2009-11-30

電信

多くの場合は
電子機器を媒体にした意思や情報の伝達のことを言うと思う。
しかし、小さい時を思い出してほしい。
通知表のことを、通信簿 と言われていなかったか?
それに伴い、電子機器が出来る前からも通信という言葉は存在していたと
言えるのではないか?

通信という漢字2字から成り立つこの言葉で重きを置きたいのは
’信’である。

信じるでもあり、
人偏に言葉でもある。

語彙としては、互いに互いを認識しているという前提があることだ。
それを言葉ではないもので互いの認識を合わせるものが
交通、モールスの信号になったりしたり、
見えない存在を多くの人と共有して敬うのが、信仰だったりする。

通信というものが成り立つ条件は
互いが互いを認識できることにつきる。
信頼している先生と保護者の間だから通信簿が成り立っている。

現代社会においては、
電子機器の高性能化により、
端末それぞれが互いを認識して、
相互通信を複雑かつ高速に行うようになってきた。

しかし、それゆえ
その端末を介しての通信は希薄になったなあって感じることもある。
僕が思うのはたぶん一般人と逆に感じの希薄である。
電子機器上でのやり取りではなく、
直接あって話すということに意味を感じているのが現代の一般的な
通信の温故知新のように捉えているが、
わざわざ合うのに、電子機器と同等レベルの準備で会うべきだろうか?
古人たちが導いた現代の技術革新が現在の通信技術であり、
それを否定する価値くらいの価値がある会合でなくてはならないと
わざわざ会うときには感じる。

その意気込みをもって、会合をしていく気概は必要だと思う。

2009-11-27

包囲

対象に対して、点ではなく面で包み込む手法。
おもに、対象を人間とした場合は戦術的な要素で使われることが多い。

確かに、包囲網、囲い込みという手法は重要だ。
大きな理由の一つに、人間は相手がどう考えて動くかわからないから
不安、心配、疑心を生む。
だから、包囲することで出方を限定させて、そのマイナスの心理状態から
逃げることを欲する。
皮肉なもので、
相手を逃げられなくすることで、
自分たちは不安や悩みから逃げられるということである。

しかし、その包囲手法にも問題があるし、
その問題は古代中国でも指摘されたことだ。
完全に包囲してしまうと、相手は必死で打開させようと
攻勢にでることがある。
いわゆる反動行動になる。
だから、逃げ口を用意しておかなくてはならない。
その逃げ口を相手にあたかも選択させたという
心のゆとりを与えないとならないからである。

近年は経済活動は企業による囲い込みを意識したものが多かったが
その反動が消費者の行動に多くみられた。
今後の企業活動をする際には
囲い込みの重要性を理解しつつ、
消費者、顧客に自らを選んでいただいたという気持ちを意識させないと
ならないと感じている。

2009-11-26

苦労

たぶん、生存本能、社会的な能力が一番伸びる状態。

人間苦労をしたくないから
いろいろと頭を働かせることが多い。
それにより出てくる成果はある意味必死さゆえに有意義なものが多い。
それを導きだした人間はその苦労の怖さ、恐ろしさを体感し
それから逃げたいからである。

皮肉なもので
苦労の結果導いたものを
当たり前のように使う人間の能力は退化していくことが多い。
導かれた成果に対して、ありがたみを感じず
その恐怖の感情もないからである。

そして、人はまた同じような苦労を味わう。

確かに振り返れば、
苦労に対して、悩み行動していた時代はいろいろと成長したと思う。
・コーディングが全く分からずに毎日悩んでいた
・説明資料が相手に全く理解してもらえずに眠れなかった
・実現不可能と言われた案件の責任者をまかされて、悶絶した
それを掻い潜ったときに僕は成長したと思っている。

ただし、他人からすれば、それは成長かもしれないが
その分の対価は生じていると思ってやまない。
それが、僕の不遜や相手への侮蔑だと思う。

苦労した人間は有能な人間にはなるが、
決して、感じのいい人間にはならないと思う。
なぜなら、その苦労もしらない下賤のものと対等に扱われることほど
許せないと思うだろうから。
人間、聖人君子はいない。
それは後世に人間が美化脚色しているにすぎない。

苦労した人間はいろいろな意味で醜くかつ人に見せられないものを
肉体、精神に抱えていると思う。

2009-11-25

仕組

物事の組み立て、構造のこと。

つまりは構成であり、その根拠になるもの。
汎用的な英訳にはないのだが、
真の意味で捉えれば、system のことである。

system導入の仕事というが、
それは、まさしく仕組み作りのことである。
コンピュータを導入するのは、単に手段に他ならない。
組織の行動の効率化を高めるために
行動を構成する要素への変革をもたらす、、
仕組みを取り入れることである。

現時点において、その仕組み導入のもっとも最たる具象化が
コンピュータの導入であり、そのコンピュータがもたらす
高速処理
高速通信
高度表現
により、行動の仕組みが変わり、より効率的、より効果的になっている。

単にコンピュータを導入するのではなく、
仕組みに見合うコンピュータ導入を考えなくてはならない。
あくまでも、効率よくするための仕組みづくりであることを
忘れてはならない。

system導入である仕組みづくりは
何ができるか?
より
どんな効果が得られるか?
が求められているのだから。

2009-11-24

遊戯

遊びたわむれること
深い意味では
幼稚園や小学校などで、運動と娯楽を兼ね、
集団内での役割を自覚させることなどを目的として一定の方法に従って行う遊び
のことを指す。

遊ぶという行為は
非生産性の意味でつかわれることが多い。
学業、稼働の反意の意味で用いられるからである。
しかし、遊ぶということは非生産なのだろうか?
確かに非生産ではあるが、間接的は生産性の根源ではないかと感じる。
遊ぶことにより、
日頃の精神的負荷の発散を行い
次の生産の精神的な糧になるということ
遊ぶという行為の多くは浪費であり、
その浪費があるからこそ、生産しなくてはならないという発想に繋がるのではないか?

遊戯、娯楽は決してなくてはならない。
というより、人間が人間であるのはこの遊戯、娯楽に興じることができるからである。
衣食住を超えたところに、自分の存在を示す歓びに身を投じる
経済的、嗜好的、そして社会の寛容性が成り立っているからこそ、
人間らしい生活になると思う。

遊戯に、娯楽に、趣味に、もっと興じていい環境がなくては
次の生産性へのモチベーションやアイデアは生まれないと思う。
僕自身、そして僕ももつ組織自身に遊戯を認める許容を持つようにすることが
今後の抽象的だが大きな目的である。

2009-11-20

歳暮

日本の古きしきたりであり、
最近はこの行為自身が否定されている。
・義務にしか感じてならない
・社交辞令的
等の理由からだ。

そうだろうか?それが歳暮だろうか?
歳暮の意味はそういう意味ではないではないか?
本来の目的からそれを異化した人間関係での齟齬に他ならない。

本来、中元、歳暮の目的は
自分からお世話になった人間に対して
自分の生業の成果を出して、
自分の存在の具象を示す行為である。

それに付け加えて意味をもって
僕は社会人になってから、相手は変わるかもしれないが
中元、歳暮は忘れたことはない。

・その贈り物を受け取る家族に対して、その人が社会で価値ある存在であることの
 家族への証明
・言葉ではなく、具象により自分の気持ちの代弁
・定期的に僕の存在および今後の会話のネタとしての振り

そんないろいろな気持ちを贈り物にして
お世話になった、気にしてくれる人そしてそのご家族への’提起’でもある。

2009-11-19

機会

ある行動をするのに最もよいときの意味であり、
英語でいうchanceと等しいと言えるだろう。
でも、機会を見抜くととは出来ないと思う。
機会が本当に機会であったということは
後付け、成功した場合の表現になることが大方である。

当たり前に言われることとなったが
機会は巡ってくるものではなく、つかみ取るもの。
やはり、自らの行動そのものが機会につながるのではないか
と言い切れる気がしてならない。

機会の平等というが
平等に機会を渡されることは
能力主義、自由市場ではあってはならないことだと思う。
機会を得るための情報収集、
自分の実績によるコネクション、
どこにでも参画できる行動の自由、
があるのだから、機会は自分の行動そのもので得られると思う。

時勢のせいにして、自分の行動を反省しないことはしないように
日々、機会を作ることを意識していきたいと思い、
情報収集、いつでも行動に移せる下準備は欠かせない。

そういう意味では機会という意味を、僕は
「いざ鎌倉」
と同じ意味に感じとってはいる。

2009-11-18

在庫

物が会社に残っていること
といえるが、よりビジネス的な表現をするならば

付加価値をつけた会社の販売商品が
市場の需要に対して、供給過多になっている割合

とでも言おうか。

在庫は景気ともに認識と扱いが変わる。
好況のときは
すぐに引き合いに対応できるように
在庫を抱えていないとならない風潮がおきるが、
不況になると、
生産調整、倉庫管理費の問題で
必要な最低限の在庫しか欲しない。
企業論理でいわれる、適正在庫の話になる。

景気と並んで時代、技術の進化により
今の在庫の概念はまた変わりつつある。
商品サイクルの短期化により
短い期間でしか、その商品をさばくことができないものや
購買の多様化によるロングテールでの販売で
いつまでも古い商品が小規模で売れ続けるということが
出てきて、ビジネスモデルにより在庫の認識も多様化してきている。

在庫という認識もそうだが、
在庫=その会社のビジネスモデルでの付加価値の具象化
とみなして、在庫の有り様から
自らのビジネスを再認識する経営者も少なくないようだ。

僕の場合の在庫は
知財ゆえ、これをいかに加工、重要に結びつけるかが目下の課題だけど。

2009-11-17

立止

立ち止まる。
僕が法と現代社会の乖離を感じる行動の一つである。
立ち止まった前の存在にぶつかった側が前方不注意で罰せられる。
それは、交通およびビジネスの契約にも応用される概念だ。

しかし、立ち止まる方が悪いのではないか?
そもそも、歩道を歩いている以上、前方に進むことが前提あり、
その歩道の途中で立ち止まること自身が逸脱行動ではないかと感じる。
もし、止まる理由があるのなら、歩道から外れて歩く流れのないところに
移るべきだろう。
いきなり、立ち止まってしまったら、後続の存在に失礼だと思うのに
後続の存在が罰せられることになることに欺瞞を感じる。

それは交通だけでなく、ビジネスにおいてもだ。
ビジネスは時間が勝負であるのに、
決断や判断を曖昧にした側より
それを煽った側が煽り方という行為で罰せられる。
煽り方という点で責められて
判断の遅さにより機会損失は全く罰せられない。
価値の流動性や社会貢献ということへの背任だと思うことすらあるのにだ。

このような点について
深く考察すること自身、社会ルールから逸脱しているかもしれない。
一つ言えるとしたら、
権力をもつものが行うルール制定とは既存ルール違反そのものである。
つまり、ルール破りは権力の前では違反行為ではないということ。
たぶん、この手の発想した人間のアクションにより
ルールは変わっていくんだろうなっと思う次第。

2009-11-16

段階

能力などの差によって順々に設けた高低のくぎり。
等級やスキルアップにより、
個人や組織を高めていくために必要な差別。

あえて差別という表現を使うのは
役割の明確化
昇段した際の自覚、達成感
を促進させることがとても希薄な感じをうけるからである。

昇進、昇給には
それに見合う他人と差別されるくらいの実績
およびこれから自分が負う責任、責務を
自覚することが求められるのである。

能力主義という制度に則るのであれば
その段階に伴い、求められる実績、およびその責務に対して
応えることが求められる。
好きなことだけ、得意なことを
段階の基準なく行うことは能力主義とは違った概念である。
また、それに伴い、段階に見合わない成果ならば
降段も定義にしたがい、行うことを覚悟しなくてはならない。

それは僕とて同じ基準で考えないとならない。
率先垂範
自らの経営者としての段階に見合わないから
地位に見合う、レベルに生活、行動を落とさなくてはならない。
それは忠実に実行してこそ、
社員に示せると感じている。
それゆえ、自他共に厳しくなり、
その分、達成感を共有できるはずである。

2009-11-13

役割

集団内の地位に応じて期待され、
またその地位にあるものによって学習される行動様式。
社会的役割

と定義されているのだが、
役割というものは、別に人に帰属するだけではなく、
動物、建物、そして機能というものまでに使用できる。

僕の思う役割の定義は

前後関係をもち間柄において、
その存在の行為が前に行為およびそれに続く行為に
有意義かつ効率的につながること

だと思う。

役割と言うものは
個々では存在せず、
他の存在と対峙して、そのその役割が発生する。
役割とは別の存在を活かすために存在すると考えるべきだと思う。

その発想にたち、
いざ自分の役割について考えるならば、
視点は今自分のできることよりも
今自分と接しているそれぞれの存在との関係をもとにしなくてはならない。
それゆえ、役割とは自分以外の存在との接点分、無数にあると捉えるべきである。

2009-11-12

消費

現代社会において、消費ということは
「お金を使う」ということに他ならない。
高校時代から、経済を学んできた僕からすれば、
お金を使わないと、経済は活性されない
ということを知っているので、
使ってこそ、また入ってくると思っている。

金融政策的に考えれば
法定準備率に連動したりして、
マネーサプライにつながるので、
自分が使えば、使うほど経済が回ると思っている。

倹約、節約、省エネ、価格破壊という言葉が蔓延しているが、
それにより、消費によるマネーサプライの低下が
不況を呼んでいるのかな?って思うことはある。

自分の好きなものを買ったり、
多少無理しても、自分の欲しいものを買う
それは決して悪いどころか、
貨幣流動性を高める社会貢献だと思う
価値観、社会認識を広めることも
会社、経営者としての仕事だと思うし、
それに見合う、給料支給を心がけなくてはならないと思っている。

2009-11-11

雨天

雨の降る日というものは
古今とわず、イレギュラーとして日本では扱われる。
それはいい意味でも悪い意味でも、

昔であれば、
干ばつに対しての、恵みの雨として利点もあれば
大雨により、堤防撤回という治水による戦いという経緯もある。
今も同じで
晴れ続く夏は水不足を呼び、降水の必要性を願い、
大雨が降ると交通ダイヤの大幅乱れで、経済効果への悪影響が発生する。

雨による人間の心理状態については
あえて言及はしないが、
雨をレギュラーと捉えて行動したり、
雨のイレギュラーをあえてうまく転用できるように
模索することを一つ考えてみたくなる。

晴耕雨読
雨の時ほど、
何か新しいアイデアや見識を高めて
行動できる晴れの日に活かすアクセントに捉えたいものだ。

2009-11-10

消毒

アルコールには殺菌効果がある。
これはこれは一部常識的になっているが、
そのアルコールを精製している根本は、、菌である。

毒をもって毒を制す
ではないが、菌によって作られたアルコールで
別の菌を駆除していると表現できる。

生物は別の生き物における自然界の営みを
うまく利用して、生存してきていると感じざるおえない。

その発想をうまく自分の企画に展開できないものか
って考えているがなかなかうまくはいかないものだと感じている。

もっとも、毒をもって毒を
というように、前者の毒すなわち制されるものになる可能性は
リスクとしてはあるのだが、
自分がどんな毒かもわからないよりはましと思う気持ちを前向きに捉えていきたい。

2009-11-09

蓄積

目に見えない形而上の事象の蓄積はどうやって測れるものか?
目に見える存在は、測定単位基準である程度、客観的に測ることはできる。
そして、その蓄積量については、
どれだけ、市場、社会から自分の分と切り離して所有しているかを
推し量ることもできる。

しかし、形而上のもの、技術、知識、のようなものの蓄積表現は
目に見える形而下の存在と全く逆の論理になる。
測定基準がないから、蓄積量もわからない
蓄積量は社会から切り離しているというより、社会に貢献していることにつながる。

組織として
技術力、知識量、等を対外的に誇れるようになるためには
自薦ではなく、他薦という、自分らではない人たちからの評価が
ある意味、組織としての蓄積量の評価になるといえる。

そのためには、
自分たちの形而上への取り組みを
体系だてて、各位が理解して
そして、外部の人間に対して、
各位が組織として定まった手順、説明を展開できるようになっていることと思う。
その枠組みがあるからこそ、枠組みだけに
’こぼれない’のではないかって心身ともに感じる。

2009-11-06

強化

簡単かつ頻度よくつかわれやすい言葉である。
いろいろな場面で改善、改良を行われる総称として使われる。

強化するということは
多くの場合、何かが弱化することにもつながる。
例えば、
特定の筋肉を鍛えると
その周りの筋肉、骨に負担がかかり、怪我や炎症をもたらす。
事業分野の改善には
人事、投資への負担を他の事業分野が受け持つので
負担した事業分野の成長を阻害することでもある。

強化することは
ターゲットを絞って
その方向性に注力することであり、
その際に、それ以外の方向に向いている力の
どれを切り離して、ターゲットへの力に変えるか
を考えることも大きな要因ということを忘れてはいけない。

2009-11-05

詳細

細かくすることとされるが、実際のこの言葉の用例はずばり、
確認しないこと
といきれないか?

詳細なマニュアル
詳細な注意書き
詳細な約款
詳細な、、、、

とされるもののは、実際目に触れない、
あるだけで確認しないものと言える。

人間は根本的に横着かつ都合がいいことでしか生きられない動物であるから、
できるだけ、効率化を旨に、詳細な事象には目を向けないのが実情である。
とりわけ、詳細な文書の多くは
本来の目的である’呼んで理解してもらう’ということから
’何か問題があったときに言い訳できる’という
読み手より書き手のために詳細になっていることが現実である。

実際に詳細な記述を書く際に
できれば、本当に読み手に伝わりやすい
書き方を日々考えること、これが仕事における’思いやり’の入り口かもしれえない。

2009-11-04

目的

目的とは何か?
達成目標?
現代社会において、定義を改めるとしたなら、

次の行動を誘引させる今回の行動の意義

とすべきだろう。
自分の行っている活動は
いったいどんな行動を成立させるためのものなのか
その意識こそ目的意識だと定義できる。

成果物のレビュー、品質管理を行う際に
・誤字脱字
・内容印象
を論じる際に、その中心概念は
この成果物とされる物体を受取った人物が
この物体をどう利用して次の行動を行うか?
それを意識すれば、
おのずと、目的の重要性、その次の行動を意識した成果物の確認になると思う。

確かに、
この目的の意義に気付くまで、
僕はかなりの時間がかかって、
多くの関係者と意思の疎通が悪かったが、
この気付きによって、
自分なりのレビューの仕方、接し方に基準ができたと
今は思っている。

2009-11-02

疾病

インフルエンザが蔓延している。
インフルエンザは身体的苦痛だけでなく、
その人材の存在、パフォーマンス、影響度による
社会活動の停滞を導いてしまう。

現時点において、
不況ゆえに、得意先、自社社員、仕入先がシームレスに役割を実施して
経済を回すことが重要であり、それが少しでも遅れることで
多くの経済効果を失うことになる。
その役割担当者は不況ほど、属人的な仕事を求められるからこそ
病にかかることは大きな損失になる。

現代においては経済効果であらわされて
いかにも近代的な発想に聞こえるが、組織における疾病への管理は
古今東西、行われている。

徳川家康の兵は、食料配給と同時に、
しゃぼん、つまり石鹸を渡され、体を洗うことを強制された。

ナポレオンは軍の進行において
ペストを意識して、負傷兵に感染者も含めてカウントしたり、
感染地を焦土化させたりもしている。

日露戦争で兵士の整腸に貢献したのが正露丸である。

疾病も一つのイベントとして
リスクマネージメントを常日頃から考えていないと
組織は盤石にはならないと
身の回りで病が起こると切に感じる。