相手がたの話し合いに割って入る。
最近は極力控えるようにしている。
割って入ることは
・気づいていない認識情報を対象者に伝えること
・自己能力の立証
という効果があり、自己主張においては恰好の場ではある。
また、知っていることを相手に伝えるということで
世間で言われているコミュニケーションを円滑にさせるということでは大きなポイントといえる。
しかしだ。
その行為はいかんせん機能していないといえよう。
・気づいていない認識情報が欲しているものとは一概に言えないし、
それが必ずしも正しい情報かどうか
・そこにその当人がでしゃばってほしくない
・円滑なコミュニケーションというものはみんな集まると収集がつかない
ということが起きている。
人の思惑と相まって初めて成り立つコミュニケーション。
割って入ってくることをコミュニケーションとしてwelcome と感じている幻想で
どれだけ人間関係が失敗しているのだろうか?
統計的に証明しているように
コミュニケーションを取り出されるようになってから
精神科の人間関係ストレスが増えていることは
ある意味、本末転倒な愚かな社会と言えないか?
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