2025-07-04

概算

 おおよその見積りをすること。精密にではなく、ざっと出す計算
この数字で動く場合のリスクが多すぎる社会になっている。

概算なんだから、ぶれて当たり前と思う
概算から大きく変わるわけがないと思う
の対立がずっと続く。

物価上昇を前提にしている社会において
概算から数字があがるのは必然に感じるが
超規模案件において
今の価格帯で未来の概算なのに、
今の価格帯前提で発注するしてくるのは
自分たちの価値が上がらないと思っていることと
変わらないのだが、、、

そして、ねちねちと
概算からオーバーすると
概算の算出が下手、無能と言い出すし
逆に概算より少なく抑えた場合は
もっと安くできなかったのか言い出す。

ぼったくりされたくない思いはわかるが
概算に対して、市場動向、その価値を意識しないで
文句ばかりを言うのはビジネスとしてどうかな?

2025-07-03

露見

秘密や悪事があらわれること。ばれること。
現代社会は秘匿と暴露のいたちごっこになっている。
暴露と露見がほぼ同義になってしまっている。
自発的は露見、
意図的にさせられるのが暴露なんだが
現代社会は何を持って露見、暴露なのか?
ひと昔前は
~名札
~連絡網
~電話帳
で個人情報は公開されていた
その公開でもって社会の一員認識だったはず。
しかし、今は秘匿にさせることが当然になり
その情報を公開することが露見、暴露になりつつある。

でも、、僕からすれば公開=社会への歩み寄りであり
それを秘匿して露見することが社会的制裁などに発展する
社会を庶民は舐めていないか?って思ってしまう。

2025-07-02

逕路

道、特にこみち。
道になるためには
その動線を誰かが使った経緯
その先に何があるか明確になっている
ことが必要である。
ただ、空間が開いている=道とは言えない。

アントニオ猪木の言葉が引用した
清沢哲夫の詩の「この道を行けばどうなるものか~」
にあるように、道になるかはその人が進んだ経緯がないとね。
逕路は誰にも知られていないかもしれないが
道である以上、誰かが通ったんだろうな。

2025-07-01

周遊

あちこちを旅行してまわること。
旅の醍醐味。
行きたいところに思いのまま訪れる。

しかし、個々が好きなように訪問するから
オーバーツーリズムを起こしやすい。
観光立国を目指した日本の末路。

ふと思いだすのはツアー旅行。
旅行会社が用意した計画的、効率的なプラン
団体行動になるまとまった行動
予定された食事を定刻に出される

今思えば、観光地のことも考えた効率的な活動だった思う。
確かに、決まりきったルートに満足できないという声があるが
愚民の満足より、多くの庶民に効率的な経験をさせることが
どれだけ最大多数の最大幸福なんだろうな

2025-06-30

形而

存在が形としてどうなっているか?
現存するのであれば、形而下
見えない、触れない、頭の中というものは形而上
という。
哲学、宗教的な考え方ではあったが
最近はデジタルの台頭で、データがある意味、形而上になりつつある。
物理的に存在しないが価値が存在する。

世の中が進化、豊かになればなるほど
形而下より形而上の価値が上がる。
逆に、貧しくなっていると形而下が求められる。
食べていくということは形而下の概念だからね。

今、進化は止まらない。
形而上の価値が高まっている。
過去は形而下の副産物であった、形而上のデータが
逆転して、副産物として、形而下のアイテムがもらえるになっている。
まー、考え方だが
形而上であれば
風化
劣化
損傷
紛失
が起きないということがあるので、、
マーこの辺の議論は今後ここに書こうかね

2025-06-27

国権

国家の権力。国民を統治し支配する国の権力。
国民に対して強制させること。
他国に対して、自国としての国権で抗うこと。

民主主義である現在は
なかなか自国民に国権を使えない。
使えば、選挙などでその権力を奪われかねないから。
だから、国民のためということで
国家安全保障、自国繁栄阻害を理由に
他国へ圧力、介入することは
歴史的ダメってわかっていても行うのは
人間という動物の本性なんだろうな。
他人への攻撃性は。

2025-06-26

驚嘆

びっくりして感心すること。
ひどく感心すること。
思いがけない出来事に会って驚くこと。

意味的には心が動いていることはわかるが
どういう状態が驚嘆なのかはなかなか伝わらない。
やはり、主観的に
~自分が驚嘆した
~あの人は驚嘆している
という思いであるかもしれないが
~驚嘆している自分を他人は理解できない
~勝手に驚嘆していると思わないでほしい
ということが起きるだろう。

やはり、感情面での認識共有は難しいなあ。

2025-06-25

辿々

辿々 とは、、なんて読む。そして意味は?
まず読みは、、、たどたどしい となる。
なんとなく、聞いたことがあるが、どういう意味か?
なんか危うい、不安定としか言いようがないのでは?
辞書的には
物事がスムーズに進まず、ぎこちない様子や、未熟で頼りない様子を表す。

ニュアンスはわかるが、正直使いづらいかな。
幼児にも老人にも使えるので、なんかどう使ってもいいのでは?
になっている。

漢字 辿々 を見ればわかるが
山にシンニョウである。
いくつもの山に踏み入れて不安な状態である。
目的地までが明確ではなく
今、進んでいる方向もあっているかどうか
それが、辿々しいということ。

英語の接頭、接尾辞
漢字のヘンやツクリ
からその文字の構成要素を遡って理解することが重要なのだが
現代の積み込み記憶法では本質をつかめないが
成績優秀なバカが量産されるんだろうな。

2025-06-24

凄絶

息をのむほど、すさまじい様子。
この表現って使いづらい。
定性的かつ主観的だから
話者と聞き手の認識の共有がしづらい。
当人が凄絶と思っても、聞き手の人生経験からは
大したことがないことかもしれない。
逆に、話者が平然と話していることが
聞き手には凄絶に聞こえたりする。

凄絶という表現は
実は意図的には使えないかもしれない言葉かも

2025-06-23

世間

世の中。社会。
世間の目ということで
他人の評価を気にすることで秩序を維持してきた。
そうしてきた、それだけ社会が画一的、道徳的だった。
しかし、価値の多様化、個々人の尊重、自己主張の台頭により
自分が正しいと言い切ることが許され
それに相まって、双方向通信の低価格化、SNS環境
により、自分の身の回りが世間ではなく、
自分が認めるものが世間になっている。

もはや、世間の目という言葉は
当人には通じないだろう。
その人と世間と口にしている人の世間が違う世界なんだから。

世界が違うということは
イデオロギーの違いとなり、
構想、戦争になりえる、、、、いや、だからまた今戦争が多いのか。

天眼ということで
ここのブログに書いてきたとおり
また戦争が各地で起き始めてきたね。

2025-06-20

提携

複数の主体が協力して事業や活動を行うこと。
提携をすると、ほぼ喧嘩別れになるのは、もう現代経済の当たり前。
提携するくらいなら、
サービス契約もしくはM&Aすべきだ。
じゃないと、それぞれの経営方針が違う以上
利害が一致しないはず。

互いが互いをうまく利用しようという姿勢が見え見えすぎ
提携が提携になっていないのでは?
等価交換、それぞれの対価で取引すべきではないか!

2025-06-19

悪変

形勢、状態、関係などが悪い方向に変わること。
何をもって、悪い方向なのか?
技術進化、社会変革で
馬から自動車に向けての道路交通法の改変がされたとき、
庶民は良いと思っても
御者、馬車販売、馬の調教師にしてもれば
商売あがったりの悪変でしかない。

今の有様を正としているから変わることで
自分の存在が悪くのは、悪変でしかないが
それはみんながそう思うことではない。
絶対、悪はないのだ。

人間は昔から、絶対善、絶対悪にとらわれかねない。
そして、自分が絶対善と思ってやまない。
はじめから、自分は他人と違うから善悪の価値観は合わない。
善悪ではなく、自分が属している社会の今の規律に
合わせられるかどうかだという考え方になるべきなのに
「自分は正しいに決まっているのに、間違った方向に変わっていく」
「こんな法律が間違っている」
と言っているのはバカか。
法律が間違っているなら、その社会を壊すことをしないとならないのに
そんなことをしたら、捕まるじゃないか!
って遵法を口にするところもバカでしかない。
騒ぐのではなく
いかに、現行制度を打破するか、それを虎視眈々と狙うべきでは?
その打破もまた悪変だけどね。

2025-06-18

法網

罪を犯せば法の制裁を免れないことを網に例えた表現。
法律の網から抜け出せない。
でも、「そんな法律の網をくぐって」って表現がある。
でも最近思う。
法律を作るとしても
その理解が出来ていない議員が作る法律で十分か?
確かに優秀な官僚がそれを助けているというが
官僚とて、霞が関界隈で事務処理がメインになっているのが
今の現場を知っているか?

民主主義、議員立法制の限界を感じているがね。

2025-06-17

風刺

それとなくそしること。
遠まわしに社会・人物の欠陥などを批評すること

自己主張、承認要求が前面に出てくる現代において
あえて、風刺にする理由は?
自己保身?
あえてということで自己顕示
いろいろとあるが、
直接言っても通じないのも現代。
どうせ言うなら、他人をも巻き込んだ風刺にして
表現したほうがいいかもとなるのか?
現代といったが、これは風刺そのものの意義かもしれない。
風刺画なんかの存在を考えると

2025-06-16

残留

残りとどまること。また、あとに物が残っていること。
残留物という表現で使うかもしれないが
多くは事案的組織的な扱いで使われる。
~今回は残留だな
~残留できた
などの表現で。

あまり前向きではなく、どうにか感がある。
残るには残る理由がある、、、ではなく
ただ残された感のある表現に感じる。

残留と言われるところになる、関わることへの
嫌悪感を持つことは前向きなのか?それとも、、

2025-06-13

観閲

儀式や行進などを正式に見ること。
この言葉で思うのは
儀式、行進、行事の区別は?
もっとフランクにいうと
運動会は行事?でも長く行われているものはもはや儀式だ。
その中での入場行進は、、その一部、ある意味パレードでは?

日本では古来からの定例行為を儀式としていたが
開国、戦敗になってから、外国の文化行為を平気取り入れるから
いろいろなものがダブルスタンダードになっている。
いや、それがダブルスタンダードと気づかずに
それぞれが好き勝手に理解のルールを作るから
意見の対立で険悪になっているだろう。

儀式や行事の定義もなく
正式という認定も難しく
見ると観るという概念差があるところで
観閲なんて行為はもはや意味をなさないのでは。

2025-06-12

助燃

物質が燃焼するのを助ける性質。
酸素やフッ素など、空気中の酸素よりも燃焼を促進する物質。
助燃性はそれだけでは意味がないが燃焼などの行動を活性化させる。
つまり、元の行為が成り立っていて初めて作用する。
現代社会、
・支援
・コンサルティング
なんて、助燃な概念のほうが先行されているビジネス。
なんか本末転倒な社会だこと。

2025-06-11

乗換

今まで使っているディバイスを次のモノに変える。
多くは、公共機関などの移動手段だが
PCやスマートフォンにもこの言葉が使われる。
要は、目的達成手段に寄与する者に使われるといえる。
では、、人間関係の乗り換えは?
取引先
パートナー
、、、やはり人間は自分以外はディバイス扱いなんだろうな。

2025-06-10

良点

いいところ、評価すべき点。
これって、相対、主観的なものであり
人によっては逆に悪いところってなりかねない。

例えば、
大人しいは、積極的ではない
思慮深いは、行動が遅い
と評価する人間によりかわる。

だから人の評価って信用できない。

2025-06-09

予鈴

開演・始業などを知らせる本鈴に先立って、
その少し前に鳴らすベルやチャイム

リモート、コスパのせいで
予鈴を聞く機会が少なくはなっている。
しかし、その分、ディバイスからの通知が上がっている。
逆に本鈴にあたる開始サインはなくなっているのでは?

鈴はなくなったが、その本質はいろいろなカタチで引き継がれる。

2025-06-06

共産

コミュニズムという言葉の日本語訳。
コミュニズムを詳細に言うと
財産を私有ではなく共同体で共有し、
貧富の差をなくすことを目指す思想。

なんか言ってことはまともというか、
ユートピア的な理想国家思想。
でも日本では、共産というマイノリティや批判される。

これは2つあるかな。
ひとつはその活動をしている党員の質が悪い。
文句ばかりで共産の産である、生産性が低い輩ばかりだ。
もう一つは、既得権益者の洗脳だろう。
資本主義という富の支配こそ守るべきものという洗脳が
今に至る。それが正しいように言われているが
本当に正しいなんてわけないのに、、

人間は批判と洗脳で生きていることがよくわかる。
現実を直視なんかできないんだろうな。

2025-06-05

歩寄

 互いに歩いて近寄ること。 
転じて
 条件や主張、意見などを近づけ合うこと。折り合いを付けること。
日本語では、意見の対立をこうやって解決する語族であり
交渉は両方に利があるようにさせることを狙う。
しかし、欧米では
dealという表現により、自分の主張がwin、、勝つことばかり狙っている。
基本こういう交渉だと、
日本的だと相手を立てることになるのだが
それで今、欧米では立ててもらう、
勝たせてもらうことが当たり前になっている。

そろそろ、、、、調子にのるなよ、、
特権のように振る舞う姿勢をどうにかつぶさないと
社会の構造的進化が進まないな。
歩寄をするかどうか、その存在価値をみないとな。

2025-06-04

狂騒

理性を失った騒ぎ。
なかなかそのような状況にはならないのが、
この社会。
しかし、いざこの状況が発生するとニュースになり世間を騒がす。
基本、きっかけ、原因があるのだが
人の関心はその原因よりその狂騒状態を煽ることばかり。
それが現代人の関心かな。
事実より、人の異常な状態に興味を示すのは。

2025-06-03

現状

現在の状態。
過去があり、未来に向かう現在の姿。
人間は現状をいろいろと捉えるが
当人と周りの認識が合っているとは限らない。
むしろ他人の認識なんかバカらしい。

未来に向かって次のステージへの努力をしていると
その姿を見た評価者は
「今のままでしあわせそうじゃん、それでいいよね」

逆に
今の環境が嫌で、ここでの活動を批判的な対応をしていると
「その態度だとずっとこのままだぞ」

となる。
結局、他人は当人の気持ちを理解しないで
自分の都合のいいようにとらえるものだ。
いつか評価されるという思いではなく
自分の思いのために、他人を蹴落すくらいでないと
この社会はダメだ、ちょうど、今のアメリカの爺のように。

2025-06-02

苦行

堪えがたい程の苦しみを伴う修行。
仏教などで、肉体の欲望を押さえる修行
転じて、苦しい行い。

これって主観的なものに感じる。
当人が苦行として、ストレスを訴えるが
周囲からすれば当然のこと、その行為こそ
社会貢献であったりする。
逆に、周りが苦行と思っていることも
当人からすれば、その行為に悪い印象がなく
むしろその行為で得られるメリットを感じることもある。

それぞれの受け取り方になるが
最近は自分の立場を理解しないで
ストレスを口にする輩が多い。
その発言を聞くことのほうが
周りは苦行、いや無駄な行為で
その人間を本当の意味での苦行に追い込みたいなあ。

2025-05-30

査察

情況を視察すること。
多くの場合は問題があるところに対して
それなりの有識、権限者がその内容を見てくること。

ちょっと思うが、査察したことで得られるのは
~当人の気持ちの高ぶり
~それを見ている人たちへのアピール
でしかなく、根本解決には程遠いように感じる。

問題は現場で起きているが
解決は現場ではできないのが
今の社会のセオリーと気づいている。
確かに前近代的な昭和では現場の人材、機材、タイミングで
処理できるものが多かったが、
今ではネットワークサービス、現場のスキル不足、
そして、非正規や愛社精神のなさによる当事者意識の薄れ
から、現場では何もできないと言い切れる。

現場査察することの意義を見直さない限り
そもそもの問題に対処できるわけがないと
人間はいつ気づくのか、、逆に気づかないまま
また社会は流動していくのか、、

2025-05-29

揚足

相撲・柔道などで、宙に浮き上がった足。浮き足
つまり、不安定な状態を指す。
それが転じて、曖昧な表現に対しても慣用的に当てられ
人の言いまちがいや言葉じりをとらえて非難したり、からかったりする
揚足を取るになっている。

討論、議論という世界では
揚足ばかり取っている印象しかない。
それが民主主義っていうが
相手の言っていることの揚足ばかりをとっているだけで
前向きな発言にはなっていないことに
討論、議論など意味はないと感じてならない。
言葉遊びが平和か?
行動した結果を推進、改善することに言葉をつかうべきであり
もはや民主主義のおける議論など意味がないとなぜ気づかない?

多くの企業もそして、アメリカも
トップ会議(取締役会、議会)無視している組織が強いことばかりじゃないか。

2025-05-28

龍潜

天子の位につくべき人が、しばらく位につかないでいること。
英雄、賢人が世に認められないでいること

現代人の多くは自分が龍潜だと思っている。
自分にはもっとあるべき地位につくべきなのに
それがされていない。もっと社会は自分を認めるべきだ。
そんな思いでストレスになっている。
これがストレスで問題なら、下剋上、殺人OKにすれば
ストレスは軽減されないか?

基本、社会なんてものは一部の特権階級のために存在している。
社会をよくすることが出来るのは殲滅と入れ替えだ。
小手先の改革なんてものは意味がないことは
歴史が物語っているのに、、、、
根本的に社会をよくしてはならないのが現代社会。
よくするとは今、甘い汁を吸っている者たちには
悪くなるにすぎないからだ。

龍潜と思ってストレスを抱えているなら
行動、テロ行為もある意味、人間として正当な権利だと思う。
ジョンロックのいう抵抗権でもあるのだから。

もっとも、、龍潜であるわけがないがな、愚民レベルが、、

2025-05-27

投込

投げ込む。
日本の表現だと自分の意思をします行為は
投げる
という言葉に通じる。
投稿
投票
投げ銭
と自分の意思を相手に伝えることは
投げるというのか、、
なんか、日本語の感覚がわかる。
言葉のキャッチボールという日本人独特の価値観なんだろうな。

ある意味、意思を投げ合うから
相手の会話になっていないのでは?
debateを討論とあたかも投げ合う殺し合いに感じる当て字からして
日本人は自分の意思は相手への押し込む投げるものという認識があるから
debateもうまくならないのでは?

話し合いなどが日本では非生産性な行為になるのは
日本という国民性を感じる。
別に悪いことではなく、だからこそって思っていいかも。
「背中で語れ」って表現もあるのだから。
無理にバカな外国価値観をグローバルとか言って受け入れることよりは。

2025-05-26

随伴

お伴としてつき従って行くこと。また、ある事柄に伴って起こること。
随伴する行為の目的がなんかおかしい現代社会。
手段であるのに、目的になっていないか?
随伴することで主幹者への貢献があるべきなのに
随伴していることで、自分は価値ある人間だっていいたいだけでは。
能力主義が虚飾主義になりさがっていないか!

2025-05-23

供述

被告人、被疑者、証人などが、
裁判官や捜査官に対し、ある事実について述べること

法治国家では正しい裁きを行うためには必要なことかもしれない。
それがあるべき法治国家であれば。
今の社会、法治国家って言えるのか?
民意の名のもとに法律を後付けで変えてしまうことが平気なるし
そもそも、技術進化のスピードに、その運用、制度を
為政者がついてこれないため、法制度が間に合わないどころか
足かせになるこの世で。

供述をしたところで
それを理解できない、しようとしない権力側の姿勢に
事実を受け止められることが難しいのでは?

どうもいろいろと限界を感じる今の政治制度。
結局、マキャベリのいう衆愚の末路ではないか今は。

2025-05-22

估価

読みは、、たぶん、コカだと思うが、
意味は、、、
”估”も”価”も値を付けるという意味。
つまり、値付けのこと。
現代人にとっては、売買価格というのは当たり前になっているが
漢字の歴史はその商取引から前から存在する。
物々交換から商取引に変わるときに
値付けのことを估価すると言われてきた。
今となっては使わないが、こういう時代の産物もあったわけで
言葉の盛衰を感じるねえ。

2025-05-21

対向

向い合せ(になること)。
日本では対向車って言うくらい。
英語では、counter という表現がある。
悲しいかな、対向という言葉より、カウンターという言葉のほうが
日本では蔓延、日常化されているような。
ちょっと思う。
日本人が、カタカナ言葉に対して
「日本語で言うと何?」
っていうのは、民族、語族としてどうなの?

2025-05-20

小鼻

鼻の穴の両脇にあるふくらみ部分、つまり鼻翼のこと。
なんで小鼻?
これは
小さな鼻ではなく
鼻全体の中で比較的「小さい」部分であることから「小鼻」とのこと。
「小鼻を膨らます」、「小鼻をうごめかす」、「小鼻が落ちる」
などの慣用句がある。

体の部位にはいろいろな呼び方があり
その部位を使った諺が、慣用句と学生時代に教わったが
今の定義ではそうではないらしい。

うーーん、定義が変わるのであれば
今まで義務教育で教えてきたことへの訂正をしろよ、
文部省。これでは義務教育の意味がないだろうが、、、

2025-05-19

案思

作の構想、プロット。
どうやら、こんな言葉はそもそも辞書にないようで、
漢文の
案其言而思之
の抜粋漢字で作った、、それも今の時代劇ドラマ側の創作語のようだ。
勝手に抜粋漢字で熟語を作り出すなんて、、
って言われるかおもしれないが、現在の元号って
上記のように漢文を原点に
平成、令和って作られているのであながち勝手とは言いづらい。
熟語を新たに創設したうえで
それを市井に広めることで言葉は進化するものかもね。

英語だって、、net って言ったら、網、蜘蛛の巣って言わずに
インターネットとまず思い浮かべるような社会に認識に変わっているのだから
言葉の定義は広がったもの勝ちだね。

2025-05-16

夏空

 夏の空。
季節を使った熟語の多くの用例は
その季節期にそれを使うことはまずない。
違う季節に、別の季節を感じるからこそ使われる言葉ではないだろうか?
夏にわざわざ夏空とは言わず
小春日和
秋風
なんて季節違いをことさらに伝えるために使うことが多い。

日本には四季があるからそこ
気候の機微な変化を表せるからこそのことかもしれない。


2025-05-15

頑張

困難に負けずに努力すること、または意志を貫き通すこと
しかし、それは他人に認めてもらうために行うことでなくてはならない。
自己勝手な行動は頑張るではなく
ただの自己満足、他人からすれば、目障りでしかない。
あなたが他人に「頑張って」って声をかけることは
それ自体でその人の行動結果を認めるものになりますよ。
っていう意味を内在している。

~誰に理解されなくても頑張る
っていうのは、社会的テロ行為でしかないということを
どれだけの人間が理解しているか??この個人主義というchaosの中。

2025-05-14

手応

物事を実行した際に、手で感じられる反応。
実経験から言えば、手応えがあるほど
結果がそうでもない、最悪は全くだめことが多い。
やはり手応えは主観であり
相手側の思いとは必ずしも同期できないからだ。
逆、相手のことがわかっている、わかりすぎているときには
手応えなんて表現を使わないのでは?
だから
手応えを意識しないで、これはどうか?あれはどうか?
って本命を固執しないほうがかえっていいかもね。

2025-05-13

程村

 漢字だけでは想像できないが、、和紙の一種のことである。
厚手のものである。
洋紙で満たされている現代社会。
和紙は生活から切り離され、高級なものに昇華してしまっている。
もともと、紙は貴重なものであったので
和紙はある意味、価値を維持しているかもしれない。

自由資本主義では
大量生産、低価格化が求められているが
その先には製品そのものの衰退、破綻が付きまとう昨今
伝統工芸として、和紙が高価なものとして残っているのは
イタリアの名車工房 カロッツェリア と同じ流れなのか?

いいものを高価で取引させて
残していくことがある意味、伝統工芸なのかもね。

2025-05-12

麦粉

 小麦粉を代表する麦から製粉したもの。
今、世界中の炭水化物摂取の多くは麦粉だろう。
日本では米だが、今の米騒動では
麦粉への需要は高いのでは。
パン、麺、など幅広い調理、料理があるので。

ちょっと思った、
戦後の日本ではアメリカからの小麦粉を メリケン粉 って呼んでいた。
それで戦後復興を乗り越えた。
今、またメリケン粉の輸入が関税でいろいろと言われる。
いっそ、メリケン粉を前提にしてみたら?
メリケン粉 日本に馴染みのある漢字表記で 米粉 !!???
米粉は米粉があるので、紛らわしい。
でもこれって、なんでも欧米に上書きされるので
仕方ないかなあ、、って思ってしまう。
今、今までの日本であるならね。

2025-05-09

友誼

親友のよしみ。友情
友情の定義は難しくなっている。
そこまでが友達か、
どこから親友と言えるのか?
公私の私の関係というが
公私の切り分けが出来ている人ってある意味
友達になりづらくないか
切り分けの壁によりなかなか踏み込めない態度を取られると、、

プライベートを充実させるという表現は
人間関係を円満しづらい社会では悪影響しかないない事実認識が
おかしい発想なんだろうな

2025-05-08

併合

複数のものを一つにすること。
国家として維持できなくなって
併合してほしいという話に手を差し伸べることはあっても
主権国家に対して、併合を持ち掛けるなんて、
現代国家としてあるまじき行為だと思う。
やっていることはポーランドへのナチスのアクションと同じではないか。

いい加減に、金髪爺の暴走を止めないと
WWⅡの二の舞になるだろうな。
当時だって、ヒットラーの言うことは正しいとして
世界は顔色を窺っていただから、
それを潰せたものが次の覇権を握れるのでは?
ある意味、多くの国はチャンスが巡って来たのかも
WWⅢであったとしても。

2025-05-07

全然

まるっきり。
日本語において、呼応の副詞であり、
全然~ない に係るのが正しい日本語。
正しい日本語 VS  言葉は時代とともに変わる
であり、全然OKも使われる、日本語の混沌時代になっている。

そして、思う。
全然~ない の呼応の副詞はすでに機能していないのではない。
「全然違う」
「全然わからない」
などを口にしている輩が使っている真意は
事実認定をしたくない傲慢さの自己主張でしかなく
本来の全然ではなく、その通りを認めないだけの用例になっている。

否定の否定をしていることでより
その人間の醜さを強調している表現になっているだけに
日本語のおかしさを物語っているなあ。


2025-05-02

嵩張

物などが体積が大きく、かさかさしている状態
読みは、、”かさばる”
よく使うのに、漢字で書くとなかなかの言葉でまたひとつでてきた。
嵩張るのは今では
物理的なものだけでなく、電子化されたデータ容量にも適用され始めた。
あたかも、心的記憶のかのように、、

でもこうなると
物質界、精神界を形而上下で表現してきたが
電子化という領域も新たな形而的概念に出てくるのかな

2025-05-01

悪態

わるくち。にくまれぐち
日本の道徳的には
「他人への悪口はいつか自分に返ってくる」
として悪行とされている。
道徳感が薄れている現代でも悪態はあまり推奨される行為ではない。

今、アメリカの大統領は悪態の塊。
これを
~あんなに悪態をついていたら、いつかは自分に返ってくる
と思うか
~あんなに悪態をついても、大統領になれるのなら道徳は?
と思うか
現代社会の道徳認識への分水嶺なのかもね。

2025-04-30

場末

 都市の中心からはずれた所。町はずれ。
この表現はそこを卑下して言っているわけで
同じ意味で
郊外
閑静
という表現を使いそこを表す。

都市をいろいろな生産性、発展、発信の象徴であるが
同時に雑多、騒音、切り捨ての一面も持つ。

場末に軸を動かすということは
社会から距離を置き、自分の好きな生き方をする
意思の表れに使われるようだな。

意思はいいけど、今まで味わった都市の利便性を失うことに
何人が耐えられる??

2025-04-28

成型

型を用いて素材に一定の形状を与えること。
わざわざ成型しているのに、なぜそれを壊すのか?
って、、とりわけ食料、食材に対して思うことがあった。

例えば、豆腐だ。
わざわざニガイなどを使い
成型して出荷しているものを
料理によってはまたどろどろにすることがある。
せっかく成型したのに、、って思う気持ちがある。

でも最近、納得したのは
豆腐の成型は料理ではなく
製造、運搬、売上管理として
その形状になっているわけであり
料理の本質とは別の観点ということ
買った後はそれを味わうためにどう再成型していいということだ。

目的にあわせての成型、、
それはあくまでも手段的行いであり
成型がゴールではないということだね。

変なこだわり、偏見のひとつと理解したなあ。

2025-04-25

様相

ありさま。様子。姿
~~の様相を呈する  なんて表現で使われる。
でも上記の用例だと多くは比喩表現で使われることが多い。
その姿を現す言葉が比喩表現って
なんか矛盾しているような。

それゆえ、使いずらい言葉になっているなあ。

2025-04-24

周到

すみずみまで心(注意)が行き届いて、落ちが無い有様。至れり尽くせり。
現代では、用意周到でしか使われないようになっている。
用意周到であること=段取り、計画である。
その事実にどれだけの人が気づいているのか?
つまり、用意周到ではないことは
~段取りが悪い
~計画が破綻している
となるのに、、
「用意周到に準備してきたのに」
と言い出し、うまく回らないのは、、バカでしかないのである。
どうも、言葉の価値のインフレによる低下を感じてならない。
超、、優秀、完璧って言われると大したことないと感じる流れに
用意周到に万端なんて言われると。

2025-04-23

親御

他人の親に対する敬称。
子を持つ親の意見として
~子供への影響が良くない
~そういうことを子供が覚えてしまったら
とか言い出し、他人を批判する親がまっとうに扱われている。

、、、、、バカなの?
そういうひとつひとつのことを
子供に見せて、善悪、社会的問題かどうかを
教えるのが親の責任だろうが!
そういうことを見ずに社会に出て判断できない子供を育てた
親の責任を果たさずに社会を批判するな。
子供への影響とかいうが
社会としてその行動に価値や要求があるから生まれるのであって
それをまだ納税、選挙権のない者のために抑圧すること自体
社会として問題ってなぜ気づけないのか?
現代日本は。
子供をちゃんと教育するということは
今ある事実を直視して、自己判断する能力を身に着けることであり
それを怠って社会を批判する親の存在が社会悪ってわからないことが
問題なのに、、

2025-04-22

面子

体面。面目。プライドだろうか?
儒教道徳、封建制度の社会では、面子を重んじただろう。
その名残の日本ではこれまで当たり前のようになっているが
それが都合よく利用されている。
他人に対しては、面子などどうでもいいというが
自分に対しては、面子を重んじろって平気で言いだす。
自由主義、個人主義の台頭で得られたものは
プライドも道徳もない
自己主義の餓鬼道に成り下がっていることこの上ない。
これを六道輪廻なのか、それとも末世なのか、、って思う日々。

2025-04-21

再流

また流れ出す。
再流行などのリバイバル。
時代の流れでリバイバルブームをちょくちょく起きる。
外国ならオールディーズ
日本なら昭和ブーム、、いや古いのは、本歌取りがそれにあたる。
人間の本能的なところで懐かしむってことだろうと言われるが
それはおかしい。
だって、その過去を知らない人がその時代を再流行させることが多い。

神瞰できる僕からすれば
リバイバルブームというのは
その時代がつまらなく停滞していて
新たな価値を生み出せない時でしかない。
過去の価値を利用するなどという
模倣しかできないその発想時代
いろいろな意味で時代の終焉でしかないのだろうな。
それ以降は、根本的な価値観の洗い替えが待っているのだろうな。

2025-04-18

急度

 きゅうど?
いやこれは「きっと」と読みmaybe の意味。
口頭ではよく使うが
文字に起こすと音通りの漢字ではないことが多い。
まして、屹度という文字もある。

そして、難しいのは
急度と屹度は若干使い方が違うらしい。
気持ちが入っている場合は、、、、
、、、、、めどくせー、そんなのわざわざ、意識できるか!
ってことで、言葉は変わっていくんだろうな。

2025-04-17

鬼来

子供を躾けるとき
「そんなことをしていると鬼が来るよ」
という言葉、
中国にも
「遼来来」
という同じ表現がある。

思うに治安の根底にある道徳は
殺戮鬼の存在は重要である。

治安維持、みなが効率よく動くためには
乱す者、逆らう者への罰を
より鮮明により残虐に行うことで
二度と民意にそのようなことをさせない効果があるべきだ。

今はやたら人権やら虐待などを騒いで
罰を罰しない傾向があるが、
それは社会が乱れている証拠であり
この状況をよしとしないのは世界中の神々が
鬼のチカラを作っている
破壊神
雷光(インドラの矢、ゼウスの雷)
日本では仏教の明王が
それにあたる。

科学技術の進化でそのような鬼の所業を認めなくなっているが
それをちゃんと使えるようにならないと
人間という存在意義が危ういと感じるのは
ちょっと宗教的な発想かな??!

2025-04-16

従来

以前から今まで。これまで
従来という言葉を使う輩は
自分の思う範囲での過去から今まであり
歴史観的には刹那
他人からすればどうでもいい期間
をあたかも他人と共有していることが当然と思って話す。

従来なんてものはこの世にありはしない。
それは主観的な連続行為をそう思い込んでいるだけで
どうでもいい反復運動でしかない。

従来と言い張る人間に
自分の価値観から抜け出せない発展の無い人なんだろうな。

2025-04-15

趣味

自由時間に好んで繰り返し行う行為や事柄、その対象のこと。
価値の多様化により、趣味と遊戯の線引きが曖昧、、いや
そういうレベルではない。

自分の趣味は他人には、子供の遊びと思われることばかりになっている。
それに対して、寛容にならずに批判するクズばかり
「まだそんな遊びをしているのか」
「大人げない」
「何が楽しいの」
なんて言い出すのが今の日本だ。
そのくせ、自分の趣味は正当と思い込んで批判される怒り出す。

だから、他人への干渉をしないほうがいいのでは?
と思うのに、、承認要求でひけらかすから、、
本当に現代人は頭悪すぎ。

2025-04-14

除外

ある範囲や規定の外におくこと。取り除くこと。
There is no rule without exceptions
大学受験の英頻の冒頭の例文にもあるものだが
社会統治の観点から除外が発生するということは
法治国家として、機能が複雑かつ統治が揺らいでいるといえる。
除外を作るとういうことは
~なんでそうするか
~どこまでそうするか
~類似しているからこれも除外では
~あれが除外ならこれも同じはずだ
という意見が上がってくる
それらに対処するするだけで
統制活動が機能しなくなるものだ、、

得てして、除外は
為政者の私的な思いで生まれるもの。
為政者として精神的、経済的利権を感じさせるものがあるからだ。
やはり為政は民主主義では無理なんだろうな。
除外と利権が恣意的に生まれるから。

2025-04-11

配慮

手落ちのない、または、よい結果になるように、あれこれと心をくばること。
最近思う。
バカほど、配慮はされるものと考え
配慮されるべき存在に値しないことに怒り出す。
本当になぜお前が配慮される存在なのか?
理解できないのだが、それが理解できないといいだすのだから。

ある意味、他者への理解があるから配慮すべきあり
そう考えられない存在に人権を与えないことが
社会としてあるべき姿ではないか?って思ってならない。

2025-04-10

隠処

 人目を避けて隠れる場所。
人間、そういうところが好きと言うのは
動物的本能であり、そういう安全なところで、食事、睡眠をとりたがる。
しかし、本能とは逆の社会性を持つため
人が集まっている繁盛店に行きたがり
誰もいない閑古鳥には寄り付かない。

現代人ではない、過去の人や宇宙人からしたら
人間ってどれだけ狂った思考なのか?って思われるだろうな。

2025-04-09

多角

物事の扱い方に関して取るいろいろの角度。
視点や経営の多角化って言い出して久しい。
でも多くの場合は、行き詰まりで使われる。
これ以上、拡大、成長できないことがわかると
周りと比べ、自分たちの領域が狭いと感じると

しかし、往々にしてその多角と言う発想は失敗する。
基本多角ということは、主観ではなく客観で使われるものであり
主観的に多角って言い出すと
分不相応
足元を見ていない
結果になりやすい。
今の成功は今の結果であって
次のステップって考えるのは浅はかなな考え方でしかない。
別のことをするということは
それなりの覚悟と出血を厭わない姿勢でないと。

2025-04-08

荷重

 物体に作用する力や重さ、または構造物が耐えられる重さ
読みはカジュウ。
最近の運送問題。
カジュウにより
カジュウをかけて
カジュウになる
って何のことやらに聞こえるが
荷重に
より加重をかけて
過重になる
ってこと。

日本語の同音意義が多すぎる。

2025-04-07

骨休

仕事のあいまにからだをやすめること
昔の第一次、第二次産業であれば
仕事の休みということは肉体労働からの解放であったが
現在の労働は第三次産業、第二次産業も、オートメーション化が進め
肉体労働ということは少ないと思う。
その肉体上に、精神、眼精疲労がたまっているのだろう。
骨休みと言うよりは、
脳休め
眼休め
という表現に変わっていくのかなあ、、
まーーそもそも、休むという概念も難しくなってきているが

2025-04-04

紛失

物がまぎれて、なくなること、または、なくすこと。
うーーん、紛失というと他責に聞こえるが
落とし物、忘れ物という自己責任の過失に感じる。
どうも、自分の責任転嫁のために紛失という言葉を使っているような。
現代社会って、自分の過失を他責にしたがる傾向が多すぎないか?!

2025-04-03

寝付

眠りにはいること。また、就眠する時の様子。
寝付きがいい、悪いとなるがいろいろと思う。
肉体的には、酷使しているとすぐに眠くなる
対して、精神的には、不安や不平があるとなかなか寝れない。
眠るのは難しい。
現在スリープテックというものが登場している。
睡眠の重要性がわかるが
その睡眠をとるという無防備な状況をいかに安全にさせるか
という社会的根本論についてあまり打ち手がないのは
いかに専門性、好き勝手な活動しか人間はフォーカスしない特徴
本能を感じてしまう。

2025-04-02

黙秘

取調べや裁判の場で言いたくないことを言わないこと。
黙秘権として使われている。
でも、この権利は現代では権利どころか、リスクになっている。
情報が足りなかった時代
法治国家だった過去
では、言わないと真実がわからないという前提だった。
それゆえ、当人に有利に働く、、権利だった。

しかし、今は
~言わないのだから、憶測が正しい
~みんなが言っているのだから
~こっちにはこっちの表現、報道の自由がある
というおぞましいロジックで
黙秘すればするほど、憶測が真実になっていく。
確かに、いくら言っても理解しないのが
法治国家から民意国家に変わった昨今。

公正なんてことがなくなった今
六道における餓鬼道まっしぐらだなあ。

2025-04-01

篠突

篠竹を束ねたものが落ちてくるように、細いものが密に激しく飛んでくる様
現代では雨に対してだが、
昔は矢、鉄砲の弾丸などにも当てていた言葉。
自分自身がそれをどう受け取るかでの表現だが
篠竹なんか現代としてイメージできないのでは?
現代風に言えば、無数の注射針が降って来たようだ、、ではないかな?
そうやって翻訳しないと伝わらないので
もうなくなるのではって思ってしまう表現だなあ。

2025-03-31

遥授

 ??
はるかにうける?
どういう意味だ?
語源は
日本の奈良時代・平安時代などに、国司が任国へ赴任しなかったことを指す
転じて
官職に就いているにもかかわらず、その任務を遂行しなくてもよいこと
、、、、
過去じゃなく今でもそうじゃん。
肩書があるのに、その仕事をしていない人ばかりが利益を享受するひとばかり。
当人は自分の名跡を貸しているからの暖簾代とでも思っているのかな?
もうそういう時代ではないのに、、

2025-03-28

保全

保護して安全をまもること。
すべてたもつ。
現状維持ということになる。
考えようによっては、何もしないことが保全ではないか?
しかし、諸行無常、経年劣化、物事は変わっていくもの。
それを今のままにさせるということはある意味
今時点のものと変わる。
そう考えると、、保全活動の結果によって
実は今までのものではない、、テセウスの船になっているが、
それでも保全なんだろうか?!

2025-03-27

恩典

なさけある処置。有利な扱い。また、それをほどこすこと。
これは受益者とあるものがいうから意味があるが
某国の偉い爺どもは、それを自ら施しているって言いがち。
どうも、仏教的、道徳的価値観が欧米の価値観と根本的にヅレている
事実を日本は軽視しすぎでは?
それゆえ、都合よく言い出すやらに社会的不安や
生活充足感が満たされないのでは?
「自分のために恩典、ありがとう」
って各位が思い。それに報いる行動をすべきでは?
某国の偉い爺たちの先達も
「国家が何をしてくれるではなく、自分が国家に何ができるかだ」
って言っていたではないか!

2025-03-26

大綱

太い綱。転じて、おおもとになること
今では、事柄の根本となる骨組み。
教育大綱
事業大綱
条約の大綱
など、、いろいろな公なことに使われる。
ただ思う。
この大綱を定義することばかりで
それに従うべき活動がかみ合っていないことばかり。
そもそも、大綱を考える人間が
活動をイメージしていないで、自分のプライドで語っているだけでは?
そして、現場は今の有様の延長でしか行動できないのだから
大綱に基づいているというより
出来ることをするだけ。

そう考えると、
演繹法的な大綱より
帰納法的に積み上げたがほうが正しいような気がするが
自分を出したい、他人を従えたい思いが大綱を作る本質になっている今
無駄な提案か、、

2025-03-25

脳汁

強い達成感や興奮を覚えたときに脳内に出るとされる汁。
最近のスラングといえ、
エンドルフィンやアドレナリンの脳内物質のことだと思うが
汁、液体ではないと思うが、あふれ出す様、勢いのある流れが
興奮を促すたとえになりやすいからこのスラングになったんだろう。

趣味、嗜好の多様化により
他人と自分の感情の共有が難しい昨今。
自分の感情度合いをいかに相手にインパクトを与え
承認されたい要求からこのような表現がでていると思うが
受け取る側、承認を求められる側としては
その要請につかれているのも事実。

人間の本質って
自分はいいけど、他人はダメ
だから、このような表現は
近いうちに当人本位の迷惑行為になるかだろうな。

2025-03-24

種苗

植物のたねと、なえ。
植物の増殖・生産 の起点となるもの。
農業において、種と苗から活動が始まる。
逆に言えば、種や苗は手に入れることをしないとならないので
そこは外からとなり、多くは販売、譲渡と始まる。
そう考えると、農業は継承産業なんだろうな。
0から始めることはできないことことが多いことが
いろいろな意味で参入障壁になっているのかも。
人材不足、高齢化っていうけど、
それ全産業にいえるだけに。

2025-03-21

旋回

円形の進路で(くるくる)回る、また回すこと。
ただ右に左にってわけではなく弧を描く移動を指す。
なんで弧を描くのか?という人間の視点で言うかもしれない。
しかし、自然界においてはこっちが当たり前。
遠心力が働くのが当然だからだ。
人間の思う勘違いをそのままにしているのは
それでも教育をしていると言えるのか?って感じる。

駆引

相手の状況や出方に応じて有利になるように処置すること。
なんか最近、価値観が錯綜している。
日本人は駆け引きを卑下する。
「駆け引きなどせず、正々堂々と」
とかが、当たり前で
「駆け引きで足元をみるな!」
って平気で言えた。

しかし、昨今、
某国の狂った老人が偉くなると
「dealを仕掛ける」
なんて言葉でそれを正当化させている。
これまでの日本なら
「何がdealだ、足元をみやがって」
って言うべきではないのか!

結局、日本は
強い者には逆らえないんだよ。
それでいて、弱い者には正当なこととか言って押し付けるのに、、
 

2025-03-19

喚起

呼びおこすこと。
大半は注意に使われるこの言葉。
でも、、目を覚まさせるという意味での喚起も使えなくもない。
とはいえ、喚起はカンキという音のために
他のカンキ、、換気、歓喜、と同音なので使いづらいなあ。
日本語の同音異義は誤解を呼びやすい
コミュニケーションによろしくない弱点だろうな。

2025-03-18

回線

インターネットや電話などの通信サービスを提供するために使用される、
デジタルデータを送受信する道
現在では、どんな導線よりも重視されるものになりつつある。
見える見えない、以前につながるかどうかが
現代社会の死活問題になっている。

こうなることが社会インフラになることといえる。
上下水道
電気
が今では当たり前になりつつあることに
通信回線も含まれるのだろうな。

2025-03-17

一途

他を考えないで、一つのことに打ち込むこと。
これって、美徳にも悪徳にもなる。
その評価は結果と過程だ。
一途にずっとやっている行為は
「なんでそればかりやっているのか」
「視野を広げろ」
って批判されることばかり。
なぜなら、それまでの時間、コストが無駄に感じるから
しかし、いざ評価、結果を出すと
他人は手のひらを返して
「ずっとやってきて結果だ」
「信じていた甲斐があった」
とかいいだす。
なぜなら、そのおこぼれをもらおうとしているから

人生において、他人の意見って本当に邪魔。
利害関係だけでいいと割り切ることが正解なのに
そこを批判するのは、、人間クズ性がよくわかる。

2025-03-14

花卉

花の咲く草。花を観賞用とする草。くさばな
用例としては
花卉農家
花卉園芸
となり、鑑賞用植物を生業にするときに使われやすい。

植物鑑賞は衣食住の外、生活必需ではないものの
人間が身近に感じる安らぎとされている。
、、、されている、、
必ずしもって思えるのは
人間の進化と価値の多様化といえる。

花々を風柳と感じるか、それとも
枯れることによる不清潔さを感じるか
そこも価値観の違いかな。

2025-03-13

凡例

ある書物、著述に関して、その編述の目的・方針・書中の約束事など。
という辞書の意味説明があるが
現代社会において、図表においてそのオブジェクトの指し示すものの名称が
今の意味だろう。

人間の価値観って面白く
同じ資料についてだが
管理職Aは
「凡例がないから、わかりづらい」
って叱責するが
管理職Bは
「凡例が邪魔、凡例ないとこの資料を読めない奴がバカ」
って意見がかみ合わないことが多々ある。

僕もあまり使わなかったんだが
凡例って英語だとlegend なのだが
日本語のプレゼンテーション資料で凡例の注釈を
legend って書いてあるものに

管理職Cが
「何これ、伝説って、バカなの」
って言い出した。
管理職なので、、誰もお前がバカって言えない。

いろいろと凡例について問題がある社会だなあ、、

ちなみにこの文章も
凡人をたしなめる例文、、、、凡例 だね。

2025-03-12

憔悴

(心痛や病気のため)やつれること。
外傷ではなく内傷のため、なかなか痛みを他人と共有しづらいが
結構苦しい状態。
そして、この状態を緩和、克服するのは
医学的治療というよりは社会的、人間関係的な改善が大きい。
憔悴するということは
社会に属していることが問題。
社会性があること、それにより得られるものも多いが
憔悴のように、生まれる不具合も多いんだろうな

2025-03-11

銘文

銘として金石の器物に記された文。
遺跡になどに書かれた文章。
銘文は名文であるように言われる。
しかし、本当にそうだろうか?
内容が名文ではなく、
銘文になっているから名文と思われていることもある。
大したことがないものでも
仰々しくすれば敬われることが歴史的に多いなあ

2025-03-10

侃侃

気性が強く信念を曲げないさま、剛直なさま。
漢字だけ見ていると
おばけ
軟体動物
のようなイメージになっている。

しかし、読みは、、カンカン、、
カンカンに怒っている
のカンカンはこの侃侃。
象形文字ではないが、見た目と意味が違いすぎないか?

2025-03-07

納金

金銭を納めること。
支払いという言葉があるのに対して納金はなかなか使われなくなった。
お金を納めるという発想は目上の者への行為なので
為政者
寺社
に向けてとなっているからだろう、、、

でも、、日本人って
お客様は神様なのでは
、、、、でも、お金をもらう側だから、、???!!
だから、納品という言葉はまだ使われるのか!

2025-03-06

次期

次回のおり。次の期間。
多くの場合、他人への期待をさせることが多い。
でも、、意図的に使っていないときは
問題の先送りとして使われる。
未来に託すという意味で、次期をつかい今を凌ぐのは
なんか人間の本能かもしれない。

2025-03-05

仮構

かりの構造物。
想像で組み立てたもの。虚構。

ひと昔前であれば、このモノには価値がなかった。
しかし、電脳化が進んでいる今
これらのものは、VRで存在価値がある。
下手すると、実物の存在より価値がある時代が来るかも。
何をもって、価値か?!
いろいろと変わりつつある社会だろうな。
とりわけIT,デジタルの台頭は実物を置いてけぼりにしそうだ。

2025-03-04

課役

 仕事を割り当てること。
昔は徴税の一つで、兵士として労働にて納めること。
役という字には
仕事や納税の意味があり、
権力者や社会への貢献の意味が込められている。

自分の役とはいろいろと思うことはある。
しかし、それは自分の好きなことで思い込んでいる役なのか
社会から認められている役は本来違うのか
など、常に自分を客観視することで考えるべきかな?!

2025-03-03

創見

今までにない、新しい見解。初めて考え出した意見。
これって現代社会ではめちゃくちゃ難しい。
社会全体としては、新しい考え方、イノベーションって言っているが
その新しい見解や意見を庶民が理解できないと
「何を言っているの?」
「くだらないことを言うな」
って批判される。

新しいを新しいと理解できないし
それを受け入れないことが当たり前になっている。
新しいではなく、改良に改良を重ね、結果ある時点から
全く新しいものに変わることしか認めない。

しかし、、庶民はその事実を理解できずに
抜本的、革新的な変化を求めている。
自分の理解力を理解できない、、それが現代社会なのかな?!

2025-02-28

症例

病気の症状の実例。
人間、、、いや生物はいろいろな健康障害が出てくる。
それに対して、いろいろな医療的な処置が行われてきた。
それにより、どんどん症例が蓄積されている。
思うに、症例に残るのは医療機関がそれを病と認めたものであり
最近はどんどん拡大している。

~体調が悪い
~お腹が痛い
に対して、昭和時代は
「寝れば治る」
「体調管理が悪い」
って自己責任だったのに、
今ではすぐに医療機関に行けってなっている。
国民皆保険の日本において
なんでもすぐに医療機関に出向き
症例を残すような活動は
健康管理にはいいけど、、、財政悪化がどんどん進まない?
自己責任をどこまで社会、国家が受け持つの?

健康管理について見直すべきでは?
生産性、納税に見合う社会保障であるべきでは?

2025-02-27

打明

打ち明ける、、仲良くなる。
相手に対して行う行為であるが
相手から
「もっと打ち明けてよ」って言われるが
それに対して、自分なりに砕けると
「失礼だ」
「ハラスメントです」
って言われるこの時代。

仲良くするのは難しい社会になっている。
今の時代
自分の価値観で何を言っても良くなっているのは
ある意味、社会として破綻しているのでは思ってしまう。

2025-02-26

文面

書き記された文章(特に手紙の文章)からうかがわれる趣旨。
多くの人が勘違いしているのは、
書いた本人の意図≠読み取り側の理解ということだ。
自分ではこういう意味で書いたと思っていても
そう受け取れていないのであれば
その内容は読み手の理解が正になるのだが
その理解をチカラで押し通すことが最近多いなあ。
表現力を高める方向が圧力、武力になっているのは
いかがなものか?!

2025-02-25

無聊

たいくつということ
「無聊を 託 ( かこ ) つ」という表現で
することがないとなる。

日ごろ忙しい、需要がある人がたまたま空き時間がある
に対して
全く、仕事がなくて時間が余っている
ともに、、退屈になるが無聊は上記の意味である。
聊が、つかのまって意味だから。

退屈はいつも充実しているからこそであり
毎日が退屈っていうことはある意味
存在価値がないに等しいのだろうな


2025-02-21

切替

続いているものやつながっているものを切って、別のものに変えること
新しいことをはじめる=切り替えるともいえる。
なので、新しいことへの関心と同時に
今まで行っていたことを辞めるという覚悟が必要となるが
いかんせん、人間はその覚悟が弱い。
そのため、切り替えているのに、切り替わっていないことに
負担、負債とみなして被害者みたいなことを言い出す。
それは覚悟への処理ができていない過失なのに。
なんだろうな、この人間の業は。

2025-02-20

鼻詰

鼻中隔が大きく彎曲していたり、
鼻中隔の外側にある下鼻甲介が分厚いことなどによって
空気の通り道が極端に狭くなっている状態

ある意味、風邪の症状。
幼い時に鼻水をすすっていたが
それにより風邪が悪化していたと諭されて
今ではすぐに鼻をかむようにしている。
おかげで風邪の悪化はなくなったかもしれないが
おもいっきりかむのでいつも鼻血が出ていて
その血栓で鼻が詰まっているような。

何が体にいいのかわからなくなっている。

2025-02-19

別称

別の呼び名。異称
同じ存在なのに別の呼称を持つことは
それなりの歴史背景を感じる。
~チカラを持つ別々のエリアが対立している
~違うモノだったのに、政治的に統一された
~多様性がありすぎてもう別のモノになりつつある状況
などなど

呼称は1人ではなく複数人の共通認識のうえに成り立つ。
勝手に呼ぶわけにいかないのだが
最近の個人主義の流れで
勝手に言い出し、それがわからないと
「そんなことも知らないの」
「これからこう呼ぶの!」
って言い出す輩が多いのは今の傾向か、
それとも人間の性か?

2025-02-18

乱数

ランダムな数
ある意味、抽選もまたこの乱数の結果といえる。
「乱数には根拠がないので正しくない」
という意見を口にする人がいる。
こういう人間が悪になる。
根拠がないの根拠は自分が納得できること
つまり、自分が認めた、自分に有利なことしか認めない。
独善的な考えである。
独善とは自分の正義であり、それは他人の正義と相いれない。
それを悪というのだが
善人を語る人間にはそれは通じないだろうな。

2025-02-17

時代

社会構造・政治形態や文化・思想など、
ある目安によって区分された、相当の長さの歴史的期間
この時代ってそれを言っている権力者の言葉で
一方的に言われているだけで、その時代の
区分、言い様はかなり失礼、無礼な言い分だ。

今までの言い分が効かなくなるのも
時代が違うという言葉押さえつけて価値観の違いを強制させる。

例えば、大航海時代って言い回しも
欧州の思い上がりで
多くの人たちは植民地にされた最悪の占領期間でしかない。
それをあたかも正当に言い出す今の価値観
それも欧米の発想もそろそろ時代としてつぶすべきではないのか
、、って思うのも時代の流れではないか?

2025-02-14

瞋恚

なんだこの熟語。
読みも
意味もさっぱりだ。。。

意味は
自分の心に逆らうものを憎み怒ること
そして、読みは
シンイ

仏教の十悪(十不善業道)のひとつとされるが、、、、
あれ、、、今これ
悪ではなく、自己主張として扱われていないか?
なんか仏教の教えが
どっかの大統領のせいで総否定、
道徳観念の崩壊を感じるなあ、、、

2025-02-13

堅調

取引で、相場が上昇傾向にあること。
景気がいいとされる。
確かにそうかもしれないが、
今の株式市場は一部の人のマネーゲームになっている。
株価高騰がトリクルダウンで庶民の生活が良くなっているとは思えない。
株価と景気はもう一緒に考えないようにしたほうがいいのでは
株価は今、結果ではなく予測で乱高下しているだけ
実需は伴っていないのでは?って感じてならない。

2025-02-12

事柄

その物事がそういう様子を見せる内容
モノ消費からコト消費へ なんて言われて久しい。
コト消費とは事柄であろう、その事柄とモノである物品との違いは
モノは単語で購買するが
コトは文章で購買すると言えるだろう。
モノという物体を買って、それをもとに自分で人生の物語を起こすのだが
コトになると提供側が物語を起こしてその物語を購買してもらうと。
だから、コト消費にはちゃんとした説明文を添えないと売れないのだが、
そこへのイメージがなんか日本人は弱いなあ。
買うことはできても売ることが下手すぎる。

2025-02-10

赤字

支出が収入を上回り超過した状態、または超過額そのもの。
赤字を出した当人、責任者がその赤字解消を求められるが
基本支出をどうにかすべきで自己責任ではないか?
と考えると、、、アメリカってバカなんだろうな。
ずっと貿易赤字を出し続けて自国の支出を改善させず
相手国をバッシングしている。
自国の支出を考えるべきなのに、
売り先に文句を言い続けてもう一世紀以上経っている。
根本的にアメリカが間違っているのに
それに文句を言えないのが
戦後が続いている証、、そして、
いじめがなくなるない根拠そのものに感じてしまう。

2025-02-07

味変

同じ食材を調味料を使って味を変えること。
最近出来上がった熟語といえるだろう。
言葉は進化する、こうやって新しい言葉ができるが
現代の熟語は基本、略語だろうな
味を変化させるから 味変 と 意味を持つ漢字を集めて
対して
携帯電話を 携帯 と頭の言葉だけでその意味にさせてしまう。
どっちも略語ではあるけど。
まー、これは日本語だけではなく
英語も、大文字連記の単語はISR、IMFとかも略語として
新しくできた言葉だろう。

人間は共通認識されると略したがるものなんだろうな。 

2025-02-06

駘蕩

のびのびした様子。また、(春の)のどかな様子。
のんびりに近い表現なのだが
漢字が重々しいのでなかなか使えない

駘 は にぶい。のろい。 広くゆったりしている。駄馬を駑駘ということもある
蕩 は 落ち着かないで、ゆれうごく。ゆらぐ。放蕩息子の蕩

表現としては、ふわふわ、ゆらゆらと脱力した状態
ある意味、、その時は癒し、解放された状態かもしれない。

ある意味、憧れるがその前後にはそれなりのつらさがあると思うと
駘蕩であるときを過ごすことに気が引ける。
それってワーカホリックならではなのか?

2025-02-05

懐古

昔の事をなつかしく思い起こすこと
良く言われるレトロブーム
英語の「retrospective(レトロスペクティブ)」
本来は過去を振り返ることを意味する。
となると、、レトロブームじゃないではないか!
レトロブームは
過去を振り返るのではなく
過去を知らない若者、外国人が古きものに
関心、、エモさを感じるわけで
新しいものの発見に等しい。
決して、過去を振り返っているわけではないだから、、、

どうも言葉の使い方を間違っているような、、
しかし、言葉は時代とともに変わるものだからって言われると
言葉の正しさ、、国語の授業の正当性を疑うことも
無理はないのでは??

2025-02-04

梓弓

梓の木で作った弓
ただの弓なんだが、それを神事に使うことなどから
万葉集から枕詞になっている。
春(張る)、引く(袖、心を)などに使われたり、、

しかし、今は弓が身の回りにないので
梓弓がイメージできないどころか
そもそも梓ってどんな植物?になる。
それもそのはず、、梓とされる植物は学術分類にはない。
カバノキ科の「ミズメ」
トウダイグサ科の「アカメガシワ」
など 葉の先端が尖った樹木 の総称になっている。

日本古来の概念、認識感は
今の欧米文化に浸食された現代ではイメージすることすら
あやまりになりかねない事実、
それで日本文化の維持ってなんかバカらしい。

2025-02-03

反物

着物に仕立てられる前の素材のこと
もう一般庶民はそれを買うことはないだろう。
これを買って着物に仕立てることなどないどころか
反物を作るのではなく、正規品に合うように生地を編み上げて
切れ端をださないことがロス回避として求められる時代になっている。

だから、生産量も減るし、技術進化も進まない
それゆえ供給が少ないので価格が高いとなる。
こういうものを伝統工芸、伝承問題を口にするのは
なんか社会に反していないかって思うように感じる。
必要性がなくなったことをいつまでも高い支払いを出し続けること
それこそ、、無駄遣いって言われるものではないかと、、

2025-01-31

懇切

行き届いて親切なこと
懇切丁寧にと用例が多い。
でも思うに、いくら懇切丁寧に説明しても
わからない輩には無理で「わからない」って言い出す。
こちらからすれば、
ただ「わからない」という言わず
「どこがどう理解できないのか」を相手に伝えるために
教育を受けているのでは?

こういう輩は野放しにせず
義務教育でこういうことに気づけない人間を
オミットすることが社会全体の向上にならないか
ってつくづく思う。
個人、人権を守るためには他の個人を守るために
邪魔を消すのもまた権利では??

2025-01-30

身程

身分。自分の身分や能力などの程度。
その身分やからだにふさわしいこと。身分相応

個人主義、ハラスメントの台頭で
身分という社会的地位が逆にリスクになっている。
その立場だから行動に制限が加えられている。
それに調子づいている、愚民が多くなっているのは
社会としてやばくないか。

統制、秩序の崩壊に社会性はないのに
愚民は自己主張で社会保障を当然のように求める。

こんな身の程を知らない者どもが
発言し続けることに意味があるのか?!

2025-01-29

滅金

メッキンではなく、メッキ、、金滅金 は キンメッキ のこと。
金属や非金属の表面に他の金属の薄い膜を覆うこと。
アマルガム法と呼ばれる技術で施された加工。

とてもすごい技だと僕は思うが、、これにより
その物体が膜で覆われているのではなく
中まで、その金属そのものって思っている人が
メッキに気づくと不快や詐欺と騒ぐことがあり、
それらのことから、
ウソがばれること「メッキがはがれる」と言う。

僕としては
・メッキに気づかない愚かな人が勝手に相手に嘘というのはおかしい
・メッキというアマルガム法をバカにするな
って思ってならない。

どうもバカが価値あるものを貶める言動が多いなあ。

2025-01-28

高熱

高い温度。
ITディバイスが高性能化すればするほど
ディバイス機器が熱を帯び、
その熱で回路がショートしてしまうことが問題になる。
放熱、冷却が一番の性能対策になっている昨今。

これだけ通信速度が速くなっているのであれば
寒冷地にサーバセンターを立て、その降雪を利用できないものか?
また個人ディバイスも各々の冷却方法で下げることはできないものか?

あれ?これらって、証明機材、自動車のエンジンにも
同じような経緯をたどってきたのでは?
まー、、結局はLEDなどとんでもない素材の発見で
解消されていくのだが、今回のディバイスでもそういうことは起きるかな

2025-01-27

乾湿

かわきとしめり。乾燥と湿気
冬季になると乾燥肌という症状を日本人は訴える。
ふと思う。
砂漠エリアに住んでいる人は乾燥肌に悩むのだろうか?
そもそも乾燥という概念はあるのだろうか?
日本には四季、、いやもう四季はないが湿度の変化幅はかなりある。
それゆえ、乾燥肌や汗疹という環境変化への疾患があるのでは?
って思ってしまう。

環境により人間は考えだけでなく、肉体も大きく影響受けるんだろうな。

2025-01-24

完済

借金やローンなどの債務をすべて返済し終えること
借りたら返すのは当然なのだが
法人経営だと返すことより、
借りた金を何倍にすることが重要という考え方もある。
ある意味、社債もその発想の発展だろう。
それにより、経済が回るということも否定しない。
でも、社債は所有権をもつ株式と違い
あくまでも借金。
それを返すことが目的、、いやそれに利子をつけて
完済することが最大目標では?感じられる。
法人、個人を問わず、借金は利子をつけて完済するものという
考え方をもっと徹底的に教えないならない、
それがあるべき金融教育では、、投資とか言っている場合じゃないぞ。

2025-01-23

租税

国や地方公共団体が公共財や公共サービスを提供するにあたって、
法令の定めに基づいて国民や企業などの主体に
必要経費などの捻出方法として負担を強制する金銭(通貨、お金)のこと

庶民は租税、税金に対してうるさすぎる。
「税が高い」
「税金の無駄遣い」
って言いながら
「そんなの国がやれ」
「もっと公共サービスを充実させろ」
って言い出す。

金は出さないが、仕事をしろの意味ばかりで
ただの餓鬼道でしかない。

そもそも、資本主義の国家で租税が最優先で行うことは
非効率で誰もやりたがらない事案をみんなの出資である
税金で行うことであり、それを無駄遣いっていうことがバカげている。
まして、それらを民営化してみたらいいとか言い出し
多くの払下げ企業が赤字になっているではないか。

そもそも
まっとうに義務教育をうけて歴史の勉強をしてきた人なら
税金を使って経済対策をしているってことは
社会主義、共産主義そのものであり、
それで社会は回らなかったのではって思わないのか?!

暗記型で偏差値主義できたこの日本社会
租税に意味も、歴史を学ぶ意味も
全く理解できていないのだから、、愚かなことで、

2025-01-22

戯謔

たわむれやふざける様子、おどける様子
読みは ぎぎゃく となる。

たわむれ、ふざけ、おどけは
当人たちは無邪気なつもりでも
関係各位には許されない結果になりやすい。
それを許すことは
うまくいけば寛容
ダメなら訴追
になる。

そのことを考えて、戯謔ができるものがキレモノだろう。
つまり、たまわれなどをあえて仕向け
相手の寛容さを社会にアピールさせることで
その人の格をあげさせることができるだろうか、、
まーー庶民にはすること、させることはできないだろうけど。

2025-01-21

疲羸

疲れてぐったりすること。
まずこの漢字書けないよ、そして、読めないよ。
それだけで、疲羸だなあ、、、
読みは、ヒルイとのこと。

日常ではまず使えない熟語かな。
こういう熟語はだんだん消えていくのかな?

2025-01-20

青果

食品の流通・小売における生鮮食品の分類の一。
いわゆる、アオモノ、野菜である。

小売りされる青果は基本、時価である。
時価だから相場に合わせて価格が変わる。
それに対して、まーマスコミは値上げばかりを報道する。
~冷夏だったから
~暖冬のため
~肥料の高騰
~人件費
と、ネガティブな発言ばかりを取り上げる。
対して、値下げの報道はよっぽどの激安でないと報じない。
それってどうなの?

だいたい、物価上昇の昨今
値上げをしないほうが難しい。
それを1円単位で値上げって報道して、、
君らの高い給料に比べれば、、、
安いおすすめの青果を特集してあげたほうがよっぽど建設的なのに
それに気づけないのは報道の限界では。

2025-01-17

逆張

 相場がどんどん下落する中で、あえて買いを入れる、
もしくは相場がどんどん上昇する中で、あえて売り建てる取引
証券用語だったが、今では
あえて社会の流れと逆の行動すること に使ったりする。

逆張りと言われることの多くは成功事例の後付けだ。
もしくはその結果を目指しての自分の行動への言い訳だったりと。
普通は失敗、損をすることが見えているが
そうではないということを狙っている。
基本、失敗することになり、やっぱりとなるが
まれに逆張が当たると、、、、
それを誇張し、そしてそれに続こうとする。
それって、かけ事じゃん!
なんだかんだで、人間はギャンブル嗜好なんだな。

2025-01-16

買値

 物を買い取る値段や、商品を仕入れたときの値段、
または商売で品を仕入れたときの元値
~ネットによる全国規模の値下げ合戦
~転売による希少品の高価格化
すでに定価の買値が破綻している。
これって、、、、あるべきカタチではないだろうか!

需要と供給が成り立っている自由市場の理想形では?
転売を不当というが
みんなが統一価格で誰でも手に入れられるって
破綻した社会主義の発想ではないか!
そもそも、転売って卸業そのものではないか!
同じことをしているのに、こっちはいいけど、あっちはダメって。

転売での買値統制ではなく
~大量供給体制の早期構築
~欲しい人を見極めて売る販売チャネルの構築
~転売だろうがどうしても買いたい、売りたいのマッチングの正当性
を取引の仕組みで徹底すべきではないか。

欲しいものが思う価格で買えずそれを転売者に八つ当たり
ってある意味、自由主義批判そのもので危険な発想では?

2025-01-15

足元

文字通りには使わないことが多い。
足元では~
となると、直近の相場値のことだったり
足元を見る~
となると、弱みに付け込むだったりと、、、

日本人はよく
足元を見やがってって、相手を卑下する。
その価値観で言っている側になんだか正当性を感じる。
でもその価値観、、、
今の社会情勢と世界的権力者は
その足元ばかりみて、、ディールを仕掛けてくる。
日本の価値観、、、どうするの?
まーー、そんなの関係なく、はーはーってなるのも
日本人の価値観か、、、
なんか、いろいろとバカらしい社会だこと。


2025-01-14

内輪

ごく親しい人以外の他人・部外者を交えない範囲である有様
内輪で盛り上がっているとかで使われる。
ビジネスにおいて
内輪で仲良い案件って大概クズ案件。
~顧客に対して、被害者連帯
~協力メンバーに対して、閉鎖的
~自分たちの価値観こそっていう話し方を疑わない
から全くビジネスになっていない。

思うに、学生気分、学芸会のノリということは
こういうことであり、
顧客が理解できないがお金を払う時期には強いが
コモディティー化されていく過程や批判が上がると
すぐに破綻する。

とりわけスタートアップなどではそういう感じのものが多く
だいたいはじめはいいが、だんだん破綻することには
内輪もめをしはじめたり、過去の栄光をまたと思って
結果、始めなければよかったの社会悪になる。
だからこそ、学芸会スタートアップには批判的なんだよね。
当社ビジネスは。

2025-01-10

根城

仕事や計画の根拠となる所。 根拠地
今の用例的には、ダーティーなイメージが強い。
対義語になるのは、悲しいかな、職場になってしまう。
本社、事務所を根城にしているという表現を使ったら
怒られたり、注意されるだろうな。

本来の意味が後世になると
プラス、マイナスになるのは
日本語?言語の性か?

2025-01-09

幼気

ヨウキではなく、いたいけ って読む。
幼気な眼差しって言葉があるように
幼くてかわいいようすをすること を言い出す。
ひと昔前の ぶりっこ に当たるかな?
本来は、幼い可愛さを表すのだが
意図的、作為的に幼気をだすのが目立つ社会。
幼気さが人間の母性、庇護感情を燻ることを利用することは
心理的作戦なのか
詐欺行為なのか
それはそこの人間関係で言われようがかわるんだろうな。

完膚

きずのない完全な皮膚。欠点・きずのない箇所。
ときれいな状態を指す単語、熟語なのに
使用例は「完膚なきまで叩きのめす」
という用例のほぼ一択。
逐語訳になると、全身傷物にしてやるぜの意味なんだが
なんか、完膚の真意を誰も気づかないのはかわいそうって思ってしまう。

2025-01-08

影絵

手や切り抜き絵、人形などを灯火によって
壁や障子などに映し出して見せる芸、またはその絵、影人形

未就学児のころ
影絵人形劇に母に連れて行ってもらった。
その題材、挿入歌を未だに覚えている。
しかし、影絵人形劇は商業映像作品ではないので
全然その挿入歌の実在が確認、他人、とりわけ母に思い出してもらえず
自分の空想の記憶ではないかって思うことが多かった。
それから、半世紀、、
デジタルの一般普及による
you tube にその挿入歌が投稿
うろ覚え検索でもヒットすること
で、自分の記憶が正しかったことが証明できた。
しかし、母は老化でその記憶がない。
いくら正しい記憶と記録があっても
共感による立証ができないとなると
ある意味、意味がないことが身につまされた。
正しさの立証、それを行っても何もならないのが
社会なのかって。

2025-01-07

猟官

官職を得ようとして多くの人が争うこと
文字内容を庶民は悪いことと思うだろう。
しかし、これがある意味、選挙の本質であり
この精神こそ社会改革の兆しではないか!

庶民は、争うより今の仕事をしろ!って言い出す。
しかし、今の仕事っていうがそれを面白がってやっている輩など
一握もいないだろう。
こんな仕事をなぜ自分が
自分はもっとやりたいことがある。
が多くの思いでは?

それを手にするために、今の社会組織に対して
外に出ると転職
中では猟官
ではないだろうか?

転職は前向き、猟官は批判対象
本当に現代人の無能さを感じるなあ。

2025-01-06

詰込

容量に対して、目いっぱいいれること。
転じて、暗記による知識量の増大をさす。
多くの国で行われる受験の多くは
詰め込め教育の産物。
脳にどれだけ情報を詰め込むかの検査をするもの。
情報量が乏しい、識字率が低い国家では
そのような教育で共通認識ができる人材の増大は必須だっただろうし、
その知識量があるだけで価値があった。

しかし、今では情報が溢れている。
その情報をもとに自分らしい付加価値を生み出すことが求められる。
自分らしい付加価値だから点数はつけられないはず。
それを採点で、合否をつけるのはどうだろうか?
思うに、入試という概念はもういいのでは?
これだけネットが普及しているのだから
門戸開放して誰でも学べるようにして、入試をなくし
卒業も勉強成果を基にした内容をもとに
採用する仕組みにすべきではないかって
根本的な社会制度の改変を年初に思ったりしてしまう。