2018-05-25

事例

具体的な実例。

成功事例を分析してさぞ「成功する要素はあった」と他人の手柄を
自分の手柄のように分析結果を語る輩が多い。
それって結果前提の立証であり、これからの結果と関係ない話だといえる。
そもそも、成功事例を分析なんかしても意味がない。
それより失敗事例のほうこそ前向きな分析であり、その理由のほうが実用的だ。
しかし、真面目にバカ社会は失敗を蔑視していることが多く、
同じ轍を踏むことが多いのも事実。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
という諺があるが、実際問題、経験から学ばない愚者以下の人間ばかりで
逆に経験、歴史から学ぶことを否定する輩が多いのは進化か退化か?
僕は後者に感じてならない。

2018-05-24

草叢

草の茂った所。
ソウソウとも読むが、くさむらとも読む。
そもそも、草叢の叢だけでも、くさむらと読み同じ意味。
ある意味、草叢の草は接頭辞としての送り字。
漢字一文字でも意味をなすが、熟語にしたほうがわかりやすいという
日本独特の表現でもある。
とはいえ、、叢という字自体、すでに使わなくなっているので
この表現自体もう古語となるがね。

2018-05-23

常識

健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。
という意味であるが、実態は個々人の思い込みで一般人が共通して持つ知識などない。
「一般常識がない」と口にする人間が一般常識がないと結論づけたい。
なぜなら、一般常識という自分基準の思い込みを常識として
他人に押し付ける行為は非常識人と言えるので。

元来、人間には常識という概念はないに等しい、
それが画一教育を主是としてきたありし日の日本人には
みんな同一理解があったので、常識という概念が芽生えたにすぎない。
専門知識化、個々人の能力主義尊重により
在りし日の日本の思いは破綻したいえる。
常識を口にする人間を侮蔑することこそが、常識であるべきだが、
それもまた非常識と思うことになる庶民と自分の乖離は深いなあ。

2018-05-22

綿密

やりかたが細かくて落ちのないこと。
日本においては正しいやり方とされるが、
この発想が今の日本製品の衰退になっている。
綿密なこと、、それは現時点の自分視点でしかない。
しかし、市場は未来志向で顧客視点である。
顧客視点、自分たちが思いもよらない使い方などは
綿密に考えれば考えるほどその余地をなくし、結果使われないことになる。
ある程度のカタチで提案、市場に出すことを行い、
市場の評価や使用者の使い方をうけて、改善や新製品を出し続けることが求められる。
綿密に考え、完璧なものを提供するという思いは
正しい職人根性ではなく、思い上がりとみなされかねないのが現代だ。

2018-05-21

金物

金属製の器具・道具のこと。
今では言わなくなった言葉に近いだろう。
社会、技術の変化、進化がそうさせている。
言葉の発生は、日常品の多くが木製や石製のものばかりで
高温鋳造の金属製品など庶民には程遠い時代にその製品をみたときに
他と違うことを言い示す短い言葉として、金物となった。
その金物が産業革命や家内制手工業から工場大量生産で
手ごろな価格で手に入るようになったゆえ、木製などど分けることがなくなり
金物という言葉が日常から消えつつある。
まして、金物より使い勝手のいいプラスチック製品などが安価に出てきている今では
なおさらこの言葉を使わなくなる。
言葉はモノ、コトの盛衰に左右される。
その衰退でなくなる言葉に対して
製造ラインを辞めるからもう使わなくなると言い切れないため、
永続的に残り、辞書の注釈などを膨らますことになる。
言葉って言語を使い続ける以上どんどん膨張するものであり、
ひとりの人間が全部理解することはできないどころか
他の言語もある人間社会は、果たして時間、地域を超えて
意思疎通できているといえるのだろうか?
ただ自分はそう思っているだけで相手は全く異なる理解なのでは?
って思うほうが当然ではないだろうか?

どうも、他人との意思疎通にこの疑念がどんどん高まる不安やあきらめは
僕だけの問題?

2018-05-18

錬成

心身・技術などを鍛えて立派なものにすること。
判例としては、「軍隊を錬成する」ということになるが今の若者は
錬金術での錬成っていうことになる。
逆にいえば、錬成という言葉が現在使わないからこそ
現代社会にない錬金術の言葉と思ってしまう。

言葉は再起するが、その使い方が当時と違うことになっても。
それは和歌にある技法、本歌取りのように
昔使われた表現を現代にアレンジすることで
見聞きした言葉なのに、新しさを彷彿させるのは
読み手、聞き手に大きなインパクトを与えることができとても使い勝手がいい表現とえるね。


2018-05-17

沽券

人のねうち。体面。面目。
主に、自分の価値、プライドの意味で使われる。
現代社会における沽券は取扱いが難しい。
自分が思っているほど、こちらの沽券を他人はどうとも感じていない。
なぜなら、個人主義ゆえに。
しかし、沽券を抵触する行為、発言を受けたと認識すると騒ぎ始める。
なぜなら、ハラスメントや名誉棄損という概念が日常化しているからだ。

僕でいうならば、
他人の文章、言いたいことがよくわかないことが多いなか
他人から「あなたの表現、よくわからない」と言われる。
お前の文章のほうがわからないぞって思って言い返すと
失礼って言われることになる。
相手の見解の沽券のために、僕の沽券はどうでもいいとなる社会。
どうも理解しがたいが、だからこそ他人に意見を述べることはリスクと思うだと感じてしまう。

2018-05-16

差配

所有主にかわって貸家・貸地などを管理すること。
汎用化されて、指図してとりさばくこと。
似たような言葉に采配って言葉がある。
差配と采配、違いは
差配は個人、小人数
采配は組織、大人数
と読み取れる。
もともと采配は軍事用語、プロジェクトなどのように
組織運営に関わる言葉は軍事用語から転用されやすい。
まして、プロスポーツの世界などでの運営は
まさに疑似戦闘ゆえに転用されやすく、それがメディアに乗って伝播していく。
現代社会の組織運営は小規模なので
ある意味、差配レベルだけど、雰囲気、カッコよさで
采配なんて言ってしまうこともある。

ただし、差配は不動産など金融で使われることが多く
公用性はこちらのほうが格式高い。

言葉の語源などを理解して使い分けることが
知識や礼儀につながるが、、それを無視して
自分がわかるようにと強要する能力主義、、
能力があるのか、ないのか、、全くわからんねえ。


2018-05-15

和裁

和服を制作することやその技術のこと。
現代人の多くは和裁を学ぶ機会をなくしている。
洋服という言葉がすでに服という言葉なることで
日本の着物が普段着でなくなり、
家庭、学校でも和裁を学ぶということが一般から特殊になっているからだ。
和裁がなくなることに嘆くことは僕は違うと思う。
逆に今まで一般だったものが特殊になるということは
それだけ、付加価値、高騰するので、
和裁のスキルが高く評価されることにもなる。
ただし、それを今まで誰でもできたのに、安くていいという発想が
未だにあることが嘆かわしいと思うべきである。

2018-05-14

殺伐

平気で人を殺傷するように気風が荒々しいこと。
この表現が現代でも使われるが、
実際問題、現代人のもつ他人を殺す雰囲気って過去が示す殺伐とは異なっている。
そもそも、他人を殺すという好意自身がおかしいというが
それは平和ボケの日本の思い上がりで、全世界的にみて日本の価値観は異様だ。
先進国においても、この死生観、、認識の甘さは、、
逆に危険認識力の低さにもつながっているだろう。

殺伐という表現が未だに使えるということは殺人という行為が
身近でなくなって等しいからで、言葉自身の衰退が起きているといえる。
殺伐という実体験的なものがなくなっているは
安全と思うか、他国、社会情勢に目耳をふさいでいるだけか、、
それは今後の日本の国際的地位がそれをものがたるだろうな。

2018-05-11

自明

証明したり特に詳しく説明したりするまでもなく明らかなこと。
これは現代社会では成り立たない。
自明と思っていることはある意味、自分の思い込みでしかない。
それを知らない人に向かって自明と言い出すと、
差別、パワハラになるリスクがある。
個人主義ゆえ、画一した知識教育が必ずしもできるとは言えない。
高等教育、大学教育の差
専門知識の細分化による理解差
から、自分が知っていても他人が知らないことの差が大きい。
それゆえ、ここまでは自明と思っていることも他人が知らないことについて
そうなんだ!って思うべきで、そこの知識差を埋めるための説明が必要であり
知らないのか!っていうのは、他人の侮蔑になる。

この事実こそ、自明だと思うが、
知らないのか!っていう思い込みが自明であることが
現代社会のコミュニケーション問題の源泉のひとつと言える。

2018-05-10

我慢

辛い事を耐え忍ぶこと。
お気づきだろうか?2000年前後から、日本の価値観が変わり
我慢をすることへの経緯、美徳感が失われ、
それはしてはならない、させてはならないになっている。
個人主義の台頭がそれの根源なのだが、
我慢からくる譲り合い、そして我慢をしたから得られる代償が
社会秩序になっていたところもある。
でも、今は価値観の変わり目でもあり、
我慢をしているのに、って思う人に対して
そうしていない人が
「勝手に我慢しているだけ、自分は我慢なんかしない、だから利益は自分のもの」
と言い出すこともあり、相手を不快にさせることが多くなっている。

我慢と個人主義、、相反する価値観なのだが
それが共存している今は異常な状態という認識がないことが
現代日本人の大きな問題なのでは?

2018-05-09

後継

後を継ぐ、後継ぎ。
職人、中小企業の高齢化などで、
後継者がいないとか言っている。
後継者がいないということは、そのビジネスに魅力がないからといえる。
その後継者がいないことを嘆く人が多いが
その嘆くなら、その人が出資や労働を提供すればいいではないか!
現代人は他人事のように言いまくるが、
その発言を言う割には責任ない行動ばかりしている。
後継を望むなら、それに見合う対価、代償がなくては意味がない。

2018-05-08

再鑑

自分が出したお金をお客さんに返す前に別の人にもう一度数えてもらうこと。
転じて、金融業界などでは成果物のレビューのことらしい。
業種業態によって言葉の定義が転じやすいが
その環境に新しく入ってきた人間はその定義について
当たり前と感じると、その環境から離れたときに新しい環境に否定される。
逆に違和感を感じると、その環境になじまずに溶け込めない。
郷に入っては郷に従えというが、
それができるということは、自分の行ってきたことに自信がないというか
自分の価値がないとみなせるかどうかであり、この能力主義社会において
それを認めることは、、、、いろいろと難しい社会構造になっているなあ。


2018-05-07

瑞祥

めでたいしるし。
瑞という字は、めでたいという意味の漢字なのだが
現代人はこの字をあまり使わない。
正統にこの手の漢字が使われていれば、
「これ、やばい」
という用例どころか、もっと古い言葉遣いから考えれば
「有難し」
もなく、
「この結果、、、瑞だね!」
とか言うべきだったかもしれない。
定められた言葉、思うように使われなかったり、そしてすたれていくのは世の常だが、
そう考えると、言語的な理解の勉強って日々変わるから、
初等教育では意味がないのでは?
逆に日々更新するべき自習事項であるべきではないか??
って思ってしまう。

2018-05-02

苦労

あれこれと、体や気を使うこと。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」
子供のときに味わう苦い経験、それが人生においてリスクヘッジの糧になる
が、今はそんなの非効率だ、そして、子供虐待だとなってしまう。

僕の父親はバカなくせに下手な考えをもっていたので、
いろいろと社会に迷惑をかけた人だった。
僕が高校の文化祭準備のときに
いろいろと物入りでそれぞれの生徒が得意分野で借りたり、
買ってこなくてはならなくなった。

立て掛け看板が僕の担当になった、それは
土木業をやっている実家のこともあり、
比較的交渉しやすいと自分も周りも思ったからだ。
人によっては寸胴とかあり、それよりはましだったのだが、

父にお願いしたが、父は協力してくれなかった。
責任感の強い僕は工事現場を周り、お願いをしまった。
雨の日、それを自転車で走り回って、肺炎になりかけた。

さすがに母が怒って、電話一本で容易に現場が貸してくれた。
父はものを借りるのは大変だと教えたかったみたいだが、
僕の父への信頼がなくなるどころか、
クラスメートから父は息子に協力せず、肺炎に追い込んだ虐待する親だ
と思われることなった。

父が思うほど社会は厳しいのではなく、
逆に非協力的な姿勢がバッシングを受けるということを
父は理解できていなかったというのが僕の結論だ。
他人を苦労をさせるのは、、愚かな判断だなあってつくづく思った。

2018-05-01

扶養

自力で生活できない者の面倒をみ、養うこと。
扶養の概念は高度な知能を持った動物がもつ。
基本は育児の扶養であるが、
哺乳類の一部が身体的障害、高齢者を扶養する。
人間は扶養を論理的に考える。
育児は未来の種の繁栄のため
高齢者は今までの社会貢献への報恩
そして、障碍者には社会との責務ということで。
でも、扶養に論理をつける必要があるだろうか?
逆に論理的に考えると、扶養する意味があるのだろうか?
と思うこともある。扶養はただの無駄な行為?
扶養は論理というより、人間という動物の本能としてとらえるほうがいいのでは?
そして、論理的に考える最近の人類の傾向は本能を否定している
自然法則への冒涜ではないかってまで考えてしまう。