2014-09-30

清潔

汚れがないこと。衛生的であること。
現代社会において、それが本当だろうか?

丁寧に疾病対策をちゃんとしているが見た目が老け込んでいる人が
自分の席の周りも掃除できない女に

「きったねー手で触れるな!」

というところを見た。

今までの日本の道徳では、
精神の清潔さも重視するものであったが、
この女を批判するどころか、現代社会は愚かにも、、
その女を擁護したり、セクハラに問題を昇華させるだろう。

身だしなみ、精神もきれいであることが
真の清潔とするならば、
現代社会そのものは汚れきっているといえるのでは。

清潔という概念、きれいにするためには
存在そのものもきれいにすることを視野に入れるべき時になったといえるだろう。

いくら磨いてもきれいにならないものを処分することは
美的にはOKであれば、人間そのものも例外にすべきではないということだ。

2014-09-29

定時

時間通り。
ある意味、日本のもつ国民的付加価値だったといえる。
しかし、それが揺らいでいる。

フレックスタイム制とか、生活残業をいう発想ために
定められた時間への概念が軽視されてきている。
今では、
遅刻を当然のようにしてきて
定時通りに稼働している人に対して
「早く帰るなよ!」
という言葉を浴びせて、無駄な残業代を稼ぐ輩が実に多い。

日本国家に身を置き、
その時間感覚で稼働する以上は
定時を守って行動したいと常に思うし
だからこその納期、タイムリミットの緊張感もあるべきだと強く思う。

日本型新裁量労働制
通称
残業代ゼロ法案

庶民レベルの発想がおかしい。

そもそも、残業代という概念ではなく、
定時以降も市場からの需要で入金されものへの稼働であれば
残業ではなく、超過報酬であり、
稼働レベルが低いものが長く仕事をしていることは
定時を守れない逆に減俸ペナルティーであるべきではないのか?
それが会社からの不当な扱いでなされているのであれば、
それこそ、職業選択の自由の行使ではないのか!

日本人、
僕からすれば、かなり麻痺っているとしか言いようがない。
残念な国民に成り下がったって思ってならない。
それは残業というより、居座り守銭奴ではないか。

2014-09-26

危険

未来において、損害や損失が発生する可能性があること。
しかし、そうだろうか?
危険を冒さず、発展はできない。
事前に危険な経験をしているから、もうリスクが激減される。
考えようによっては
危険を冒すことで、損害防止、未来利益につながるといえる。

とかく現代社会は危険を問題視する傾向にある。
しかし、その発想こそ
未来において、損害や損失が発生する可能性がある
まさに、危険ではないか!

2014-09-25

規模

物事の構造・内容・仕組みなどの大きさ

人間は自分の経験をもとに規模の尺度を測る。
それだけならいいのだが、最近の人間は
自分の経験こそ最大限の規模と思って、相手の規模を見下す傾向がある。
思うに、最近の仕事が専門的、専従的になっているで
他の業界、いや他人の世界を認められない視野になっているかではないだろうか?

僕からすれば、
普通に思える規模間であっても
「これほど大きな案件は過去にない」
とか言い出すどころか
それより定数的に大きい規模の話をしても
「それはカウント仕方が違うから、話ならない」
と言い出す始末。

規模という概念は定数的な比較をするための概念なのだが
もはや自画自賛で比較することを認めない価値観の現代に
いったい意味があるだろうか??

2014-09-24

埋没

うずもれて見えなくなること
世の人に知られないこと

根本的に世間、人の目に触れられない状態。
埋没という状態は人の目に触れられないのだから
誰かが、その存在を訴える必要がないと埋没という概念にはならない。

最近思う。
必要のないことを埋没していると騒ぎ
その結果、今あるべきものが逆に埋没させてしまっているのでは?

僕は何かにつけて、、ということも言われても
何か今の社会はよからぬ方向に埋没がすすんでいると思ってならない。

2014-09-22

決手

物ごとに決定を与える資料又は手段。
旧価値観においては
決め手となるものが定番に近かった。
だから、決め手になるものを用意できるかこそが
物事の白黒だったといえる。

しかし、現代社会は決め手に欠ける。
本当に文字通り、決め手にかけているので
何事も決まらなすぎる。

価値の多様化は
信心の多様化でもあり、
みんなを納得させる、信心に訴えるものがないからこそ
決められない。

そう考えると、
決め手なんかよりも、
そこ決める判断をすること自体、
いや、そこにいること自体をなかったことにするほうが手っ取り早いのでは。
まーそれが正しいことは、みんなの大好きな
西郷隆盛の「短刀ひとつあればすむ」でよくわかる。
そうか、決め手は根本的にはこういうものであるべきだ!

2014-09-19

赴任

仕事をする場所へ行くこと、
グローバル化で
地方赴任
海外赴任
という話があるが、、、

グローバル化というなら、逆だろう。
現地のスタッフを雇ってそこの地場産業として育成させることがグローバル化であって、
日本から、人を出すという発想はおかしくないか?
まして、新人ほど赴任させたがるのは、、なんか、、バカではないか?

商社のように、
赴任先でビジネスを起こさせる研修目的で
自社の費用負担での教育であればいいが、
単に送り出している、、、帝国陸軍の上陸作戦のように新兵を向かわせる事自体
非グローバル化の現れだといえる。

発想を変えて、
日本が海外に進出したいなら、
進出先の国で、働きたい優秀な幹部候補生を日本で育てて
現地に戻すことこそグローバル化であって、
赴任するのではなく、こっちに赴任してもらうという発想になれないところが
日本の弱さと断言できよう。

2014-09-18

主張

自分の意見や持論を他に認めさせようとして、強く言い張ること。
実はエゴでしかない。
エゴの多くは、社会不適用、共同活動の妨げになる。

日本はバカ化している。
討論で自己主張を強く求める教育を強いている。
それが結果として、治安の悪化につながってくることへの関心がないことに僕は驚く。

主張は必ず、摩擦をもたらす。
その摩擦に対して、
いつまで、武力解決なくしておさまらない現実に背を向けるのだろうか?
武力で制する自信なくして、主張すべきではない。

逆に、主張しないからこそ、
今までの日本は高い治安と安全を得られた。
譲り合いの美徳感と出る杭は打たれるという不文律。

それが崩れてきている、、いや馬鹿のように崩してきている外国かぶれの輩のために
どんどん悪くなってきている事実はどう感じているのか?

主張をするなら、高い軍事戦闘力
日本古来の譲り合いならば、下手なグローバル化抑止
どっちかを一方を選択できない判断力の輩に何ができようか、、

2014-09-17

糸口

 巻いてある糸の端。糸の先。
転じて、物事のきっかけ、手がかり になっている。

多くの人が勘違いしているのでここに言いたいが
糸口となるようなことは論理的なものではない。
逆に、論理的ではない着眼点だから糸口になるのであり、
糸口から論理的、分析的に展開できるものである。

最近、多くの人間が学がり、論理的に考えている。
でもそれって、僕からすれば危ないし、無益、、いや有害だといえる。
各位それぞれが、論理的といいだすと、自分の論理が正しいという立証ばかりになり
本質を見失うからだ。

いろいろな事象の糸口ってそんな崇高な頭の良さではなく
日常のふとしたことに気づける感受性の高さ、広い視野であり、
論理や熟考を超えた世界に気づくことである。

糸口なんてものは、凝り固まった感覚ではなかなか見つけられないし、
それを見つけても柔らかい感覚でないとほどけないものだから。

2014-09-16

瀑布

平たく言うと滝のことである。
水が崖から大量に流れ落ちるさまである。

滝、瀧、瀑布、
水の流れを竜、布に例えるとは、
なんとも粋な表現だと僕は思う。

水は何にでも姿が変わる。
だからそれをどう例えるか、見る人の表現力に関わるのだが
それをこのような表現で表すところは、、、
逆に昔の人は知りえる情報が少ないからこそ
そのような発想ができたのではないかと思う。

何でも知ることはいいこと。
でも、知らないからこそ生まれる粋な表現に少し気持ちを傾けることが
現代人には必要なのかも?

2014-09-12

前職

以前に従事していた職業・職務

他人からすれば、その人の過去の過程でしかないが
当人からすれば人生そのものであり、
それが価値基準となっている。

現在同じ組織に属していても
多くの人は、自分はもともとここではないという感覚でいる。
それゆえ、
~この組織は間違っている
~自分の経験からすれば
~そもそも、私がここにいてやっている
という態度、発言が同組織内での軋轢を起こす原因になっている。

過去に引きずられる人生、、
というが、人生というものは今まで行ってきた前職、経験こそ人生であり
現時点などは過去に向けての通過点、過去を彩るため
布石でしかないという感覚ももつべきだろう。

2014-09-11

本部

 組織・団体などで、活動の中枢となるところ。

僕は気になる地位がある。
副本部長という地位だ。
日本独自の基準だと思っていたが
senior vice-president
sub-director
やら、同じような肩書きが多く見受けられる。

ただ、思う。
本部ってその組織で何を司るところ?
本部長、副本部長の業際、執行権限は?
ということは全く考えていなく、
組織ではなく、ただ当人に箔をつけるだけの肩書きに
本部という存在が利用されていないか?
って思ってならない。

基本、どんな組織体でも本部は一つであり、
本部の責任者が、その組織の長であるべきだと思う。
本部を同一組織に複数作るということは
結果的に、組織が組織として機能していないという論証に他ならないという
事実を鑑みて、本部という役割を見つめてみよう。

2014-09-10

日報

作業の進捗を日々単位で報告してまとめ上げていくこと。

僕は、現代運用されている日報は否定していて、
自分の管轄している日報こそという思いがある。

ただ形骸化した運用に成り果てていた日報でも
ルールはルールとしてちょっとやるべきと感じ真剣で従った結果、
バカの上司に

「こんな無駄なことに真剣になって」

と言われた。
無駄なら、やめるのが上司の務めのはずだと思いをもっていた。

だから、弊社の日報管理は
出す社員の報告をしたいマインド
毎日読み、把握する管理職の把握力
それをかみ合わせることが重要だと思い、今に至る。

週次報告をただ出している屑な管理制度とは
日報で得られた情報量、
行動の契機、そのスピード、
もはや話ならないと思っている。

やることに意味があるからこそ、
人は意味をもって続けられる。
それを感じるべきだと僕は思ってならない。

2014-09-09

結論

議論や考察の結果まとまった考え。

必ずしも、
正解ということではない、この事実を多くの人は錯覚している。
そもそも、正解ということもあり得ない。
何が正しい、それは後になって判断されるのが人間の生きざまであり、
現代人が行っている筆記試験はある意味、異様な光景ということも
ゆくゆくは後世の人間に批判されると僕は思っている。

結論を導き出すために、人は多くの議論と時間とそして精神を使っている。
場合によっては、正しいと思われる結論ゆえに多くの人が不幸になることも
多々見受けられる。

現代人の多くは勘違いを させられている が、
ナチス は ドイツ国民の総意であり、
あの時点では何も違法性どころ、遵法、国民みんなの期待に応えたのである。

多くの人が導く結論が正しいということより、
間違っていると後世から後出しじゃんけんのように言い続ける人間の歴史観って
なんか卑怯でまた同じようなことを繰り返す前提、それが本性ではないかと思ってならない。

2014-09-08

難聴

加齢のせいか、
耳が遠くなってきた、、、と思っていた。
そういえば、自分の責任に感じるが、結構すではなかった。

話している側の滑舌、そして言い回しがよくわからない社会になっている。
正しい発音?
自分はそう思っているが、聞く側からすれば
ちょっと違う、いや全く間違っているといわれかねないことが多くなっている。

簡単なところで言えば
not at all 気にするな という意味でもあるが、
日本人の英語教師は
ノット アット オール
であるが
ナラロー
がネイティブの発音だったり

今はやりで言えば
let it go
はレリゴー である。

英語だからというが、
グローバルやら、横文字のこの日本という国
日本語でもない言葉を独りよがりで使っている社会なのだから
結果的に難聴にもなるだろうなって思う。

だから、僕は加齢かそれとも社会の悪化っと悩むが
だいたいは、、、言うわずもがな。

2014-09-05

老獪

いろいろ経験を積んでいて、悪賢いこと。

しかし、それって、
相対的な若い人間のひがみではないか?

年老いた年配者は分かっている。
しかし、若者が新しい技巧にはやって行動したがる。
それを止めれば、抵抗勢力といわれるし
それをそのままやらして、失敗を外で見ていれば、老獪といわれる。

失敗するとわかっているの関わるのはバカなのに
それに付き合わされて責任も取らせられたら、、、

所詮、人間は自分本位。
長生きで経験から得たことに対して
若い自分がそれを持っていないことやそれを自分に使わないことに
老獪と言い出し、悪者扱い。

人間はどれだけ、悪者が悪者を作り出す生物なのだ。

2014-09-04

厨房

料理をするところ。
では問題!

給食などを作る空間などは
厨房といわず、調理室とかいう。
厨房と調理室の違いは?

正解などない。
もっと言えば、厨房と台所の違いは?
両方ともkitchen と訳せるものである。

調理室
厨房
台所

に違いなど、人、、いや日本人という民族の思い込みでしかない。

小さな調理室
大きな食事処の台所

という文章表現に問題はないだけに
大きさでもないし、
商用私用でも分けようがない。

この厨房のように曖昧な表現は使う側は好きに使いだすのだが
それを聞く側の認識がかみ合わない場合の可能性をついつい忘れがちである。
~そこを厨房って呼ぶか、普通
~台所のくせに、かっこつけているのか
~そもそも、厨房って今はそういう意味では使わない
とか、
同じ日本語でもそれぞれの定義の確認からしないとならないそんな時代といえる。

2014-09-03

形骸

ムクロ、死骸から派生して、
形は成しているが、存在意義を亡くしているもの をよく指す。

形骸化
社会において、いろいろなところに存在する。
しかし、形骸化の認識は人それぞれ。
自分はすでに形骸化したと思っているものも
相手側からすれば、未だに価値があると思っているものもある。
いや、、、
これが人の拠り所、根拠の論理で抗争になる。

形骸化しているから無視する論理と
それを重んじる論理と
はいつものように対立する。

自分たちは形骸化と思っていても
存在することに意義があるとしたら、
それは全く形骸化していないのである。

多くの場合、個人、集団レベルでの認識抗争だが、
僕は感じている、今の流れで
社会規範とりわけ、法律も近いうちに形骸化が起きるだろうと。
だって、ルールを守っている人に対して
守っていない側が平気で
「何バカみたいに守っているの?守っても何もない」
と言い出してルールを無視しているのに、
警察官の屑どもがそれを取り締まるどころか
「それを取り締まったら、自分たちが危ないではないか!」
なのだから、現代法治制度そのものの形骸化はすでに始まっているといえる。

形骸化を誰かが認めた時点ですでに価値はない事実が始まるのだから
新しい価値で、その形骸化が生み出す害悪から
自分を守るべきだろうと考えてならない。

2014-09-02

研修

知識や技能などを修得すること だが
現代では、企業内での教育プログラムだろう。
そして、その研修の優先度の強さが企業の強さだろう。

弊社みたいな会社だと研修と言っても
そのときに、業務があれば業務優先にせざる負えないし
「研修するの?」
って言われる。

中堅になると、業務より研修が優先される。

そして、大手だと、、顧客へのサービスよりも社員研修が優先される。

ただ、、
そこまで研修する価値があるのかね?って僕は思う。
弊社の場合は研修コースなんかより課題を空いた時間にさせるようにして
当人のための教育を施す。
研修は参加することに意義なんかないって悟っているだけに、
業務より優先させる認識を社員に与える発想が
ちゃんと見え据えて経営している僕には理解しがたいがね。

2014-09-01

疾患

「疾患と病ってどう使い分けるの?」

こういう質問を
子供にされたらどう答えるか?

多くの日本人は悩んでしまう。

人によっては
・気分
・かっこよさ
とかいう人もいたり、
・そもそも、疾患とは、、

とか言い出す人もいるだろう。

これは別に日本語だけの問題ではない。
decide / determine

のように、英語、、強いてはすべての言語に起きている。

一つの言葉で複数の意味を持つ多義語という言葉あるが、
その真逆に、同じ意味でいろいろな単語を持つ言葉も存在する。

意味と語彙が
1:1なんてことはなく、
1:N N:1 であり、言葉の意味は実は定義できないかも。。。

だから、、何でも言うが
人間のコミュニケーションという概念の多くは会話だが、
上記のように、N;Nの関係に意味と語彙がなっているのだから
伝わっていると思うほうが、異常だと僕は考える。
伝わっているではなく、究極的には自分の相手をいろいろな力でねじ伏せているのが
実際のコミュニケーションともいえる。

会話で成り立つという社会、コミュニケーションの発想。
それ自体が僕は、人が慢性的にかかっている大きな疾患だといいたい。