転じて、物事のきっかけ、手がかり になっている。
多くの人が勘違いしているのでここに言いたいが
糸口となるようなことは論理的なものではない。
逆に、論理的ではない着眼点だから糸口になるのであり、
糸口から論理的、分析的に展開できるものである。
最近、多くの人間が学がり、論理的に考えている。
でもそれって、僕からすれば危ないし、無益、、いや有害だといえる。
各位それぞれが、論理的といいだすと、自分の論理が正しいという立証ばかりになり
本質を見失うからだ。
いろいろな事象の糸口ってそんな崇高な頭の良さではなく
日常のふとしたことに気づける感受性の高さ、広い視野であり、
論理や熟考を超えた世界に気づくことである。
糸口なんてものは、凝り固まった感覚ではなかなか見つけられないし、
それを見つけても柔らかい感覚でないとほどけないものだから。
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