2020-12-29

虚報

内容が事実でないしらせ。
「噂やデマに騙されないように」
と人は言うがそもそも自分の目で検証しない、出来ない人間の情報は
すべて虚報と思うべきだ。
なぜなら、当人は真実と思い込んでいることも
誰かからの情報であり、その多くは又聞きであり、その伝言ゲーム中に
いろいろと捻じ曲げられていることが多い。
そして、その思い込みを伝えることで、また虚報が拡散する。
今はSNSで一層早く広がってしまうが、
こんなこと、昔からあったし、それが教科書レベルの虚報である。
例えば
・電流はプラスからマイナスに流れるというが、電子はマイナスから
・武田信玄、足利尊氏のよく使う肖像画は、畠山義続、高師直
僕からすれば、虚報のまま現在に至り、未だにそれを行政レベル行っている。
人物論でいえば、21世紀の現在の認識でいうと
聖徳太子、織田信長、坂本龍馬は
現代人が思うほど大したことはしていない、いや口伝の実績は残っていないものが多い。
これは小説、ゲームの影響であると
まーー、人間の歴史の多くは事実と異なる口伝による虚報なんだろうけど。

2020-12-28

情感

人の心に訴えて来るような感じ。
???
感情と情感、、、どう違うの?
感情は自動、主体に
情感は他動、客体に
って言えばいいかな?
感情は状態、自分の視点な表現。
情感は訴求、他人に影響を与える表現。

漢字を逆転にさせた熟語で意味がちょっと違うというものを
どう説明すればいいか、難しいものだ。

2020-12-25

会釈

軽く一礼すること。
現代社会、挨拶もできない人間が増えているどころか
挨拶することに対して、文句を言い出す輩も出てきた。
同じ地域、建屋の住民が挨拶したことに
「不審者から声をかけられた」
「私生活に干渉しないでほしい」
だの言いだしている。
ましてこの手の見解を個人尊重という社会にまでなっていて
社会的常識が通じない輩を社会が擁護するという社会破綻している。
これに合わせて、自分もそうべきという思いもあるが
道義、価値観から同調できない自分としては最低限のアクションである
会釈に務めている。

非礼にならないように、ただし深く干渉しないようにするために
会釈をどううまく使いこなすかが、
New Nomalでの社会人マナーと天眼でみえているからね。

2020-12-24

太客

水商売などで多額の金を使う客を指す隠語・業界用語。太っ腹な客。
もう過去の表現になってしまうのかな?
COVID禍において、飲食、接客業への営業規制が目に映るが
実際はその前から、
企業交際費削減、
飲みニケーションへの否定、
アフター5は個々人趣味化
が進み、会社同僚での飲みが激減している。

逆に太客という概念が特定の趣味にお金をかけているマニアに当てはまる表現に
なってきてるかも。

2020-12-23

豚汁

豚肉と野菜を煮込んで味噌で調味した日本の料理。
具が多く、豚肉が入っている味噌汁の一種。
「おふくろの味」というものがあり、
子供のころに食べていたものを懐かしむところもあるが、
豚汁と聞き、味わうと「おやじの味」って思う。
亡父は決して料理を得意とする人ではなかったが
母が病、外出したなど、自分や僕らに食事をさせるために
料理をするとき、決まって豚汁だった。
ある意味、雑煮(ざつに)であり、技巧のある料理ではないのだが
なかなか幼少期からの味の記憶が残っている。
それは母の味、市販の味とも違うと思っているのだが
その当時、自宅にあった食材、調味料から考えて
違いがでるほどの味になることはないと科学的に悟ると
それは当時の味覚の記憶における「おやじの味」ということだろうか?
って思ってしまうがね。
寒くなり市場に豚汁がでる度に、亡父を偲んでしまうのは
親不孝か、それとも新しい供養かってね。

2020-12-22

会合

あつまり。集会。
この行為がここまで評価逆転したものはないだろう。
昨年まで定説のごとく
「人とのつながりが重要、会わないで済ませるなんて人間としてどうか」
「休日に自宅にいるなんて、なんて不健全」
と言っていたが、今日では
「まず他人に合わないことが重要、複数人で対面なんてもってのほか」
「まずは自宅にいること」
となっている。
偽善的な表現を毛頭する気がないのでいうが
ガジェット好き、在宅主義、人間嫌いの僕からすれば
この環境変化はCOVID経由かもしれないが、でもあるべき姿になったと思いたい。
一極集中による収入格差、集団活動でのいじめ、慢性的な交通渋滞など
あらゆる課題が気づかぬうちに解消されているのだから。
人が集まって会うことが必ずしも正ではないということに気づき始めたのかな?

2020-12-21

誌上

雑誌の誌面。
雑誌の記事、記載にある内容のことである。
紙メディア前提のい言葉であるので、ラジオ、テレビではこの表現は使わない。
しかし、、雑誌の電子化ではこの表現で違和感がない。
けれど、同様な内容でもWEB記事、ニュースだとなんか違和感が、
同じ電子媒体なのに、、、この先、新たな表現語が出てくるのかなあ? 

2020-12-18

接点

関わり、繋がり。 数学的には幾何学的な対象が一次の接触を持つ点。
接することはいろいろな事象の起因になる。
その接点発生機会が社会制度、COVIDによる衛生問題、そして個々の価値観で
ぐっと減ってきている。
これに対して、不安、危惧を抱く人も多いが
発生事象が必ずしもプラスとは限らない。
むしろマイナスになりやすいのではって僕は感じている。
接点を持つために準備、メリットを意識しているかどうか
偶然、思いがけずなんてことを夢見るのはどうだろうか?
漫画、アニメにあった
遅刻しそうなときに食パンをくわえて走っていると
道角で運命の人にぶつかるなんてことはなく、
ぶつかったら事故、互いに罵声に変わるのが現実なのだから。

2020-12-17

原価

商品をつくるのに使う一切の費用が、製品の単位当たり幾らになるかを計算値。
原価に利益を乗せて売る値が販売価格となる。
日本人は原価を原材料費と思い込みことが多い。
しかし、メインは人件費である加工、管理、運送費だったりする。
その原価が高いと言い出すが、、、、
それって、人間の価値が低いって言っていること
そして、他者の活動を評価しないという無礼な言動である。
そして、それを真に受けてその人件費に手を加える企業がブラック企業になる。
つまり、
日本人の原価認識の悪さ、値引き発想がブラック企業を生んでいる。
「もっと安くしないよ」「この会社ブラック企業なの?」
ってまーーよく言えたものだ。

2020-12-16

売値

売り手が受け入れる価格。
買い手はできるだけ安く買いたいと言い出し、それを消費者の声とか言い出す。
しかし、安くすればするほど、売り手側が苦しみ、その結果がブラック企業とかを
生み出し、経済循環を悪くする。
売り手サイドから見ると
100円で販売と120円で販売とあった場合は
「20円高く売れた」
ではなく
「20円分、払ってくれない客だった」
という認識を持つ事実を意識するべきだ。

消費者志向で成り立っているような今の日本。
その発想でいるから、企業価値や新しいワクワクするサービスが出ずづらいのでは?


2020-12-15

牛耳

集団などを、中心になって支配する。
由来として、古代中国では諸侯が集まって同盟の約束を結ぶ時、
牛の耳を切り落とし順番にその血をすするという儀式があり
血をすする順番は地位の高い人から、すると最初に血をすするのは盟主、
つまりその集まりのリーダーであって、この人が最初に牛の耳を手に取ることになる。
しかし、、この諺、、現代中国人には通じなかった。
その中国人がエリートか農民工上がりかは別として
その知識がなかったことは事実。
つまり、故事成語はそのもととなって中国では通じなくなっていて
すでに日本の文化になっていることを日本人はどれだけ気づいているのかなあ?

2020-12-14

縁起

他との関係が縁となって生起するということ。
縁起のいいものを身に着けるとか日常使いのある言葉である。
この縁起、科学的、非科学的なものが多い。
非科学的なものでもそれを否定するのはどうか?
ある意味、信仰の自由のひとつでその縁起を信じることで得られるもの、
精神の安定につながるなら、その効用は認めざる負えない。
縁起を担ぐという行為はある意味信心の現れ、宗教活動のようなものだなあ。

2020-12-11

遊興

面白く遊ぶこと。遊び興ずること。特に、料理屋・待合などで遊ぶこと。
現代社会でこの熟語を使うときは
経費計上か、遊興費として計上かというときかな?
行為が同じでもその結果、目的でその扱いが異なり
国家行政に認めてもらうかどうかとなる。
人によってはなんでだよって言い出すことになるが
自分の行為を他者に説明する必要性があるのが現代社会だ。
その説明の納得性さえあれば、、、、
逆に言えば、現代人ってこの説明に対して基本懐疑的であることから
すでに性悪説前提で他人を信じないことこそ国家根幹だということを悟れば
割り切りと自分の行為は基本他者には受け入れられないものだってわかるものだ。

2020-12-10

積上

物を高く積みかさねる。順々に物を積んで高くかさねる。
その有様から、今では未処理事案が累積していることを指す。
自分自身は積み上げになることを不快に思うので
できるだけ未処理状態を回避しようと心がける。
それはある意味、スケジュール管理を無視していると思うことになるのだが
結果的に受ける評価は、仕事が早いになる。
積み上がるの反対語が早いって、、日本語ってやはり難しいなあ。

2020-12-09

握手

挨拶として、相手の手を自分の手で握る行為。 
比較、万国共通のボディーランゲージだったのだが、
このCIVID-19でこの行為が否定された。
いろいろな意味でCIVID-19は常識、日常を変えてくるものだ。
たかが握手、それど握手。
外交の一番初めの挨拶を見ていると無難な握手ができないので
拳を出す
腕をぶつける
相手を拝む
などの行為が見受けられるがそれは他国からすれば
交戦の意思
死者とみなす
と行為になるから、今後の誤認識がありそうな雰囲気だ。

2020-12-08

逼迫

追い詰められて、ゆとりがない状態になること。
逼迫をひっ迫って表すのはどうだろうか?
常用漢字というが常用英単語がないので
アクセプタンスとアセスメントなど
説明できない英単語をどんどん使っているこの昨今に
常用漢字縛りってなんなんだ?
母国語表現を抑止して、外来語を多用する国家ってバカらしくないか?

2020-12-07

一皿

食べ物を出したり食べたりする皿。ワンプレート。
しかし、皿そのものを指すのではそれに乗っている料理のことを指す。
逆に、その皿と言いたいときには、一枚の皿となる。
英語言えば、a dish となる。
日本も英語も強調したい物体のためにあえて周りのモノでそれを表現するのは
言語の特性なのか?

2020-12-04

常套

ありふれた仕方。
お約束の行動、仕草であるが、
個人主義の現代社会、この常套句概念が通じないことが常套になっていないか?
自分では常套なことと思っていても
他人からすれば、異常な行動とみなされる。
こういう状況をみることが多くなってきているが、今ではそれ以上に
自分の常套さを前提に
「またここにも当たり前を理解できないバカがいるなあ」
って言い出している輩も多い。
見ようによっては自身が異常なのだが、
自分の世界が当然でそれ以外を異常とみなすことが
この考え方をする当人の常套手段となっていたり、、
なんか個人主義の考え方って結構危ない結末を迎える兆しを感じる。

2020-12-03

政局

政界のなりゆき。さしあたっての政治の情勢。
政治ジャーナリストと言い張る人がいるが
結局、政局ジャーナリストで政治家たちの噂話や愚痴で民衆を扇動させているのでは?
政治家ではないので責任を取ることはないし
自分の思い込みをとある幹部の意見とか言い出していもいる。
民主主義ゆえにこういうおかしな職業が当たり前のようにあることは
許されていいのか?
結局、愚民の愚民による愚民のための政治が民主主義で
何もよくならない、それを政局観点でいろいろな情報を錯綜させて
よりおかしくなっているのではっと現代民主主義に破綻を感じてならない。

2020-12-02

善良

善良な市民、、という言葉がある。
現代日本において、多くの人が自分はその範疇だと思い込んでいる。
しかし、
どこが善良か!
どこが市民か!
って見下してしまう。
市民という名詞にかかる善良とは庶民が思っている思い込みのいい悪いではない。
市民の定義は政治的主体性の構成員である。
ただ成人して選挙権を与えられた庶民ではない。
その定義における善良とは国家、治安に貢献していることである。
権利を主張したり国家から搾取するだけの存在は善良とはいい難い。
国家貢献のために自ら行為、権利を提供することがない現代
において市民はいるだろうか?

ただ、王権神授説に基づく市民であれば
王は神に国家安泰のために、民を生贄にすることは
国家貢献している市民だったりすることも過去にあり、
この考え方もまた現代庶民にはわからないだけに善良さの理解は難しい。

2020-12-01

猟虎

漢字で書くととても強そうな命名だが、、海のあのラッコである。
名前負け感もあるが、どうも自分と同族感、親近感を感じてしまう。
ラッコと表すから、英語かな?って思うが
英語ではsea otter 海のカワウソ となる。ある意味 海ウソということか。
いろいろな意味で、ラッコの命名は変だなあ。