を潤すということも
ある意味、人間の癒着という本能から認めざる負えないことも含んでね。

2015-10-27

造詣

学問や芸術(のある分野)について、
知識が広く理解が深く、すぐれていること。

現在、多くの人が自分の世界というか、知識的こだわりをもっていることが多く
そして、その知識をITを駆使して得られることが多い。
こうなると、造詣が深いというレベルはどこからなんだろうか?って思ってしまう。
でも僕は思う。
知識を知っているだけではなく、
その知識からおきる関連性まで知っていること
その知識を実体験、見識まで持っていることが
造詣が深いのではないかと。

2015-10-26

忖度

まず読めるか、
そして、意味はどういう意味か?
そして、この言葉をどういうタイミングで使うか、、
9割以上の日本人は駄目だろう。

そんたくと読み
他人の気持をおしはかることであり、
相手の真意を忖度する という使い方をするのだが、
こう書いても多くの日本人は理解できないだろう。

そもそも他人の気持をおしはかることという概念がなく
個人、能力主義を推し進めるのだから、
ある意味全くもって日本語の理解する基盤が揺らいでいると言わざる負えない。
もし明治の文豪たちの気持ちを忖度するならば、、、、やめておこう。

2015-10-23

覿面

効果覿面と書けば、なんとなく
コウカテキメン
と読めるものだろう。

覿面とは目の当たりにするという言葉でもある。
目の当たりに結果が出ているから、効果覿面となるが、、
この覿面という文字を目の当たりにしても、
意味も読みもわからないのが現代社会ではないかと感じる。

日本語を読みと書きが一致しないだけに
読めても意味が通じないことが多いことが
日本語理解の難しさ、、、というより
日本人が日本語を理解できなくなってきている理由とも感じられてならない。

2015-10-22

和鋏

日本独特の鋏、握りばさみという。
最近見なくなったと思わない?
100円ショップでも、指をいれる鋏、洋鋏が多く、、というかそれしかなく
和鋏が全然ない。
聞くところによると、
握りすぎると自分の指も切ってしまう危険性から
生産をしていないという話だ。
それって、洋鋏にも言えたが、どんどん改良、安全な機能が広がって、、
今では安全になっている。
ものづくり日本ということで、洋鋏を改良し続けてきたが、
ものづくり日本の日本製のものにもっと愛着はないのかねえ。
僕個人としては
・だるま形状
・ひとつの鉄板から作れる
・鉄の慣性で自発的に開く
そんな和鋏にもっと注目してもいいのでは?って思ってしまう。
だって、包丁はナイフとは全く違う扱いを受けている以上
和鋏も洋鋏と違う評価されても、、、、ね。

2015-10-21

健啖

読めますか?
そして、意味が分かりますか?

けんたん と読み
意味は、食欲が旺盛なこと。

大食いの人を健啖家なんて現代社会ではなかなか呼ばないが、
聞くところによると、よく食べる美女への褒め言葉で使うといいとのこと。
もし、そういうシチュエーションがあったら、どうぞ。

2015-10-20

謎々

言葉の裏に予想外の質問をし、その意味を当てる遊び。
これって、日本語独特のものといえる。
日本語の音、同義などをつくってのレリックだけに、、
同じような発想が実は、眠れないときの羊がある。
羊が一匹、羊が二匹、、なんのこっちゃ、、
これは英語圏の発音とそして催眠術が原理で
sleep
seep
と似ている単語の発音と数を数える暗示で
催眠状態にさせることであり
日本人が目を爛々とさせて、羊が一匹♪にはなんの意味がない。
逆に
「上が洪水、下が大火事」
という謎々も日本人以外には通じない。
~湯船の概念がない
~湯船にお湯を外から注ぐ
という文化の違いがあれば、全くもって謎々ではない。
謎々という遊び
グローバル化を求める日本ではあまり好ましい遊びではないのかも?
でも、日本人はグローバルか化といいながら、日本文化を騒ぐので
面倒なダブルスタンダードを平然と口にするんだろうな、、嫌だ嫌だ。

2015-10-19

蛋白

タンパク質と書くから忘れがちだが、
漢字で書くとこの字である。

三大栄養素の一つであり、重要なのだが
現代社会でほかの2つの栄養素
炭水化物
脂質
と比べて、摂取制限をされない唯一の栄養素に感じる。

蛋白の蛋は、難しい感じだが、台湾ではよく見る漢字
そう卵のことであり、卵、、とりわけ白身の成分そのもので
プロテインの前は、白身ばかり食べていて筋力増強していた人もいたことは
懐かしい思い出になるのかな?




2015-10-16

電器

でんき という発音で
電気
電機
電器
と似ている3つの言葉があり、使い分けできますか?
「そこのでんき消して」
ってどれでしょうか?

電気はエネルギー
電気は機械
電器は家庭電化製品
という意味が辞書的な定義。

だったというべきかな?
今はでんきと言わずに
・バッテリー、電源
・そこの<カタカナ>
・家電
となり、でんきという言い方そのものがなくなったような気がしない?

ある意味、照明=電気だった時代から進化で
もう明るさだけの電気利用の概念から脱却が終わったといえるのでは?
気づかぬうちにね。

2015-10-15

非情

人らしい感情を持たないこと。
、、、、っで、人らしいってどういうこと?
非情という言葉の裏には
話者の都合のいい思い込みが入っている。

自分にとって思うようなことが人らしいことであり、
ある意味、社会人、経済活動を行うことにおいてそれって人らしいのか?
~遅刻して怒るなんて
~誰だって間違いがあるのに
~自分はあの人より価値があるのに
そういう思い込みから、非情という言葉は使われる。

社会性を持った人間は勘違いしている。
自分は人として、社会貢献をするものであり
されて当然と思うことが人としておかしく、
その考え方のほうが非情だということを。

2015-10-14

呪文


呪文と書くと、
「呪いの文言」となる。

魔法を唱えるということは、
日本においては、禍禍しいイメージである以上、
呪いと同義に捉えているとわかる。
人知を超えたものを禁忌とみなすといえよう。

だけど、
英語だと
呪いは curse
呪文は spell
となる。

呪文は単なる、文字の綴りとなっている。
ある意味、マイナスイメージはないともいえる。

この事実から、
日本人は人知の理解を超えるものを、忌み嫌う意味に抑え込めることに対して
西洋では、それを使うものによって、清濁が変わる手段となっているといえる。

使えるものに貪欲に使おうとする精神、それをチャレンジングと読み取る価値観と
よくわからないものを禁忌で封じてしまう価値観、、
これだから、日本は新しい価値観や技術を創設することが難しい土壌とわかる気がする。

2015-10-13

大物

その方面で大きな勢力・影響力をもっている人物。
また、器量の大きい、すぐれた人物。
大きいというが、その定義はなく、定性的、そして相対的に
大物扱いになっていくことで、その人の存在は位置づけられる。

今は大物でも、昔はそうではない、人はいつしか大物になっていくのだが
僕が見るに、、大物はというものは先達が消えることで大物になるといえる。
伝統的な業界で、年長者が息絶えると、その後輩がその地位に必然的に昇格する。
これは想像つくというが、新しい業界でも、実はそうである。
新しい業界だから、年長者がいないように思われるが、
必ず年長者は存在する、他の業界から、財力、権力を持って来る存在だ。
その存在について、意識するかしないかは別に、その存在の力が弱まると
大物が成り立ち始める。

人間はいきなり大人でも権力者でもない。
大物の風格というけど、実際の大物になるときには
先達の消失が必ず必要であり、大物とはある意味、世代交代、権力継承に感じてならない。

2015-10-09

余分

余計、余った分。
これってかなり曖昧な概念。
人によっては、
未来に向けて足りないのに、この数でいいのか!?
過去から考えて、この数は多すぎる。
現時点において定数以上の分をどう思うか
それにより未来が変わるといえる。

僕からすれば、余分なものを持てるという
財力
安全
そして、先見性
の現れという意味で持っていて損はないと思うがね。

過剰在庫、余分だと批判する人ほど
足りなくなった時に、
その責任は自分のせいではない、余分と判断したのは当人だという。
そういう人間が社会において余分とみなして排斥できないのも
現代社会の余分な優しさかもね。

2015-10-08

褒誉

ほめること。ほめたたえること。
最近の能力主義の台頭で、他人を褒めることが実に寂しくなった思う。
相手を褒めることは、
自分の能力が劣っているということに感じてしまうからだろうか?
実にばからしい、ましてその相手の能力を利用することがマネージメントのような
愚かな発想が蔓延し、そのマネージメントでは自分の能力が正当に評価されない
なんて思い、まともに実力を出そうとしなくなることも多々見受けれる。

優秀なら褒めようよ。
そして、力を貸してほしいならお願いしようよ、
そしてその成果をまた相手のおかげって讃えようよ。
そんな当たり前のことをなぜ現代人は忘れてしまっているんだろうね。

2015-10-07

驚愕

非常に驚くこと。
僕が定義するところのインフレ表現。
こういう表現を使わないと周りから抜きん出ないからこそ使うが
実際問題たいしたことがないといる。

本当に驚いたら、無音になるだろう。
思考、行動停止になるのだから。
そう、人間が理解の範囲でしか語れない、そこが人間の限界だからだ。

2015-10-06

偽物

似せて作ったもの。
本物があるからこそ、偽物がある。
今のちょっと気になるのは
ある組織が分裂した一方が相手方を偽物と言い出す。
自分たちが本流だと言い張る。

が、、そもそも本物ってなんだ?
そういう争いが関西の
政治組織
暴力組織
で起きている。

あれれ、、対極にいる存在に思えたけど
結局、人間は同じようなことをしているなあ。

僕からすれば、人間の組織行為自体、
生物の本能からすれば偽物の感覚ではないかと
冷めて目で見てしまう。

2015-10-05

汚職

アジア系の国家官僚が汚職で私腹を増やしている。
それは、日本人が欧米的な価値観にすっかり洗脳されているだけである。
日本の歴史からすれば、今のアジアでおきていることなど
豪族
藤原摂関家
守護大名
明治の政商
みんなやってきた、むしろ、その人たちを褒めたたえているではないか!
自分の先祖はいいけど、同じことをしている他国の人たちは悪いってどれだけ馬鹿なのか???

そして、汚職というが、、、
アジア系のその人たちが得ている金額の数倍を
欧米系のCEOとされる人たちは
自分たちの正当性を主張して搾取しているが、
ルールを作る側にいるだけで汚職とみなされていないが
やっていることは同じ、組織から自分の財布に金を入れ替えているだけである。
こんな簡単なことも理解できずに、アジア系の官僚批判をしているのは、
日本人の洗脳のしやすさがよくわかる。

善悪の基準を思い込みで真に受けないことが
本当の意味での事実把握だと僕はと良く感じてならない。

2015-10-02

島国

領土が島で構成される国。
日本やフィリピンがそれにあたろう。
※大英帝国はちょっと違うと考える。

国であり、島でもあるから。
国境が陸続きではない。
日本は案外、領土問題が口先ばかりなのは、ここだと思う。
基本、陸続きであれば、そこは血戦が絶えない。
血を見ることが当たり前、そしてそれが愛国精神につながったりする。

平和ボケの一環もここかもしれない。
歩いた先に敵がいる、そういう感覚こそが
国際的に大多数の認識である事実が理解できないからこそ、
有事への思いがおかしい国だと思われてしまうんだろうな。

2015-10-01

福音

喜ばしい、よい知らせ。
イエス=キリストによってもたらされた人類の救いと神の国に関する喜ばしい知らせ。
無宗教者が多い日本人にはなじみが薄いかもしれない。
しかし、信仰の自由はとても重要なこと。
宗教の教義はありがたく、人の人生の支えでもある。
日本は新興宗教などで信仰への偏見が多いのだが、
福音を人の価値観、判断基準になっていることを意識しないと
とてもグローバルビジネスはできないと自覚しないとならないのだが、、
僕がみると、言語問題以上にここが日本でとても理解しがたいので、、当分無理だろうな。

2015-09-30

縦横

たてよこ。また、東西と南北。
縦横無尽という言葉以外に縦横という言葉を使わなくなった。
もっといえば、X軸、Y軸とまでいうようになっている。
また、3次元的に考えると、縦、横、奥行きなどから
縦横のイメージがかわりつつあるのかなあ。
縦、横、それ自体も個々の視点でしかない事実があるだけに。

2015-09-29

深刻

重大で深く心に刻みつけられるさま。
現代社会はとかく、何かにつけて深刻と言い出す。
深刻という言葉が定性なものだけに、
危機感表現のインフレが起きているといえる。

これって、現代語のおおかみ少年現象ではないか?
なんでも深刻っていうから、本当に深刻なものがわからなくなってくる。
人の生き死にも人の価値観によっては、
深刻どころかどうでもいいと判断されたりしているだけに申告な問題にされない。
結局、深刻な問題とは、自分さえ、自分の価値観こそ一番という思い上がり精神の
象徴的な言葉だと僕は理解している。

2015-09-28

予見

まだ起こらないうちに、先を見通して知ること。
予知と同義に近いが、予知のスキルは得てして社会と相性が悪い。
社会のために使えそうで、まったく使えない能力である。

先を見通すこの能力はそれを先に知っていることを口にすると
「なぜそれをみんなに伝えて予防しない」
「その能力をなぜみんなのために使わない」
と非難される。
予防?馬鹿か?
結果がこうなるとわかっていることを予防などで変わったら
予見したことにならないではないか。

正しいことを伝えて非難されて
仮にそれが予防できたら、嘘をついたことになる。
そんな役損なスキル、、そう社会に役立てるのではなく
社会から逸脱するためのスキルとして割り切ってしまうほうが賢明だといえる。
それは、僕が生きてきた結論ともいえるがね。

2015-09-25

体幹

身体の頭部と四肢(左右の手足)を除く胴体部分。
体の幹、、コアのことと言える。
最近は体幹を鍛えるとか言い出しているが、
ただ体を鍛えているだけというを強調、誇張しているようにも聞こえるのだが。
そうではないという。
なんか、体幹を鍛えても思い込みの精神が腐っているなら意味がないのでは?
って思ってしまう。

そもそも、体鍛える意味は何だろうか?
生きているだけで迷惑な存在が長生きすることは
社会の根幹を腐らせていないかって思ってしまう。

2015-09-24

舞踊

ダンスのことかもしれない。
そう、かもしれない、、そもそもダンスを踊りと訳すことはどうだろうか?
ダンス、アクション、パフォーマンス、、すべて日本語の踊りとみなされるが、
目的、表現が異なることが多く、踊りと訳すべきないような気がしてきた。
現代の和訳の多くが、明治時代の賢人とされる人たちの価値観で決められていることが
多く、もう100年以上すぎている現代を鑑みて、直していくべきだはないかと思ってしまう。

2015-09-18

浪漫

ロマンとは?
言葉で説明できるどあろうか?

定義的には古典主義の反対といわれるが、
今度は古典主義とは、、となってしまう。

僕が要約するのであれば
理性、合理、道義というお約束に縛られず
思うがまま、感情に従った行動となる。

現代人はこの浪漫に対して憧れではなく
当たり前の個性
軽蔑すべき発想
となり、人を分類、避難する観点になっていることに、、
なんか寂しさがあるなあ。

2015-09-17

菜園

野菜を作る畑。
でも基本、畑って野菜を栽培するものだから、
菜園ってあまり言わない。

むしろ、畑に満たない個人の庭での栽培場が通例かな?

最近の菜園をみると
人間はなんだかんだで、土を求めるのかな?
産業の高度化で農業から人は離れたが
いたるところで野菜栽培をしたがる。
結局、人間は土に還るということか。

2015-09-16

拠点

いろいろな活動の足場となる重要な地点。
戦、ビジネスにおいて拠点をどこに置くかで
その後の展開が大きく変わる。

確かに、ロケーションフリーな時代になってきている。
場所にこだわらずとも、多くのことができる。
しかし、何だかんだで日本である。
土地が少ないからこそ、立地がステータスになることは
永遠に変わらないといえる。

だから、拠点を設けて活動することは
どんなに時代、技術が進化しても今の価値観に代わりはないだろう。
都会、田舎、、のぼり、くだりの概念がある以上
拠点の格付けはそれ相当の意味を持ちつづけるだろう。

2015-09-15

認証

ある行為とか文書の成立・記載とかが、
正当な手続きでなされたことを、公の機関が証明すること。

最近ではITのセキュリティで用いられることが多い。
安全である立証を、正当な手続きが行われているから大丈夫という論理である。
しかし、正しいとされることすら、現代社会では否定されることも多く、
認証されたからといって確実に保証されているとは限らない。

認証するという行為を正しいとみなす考え方を見直すべきと思うことところがある。

2015-09-14

疲倦

くたびれてあきること。
ヒケンと読むのだが、なかなか使われない言葉になっている。
現代社会、多くの人が疲倦な状態といえる。
、、、、そうだろうか?
人間は生きていれば、疲倦であるような気がする。
いきること、それは疲倦であると思うのだが、
なぜか、当代の人間は疲れているといわれるのはなぜ?

2015-09-11

遊山

山野で遊ぶこと。気晴らしに遊びに出かけること。
現代社会の効率化では、
遊山が認められないだろうな。

しかし、多くのことは遊山の結果に生まれることが多い。
コンを詰めても何も得られないような気がする。
効率化が必ずしも正しいとは思えない。

人工知能、ロボットの進化が進めば
人間の存在自身が非効率になると結論づけられることが明白なだけに
遊山で自分の考え方や発想に価値を見いだせることが
次世代の存在だと僕は確信している。

2015-09-10

更改

前のと異なる新しい契約等に変えること。
あるIT企業は大手顧客のシステム刷新をこう呼ぶ。
まー、今までの保守契約を変えるからである。

上記のことは大手ではなく、身の回りのものがどんどん
買い換えから更改になりつつある。
所有から利用、有形物から無形サービスになってきている。
クラウド、
カーシェア、
タイムシェア、
と、今まで買わなくはならなかったものがどんどん利用になってきている。
使いたいとき、使いたい分だけ、
それを買うのでは、、更改により手に入れる。

こうなると、、支配欲、物欲という概念が薄れ、
煩悩は薄れて、、いや、経済がどんどん停滞する僕は危険視してしまう。

2015-09-09

褒貶

褒めること。
僕は現代社会は本当に褒めることが下手になったなあって思っている。
褒めることより、相手のあら探しのほうが容易であったり
褒めることで、相手が調子に乗ることがリスクだとか、、
それって、バカな意見でしかない。
相手を褒める言葉、まさかそこを褒める視点がない無能者だからこそ
相手を褒められないという事実をもって自覚すべきだといえる。

2015-09-08

福袋

福(幸福、幸運)が入っている袋ではなく、
在庫の詰め合わせ処分なのだがそれを隠してこう言い張る。

たくわんの贅沢煮をご存知だろうか?
たくわんを贅沢な具材で煮込んでいるのではなく、
固くなったたくわんという食材を煮込んでもう一度食べられるようにすることであり、
2度手間になっているたくわんへの皮肉なのである。

日本語はこういう皮肉をさりげなくぶっこんで来る言葉だと感じる。
英語のwitと似ている?
そう感じるかは、人それぞれかもしれないが
僕からすれば、ちょっと違う。
あっちは笑いのためかもしれないが、
日本語は見下し、呆れが込められているところがどうも同義視できない点である。

2015-09-07

誤解

意味をとりちがえること。まちがった解し方をすること。
つまりは、受け手の責任のはずである。
しかし、現代社会は送り手の責任になることが多い。

「こっちを誤解させるような表現をするな」
「こっちを誤解させたのだから、責任を取ってちょうだい」

なんて平気で言い出す。
それに対して

「勝手に誤解したしたあなたが愚かではないか」
「バカなの?自分で何を言っているかわかっているの?」

とこれも相手に誤解を招く受け答えも平気で行われている。

誤解をするということは、
誤解してしまうほうが悪いのか
誤解させてしまうほうが悪いのか
誤解したことを相手の責任にすることが悪いのか
誤解していることを愚かとみなすほうが悪いのか
、、基本、現代社会では誤解がいろいろな意味での
コミュニケーション問題を引き起こす源であることは確からしい。

2015-09-04

満開

花が十分に開くこと。
満点が100点中100点であるが、
満開とは必ずとも定量的なマックスな値とはいえない。
ある意味定性的な表現といえる。

満開という表現は定量的なことより
人を呼び込む条件のような気がする。

満開という状態が人が観る価値があるという意味の閾値としては
これほど人の心を揺さぶる言葉はないかもしれない。

2015-09-03

写生

絵画などにおいて、事物を見たままに写しとること。
自分としては、写生がうまい人はすごいと思う。
目で見たものをそのまま手、指でそのままを描けるのだから。

事実を的確に捉えることができることは
その人の個性を押し殺してまで、対象物を表すに徹せられることで、
あくまでも事実を足すことも引くこともなく表せるということは
それだけで価値がある。

現代社会、いろいろと混合、不純になりやすい中
純を保てることは大きな価値だと思う。

それを3次元から2次元に加工しているようで
そうではない写生は本当にすごいと思う。

2015-09-02

蒟蒻

この食材、、、なんだろう。
栄養価もなく、カロリーもない、味もしみこまない。
まして、生で食べると劇薬に等しい。

僕は思う。
蒟蒻って変な需要で成り立っている。

飢餓の時は何か食べ物をという理由で求められ、
飽食の時は低カロリーという理由で求められる
特殊な食材だといえる。

極端な理由で求められるものって
経済活動において何とも説明しがたい面白きものだあって。

2015-09-01

本題

議論や話題の中心の事柄。
しかし、それは提言者の思い込みであって
必ずも本題とは限らない。

自分はそれが話すべき内容という思いがあったとしても
相手からすれば、そこは違う、興味がないことなどざらにある。

最近よく見るのは
自己主張、能力主義のせいで
自分が本題と思っていること以外は
「関係ない、いいから自分の意見を話せ」
と言い出す輩本当に多くなってきた。

それを繰り返すことがコミュニケーションができないということなのだが
それをわからずに、、さぞ自分が正しいと思い込む。

僕からすれば
本題という概念すらおかしいのかもしれない。

こっちの本題という問いかけに別のことを言いだしたときに
そこから別の情報、、もしくは本題が本題ではないという切り替えをすることが
人間関係、全体視に必要だと僕は悟っている。
この事実を理解せずに、自分の計画、自信を自己中心的に行うことに
恥ずかしさはないのか、、僕からすれば醜く感じるねえ。

2015-08-31

経絡

経は経脈を、
絡は絡脈を表し、
古代中国の医学において、
人体の中の気血榮衛(気や血などといった生きるために必要なものと考えられていた。
とされる。

考えられていた、という発想が僕からすれば
何を言っているんだ、、って言いたい。

針灸を知る僕らすれば、経絡こそ医学であり、
西洋医学の知識のほうは論理学としか感じられない。

どうも現代は、西洋医学に毒されすぎである。
解剖や化学反応に特化して、あたかも正しいような説明をしているが
西洋医学って結構わかっていないくせに正しいようあ嘘をついていてることが
その嘘が嘘とわかると、新発見ってか言い出してくる。

対して、経絡などの感覚であり、経験からの効果は
説明は必要なく結果が出ていている。

胡散臭い説明ばかりで、本当に効果があるかというところを蔑ろにする西洋的な発想より
なんだかわからないが、経絡を理解して行えば、過去の経験からこうすれば効果的の
ほうがいいのではないかと思ってならない。

解剖学の前提で、開腹手術。
本当は開腹せずとも治るほうがいいはずなのに、
わけのわからない理由で開腹する現代社会になんか、
なぜ多くの人は違和感を感じないのか?

僕は開腹手術で医療事故を医師たちに言い訳されてから本当に医療を信じていないからね、

2015-08-28

再建

衰え滅びたものをもとのように築き上げること。
でもそれって、全く新しいものではないのか?
再建というの思いは、
昔をよしと固執する妄執ではないのか?

新しいものを新しいと認めない安心感、信頼感をもつから
再建というわけであり、その再建という発想自体が
社会の新陳代謝を阻害しているともってならない。

2015-08-27

蛍光

発光現象の分類。最も広義には、ルミネセンスによる光(発光)全般を指す。 
広義には、
ルミネセンスのうち、電子の励起源が可視光より短波長の電磁波による発光を指す(フォトルミネセンス)

というが、蛍光とは蛍光灯の明かりとしか感じないのが現代日本人。
もっと言ってしまうと、蛍光って蛍の光であり、
当て字にしてもひどい。
日本語、いろいろな意味で、、論知的というより、伝わらない言語だなあ。

2015-08-26

常用

日常使用すること。
といいながら、常用という言葉は日常には使われなく
使われるとしたら、常用漢字という4字熟語の時くらいである。

日常使用されるというものは意識されなくなることであり、
いわれてみれば、そうだったというものが多い。

昔年寄に言われたことは
「自分の考えたサービスが、日常といわなくても、人々の中に溶け込み
 当たり前になることがビジネスでの社会貢献といえる。」

将来、そんな常用になるサービスを興したいものだ。

2015-08-25

添加

別の物を加えること。
でも、、、添加物っていうと、
あらかじめセットとみなされているものを指していると思わないか?
それは別のものというより、ある種決められた組み合わせとなり
添加とはいえないのではないかって思う。

元来、ちょっとした組み合わせだったものが
ことのほか好評だったので、
それが定常化するものを添加というのは、、
そろそろ言い換えるべきと思うなあ。

2015-08-24

虐待

自分の保護下にある者(ヒト、動物等)に対し、
長期間にわたって暴力をふるったり、
日常的にいやがらせや無視をするなどの行為を行うこと

でも、僕は虐待の感染病であり、社会生活をするときに
全員感染してしまっているものと考える。
とりわけ、現代社会はそれが顕著である。

あるものが、目下の者を叱る。
しかし、叱るという行為自身がもはや虐待と他人には見える。
当人の意思は届かない。
その虐待とみなされた人に対して、バッシングなどの行為を行う。
僕からすれば、それもまた虐待である。
ある行為を虐待とみなせば、それに関わるものはみな虐待行為に関わっていまう。
しかし、当人は自分の行為は虐待ではなく、他人の行為は虐待と騒ぎ立ている。

これって、魔女狩りなどでさんざん人間は厭な思いをしてきたのに治らないのは
根本的に人間の本性そのものだからではないかって悟ってしまう。

2015-08-21

何様

自分を見つめて
自分にとって都合のいい存在を洗い出してみる。
そして、自分が逆にそう思われる存在としたら、どう思うか。
不快だったら、その関係は良くないないというか
ただ相手を利用しているだけであり、いつか破綻するんだろうなって思う。
僕はこのシミュレーションに長けているから

自分に置き換えて考えることで最低限の付き合いを続けられることが多い。
人間関係なんてそんなもの。
なのに、、多くの人たちは自分のことを棚において
「あいつは何様のつもりだ!」
って自分こそ何様って思うことを平気で言い出すから、、本当に人間はダメだなあ。

2015-08-20

不純

純粋・純真でないこと。
よく、不純な動機と揶揄するが、それって熟考したってことと同義だとおわかりか?
不純であるということは、複合、混合つまりはいろいろな切り口を持つということである。
純であるということは、無知、何もできていないという表現が伴い、
純であることがいいというには、、なんか偏見、差別のような気がする。

純粋であることが正しいという価値観そのものが
社会から不純な動機とみなされかねないメビウスの輪の論理になるような気がしている。

2015-08-19

極書

きわめがきと読み、実は鑑定書のことである。
極め書きというからには、
極めた人によるお墨付きということで。

僕からすれば
現代価値ってそのものではなく、
鑑定書がその価値を維持しているといえる。
だって、鑑定書がなければ、差異がわかるわけないんだから、現代人ごときが、、
つまりは、誰かの決めた基準に従うことが価値という感じがしてきてならない。

ある意味、人間の極めた姿鑑定眼ってこれではないかと悟ってしまう。

2015-08-18

英傑

知力、勇気などのすぐれている人。英雄豪傑。
つまり、英傑とは英雄豪傑の略語だそうだ。
最近、英雄がいない、豪傑が出てこないという人がいる。
そんなの当たり前だといえる。
英雄、豪傑は後世になりいわれるもので、当代のうちにそう呼ばれる人はある意味
ばったもの、忘れ去られる存在ではないだろうか?

武力、暴力批判の現代社会では
英雄、豪傑は出てこないかもしれないが
ある意味、仕事の仕方、決断、実績からそれに見合う評価はきっとあるだろう。
そう呼ばれるような存在になりたいと思うと同時に死んだ後にどう評価されるかなんて
どうでもいいかなあって思ったりしてしまう。
この文章を読んで、批判的に思われても
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや と思ってしまうがね。

2015-08-17

座学

教室の席に座り、先生の話しを聞くタイプの授業、講義。
一般的な授業というものは、座学である。
しかし、座学というものはあまり身につかないということがわかっている。
人間は五感で概念を理解する。
座学は、視覚、聴覚だけである。
しかし、現場主義、、OJTだと、
触覚が加わり、場合により、味覚、臭覚も出てくる。

ではなぜ、座学が多いのか、、それは安くかつ無責任にできるからだ。
紙と机があればよく、出席していればそれに参加したといいきれたりするからだ。

本当に役立つものを身に着けたいなら、
座学を否定する社会にしないとならないかもって思う。

2015-08-14

空缶

飲み終わった飲料の容器で、主にアルミ、スチールのものをさす。
お気づきだろうか?
最近の缶コーヒーの缶がスチール製からアルミ製に変わってきていることに。

そもそも、なぜ缶コーヒーはスチール缶だったのか?
その理由もまたわからないままだと思う。
缶飲料で怖いのは致死率の高いボツリヌス菌があり、
それは高温滅菌をする必要がある。
乳成分はその対象であり、
缶コーヒーは当初ミルク入り加糖が当たり前だったため
高温滅菌をしなくてならなかった。
その高温滅菌にアルミが熱膨張する素材のために耐えられず
スチール缶になっていたというわけである。

しかし、この定義、および当時の技術から
現代は進化していて、アルミの材質アップ、そして
製造工程でボツリヌス菌が入らない衛生管理と
ボツリヌス菌がいるかどうか検査の仕組みも改善されてきたので
コスト、軽量化に優れるアルミ缶で缶コーヒーが出せるようになってきた。

理由を調べれば、そういう理由で変わったとわかるが、
多くの庶民は
「あっ、言われてみれば、入れ物がちがう、でも味が同じならどうでもいい」
とか言い出すだろう。

それって、日本古来の価値観、
目で味わうという概念も理解できない愚民であると僕は感じるし
そういう感覚だから、相手とのコミュニケーション、そしてビジネス感覚が
おかしく経済が活気づかないと思ってならない。

空き缶一つからでも、いろいろなことがわかるように感覚を研ぎ澄ます気概が
なさすぎるぞ、現代人は。


2015-08-13

独善

自分だけが正しいと信じ込んで行動する態度。ひとりよがり。
悲しいかな、当の本人は自分がそうだと気付かないから
独善という評価を他人から受ける。

自尊心が高い人間が増えたせいか
「こんなことも知らないのか?」
と言い出す輩に対して
「はーー、何を言っているの?それって何?あなたの妄想?」
と言い返す。

もうどっちもどっちだと思うような議論、いや口喧嘩が実に多い。

確かに、自分の経験は何よりも実体験なので自分の中では正しい。
しかし、それは自分の経験であり、他人の経験などはその対象どころか
自分が経験していないから、どうでもいいという風潮が顕著になってきている。

独善という表現は善ではなく、他者を悪とみなす意味表現の象徴に感じてならない。

2015-08-12

反対

物事の位置・順序・方向・あり方などが逆の関係にあること
現代だと、反対運動が挙げられる。

今の大きな反対運動って原子力発電所の再起動。
日本人を長期的世代を超えてみると
本当にバカな民族だ。

現在、
現在、年寄が原発反対って騒いでる。
「未来のこともたちのために、再稼働させるべきではない」
といっている。

対して、その子供たちが本当にそう思っているか、
もしこれからの電気需要を抑止してまで原発を止めるべきか!
もしかしら、年寄と反対かもしれない。

なぜこういう言えるか。
それは今、反対と言っている年寄の親たちが
高度成長期に
火力発電所の排ガス
オイルショック
拡大する電力需要から
「未来の子供たちのために、原発導入は必須だ」
として原発を推進してきた。

親は子のために、と言いながら、、
しかし、子は親と反対の意見を言い出す。
親、子、孫とそれぞれの世代が
未来のためといいながら、自我を押し通すのが
この国の伝統なのか。

後50年たてば、
「原発をなぜ否定したんだ、電気が足りないではないか!」
とまた言い出すのは、人間を俯瞰している僕からすれば見えた未来でしかない。

2015-08-11

連責

連帯責任、、
ビジネスマンで低位の者が非常に迷惑をこうむるポイントと僕は思っているし、
これを解決させることこそ僕のビジネスソリューションだと思っている。

イメージを具体化させて伝えよう。
上司の命令でその仕事を行うが、自分ではそれでは良くないと思っている。
その思いに対して、信念をもって苦言を呈せば
上司から使えない部下として、社内に噂と評価を流されて
出世どころか、その会社に残れやしなくなる。
逆に従えば、いつかはその問題が明るみに出たとき
第三者から、
「なぜこんなことになっている、わかっているならなぜ改善しなかった」
と共犯者のように扱われる。

やってもやらなくても、報われない、連帯責任を負うのは
現代社会の大きな問題。まして、そういう使えない上長というものが
上記の温床で大量発生している。
何もしないで、失敗しない人間が周りの失敗から昇進してしまったり、
机上の空論で他人を批判、自分の失態は自分の理論を実現できない部下のせいと
権力を使って言い出すことが許される現状なのだから。

僕は思う。
ピンポイントではこのような危ない状況を改善できると自負はある。
しかし、社会全体がこうなっている以上、部分最適より
いっそ破綻して再創造するほうが、全体的にいいのではないかと。
ダメな人間に関わるものすべて生命に関わるくらいに大きな破綻がこの社会には必要と思ってならない。
過激かもしれないが、そのくらいのことが起きないと現代社会は変わりはしないのだから。

2015-08-10

水質

その水の性質や化学成分のことであり、
水質検査などで内容を科学的把握する際に使われる。
思うに、水質という概念そのものが
ある意味、日本独特かもしれない。
水質をちゃんと調べて、その結果で行政が動くということだけでなく、
飲み水として大丈夫という基準をつけることなど
外国では発想すらないものである。
蛇口を捻って飲める水は必ず水質検査に合格した証拠を立証できることは
日本が本当に水に恵まれそして、水への徹底した管理意識が高いと言えるし、
ある意味、外国のミネラルウォーターなんかより
日本水というものを日本ブランドで売るべきだと思っている。
たかが水にお金を払うか、、、というが
この間まで、お茶をコンビニで買うなんておかしいと言われた昨今から考えれば
もう水になってもおかしくないと言い切れる。

2015-08-06

漢文

古代中国の文語体の文章のこと。

気になる。
大学入試試験で、国語に漢文問題がある。
漢文は国語か?
漢字がだからというが、ならカタカナも英語とみなしてもいいといえるではないか!

どうもこの国の考え方は偏っているとしか言いようがないし、
それを指摘する僕のほうが考え方が偏っているとされることが多いのは
社会全体が、はだかの王様となっているのではないかと思ってしまう。

2015-08-05

好評

よい評判。
、、、いや、なんでもないこと。

広告代理系の仕事をしていたのでわかるのだが、
発売前にTVCMを作成し
放映されることを見込んで
「好評発売中」
と銘打っている。

誰も買っていないものなのに、、、
これはもうお約束で、ただの接頭辞でしかない。

よって、
「君はお客様に好評だよ。でね、」
なんて、目上の人から言われた場合、
あーー、ただ、なんか命令したいだけなんだなあ。って
思ったほうがいいとりかいしておくべきだね。

2015-08-04

異才

人並み外れた才能。
これっておかしくない?
才能って言われること自体、人並み外れているから才能といわれるものであり、
それをまた識別して、異才と言うのはどういう理由なんだろうか?

日本人は基本、他人と同調、一緒であることをよしとする。
それが今までの価値観であり、人と違う能力を忌み嫌ってきたこともあり
他人に畏怖を与えるものは能力であっても、異なるものと見なしてきたから
異才という言葉が生まれたとも言える。

最近の能力主義偏重の現代化
そして、いまだ残る能力への畏怖、忌み嫌い。

だから、日本では能力主義とそれを批判する発想が同勢力で蔓延しているようで
それが社会的停滞を招いているように感じるのは直視できている自分だけのような気がして
それもまた異才なのかなあって思ってしまう。

2015-08-02

珈琲

コーヒーはもう日本では普通の飲み物、というか喫茶とみなされている。
紅茶、烏龍茶と違い、茶葉ではないのに、
お茶扱いされているのは僕個人としてはどうかなって思ってしまう。
それだけ、コーヒーが生活に馴染んでいるといえるが、
そのコーヒー自体、日本では何一つ製造できないということも
ある意味、日本の食生活文化の象徴とも言えるような思いがあるね。

2015-07-31

難航

難しい航海から派生して
障害が多く、物事がはかどらないこと。
ただ、この難航、主観的な意見に過ぎず、
難航していると思っているのは自分だけで
相手からすると、なんて邪魔なんだって思ってしまうことばかりである自覚は
多くの人間が理解していない。
自分が思う障害は相手からすれば、なんて非常識な嫌な存在の可能性がある前提で
物事をとらえるべきだ。

2015-07-30

特集

新聞・雑誌やラジオ・テレビなどで、特定の事件や問題をとりあげて編集したり放送したりすることである。
でも、それってひとつの記事であり、特定しているとはとても思えない。

日本語の多くは、誇張している表現が日常化し過ぎている。
なんか表現が多くて、それが当たり前になっていることに対して
言葉のデノミをしてはどうかって思う。
特集は記事
特価は価格
大サービスは値引き
と表現を戻したほうがわかりやすいのでは??

2015-07-29

開幕

舞台の幕が上がるという本来の意味より
時期がきて、ある物事が始まることで使われることが多いだろう。

物事も多くはシリーズ、連続実施されるものをしていて、
長い期間のスタートに使われる。

興行主の立場で考えると、
短い期間の開幕を積み上げて、
大きなイベント期間の開幕を目指すことが本懐ではないだろうか?

ある意味、成功者の一つの判断基準として、
開幕させるイベントを主催できるようになることが基準ともいえ、
僕もそうなれるようになりたいものである。

2015-07-28

饂飩

読めますかな?
答えは、うどん。
基本、現代社会ではひらがな表記が一般的になっている。
それで、ほぼ日本人全員に通じるといえるくらい浸透している。

では、うどんと麺の違いはなんだろうか?
基本、小麦粉で作られるものであり、
細長く、茹でて食する。
大まかなところに差異はない。
違いは、、

はっきり言えば、これも思い込みの問題であり、
それをうどんといえば、うどんであり、麺といえば麺である。
そのとき、他人がその定義を容認しないことが個性であり、
そして抗争の始まりである。
些細なことだが、こういう個人定義の問題から抗争は始まるものである。

2015-07-27

賢人

賢い人。
賢い人が有益だという錯覚が現代社会を悪くしている。
勉強できる人が社会を回すとされるが、
その勉強できる人がこのダメな社会を作ったと思うべきでもある。

賢いことの多くは、誰かの意見をただ覚えているに過ぎない。
それが今でも通じると思うことが古い価値観であり、
多くはもう使えないことばかりである。
使えないものを、偉そうに語ることが賢いというバカらしさに
そろそろ庶民は気づけよって言いたい。

2015-07-24

奉仕

国家・社会や目上の者などのために、私心を捨てて力を尽くすこと。
人はこの概念を求める癖に、能力主義を掲げている。
能力とは自分に帰着する益なるものであるから
奉仕とは相反する意味なのだが、両方が両立する思い込んでいる輩が多いどころか
自分は奉仕を受ける側と思っている。
奉仕をするものであり、されるものではない。
その辺の自覚、他人が奉仕しないって言い出す発想からして、
現代に奉仕の概念がないといえるし、
奉仕をすることがなんて無駄な社会んあだろうって思ってならない。

2015-07-23

牧草

家畜の飼育に使用される草本類のこと。
では、牧草ってなんて植物のこと?って言われると
牧草は牧草って答えてしまうだろうが、
牧草も植物名がある。
多くは
ライムギやクローバー、アルファルファなどである。
それらを知っていてもあまり意味がないんだろうね。

ある意味、食事をごはんって言っているようなもの。
すべてをまとめて総称で理解するのは日本人の特徴かな?

2015-07-22

毀損

 本来の意味は物をこわすことであるが、
現代社会では利益・体面などをそこなう
無形財産への侵害だろうなって思う。

無形だけに、思い込みだったりする。
何をもって毀損なのか?
自分にとっては毀損であっても相手にとっては取るに足らないことなんてことが多い。

身の回りに起きた事件では
名誉棄損だと訴えた人間に対して
その訴えが名誉棄損だと訴えた人を見た。
もうどうしようもないと僕は感じている。
毀損という概念があればあるほど、無いものを無くしたという
自分の世界の論理がまかり通り、社会が社会でなくなるような気がする。

2015-07-21

普及

広く行き渡ること。
僕の中では、伝染と普及は同義でとらえている。
病気と一緒にするな!ってバカはいうが
普及というものは、精神浸食、ある意味、思い込みの伝染でしかない。
今までの当たり前、前提条件を壊すことが普及であり、
ある人からすればそれは恩恵かもしれないが
別の価値観を持つ人からすれば、それは自分の周りの人間がある種の精神病を発症していると感じることだろう。

一昔前でいえば、
小さな画面をずっと見続けている人は気持ち悪いとまで言われていた。
オタク、ゲームマニアとなっていた。
しかし、現在はモバイル化、情報化が進み、
それら画面を見ていないで生活する人のほうが社会的におかしいとなっている。

年よりからすれば、現代人が機械に支配されている精神病と見えてしまうが
そう発言したほうが、精神的に病んでいるとみなされるのが
普及のコモディティ化の恐ろしさともいえよう。

いいものを普及させようという発想は、
精神伝染、ある意味洗脳であると理解、判断できる意思をもって
現代社会と接しないとならないと僕は思う。
もっとも、それを意識しない人が多いからこそ、
普及できるという事実も忘れてはならないけどね。

2015-07-17

駆使

追いたてて使うこと。こき使うこと
から、今の社会では昇華された意味
自由自在に使いこなすこと
になっているだろう。

人生とは駆使して生きることだと思う。
駆使するものが、何かでその人の生きざま、人生観がわかるというもの。
何を駆使して、何を得て、その得たものから次に何を駆使するのか。
そこを意識すると、、目的意識がしっかりするという一般的なまっとうな意見と
プロセス志向で当人の人間としての意識が希薄なつまらない発想という意見が
出てくるだろう。

駆使することでえられるものが
自分という人間の価値と限界を決めてしまうと言い切れることを
忘れないようにしていきるべきだろうな。

2015-07-16

探査

未知の物事について、さぐり調べること。
科学的にいうと、探査だが、
ある意味、冒険ともいえる。

最近、コスト意識のせいか、探査という概念がめっきり減った。
でも、探査、冒険する気持ちなくして進化なし。
もっと、探査をビジネスでしていくべきと僕は思うし、
そういう施策を社員に推奨することがベンチャー精神ではないかと思ってならない。

2015-07-15

遠慮

人に対して、言葉や行動を慎み控えること。
最近、この発想が薄れた社会になっているなあ。

自己主張、能力主義、皆平等、
それで遠慮から慎みがなくなり、
ただ相手を怒らせるだけ、訴訟を起こす社会になっていることを
恥ずかしく感じない日本人になってしまったことは
グローバル化なんかよりよっぽど問題となぜ、庶民はわからないのか?
本当に僕には理解できない。
忘れられた10年で本当になくしたものは
慎み、思いやり、、遠慮に秘めた日本人らしさだと僕は確信している。
ものづくり日本という本質はそこだということをいい加減に気付けよって思うよ。

2015-07-14

評判

世間の人が批評して是非を判定すること。
人によっては評判が人の価値と思ったり、
その評判が胡散臭いとみなされたりする。

人の噂も七十五日、
評判なんか相対的、時限的なものといえる。
いくら評判のいい人でも自分にとっては邪魔な存在だったりするし、
評判の悪い人がすごく使える人だったときはなんか得した気分になるのだから。
あまり評判を信じないほうがいいかもしれない。

2015-07-13

打倒

うちたおすこと。うちまかすこと。
平和主義とか言っている日本。
でもスポーツやビジネスで打倒って言葉が頻繁に使われる。
スポーツ、ビジネスでは使っていいが、平和的ではないところに使わないっていう
暗黙のルール。

、、、バカらしくないか?
基本、人間、、動物は好戦的で進化するものであり、
それを文化的とかいって抑止する発想自体が精神的におかしくしているような気がする。
打倒、という言葉、、それより平和っていう概念そのものを考え直すべきかもね。

2015-07-10

始点

ひと続きの物事の始まる箇所。
という言葉で言うと簡単だが、
実際問題、始点を明確に定義できるだろうか?
ある事実の始点とされるものは
別のもの中間点、場合によっては終点だったりする。

始まりが決まっているものなど、
あるわけないというか、
始まりを定義したがることは
物事を切り捨てる考え方ということで
僕からすると、独断、横暴な発想に感じるね。

2015-07-09

悪夢

眠る時に見る嫌な夢という意味だが、
比喩表現として、この世のものとは思えない程の悲惨な光景のほうが使われやすい。

そして、悪夢という言葉が案外簡単に使われるようになっている。
言葉は量産されるように使われ、コモディティ化して
意味の重みが失われていく。

悪夢のようなことだ、、という言葉、、聞き飽きて
あたかも日常に感じるのは、それだけ多く使われている証拠なのかもしれない。

2015-07-08

可塑

思うように物の形をつくれること。塑造できること、、、
英語でいうと、、、、plastic 、、そうプラスチックのことである。

勘違いしている思うから述べておくが
そもそも
可塑 : 思うように物の形をつくれること
という意味、
plastic という言葉が先に存在した。

そして、重化学工業の発展で
石油から整形のしやすい材質が見つかった。
その材質は、型に流し込み、冷やすとどんなものも作れる画期的、、魔法の素材となった。
そんな魔法の素材を、、、
plastic material (可塑素材)と呼んでいたが、、
その素材があまりにも社会、生活に蔓延した結果、、
物の呼称は、短くあだ名になる。
日本語で言えば、、、携帯電話はケイタイといわれるように、、
そうplastic material も、、ただplastic と呼ばれるようになる。
それが日本でも、
可塑素材とはいわずに、
プラスティックという呼ぶようになった。

使い勝手のいいものは
万国共通、略されるんだなあ。

2015-07-07

遺産

先祖代代受け継がれてきた財産その他の有形的・無形的価値のことをいうこと。
面白いもので
相続対象の遺産は社会から疎まれ
所有権のない遺産は、文化、歴史遺産とされる。
受け継ぐ対象が特定できないほど
ありがたがられるのは、、、多くに資産にも当てはまることともいえるかな?

2015-07-06

親和

 互いになごやかに親しむこと。なじみ、仲よくなること、
親和性というと、それが抽象化されて
ある物質が他の物質と容易に結合する性質や傾向となる。

親和性の恒久性は科学的な立証はできる。
しかし、人間関係の親和のほうは、一過性、そのときの思いでしかない。
本来あるべき、親和の代名詞、親子の愛も
最近では、骨肉、ネグレイド、など、なかなか親和と言い切れないことが目立ってきた。

仲良きことは美しきかな、、
美しいというだけに、現代社会は醜いんだろうな。

2015-07-03

短冊

細長く切った紙や薄い木の意味だが、
今では、七夕の願い札とみなして差支えないだろう。

思うのだが、
神さんへの祈願は人に話しては願いが叶わないといわれるが、
絵馬や短冊は願いを他人に公開させるのだなあって思った。
これって、日本人の曖昧さの象徴なのかなあ。

2015-07-02

画面

描かれている絵の表面。
でも、そう考える人はいなく、ディスプレイのことといえるだろう。
現代社会、画面がないIT機器、、いや電化製品はないくらい
画面というインターフェイスが当たり前になっている。

出も僕は会社創業時に
「キーボードのない時代のITがわかっているので」
と口にして、今そうなっている。
それだけ僕は見えているので、あえて言おう。
5年以内で、画面という概念はかわると思う。
画面は画面だが、、ディスプレイである必要はなくなるだろうと思う。
具体的に言い当てられれば、僕はこんなに苦労しないのにって思うが
そうなることだけはここに宣言しておこう。

2015-07-01

出精

精を出して努めること。精励。
今、この言葉を使うのは、、値引きのときくらいだろう。

現代社会、
精一杯やるより、効率化が求められ、
値引きそのものがオープンプライス、価格変動が秒単位になっている以上、
出精値引きという発想そのものが通じなくなっている。

とはいえ、
精一杯行うことは
買う側より、売る側の気持ち、、
そうビジネスへのモチベーションが生まれるどうか、
仕事に対する考え方だと思う。

だって考えてほしい。
人手不足なのに、
失業保険が過去最大って
どんな状況だよ。
どれだけ、精一杯生きようとしていないんだよ。

2015-06-30

持久

粘り強さ、、という精神面。
疲労への抵抗力という身体面、
持久という言葉にはいろいろと使い方がある、一種の多義語といえる。

ただし、持久力があるという評価は正当な評価といえないと僕は結論付ける。
持久力があると言われることは
いう側の管理能力不足
言われる側の改善能力不足
という言葉に置き換えられ、プラスというよりマイナスに感じられる。

持久力を評価する前に
現状打破について言及をしなくてはならないことを
忘れてはならない。

2015-06-29

充電

電気を貯めること。
最近は転じて、
稼働せずに次の仕事のために休んでいることをさす。

僕も充電期間を長くとってしまったことがあるが、
本当に充電とはよく言ったとので、
充電しすぎると過充電で蓄電機関が壊れかねなく、
以前のようなパフォーマンスが出せなかったりする。

適度な充電が正しく
十分な充電は、ある意味、放電以下の結果になってしまうと
思うと、休むことも考えなくてはならないかなあ。

2015-06-26

朴訥

読めるだろうか?
ぼくとつ という言葉だ。
では、ぼくとつ ってどういう意味だろうか?

質朴で訥弁であること。かざりけがなく、口数が少ないこと

ことなのだが、
読みも意味もわからないまま
現代日本人は使っていると思ってならない。

2015-06-25

店頭

店先、
ある意味、展示、ディスプレイとなり、
その店の扱っているものそのもの、象徴ともいえる。

現代社会、
店頭というものの価値、存在が変わりつつある。
店舗そのものが必ずしも物理店舗、売り場である必要がなくなったこと、
生産される商品が希少化、事前情報化、そのものが情報化されて
実物を店頭で展示することができなくなってきていることによってである。

ビジネスが変わり、
ライフスタイルが変わりつつある現代。。
いや、いつも変わり続けている社会であり、
その流れが売買現場、店頭という概念に波及されてきたというだけともいえる。

2015-06-24

増員

人手が足りないことを説明しろって言われるが
それって、実に無駄かつろくでもない行為だと思う。

人手が足りないことを説明するために準備する工数、時間
そして、それを説明して出てくる結果はほぼそれ以上に人手をかかる結果を導くからだ

僕からすれば人手が足りないという事実を知る方法は
ヒアリングではなく、その現場の実情をするべきであって、
説明なんかどうでもいいと思う。

人手が足りないのは人の問題ではなく、
その現場の問題である。

現場そのものをどうなっているかであって、
増員すればいいという安易な発想をだす輩は
人の上に立つ必要はないと言い切れるし、
実際問題、増員という言葉は失敗した代名詞だと思う。
増員という言葉になるではなく、組織分割、組織統合、
役割変更などが行われて、結果的にヘッドカウントが変わるわけであり、
増員という話ではないといえる。

どうも、現代の管理職の質が僕には低く感じてならない。

2015-06-23

総力

集団・国家などの全体の力。また、あるかぎりの力。
僕が思うに総力を出し切ることとは、
いろいろな意味でダメだと言い切れる。

総力の反対の意味を僕はゆとりと考える。
ゆとりある行動なくて、各種対応はできないといえる。
そこに総力を使うということは、次もしくは不測の事態への対応を捨てるという意味しか
感じられない。

そこまでして、力を出し切るのはどうだろうか?
時間は続く。その時点でどうであっても次の時間を意識した行動なくして
存在意義を見出せるだろうか?

もし総力を出し切るなら、
それは知恵のほうであるべきだといいたいがね。

2015-06-22

理念

ある物事についての、こうあるべきだという根本の考え。
聞こえ方はかっこいいが、それって偏見に他ならない。
価値観どころか、正しさも曖昧な現代社会。
自分の理念を掲げるということは
それは自分が偏見の塊である立証でしかないといえる。

しかし、この事実に多くの人が理解してないから
自分こそという意見を理念として打ち出して抗争をまねているのが実情。

理念という概念を否定してこそ、
これからの考え方だと悟ってこそと思うがね。

2015-06-19

仕掛

工業簿記または企業会計において、製造途中にあること。
ある意味、材料でもなければ、製品でもない。
曖昧な状態であり、一瞬あり得る姿といえる。

しかし、一瞬ということ、そして何でもないものは物議をかもすものであり、
そのときはすでに材料ではなく、買ってもらう前提で作り始めたから
飼い主のものだ、いやちがう。
価値は材料に付加価値がついている。いや違う。

など、いろいろとね。

一瞬しか存在しないのに、
いや一瞬だからこそ、いろいろと論議がつきない。
それはあたかも、UFO,幽霊の存在のように
永遠に決着のつかないの論争のネタなんだろうとね。

2015-06-18

狭窄

すぼまって狭いこと。また、そのさま。
基本、人間は他人を狭窄とみている。
簡単なことさ、自分の視点どおりに相手が見えていないことは
相手が視野が狭いと認識するのだから。

その認識もまた狭窄なのだが、
動物は自分で自分を見ることはできない。
見ようとする認識ができるのが知的レベルが高い動物だけのようだ。

狭窄の論理から考えると
自分すら見えてしまうくらいの視野であるということは
人間を超えた存在、神ということになるのだろうか?

論理の世界と精神論は共存できないのが常だが
狭窄の概念がその2つのねじれの位置の関係を
緩和させるものではないかと哲学的に考えてしまう。

2015-06-17

誰得

現代の造語かもしれないが、
現代の熟語とて、福沢諭吉、西周が翻訳で作り出したものが多いのだから
この言葉もすでに熟語といってもいいだろう。

誰が得をするのか?反語的に使われるが、、、
この言葉が使われるときの多くは
その発言をさせてしまうようなことを
述べている側の思い込みに起因している。

誰得でおきる思い込みって
その発言立案者の名誉欲
そして、社会は自分の思うとおりでないでならない先入観
で成り立っている。
それゆえ、
「俺がお前らのためにやってやっているんだ」
という意識そのものが誰得そのものだといえる。

現代人、
結構、こういう人ばかりになっている。
小さな親切、大きなお世話 どころではなく
身分関係なく、俺がやっていやるっていう発想で
社会に大きく迷惑をかけていることのほうが多い。

人手不足といわれるが、
無駄なことをする人間が増え
それゆえ、後始末が面倒で人手が足りないのが事実である。
だって、基本的なルーティンはもう人手というレベルではなく
ほぼオートメーションで出来てしまうからだ。

誰が得するんだよ、お前の行動。
その真の意味は、無駄な人口増ではないだろうか?
自然淘汰が進まないのは、社会、地球悪のような気がしてならない。
誰が得、、地球規模で考えれば存在しないことこそ、、かもね。

2015-06-16

分業

複数の人員が役割を分担して財(モノ)の生産を行うこと。
しかし、現代日本において分業は成り立たない。
なぜなら、分業する側、される側の認識がかみ合わないから、
外国、欧米のブルーカラーであれば、
ユニオンが成り立ち、同スキル間での分業が成立する。

しかし、日本のおいては
ユニオンではなく、同社内で同スキルという概念ではなく
強引に分業が行われる。根拠なき分担指示だ。

根本は、いつものようにできない輩への補填なのだが、
補填扱いだけに、既存のバカが残る。

バカは分業されて暇になり、それを管理とか言い出し始める。
補填できた側は、そのバカに付き合わされるので、
分業しているつもりがそのバカの面倒でかえって負荷が増える。


根本的に日本の管理という概念が壊れているとか言いようがない。

2015-06-15

手記

自分の体験やそれに基づく感想を自分で文章に書いたもの。
広義で考えると、ネットにあふれている多くの文章は
これにあたるような気がする。

人間は言語で意思疎通する動物である。
言語は、発声と識字で伝えるので、
手記は識字側に当たるものといえる。

ネットの普及で
気軽に自分の意思を書き残し、閲覧できるようになったが、
その分、読み手に伝わるどうかはなかなか難しくなっている。
まして、気軽だけに、推敲が減り、知悉かつ文章になっていないような文というか
文字があふれているだけに、手記というものの価値は低下しているといえる。

書き残すものが気軽になればなるほど
重みが失われている現代。
そもそも、他人に意思疎通をすることへの価値が本当に必要なのかどうかすら僕には怪しく、
手記などの私文書の意義ってなんだろう。

このブログも考えてみれば、目的、重みが薄れてきているかもしれない、
少し見直すべきか、、

2015-06-12

招聘

礼を尽くして人を招くこと。
のはずだが、気軽に他人をアサインさせることに使われはじめ、
そして、招聘しているのだからとまで言い出す
無能な管理が始まる。

招聘における無能管理に対して
例えは悪いのだが、下記の例が挙げられる。

人間のパーツ 腕、足、内臓などを
すべて集めてつなげても
人間は動き出さない。
心臓が動くというより、
何か魂みないなものがないとだめである。

いくら人を集めても
魂というか、その存在意義になるもの形而上な存在がなければ
ただ人が集まっているだけになっていまうのである。

人手不足とかいいだすが、
就職率、失業率から考えれば
人手がないわけではない。

使える存在、強いて言えば
魂をもって自発的に利益貢献ができる人が欲しいだけなんだが、
そういう人ほど、
本当の意味での招聘をしないと無理だといえる。

大量募集
めぼしい人材なし
また大量募集
人材は釣りじゃないんだから、、それでは、、、

2015-06-11

親元

親の家、実家。
最近思う。
核家族化が進んでいるといわれるが、
独立しないで親元にずっといるパラサイトシングルが多いといわれている。
これって、核家族の進行が止まって新たな家族形態の進行ではないだろうかって思う。

親元についての考え方は時代とともに変わっている。
~長男以外は親元を離れて独立すべき
~核家族化による家族意識の希薄化、老人の孤独死
~いつまでも独立しないですねかじりのパラサイトシングル
、、、、
親元を残ってもダメ、離れてもダメな社会風潮が多く、
何が正しいかわからない。

そもそも論でいえば、
親元発想は人間くらい
そして、血族への意識は各国にいって違い
日本みたいにころころ変わらない価値観である。

切っても切れない親子の縁かもしれないが
個々の別の生命体という地球規模の視点でもれば
親元をどうとらえるかなどどうでもいいことかもしれない。

2015-06-10

恩恵

恵み。いつくしみ。
うーーん、恩恵ってなんだろう。

精神的なものや行為に対して使うことが多く、
ある意味見えないものに対して使っている。

目に見えないからこそ、
その恩恵というものを実感できないことが多く
形而下、物量社会の現代では理解しづらいものだろう。

でも、恩恵をうまくビジネス、、教育に生かせるようになれば
人の忠誠、やる気が育成できるのにって僕は思う。

それをどう考えるかが、僕の命題かな。

2015-06-09

葛籠

漢字で書くと難しいが
これは、舌切り雀に出てくる つづら である。

葛のつるや竹で編んだ箱のことだが、
それを見ると思う。
昔の人は、学はないかもしれないが
器用でかつ才能に長けていると感じた。

だって、この葛籠を各家庭で編んでいたのだから、
現代人では到底無理なことを平然とやっていたと見受けられる。

情報化社会
生産の効率化で
人は知識、考え方のレベルは高度化したが、
モノづくり、手作業においては
日本人は退化したのではないかと思ってしまう。

2015-06-08

怨望

うらみに思うこと。
妬んで、相手を追い落とそうとすること。
噂によると、福沢諭吉翁が勝手に作った造語らしいが、
今では一般語なのかもしれない。

日本の価値観ならば
怨望を抱くくらいなら、
それ以上に、自分を磨き追い抜けばいいと言い出す。

しかしだ、
会社、経済、、、そして政治をみても
怨望のよる足の引っ張り合いしかない。
それが人間の本質だと思う。

怨望を持つなっていう胡散臭い言いようはやめて
怨望を他人に抱かせる、もしくはその怨望を認め、相手を追い落とす策の一つに
価値観のある副産物を求めるような指導こそ、現代人として人間味のなる指導ではないかと
強く思っている。

boys be envy

少年よ、怨望に向き合え。

2015-06-05

業務

日常継続して行われる職業上の仕事。

でも、本来の意味は
カルマの務め、
カルマとは行為で生じる罪悪のことであり、
業務とは
自らの行いで生じる罪への務めと読めてしまう。

なんか、悲しいな。
仕事をすることって。
まー、経済という概念ないときに生まれた言葉、業務というものであり
一概に発祥起源に合わせた理解でなくてもいいのだけど。

2015-06-04

品定

人や物の優劣やよしあしなどを批評し判定すること。
ある意味、上から目線である。

品定めができることは供給過多の状態といえ、
ある種、飽和な経済、社会状態といえる。

しかし、この品定めの感覚が現在、悪い方向に向かっていると思っている。
品定めできる立場ではない人間が分をわきまえず
品定めをしていることが目立つ。

「これで嫌だ、もっといいものをもっと安く」
「自分はこんな地位のはずはない、もっと好待遇であるべき」

という事象が目立つ。
自己主張の本質、品定めのTPOをわからずに
この手の事象が目立つことは
あり得ない供給の要請
必要としない需要の容認
という市場経済が成り立たない結果がおき
経済をゆがめているということになっている。

~人手が少ない
~価格が見合わない

などいろいろ言われているが
そもそも市場が成り立っている条件が狂っているのではないかと常に思ってしまう。

2015-06-03

始末

 物事の始めと終わり。始めから終わりまでの細かい事情、または成り行き。いきさつ。
ある物事の最終的な状況。特に、よくない結果。
基本、滅却に該当する用例で使われるものといえる。
ある意味、自分でまいた種の刈り取りという意味であろうか?

外国語によっては、単語に性差があるように
日本語も同じような意味に対して、陰陽が見え隠れする。
この始末などは意味合いからすれば、陰に属するような。

その点について、なかなか言及されないのは
日本人の感覚が鈍感なのか、それを理解することができないのか?
まー、こういう言語学はなかなかフォーカスされないから
実際には誰かが研究していたかもしれないのだが。

2015-06-02

片付

物を、適当な場所にきちんと入れ納める。

この言葉の定義を理解すると、
部屋が荷物であふれているということは
狭義の意味では、片付けができないのではない。
だって、入れ納めるところがないのに手に入れていることであり
片付けと関係がないないといえる。

現代日本人は
都合のいいように言葉を変えていることが
よしとしながら、それでいて正しい日本語とか言い出すが、
この片付けのような使いかたを異化させたまま使い続けることが
元来の意味を分からずに、おかしく伝播していくことになることが
正しい日本語とは程遠いということが今の日本人には
そもそも、正しい日本人という定義もないのだから、
この混沌としたことが日本と定義できるのではないか。

2015-06-01

賞味

食べ物のおいしさをよく味わって食べること。
賞味期限とは
劣化が比較的遅い食料品を包装状態のまま所定の環境に置いた状態で、
製造者が安全性や味・風味等の全ての品質が維持されると保証する期限を示す日時であり、

賞味を本当に考えたら、新鮮なものほうがおいしいはずだから
製造年月日であるべきだが、
アメリカに脅されてこうなっている日本の弱さを感じる。

基地問題、貿易摩擦とか
いろいろとアメリカとはやられ放題のような気がする。
それなりの理由があるからこそだと思うが
言われるがままではなく、
こっちのほうが優位を示して支配的にならない限りは何やってもダメだと思う。

そう考えると、
食の味など本当の意味での本質取り戻すためには
やはり、武力とか力が必要だと思うなあ。

2015-05-29

失礼

他人に接する際の心得をわきまえていないこと。
現代社会、これがとても厄介。
僕のように多くの組織を流浪する立場だと
礼節を重んじているはずが、
全くどころか、逆に失礼な扱いと呼ばれてしまう。

例えば
~お疲れ様です、
という表現は疲れていない人へ失礼だ

~よろしくお願いします
わざわざこんなことをいう必要はない

~ですます調
ここでは、ですます調は慇懃無礼だ

と些細なところ、、いや些細なところほど
失礼の軸が場所ごとに違っていてかなり応える。

日本社会では礼で始まり、礼に終わる。
しかし、グローバル、個人主義で
礼を礼と思うどころか、礼を失礼とみなすようになっていて、
その価値観がなかなか通じない。

2015-05-28

前提

ある事が成り立つためのもとになる。

言葉の定義かもしれないが
多くの人とかみ合わない。

ある人は、開始条件で使わものであり、それ以外は使うべきではない
ある人は、今回の限定根拠として意味合いで
ある人は、これは自分のリスク回避の意味でつかうもので

とあり、それぞれの人間の思い入れがあり、
それかみ合わないと
「日本語間違えているよ」
と言い出す。

本当に僕のようにちゃんとこうやって文章として根幹を意識して使っているとしても
人間の思い込みという 前提 があるので、話にならない。
本当に、それぞれの人間どもの話し方の前提条件がバカのように存在して
付き合いづらい社会でたまらんよ。

2015-05-27

更生

以前、アンケートで
納得できない他人の評価で一位だったのは

「昔ワルだったが、今は更生されてまっとうになっている」

というものだった。

僕ももう感じる。
だって、ワルだったものがただ普通に戻ったことを評価するなら、
みんなワルになったほうがいいではないか!
まして、そのワルだったときに被害こうむった人への配慮なく評することはいかがないものか!
こんなこと、ちょっと考えればわかるのだが、
マスコミ、テレビ番組のドラマなどでこの手の企画が常套手段として扱われていることから
メディアの常識外れがよくよくわかる。
本当に、メディア側こそ更生されるべきでは?ってつくづく感じる。

2015-05-26

親身

肉親であるかのように、こまやかな心づかいをすること。また、そのさま。
思うが、ビジネスにおいて
親身になることって重要と思っているのは日本人くらいという自覚はあるのかなあ?

標準的な業務プロセスに
コスト削減
仕入先選定
などは普通にある。

それは、お金を払う側に対して、ビジネスとして当然の行為となっている。
その前提を受けて、今後は逆の立場に立つと
親身になってということで接するが、その姿勢は
コスト削減、仕入先選定のヒット条件になるだろうか?
与信につながる可能性があるにしても、それって担当者お癒着とみなされることが
多々あるだろう。なんせ、感情論でコスト削減を抑止させるのだから
ある意味、背任、利益供与に受取れかねない。

どうも、日本人は親身になることが美徳に感じているが
実際はリスクでしかないことを感じるべきだ。
親身になるから、贔屓になるという思い。
それは情報を多く得て、次のソリューションという付加価値を生み出している結果が
贔屓になるわけであり、ただ仲良くなっているだけではないことを感じるべきだ。

いやはや、お客と一緒に、飲んだ、ゴルフした
とかいうが、それで情報を得たり、もしくは契約を成立させる何かを得ずして
ただ楽しむのであれば、それはビジネスではなく、ただ飲み友達と一緒に行動しただけで
全く付加価値はなく、ビジネス的には無駄という自覚を持つべきだ。

2015-05-25

取纏

取り纏めるという行為。
多くの事象を整理するして1つにすること。
頭のいい人たちは
~ルール
~類似性
~相対評価
などで、取りまとめを行う。

それで、まとめることはあたかもよくできている。
しかし、それは自分の好きな形に事実を捻じ曲げている。
捻じ曲げているから、ねつ造はしていないといえるが、
とりまとめに意思、意図、悪意がないなんてことがありえると思い込むのはバカらしい。
とりまとめにどんな意識を入れているかを感じることが
受けての義務、能力を試されているわけであり
そこを被害者意識でいること自体、バカの立証である自覚を持つべきである。

2015-05-22

枠組

国際ルールとかの枠組み。
従うことが秩序だろうか?
日本は従順だから従うが、
それをさせている欧米諸国など、
ある基準ができると、その基準とは別に
自分たちの都合のいい基準を作って
今ある基準が間違っていると言い出す。
それを受けて、今の枠組みを捨てて、その基準に従ってきた日本、

AIIBの件を見て思うが
枠組に従うのではなく
従わせることをそろそろすべきで、そのために
そのために、、、
そのための、経済力、武力という発想にならない限り
グローバル戦略とは到底思えない。

平和ボケもここも出来ると、ある種平和老害でしかないと思ってしまう。

2015-05-21

磊落

気が大きく朗らかで、小さいことにこだわらないこと。
気性がさっぱりしていること。

えてして、だまされるいいカモそのものといえる。
現代社会多くの事件はだまされることばかりである。
基本ビジネスというものは
説得というだましあいを合法的にしているものであり、
磊落な方がえてしてそうしている場合かどうかの判断して
その人に当たるのはある意味ビジネスマナーではないかと思う。

人間としていい人だから
ビジネスとして成り立つかは別問題と感じさせるのが現代社会だと感じてならない。

2015-05-20

根治

病気などを根本から完全になおすこと。また、なおること。
完治との違いが問われる。
人によっては同じ、人によっては全く違うとなる。

それは医学的理解度の違いだと思うがね。

根治は病のほうに使われ、再発する可能性が極めて薄くなった場合に使う。
全く再発することがないという難しいだけに、あえてこういうのだろう。
対して、完治は病より怪我に使われ、怪我なくなり日常生活に支障がなくなること。

根治、完治のように
似ているが違う言葉が多くなってきた。
それは社会の価値観が、、というより、
人間の多くが自分の優位性を示したいという欲望の表れのように感じてしまう。

知識、概念がコミュニケーションを破綻させているといえるのだが
なぜか現代人はその事実を理解せず、マジックワードのように
コミュニケーション力と言い出すなあ。

2015-05-19

有閑

ひまのあること。
有閑マダムなんて、言葉があった。
それはセレブの証のような時代も。

しかし、有閑であることは憧れるものではなくなった。
暇ではなく充実していることが現代社会では求められるし、
何かアクションをイメージできることのほうがセレブになっている。

考えてみれば
右肩上がりの成長期において
有閑であることこそ、贅沢であったが、
この低成長、いや落ちている現代において
有閑であることはある意味、ただむなしいだけといえる。

2015-05-18

巣作

動物が自分の住まう施設設備?を作ること。
ちょっと考えてみたが、
巣をつくる動物は、親から習うことなく、
本能で自分に見合う巣を構築する。
教えられていないから、個々で全く異なるものを作るのかと思うと
ほぼ同じようなものを作るので、
たぶん、遺伝子にその設計図が刻まれているのだろうと思う。

そして、
巣をつくる動物は、個人、つがい、多くても家族のみで巣をつくる。
でも家族といっても親が子に巣作りを丁寧に教えているわけではない。

こう考えると、、
教えられないと何もできない人間は
本当に進化しているのだろうか?
教育コストそのものを遺伝子に埋め込んでいる種のほうが
進化しているいえなくはないか?

2015-05-15

煮干

小魚を煮て干したもの。
僕自身、結構煮干しが好きなのだが、
それは隔世遺伝のようだ。

母の母、祖母も好きらしい。
だから、その作る味噌汁はイリコだしで好きだった。

しかし、間にいる母が、、
やはり母子で反目するように
母、煮干しも味噌汁も大嫌いである。
母は料理が嫌いでも不得意でもないが、
味噌汁、、とりわけ出汁取りが本当に嫌いで、、

おふくろの味にこだわるつもりはないので
味噌汁にこだわることはしない。

それと関係ないが、
スーパーで煮干しを買ってきて
かじっているいい年のおっさんって僕くらいなのかなあって思ってしまった。

2015-05-14

短信

短い文章、ニュースのこと
僕からすれば
ITでの個人発信情報はすべて短信と見なせる。

しかしそれらは短信と呼ばずに
ツイートやらRSS、ショートメッセージと呼ばれる。

正しい日本語というが
そもそも、日本語であるべきもの、
翻訳すべきことがなくなるのであれば
日本語そのものの語彙というものの定義も変わってくるのかなあ。

2015-05-13

繰上

序列・順位付け等の下位に置かれていたものが、
なんらかの事由によって、上位に転じること。

繰上という表現が使われるときの多くはプラスなことが多く
例外的なのは、駅伝の繰り上げスタートくらいだろうか?

しかし、繰り上げを行う場合の事由の多くは結構不幸と連動していることが多い。
誰の不祥事のために、繰上当選、採用など。

当人にとってプラスであっても
他者のマイナスゆえのプラスであるといえる。

好景気、右肩上がりでは
ゼロサム発想は忌み嫌われていたが
今、これからの低成長、マイナス成長の現代社会において
繰上を狙うために、ゼロサム的に相手を捉えることが
真意として必要になると確信しているがね。
こういう発想は現代社会ではタブーであろうけど、真実はそういうものだということだ。



2015-05-12

怒涛

激しい勢いで押し寄せる様の例え。
程度表現の一つ。

ある無知かつ愚かな庶民が
「超ド級のドは怒涛のドって知らないの!バカじゃない」
と胸を張っていた。

超ド級はイギリス軍艦、ドレッドノートクラスを超えるものという大きさが転じた
程度表現であり、怒涛ではない。

まー、こういう思い込みの輩は面倒で、
自分が否定されるとそれこそ
怒涛のように、
~自分は間違っていない
~それ以上はパワハラだ
というので、本当に現代社会は面倒だなあって思ってならない。

2015-05-11

無答

質問に対して回答がないこと。
一聴すると、何か無視をしているようで
答えない側のほうが感じが悪いように伝わる。

しかし、現代社会。
無答であるほうがいいことが多い。
現代の表現の自由は自由というより、無責任さが目立つ。
それゆえ、いくら回答してもその言葉の揚足取りを繰り返すことが多い。
回答することが、解決ではなく、問題提起になってしまっている。
これは質問する側、揚げ足を取る側の興味が尽きるまで繰り返される
無間地獄であり、当人と取っては生産性のない時間の無駄ということが多い。

知る自由、報道の自由が愚かな現代社会。
すべて答えろっていう民意は本当に他人だからいいが
自分がやられた騒ぎたてるのは、、本当にひどいものだ。

2015-05-08

大恩

大きな恩。深い恩。厚恩。
現代社会、恩を感じることがあるだろうか?
庶民は気づいていないのだが、
近代化、現代化というものは恩を感じさせないように改変されていたのである。
恩というものは行動で示されたもの、つまりは奉仕、サービスに対して貨幣、契約を良しとしない個々人の思いで加減されてしまう。

それゆえ、
自分が受けたサービスの価値を評価できない。
そうなると、する側、される側で価値のギャップが生まれてしまう。
~こんなにしたのに、感謝する気持ちがない
~たったあれだけのことを恩きせがましく
となり、恩という概念が社会的に負の感情を発生させる温床になってしまう。

だから、恩という奉仕行動をサービスという価値、価格で定量評価してきたのが
現代社会である。

それゆえ、恩を感じるというより、それに見合う対価を支払うことで
契約、等価交換が成り立つことになっている。

それゆえ、
現代社会は恩を感じない表現のさびしい社会に成り果てたっていう老人がいるが、
恩を感じることは必ずしも感謝ではないことを忘れて、都合のいい解釈をしている思い込み、おごりが垣間見れる。

恩を感じることのリスクを見失ってはならないのである。

2015-05-07

言論

口で言ったり文章にしたりして思想や見解を発表し、論じることであり、
言論の自由という言葉が蔓延している。

僕からすれば蔓延であり、
庶民が言葉を発せるなって言い切りたい。

庶民は自分の統合に合わせ、権利を濫用する。

暴言を吐いてだけなのに、言論の自由といい、
それに反論されると、名誉棄損、ハラスメントと騒ぎ立てる。

発言に責任を持たないものを言論とみなすのはいかがなものか?
憲法記念日になると、改憲などで盛り上がるが
そもそも、人権そのものが平等という理由で庶民に与えれれることに疑念を感じる議論をすべきと
僕は感じてならない。

言論、公民権を見直さないとならない
それだけ社会は変わっている僕は気づいているのだがね。

2015-05-01

生存

生物が生命を持ち続けること。
生存権というと、人間だけの生きる権利になる。

とある争議を例に挙げよう。

子供が猫に悪戯を続けエスカレートした。
その時、猫が生命の危険から
子供をひっかいた。

ひっかかれた子供の親が猫の飼い主に怒鳴りつけた。
その飼い主は逆に自分の猫を虐待したその子供の親に抗議した。
結果、両方で訴えたが、この争議の論点が
子供の生存権 VS ペットの所有権侵害
となっていた。

うーーん、
結局、悪いことをした子供が人間さまだからこういうことになるのか、
一寸の虫にも五分の魂、、法には適用されず。
それだけ、社会はおかしくなっている。

まー、僕からすれば
子供もペットも、英語ではITでうける存在。
そういう存在を野放しにしている他人を責めること自体
社会性がこの時代にはなくなっているということだね。
他人と共存を考えるべきではなく、
ただ、社会契約を基本として退陣契約に割り切った生き方に徹するべきだということを。

2015-04-30

嫌疑

疑わしいこと。特に、犯罪の事実があるのではないかという疑い。

法格言では
「疑わしきは罰せず」
だが、現代社会には全く逆だ。

疑わしいものは、とにかく犯罪者に追い込め。
民意、マスコミがヤッケになって
人を追い込む社会になっている。

やたら純潔を目指したいのか、
少しでも嫌疑がかかるとどうしても犯罪者にしたいようだ。

でも、そういう気持ち、
そして、性風俗の乱れからして、
他人に嫌疑をかける民衆側こそ、
不純で嫌疑対象そのもの感じてならない。

2015-04-28

忍耐

苦難などをこらえること。
今自分が置かれている苦しい状態に対して
忍耐が必要なのか
それとも、離脱すべきか、
多くの人は選択に迫られている。

僕が人間を俯瞰すると面白く、
多くの人間が賭け事を否定する割に
人生の多くを忍耐という大きな賭けに出る。

なぜ忍耐が大きな賭けというか、
はっきり言おう、忍耐の結果良くなることなど、
万馬券に等しい。それだけレアケースなのである。
でも、そんな万馬券を得た喜びを夢見て人は忍耐を続ける。
僕からすれば、なんとも滑稽なことでしかない。

忍耐など多くは、誰の失敗をそのまま続けているだけである。
耐えて得られるものなど、本来はなく、
早く現状復帰か、もしくは早期離脱しないと、結局破綻、
良くても本来得られるべき結果の数分の一だけだろう。

そこにたまたま時代というか、たなぼた別の要素で好機が重なると
あたかも忍耐の結果とか言い出す。
そんなわけない。

もっと言えば、
忍耐をさせている時点で計画していること自体が無駄だったといえるのだから。

本当に、冷静に、ドライに事実を捉えろ。
仕方ない、やるしかないという愚かさを正当化することに
何も価値がないということを自覚してほしいものだ。

2015-04-27

厭世

世の中をいやなもの、人生を価値のないものと思うこと。

これをマイナス思考というバカな人間が本当に多い。
これをマイナス思考として、今をプラス思考と思うということは
バカの極みだろう。

今が嫌だから、変変えていこう。
人生なんて価値がないから、価値のあるものを考えよう。
それでもだめなら、社会を巻き込んで、、
これが人間の進化そのものである。

これがない社会なんて会ってないようなもの。

悲観すること、それに対峙し、新たな発想に進むことを
その前提に厭世がなくてはならない。

今を満足することをプラス思考、
みんなと仲良くすることもよき考え方、
それって
イソップ童話のアリとキリギリスのキリギリスそのものではないか!
それでは良くないって教えてきたわりには気づかないのか
現在日本人は、、

2015-04-24

穹窿

大空
円天井
弓なりの屋根

発想的に、天動説前提の言葉なのだが
人によっては、抒情的に伝わるかもしれない。

言葉の発生と科学の発達で
言葉の発生原因が科学的に否定された言葉のひとつといえる。

科学による自然法則の正しさと
日本語、言語の意味深い使われ方と
人間を両方を得ようとして、、、結局、言葉の乱れ、衰退が起きていると僕は思っている。

正しい言葉、、
しかし、科学と用法の多様化に
正しさが優位でいられることは難しい。

結局、、、穹窿という言葉、そしてその意味は無くなっている行くだろうなあ。

2015-04-23

開墾

山野を切り開いて農耕できる田畑にすること。
僕の祖父は、開墾して自分の畑と田んぼを作ったそうだ。
それは大変だったと聞いている。
大変だと思う。

だって、それは肉体労働付きのベンチャー経営だったのだからと
今の思う。

利益が出るまで何年かかるか、
田畑が収穫できるのは一年後という一回だけに
それもどれだけ取れるかわからないのに、、、

起業家魂とかいうけど
日本人古来の
開墾魂こそがベンチャー魂と感じてならない。

2015-04-22

謝恩

受けた恩に対する感謝の気持ちを表すこと。
口で言うほど、現代社会は謝恩を意識しているのだろうか?

恩義というものをどう感じるのか。
恩を施す側
恩を受ける側
の認識が噛み合っているだろうか?

全く恩を感じない、、つまり自分はされて当然というおごり
自分の存在が他人にとって恩を施す存在と疑わない輩

謝恩を意識している古風、礼節を重んじる存在が
ただバカをみると姿を見ると、
往年の大魔神のようにすべてを破壊したくなるのは僕が人と感覚が乖離しているからか??

2015-04-21

高騰

物価などがひどく上がること。
このひどくという言葉がある意味くせもの。

100円のものが150円になれば、
ある人からすれば、それはただの50円の値上げでしかないが
他の人からすれば、それは50%の値の高騰で死活問題と捉える。

高騰の基準はある意味、個々人の思いの世界であり、
自分の資産における支払う額の大きさ、比率でその価格の高騰と読む。

それゆえ、現代社会。
価値の多様化で、なにかにつけて価格の高騰と言い出す始末。

高騰とか言われると価格をつける側は
悪いことをしているように感じるが
実際問題、それだけ資産、富を蓄積してまで、
まだまだ支出を下げようとしている人のために
新たな収支を得られない人を多く作っている悪循環に感じてならない。

2015-04-20

遊学

故郷を離れ、よその土地や国へ行って勉学すること。

日本における海外留学、、
僕からすれば、それは遊学ではないかと。
でも、実際は学することを留めているから、留学には変わりないか。

正しい日本語を使えずに
海外で思い込みを習って
それ胸をはって輸入してくるから
僕からすれば、海外留学、遊学は
麻薬の密輸とあまり変わらんがね。

まー、僕に役に立つかどうかの基準が僕の中では絶対だけにね。

2015-04-17

帆立

ほたて貝のこと。

僕からすれば、帆立貝について、多くの人は無知だと思う。

~なぜ帆立というかというと、
  引き潮時に上貝を開けて呼吸する仕草を
  なぜか勘違いして、その上貝を開け、風を受けて移動する貝だからその名がついた

~食用で食べているのは、その帆を開閉させる貝柱のところである意味足の筋肉だけ日本は食している

~欧州では、その貝殻のほうが価値を持っていた

など、挙げれば枚挙にいとまがないのである。

僕からすれば
呼称している対象物が
なぜその呼称なのか。
そして、実態はどういうものかを最近の人は全く興味を示さない。

「知らなくてもいい」
「どうせネットに書いてある」

という発想が多すぎる。

そのくせ、
今の帆立だって上記から、食用のポイントなどで
大きな課題が再認識されたとしたら

「今まで気づかずに食べていたではないか!」
「ちゃんと説明しろ!」

と言い出す始末。

僕みたいにすべてのことに興味を持ち考えろとは庶民に言わないが
考えないなら、、事実受け入れ、諦めろと心から言いたい。
庶民が騒いでも、今の日本では何もならないってもう気づいてほしいよ。
ただうるさいだけ、気が散るから。
騒ぐ前に、考えろって。

2015-04-16

何時

「いつかは、、、、」
という言葉をかけられた時、
僕はその真意に気づく。

その何時かというものは、
その声をかけられた人がいなくなった時に
そのいつかの言葉に先にあったものが実現する。
つまり、実現を願っている当人はその念願にありつけないということを。

人間を俯瞰すると思う。
「いつかは、、」
なんて発現する輩は
具体性の時の概念で、現状維持を願っている。
その現状維持の根拠がその声をかけているその人の存在であるからだ。
その人がいる以上は、いつかなんてことは起きない。

そして、その声をかけられた人が諸事情でいなくなると
現状維持ができないからはじめて、いつかの先のことを現実的に行うものである。
いつかはなんて、甘い言葉に踊らされていると気づくと
本当に人間という存在に嫌気が差してならない。

そして、いつかと発していた輩は決まって
「もう少し頑張っていたら、その実現に関われたのに、、」
と追い打ちのような表現を口にするからなおさらだ。

2015-04-15

来世

魂が経験する次の人生、あるいは世界のこと。
うーーん、宗教的にはそう考えるが
僕の視点からすると、
人口は増え続けている。
となると、人間という生命体の中で循環流転の転生しているとは
一概にいえないといえる。
命というカテゴリからすれば、
人間から動物、虫、微生物、植物になることもあれば
逆に人間になるものをあるのでは?

そう考えると人間から人間に転生できる来世なんていうものは
ある種の博打的な発想でしかなく、なんか考えるだけバカらしくないかって思う。

来世を考えるからこそ、
今の人生を捨て鉢になるのであれば、
それは人として間違っているともいえ、
なんか来世、転生観は納得できない。

2015-04-14

裏切

約束や同盟関係を捨て相手に寝返る等の行為や、
想像とは違った、もしくは期待はずれな事象に対し用いられる言葉。

これって、社会生活を向上、改善の結果の必要悪と人間はどうして理解できないのだろう。
社会生活とは約束の関係である。
そして、向上、改善とは、現状の変革をもたらす。
約束とは、約束した時点の条件で行われるものであり
向上、改善とは、未来、新しい条件の登場である。

向上、改善を享受しようとしているものからすれば
約束はただの足かせに感じる。ある意味それは悪である。
しかし、約束をした側からすれば、その条件にあわせて
現状を保っているのであり、それを悪といわれることがおかしい。

それゆえ、
自分の思いに忠実すぎる、欲望が強い側から相手を裏切りと呼ぶ。
「より良い方向に行こうとしているのに、それを邪魔するのなんて、なんて裏切り行為だ」
「ちゃんと約束したのに、一方的にその条件を反故にするなんて、裏切りではないか!」
そう、どっちも他人を裏切り者と思う。

どっちの主張も社会生活には必要として
契約、規約という行為を定めてきたのだが、
どうも、最近の現代はその契約、規約も
自分の好き勝手に解釈、民意とかいう言葉でおかしくさせてきているようで、、
裏切りという概念がもうあってはならないのでは?

2015-04-13

経過

ある時間内の物事の進行・変化のぐあい。成り行き。
始まりでもなく、終わりでもないタイミング。

経過をどう捉えるか、
それにより、結果が変わることは多い。
とはいえ、経過に口出しすることが正しいとはとても言えないともいえるのだが。

結果を意識して、経過をどう捉えるか。
結果が必ずしも明確ではないときもあり、
意識できないと言われることもある。

とはいえ、経過を観る以上をそれなりの観点を持っているべきであり
その観点をあとづけのように言い出すことほど
結果を悪くするものだ。

経過ど見る、見守ることのうまさが
管理能力の一つとも言えることを多くの人はもう少し理解すべきだと思うがね。

2015-04-10

探究

知識を論証すること、
疑念を解消すること、
ないしは問題解決をすることという目的のある思考過程のこと

探究することが人間の成長、進化そのものである。
しかし、その探究が人間の社会性を否定し、秩序を崩壊させることにもなり
諸刃の刃になりかねない。

あることの探究は
他人の精神的よりどころ、他人の信仰の対象を否定する。
その行為は、当人からすれば仕方ないですまされるが
他人からすればとんでもないことをしてくれたと激昂を招く。

どっちが正しいか、
それでも地球は回っている、
ガリレオは後になってその探究の正しさが評価されたが、
生前その正しさは否定されて、異端としてのレッテルを
張られたつらい人生だったのだから、正しいとは言えない。

人の探究心、社会との調和は難しいといえよう。

2015-04-09

天秤

てこの原理を使って、モノの重さをはかるもの。
しかし、今では天秤という言葉は
ものの重さをはかる計測器から、
条件、概念を比べるという形而上の存在になっている。

形而下であれば、定量的な数字のレベルかつその重力という根拠で
どっちが重いと言い切れる単純さ、明確さがある。
しかし、形而上の天秤
「どっちが重要か天秤にかけないとならない」
という発言の天秤は、、その発言時点で
天秤のはかりとしての機能は使われてない。

それぞれの思い込み、恣意、そして好き嫌いという定性的な要素が
入ってくるので、万人受けする答えは無理である。

天秤という言葉、
適正にはかるものという存在から
はかれないものの例えと化してしまったことは
何かむなしく感じる。

2015-04-08

颯爽

人の姿や態度・行動がきりっとして、見る人にさわやかな印象を与えるさま。
言葉として知っていても、なかなか使えないし、
何よりこの言葉を手で書けるかどうかも不安な言葉。
颯爽な行動が取れる人は
絶対颯爽という言葉を書けないだろうあ。
まー書けたら、颯爽のイメージに合わないともいえる。

言葉って使う人、使われる人でイメージがあるように感じてならないし、
だからこそ、他人に伝わらないって思っている。
言葉のイメージだけでは他人に伝わらないことをここから感じている僕の思いもまた
他人に通じないこともまたわかっているがね。

2015-04-07

太子

古代中国の、天子や諸侯の世継ぎのこと。
でもあまり、太子という言葉使わないだろう。
太子といえば、聖徳太子となってしまうし、
太子の字だけを見たら、、明太子と思われてしまう。

太子と同じような意味では
御曹司が挙げられる。

社長や役員の息子のことをさすが
本来は、源氏棟梁の息子であり
平家宗家の息子は公達だったのだが、、

太子、公達が残らず
御曹司が現代でも使われているのは
江戸時代、源氏と名乗る、徳川家の影響を強く感じる。

まーそこまで考える輩は僕くらいだろうがね。

2015-04-06

常連

よく買ってくれたり、利用してくれたりする、事業主にとってありがたい客のことであり、
店としてありがたい存在のはず。
だから、ご贔屓にしてもらうようにしないとならない。

しかし、僕にはトラウマとそして現代社会の問題を感じてならない。
若かりし頃、コンビニの数が少ないうえ、
そのコンビニにしかないものを毎日買いに行った。
そのとき、心無いバイトか若い定員だがどうでもいい輩に
「また買いに来たんですか」
と言われた。
その発言で、僕はその店に二度と行かなくなった。
そして、その店は地元で初めてつぶれたコンビニになった。

現代ビジネスは
接客を軽んじすぎている。
自分本位なバイトを接客に使うから
常連になる可能性を無くしてしまう。

常連になるには、いろいろと要素があるが
接客、営業がキーになることをもっと考えてビジネスをすべきと
思うが、なかなか現代経営者は気づいてないようにみえる。
わかっているといっている輩ほどわかっていないから、どうしようもないがね。

2015-04-03

欠乏

乏しいこと。不足すること。
日本人の多くは、欠乏と感じることが多い。
だから、より安いもの、より機能に富んだものを欲する。

欠乏感があるからこそ、
その欠乏に対して、
その範囲内で何とかやりくりする管理運営力
その欠乏自体に対して発想を欠乏そのものをなくそうとするアイデア技術力
が生まれてくる。

日本人はその欠乏からの管理運営力はすごく高いと思う。
やりくりという言葉からそのイメージが広く広がっていることがわかる。
でも逆にいうと、欠乏しないとその能力が発揮されないし
範囲そのものをブレイクスルーさせるアイデア技術力はなかなか出てこない。

欠乏に対して、今の認識でいることが日本人のアイデンティティーなのか
それとも非国際的思考なのか、なかなか考えさせられることではないか!

2015-04-02

廉価

値段が安いこと。安い値段。また、安いさま。
廉価という言葉の前提に
それより、価格の高い存在がしなくてはならない。
相対的の意味で、廉価が成り立つ。

現代日本人の多くは安いものを好む。
でもそれって、安くあっても、本質が担保されている前提が
日本では成り立っているからであり、
その安いとされるものが求めるものの廉価という認識が当然だからである。

しかし、世界的そしてビジネス的に考えれば
安かろう、悪かろう、ということ以上
安いものを買ったために、かえってその安いものが起こした問題を回復させるために
コストがかかってしまうことが多い。

安いという言葉に飛びつくのはある意味
日本が国際化の波に飲まれて、、いや国際化できない理由かもしれない。

2015-04-01

渇望

のどが渇いたとき水を欲するように、心から望むこと。切望。熱望。
この言葉って切実に伝わってくる感じがある。
人間は本能に近い思いはどインパクトが強い。
それだけ訴えるものがあるからだ。
しかし、現代社会は論理、モラル、とかで
人間の本能を押さえつけることを行ってきている。
その状況下で、いろいろ訴えるのだから、、
他人にはなかなか伝わらず、コミュニケーションが成り立たないとか言っている。

発想が逆で
もっと本能的に、
渇きに水を求めるように
情念、殺意をむき出しにすることこそ
真の意味で、他人、いや他の生物と意思疎通、、という
命のやり取りが成り立つ。
命の代償がないこと自体が自然界ではおかしいということを
再度人間は知るべきだといえるだけに。

2015-03-31

愛憎

愛することと憎むこと。
実はこれって表裏の関係。
愛があるからこそ、憎むのであり、
無関心な人に対して、怒りさえあれ、憎むという感情は生まれない。
好きだから
好きだったからこそ
憎むという表現が出てくる。

人は愛するからこそ、憎むといえる。
うーーん、博愛批判、、人間という概念としては最低かもしれないが
これ、真実だよね。

2015-03-30

棟梁

本来の意味は建物の棟(むね)と梁(はり)を指していた。
これらが高くそびえる位置にあり,
また建物の重要な部分であることから,集団の中心的人物,指導的立場にある人物にかわった。

実はこれ、日本独特の変換規則。

殿様    殿は御殿 つまり 大きな屋敷 に住む人
お館さま お館の主

が大名の代名詞になったり、

帝     御門  立派な門を持つ人
内裏様  内裏=皇居 に住む人

が天皇の意味でもある。

住まいがその人の呼称になるのは
日本の大きな特徴であり、同じ名字の親戚に自分を示す時に
・大通り
・角
のなど、自分の住まいの位置をいうことがあるのもまたその名残だし、
気づかぬうちにそう言っている。

でも、これって日本独特の感覚で外国人にはなかなか通じないのだが、
日本人はなかなかその事実に気づかないのは、
もはや心の鎖国は永遠なのかって思ってしまう。

2015-03-27

包含

つつみこみ、中にふくんでいること。
簡単な概念と思い込むが実はなかなか難しい。
包含的論理和とか言い出すと、
その内容が含まれているか、
実は一部しか含まれていないとか、、

「一部は包含されています」

なんて言葉の真の意味は

「大部分は含まれていません」
「そもそも含まれるという意味が」

という言ったもの勝ちの論理を言い出す社会。
包含とかいう言葉、怪しむ気持ちがないとならないと
すぐに騙され、そしてただ社会を乱すといわれるだけになる。

2015-03-26

濃淡

色や味などの濃いことと、うすいこと。
色や味ではなく、いろいろな意味の密度として使われることが多い。
濃い関係
淡い扱い
など、形而上の意味でも使う。

しかし、濃淡って定性的な表現で、
どこまでが濃いのか、どこから淡いとみなすのか
なかなか決められない。

ある意味、これも思い込みのレベルかなあ。

2015-03-25

療養

病気やけがの手当てをし、からだを休めて健康の回復をはかること。
社会人になるとなかなか療養できないといえる。

病にならないようにするのが社会人としての心構えというが
その病の根源は社会でのストレスと思うと
なんとも矛盾した社会だこと。

社会の構造改革ってこういうことからすべきではないのか?!

2015-03-24

武勲

戦場でたてた手がら。武功。
平和な日本では、武勲という手柄はあり得ないとされる。
でも、結構武勲を上げるという言葉は飛び交っている。

何どもここで書いているが
人間はそもそも、戦いの好きな動物。
結局、何かに挑み、その制圧感を味わいたいだけなんだろうな。

その価値観を否定する現代のほうがおかしいではって思うなあ。

2015-03-23

聖戦

宗教的に神聖とみなされる、正義のための戦争を意味する語。
これって、まー、犯罪、戦争の温床であり、
日本人が全く理解できていないポイント。

西側、、つまりキリスト教発想だと、クルセイダーという聖戦
中東、、つまりイスラムからすれば、ジハードという聖戦

それぞれ、正義の戦争をしている。
それぞれが正義であり、それぞれ悪意の戦争を仕掛けている。
日本は西洋という言葉から、西側に洗脳されているから
クルセイダー、十字軍視点で考えるが
イスラムからすれば、戦略戦争を戦ったジハードであり、
視点が全く逆だ。

宗教については今度記述するが
人間は基本、他人をつぶすことが本性であり
それについていかに正当性を持たせるかをいつも考えている。
その一環が聖戦発想であることを君らは理解できるかなあ。

2015-03-20

突貫

つきとおすこと。つらぬきとおすこと
短期間で一気にしあげること

突貫工事とかいう使い方が多い。
突貫で行うことには功罪がある。

突貫で行えば
ある意味、まさに筋を通すというか
内容が一貫しているといえる。
しかし、その分、ある意味見返し、振り返りがないから
いろいろなところにほころびがおきる。

とはいえ、
突貫で行ったほうが集中力、アイデアの一貫性があるので
僕は推奨したい。

思いったら、貫けってね。

それで、些細なほころびばかりに目がいくような
みみっちい視点で突っつく人生を僕は批判というか軽蔑するね。
貫く信念、ビジョンが見えないんだから。

2015-03-19

平仄

読めますか?
ひょうそく と読む。
では意味は?

平字、仄字の組み合わせ、
平字?仄字?
調べても全くわからない。
実際にみなさんも調べてくださいな。

現代では
「平仄を合わせる」
という言葉が現代社会で成り立っている。

意味は
順序、つじつまが合っているという意味。

でもさー、
読めないし、意味が分からない言葉であり
これを使っていても、、自己満足感ありありだよね。

そもそも、日本語ではない平字、仄字という概念らしいので。

日本語のようで日本語ではない言葉ってあるなあって
思ったよ。

2015-03-18

可愛

いとおしさ、趣き深さなど、何らかの意味で「愛すべし」と感じられる場合に用いられる。

これは、かわいいとは区別したい。

ちょっと時事ネタ。

現在、子供の声を騒音という老人が増えてきたという。
なんか、老人の度量、器量がないという論調になっている。
でも、、その老人たち、つまり自分の親の世代と話をした。
そこでわかったことがある。

子供が騒いでいるとき
その騒いでいる子供に対して叱りつけて
髪を振り乱して子育てに奮闘している若いお母さんが
「すみません、すみません」
と謝ってきたら、
「子供は騒ぐものだよ、お母さんも大変ね」
と答えるだろう。

しかし、今は
騒いでいる子供をほったらかし。
携帯で自分の世界に入っている。
その子供があまりにひどいので注意すると
携帯片手に
「私の子供がなんで文句言われるのよ!」
と言い出す母親。

年寄からすれば
お母さんも可愛い対象であり、
母子あわせて可愛いとみなしている。

子供が騒ぐのが騒音と感じさせているのは
子供だけの問題だろうか!?


さー、みなさん考えてほしい。
年寄の言分から
可愛いという本質とその背理に
現代の社会問題が内在しているという事実を。

2015-03-17

時価

経済用語としての市場価格のこと。
定価というものそのもの自体、
そもそもあってはならないのが、現代の経済だったのに、、
完成された社会主義経済だった日本ではそれが定着していたということに
日本人は理解できないんだろうな。

だから、市場経済の最たるである時価という概念に
嫌悪を示すんだから。

自分たちが真の社会主義経済の賜物だったって
自覚できない日本人の感覚が僕には本当に理解できない。

2015-03-16

夢中

物事に熱中して我を忘れること。
最近、夢中になることはありますか?
これは、僕だけではなく、社会前提とし、
夢中になりにくい社会になっているといえる。
~夢中になる時間を許さない、コミュニケーションの強制
~どんどん新しいこと、そして他人の価値観により、夢中になろうとする分析期間の抑止
~効率化という概念からすれば、個人が夢中になることを認めない
子供のころ、
いや夢中になれていた時ってある意味幸せだったと思う。

夢中になる機会を奪う現代社会って本当に正しいの?

2015-03-13

発動

動き始めること。活動を始めること。

エンジンの和約は発動機であり、
そして、権利などの行使を可能にする発動条件とか、
使い方が多岐にわたる。

と、、言いながら、
自分自身のいろいろなことに発動という言葉はつかえない。
そう、人間はなかなか行動しないということが、
日本語の使い方からでもわかってしまうのだなあ。

2015-03-12

参考

何かをしようとするときに、
他人の意見や他の事例・資料などを引き合わせてみて、
自分の考えを決める手がかりにすること。また、そのための材料。

これがある意味、正しい意味だと僕は思うが、
現代社会の参考は
責任転嫁、自分の根拠として参考を使っていないか!

あくまでも参考であって、自分の意思があるべきなのに
参考資料がある意味、根拠だったり、
そういうものがないと話をしないとか
結構、他力本願の社会になっていることに、
現代人そのもの存在価値を疑ってならない。

そんな参考なんて、ある意味、流行に便乗しているだけって恥ずかしいって
なぜ思わない!?

2015-03-11

高級

階級や地位、程度や品質が高くすぐれていること。
という意味はほぼないと言い切りたい。

高級とは、、ずばり値上げをする常套句でしかない。

高級という概念は今より値段を高くする理由でしかなく、
上記な辞書的な意味は
・高位
・セレブ
・高品質
と言葉で、高級とは言わなくなっている。

高級という言葉を使っているときは
ほぼ値段をあげたい意思の表れって思うべきで
身の回りでおこる高級という言葉を意識してみてはどうだろうか?

2015-03-10

幇助

刑法において、
実行行為以外の行為で正犯の実行行為を容易にする行為一般。

刑法において、従犯となっている。
しかし、本当に従犯なんだろうか?

だって現代社会において、
実行をさせるのであり、
本当に責任をとるべき存在はその指示をした者といえる。

つまり、やらされていることが現代社会であり、
実行をしているのは、ある意味従犯だといえないか?!

それを一義的、いわゆる古い発想で
実行した側が主犯で幇助が従犯とし続けることが問題だと思えないか。



2015-03-09

下衆

心根の卑しいこと。下劣なこと。また、そのようなさまやその人。
また、身分の低い者。

古来よりの価値観で
身分の低い者は
下劣な者と同義にされるが、、

現代社会では
能力主義のせいで、
noblesse oblige
を理解できないどころ、それを批判する輩ほど偉くなる社会だけに
能力で偉くなった人間ほど下衆だと僕は認識している。

能力主義で得られたものが下衆の集団という悲しさを
理解できない社会ってなんか、、悲しいとしか言いようがないね。

まー、弊社はそういう思想レベルから教育することが重要と思っている。
1つの食べ物をどう手に入れるかより
その食べ物をいかに使い、それでまた次につなげていくか
という視点、企画力こそ真の求められる能力として指導しているだけにね。

2015-03-06

大宗

物事の初め。おおもと。また、ある分野での権威ある大家。

が正しい意味である。

しかし、役所で多用されている『大宗(たいそう)を占める』という表現がある。
全般という意味らしく、それが官庁、金融では通じるらしい。

この意味を知らないほうが悪いような指摘を受けて
最近、この言葉を知っただけに、、
正しくない日本語を日本の役所が平気で使っているということに
僕は、正しい日本語という言葉そのもののバカらしさを感じる。

2015-03-05

国体

ある国の基礎的な政治の原則。
天皇を中心とした秩序(政体)

現代日本では国体を意識することはないだろう。
それがある意味、平和だからだといえる。

自分が自国民であるって思うためには危機が必要であり、
危機のないところに国家帰属、国体の概念は芽生えないだろう。

それがいいことと思うか
それこそ憂国の自体と思うか
は、それぞれの価値観になるだろうが、
そもそも、日本という国を意識しているときって
外国を批判するときくらいだから、どうでもいいことかなあって僕は思うね。

2015-03-04

印刷

インキにより、紙などの媒体に文字や絵、写真などの画像を再現すること。
印刷は現代のおいて、顕著に栄枯盛衰の縮図のようだ。

PCの普及でプリンターが家庭に広まったのは今から20年くらい前に過ぎない。
今は逆に、PCがあってもプリンターがない家も多い。
もっと言えば、現代ペーパーレス。
印刷そのものの否定である。

印刷ができるということは、
形而下の世界を求める古い時代には重宝されたが
形而上、無形資産が認められるとその価値は凋落する。

印刷にこだわるということは
形而下でしか考えられない古い人種だと僕は見下すがね。

2015-03-03

方針

目指す方向のこと。

方針と基準の違いはって問いを受けた。
それは違うだろうって思う人もいるかもしれないが
結構似ているものではないかって感じた。

このふたつに対して、
僕はこう答えた。

基準は事前に定めて、その基準に従うことを求める。
方針は案外、おきている事象をもとに今回取るべき行動を決めることといえる。

プロアクティブ、リアクティブの違いで
やるべきことを定めるという点では似ているし、
その使い方で、、人は悩むいい機会に直面できたと思う。

2015-03-02

難色

不承知らしいようす。また、非難するような顔つき。
要するに、嫌がること。

世間は難色を示すことに満ちていると僕は思う。
思い通りにならない、
それは自分にとって難色を示すことであり、
そしてそれが社会そのものだったりする。

なんだかさー、
前向きと言いながら、社会は前提として嫌なことに満ちているとは、、
変な社会だなあ。

2015-02-27

冷遇

冷淡な待遇をすること。また、不当に低い待遇。
多くの人の認識の問題点は
冷遇は客体概念ではなく、主体概念であること。
客体で使用しているときは、、冷遇されていることが薄らぐ。
なぜなら、他人に冷遇されていると認識された時点で冷遇の壁がほころぶからだ。

まー冷遇を被害妄想と呼ぶか
それを不幸ととらえるかは本人の認識のレベルかな。

僕からすれば、復讐対象の追加でしかないなく
それが僕の活力と言われたりするがね。

2015-02-26

手交

直接に相手に渡すこと。
多くは、重要な書類の取り交わしをするときに直接会って行う時に使う。
しかし、重要な書類の取り交わしほど、
僕は会わないほうがいい、いや
そもそも、なぜ直接会わなくてはならないか?
僕はそこまで現代社会の在り様を提言したい。

人が人と自覚できるのが
会う時というが、実際問題会わない人との関係のほうが良好であることが多い。

それに能力というものは
見た目に依存しないものであるべきで、
優秀であったとしても、見た目で判断される、そう見た感じで判断されかねないこの状況。

そもそも論でいえば、今までのおかしな価値観である
手交を正しいと思うなよって言いたい。

2015-02-25

下端

下っ端に扱われる。
それを仕方ないと思うにしてもそこから上がれるチャンスが
あるかどうかがポイントだ。
上がれるチャンスがないのであれば
そこから身を引くべきだ。

身を引けない状況だから無理?
うーん、その状況にいるほかの何人かを生贄にして自分を守る覚悟がないだけ
ではないか?

下っ端から脱却するためには
他人を下っ端に追いやる思い、行動力が必要で
それができないから下っ端のまま、現状を受け入れてしまうと
社会の状況を僕は見ている。

2015-02-24

進方

進め方というものは十人十色だと思う。
現代社会では進め方について、他人に評価されることが多い。
それは効率化、減価、品質のためだという。
しかし、そう評価されて自分の進め方を否定、違うやり方に強制されてしまい、
その結果、逆に効率化、原価、品質がさがってしまい、それでまた評価批判されてしまうのは
なんかすべてが非効率に感じてならない。

2015-02-23

人気

一般的な意味としては、世間からの受けのこと。
人気があるということは結果でしかなく、
登場させるときに、人気があるということはない。
しかし、現代社会はおかしく、
人気があるわけないときに
大人気という嘘をついて、嘘からそれを事実のようにしていく。
つまり、人気というものを一部の輩が起こそうとしている。
それをムーブメントというが、、、なんかバカらしい。
大衆を扇動しているおかしな行為を容認させることは
集団活動において危ないことなのだが、
そこを批判できない商業主義の恐ろしさを感じてならない。

2015-02-20

前向

考え方や取り組み方が積極的・建設的であること。
多くの人はこの姿勢を好感、正しいとみなす。
それなりに多くの理由のこじつけを述べる。

本当か?
僕はよーーく知っている。
前向きな輩が一瞬にして堕ちるさまを。
そして、前向きで好感のあった人ほど、豹変することを。

それはあたかも絶対値的なものであり、
前向きであればあるほど、
その姿勢の否定で変わる要素は大きい。

悲しいかな、
そう豹変した人ほど、
前の前向きな姿勢と比較されて
余計嫌な思いを、当人も周りも経験する。

そう考えると
無駄に前向きでいられるより、それなりの姿勢のほうがいいのではと結論づけられる。
効率化、安全性を考える現代社会。
ばかのように前向きな姿勢を奨励して、
全体として生産性の低下を導くようなことはするものではないと言えないか?!

2015-02-19

戦線

敵の兵力との間で武装して対峙している境界。
現場の真っただ中という表現もいえる。

戦線に対して僕の中では2つの見解がある。
責任者は戦線に立つべきか、立たざるべきか。
率先垂範
自らが当事者となるから、現場の士気が高まるといえる。

対して、
将たるものが現場で出向いては
それ時点でもうこの組織は終わりだ考える。
ある意味、そこまで窮乏しているという意味にとらえるからだ。

どっちもどっちだが、
コスト削減で、人手が足りないというか管理工数を認めない昨今で
現場に出向かないでいられる企業運営。

それってその企業が高慢なのか、おかしいのかって
ネット騒がれても仕方ないと思うレベルと僕は感じるなあ。

2015-02-18

悉皆

 残らず。すっかり。全部

全部という概念に対して
いろいろな環境、職場で味わった。

味わったというのは
僕の言葉通じないという意味で使っている。

全件
網羅
全量
悉皆

すべて、全部の意味なのだが、
その環境ごとに言葉通じないことが多く、
会話が成り立たない。

全部という言葉自体が全部でないし
悉皆という言葉が通じる環境もあれば
悉皆という言葉が日本語とみなさない環境もある。

環境を流転している僕が悪いのか、
自分たちの閉じた世界こそ正しいと思うのか、、
なんか、、ついていけない。

2015-02-17

試作

本式に作る前に、ためしに作ってみること。
しかし、現代社会では試作という概念が変わってきているといえる。
本式、製品と試作の区別が難しい。

試作のまま提供しても、常に更新できるような環境が多い。
インターネットの普及
年度更新契約
などから、買った時点のものと今使っているものが変わっている。
いや変わっていくことが付加価値になりつつある。

製品のつもりで納品したが、ある意味製品として使っているうちに
もっとよいものになることが過去が試作というのか

試作でこれからも改善する前提であるからそのままその条件で契約して
更新し続けるという意味。

試作が完成本式かどうかなど
今ではどうでもいい、
それを使うことで享受できるものが納得できるかどうかだといえる。

2015-02-16

巧克

中国語でいうチョコレートだそうだ。
巧克力という言葉で
うまく力を出す事が出来るという意味である。
古今東西より、チョコレートは活力源である認識は変わらないようだ。
確かに科学的にもそれは立証されている。

日本独特の習慣のチョコレートがいっぱい売れるバレンタインデー。
もらったことで、うまく力を出す事が出来るかもしれないという
非科学的なこともまた立証されているので、
チョコレートの力は偉大かも?

2015-02-13

感知

感じとること。気づくこと。

センサー、機械レベルでの感知と
人間の予感的な感覚の感知は
違うものだと思うが、言葉や人の認識では同じと思われているようだ。

感知するということは次のアクションを呼び出すことであり、
ただ感じているだけでは感知とはいわないのだが、
なんか、感じるだけで悦に入っている人が多いような。

感知することの先に自分がどうするかを意識していないのは
感知できていないこととかわらないのに。


2015-02-12

枢機

物事の最も大切なところ。かなめ。要所。

枢機卿という表現だと
カトリック教会における教皇の最高顧問だったりする。

現代社会だと
枢機という概念に対して、非公開、独裁、独善的というイメージがついているが
僕はそれでいいのではって思う。

無駄にみんなに議論をしているようで、じつは前に進まず
責任を取らない社会より
これだと決めて決定し、そしてその結果によって、
命をかけての責任をとるくらいのほうがどれだけ有意義だろうか?

能力主義と言いながら
甘えが多いなあこの社会、
権利を与えて、だめなら更迭することがどれだけ正しいか、
その価値観を強く求めたい。

2015-02-10

別格

他のものとは違っていること。

日本人は別格に対して、面白い感覚を持っている。
特質した存在ではいたくないという思いともに
周りと一緒にされたくないという思い。
この2つの二律背反が日本人の心の在り様である。

別格、格上、という言葉どうとらえるかは
個々人に依存するが、
それで自分の心がどう満たされるか、、、
まーーそれだけのことでしかないのだがね、、

2015-02-09

栄養

必要な物質を外界から摂取し、
それを利用して生命活動を営み自らの健康を維持・増進したり、
体を構成したりする現象である。このとき外界から取り入れられる物質のことも指している。

体にいい栄養をとりなさい。

といいながら、体にいい栄養って何?

ダイエットブームや栄養素の発見や研究成果で
どんどん変わる栄養の定義。

脂は体に悪いといわれていた20年前
今は、炭水化物が悪いと言い出している。

また、近年の研究では
野菜より肉のほうが消化や健康にいいって言っているところまである。

何が体にいいか、、
それは、、自分の好きなものでいいのでは、、そんな結論しか導けないといえる。

2015-02-06

調号

西洋音楽の楽譜記譜にあたって用いられる、変化記号のセット。

僕は調号を読めない。
読めたらいいなあって思う半分、
読めないから損をしているとは思わない。

人には生き方や嗜好がある。

芸に優れることはいいことだと思う。
そして、僕はその人の才を素直に褒められるようにいたいと思う。
才なきものはその他人の才を自分のいい方向に使わせてもらうことが
責務だと感じているだけに。

2015-02-05

一緒

一つにまとめること。ひとまとめ。

現代人はいろいろと一緒にするくせに
自分は一緒にされたくないという特性が実に強い。

自分は特別、他人は同じものってみなす発想って
あまりよろしくないなあって思ってならない。

2015-02-04

真偽

まことといつわり。真実と虚偽。
現代社会、何が本当なのか。
逆にそれって、嘘なのだろうか?

今まで、できないといわれていたことが
技術進化によりできるようになったりしている。
また逆に、今まで当然だったということが異常になったりと。

物事の真偽の判断って、、
結局自分の思い込みでしかないのかあ。
そして、それって他人と共有できないので、、
物事って何も信じられないといえないか?!

2015-02-03

溝板

どぶをおおう板。

まー現在では溝板と言えば
候補者や運動員が有権者に会うために
民家を一軒一軒(場合によっては後援者の民家でミニ集会も行う)回った。
その際、各家の前に張り巡らされた側溝(ドブ)を塞ぐ板を渡り、
家人に会って支持を訴えたことが「ドブ板選挙」の由来となっている。

政治家のみなさんがわざわざ
民家の溝板を超えてあいさつ回りを行う。
それだけ、足を使って稼ぐことが重要といわれる。

確かに、足しげく通うことは賛成だが、、
自分自身に興味を持っていただけないところにわざわざ出向くのは
本当に苦痛とは感じている。

2015-02-02

直営

出資者などが直接に経営すること。
直営することの指針は
トレンド、景気、そして経営姿勢で大きく変わる。

自らリスクをとって一から責任を取ることの直営に対して
フランチャイズなどで、ある程度責任と裁量を渡すやり方もある。

どっちが正しいという言い方できないだけに、
マスコミなどがその経営姿勢を批判することはなんかおかしい。
今はダメかもしれない、しかし、そうやってマスコミがネタにするまで成長させたのだから。

直営することのリスクは実際にそこを運営して初めてわかるもので
あまりに素人視線の意見が蔓延する現代社会っておかしく感じてならない。

2015-01-30

典型

規範となる型。基準となるもの。
、、、、現代社会っで、典型的っていうときって
概ね、その発言者の思い込み、偏見でしかないと思ってならない。

この個性多様化の時代。
典型的という発想自体がありえないといえる。
そこで、相手に向かい、典型的っていう発言は
その発言者のつまらない人生経験からの発言であって、、
うーーん、バカらしいな。

2015-01-29

甘物

甘いもの。
科学的には糖質といえる。

現代社会では、糖質は目の敵にされる。
しかしだ。
人間の文化を育んだのは糖質の塊である、麦、米ではないか。
また、脳の栄養源は砂糖といわれているし、
甘いものは女子供にとっては好物とされる。

なんか、
人間って甘いものを目の敵していながら、
それが人間そのものの特性と歴史ということに
案外気づいていないなあ。

2015-01-28

進呈

人に物を差し上げること。

まー、日常生活ではあまり使わない。
渡す側として、進呈というほどものを渡せるほどのものを渡せるかというと
そして、仰々しく進呈なんて表現したら
もらう側が恐縮してしまう。

きれいな言葉、、
でも使い勝手が悪いっていえるねえ。

2015-01-27

花粉

種子植物門の植物の花の雄蘂(おしべ)から出る粉状の細胞。

でも、今は花粉症っていう問題のほうが大きな意味になっている。
花粉症という概念はある意味、人災、人が招いたことなんだけど、
どうも花粉のせいにしたがるのは、なんか人間のエゴを感じてならない。

植物は生体に従って、生殖活動の一環を行っているだけで
それを促進させようとした人間の植樹の結果でしかすぎず、
そこを考えてない日本人がわるいと思ってならない。

なんか、責任転嫁しすぎではないか??

2015-01-26

筆致

書画や文章の書きぶり。筆のおもむき。筆つき。

うーーん、もう感性の世界。
この表現にどう感じるかが問われるし、
それの良し悪しってどうなのって?感じる。

まーこのブログも見る人が見ると
筆致がわかりやすいものなのかなあ。

書いている自分にはわからんが。

2015-01-23

厳選

きびしい基準で選び出すこと。
とはいうが、その厳しい基準っていうものの厳選された条件なのだろうか?
たいたい、それは主観的、独断的判断である。

厳選というものはほぼ、
ある特定の人間の思い込みでしかない、
その思い込みをしている人を心酔できるかどうかである。

多くの人に選ばれたものについては
厳選なんて言わないのだから。

2015-01-22

粗探

他人の間違いに厳しいが
自分の間違いを全く認めないどころか、その指摘を批判する。

これが日本社会の能力評価だといえないか?
日本は、よりよいものを目指す傾向から
いいものを素直に評価しない、、それよりいいものという発想で
改善点という粗探しを行う。

そう、評価どころか粗探し。
それで、減点させる評価が染みついている。

だから、良くしようという思いより粗を認めないことで
その粗探し自体が粗であるという論理に変えて
自分の正当性、減点をさせないようにすることが、、今の能力評価、、、

うちの会社ではそんな愚かな評価はしないだけに、、
バカらしく外の評価を見ている。

2015-01-21

敢行

思い切って行うこと。

現代社会はそのことをさせない。

リスクがある。
無駄である。
その時の責任をどうとるか。

でも、動かないと何も変わらない。
何もしないで衰退することを是とするより、
敢行していろいろと経験することのほうが重要と思っている。

だいたい、何もしないからこそ
この社会は悪い方向に進んでいるような気がするだけにね。

2015-01-20

海馬

大脳辺縁系の一部である、海馬体の一部。特徴的な層構造を持ち、
脳の記憶や空間学習能力に関わる脳の器官。

なんで脳の器官なのに、海馬っていう名称なのか?
それは、その器官の形が、海馬、、タツノオトシゴに似ているからであり、、
タツノオトシゴは、海馬というの、、、なんか、、頭が混乱してしまう。

これは日本語訳、医薬用語がごちゃごちゃしているからであり、
中途半端な和訳がこれを導いている。

和訳と専門用語の乱立がある意味、日本語の英語を苦手にさせる要因なのかもね。

2015-01-19

預言

どうも日本人は回教(イスラム教)に対して、理解がないから勘違いしている。
預言であって、予言ではない。

預言者ムハンマドと
予言者ノストラダムスを同じように語るバカが
偉そうにしゃべっている人がいて、
こういう人がいるから、、、本当に失礼だと思ってならない。

預言者は
巫女、シャーマン、潮来 であり、
昔の中二病的な表現で言えば

神の地上代行者 

といえる。

お釈迦様、
イエスキリスト、
をバカにしていたら、結構、罰が当たるというのに、、

統計学的には
世界の信者数では

33% キリスト教
20% イスラム教
06% 仏教

であるし、この統計もキリスト教側の欧米観点での統計だけに
これだけ大きい宗教に対して、あまりにも世界は、
日本は、ひどい扱いだなあって思ってならない。

英語、グローバルとかほざく前に
こういう人の心の理解をもっとすべきだろうと思ってならない。

2015-01-16

諸説

 いろいろな説・意見。または、うわさ。
でも実際は、、思い込みの言い訳ではないかと思う。

自分の思い込みを言った後に
「諸説あります」
と付け加えれば、あたかもそれでいいとなり、、
現実において、不正解がなくなるともいえる。

現代社会のこの現象、、危なくないか。
自分の意見をあたかも一つの諸説ということで正当化させることはなんか
恐ろしいなって思ってしまう。

2015-01-15

工具

工作に用いる道具。

一つ質問。
コンピュータは工具だろうか?
多くの一般人は物を作っていないと言い切って
工具ではないと思うだろう。

しかし、現在社会において、モノづくりはもうすでに
手で作るより、設定などを画面で行っている。
つまりは、、コンピュータしか触らなくてもモノづくりを行ってしまう。

もっといえば、モノという存在も
手で触れない価値、サービス、電子媒体になっている以上、
工作という行為自体の概念も異なっている。

現代において、工具にコンピュータが入るのではなく、
工具=コンピュータということを自覚することこそ
現代人の認識の乖離を正すべきだとぼくは思う。

2015-01-14

動線

建物の中を、人が自然に動く時に通ると思われる経路を線であらわしたもの。

なんだけど、
建物を運営している側は 導線 であると考えている。

同じ ドウセン という音であることだが、
自発的に動くのか
それとも、半強制的に動かされるのか
で大きくイメージが異なる。

自分でそれを選んだという気持ちにさせるが
実はそれはこっちの企てた道筋だった。
それが物売り企業側の理想形なんだろうな。

しかしだ。
結構これって恐ろしい結果を導きかねない。
企業側の思惑通りの導線で購買が行われて
企業側は読み通りって思って、次もそれに準じて考えると
大きく失敗する。
それは、導線戦略の間違いではなく
そもそも、顧客はそんな導線ではなく、
気分のままの動線での購買だっただけだったり、、

マーケティングって案外そんなものではないかって思う。
考えれば考えるほど、バカらしいくなるからね。