2015-06-30

持久

粘り強さ、、という精神面。
疲労への抵抗力という身体面、
持久という言葉にはいろいろと使い方がある、一種の多義語といえる。

ただし、持久力があるという評価は正当な評価といえないと僕は結論付ける。
持久力があると言われることは
いう側の管理能力不足
言われる側の改善能力不足
という言葉に置き換えられ、プラスというよりマイナスに感じられる。

持久力を評価する前に
現状打破について言及をしなくてはならないことを
忘れてはならない。

2015-06-29

充電

電気を貯めること。
最近は転じて、
稼働せずに次の仕事のために休んでいることをさす。

僕も充電期間を長くとってしまったことがあるが、
本当に充電とはよく言ったとので、
充電しすぎると過充電で蓄電機関が壊れかねなく、
以前のようなパフォーマンスが出せなかったりする。

適度な充電が正しく
十分な充電は、ある意味、放電以下の結果になってしまうと
思うと、休むことも考えなくてはならないかなあ。

2015-06-26

朴訥

読めるだろうか?
ぼくとつ という言葉だ。
では、ぼくとつ ってどういう意味だろうか?

質朴で訥弁であること。かざりけがなく、口数が少ないこと

ことなのだが、
読みも意味もわからないまま
現代日本人は使っていると思ってならない。

2015-06-25

店頭

店先、
ある意味、展示、ディスプレイとなり、
その店の扱っているものそのもの、象徴ともいえる。

現代社会、
店頭というものの価値、存在が変わりつつある。
店舗そのものが必ずしも物理店舗、売り場である必要がなくなったこと、
生産される商品が希少化、事前情報化、そのものが情報化されて
実物を店頭で展示することができなくなってきていることによってである。

ビジネスが変わり、
ライフスタイルが変わりつつある現代。。
いや、いつも変わり続けている社会であり、
その流れが売買現場、店頭という概念に波及されてきたというだけともいえる。

2015-06-24

増員

人手が足りないことを説明しろって言われるが
それって、実に無駄かつろくでもない行為だと思う。

人手が足りないことを説明するために準備する工数、時間
そして、それを説明して出てくる結果はほぼそれ以上に人手をかかる結果を導くからだ

僕からすれば人手が足りないという事実を知る方法は
ヒアリングではなく、その現場の実情をするべきであって、
説明なんかどうでもいいと思う。

人手が足りないのは人の問題ではなく、
その現場の問題である。

現場そのものをどうなっているかであって、
増員すればいいという安易な発想をだす輩は
人の上に立つ必要はないと言い切れるし、
実際問題、増員という言葉は失敗した代名詞だと思う。
増員という言葉になるではなく、組織分割、組織統合、
役割変更などが行われて、結果的にヘッドカウントが変わるわけであり、
増員という話ではないといえる。

どうも、現代の管理職の質が僕には低く感じてならない。

2015-06-23

総力

集団・国家などの全体の力。また、あるかぎりの力。
僕が思うに総力を出し切ることとは、
いろいろな意味でダメだと言い切れる。

総力の反対の意味を僕はゆとりと考える。
ゆとりある行動なくて、各種対応はできないといえる。
そこに総力を使うということは、次もしくは不測の事態への対応を捨てるという意味しか
感じられない。

そこまでして、力を出し切るのはどうだろうか?
時間は続く。その時点でどうであっても次の時間を意識した行動なくして
存在意義を見出せるだろうか?

もし総力を出し切るなら、
それは知恵のほうであるべきだといいたいがね。

2015-06-22

理念

ある物事についての、こうあるべきだという根本の考え。
聞こえ方はかっこいいが、それって偏見に他ならない。
価値観どころか、正しさも曖昧な現代社会。
自分の理念を掲げるということは
それは自分が偏見の塊である立証でしかないといえる。

しかし、この事実に多くの人が理解してないから
自分こそという意見を理念として打ち出して抗争をまねているのが実情。

理念という概念を否定してこそ、
これからの考え方だと悟ってこそと思うがね。

2015-06-19

仕掛

工業簿記または企業会計において、製造途中にあること。
ある意味、材料でもなければ、製品でもない。
曖昧な状態であり、一瞬あり得る姿といえる。

しかし、一瞬ということ、そして何でもないものは物議をかもすものであり、
そのときはすでに材料ではなく、買ってもらう前提で作り始めたから
飼い主のものだ、いやちがう。
価値は材料に付加価値がついている。いや違う。

など、いろいろとね。

一瞬しか存在しないのに、
いや一瞬だからこそ、いろいろと論議がつきない。
それはあたかも、UFO,幽霊の存在のように
永遠に決着のつかないの論争のネタなんだろうとね。

2015-06-18

狭窄

すぼまって狭いこと。また、そのさま。
基本、人間は他人を狭窄とみている。
簡単なことさ、自分の視点どおりに相手が見えていないことは
相手が視野が狭いと認識するのだから。

その認識もまた狭窄なのだが、
動物は自分で自分を見ることはできない。
見ようとする認識ができるのが知的レベルが高い動物だけのようだ。

狭窄の論理から考えると
自分すら見えてしまうくらいの視野であるということは
人間を超えた存在、神ということになるのだろうか?

論理の世界と精神論は共存できないのが常だが
狭窄の概念がその2つのねじれの位置の関係を
緩和させるものではないかと哲学的に考えてしまう。

2015-06-17

誰得

現代の造語かもしれないが、
現代の熟語とて、福沢諭吉、西周が翻訳で作り出したものが多いのだから
この言葉もすでに熟語といってもいいだろう。

誰が得をするのか?反語的に使われるが、、、
この言葉が使われるときの多くは
その発言をさせてしまうようなことを
述べている側の思い込みに起因している。

誰得でおきる思い込みって
その発言立案者の名誉欲
そして、社会は自分の思うとおりでないでならない先入観
で成り立っている。
それゆえ、
「俺がお前らのためにやってやっているんだ」
という意識そのものが誰得そのものだといえる。

現代人、
結構、こういう人ばかりになっている。
小さな親切、大きなお世話 どころではなく
身分関係なく、俺がやっていやるっていう発想で
社会に大きく迷惑をかけていることのほうが多い。

人手不足といわれるが、
無駄なことをする人間が増え
それゆえ、後始末が面倒で人手が足りないのが事実である。
だって、基本的なルーティンはもう人手というレベルではなく
ほぼオートメーションで出来てしまうからだ。

誰が得するんだよ、お前の行動。
その真の意味は、無駄な人口増ではないだろうか?
自然淘汰が進まないのは、社会、地球悪のような気がしてならない。
誰が得、、地球規模で考えれば存在しないことこそ、、かもね。

2015-06-16

分業

複数の人員が役割を分担して財(モノ)の生産を行うこと。
しかし、現代日本において分業は成り立たない。
なぜなら、分業する側、される側の認識がかみ合わないから、
外国、欧米のブルーカラーであれば、
ユニオンが成り立ち、同スキル間での分業が成立する。

しかし、日本のおいては
ユニオンではなく、同社内で同スキルという概念ではなく
強引に分業が行われる。根拠なき分担指示だ。

根本は、いつものようにできない輩への補填なのだが、
補填扱いだけに、既存のバカが残る。

バカは分業されて暇になり、それを管理とか言い出し始める。
補填できた側は、そのバカに付き合わされるので、
分業しているつもりがそのバカの面倒でかえって負荷が増える。


根本的に日本の管理という概念が壊れているとか言いようがない。

2015-06-15

手記

自分の体験やそれに基づく感想を自分で文章に書いたもの。
広義で考えると、ネットにあふれている多くの文章は
これにあたるような気がする。

人間は言語で意思疎通する動物である。
言語は、発声と識字で伝えるので、
手記は識字側に当たるものといえる。

ネットの普及で
気軽に自分の意思を書き残し、閲覧できるようになったが、
その分、読み手に伝わるどうかはなかなか難しくなっている。
まして、気軽だけに、推敲が減り、知悉かつ文章になっていないような文というか
文字があふれているだけに、手記というものの価値は低下しているといえる。

書き残すものが気軽になればなるほど
重みが失われている現代。
そもそも、他人に意思疎通をすることへの価値が本当に必要なのかどうかすら僕には怪しく、
手記などの私文書の意義ってなんだろう。

このブログも考えてみれば、目的、重みが薄れてきているかもしれない、
少し見直すべきか、、

2015-06-12

招聘

礼を尽くして人を招くこと。
のはずだが、気軽に他人をアサインさせることに使われはじめ、
そして、招聘しているのだからとまで言い出す
無能な管理が始まる。

招聘における無能管理に対して
例えは悪いのだが、下記の例が挙げられる。

人間のパーツ 腕、足、内臓などを
すべて集めてつなげても
人間は動き出さない。
心臓が動くというより、
何か魂みないなものがないとだめである。

いくら人を集めても
魂というか、その存在意義になるもの形而上な存在がなければ
ただ人が集まっているだけになっていまうのである。

人手不足とかいいだすが、
就職率、失業率から考えれば
人手がないわけではない。

使える存在、強いて言えば
魂をもって自発的に利益貢献ができる人が欲しいだけなんだが、
そういう人ほど、
本当の意味での招聘をしないと無理だといえる。

大量募集
めぼしい人材なし
また大量募集
人材は釣りじゃないんだから、、それでは、、、

2015-06-11

親元

親の家、実家。
最近思う。
核家族化が進んでいるといわれるが、
独立しないで親元にずっといるパラサイトシングルが多いといわれている。
これって、核家族の進行が止まって新たな家族形態の進行ではないだろうかって思う。

親元についての考え方は時代とともに変わっている。
~長男以外は親元を離れて独立すべき
~核家族化による家族意識の希薄化、老人の孤独死
~いつまでも独立しないですねかじりのパラサイトシングル
、、、、
親元を残ってもダメ、離れてもダメな社会風潮が多く、
何が正しいかわからない。

そもそも論でいえば、
親元発想は人間くらい
そして、血族への意識は各国にいって違い
日本みたいにころころ変わらない価値観である。

切っても切れない親子の縁かもしれないが
個々の別の生命体という地球規模の視点でもれば
親元をどうとらえるかなどどうでもいいことかもしれない。

2015-06-10

恩恵

恵み。いつくしみ。
うーーん、恩恵ってなんだろう。

精神的なものや行為に対して使うことが多く、
ある意味見えないものに対して使っている。

目に見えないからこそ、
その恩恵というものを実感できないことが多く
形而下、物量社会の現代では理解しづらいものだろう。

でも、恩恵をうまくビジネス、、教育に生かせるようになれば
人の忠誠、やる気が育成できるのにって僕は思う。

それをどう考えるかが、僕の命題かな。

2015-06-09

葛籠

漢字で書くと難しいが
これは、舌切り雀に出てくる つづら である。

葛のつるや竹で編んだ箱のことだが、
それを見ると思う。
昔の人は、学はないかもしれないが
器用でかつ才能に長けていると感じた。

だって、この葛籠を各家庭で編んでいたのだから、
現代人では到底無理なことを平然とやっていたと見受けられる。

情報化社会
生産の効率化で
人は知識、考え方のレベルは高度化したが、
モノづくり、手作業においては
日本人は退化したのではないかと思ってしまう。

2015-06-08

怨望

うらみに思うこと。
妬んで、相手を追い落とそうとすること。
噂によると、福沢諭吉翁が勝手に作った造語らしいが、
今では一般語なのかもしれない。

日本の価値観ならば
怨望を抱くくらいなら、
それ以上に、自分を磨き追い抜けばいいと言い出す。

しかしだ、
会社、経済、、、そして政治をみても
怨望のよる足の引っ張り合いしかない。
それが人間の本質だと思う。

怨望を持つなっていう胡散臭い言いようはやめて
怨望を他人に抱かせる、もしくはその怨望を認め、相手を追い落とす策の一つに
価値観のある副産物を求めるような指導こそ、現代人として人間味のなる指導ではないかと
強く思っている。

boys be envy

少年よ、怨望に向き合え。

2015-06-05

業務

日常継続して行われる職業上の仕事。

でも、本来の意味は
カルマの務め、
カルマとは行為で生じる罪悪のことであり、
業務とは
自らの行いで生じる罪への務めと読めてしまう。

なんか、悲しいな。
仕事をすることって。
まー、経済という概念ないときに生まれた言葉、業務というものであり
一概に発祥起源に合わせた理解でなくてもいいのだけど。

2015-06-04

品定

人や物の優劣やよしあしなどを批評し判定すること。
ある意味、上から目線である。

品定めができることは供給過多の状態といえ、
ある種、飽和な経済、社会状態といえる。

しかし、この品定めの感覚が現在、悪い方向に向かっていると思っている。
品定めできる立場ではない人間が分をわきまえず
品定めをしていることが目立つ。

「これで嫌だ、もっといいものをもっと安く」
「自分はこんな地位のはずはない、もっと好待遇であるべき」

という事象が目立つ。
自己主張の本質、品定めのTPOをわからずに
この手の事象が目立つことは
あり得ない供給の要請
必要としない需要の容認
という市場経済が成り立たない結果がおき
経済をゆがめているということになっている。

~人手が少ない
~価格が見合わない

などいろいろ言われているが
そもそも市場が成り立っている条件が狂っているのではないかと常に思ってしまう。

2015-06-03

始末

 物事の始めと終わり。始めから終わりまでの細かい事情、または成り行き。いきさつ。
ある物事の最終的な状況。特に、よくない結果。
基本、滅却に該当する用例で使われるものといえる。
ある意味、自分でまいた種の刈り取りという意味であろうか?

外国語によっては、単語に性差があるように
日本語も同じような意味に対して、陰陽が見え隠れする。
この始末などは意味合いからすれば、陰に属するような。

その点について、なかなか言及されないのは
日本人の感覚が鈍感なのか、それを理解することができないのか?
まー、こういう言語学はなかなかフォーカスされないから
実際には誰かが研究していたかもしれないのだが。

2015-06-02

片付

物を、適当な場所にきちんと入れ納める。

この言葉の定義を理解すると、
部屋が荷物であふれているということは
狭義の意味では、片付けができないのではない。
だって、入れ納めるところがないのに手に入れていることであり
片付けと関係がないないといえる。

現代日本人は
都合のいいように言葉を変えていることが
よしとしながら、それでいて正しい日本語とか言い出すが、
この片付けのような使いかたを異化させたまま使い続けることが
元来の意味を分からずに、おかしく伝播していくことになることが
正しい日本語とは程遠いということが今の日本人には
そもそも、正しい日本人という定義もないのだから、
この混沌としたことが日本と定義できるのではないか。

2015-06-01

賞味

食べ物のおいしさをよく味わって食べること。
賞味期限とは
劣化が比較的遅い食料品を包装状態のまま所定の環境に置いた状態で、
製造者が安全性や味・風味等の全ての品質が維持されると保証する期限を示す日時であり、

賞味を本当に考えたら、新鮮なものほうがおいしいはずだから
製造年月日であるべきだが、
アメリカに脅されてこうなっている日本の弱さを感じる。

基地問題、貿易摩擦とか
いろいろとアメリカとはやられ放題のような気がする。
それなりの理由があるからこそだと思うが
言われるがままではなく、
こっちのほうが優位を示して支配的にならない限りは何やってもダメだと思う。

そう考えると、
食の味など本当の意味での本質取り戻すためには
やはり、武力とか力が必要だと思うなあ。