2014-01-31

建付

もともとは建造物の設備、機材の配置、設定であり、
その建付の良しあしで、耐震、耐風、居住が変わる要素。

今は転じて、論理的な創作物
体制
system
組織
にあてはめ、人間の行動の効率化に対して用いたりする。

要は気持ちよさ。
定性的な感覚で、人によっては異なることを忘れてはならない。
自分が思う社会の建付と自分以外の思う建付が
必ず一致するわけがないという前提理解や
まったく逆の思いを今の建付に思うこともある。

実はその建付の感覚。
結構、人と人との争いを生む火種なるのだが
なかなかその事実を人は軽んじる。

2014-01-30

伝言

伝言でうまく伝わらないのは
伝言させる側
伝言を受けた側
伝言を伝えられた側
どこの責任は?

現代人って
真ん中にいる
伝言を受けた側に責任を押し付ける悪い考え方が蔓延している。

考えてほしい。
伝言をする人は
その伝えたい内容の関係者でないから
伝言になるわけであって、関わっているなら伝言ではなく承りになるはずだ。
関わっていないから、理解もなければ、責任もない
善意で伝言を受けているだけで、
責任を押し付けることそのものより、
伝言をする側に大きな情報管理能力の欠如を感じる。

悲しいかな、
そういう自覚がある人は伝言という行為を行わない。
無自覚に力を握ってしまった輩が
伝言者を責めたてる社会構造になっているといえよう。

2014-01-29

変化

ある状態や性質などが他の状態や性質に変わること。
実は変化の定義って難しい。
それは個々人のカテゴリ認識の違いである。

自分は変わったと思っても、変わったと他人に認識されないことが多い。

氷が水になることを、自分は変化であると思っても、
水分子レベルでは何も変わっていないと化学的に認識する人もいる。
という学術的なカテゴリもあれば

髪を切って、イメージチェンジをしたつもりでも
相手からすれば、君は君って思われている。
これも変化の認識違いである。

変化という認識は
案外、個人の思い込みかもしれない。

2014-01-28

天分

生まれつきの性質・才能、

noblesse oblige
で僕は育てられてきたが、
近年その反対概念がよくわかった。

「俺のものは俺のもの、お前のものは俺のもの」

である。
現代、とりわけ日本社会は
自分の能力に対しては、能力主義と言い張るが
他人の能力に対して
「出来るのに、やってくれない」
「自分の立場をわかっているのか!」
と平気で他人の能力はみんなのためという名目で
自分のために使わせようとしたがる。

天分は天から与えられた才能と思うのは
自分以外の人たちであって
当人は努力とそれ相当の結果と感じている。

才能、天分は
あればあったで評価されるどころか
いいように扱われ、批判までされる。
なんか、予定調和かそれとも足の引っ張り合いなのか
本当に生きづらい社会になっているなあ。

2014-01-27

革新

新たに革めることであり、
改善と大きく違う。
「現場の声をもとに、革新的な、、、」
という表現があり得ないことは理解できている人は少ないだろう。

革新的なということは
今までではないということなので、
今までの行為を元にしてしまうことは革新とは言わないのである。

と考えると、
革新と対峙する概念は、経験と努力である。
おや、革新を求める人って同時に
経験と努力を評価したがらない?

そう、ダメな考え方、根本的に全方位的にダメということでもある。

2014-01-24

心痛

心の痛み。
外科治療も内科治療も効かない痛み。
まして鎮痛剤も通じない。

心痛は悲しいから社会生活があるから発生する。
ロビンソン・クルーソーの中にも言及されていること。

心痛を和らげる社会、、それって案外論理矛盾なことかもしれない。

心痛お察しいたしますって
本当に察することがでるのだろうか??

2014-01-23

報復

仕返しをすること。
国際間で、ある国の不当な行為に対して、同様に不当な行為で報いること

気づいているだろうか、
報復に受動態はないということ。

相手に報復する という表現はあるが、
相手から報復をうける とはまず使わない。
とりわけ、自分が主体のときはまず言わないだろう。

考えてみれば簡単なこと。
自分自身報復を受けるわけがないと思っているだから。
自分は正しい前提であれば、報復を受ける理由がないという認識だし、
もし、それに気づいてれば、相手から報復を受けないような配慮、行動をとるだろう。

つまり、
報復を受けるということは
自分の無意識があるということだ。
その事実に
ある人は、なるほど、
ある人は、報復するなんて自意識過剰のただの八つ当たりだ
と言う人がいる。
前者は、する側
後者は、される側
僕は認識しているがね。

2014-01-22

郷愁

他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア。
江戸っ子と呼ばれる存在は感じないはずである。
親子三代続けて江戸に住んでいるものを江戸っ子とかいうそうだから。
しかし、ノスタルジアを感じると言い出した。

昔の江戸情緒がいいとか
今の東京は汚されているとか

そういう輩ほど
納税額が低いくせに、言いたい放題。
ならそのノスタルジアに基づいた社会に戻り
納税額に見合った発言権にされたらどうなるんだろう。

都合のいい思い込みの人間が多いと思ってならない。
基本、社会は生きづらい。
故郷、過去のほうが良かったと思うのは現代人の常。

それを偉そうにいうクズが実に多い。

2014-01-21

芳醇

香りが高く味のよいこと。また、そのさま。
と言っても、芳醇であることは味覚のどこを刺激するか決まっていないので
人によっては異なる感覚と思えてならない。

芳醇とは口伝的要素が多いので、
自分の関わった人が、芳醇と言い出したものが
自分の芳醇の基準になってしまうのではと思う。

「これは芳醇な、、、」
と言われても、どうなんだろうなって思ってしまう。

2014-01-20

神秘

人間の知恵では計り知れない不思議、普通の認識や理論を超えたこと
日本人と西洋人だとこの神秘という概念の捉え方が違う。

日本では、神秘というと、人間の不可侵な世界認識で
そこへの探求は禁忌とされることが多い。

対して西洋では、
自然と対峙する姿勢ゆえ、
その神秘に対して、探求しようとして、踏み込んでいく。

日本人の西洋化はこの神秘への挑戦が
伝統を否定することにつながっているといえる。
不可侵ゆえの信仰が形骸化させようとする行いだからだ。

知的好奇心がいいという今の思想が
八百万の神々を神秘ゆえに信仰してきた
日本人らしさを否定しているということ
矛盾に繋がる両方の両立を口にする愚かな思想に
どれだけの日本人が気づいているのか、本当に失笑したくなる現代社会だこと。

2014-01-17

関心

ある物事に特に心を引かれ、注意を向けること。

現代社会において重要なのは
関心があることではなく、
関心がないという事実である。

イベントドリブン
プロアクティブ
で、いろいろとアクションを起こしても
多くの人が関心を示さないことが
不景気、ビジネスの停滞を導いているし
課題になっている。

関心があるようになったことについて
議論をしている時代はもう終わったといえる。

確かに古今東西、
多くの人は関心を示して欲しいと思うことを動機に動いている。
商売、勢力、恋愛、、
人間の欲求の一つといえる。

が、最近この欲求が薄れている。
無関心であることが一番の関心になっているといえる。
これを解脱状態とみなすか
それとも、人としての退化していっているのか
どう捉えるか、、、僕は哲学的に’関心’があるね。

2014-01-16

上司

年功序列の崩壊
能力主義
プロジェクト制の導入
で、上司の概念がもはやない。

というよりも
上司が上司の自覚がなさすぎである。

「たまたまハンコを押しているが、上司ではない」
「肩書きがない以上は上司ではない」
「今面倒みているが、上司ではない」

という言葉がやたら耳につく。

どうやら、
多くの思い描いている上司って
日本古来、ステレオタイプの上司像だと思われる。

、、、、
君等自身ステレオタイプなサラリーマンでないのに
それと比較するってどういうことだ、と僕は思ってしまう。

上司風が嫌味になる時代になっているが
責任を考えれば、
その責任をとることことや
そのための権能なくして、
評価を得ることは無理。

現代、責任なくして評価を得ようとする発想。
これを根本的、根源的に否定することができない企業は
その先、生き残りというか、それが存在悪としていけない以上
社会として発展は望めないだろう。
社会が変わるが、僕が出国するか、どんどん後者に考えが及んでしまう。

2014-01-15

忠実

まごころをこめてよくつとめること
内容をごまかしたり省略したりせずそのままに示すこと

というのが、辞書的な意味なのだが、
人間という生き物は卑怯であり、
愚直に対応している存在に

「忠実じゃねーよ、言われたことしかできないのだから」

と言い出すことが多々ある。
言われたことしかししないことが、忠実ではない?!
そんな状況下で、もし言われた以上のことをしたとしても

「いわれことも出来ないのか!忠実にやれよ」

といわれるだろう。

基本、その人がその態度である以上、
忠実な結果を得られることはないのだから。

四民平等、
能力主義、
である以上は、、忠実であることを求めることが社会への不忠だと僕は思うがね。
もし、上記の人が言う忠実がことができる人が登場したら
結果は簡単、
能力主義社会に忠実でゆえに、文句を言っている彼を誅殺するだけのことだから。

忠実という概念を求めれる社会はもうありえないんだけどね。

2014-01-14

告口

人の過失や秘密を、こっそり別の人に告げ知らせること。
日本って矛盾していない。

告げ口はよくなく、公明正大って初等教育で行っているが
内部告発を奨励している。

道徳的という幻想で教育して
実際の社会では、その非道徳が評価されれる。

告げ口という行為が一転評価され始めてきているのは
情報化社会になっているからといえよう。

情報が高速、公開化されればするほど、
されない情報の価値が高まる。
知りたくても知りえない、
知っているからこそ対応できる
ともらう側の視点でなく、
それを告げることで自分の利益になることがおきているからだ。

この告げ口文化を快く思わない人は
ある意味、銃声飛び交う戦場に刀一本で
「正々堂々に勝負」
という時代錯誤甚だしい状態になっているのではないだろうか?

2014-01-10

巷間

こうかん と読む。
意味は、ちまたで話題に上がっているという意味。

この文語調の発言をする政治家とマスコミ。
何が庶民志向だと感じてしまう。
難しいという以前、
聞いていて庶民がイメージできる言葉になってるか?

今巷間で取りざたされている話題だが、

ちまたをにぎわせているニュースなんだけど、

は同義であるが
上記を格調ある表現と言っていたら、
その人って、この現代社会ではコミュニケーション取れない
社会的問題になるという自覚があるのか?って感じる。

そういう表現を使っている人ほど
コミュニケーションが大切とか言い出すだけに、、、

2014-01-09

識字

文字を読み書きできること。
英語でいうと
literacy
という表現になる。

しかし、literacy リテラシーというと
今では基礎知識という意味で使われることが多くなってきた。

考えてみれば
文字を読み書きできるということは
言語情報を自分の目的に合わせて
送受信できることであり、
それこそ、知識共有ができること、
基礎知識があるということになるといえる。

現代日本の教育水準で
識字について言及することはまずない。
それだけ、高い水準の教育制度を持っているからである。

その分、~リテラシーといわれると
その分野での識字、基礎情報前提を問われるようになっている。
識字という言葉とliteracy という意味が同義のはずなのに
変わってしまっている日本語は相変わらず難しいなあ。

2014-01-08

末端

物のはし
組織において中央から一番遠い箇所。

とはいえ、現代社会においては
下っ端の意味で、人に使われることの方が多い。

末端であることは
情報伝達が疎く
決定権限もない
という意味でもあり、
人としての尊厳がない状態にも映る。

多くの人間はそんな末端からの脱却のために
社会において努力してきたのだが、、
末端が別のベクトル、それぞれの価値観を持てるようになったので
末端であることに引け目やレッテルを感じなくなっている。

それがある意味、統一見解、自己成長を阻害しているともいえる。
なんだか、統制力、モチベーションがない混沌とした社会になったと言い切れるなあ。

2014-01-07

蛮勇

向こう見ずの勇気
逆に、向こう見ずではないことを勇気と言えるのか?と問いたい。
勇気の定義がすでに有ってないがごとし。
成功した無謀な行為が勇気で
熟考しても誰もやらないことを行って失敗すれば、無謀、蛮勇のそしりを受ける。

同じことをしても
結果が伴うかどうかで
表現が変わる。

もっと言ってしまうと、
どんな蛮勇行為であっても、
結果が伴えばそれは賞賛すべき行動になるし
いくら努力しても結果が伴わなければそしりを受ける蛮勇でしかない。

今ではなく、行った後の結果がすべてといえる。

2014-01-06

追憶

過ぎた時間に思いをはせること。
現代人はよくわからずに使っている
ノスタルジア
と同義の言葉である。

人間は過去に戻れない。
しかし、過去を取り戻そうとしたがる。
成功体験に固執する傾向が実に高い。
多くの失敗の例、
成功体験に基づく実施が多いことが事業、プロジェクトの統計分析から読み取れる。
なのにだ、
多くの人民は、成功体験が拠り所になって行動したがる。
過ぎた過去、良き思い出にばかり飛びつくことが多く、
逆に成功する可能性がある、新しいことに抵抗したがる。

過去の経験、、いや経験は参考、逆にもうありえないことでしかなく、
それに基づく判断は
現代社会ではもう通じないという価値観になぜならないのか?
僕は人民の感覚が理解できないことが多くてならない。