2014-05-12

根拠

現代社会、、根拠の根拠たるところがブレている。
僕の経験から
「君の言っていることの根拠は?」
と問われ、自分なりに答えたら
「そんなの根拠ではない!」
と言われた。

対して、その人の示す説明についての根拠について
僕から
「根拠の説明になっていませんが、、」
と答えた。

彼と僕とでは、二度と話すことは無いと思う。
なぜなら、根拠というものは価値観の共有が前提であり、
共有できない以上は互いに根拠として認められないからだ。
根拠以前に、、互い存在自身を認めていないからどうにもならない。

現代社会は価値の多様化が認められている。
ということは、自分の思っていることでは相手を納得させることは難しい以前に
自分が相手の価値観にあわせるという工程、思考の準備が必要になる。
しかし、自分の価値観=アイデンティティである以上は
それは困難というかありえない工程になっている。

万人を納得させる根拠という概念で考えるからこそ、
万人にうけない欠陥品になる。
いっそ、根拠という概念を捨てるべきだといえる。
実際問題、根拠ないものが売れているし、
その売れたことにバカどもが持論をあとづけするのだから
根拠などは愚者の発想でしかないかもしれない。

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