2022-02-28

実戦

実際の戦闘。
実戦と実践を使い分けているという。
しかし、、これは平和という幻想への詭弁でしかない。
日本人の気持ちはすべて実戦でしかない。
現場=戦場という思いは否定できない
~勝つ
~戦略的
~生き残るため
とか言う発言は戦場に通じるものであり、実践とはかけ離れている。
戦争と否定すると言いながら
戦争体験の無残さを継承することが
併存することが当たり前になっている日本の価値観だが
それってとても変なことってわからないかなあ?
そもそも、、戦争を否定すること自体できないのに、、、

2022-02-25

換算

ある数量を別の単位の数量におきかえること。
貫をグラム
フィートをメートルに
など、
換算しなくてはならないということは
価値を換算先に合わせるという
敗残、隷属が成り立っていることにお気づきか?
単位基準を制定する権威を相手側に支配されるということに。
日本はずっとその隷属を欧米から受け入れてきた。
それに対して反すると平和を害すると言われ続けて。
でも、、なんか変わってきている世界情勢。
そろそろ、、換算基準を手に入れるための行動をしてもいいのでは?
逆にしていないことを平和という<洗脳>された換算基準を打破しないと!

2022-02-24

宝具

この世の科学では説明できないようなすごい効能を出す道具。
日本で言えば、打ち出の小槌や聞き耳頭巾とか、、
外国で言えば、魔法のランプがそれにあたる。

宝具でなくてもそれに近しいモノを手に入れた場合は
人間がとるべき行動は何か?
簡単さ、自分の好きな人間だけのために使い、
そうでない者をその宝具の力で滅することが急務になる。

何を言っているの!
と多くの庶民が言い出すだろう。
でも現実問題で考えてほしい。
その宝具の存在を知った他人は
そのあれこれ理由をつけて、その宝具を取り上げようとする。
~国家のため
~安全のため
~お前には似つかわしくない
とか、正しさをこじつけて、、
その言葉を信じて、その宝具を渡した後、その者はどうなるか?
その宝具の返還要求させないように、これまた理由をつけて
社会から抹殺させられるだろう、生命、自由などが奪われる。
またその宝具が望むような使い方をされるとは限らない。
渡したために、結果自分の好まない者を助け、その助けの結果
自分のまわりの者が犠牲になることも容易に想像できる。

宝具という仮想物体で話をしたが
想定外の力を得たときに
既存の規制やルールに従うことがどれだけ悲惨な結果になるかを
理解して法治的混沌な社会を
どう生きるかを考えなくてはならないのだろうな。

2022-02-22

素手

手に何も持っていないこと。
何も付与されていない。
オリンピックの思想は古代から現代オリンピックに変わったと言えるが
そもそもオリンピックは
主神ゼウスの前で何も身に着けずに個人が力と力を競い合うもの。
その発想って、、日本の奉納相撲、シャーマンの舞にも通じる。
素手で営むことが求められる。
それなのに、、
道具を使う競技をどんどん取り入れるだけなく
最近は道具を使う競技ではその道具
使わない競技では、服、靴までいろいろと進化させていること。
また力と力としながら、科学技術やそのための育成と
力というより、組織と知で進めている。科学的な食事とか言い出している。
ここまでもう異化している発想なのに
薬剤禁止
機械改造禁止
と素手でなくなっているのに、
都合のいい基準を言い出しているのは作為的だなあ。

素手と言いながらすでにロボットアームを使っているが
権威者がそのアームは素手であると認めれば素手
じゃなければロボットを使っているので違反という
まるで漫画、アニメの八百長コロシアムの世界だよ。

2022-02-21

毎週

該当曜日の同じ時間に行われること。
日本人の曜日感覚はメディア放送に依存してきた。
この曜日のこの時間に放送される番組を時間軸で行動までしてきた。
~日曜の夕方アニメ
~月曜日の夜のトレンディードラマ
~この曜日のコーナー
とかいう感じに。

しかし、
オンディマンド、双方向放送の台頭という観る側の視聴姿勢の変化と言う
表向きと放送局へのスポンサード額の激減から
その放送を毎週流す余裕がないことも事実になっている。
一見的な企画もの
過去の名作、駄作の再放送
などが多くみられるようになった。

視聴側の生活スタイルの変更といいながら
放送局が担っていった庶民への時間消費、提案力の衰退が
毎週ルーティンの衰退を導いたというのが統計的発想なのだが、
どうも、放送局は自己弁護の論調で放送を続けるから
ますますスポンサードが減っていることに、、、まーいいか
斜陽な視点はいくら言っても。

2022-02-18

昔年

むかし。ずっと以前。
音ではセキネンとなり、、積年と同じ
積年は長い年月の意味で似ているが
昔年は時点に対して、積年は期間の違いがある。
だから使い方でも、、、、、と言ってもダメか現代日本人。
カタカナでしゃべることをグローバルと言い出し
日本語での検討を疎かにしているのだから、、
理解できなくても恥ずかしくなく、
逆に通じない表現を使うことを責めるのが当然になっているからね。

2022-02-17

新職

新しい職業。
今までの社会通念ではありえなかった職業。
職業というより、新しい商売をし始めること。
今では当たり前の仕事になっているものも
新職と言われていた時代と世間から迫害を受けていた時期もある。
馬車の時代に自動車ドライバー、、
紙とペンの時代のキーボードパンチ
新しいことは前の仕事などより熟練度が低いから
もたついたら、不具合が起きたりするが、
時間が経てばたつほど、精度が高まり、そして民衆に受け入れられ
それを行うことを職業と認められるようになった。

今では、ITやらDXとなっているコンピュータの世界。
半世紀近く生きているから思う。
趣味、オタクと揶揄されたコンピュータ
今では使わないでは生活できない。
それを仕事にすることを父母に
「ゲームをやるとは違う、ご飯を食べていけるのか?」
だったが、
まーそれなりに稼いでいるし、社会的地位もそれなり、
そのうえ、、、時代はゲームをやるだけでも稼げる時代になっている。
儲かる、認めれる職業は流転するんだなあ。


2022-02-16

徒長

植物の茎や枝が必要以上に間延びしてしまうこと
正常に育った植物と比べて病弱・虚弱で、
害虫に対する抵抗性も弱く、暑さ寒さなど、環境の変化も受けやすい。
花も咲かず、野菜や果物の実もならず、作物収穫量にも影響を及ぼす。

これって人間の育て方にも言えるような。。。
のびのび、
好きなように、
自由に、
とか言っている親から巣立ってくる輩は徒長で生産性がないのでは?
偏見かな?

2022-02-15

着目

重要だとして気をつけて見ること。
目のつけ方。
この言葉が使われるときには
これまでの既成概念、一般認識では見ていないポイントを強調するため
あたかも新しい真実を発見したかの如く
世間に示すために使われる。
つまり、、この言葉が出てくるときには
何かしらの自己主張が隠れている。
そう考えると、、「着目しているという自分に着目して!」
というちょっとバカっぽいさを感じてしまう。

2022-02-14

拮抗

力・勢力がほぼ等しく、互いに張り合うこと。
日本の武力蜂起、、これが平和って本当に思っているのか? バカらしい。
日本の平和は隣国でないアメリカに保護され、上納金を払っているからだ。
今のままアメリカが衰退、、いや他国と軍事力が拮抗すると
日本は近隣のオフショアから狙われるだろう。
戦争をしない平和の前提は 圧倒的武力の元での抑制であり、
戦力の拮抗がおきると戦争になる。
なぜか、、 簡単さ、、、人間は勝てると思い込むと調子に乗り
もしその見込みが間違えだとしても引けに引けない本能があるからさ。
だから、圧倒的に負けるものには挑まないが
勝てる可能性があり挑みだすと
~あきらめなない
~これまでの努力を無駄にするな
~勝って初めて自分を取り戻せる
とか言い始める。
これは戦争ではなく身近な
チャレンジ
ギャンブル
そして 投資
をみていれば、わかるはず。
 この発想だと アメリカが失態を少しでも出せば
その結果をもとに列国群がアメリカ本土ではなく
属国という末端をねじ伏せに入ることが容易にわかるはず。
 そろそろ、アメリカ依存ではなく
自国の戦闘力を独自に持たないとならないのでは?
憲法の武力蜂起 平和的と称賛されている 、、
言うのは簡単さ、でも 国家そのものがなくなること
未来に「そんなバカな国があった(笑)」 を見通せないから、そう言える。
現実逃避ではなく、現実陶酔の日本は、、いい感じに滅びていくことが、、

2022-02-10

改進

物事が改まり進むこと。 また、古い制度などを改めて進歩させること。
改進って建前は良い方向のように感じられるが
必ずしも良いではない。
今という現実を改めるという発想は今に至った過去の否定であり
存在否定になりかねない。
改進を口にすることは
自己否定、存在価値の評価減につながる。
改進ではなく、新しい付加価値、もしくは新しい試みを起こし
その新しいモノの成長にこれまでのモノへの比重を下げていくことで
結果改進にさせるべきであり、既存を改進させる発想はいかがなものか。

2022-02-09

売却

売り払うこと。
商取引とは買ってもらい対価をいただくことであり、
売り払うとは、なんとも上から目線かつ捨て鉢な表現だろうか?
辞書的な意味でも細かく書いていないが
辞書編纂と同じように、日常用例から意味を導くと
・本来は売り物ではないもの、、企業そのものや一部、不動産
・売ることが本意ではない
・売ることで自己の延命、生存確認になる
に使われる。
~事業部門を売却して
~先祖代々の土地を売却することで
などで理解できる。
言葉の意味を理解するって、、本来は辞書ではなくこういうことのような

2022-02-08

規定

物事の仕方や手続き、
また概念などをそれに基づいて行為や議論ができるようにはっきり定めること。
なんか、規定そのものが定義どおりになっていないような。
つまり、物事、概念に基づかず、運用、利権を優先させていないか?
そもそも国家の概念定義は属する国民の生命、財産の保持のはずが
国家のために国民を生贄に、他国の生命、財産を奪うという解釈が多かったり、
スポーツ競技も競技運営の利権や恣意でルールを都合よく変え
その変更根拠もスポーツ競技概念定義を選手から観客視点に変えてしまっている。
規定をいいように利用してのは、、利権民主主義の悪行そのものだなあ。

2022-02-07

日和

空模様。
日々変わる天候から、確固たる意思がなくその場しのぎ対応。
日本は四季、台風に代表される天候が目まぐるしくかわる風土。
また農耕文化が価値観の根底にあるので
晴天が続くことが農作物の成長につながるから好況のサイン。
なので、いい天気=晴天 だったりする。
されど、、晴天ばかりだと水不足になるので雨ごいとかしだす。
結果的に自分の意思ではなく、天候依存であったことは事実。
でも日和=自然に従っている、、そう悪いことではなかったのでは?
これもまた、欧米の価値観に害された日本の古き良き価値観では!


2022-02-04

縁日

神仏の降誕、降臨、示現、誓願などの縁(ゆかり)のある日、
すなわち有縁(うえん)の日
その人の出を集客と思って、新聖地の周りに出店されることが多くなり、
今では、出店が出ていること=縁日の認識も間違っていないだろう。

一神教でない日本においての信仰の自由の明文化が
無神論者を生み出して久しい現代社会。
縁日に行われる意義を理解せずに、
クリスマス(Saint Nicholas が訛って、サンタクロースなのに、、)
バレンタインデー(Valentinus司祭ってわかっているかなあ)
ハローウィン(ハローウィンがあるならワルプルギスの夜は?と思うが)
建国記念日(元紀元節って言って通じるか)
を享楽するだけの日本人。
いい悪いは別として、、、大好きな欧米人が日本のこの行いを見て
縁日的な享楽ではなく、サバト、、悪魔召喚と思ってしまうかもね。
価値観が違うのに、カタチだけ似せるとこうなるね。

2022-02-03

宴遊

酒宴を開いて楽しむこと。
COVID蔓延以前から、歓迎会、忘年会はパワハラの元とされて
倦厭され始めていた。
ただ思う。
歴史書や小説において、宴会は人間史においてなくてはならないものだった。
それが人間である証明かもしれない。
人間、、つまり集団として生きている、生きていくために
行われるものであり、それなくして集団の認識、再認識は行えない。
個人能力、主義の台頭に、、人間というより 人 という存在でしか
捉えなくなっている社会は、他人との依存、共存は価値をなくしていくのか?
反して感じているのは、、老若男女問わず、宴遊への誘い、開催以来が僕には多く
社会で言うハラスメントを感じていないのだが、、、

2022-02-02

大手

その業界において特に規模の大きい企業、会社のこと。
~東証の再編
~ジョブ型アサイン
~フリーランスなどの台頭
があっても、大手企業社員のプライドは抜けきれないんだろうな。
だから、大手社員との会話は実に面倒だ。
自分たち=業界経済と思い込んでいるので
その企業の業績がいい時に、こちらの業績が悪いと
「なんで儲からないの?経営下手だからでしょ」
と言い出し、
逆に、あちらが不調、こちらが最高益のときには
「悪いことしているんでしょ。今儲かるなんてありえない」
と言い出す。

現時点、大手の市場席捲や支配流動額が大きいので
口答え=業績悪化 になりかねないが
こういうバカを駆逐するのも、当社の目指すべき社是かな?

2022-02-01

緩怠

怠ること。なおざり。過失。とが。ておち。
緩急 という言葉は使うとしても 緩怠 はまずないなあ。
そもそも、、緩怠=カンタイ という音で 叱責されるとした場合
叱られる側にその語彙を理解できるとは到底思えない。

難しい言葉は知っていても使えない、
知っている知識人の知識や語彙が
無能者によって駆逐される典型例だなあ。