2019-01-31

神官

国家の官吏として、何らかの神に仕える、
または神を祀る施設に奉職する者のことである。
現代国家では神官はいないと日本人は思っているかもしれないが、
回教を崇拝する国家などは神官は当然の国家公務員扱いだ。
どうも、日本人は宗教というものの認識、尊厳が弱い。
神を信じない者は信頼できないとグローバルな価値観があることにも狭量だ。
こんなマインドで外国人労働を受け入れて大丈夫か?
逆にこのマインドで欧米ではない神官のいる国家でうまく立ち居振る舞いできるのか?

2019-01-30

水菓

果物のこと。
この熟語って面白く、菓子って言葉はもともと果物のことだった。
果物=甘い物から、砂糖などの甘味をつけた食物を総称して菓子というようになった。
ではもともとの果物は菓子と言えなくなくなったので、水分をもつ菓子、、水菓子、水菓と呼称している。
本来の意味が広義になり、もともとの意味を明確化させるために新しい呼称を与えること、人間が他人、社会とのコミュニケーションを行う言語ではよくあることだが、それゆえ、コミュニケーションが悪くなる原因でもあるなあ。

2019-01-29

妖怪

日本で伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在。
昭和の時代、妖怪をモチーフにしたメディア作品は恐怖を煽るものだった。人間ではどうしようもない、人間が抗うことができないものへの恐れ、哀れみを表現していた。
戦争の爪痕、人間の残忍さを暗喩させていたと思う。
しかし、平成になってからの妖怪を登場させるメディア作品に恐怖を煽るものが減った。というより現代人の愚かさや忘れていしまった道徳を妖怪が再考させるものが実に多くなっている。
妖怪ってものは、ある意味人間の写し鏡かもしれない。
残忍さの投影だったものが、今では人間らしさを人間に教えるための存在になっている。人間ではない存在を通じて人間らしさを考えさせられるようになっていることに悲しさとそして畏敬を妖怪に感じてしまうのは僕自身の人外性ゆえか。

2019-01-28

骨抜

文字通りの魚・鳥などの料理で、骨を抜き去ることから転じて節操や気骨をなくさせることや計画・案などから肝心の部分を抜き去り、内容のないものにすることが今の意味になっている。
でも思う、骨って何だろう。
現代社会では価値観、集団的方向性が人によってバラバラであり、そのうえ他人の価値観を否定するもできれば、その否定への抗弁もできるので統一が図れることがない。だから自分の思う骨は他人にとっては些末なものとみなされてしまうことも多々ある。
自分にとっての骨を押し通して和を乱すか、それもポリシーないように思われてしまうか、どっちにしても現代社会、何が正解がわからないからこそ、必ず他者から批判、避難は回避できないんだろうな。

2019-01-25

札付

悪評が知れ渡っていること。
この認識って前近代的と感じないか?
テレビの普及で、法を犯したものは全国区で顔をさらされるどころか
近年のネット普及で、
疑わしいだけでも悪者呼ばわりして、素性や顔写真が世界中に配信されてしまう。
個人情報なんて有ったものではないって思う人が多いかもしれない。
でもね。テレビ普及で報道されても数日後にそのニュースがあったことなど誰も覚えていない。
さらされるネットの情報が膨大すぎて、その個人情報すら他者には相手にされない。
情報があればあるほど、人間は興味を示さなくなるものだ。

札付きの悪というレベルで悪名を届かせたとしても
一地域、一知人の間のローカルな情報でしかないものを
全国区、世界中に配信したところで、インパクトなんかない。
札付きという表現、ただの名札ワッペンに過ぎない評価でしかないね。

2019-01-24

帳記

一般には他人が読んでも構わない程度の個人の感想や意見などを記載する。
ノート、メモに当たるもの。
現在、ITディバイスのコモディティーにより筆記用具がなくても雑記できるようになっている。そして、情報配信の容易化により、SNSで雑記を簡単に公開できるようになってもいる。
ちょっと思うが、雑記をする目的ってどうなの?
一定の考えの結果を表し、その考えを他人にも自分自身の目に公開することでよりよい見解を得るためではないかと思っている。だから、あまりにも無知、無責任な雑記ってそれこそ公開すべきではないと思うし、それ炎上するからと言い出すのは、どうなんだろう?

2019-01-23

敗戦

戦争に負けること。
世界中、平和と言いながら戦争をしたがる事実をどう考えるか?!
戦争をさせないという戦勝国の論理は負けた国を永遠に敗戦国と言い続けることを許すことに感じてならない。戦争を知らない世代は、戦争に苦しさを知らないというが、それは敗戦の経験であり、日清、日露のときの日本は今のアメリカのように勝てば官軍の価値観でなぜ戦わないのかって言っていたと聞いている。
21世紀になっても、敗戦国、戦犯国と言われ続ける日本。
この認識を回復させることがないと国際的な発言権を得られないだろう。
戦争反対っていうことでバカにされ続けること、、本当に容認し続けるべきか?
それにより血が流れる、、でも血以上の苦しさから解放されるのではって本気で思うこともある。

2019-01-22

人助

他人を助けること。
僕はつくづく思う。人助けなんかするものではなく、
自分に都合のいい行為を行えばいい。
~なんて非人道的な意見なんだ!
って言われるかもしれない。
しかしだ。
困っている現代人はその原因と支援結果を理解できない。
~困っているのは自分のせいではない
~他人が助けるのは当たり前
と思い込んいる輩に人助けを行ったとき、
感謝を受けるどころか
~なんであれを助けない
~人助けするならここまでやるべきだ
~人助けをすると言ったのに、それだけか
って支援を受ける側として信じられない発言ばかりをし始める。
やっても文句言われるなら、損しないしないほうがましだ。
この考え方、、結構賛同を受けている。
そもそも、この国は社会主義ではなく、資本市場主義だ。
タダで偉そうにサービスをもらえるという福祉が成り立っていることがおかしい。
それなりの金を支払ってサービスを購買しろ。
それでこそ、win win の対等の関係であり、人助けに価値が成り立つのだから。

2019-01-21

補助

不足しているところを補い助けること。また、その助けとなるもの。
だから主が存在しての副の存在である。
しかし、どうも社会、ビジネスでその概念が壊れているような。
時短
効率化
IT活用
コンサルティング
AI導入
などは、主たるものが何であり、その目的達成のために使われる手段のはず。
でも、その補助たる活動がビジネスと考えて、補助をメインにした表記や活動広告がやたらと溢れている。
何が補助で、その補助のおかげでどれだけ主が利を得たかを考えないどころか、補助ばかりの効能を争う発言が多いのはどうだろうか?

2019-01-18

人倫

人間生活の秩序つまり倫理の中で踏み行うべき規範の筋道(の立て方)。
日本においては、日本人としての規範であることを理解しないとならない。
これから、外国人労働者を受け入れる。
頭数、仕事の役割、で考えているが、倫理観は大丈夫なのか?
倫理観は各国どころではなく地域、生まれによって異なる。
だから、
当人の当たり前が他人の非常識
当人の些細が他人の逆鱗
なんてことはざらにある。

倫理観は治安に影響することなど、僕の神瞰から当然だが
たぶん、これからの倫理観で国内外で大きな事件、国際問題が多発、深刻化するだろうな。

2019-01-17

毒蛇

毒を持った蛇。
毒を持った危険な動物という認識かもしれない。
しかし、それって人間視点であって
蛇からすれば人間だって同じではないか!って思うかもしれない。

蛇には口腔、胃袋の概念がない。
人間なら口腔には唾液、胃袋に胃酸がある。
唾液、胃酸って食物を消化させやすくする酵素であり、
肉などがそれに触れれば、溶け出す。。。。
それって、、、、つまり蛇の毒そのものである。

蛇は消化酵素を食べる前から捕食する対象にかけているだけである。
それにより、いざ丸呑みしたときの消化を促進させることができるから
蛇とて丸呑みした瞬間は無防備であり、そこの状態を捕食しようとする
猛禽や大型爬虫類もいるらしいので、できるだけ早く消化させたいのである。

蛇が危険というが
蛇という動物の生態からしてそれが捕食の方法ということも
理解してあげてはどうだろうか???
だから、蛇の捕食対象になるような行動をしないようにするのが
最良の行動選択だと思うがね。

2019-01-16

運行

 電車やバスなどが決まった路線をたどって行くこと。
日本の公共交通機関は路線どおりに走るどころか、定時運行ができている。
これって、日本にいると当たり前だが外国に行くとそう上手くいっているところは少ない。この定時運行は、国民性、設備機器の点検、運行管理システムの徹底など複数の高度条件が相まって実現されている。これって日本らしさとしてもっと押し出してもいいのでは?

2019-01-15

道筋

どの道を行くかという通る筋。転じて、物事がたどる筋みち。
お決まりのパターンというべきか、それになることが約束されたことといえる。
しかし現代において、自分が思っている道筋どおりになることはあるだろうか?
予想外の他人の動き、考え方、価値観や風習の違いなどが許される、、認めざる負えない状態ではそう簡単に道筋どおりとはいかない。むしろ、道筋通りにしろっていうことがハラスメントになりかねないのでは、、道筋どおり思い通りにならない社会になったのかな?

2019-01-11

道半

志や目標がまだ達成されていないこと
というならば、志や目的の具体的な設定はされているのだろうか?
定量的とか数字にすべきと口にして、
ゴール設定を数字に変えたしまった時点で
道や目的が異化されてしまったのではないかと感じてしまう。
僕から言わせてもらえれば、これに違和感を感じずに行動している人が
人ではないただのヒューマノイドというオブジェクトに思えてしまう。
志とか目標というものは手の届かない、数字では表せれないもの、イデアの概念として扱えずに
ただリアリズムで置き換えている現代にブレイクスルーや斬新な変革など起こりようがないと
結論づけることになぜ批判されてしまうのか?
現代社会の愚かしさに呆れるともに、人間という存在そのものの変革は自発的にはできないんだろうなって
こともわかってしまった。

2019-01-10

浅薄

知識や考えが、浅く薄っぺらなこと。浅はかなこと。
現代人は悲しいかな、自分が浅薄であることに気づかないどころか
浅はかさを正しい、それを否定されると名誉棄損とまで言い出すから話にならない。
現代社会はリアルな裸の王様。
恥ずかしい人生を他人から否定されるとその否定を否定で打ち消すことで自己を保つ。
物語、裸の王様はひとりしかないいないから物語だが、、
全員裸の王様の現代の有様。
自分自身が浅薄でることを自覚して他人の知識を借りようとしない姿勢では
この社会に未来はないだろうな。

2019-01-09

暖冬

平年(1981 - 2010年の平均)に比べて気温の高い冬のこと。
この定義も確実ではなく、過去数年と比べて暖冬であると言われたりする。
となると、、過去に暖冬が続けばだんだん暖冬である感覚は薄れていく。
暖冬らしさは緩和されるのだが、、、そうではない。
気温という定量的な基準があるのだが、寒風の強さ、乾燥度合いなどが重なって
暖かいかどうか人間の定性的な判断で話されることになる。
そもそも暖冬であるかどうかについては、
現代社会では会話のネタでしかないといえる。

2019-01-08

擁立

支持し擁護して位につかせること。もり立てること。
相手を応援しているように感じるが、
実際問題その人を利用して自分たちの利をとる行為と言えよう。
古今東西、擁立と言う発想の多くはそう行っている人の黒幕がうかがえる。
逆に考えれば、、擁立という言葉を使うと言うことは上記の意味がある前提ということを
気づかずに使っているのではって思うなあ

2019-01-07

造家

今では使われなくなった、、建築の古語。
現代建築の始祖たる伊東忠太が大型建物(寺社、仏閣、高層建造物)を建てるのは
家ではなく、築きあげるという観点からarchitecture を建築と訳したことに由来する。
、、と考えると、築城という言葉は?いつできた?
そして、増家という言葉もIMEで変換されない昨今、
熟語の有効性はいつからいつまで?なんて考えてしまう。
このブログもそろそろ熟語数的に、、いやまだまだかな?

2019-01-04

話合

話し合うこと。談合。相談。
2019年、世界全体が話し合いという概念が通じなくなると考えて行動する。
話し合いで解決する。
その幻想にすがる時代は終わったといえないか?
ミクロでみれば、言葉で話せばわかるというが、
暴力をふるった、、どころか
暴力を振るわせるようなことをさせたと、
言葉による暴力、そして自分を正当化させるためならば
法律、暴力関係ないしの人間関係が顕著になってきている。

そして、マクロでは国家間が口頭、書面で交わした内容などどうでもいい
自分たちの主張が正当だと言い切ることが当然になってきている。
これにより、重要なのは平和を訴える思いではなく
今そこにあるチカラが重要になっている。

話せばわかるではなく、話すことで相手を倒すことを自覚しないと
生きていけないサバイバルな時代になった、、いや戻ったと思うべきだろう。
オリンピック、万博に向けて前向きに思いをはせる日本人の思いと裏腹に
一触即発な社会、人間関係が表に出てきたことを直視しないと心待ちのイベントが
迎えられるかどうかすれ危ういと思ってしまう。