2014-11-28

居座

ある場所に座って動かないでいる。
僕自身、物理、論理的にも、居座ることが嫌いだ。

自分の存在理由
~自分の提供できるもの
~自分の責任
がないのであれば、早々にそこから離れたいと思っている。

とりわけ、役割についても
空間的、時間的にその務めを果たせればそこから離れるべきだと思う。

僕とは逆に価値観で
~居座ることに意義がある、何か起きたときに対応できる
~我慢して続けることが重要
と言い出す人がいる。

しかし、その人は自分が見えていない。
上記の論理は周りから
~あの人がいるから、問題が起きていると感じて、嫌な存在
~早く辞めてくれないかなあ、邪魔で仕方ない
という見解のほうが多い事実を知ろうとしない。

居座るということは、時間、空間の個人占有。
そのことの意義を自覚できない人ほど
自分の価値を過大評価して、社会悪になっている。
そんな存在になりたくないし、
そういう存在を消すのも、、自分が現代に居座るサダメと思ったりする。

2014-11-27

米車

アメリカの自動車。アメ車。

現在、韓国、中国が日本車へ猛烈なバッシングをして
自国の自動車の優位性を叫んでいる。

日本人の多くは、いろいろと不快な感情を持っているかもしれない。
僕自身もそういう思いがないわけではないか、
下記のことを考えると、そいうもんだって思いたくなる。

今の韓国、中国の動き。
全く同じことを戦後復興で日本がアメリカに向けてしてきた。
~アメ車より、日本車のほうが優れている。
~全然壊れないのは日本車であり、アメ車では、、
このような比較を繰り返して、今の日本がある。

当時のアメリカ人からすれば、
敗戦国、日本のくせにという思いであったろうな。
いざとなれば、叩き潰してやるって思っていただろうな。

それと同じ思いを今の日本がしている。
この先、韓国、中国の自動車に市場が支配されるかどうかは
歴史を観て受け入れるが、それ以上、もしくは自動車ではない市場に
日本は切り替えるかは、ある意味、今が分岐点といえよう。

2014-11-26

冷静

感情的にならずに,落ち着いていること。
日本語の使われよう、傾向を分析すればおのずと結果となるのが
冷静=見下し
という状況であるといえる。

起きている事象、人物に対して
under control
であるからこそ、冷静といえる。
つまりは、周りを見下しているという状態。

冷静を他人に求める状態、
自分の支配下でがたがた言うなっていう状態、
それすなわち、他人を大きく見下してと言わざる負えない。

冷静って言葉が出てきているときは
あなたは相手に見下されているということだ。
僕は武力解決容認派であり、
そういう事象を素直に認めることが後に当人、およびそれに関わる多くの人が不幸になることも
見えているだけに、ここで争うべきと促進させていきたい。

所詮、人の世の歴史は冷静では何も解決してきていない。
冷静や話し合いは
ある意味、人をバカにしていると多くの人民の目に映るという事実は
気づいているようで、気づけない事実のようだから。

2014-11-25

胡坐

両膝を左右に開き、体の前で両足首を組んで座る座り方。
というより、
胡坐をかく
という意味で使うべきことのほうがいい。

胡坐をかくの意味は
呑気に構えて何の努力もしないことの喩え
なのいだが、

最近、管理役務を追っている女性が
「私にすべて伝えて」
という姿勢で伝えても何もしない。
その状況に対して
「胡坐をかいていないで、自分から」
と指摘されて
「女なのに、胡坐をかくわけないじゃない」
と反論していた。

仕事、そして教養レベルからして
どれだけ、人生において胡坐をかいて、その地位になったんだろうと僕は思う。

まーこれからこの手の人材が、老若男女、ごろごろ増えるだろうね。
・自分の価値観が一番
・マークシートで培った選択肢ありきの知識
・自己弁護のためなら、社会を敵に回す  まじめに自覚のない中二病
はどんどん量産されつづける社会だけに。

2014-11-21

寛解

病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態。
医療用語のようであるが、こういう症状については
医学では横文字、、独語、、いや英語で stage level などを用いていうのだろう。
では、一般的に、、、、、、
これまた曖昧すぎて、使えない。

完治したといえない状態であり
でもやばい状態でもない。
一時のものであれば、小康状態とかいうが、それでもないと言える。
それに、、、、
もし僕が
「今は寛解のようです。」
と応えたところで、その意味を分かる日本人がどれだけいるだろうか?
病が重いだろうから、いろいろと確認したくても
寛解って言われたら、どういう状態か憶測もできない。

こういう言葉があるという認識する、
逆に知らないほうが、世間的にはいいことかもしれない。

美しい日本語、、というが、
日本人が使えない日本語がどんどん増えている昨今に
日本語を見直すことは逆に人を混乱させるのではないかと思ってきた。

2014-11-20

広報

企業だけでなく行政や各種団体の活動内容や商品などの
情報発信を行う業務、またはその担当者や部署

だからこそ、ここから発信される情報が正確かどうかは別問題。
それぞれに組織、団体を代表しているわけであり、
その組織、団体のための広報であることが求められる。

多くの庶民の勘違いは
広報の言葉を鵜呑みにして
その広報の発言を根拠に動き、
うまくいかないとその責任転嫁したがることだ。

広報が責任を負っているのは
その組織、団体であって、それ以外は知ったことか!
ということ、、いやそうさせるために広報が存在するということを知ろう。

広報を信じてしまうかどうか、個人責任である事実、、
というより、、、なぜ他人のせいにしたがるんだろう、現代人は。

2014-11-19

審判

 ある問題について検討し、
その是非や適否などについて結論を出すこと。
スポーツなどで、一定の規則に従い判定すること。

とはいえ、審判する根拠という物自体が僕からすれば偏っていると思っている。
それこそ、審判されるべきものといえる。

審判されるものは事前に決まっている。それに照らし合わせて審判される。
そんなことあり得ない。
なぜなら、審判されるものは事前に決まっていない事案だから
審判される概念が出てきているわけである。
決まっているものをわざわざ争うことはない。
そういう前提であるからこそ、審判の意味がでてくる。

だからこそ、問題でもある。

事前に決まっていることは、ただの思い込みではないのか?
審判する判断はただの思い込みの押しつけではないのか?

このような根本的な問題を感じていたら
規律、法治は成り立たないだろう、、、
しかし、規律、法治という概念する正しいのか?

審判そのものを自分で審判することこそ、
混沌という概念であり、審判の上位概念がその審判の根拠たる規律の真逆、混沌ということは
哲学すぎて、あまり語っても意味がないかもしれないがね。

2014-11-18

醍醐

牛乳を精製した中で最も美味しい味。
チーズとかと同義に扱われるが、
同じようで異なる歴史観がある。

基本、これは日本人の大好きな旨味成分であり、
その代表例にすぎない。

その旨味が味の最高峰であると日本人は捉えているからこそ
この醍醐という言葉、それを派生させた、事象の重要なことを
醍醐味という言葉がある。

また、旨味成分を発見したもの日本人であることから
アミノ酸
イノシン酸
グルタミン酸
という概念を民族として太古から知っていた事実は
数少ない日本人の優れた性質と言ってはばからないだろう。

2014-11-17

知見

 実際に見て知ること。また、見聞して得た知識。
しかし、それは個人に帰属しているものであり、
知見があるからといって、必ずしも他者に役立つかはわからない。

人はチームとか組織と言って
群れて他人の知見を求めたがる。
しかし、他人の知見というものはそういうものではなく、
その知見で得られる結果が役に立つかどうかの判断であるべきだ。

どうも
・群れる
・安全
・責任回避
でしか、知見を認識できない日本社会に堕ちていると感じてならない。

2014-11-14

書振

文字を書くときのようす。また,書かれた文字のようす。書きっぷり。文章のようす。
要は、その書き物全体の有り様といえる。

最近のビジネスで感じるのは
自分は棚上げて、
よくも、まー他人の書き振りを批判出来るなあって思うことが多い。

「この表現では相手に伝わらない」
「この意味はそうは受け取られない」

と言われて、下記の直せば、全く相手に伝わらない。
その結果に

「そうではない、まだまだ間違っている」

なら、あなたが書けばと言い出して、
いざやると

相手先から
「言いたいことが逆にわからなくなった」
と言われ、その人自身のほうが間違っていると感じるが

「そもそもあなたの事前説明がよくないし、そもそも、相手がバカだから、、」

といいだして、、、、、
悲しいかな、その発言が学芸会のような組織だから
まかり通ることが今では普通になっている。


書き振りを通して
現代人の多くが
加害者なのに
評論家
被害者
気取りという歪んだ構造がよくわかってきた。

2014-11-13

好嫌

一歩引いて、社会を見ると実に変なことが多い。
好き嫌いについてなんかそうだ。
「好き嫌いなく、食事をとろう」
「個人の好き嫌いで仕事を選ぶな」
とか平気で言われる。

しかしだ。
好き嫌いこそ、人の個性そのものではないだろうか?
それをいろいろなカタチで否定するのはどうだろうか?
こう表現するといろいろと反論も出てこようが
そもそもそれこそ好き嫌いそのものではないだろうか?

個性や嗜好を認めるが
好き嫌いは否定する現代価値観に疑問を感じる。
この日本の価値観そのものがどう考えても外国人に通じない。
それの自覚なきまま、国際化とか言い出すのは、、愚かとしか思えない。

2014-11-12

積極

僕の認識はただ、うざったいだけの心持ちかつ
愚かな発想としか思わない。

積極的にという発想と
僕の思う必然的は全く異なる。
そして、必然的である以外は無駄である。

愚かな指示にて
「積極的に自分から」
と言われて、自分から自発的はなく、相手側も受け入れが出来ていない状態で
来られても互いに嫌な思いをするだけである。

それゆえ、僕は自分の思うタイミングでしか動こうとは思わない。
しかし、僕に対して無礼な輩は
「もっと自分から相手側にどんどん」
だけでなく
「もっと伝えるべき」
とまで言い出す。

それによって、利益が僕にあるとは到底思えないだけでなく、
その行為によって、今後の与信が失われるともってならない。
僕の発想と逆に、今動かなないからだって言い出す人も多くいるが、
それはそれで、僕と価値観がかみ合わない相容れない存在として、
どっちか折れるか、もしくはもう付き合わないほうがいいと判断まですべきと心得ている。

2014-11-11

愛社

自分の所属する会社への好意の現れ。
愛社精神にあふれている人、、
昭和の時代なら、それは好感の対象だった。
しかし、それは過去であるし、今では
僕からすれば、それは新興宗教の洗脳と変わらなく感じる。

終身雇用、
企業戦士、
と会社組織がその人の人生をすべてかぶってくれた。
それゆえ、日本人の好きな封建制度、御恩と奉公、一所懸命になれた。
しかし、これまた最近の日本人が好きな
グローバル
能力主義
によって、会社組織とは契約関係でありあくまでも個人の価値が認められる範囲内において
という発想になってきている。

そうなれること、および会社側も効率化のもと、
社員の人生を被る義務がなくなった以上
関係は希薄なることは必然。

その状況を第三者と冷静に見れば、
契約条件にあった活動をすべきであるし、
何か希望をもって、熱く会社の行く末を語りだす輩に対して
何か妄信的な洗脳でも受けているのかって思ったりしてしまう。

愛社精神がなくなった。と嘆くが、
それは個々人のせいではなく、
社会前提の価値観、方向性の賜物であり、
逆に愛社精神を言い出す輩こそ、
現代社会のある種の癌といえよう。

僕は会社を動かしている側だからこそ
愛社精神というより、
いかに市場、顧客、そして、従業員と契約をし続けられるかを
常に考えることを思っている。
この思いは
今までに語られている愛社精神というより、
生き残るためのサバイバル精神にきわめて近い僕は思っているがね。

2014-11-10

見学

実地を見ることによって、見聞と理解を深めること。
社会科見学
工場見学
いろいろと見学というイベントはある。

見聞、理解を深めることはいいこと、、、なのだろうか?
ちょっと理解に疑問をいただく。
現代社会、
無駄な知識は無責任な批判のネタになるだけだったり
その浅はかの知識を絶対と思い込む愚かさも目立つ。

僕は無駄な知りたがりについて、
バカのの入り口という認識と
身の回りのものに、やるなら真剣に責任をもって挑むという諭す。

調子に乗って、無駄なことを見学する姿勢はかえって社会悪という自覚を
庶民は持つべきだと強く思う。

2014-11-07

原発

あえて今触れてみよう。

原発の問題ってなんか大きな矛盾を感じる。
環境にやさしいのは、、、、原発のほうではなかった?!
原発にすることで
CO2、、カーボンオフセットにつながると触れ込みで
国際公約までしていたような。

日本人という視点を外れ、
外の人としてこの日本を見れば
結局、自分たちの生活のためならば
国際的公約した温暖化なんかどうでもいい。
と映るだろう。

確かに原発の起こした事故の規模は大きい。
しかし、それってどんな世の中、いや自然の摂理において
そうなることは宿命だろう。
ハイリスク、ハイリターン、
いいものであればあるほど、それが破たんした時のリスクは大きい。

日本においては
リスクが大きいから、、、原発はよくないと煽っているが、、
リスク視点で見れば
シティバンクが過去に受けた
「大きすぎて潰せない」
という別の判断もできたといえる。
日本人の好きなグローバルという考え方で言えば
むしろ後者であるべきだったと思う。

原発を社会悪のように扱うけど
これまで、
・オイルショックから石油依存の解消
・地域経済活性、口実をつけた地域支援に税金転用
をしてきて今まで来た。

上記問題はすでに解消されてきたと思ってきたことが振り出しに、、いや
それを当然と思ってきた輩がはしごを外されたと思い込むリスクは大きい。
だって何も考えずに済んでいたことに自分なりにアクションしろというと
人間はすぐに責任転嫁するも動物だから。

これまで、かおれからの社会伝播を考えると
原発への国民感情、、、きっと裏目に出るだろうな。
見に見える論点ばかりで今は考えているが
これからおきる人間のあさましい心の闇がぶつかり合うということに。

2014-11-06

寒天

紅藻類の粘液質を凍結・乾燥したもの。
似ているゼリーはゼラチン質であり、全く異なるそうだ。

日本食にはそういうものが多く、
かつ、それがヘルシーとか言われてきている。

寒天がヘルシーな食材?
数百年前までは、西洋の食材を求めていたし、
日本食は蛮族の食べ物と蔑まられた明治時代の欧米の言葉もある。

時代とともに変わる価値感だろうが、
そもそも、ヘルシーって言葉は
飽食時代の産物であり、飢餓との戦いから大きく進化できたから
食べるものにカロリーを求めなくて済んでいるということに
人類の進化のある意味究極系を感じる。

もっとも、
行きつく先に到達した種族は、、、エントロピー、カタルシスの考え方では、、
これ以上は言うまい。

2014-11-05

庶務

種々雑多な事務。
・契約の細分化
・作業の効率化
・作業の専門性
を高めたために
庶務の位置づけが微妙になっている。

雇い主からすれば、
庶務をすべきであり、庶務もできないか!ってくる。
しかし、
雇われた側からすれば
そんな作業の契約はしていないし、
その活動は自分の専門外であり、不当な役務強制だ!
そんな作業のために雇われていない。

という対立構造になる。
経営者である僕としては、この雇われ側の論理を正とみなすようにしている。
庶務なんてありえない。
庶務それぞれも立派な仕事であり、それに対してスペシャリストも存在する。
だから、庶務を付随行為とみなさず、それごとに委託契約を結ぶべきだと感じている。

人によっては
「そこまでするのか?そんなことまで、、」
と言い出すだろう。

僕からすれば、それはおごりであり、かつ発想がもう現代ビジネスについていけない遺物だと言いたい。
どんな行為にも価値を感じずして、付加価値ビジネスができようか!

2014-11-04

隠味

調理の際に主要な食材以外の材料(目立たない程度であり、たいていは微量)を加え
調味する技法、またはその材料を指す。

現代人の味覚の退化、味付けの濃いものを食す習慣から
この隠し味の存在を気づかない輩多いどころか、
そのことに気づけないことに恥どころか、開き直りが実に多い。

、、、、何も味覚だけではなく、すべてにおいてだ。
五感に強く訴えるものしか測れず、
その裏にある秘めた要素に気づかないどころか、理解できない。

確かにそれは些細なアクセントかもしれないが
その些細なことほど、

蟻の穴から堤も崩れる

ということになるということが、、わからないのだろうな。