現代人は充分と十分の区別ができないどころか、楽な方に流れている。
要求に対して、
自分として満たされた場合は 充分であり、
相手が満たされたかどうか憶測の意味での 十分 となる。
それが、馬鹿みたいに すべて 十分 になっている。
この発想は
「わたし、そういうこと出来ないタイプじゃないですか!」
というところと共通の感覚に相違ない。
正しい日本語、
相手に伝わるかどうか表現語としての日本語、
たぶん、それぞれの人間がそれぞれに勝手に思い込むことができる
ようになっている。
「ちゃんとした日本語で話せ!」
「おまえこそ、日本語で話せ!」
となりつつ、いやすでに、そうなっていることに気づいてるのかな?現代人。
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