2012-02-29

代表

共犯である認識を高めないとならない。

「代表が勝手に」
「代表をやっている奴が悪い」

という日本の認識は国際的には通じないだろう。

代表が行ったことは、それを選んだものたちの責任であることが常である。
日本人にはなじみが薄いかもしれないが
代表が自分を選んだものたちの中から、「死ね」って指名したらそうなくてはならない。
それが、生贄のロジックでもあった。
日本も昔はそうであった。
代表である村長に従い、村八分があった。

上記のことが過去的、非人道的という発想をいう人がいるが
上記ゆえの治安、秩序、責任感で満たされていたといえる。

僕としては、
個人主義というものは間違っていると言い切りたい。
個々の存在意義を貫いたために
それぞれの個々の他人を批判することしか導かない。

自分が選んだもしくは、自分の従う特定のルールに選ばれた存在である代表が
自分の意思とみなして、従順に行動することのほうが、
逆に個々の役割、存在意義が見出せると思っている。

代表権を持つものに抵抗するのは、
僕の歴史観からすれば、もう時代遅れというべきもので
新古典化的に過去のような代表者に従順にみんなで協力しあうのが求められているといえよう。

2012-02-28

配分

ある老人が

「衛星はやぶさみたいな技術に国は金をもっとだすべきだ」
といいつつ
「自分たちの年金の取り分をなぜ下げるんだ!!」

と口にする。

日本においては、なんか普通のことになっているが、
愚行って自覚はあるのだろうか?

国家財政といえども、国という単位で収支を行っている。
決まっている財源を振り分ける、、配分が必要。

すべてにおいて、湯水のように使えない。
どこかに出せば、どこかを減らさなくてはならない。

「なんで、自分に関わるところばかり、そうなるのか!」
「もっともらっている奴から奪え!」

という発言もまた普通なんだけど、
国民全員がそう思っているのが事実。
取れるところがとれるのであれば、
そもそも調整配分なんて意識しなくていいはずなのだから。

日本人は配分について
以前のように黙って従えという時期になっているといえる。
ギャーギャー騒げば、騒ぐほど、、、ダダッ子と同じで
結論が延びて、ろくな結果にならないこと、幼児教育でならって、、、、
最近はそういう教育を、、、、していないのか、、
なんでも買ってあげるから、、
だから、、、ダメなのか!

2012-02-27

誰為

最近、切に感じる。

今の20代、30代の若手はあんまり
スキルアップを望まなくなったようだ。

僕の視点の側面だと、2つのポイントで感じてしまう。
直球表現でいえば
餌と飼いやすさ だ。

餌とは、モチベーション管理だ。
仕事を出す時に、
スキルアップ要素をちらつかせれば、
手を出してくることが多かった世代と違い
その餌には飛びつかない。
餌を変えなくてはならないのだが、
その餌はそう難しくなかった。

「やってくれると、こういうことで自分は助かる」
「この作業を終わると、次のチームが活動できる」

という、プル型でなかく、プッシュ型になっているようだ。

飼いやすさ は その後の管理だ。
スキルアップアサインだと、その後の仕事も
それ以上にスキルアップを出さないと納得ないので
仕事の価値のインフレーションが起きる。
右肩上がりの市場では、それがかなったが今の市場では難しい。
その点、今の若手はそう思わない。
自分作業が役に立ってくれればそれでいいというレベルだ。

人によっては前向きではない、積極性のない世代と思うかもしれないが
僕は逆にとらえて、分をわきまえて、自分が誰かの為になるということが
価値観になる世代、、良心の世代になりつつあるのかなって思うときもある。

2012-02-24

詫状

たぶん、弊社は詫びることにおいて、
対外的、体内的に、逸脱した社風とビジネスバリューを持っていると自負できる。

人間、仕事をすることにおいて、
いろいろなケースで詫びるということが必要である。
それは
・過失
だけではない。

・誤解
・無知
・想定外

と、自分の思いと違うこと事実はすべて詫びる対象になるだろう。

現代人の悪いところ、、僕からすればそれが僕らのビジネスチャンスと思っていることが
他人が詫びないことに

しっかり、
意味を持って詫び、
その償いに何を提案、実施できるか

これが重要 なのは、詫状たる文章表現力であり、
その意味での表現力を社員に徹底してきた感がある。


ビジネスを10年以上してきて、本当に思う。
~なぜ、詫びることができないのか
~なぜ、詫びることで、次のステップに進めようとしないのか
が本当に疑問だ。

「悪くないのに、なぜ自分が詫びなくてはならないのか」

はい、不正解!
その思いからして、悪いです。
所詮、人間というものは生きているだけで存在悪である認識を持ち続けるべきであり、
その認識が次のビジネスチャンスのネタでもあるのだから、

庶民の持つプライド、、
そんなものより、プライドを売り払ってでも利益をとることが
ビジネスと考えて、詫びることに注力したいものだ。
今の成熟経済事情から考えて、
詫びることでしか、新しいビジネスは導けないと結論付けても支障はないくらいなのだから。

2012-02-23

早速

早い
速い

同じはやいという表現が二つあり、
その言葉をくっつけた言葉が早速である。

早い は時間
速い は速度

をさすそうだが

時間が早く過ぎていく。
時間が速く過ぎていく。

どっちが正解?

時間という概念なら、早い
しかし、時間の推移を速度とみなせば、速いとなる。

実際問題、
現在の日本語ではどってが正解って言い切れる人がいるだろうか?

学者なら?
学説という見解の差があるけど、、、

多くの人が使っているほう?
じゃあ多くの人ってどの基準で?

まーー、答えは
その話をしている人たちで一番偉い人が決めたほうといえる。

偉い人が白を黒と言ったら、黒であるように
言葉なんてものは、その場の空気で決まるものだ。

教科書的な正しさが重要?
高学歴な人が人生において必ず成功しているわけではないのだから
教科書的な正しさだけでは食っていけないことは
みんな気づいているのだから、言葉の正しさはより
その言葉をどう使おうとしているかをくみ取るそんなスキルが重要。

さあ、
’早速’それを身につける演習をはじめてましょう。

2012-02-22

神隠

以前、このブログの’事件’で神隠しについて言及したが、
それとは違う方法の神隠しを聞き、
為政では解決できない、集団での決定を強く感じた。

ある村でおきた神隠し事件。
その事件を国家、治安の観点で政府管轄の警察が調べる。
村民はみんなして、神隠しにあったのだからということ以外わからず
事件の原因、犯人の特定に至れないことがある。
実は明治期においてはこれが多かったらしい。
戸籍を作りたいから治安の名目で、神隠しを探す。
でも、当人、および犯人がわからない。

今わかったのは、
犯人は、、、村民みんなであったとのこと。
村八分という言葉などでわかるように
村の掟を破ることは死罪に近い。
そして、村の意思でその人が要らないという判断は神の意思となる。
神の意思で存在を消される=神隠しとなる。
犯人ではなく、村の意思で処罰されるのだから
犯人が誰かという概念はない。
そして、その実行犯を特定な人物としてしまえば、
その人も神隠しになってしまう。
政府の戸籍や法律なんかよりも統制力のあった行為であったといえる。

現代社会は個人主義が強いので、
ここで挙げる神隠しというものに出くわすことはないだろう。
それゆえ、統制のとれていないゆえ事実で犯罪、いざこざが耐えない。
昔の村社会の発想は神隠しという恐ろしいこともあるだろうが、
それぞれの人が人として組織に関わることの意味と意義を意識していた時代であったといえる。

神隠しという行為自身を、野蛮かつ非道と感じる人がいるだろうが、
人が人と正しく接するという観点では、
この神隠しという結論もあるべき形であり、それゆえ互いが互いを意識できると思ってならない。

2012-02-21

折檻

日本において、折檻はいろいろな意味で禁じられている。
しかし、だから日本は衰退した。

ドイツ、イタリアのマイスター制度
日本でも、道場、工房
では、平気で折檻をして、弟子を厳しく育ている。

厳しさ無くして、品質はありえない。
弟子を怒ることにより、
それを使う側に迷惑をかけないようにしているのである。
最高のサービスを維持するために、
それに関わる人材を戒めるためには必要なことと思っている。

日本の技術力の低下、、品質が下がってきていることと
甘やかし教育が同期をとって推移していることを真摯に考えるべきだ。

人権という言葉で折檻を否定しているが
その折檻をして、技術水準、安全性を維持することで
人命、そして日本経済の維持という生きていく事実の保障をしてきた事実と
折檻がなくなったから、安全性、雇用の海外流出につながっている事実を
強く理解してほしい。

弊社は折檻を推奨してきた、
それゆえに淘汰もあるが、
その分、高品質を維持していると自負している。

社員を甘やかして、顧客に迷惑をかける発想の国が
お客様第一主義を謳うことに、恥はないのか!って言いたいくらいである。

2012-02-20

車両

日本語において、
乗り物の多くが車輪をつけているためか、
車=乗り物になることが多い。

自動車
電車
自転車
台車

英語だと

car
train
bicycle
carrier

異なる字を使っているいるのに対してだ。

気になるのは
この先登場する
リニアモーターカーにはタイヤ、車輪はないが
10両編成で、5号車がグリーンになる
という言葉がある。

車輪がないけど、車となる。
日本人にとっては、概念になってきているけど
言語論理性、外国からの習得しやすさはどんどん難しくなるだろう。

やはり日本語は国際化には向かないね。

2012-02-17

沿革

物事の移り変わり、今までの歴史。

実は沿革を知らずして、ものの無駄を口にすることなかれ
っていいたい。

行政府、組織において、
今になって無駄とされる部門があり、
その部門について、いろいろと他人事のように批判する。

しかし、その部門の沿革を読み解くと、批判することこそ、
批判すべきポイントが多いことがある。

・誰もやらない活動なので、どうにかしてその活動をさせなくてはならない時代の風潮があった
・当時、その仕事をしていないほうが糾弾されていた
・その部門のおかげで、現在の事業が成り立っていた

今と昔は違うと言い訳をする愚者がいる。
しかし、沿革という言葉が示すように
今までの歴史があるから現在が成り立っているといえる。
その事実を無視した批判は自己の存在否定と感じるまでならない。

よくニュースで

「民間がやらない活動を国がやるのが勤め!」

と批判するジャーナリストが
次の話題で

「民間がやらなかったこと、なぜ国が無駄なお金を使うのか?」

と発言していることに、それを報道している事実に
国の立場がかわいそうって思えてしまうくらいである。

たぶん、
「早くやれ」って言われて活動しはじめても、
すぐに「なぜやっているんだ」と批判されることが
手に取るようにわかるからだ。

2012-02-16

痒掻

そうよう と読み
痒いところを掻くこと。

痒みとはいったいなんだろう。
痛みとは違う。

僕が一番納得の言った説は

表皮細胞が細胞として死滅して
その下にある真皮細胞が呼吸などの生態活動するときに
死滅細胞が邪魔しているので除去を訴えているサイン

というものである。

この説に納得する理由は
社会にも当てはまるものであり、
今まで一緒にいたとしても、
役に立たなくなれば、除去を訴えることがある。
そう考えると、
今の社会って痒くてたまらないのでは!?

2012-02-15

土壌

英語のplant の意味は

・植物
・草木
・工場
・建物
・設備
・装置

となっている。

なぜ、自然科学、工学の意味が共存している?
と感じてしまうだろうが、それは日本語として逐語訳をしているからである。

英語の核となる意味を理解すれば簡単である。

plant = 土壌の上に据え置かれるもの

土壌という表現をしている理由としては
必ずしも、英語のsoil つまり、地面とは限らないからだ。

・海上
・月面

という物理的に地球の外殻と異なるものもあれば

・システム基盤
・大型移動戦艦

という地球とは関係ないものも、ある意味土壌である。

いわば、どっしりゆるぎない空間というものであれば、
そこにplant は成り立つのである。

日本語と英語の言語性の違い、
そして、認識の仕方の違い、
それぞれが垣間見れるひとつの例なのだが、
そこまで落とし込まずに、単語帳レベルで
plant = 植物、工場、
という教育を受けてきた現代日本人の理解と
それを当然と思う、思考の介入のなさが
他者とのコミュニケーション障壁や
偏見的島国根性の原因であるということも理解してほしいものだ。

2012-02-14

菖蒲

この漢字をどう読むか。

あやめ
しょうぶ

互いも正解であるが、
あやめ=しょうぶ ではなく、
あやめとしょうぶは別の植物である事実を知っているだろうか?

漢字の成立と生物学の進展は同期をとるものではない。
そのため、呼び名が示すものと実際の本質は異なるものが実に多い。
それゆえ、
今までの呼び名を習慣、風習として重んじるか
科学の発展に準拠して、訂正するか
というポイントがおきる。

実はこういうところが、
ジェネレーションギャップの原因だったりするのかな?
って思ってならない。

2012-02-13

人偏

人偏という、漢字の部首ってある意味、作り側の否定になることにきづいた。

偽 という字は  為 ため という意味に 人偏がつくと ためにならない ニセ に
儚 という字は  夢 ゆめ という意味に 人偏がつくと むなしいけっか ハカナイ に
偏 という字は  扁 ひら という意味に 人偏がつくと  たいらではないカタヨル に

と挙げれば、きりがない。
読者の周りの人偏の漢字を見てみると、違った見方が読み取れるだろう。

人が関わると、本来の意味が逆になる。
なんか、、自然の理、真実に感じてきた。
ありのままという言葉、人間である以上、見出すことは難しいと結論づけたい事実に、、

2012-02-10

機運

時のなりゆき。
物事の良しあしが揺れること。
これは、法律さえも否定しかねないものであり、
判断、価値観も揺らぐことになる。

今まで、当たり前だったこと、法律でも禁止されていたことが
ある機運により、おかしい、法律が間違っているという動きがおきる。
多くの庶民レベルだと、
うすうすそうなってきていたのに、
法律が変わっていないほうが悪いと言い出す。
実はこれは、後だしじゃんけんかつ、だまされている表現である。

機運は徐々になんてことはない。
いきなり、そして当然のように事実を変えてしまうのである。
そして、それは商業的にその動きをしているわけであり、
その営業戦略をうまく機運として使えるかがビジネスセンスになるだろう。

それに、法律はかわいそうな存在で
過去の事実でしか対応できないどころか
変わりつつある事実にすぐに対応できるほど、
制度、立法者の見識が高くないのが事実である。
機運と法律、結局は法律は後付で機運に流される存在と感じてならない。

2012-02-09

処遇

ある部下が上司の指示通りで活動できない。
その部下が異動になり、新しい上司についた。
そこでは、部下がとてもいい動きをし始めた。

一般的な捉え方では
・部下と新上司の相性
・新上司のマネージメント
・部下の環境適性
とプラス的に考え、部下の活躍に期待する。

しかし、現実問題はそうではない。
・今までの部下のやる気なさ
・新上司にこびる部下
と評価されることがしばしばある。

そんなひどいことって思うかもしれないが
それが、組織、派閥、そしてメンツというものである。

前の上司に下にいたということは
・その上司の下に配属させた会社の部下への評価の甘さ
・使いこなせなかった上司の力量
・力量のない上司を上司の地位に至らしめた会社の昇格基準
と、会社、組織にとって不都合なことが露見してしまうからだ。

世の中は必ずしも、前向きではない。
むしろ現在を批判しないように今後を訂正させるように働きかけることが多い。

今の処遇に鬱憤が溜まっているサラリーマンの声を多く聞くが
案外、上記の理由が原因なことが多い。

やる気になった自分を評価するどころか
過去の過程をずっと引きずらせることへの思いが、、
まーー、実際問題、、いざ自分が上司になると
それをやってしまっているというのが日本人だったりするんだけど。

2012-02-08

逆転

実際は不愉快なこと。
スポーツ、勝負事において
逆転することは盛り上がる。
その逆転した側は気分がいいが、
された側にとっては実に不愉快である。

人間多くは逆転されることを願っていない。
年寄りが、
「若者が早く自分を追い抜いて欲しい」
とか口にするが、
実際に追い抜いて、扱いが逆転すると
「最近の若者はなっていない!」
と言い出す。

逆転することに歓喜することは
ある意味、既存概念への反逆であり、
安定社会においてはあってはならないことを
アンチテーゼのように他人の行為に投影していると読み取れてしまう。

2012-02-07

神懸

辞書の意味的には
・神霊が人に乗り移ること
・極端に論理を飛躍させたり、科学的には考えられないことを狂信したりして、言動が常軌を超えていること。また、狂信的なこと 
となっているが、
実際の口語レベルの用法は、
’超’とか、’激’という、最高級形容詞の意味合いだろう。

神懸り的な行為 などの表現で使われる。

八百万の神を持つ日本人の神概念おいて、
人間、とりわけ自分基準で想定以上の場合は
’超’という表現を使うし、神業なんて表現をも使う。
想定以上の表現が日本には数多ありすぎるくらいだ。

そういえば、神懸りにあたる英語があることがご存知か?
スーパー、ウルトラ、と横文字の表現と並んで、
ハイパーという言葉がある。

ハイパーとは、、Hyper
ギリシャ神話の鍛冶の神、ヘーパイストスの作りしもの
人知を超えた性能をもつもの
という意味が語源で、まさに神懸りの性能であるという賛辞なのだが、

この語源を日本人で理解して使っているか?ということに、、、
、、、ハイパーありえねー、、
って感じかな?

2012-02-06

縁故

岩波書店のコネ採用の公示は、とても賞賛に値すると思う。
縁故を重用する姿勢、
どうしても入社したい意思がある努力をしたものを入社させることこそ
縁があるべきと言えよう。

だいたい、一流企業だから入社したいという姿勢の社員より
縁故で入ってくる社員のほうが価値があるといえるし
縁故の関係上、縁を作ってくれた人との兼ね合いから離職もしづらいので
人材教育のしがいがある。

厚生労働省が愚かな調査をするが、
弊社のような企業だと、縁故でしか採用が困難であり、
一流企業だと縁故に問題があるのは、企業側としての差別感がある。

人の財産は、人と人との縁であり、
その財産が就職で役に立つという結果になることで、
座学ではなく、人とのコミュニケーションを重用する
生きた人間関係の活性化につながるといえるではないか?!

人事部の面談で決まる会社より
従業員の縁を信じる会社のほうが、温かみ、強みを感じるのは
僕が経営者だからか?そうではない日本人の良心を信じたい。

2012-02-03

解釈

思い込み、当人のあてつけのこと。

学生時代の国語の授業で
教師が、
「作者はどんな思いでこの表現を用いたでしょうか?」
なんて、問いかけをしていただろう。

素直に授業を聞いていた僕だが
ある雑誌に、、とある作家が
「自分の作品が入試問題にされた、この表現の解釈として妥当なのは?
 とあったが、自分の思いはその解答選択肢にはなかった」
という文章を読んで、なんのための国語の授業か!って思った。

考えてみれば、国語の授業の解釈の力とされる読解力というものは
実際の社会人においては、足かせでしかない。

若手は自分なりに上司、取引先の言葉を賢明に解釈して、応えるが
相手はその解釈に充分な情報、内容を入れていなく

「そういう意味じゃねーよ」
「もっと空気を読めよ」
「教科書どおりじゃ仕事にならねーよ」

と罵声を浴びせられる。

また、文面どおりに解釈を尺定規に行う役人には、
気持ちがこもっていない批判する社会でもある。

解釈の前提は、論理的表明、表現がなくてはならない。
とりわけ、日本社会の意思疎通の不文律の多さから、
いくら解釈しようとそれが相手の真意でないことを悟る必要がある。

思うに、国語の授業より、
心理学、読心術の授業を取り入れるべき
国ではないかと思ってならない。

2012-02-02

次元

次元という表現は、極めて抽象的、概念的な言葉の代名詞であるといえる。
それいえ、多岐に使われていてるといえる。
数学的、建築的、な意味で、空間的な捉え方で使われれば
すみわけ、カテゴリで差別的要素でも使われ、
一般生活では、むしろ、差別的なほうで使われることが多い。

低次元な、、とはm考え方・行為などの水準の低いことを示し、
相手を見下すときに次元を使って表現したりする。

日本における空間認識というものは、
ものの存在意義の立証から派生して
人間の社会における位置づけの意味になっているといえる。

英語の多義語が難しいというが
日本語の次元の意味もまた多義語すぎて難しいといえよう。

2012-02-01

論点

実はこれがビジネスの起点である。
論点となることとは、
関係者の利害を揺さぶる
決まりきった方式に基づいて処理できないことである。
これが、付加価値の温床になるのである。

僕からすると、
論点について、どう関与するかで
その人間のビジネスセンスがわかる。

逃げるもの
真っ向勝負するもの
代替案をだすもの
まず根本にたちかえるもの

など、、その人のビジネス特性がわかるといえる。
RPGのゲームではないが、この論点への取り組み方で
その人のジョブ、クラスがわかると思ってならない。