2019-04-26

学業

勉強をすること。学問をすること。
学業が人生において役に立つか?
義務教育がある日本においてはなかなか実感できないと思う。
高校生の数学や物理、漢文などは
実生活では役に立たないと言われる。
その行為自身はそうかもしれないが
難題、回答を導く活動、、それが学業なのだが、
それを実演できる環境はなかなかない。
それを当たり前のように享受、、いや環境があっても
それを拒否、居眠りできることは学びたくても学べないところにいる人たちからすれば贅沢な話のだが、日本人は気づかないんだろうな、一生。

2019-04-25

文人

詩文・書画など、風雅の道に心をよせている人。または、文事をもって仕える人。
つまりに文字に関わる人間のことである。
人間と文字は切って切り離せない。
人間という種とは?というと文字を持つと答えても間違いではない。
文字というもの
読み書きできることで他者と認識の共有できる存在は他では難しい。
音は音
映像は映像
と別のものであるが、それを文字という概念で共通化させているのだから。
まーー、多くの現代人はこういう認識なく、会話、メールをしているが
それはとても行動な技術である。
確かに高度な技術ではあるが、その技術が当たり前に備わっていると思っている割にはなかなか伝わらない。そのことへの自覚と向上させる研鑽が現代人は足りないような。だからこれ以上の進化ができていないのでは?人間は。

2019-04-24

渇番

番号がなくなること。
ITデジタル化が進むと連番でユニークにさせる番号が
取引(トランザクション)の制御単位になる。
取引が盛況になればなるほど、その番号が採番されて、
指定した桁数の範囲をこえてしまい、渇番してしまう。

多くの場合は、サイクリックすることで
1に戻り、連動するデータをシステムからアーカイブすることになるが
なんでもITデジタル化する現代社会、新しいことに飛びつくが
それ以降のこと、今後の保守にはあまり関心がないことが目に付く。

よくあるサービス終了のなかには
そういう渇番に対応するくらいなら別のサービスで
より儲けようと姿勢も垣間見れ、、
デジタルデータが浪費されているなあって思うことばかり。
無尽蔵のようなものの代表がデータのようだが
なんかこの状況に大きな瑕疵、危機が隠れていると見えるのは
僕の杞憂か天眼か。

2019-04-23

提供

相手に役立つように、差し出すこと。

ITデジタルのデリバリービジネスにおいて
提供開始は一番重要なことだが、
そのフェイズゲート、リリースクライテリアが変わってきた。

Windowsまでのパッケージ販売であれば
製品という要素から
いかにいいものを出せるか、その基準に合わないもの
提供しないし、一度でも提供してしまえば
その製品の売れ行きが決まる大きな話だった。
ゆえに生産、販売の中止が控えていた。

しかし、現代のインターネット常時接続時代だと
製品からサービスとなるため、知的財産、先手の概念から
速めにリリースすること、そして不具合をいかに早く、頻度よく対応できるかが
そのサービスの価値になる。
はっきり言えば、どんなものでも出せばいい。それに食いついてくれることが重要だから。
そして、控えているのは出した以上、永続的なサービス提供を求められるかだ
そのサービス提供の仕方がブランド力になるからだ。

納得のいくものまで出さないから
早く出して、そしてその運用保守をしつづけるに変わってきたが
デリバリーを行う、作り手には何も変わりなく
ただただ仕様にあわせて隷属し続けることであり、
そこをどう変えていくは、業種、業態、属する企業ではなく
技術者当人の生き方であることも変わっていないのだがね。
技術者も自分のスキルをどう’提供する’かなのだから。

2019-04-22

朝食

朝に摂る食事のことである。
朝餉(あさげ)、朝飯(あさめし)、朝御飯(あさごはん)。
英語ではbreakfast 意味は断食(fast)を破る(break)こと。

個人的な思いなのだが、飲食店で行わていている
朝定食、モーニングサービス、モーニングビュッフェ、
を夜にしてくれないかなあ。
僕は一日1回しか食事をしない。多くは夜なのだが
世間のモーニングメニューの内容のほうが夜のメニューより食欲をそそる。
確かに、モーニングメニューのほうがコスト高かもしれないが、
夜のメニューではあまり食が進まない者が多く
今では徹夜してモーニングを食べてからひと眠りの生活にあこがれてしまう。


2019-04-19

野営

野外に陣営を張ること。
野外にテントを張って宿泊すること。また、その陣営。
つまり、キャンプのこと。
野営というとカッコ悪いのか、なんでも横文字にしたがる現代日本。
別にやっていること、やっている人は日本古来の飯盒炊飯だったりと。
どうも、日本人って言葉からはいるよね。

2019-04-18

緊迫

情勢がひどくさしせまること。
個人というより、組織団体に向けて使われることになる。
日本って国は面白いというか狂っているというか
世界的にこんなに緊迫しているのに、それをあまり自覚していない。
達観している、動じないっていうのであれば、
鈍感で動き方がわからない鈍重な存在かもしれない。
逆にあまりに緊迫した情勢に反応するとバカのように扱われることのほうが多い。
こういう国家って過去に多かったなあ、、そして植民地化されて亡国になったような。

2019-04-17

夜間

日没から日の出までの時間というべきだろうか?
今、24時間営業店舗の問題が取りざたされている。
コンビニが大きな話題だが、飲食店などもその問題を抱えている。
24時間、、つまり夜間営業について問題視している。
でも考えてほしいが、
夜間を夜間時間帯という特別視を強いているのは労働法の規定である。
逆に夜間が定常という概念のビジネスを認めるべきでは?
夜間しか開かない店舗、夜間しか売らない品目という概念を
もっと広げ、24時間営業ではなく、24時間のうち特定の時間しか開かないという
概念やビジネスモデルをもっと認め、規制撤廃すればいいのでは?
そもそも24時間などでの人手不足の考え方のほうが問題であり、
強制労働の徹底、安易な需要対応を認めないほうに法整備しろよって思ってならない。


2019-04-16

容喙

横から差し出ぐちをすること。
自己責任の仕事において、なぜレビューという容喙があるのか?
レビューは容喙ではなく、要望、、もっと言えばレビューをした以上
おこなった側の責任になるべきなのに、ただ容喙しているだけ。
最近の人手不足はこの容喙だけを行う人間の増加にあるのでは?

2019-04-15

未来

これから来る時。
未来志向とかいうと、プラス志向でかんがえるべきと言い出す。
未来に可能性と希望を持つ。
その考え方、いい加減にしろ!
未来は現在の延長でしかない、今からおきることの続きが必ずいいことになる
という根拠のない幻想はその幻想がかなわなかったときの絶望感が
かえってマイナスにならないか?
これから、AIや量子コンピュータの登場である程度
予測、予期された日々しか来なくなる。
その予期された、計画された行動に幻想を抱くより
行動をどう楽しむかに時間、思慮をさくべきなのだが、
未だに夢を見せようとする教育、指導はいかかがなものか?

2019-04-12

並行

並んで進むこと。
並行と平行、ちゃんと使い分けていますか?
平行は決して交わらないという意味。話が平行線だ。という意味は正しい。
しかし、
「平行稼働」
とか言っていることが多い。
同時に動かしている、、、、あ!それも正しい。
決して交わることのできないから平行稼働なんだ。
並行ではないってわかって言っているんだろうね。

2019-04-11

入舞

 物事の終わり。
漢字の文字からとても読み取れない意味に感じてしまう。
語源は世阿弥の言葉、老いの入舞から、老いてなお最後の創造的活動を
さしたことをいう。
まだまだと言われるかもしれないが、
自分がビジネスマンとしての入舞を意識している。
そこから逆日程的に今どんな仕事をすべきかって
自分にはっぱをかけるような思いをもって生きている。
ただ一日を過ごすのもある意味重要だが、
人生の入舞を意識することがある種の潔さと僕は感じ
ふと三省する。

2019-04-10

訳有

理由だあるからこそ、、という意味。
ちょっと思ったのは、リーズナブルな価格を日本人は相対安価に感じている。
でも、リーズナブル=reasonable であり、
合理的、理にかなっているとかいうが要は訳有価格なのでは?
リーズナブルな商品にも品質、返品を求めることに何か違和感を感じる。
どんどん安く、そしてどんどん製造物責任を求めることは
経済的に苦しくなるだけでは?

2019-04-09

定額

一定期間(年、月、日など)あたり一定価格で
いくらでもサービスを供用する課金システム
今ビジネスモデルで流行っているサブスクリプション。
でも、ちょっと考えてほしい。
そもそもサラリーマンってサブスクリプションだったのでは?
視点を企業にすれば、基本給というサブスクリプション契約をしているつもりだった。
それが残業代、特殊スキルがオプション料金になり使いづらくなったので
時間清算契約ととらえることができないか?
それにより、家計が苦しくなっているのだが、、
このサブスクリプションブーム、、たぶん、今の日本経済のように
技術、社会的成熟度でオプション化を選び破綻するだろうな。
定額制ってそのビジネス、サービスを流行らせるためにはいいけど、
一種の過渡期対応とみなすべきなのでは?

2019-04-08

改竄

文書、記録等の全部又は一部が、
本来なされるべきでない時期に、
本来なされるべきでない形式や内容などに変更されること。

システム化、デジタル化が進んでいるので
改竄する行為ができない、難しくなってきている。
だからと言って改竄がなくなるか?
そうではなく、むしろ悪質、権力的に改竄を行おうとしてきている。
そして、それを改竄と認めない力まで発動されはじめている。
デジタル化の大きなポイントは更新スタンプが明確に残ることだ。
それをログとして改竄していない立証根拠になる。

しかし、だからこそ始まるのが、、
デジタル化のせいで本当の更新でできていないと言い出すことである。
~本来ならばすでに確認が終わっていたのに、更新が間に合っていない
~入力する内容要素が足りないの立証しづらい
~そもそも、デジタル化では人間の交渉の真意を残せない
とか言い出す。そして、本来あるべきデータに後で更新するべきだと言い出す。
「これは正しい修正であり、改竄ではない。」
この発想こそ、改竄であるということは人間には本能的に理解できないんだろうな。

2019-04-05

健全

片寄らず堅実なさま。あぶなげなく確かなさま。
健全という言葉もまた主観的な表現でしかない。
自分が健全と思っていても、他人が不快感をもつとそれは健全と言えない。
しかし、その不快感を持つことへ自分の思い込みの健全で批判することも多々見られる。
個人主義、能力主義である以上、それは片寄っていると言えないか?
すでに社会が片寄っているのだから、健全なんてことはありえないのでは?

2019-04-04

作品

製作したもの。特に、芸術活動による製作物。

余暇が来るたびに頭によぎる
「今のままではいけない」
「何か生産的、創造的な活動をしないと精神、経済的に苦しくなる」
「言われたことに応えて、対価をもらうビジネスモデルからの離れないと年齢、これからの時代的に、、」
と恐怖感に苛まれる。

自分が他者に求められて対価をもらえるのは
相手の基準に合わせられるからこそである。
しかし、その基準にいつまで自分の年齢的限界、社会のビジネスモデルの限界に
堪えられようか?
今すぐにでも、もうダメと評価されても不思議ではない時代だ。

それゆえ、
自分から新しい価値、、作品というものを提供し
それを幾ばくかの人が享受、対価支払いをしてくれることが
人としての喜びになると思ってしまう。

そこに自分のビジネス、活動をシフトしていくことへもがいて
もう10年近くなる、そろそろ本格的にそのビジネス、作品作りを本務にしたいものだ。
その一環がこのブログ群の更新かもしれないが。。。

2019-04-03

遠雷

遠くの方で鳴っている雷。実は夏の季語である。
夏の季語なのか?
そう感じることが多い、、というか自分はそう感じていた。
その理由はある意味なるほどだった。
自分の職場、自宅が比較的高層階に位置しているので
雷の発生が窓越しからよく見える。
雷は必ずしも夏だけではなく、晩春~秋口まで結構の期間発生を目にする。

江戸時代の日本であれば、薄雲の空に雷雲が光れば、
照明家電がないのだから、その明るさを遠くに感じ遠雷を思ったはず。
しかし、戦後は照明機器が深夜煌々と照らす社会なので
雷の輝きを地上で確認することは難しかった。
そして、今は高層ビルディングの台頭で、雲目線で雷をみることになり、
遠雷を再認識できるのだが、、、それは僕がそれなりの環境にいるからだと
ご指摘も受けよう。遠雷という表現ひとつで人のライフサイクルが見えるとはね。

2019-04-02

底上

最低水準をひきあげること。
人手不足なのに、即応な成果が求められるからこそ、
人材の底上げを行う活動を重視しないとならない。
僕は当面の納期を無視してでも底上げを行う経営、管理判断をしている。
なぜなら、
付け焼刃で導入した人が出す結果によって、
そのリカバリー工数とそれをさせられた人材のモチベーションが下がりまくるからだ。
そうなると、虻蜂取らずではないが、顧客信頼と作業者マインド両方を失うことにつながり、全く持って損でしかない。
しかし現代社会は、その付け焼刃が当然であり、怒る顧客が悪い、やる気ならない担当者が悪いにいうだけでそうした当人が反省しないどころか、その判断した当人を責めるとハラスメントになるのだから、いかにバカな社会になっていることか。

ちょっと工夫、苦労した伝えることは
教える側の教えるスキル向上と
そうしてくれている姿勢が担当者への好感度
につながる発想がなぜ芽生えないのか?!

2019-04-01

方便

仏教で、人を真の教えに導くための仮の手段。
本日更新ということもあり、有名な「嘘も方便」をネタにしたい。
現代において、嘘は嘘だろうか?
高速化した情報が飛び交う現代では
今知っている情報と数分、数秒後の情報はUPDATEされている。
すると、今知っている情報をもとに発言した時点で過去、、つまり真実ではない、
嘘の情報を流したことみなされることになる。
当人は正しいと思っていることも、他人、社会からは嘘とみなされることになる。
そして、最悪なのは嘘だと断定し続けることで徹底すべき社会姿勢を貫かず
過去の古い間違った情報を流した者を擁護する行動を起こすから
間違っているのか、正しいのか、全くわからない状況になって
何が正確な情報なのか、分かりづらいといえる。

また高度技術、複雑な事情を聴いて
理解できないほうが悪いのではなく、
それをわかりやすいように伝えないほうが悪いとなる以上、
詳細に伝えてもどうせわかるわけないからある種の方便として
適当に言えばいいとなりかねない。
それゆえに、、正確ではない嘘に近い情報で済まそうと言う思いもでてきている。

嘘も方便、、、、
それが方便なのかどうかは、
その内容が真意かどうか当人が自分で理解することしかない。
情報社会だからこそ、知っているではなく、
情報処理する能力があなたの人生のウソ発見器と言えよう。