自分の所属する会社への好意の現れ。
愛社精神にあふれている人、、
昭和の時代なら、それは好感の対象だった。
しかし、それは過去であるし、今では
僕からすれば、それは新興宗教の洗脳と変わらなく感じる。
終身雇用、
企業戦士、
と会社組織がその人の人生をすべてかぶってくれた。
それゆえ、日本人の好きな封建制度、御恩と奉公、一所懸命になれた。
しかし、これまた最近の日本人が好きな
グローバル
能力主義
によって、会社組織とは契約関係でありあくまでも個人の価値が認められる範囲内において
という発想になってきている。
そうなれること、および会社側も効率化のもと、
社員の人生を被る義務がなくなった以上
関係は希薄なることは必然。
その状況を第三者と冷静に見れば、
契約条件にあった活動をすべきであるし、
何か希望をもって、熱く会社の行く末を語りだす輩に対して
何か妄信的な洗脳でも受けているのかって思ったりしてしまう。
愛社精神がなくなった。と嘆くが、
それは個々人のせいではなく、
社会前提の価値観、方向性の賜物であり、
逆に愛社精神を言い出す輩こそ、
現代社会のある種の癌といえよう。
僕は会社を動かしている側だからこそ
愛社精神というより、
いかに市場、顧客、そして、従業員と契約をし続けられるかを
常に考えることを思っている。
この思いは
今までに語られている愛社精神というより、
生き残るためのサバイバル精神にきわめて近い僕は思っているがね。
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