2010-03-31

主導

主導権としてのリーダーシップってなんだろう。
あってもなくても責任感のないものどもから野次られるものだ。

リーダーシップを発揮せずにいれば、
組織としての統制力を損ない烏合の衆になり、
「ぐだぐだすぎて、組織としてなりたっていない」
と言われる。

逆に強権なるリーダーシップを発揮して
強い組織を導けば
「独裁で、個人の尊重をみていない」
と言われる。

そして、メンバを大切に意見を聞いてみせると
「メンバの傀儡に成り下がっている」
と言われる。

基本的に主導権を持ったものは
そのような発言するものを統制することからはじめるべきだと思う。
表現の自由というが、発言に責任を持たないものからの中傷を
許すことにより将来成長への遅れを導くのであれば、
ためらわず制裁を与えても問題はない。
人間なんてものは、
今目に映る権力に対しては嫌うものである。
後世になって、今の権力を嫌いものたちが比較をはじめて
改めて崇め尊重されるものなのだから。

2010-03-30

口語

口語による意思伝達を尊重する日本人の傾向がある。
はっきり言おう、愚かである。
確かに2waysの活動には意味がある。
それは事実であるが、だからこそ口語による意思伝達はリスクである。
口語という音声での話し合いでは
音声をもとに、それぞれの脳内で
・概念検索
・概念イメージング
を介している。
その概念変換で必ず齟齬が生じる。必ずである。
なぜなら必ずといえるかというと、
概念はそれぞれの人生そのもの理解であるから
音声情報だけだと、そのバッググランドを連想しない。
そのために、自ら補填行動をしてそれを概念化させる。

齟齬のレベルが許容ならばいいが、多くの場合は
「そういう意味ではない」
「話をちゃんと聞いているのか?」
というカタチに現れる。
音声かつ2waysという双方向での確認をしているだけに
余計要求者としては腹が立つことになるだろう。

ここではっきりさせておく。
音声の口語を信じるなかれ、
音声に裏づけのある情報媒体をもって意思伝達をしなければ
コミットはできないと思うべきであると。

2010-03-29

資産

ITに関わるものの資産について、
責任がかなり曖昧になっている現代。

いくら実装を請負任せられているとしても
勝手にいろいろと変更をするわけにいかないので
資産を持つ顧客に確認する。
しかし、顧客側の担当者もどうなる変わらないし
IT資産について
はっきりいえばイメージがないことが多いので判断できない。

「自分の資産ではないので、許可が欲しい」
「ITについては自分らはわからないからお願いしているはずだ」

この論理で進捗が進まなかったり、
行っておきた障害の責任を互いに擦り付け合う
これがITおよび現代のサービス請負の問題だと思う。
手に触れない資産に対して、日本人はかなり疎いと思う。
自分、自分の組織の無形資産、
自分が行っている活動の影響分析、
をもっと意識することが求められる。
それが自分、自分たちの価値を高めることにつながるから。

2010-03-26

索引

書物等で記述内容を全部読まずともどこに書かれているかを示すもの。
索引のおかげで、今欲しい情報を効率よく取得できるようになっている。

ただ思う。
いろいろな書物、記述されている情報を
いろいろな索引で知りたい情報だけを集めているため、
知識や思考が体系化されていない人間を量産してしまった。
知りたい情報を知っているのだからいいのではないか!
っていうかもしれないが、それが問題と思う。

知りたい情報を得るということは
知りたくない情報を無視している
知るべき情報にも目を向けない
問題が導いている。

そのために、
自分の知っていることが必ずしも体系的でなくても
さぞ自分が正しいと胸を張っていて、
その欠点を理解しない、できない、ありえないと思い込みゆえの
情報共有の不通、これが事実だろう。
多くの人に共有目的でされる情報公開が多くても
それが結局は個人の世界でしかなりたたない社会だと言い切れる。

2010-03-25

占有

人間は勝手であり、現代はそれが許される。

既存と新規、それぞれが自分の占有権を主張する。
既存の者は
「新参者はルールに従い、慎みを持て!」
新規の者は
「今まで利益を享受してきた者よ、譲り合え!」
互いにそれぞれの正当性を主張できる世の中である。
仮に相手の主張を呑んで
譲歩すると感謝されるどころか
その占有をすべて剥奪されることになる。

「まさかそんなに人間は欲深いものか?」
って反論があるだろうが、
欲深いと自覚を持っている前提から
人間を見誤っていると思う。
「自分のものであって当然」という思いは
欲深いという概念ではないからである。

社会が複雑になればなるほど、
ものの支配である占有については性悪説で捕らえないと
ならないと常に感じる。
理解が出来ないものに対して、
動物は強引な行動にでる。
犬の噛み付き、蜂の毒針、がそれにあたり
自然の摂理であり人間も例外ではない。
だから動物には、
強制力で占有感情を抑えなくてはならないのである。

自由と非強制の現代社会に
厳しいルールや強制執行をしくことは
決して不自由ではなく、それぞれの権利と尊厳を守れると強く思う。

2010-03-24

解決

僕はコンサルタントと言われることをよしとしない。

コンサルタントは相談役と訳され、
数多くの選択肢を提案して、
それをクライアントとされる顧客に選んでもらうことを生業とする者とされる。

日本においては、選んだのはあなたです。といい、
責任は自分ではないと言い張るのは許されない。
有言実行を求める国民性があるからだ。
でも、責任はとりたがらないのもまた国民性でもある。

相手にとって選んであげてその矢面に立ってこそ
存在意義があるのではないかって感じる。
選べる答えを出すのではなく、
答えを選んで実践していあげることが
解決だと思っている。

ソリューション、すなわち解決とは
正解を教えるのではなく
正解の出し方を伝え、その正解を正解と言いきれる結果をもたらすことだと確認している。

その為には
提供側には、解決を実践できるノウハウと指導力が求められ
享受側には、自ら行うチャレンジャー精神と実践力が求めれられる。
そう思うと
コンサルタントとクライアントというカタチだけの関係では解決は無理だろう。
実践型教官と実習演習生という師弟関係くらいの気持ちでないとならない。
システム導入だけに限らず、多くの指導型の仕事はもっと
指導力と実践力を発揮、享受すべきではないかと現代のビジネスモデルに強く感じる。

2010-03-23

整頓

整理整頓と整頓であり、整理とはまた違った意味を持つ。
語彙としては物事を整った状態にすることだそうだが、
多くの人間は整理と整頓は同じ扱いになるだろう。

個人としては、物事の理に基づく、整理のほうが自分の思考に会うのだが、
この整頓というものも無視できない。

整理が’理’ならば、整頓は’情’ともいえる。
「なんとなくしっくりこない」
という表現の正解が、整頓された結果だと思う。
なんとなくと言うように、
明確な基準を言及できないのだが、
その観念的なものだが、人の満足度に影響してしまう。

僕としては自分の中での整理を意識しながらも
客観視した観点である整頓の概念をもって
仕事の結果をまとめるように心掛けるようにしている。
なんとなくという気持ちが相手が持っている以上、
決して自分の成果を認めていないということは確定しているので
そのなんとなくをいかに整頓させるかが腕の見せ所と思っている。

2010-03-19

規範

ルールを守ろう!
って標語があるが、
規範は守るものではない、守らせるものだ。
そして、規範は後世に破られるものでなくてはならない。

つまり、規範とは旬なもの、流行でしかない。
その流行を作り物が権威、権力にすぎないと思うべきだ。

人間といて永続的に守る規範がある。
なんていう人も多いと思う。
例えば、窃盗、殺人をあげるだろう。
しかし、それは裕福かつ生命の安全が保証された環境に
安寧に暮らしているおごりでしかないのである。

戦争、飢餓、の環境状態では上記のことをいえば生きていけない。
規範を守るつもりで挑み死んでしまったら、
守っている意味はないし、そこで生き残ったものどもが
新しい規範を自分たちの経験かつ安全視点で作るだろう。
それを守らせることで自分たちの安寧を得たいがために。

規範に従順であることより、
新しい規範を整備して、既存の規範を今生きている自分のために
作り直すことこそ、社会人だと思う。
考えて欲しい、政治家のしていることは
法律を作ることのように見えるが
実際のところ、今のトレンドにあわせるように
既存の法律を壊すことに他ならない。
規制緩和、新規基準作り、それは既存法規の破壊以外なんでもないのである。

2010-03-18

体当

互いが被害者と思ってやまない社会の腐敗行為。
公共交通機関の発達により、
多くの人間が特定通路に密集してしまうこの世の中。
思いやり譲り合いとポスターに掲げたところで
口に出るのは、
思いやりがないやつらだ!
譲り合いをしろ!
という発想しかない。

そのため、
他人とぶつかったところで互いが思うのは
「ぶつかってくるな!」
「俺の進路妨害するな!」
というマインドが呼び覚まされる。
そして、この社会の悪いところは
それを口にしたほうが悪いというところだ。
「そんなことで騒いで迷惑だ!」
といわれる。

いくら不正にぶつかってもそれに
クレームをあげてしまったほうが負けである。
体当たりは暴力なのに、
その暴力への抗議は合法のはずなのに
全く逆になっている。

本当に社会生活というものは
秩序に維持されたとされた混沌になっているように思う。

2010-03-17

電子

電子化のライバルは書面化としてもいいだろう。
人間の高度な発達の裏には歴史的に紙が存在してきた。
伝承
合意
思考の整理
に、紙は不可欠だった。
それゆえ、ビジネスの多くは紙への記述が必須とされている。

しかし、紙には
保存コスト
送信コスト
劣化コスト
といろいろと手間がかかる。
また、紙を生成するためには大量な樹木が必要とされて
それだけの地球的リスクが伴うとされている。

だから、電子化を騒がれている。
しかし、本当に紙以上なのだろうか?と疑うところもある。
上記コスト、リスクから開放されるが
閲覧ラーニングコスト
データ消失防止コスト
不正閲覧リスク
と今までありえなかった分のコストが発生してしまうのも事実である。

進化は一長一短、質量保存の法則、等価交換
何かを進める分、進める先にある今までの利益を
犠牲にすることもまた理解すべきである。

もっとも、
僕の場合は、犠牲ありきで常に考えているところもあるから
いいところばかり見ている人より、悲観的な分落胆がないのだが。

2010-03-16

議題

議題を自ら定義して活動できるものが、真のビジネスマンであり、
議題を与えられてそれをこなしているのは、ワーカーに過ぎない。
議題は議事の問題であって、
何か決めないと先に進まないという問題である。
そのために、議題を定義できるということは

決めなくてはならないことを理解している
決めないとおこるリスク、障害を把握している
決めるべき選択肢をいくつかあげられる

ということであり、先を見ている証拠でもありうる。
作業、活動の前提は未来のためである。
現在は未来のためのプロセス
過去は未来を予見するための事例
とすれば、議題を導くことは必然になるといえる。

今を生きるワーカーより
未来を意識したビジネスマンとして生きることを強く志向したい、させたい。

2010-03-15

独学

一人で勉強することであるが、
そもそもこの言葉の意味が英語と異なる。
日本人の思う勉強は、learn である。
基本、師事して学ぶことを前提している。
では、よく使われるstudyこそ勉強であり、
いわゆる研究のあたる。

研究こそ、勉強であり師事する要素より、
自ら課題の真理を導きだす工程である。

基本、自ら得たい知識は
教えられるものではなく
自ら体得してこそ、身につくものだと思う。

教えてもらわないと出来ない
コピー型の思考は学ぶという行為とは、とても言えたものではない。

2010-03-12

分析

プディングの味は食べてみなければわからない。
英国の諺葉であり、
食べてしまったら、プリンはプリンでなくなってしまう。
つまり理解するためには、
その存在を消去するところまで行わなくてはならない。

分析の分は分ける、分解の意味であり、
分解とは、原型をわけてそれぞれのパーツ、アセンブリにすることであり、
分解した時点においては、すでにその物は存在していない状態である。

ゆえに分析を行うということは
対象物を眺めているというレベルでは
到底計り知れないのであり、対象物をバラす勢いでのアクションが必要である。

分析を口にして
ただ眺めているだけの行為は何もしていないと同じ常態であり、
対象物を触れないことでの分析など存在しないのである。

2010-03-11

物理

物事の理(ことわり)。
高校生の嫌いな授業の代表のようだが、、、、
かくゆうこの僕も全くだめで期末試験で0点を取ったことがあるくらいだった。
ただし、自分なりに理論を展開できる立場になって
物理という言葉にはとても関心と重要性を見出しはじめた。

事象、物体にはその存在、発生に理がある。
その理がわかることで、今起きている事実の因果、障害根拠が導ける。
高校の授業のように、必ずしも数式を用いる必要はなく、
論理を思考で導けることが大半を占めているといえる。

世の中が複雑化しているように見える現代。
物理を把握することによって、
絡み合っているような問題も根本的にはそれぞれの物理に基づくと
確信しているし、それがソリューションだと言い切れる。

2010-03-10

天下

天下の話ではなく、天下りの話である。
天下りという、上流企業の社員が下流企業に転籍してきて、
下流企業から上流企業に便宜を図る。
社会的に批判される行いのようだが、
それなりに経済をまわしてきたという事実もある。

上流企業の内部留保もしくは凝り固まった資金運用にメスをいれて
経済活性化を行ったともいえる。
一概に社会悪とは言えないといえる。
それにこの風土は、日本からアメリカで輸出し始められた。

先のトヨタのリコール問題で
評議委員会の追及から逃げるために
国際品質基準委員会を社内に設けると宣言し、
そのトップに元アメリカの通産相をすえるとした。
委員会の議員からすれば、同僚、先輩が天下るから何もいえなくなるだろう。
そう日本は天下り文化をうまくアメリカに導入させた。
CEOが変わりやすいアメリカの風土に合うかどうかという懸念もあるが、
現に天下りで難局を乗り越えた実績を出すし、
今後その社内トップの地位は
アメリカの天下りの温床スポットになることは明白だろう。

そうやって、社会悪は蔓延していくのだと思う。

2010-03-09

氷山

氷山の一角。
プレゼンテーションということはこれに尽きる。
プレゼンテーションなんてものは
そのプレゼンテーション時間の何倍、何十倍もの準備を費やして挑むものである。

無駄に話しを発散させないように
話題を維持させるシナリオ構成、説明に異論を持たれないような理論武装。
それらをどれだけ簡単に納得させるようにまとまるか
それがプレゼンテーションの技能である。

準備時点でどれだけ想定問答をこなして
プレゼンテーションで出てくる質問なんて
大きな準備という氷山の一角にすぎない。
そこまでの準備があるからこそ、説明に自信をもてるというものだ。

場当たり的な打ち合わせを繰り返している日本の打ち合わせにも
価値があると言う人がいるが、それは一種の宝探しであり、
いい話題が見つかるどうかすら、ばくちであり、そんな不確定な判断は
経営者の僕はしない。

2010-03-08

集中

ある一点に集めること
でもこの言葉の多くは、集中力の意味で
個々人のパフォーマンスタイムを指すものになっている。

「仕事に、勉強に集中しなさい。」
という言葉があるが、それは本当に集中することを
さしているのだろうか?

そのことだけという意味に感じるが
実際には、該当活動でハイパフォーマンスを示せという意味でしかない。
仮に他にいろいろなことをしていても
該当活動にこの上ない結果を出せば、集中しろとはいえないだろう。

人間のキャパシティーの限界想定で発せられる集中。
でも本当に集中して一つのことばかりしていたら、
たぶん、かなりの問題児扱いされると思うよ。
1つの結果に複数の障害になりかねないから。

2010-03-05

過程

過程を理想どおりと思うと苦い経験をすると感じた。
理想は目標であって、その理想への過程は選択肢が多い方がいいと思える。
理想どおりといって、過程までの理想どおりに行おうとすると、
少しでもその理想通りの過程に外れるとすべて
理想から離れたと感じてしまうが、
実際のところ、目標に達すればその過程はどうでもいいことが多い。

また、
急がば回れ
山頂を目指すのに、螺旋的な登り方一番効率的と
必ずしも、直線的な距離で過程を考えないほうがいい結果を残せるといえる。

無理に理想どおりにことを進めようとせず
ある程度ののりしろとそれに合わせたマイルストーンをもって
理想というゴールを目指すべきと感じた。

2010-03-04

起源

物事の始まり。
僕はそこに真理があるとも思っている。
なんでそう考えるのか
なんでそうなったのか
と過程を追求することが現代社会では重視されるが、
根本的はどう考え始めたのか
どういうものを目指しだしたのか
ということに帰着すると思う。

物事の真理は初めにあり、
そこを立ち戻れば、やり直しが効くし
そこが間違っていたのなら、すべてなかったことにすべきだと思う。

今自分がどこにいて、その起源はどこだったのか
いつも考えることは重要と思う。

2010-03-03

好物

漢字で書くと’好きな物’という表現なのだが、
実際に用例で、
「僕はミニカーが好物なんだ!」
なんて使わない。。。。。よね。食べなければ。

好物は食物に使用される言葉である。
この好物というものも不思議で
個々人それぞれで異なる。
同じ食生活をしていたとしても
いくら食べても飽きない人もいれば
すでに飽き飽きで、嫌いになってしまう人が現れたりする。

目に見えない個人差の代表格といえよう。
でも、これは限りなく裕福な環境だから許される行為なのだろう。
食べることすらできない環境
それしか食べることを許されない環境
が自然界、人間界に存在している。
その環境では好物という言葉、概念は意味を成さない。
好き嫌いが許されるには裕福な証拠といえる。

自らが好き嫌いの選択をもてる裕福な環境を享受している自覚と
それゆえの自分のもてるもの義務(noblesse oblige)を心に持とうと思う。

2010-03-02

御米

日本くらいである、食事を主食である’ご飯’とみなしている国家は。
それだけ、ご飯、御米が国家に浸透している証拠でもあり、
石高という経済基盤の単位も米の収穫量で計っていたくらいという
歴史の証明もうなずける。

そしてアジア系の国家に外遊して気づき、
日本で売れている電化製品のトップであるもので
日本の米への思いはすごい。

外国には、炊飯の概念がない。
あるとしても、日本で行っている炊飯の技術とはあまりにもレベルが違う。
お米のうまさをある意味極限まで引き出している。
それだけ、米への執念への違いを感じた。
それゆえに、現在多くの中国人が日本で買い求める家電製品のトップが
炊飯器であるということに納得も感じる。

毎日お米を食べることが普通なことっていっても不思議ではないが、
日本ほどお米に高い技術力を費やしている国はないことに
ある意味驚きと誇りを感じてしまう。

2010-03-01

健康

生活において一番重要とされることであるが、
多くの場合は、気力そのものだと思う。

健康維持は気力をもって挑んでいるかで
行動が変わってくる。
気力があれば、病にかかる暇がないという状態だが、
とたんにやる気がなくなる病にかかったりする。
また、そのやる気も些細なことだったりするのが
人間の精神状態と言える。

常に意欲的にことにあたれるように自分や周りの人間に鼓舞することが
健康管理そのものではないかって感じる。