本当の意味での師走は3月ではないだろうか?
進級、卒業、などの準備等で忙しくなるのは
12月より、学級年度絞めの3月のほうだと思う。
言葉として、成り立っているが
それが時代の流れで本質を見失う言葉について、
考えなおすことはしないのだろうか?
当たり前、今までどおりが許されない時代になっているだけに
日本語の有り様についても考えるべき、
そこにもしかしたら、 新しい可能性やいろいろな糸口があるかもしれない。
このブログを書いていて、
いつも熟語というもの存在意義を感じながら書いている。
使っている言葉の意義どころか
真意を全く理解しないまま使われていることが多い。
正しく使おうという警鐘を鳴らす気は毛頭ない。
正しさより、なぜこう変わったのか、
日本人はどういう傾向があるのかを自分なりに考えることが
結構有意義と思ってならない。
もしかしたら、この熟語が僕の師であり、
僕の思考を走らせているのかと感じながら、
今年を終わろうと思う。