2018-08-31

新型

今まであるものと違って、新しく考案された型。
モノを大切にすることを重んじる日本。
しかし、新型に食指が動き、それを買うことで
経済循環が発生し経済が潤い、
金額的、販売的に評価された
製造者の開発者魂に火をつけることになる。

新しいものを買うことに善ではないのか?
なんか、日本人の価値観が不況を続けているような。

2018-08-30

破戒

いましめを破ること。特に宗教で、戒律を破ること。
現代社会、破戒行為ってあるのかなあ?
みんな自分のルールで生きている。自分のルールに合わないほうが破戒だと騒ぐ。
ということは、みんな生きているだけで他人から見れば破戒でしかない。
自分がルールという社会は混沌そのものなのだが、
それに現代人が気づくにはいつか?
というか気づいた人はすでの現代人から次の時代の人間なのかも?

2018-08-29

瑞相

めでたい出来事として起きる前触れ現象を意味する仏教用語。
言葉として使われなくなっている以上に瑞相という概念そのものがなくなっている。
高度情報化社会で過去データから次に何が起きるか予想できる。
予想できると言うことは兆しというよりも想定条件になるので
めでたいことが起きるのではなく、思っている範囲内の結果になる。
また、めでたいということも個々人の価値観の多様化でめでたいと言い切ることが
できる要素基準がない。
言葉以上にその概念そのものが廃れる珍しい表現熟語かもね。

2018-08-28

助人

助っ人。助ける人。
いつも感じるのだが、助っ人は誰への助っ人なのか?
ビジネスにおいて問題が起きているということは
2つの結果を見なくてはならない。
一つは現場、もう一つは顧客だ。
多くの助っ人要請は現場から起きるが、
その現場を助けることが結果顧客のためという。
しかし真に顧客のことを考えれば、
そんな現場にしたそのものを入れ替えないとならないこともある。
現場に助っ人に行ってその助っ人のやり方が気に食わないで
クレームや批判することでもっと現場を悪くしてしまう存在がいることが
問題だったりする。

現場主義というが、その現場そのものが問題である事実に目を背ける
日本のビジネススタンスを見直さないとならない。

2018-08-27

唐突

だしぬけで、その場にそぐわないさま。
でもこれって客観評価な批判だということを忘れてはならない。
自分が、唐突に何を言うのか!と思っても
その場、話者の中ではつながっていると思っていることなどある。
逆につながりの中で説明や紹介をしているつもりでも
唐突だと言われてしまうことがある。

それは話者、説明する側の問題と言うのが日本慣習だが
外国とのプロジェクトではそんなことを言うほうが笑われる。
なんかロジック、ストーリーにこだわるに日本に対して
自分の思いの押し付けが重視されることが多い。

郷に入っては郷に従え
これは特に日本の文化、社風、組織の歴史で
何が唐突か決まるもので、そこに初体験の人間には違和感しかないのだがね。

2018-08-24

課題

与えられる題目や主題。
ある人からある人へ与えられた問いかけであるべき。
しかし、課題という言葉を使うときの多くは自発的というか
与えられたというより、そこに存在している不都合な事象を指す傾向にある。
自分自身に課せられているようになっている。
それって課題という表現としていかがなものか?って思うなあ。
課題というより、自浄、改善なのでは?

2018-08-23

編纂

多くの材料を集め、またはそれに手を加えて、書物の内容をまとめること。
編集と同義のはずだが、編纂というなんとなく格調が高い。
辞書や年代記などの大掛かりな編集作業を編纂というべきだろうな。
しかし、デジタル化している昨今、
編集活動のやり方、、もっと言えば、
大掛かりな編集作業そのもののやり方も変わっている。
この先の編集、編纂って活動の定義、分水嶺はどうなっていくのかな?

2018-08-22

領袖

集団のかしらや主だった人。
首領、棟梁、という言葉を使わずあえて、領袖って言葉を使うのは、、
多くは民主政治の派閥のトップを指すことが多い日本。
派閥、、つまり同じ党籍内でもその中の一派としてそのある意味チームリーダーに指す。
これって、非公式チームを勝手に作っているのは?
国政を担う存在が勝手な組織行動する日本って本当に混沌だよ。

2018-08-21

指定

人・時・所・事物などを特にそれとさして決めること。
気づいているだろうか?現代社会において指定行為は差別、不法行為になることを。
~指定としていると、自由がないとクレームをあげる輩がある。
指定による効率化を掲げても、それにより、
カスタマイズ、顧客満足度に悪影響といわれる。
指定によりある種の統制を図ることが現代社会では自由を損なうといわれることが実に多い。
昔は服装の乱れは気持ちの乱れとして、指定制服や指定文具などで厳しく校則などで縛ってきた学生生活。
今ではその指定が問題となり、学生とその親に自由を求めている。
その結果、全体的な統制力が働かないのに、結果を求められる指導者たちが
苛立ち、そして自分なりの感情表現、指導表現をすると暴力とされる昨今。

指導者の人格問題ではなく、社会として指導統制がないことで起きている弊害って
どれだけの人が気づいているだろうか?


2018-08-20

民営

民間で経営すること。
このブログで「民間」で述べているが
行政サービスは公共性のあるものであり、収益を目指すものではない。
赤字になる前提だといえる。
それなのに、民営化を推し進めるだけでなく、民営化で成功するということは
日本という国家そのものの国体が問題では?
つまり
~公務員試験で受かった優秀な人材は民営に負けてしまうほどバカでしかない
~公共サービスと思われたものもすでに公共ではなく収益をあげられる価値観
~公共サービスや行政行為を無駄という発想から行政そのもの存在意義
と日本の有様が問われているのでは?

インターネット、仮想通貨から始まる国家管理レベルを超えた
超国家的サービスの登場で、民営と行政の区別が曖昧になりつつある。
このままでは納税にその内訳を明記して請求書を発行しないと
国民は納得しないなるだおるし、そもそも行政の存在も認めない価値観も
すぐそこまで来ていると感じてならない。

2018-08-17

努努

なんて読みますか?
答えは、「ゆめゆめ」
~努々怠らないように。
などの言い回しから、常に意識していること、つまりは弛まぬお努めとなるから
努力の努の字を重ねて表現されている。
言われてみるとなるほどってなる。
そして、この努々って、文章中に出てきたとき、皆さん読めるだろうか?
皆さんの記述行為の多くはIMEなどの変換ソフト、、つまり
電子ディバイスを用いて書くので、読み方がわかればその読み方を入力して
自動変換してくれる。だから現代において漢字を書けるというスキルはいらないに近い。
しかし、難しい漢字を読めないと表記できないことが背理として付きまとう。
まーー、最近はインターネット常時接続とコピペという表現でキーワード検索までできるようになったので、調べる難しさはなくなりつつあるがね。
書かなくなった漢字、、本当になくなるのではないかなあって思ってしまう。


2018-08-16

浚渫

水底をさらって土砂などを取り除くこと。
耳にするだけなら、なぜ必要なの?って思う人も多い。
しかし、とりわけ日本においては重要な行為だといえる。
行われる目的は
~大型船舶が入港できるようにするために
~川の水を氾濫させないために
~水質を改善させるために
といろいろな理由で行われる。

日本の水は稀にみるそのまま飲料にできるくらいの良水である。
その根拠は極端に断崖に近い山地でろ過された湧水が高角度の流れで
海に向かうので、途中の澱みに触れる機会が少ないからともいえる。
その流れの速さが土砂などを巻き込んでしまうので
水底に溜まってしまうともいえる。
いい水をえるかわりに、浚渫をしないとならないのは
自然の摂理といえるのではないのかなあ?

2018-08-15

擬人

人間以外のものを人物として、人間の性質・特徴を与えること。
人ではないものを人とみなすからこそ、見える人間性がある。
これは古来というか、世界中の人間の身の回りにあふれている、、
民話、童話が典型例だろう。
動物を人と捉えて、人間の本性を曝け出して読み手、聞き手に教訓を与える。
それにより、人間としての道徳性を身につけさせてきた。
もし擬人化させた動物ではなく、具体的な人間を登場させたら、
人間はその人を批判し始めるし、その具体的な存在とみなされた人は
教訓どころか怒りもしくは負い目で生きていくことが困難なるだろうから。
民話、童話の系譜は未だに続き、
マンガ、読み物、アニメ、部隊などで擬人化された表現で
人間性を表している。
皮肉なものだが、同じ趣旨、教訓を与えるものだとしても
下手に人間が登場した作品より
動物、怪異などが心情に訴えるほうが人に共感、感動を与えている。

いつも神瞰している僕からすると
人間は他の人間には共感しないが
人間以外のものへの気持ちは素直だといえる。
もしかしたら、人間というものは元来、他社との心情共有は難しい動物なのでは?
って気づいてしまう。



2018-08-14

下積

自分の能力を発揮できないまま低い地位や立場にあること。
発揮できないのは、当人の無知、努力不足とされてきた。
それゆえ、現場で周りの動きを把握し自分の存在をどうアピールするかを
学んでいく時期があるべきとされた。
しかし、現代社会はその下積を無駄な時間とみなして
非効率とみなす傾向を増えている。
新人、新規参加者にも平等な権利や機会を求めている。
では、下積は悪行か?
おい、待てよ。
下積せずに周りを考えずに参入し、市場を荒らしたうえで
結果がでないわかると悪態とともに撤退する。
が、その市場を今まで形成してきたステークホルダーは
その市場を維持しないとならない。
荒らされた状況を原状回復させないとならなかったり、
その悪態による風説の流布に挽回させなくてはならない。
そこにかかるコストは被害者もちかよ。

参入障壁とかいうが、
バカが下積なく現れて、今までの商慣行を壊して結果できないと悪態をつくことに
比べたら、参入障壁を否定することに問題を感じるなあ。
そもそも、プロの仕事は下積という表現ではなく、
徹底的なリサーチとアクションへのリスクヘッジをもって
ことに当たるのであり、その徹底性が下積の域を超えているだけである。
下積が無駄と感じていること自体
プロではなく庶民レベルの愚かな判断と言わざる負えないが
庶民レベルではそれもわからないか、、、

2018-08-13

焼成

窯業などで、製品を炉で加熱したり、熱風にさらしたりすること。
磁器を焼くあげる行為だが、
その焼き上げで、
・大きさが縮まり
・釉薬や染料の化学反応で彩色が変わる
ことが起きる。
その焼成で起きる結果を想定しつつその前提で磁器を作るのだから
職人は本当にすごいと言える。
焼き上がり、つまり結果が作る前からわかっている、
そうなる前提で今を作ることが職人、プロの仕事ということか。
見積もり、課題管理もプロとして結果がわかっているなら容易なんだろうが
まだまだ僕はその域ではないなあってつくづく思ってしまう。

2018-08-10

上洛

京都に行くこと。
京都、行くという要素がないこの熟語がなぜ、この意味?
漢字分解すれば
「上」とは国家元首のもとに参上する意味を持つ。
「洛」とは古代中国の首都 洛陽 のこと。
昔、天皇(帝)は京都御所にいた。
京都は隋の首都を模して作った。
隋の首都は洛陽だった。
それゆえ、
過去からの表現と略称で、上洛という言葉が使われる。

熟語に過去からの経緯が内在しているのは
漢字独特の特徴なのかな?

2018-08-09

返上

いただいたものを返すこと。
それにはもらったという認識が前提なのだが、
シェア、フリーの概念が浸透している現代社会。
自分が享受しているものがいただいたものかどうかの認識が曖昧である。
キリスト教徒であれば、神から賜りものという認識前提で
生かされているという認識が成り立つから神に返すという概念での返上の理解はあるが、
八百万の神、その神が人格を持っている日本では
神というとどの神?どんなもの?という特定認識をしないとならないが
主語が曖昧な日本語ゆえ、返上先もそもそも返すべきなのかとなってしまう。
この先の未来認識は難しいといえるが、
モノの所有権が曖昧になればなるほど、返上という概念は薄れていくんだろうな。

2018-08-08

血眼

血走った目。
転じて
逆上して目を真っ赤にしていること。
他のすべてを忘れて一つの事に熱中すること。
要は常軌を逸脱している状態。
あまり、あるべき姿ではないというが、
そのくらいの気持ちでことになたらないと
結果はでないくらいの社会になっているのでは?と感じる。
真剣に行うことが効率的ではない、負荷が高すぎるというが
ある程度の限界値まで追い込まないと人間は進化、成長しないのでは?
って思うが、それは現代では認められないと来ている。。
危ない社会って感じるのは僕だけ?

2018-08-07

整流

電気の交流を直流に変えること。
流体の流れの乱れを整えること。
日本の家電はコンセントからとる電気が交流なものを
直流に買える整流器が内蔵されているになっている。
この事実については、知っている人は知っているがしらなくても困らない。
そして、最近僕が耳にした整流は
個々人、それぞれのやり方があるので、やり方、手順を整えたいという使い方だ。
個人主義を尊重しすぎたために、いろいろなやり方を認めてきたが
それでは統制できないという話である。

確かに、いろいろな方向性、行い方があってもいいが
あるタイミングでそのやり方を統制しないとならないときがある。
現代社会、そろそろ、整流を旨とした統制が必要かもね。



2018-08-06

逆説

真理(結論)と反対なことを言っているようで、
よく考えると一種の真理(結論と同じこと)を言い表している説。
現代人が考えるという行為は逆説である言い切りたい。
効率化、一般化、などから身の回りにあるものが当然になっている現代。
考えなければ、身の回りが真理と思い込んでしまう。
しかし、なぜそれが成り立っているかを考えるということは
それがなぜ必要なのか→それがなかったからという展開になり、
結果逆説に考えを巡らせることになる。

考えることを重視するようになっているように見えている日本だが
当たり前を否定することを嫌がる傾向が見受けする。
日本人は応用はできるが、考えることができないと言えるのでは?

2018-08-03

点検

悪い箇所や異常はないか、一つ一つ検査すること。
チェックリストに基づく各個確認。
否定をする気はないが、それこそ漏れがおきないか?
人は暗記するときにストーリーで覚えるといいとされる。
それは前後の情報がそれぞれの情報の確実性を担保するからとされる。
正常であることもある意味、一連の確認動作をすることでわかるのではないだろうか?
物事を点と点でみるのではなく、線として、そして面として把握できることが
全体把握になるし、それゆえ点と点では見えていない、線上のものも発見できるのではないだろうか?

2018-08-02

温暖

気候が暖かなこと。
これって、定性的な表現でかつ日本人基準ということは理解でてきいるだろうか?
赤道から距離が近いところに住んでいる人が思う快適な温度と
赤道から距離の離れたところに住んでいる人が思う快適な温度とは
全く異なる。なぜならそれぞれ互いの温度での生活をしたことがないからだ。
ゆえに温暖という条件は定量的な何度というものではないどころか
温暖という概念すらないといえるだろう。
四季による温度差がある日本ゆえに、暑くも寒くない気候、気温をそう感じるのだが、
夏になると温暖化と騒ぎ、冬になると極寒と騒ぎだしている現代日本に
温暖という概念はまだ残れるのだろうかって思うことがあるがね。

2018-08-01

数奇

ふしあわせ。不遇。境遇の変化の激しいこと。
漢字をここで読めば、奇妙なことが数々と。となる。
日本人の価値観として、
平常、日常が幸せであり、異常、奇妙な経験は不幸とみなさなれてきた。
それゆえ、数奇とはマイナスイメージなのだが、
昨今の個人主義、核家族化、グローバルな価値観により
日常という概念定義ができなくなっている。
果たして、数奇とは不幸と位置付けていいのだろうか?
他人からすれば不幸でも、当人からすれば日常、変化のない人生ほど不幸なものはないと思うのであれば、数奇のほうが幸福といえるのでは?