2018-08-14

下積

自分の能力を発揮できないまま低い地位や立場にあること。
発揮できないのは、当人の無知、努力不足とされてきた。
それゆえ、現場で周りの動きを把握し自分の存在をどうアピールするかを
学んでいく時期があるべきとされた。
しかし、現代社会はその下積を無駄な時間とみなして
非効率とみなす傾向を増えている。
新人、新規参加者にも平等な権利や機会を求めている。
では、下積は悪行か?
おい、待てよ。
下積せずに周りを考えずに参入し、市場を荒らしたうえで
結果がでないわかると悪態とともに撤退する。
が、その市場を今まで形成してきたステークホルダーは
その市場を維持しないとならない。
荒らされた状況を原状回復させないとならなかったり、
その悪態による風説の流布に挽回させなくてはならない。
そこにかかるコストは被害者もちかよ。

参入障壁とかいうが、
バカが下積なく現れて、今までの商慣行を壊して結果できないと悪態をつくことに
比べたら、参入障壁を否定することに問題を感じるなあ。
そもそも、プロの仕事は下積という表現ではなく、
徹底的なリサーチとアクションへのリスクヘッジをもって
ことに当たるのであり、その徹底性が下積の域を超えているだけである。
下積が無駄と感じていること自体
プロではなく庶民レベルの愚かな判断と言わざる負えないが
庶民レベルではそれもわからないか、、、

2018-08-13

焼成

窯業などで、製品を炉で加熱したり、熱風にさらしたりすること。
磁器を焼くあげる行為だが、
その焼き上げで、
・大きさが縮まり
・釉薬や染料の化学反応で彩色が変わる
ことが起きる。
その焼成で起きる結果を想定しつつその前提で磁器を作るのだから
職人は本当にすごいと言える。
焼き上がり、つまり結果が作る前からわかっている、
そうなる前提で今を作ることが職人、プロの仕事ということか。
見積もり、課題管理もプロとして結果がわかっているなら容易なんだろうが
まだまだ僕はその域ではないなあってつくづく思ってしまう。

2018-08-10

上洛

京都に行くこと。
京都、行くという要素がないこの熟語がなぜ、この意味?
漢字分解すれば
「上」とは国家元首のもとに参上する意味を持つ。
「洛」とは古代中国の首都 洛陽 のこと。
昔、天皇(帝)は京都御所にいた。
京都は隋の首都を模して作った。
隋の首都は洛陽だった。
それゆえ、
過去からの表現と略称で、上洛という言葉が使われる。

熟語に過去からの経緯が内在しているのは
漢字独特の特徴なのかな?

2018-08-09

返上

いただいたものを返すこと。
それにはもらったという認識が前提なのだが、
シェア、フリーの概念が浸透している現代社会。
自分が享受しているものがいただいたものかどうかの認識が曖昧である。
キリスト教徒であれば、神から賜りものという認識前提で
生かされているという認識が成り立つから神に返すという概念での返上の理解はあるが、
八百万の神、その神が人格を持っている日本では
神というとどの神?どんなもの?という特定認識をしないとならないが
主語が曖昧な日本語ゆえ、返上先もそもそも返すべきなのかとなってしまう。
この先の未来認識は難しいといえるが、
モノの所有権が曖昧になればなるほど、返上という概念は薄れていくんだろうな。

2018-08-08

血眼

血走った目。
転じて
逆上して目を真っ赤にしていること。
他のすべてを忘れて一つの事に熱中すること。
要は常軌を逸脱している状態。
あまり、あるべき姿ではないというが、
そのくらいの気持ちでことになたらないと
結果はでないくらいの社会になっているのでは?と感じる。
真剣に行うことが効率的ではない、負荷が高すぎるというが
ある程度の限界値まで追い込まないと人間は進化、成長しないのでは?
って思うが、それは現代では認められないと来ている。。
危ない社会って感じるのは僕だけ?

2018-08-07

整流

電気の交流を直流に変えること。
流体の流れの乱れを整えること。
日本の家電はコンセントからとる電気が交流なものを
直流に買える整流器が内蔵されているになっている。
この事実については、知っている人は知っているがしらなくても困らない。
そして、最近僕が耳にした整流は
個々人、それぞれのやり方があるので、やり方、手順を整えたいという使い方だ。
個人主義を尊重しすぎたために、いろいろなやり方を認めてきたが
それでは統制できないという話である。

確かに、いろいろな方向性、行い方があってもいいが
あるタイミングでそのやり方を統制しないとならないときがある。
現代社会、そろそろ、整流を旨とした統制が必要かもね。



2018-08-06

逆説

真理(結論)と反対なことを言っているようで、
よく考えると一種の真理(結論と同じこと)を言い表している説。
現代人が考えるという行為は逆説である言い切りたい。
効率化、一般化、などから身の回りにあるものが当然になっている現代。
考えなければ、身の回りが真理と思い込んでしまう。
しかし、なぜそれが成り立っているかを考えるということは
それがなぜ必要なのか→それがなかったからという展開になり、
結果逆説に考えを巡らせることになる。

考えることを重視するようになっているように見えている日本だが
当たり前を否定することを嫌がる傾向が見受けする。
日本人は応用はできるが、考えることができないと言えるのでは?

2018-08-03

点検

悪い箇所や異常はないか、一つ一つ検査すること。
チェックリストに基づく各個確認。
否定をする気はないが、それこそ漏れがおきないか?
人は暗記するときにストーリーで覚えるといいとされる。
それは前後の情報がそれぞれの情報の確実性を担保するからとされる。
正常であることもある意味、一連の確認動作をすることでわかるのではないだろうか?
物事を点と点でみるのではなく、線として、そして面として把握できることが
全体把握になるし、それゆえ点と点では見えていない、線上のものも発見できるのではないだろうか?

2018-08-02

温暖

気候が暖かなこと。
これって、定性的な表現でかつ日本人基準ということは理解でてきいるだろうか?
赤道から距離が近いところに住んでいる人が思う快適な温度と
赤道から距離の離れたところに住んでいる人が思う快適な温度とは
全く異なる。なぜならそれぞれ互いの温度での生活をしたことがないからだ。
ゆえに温暖という条件は定量的な何度というものではないどころか
温暖という概念すらないといえるだろう。
四季による温度差がある日本ゆえに、暑くも寒くない気候、気温をそう感じるのだが、
夏になると温暖化と騒ぎ、冬になると極寒と騒ぎだしている現代日本に
温暖という概念はまだ残れるのだろうかって思うことがあるがね。

2018-08-01

数奇

ふしあわせ。不遇。境遇の変化の激しいこと。
漢字をここで読めば、奇妙なことが数々と。となる。
日本人の価値観として、
平常、日常が幸せであり、異常、奇妙な経験は不幸とみなさなれてきた。
それゆえ、数奇とはマイナスイメージなのだが、
昨今の個人主義、核家族化、グローバルな価値観により
日常という概念定義ができなくなっている。
果たして、数奇とは不幸と位置付けていいのだろうか?
他人からすれば不幸でも、当人からすれば日常、変化のない人生ほど不幸なものはないと思うのであれば、数奇のほうが幸福といえるのでは?

2018-07-31

人文

人間の創り出した文物・文明。人類の文化。
人文というと、文系理系の人文学として文系と言われる。
しかし、文明とは科学、数学の賜物であり、文では成り立たない。
人文学になると、理系的要素を排斥した発想になるが、
論理構成は論理和、論理積という数学的考え方であり、
表現内容の確実さは定量表現と実測値によるもので、
理系の考え方が必須である。

人文を何も思考しない暗記の領域と思ってきた現代日本の認識。
グローバルで問われる学力は言語に依存しない思考であることに薄々気づき始めているが、今までの人文系の闊歩が足枷で当分、日本全体の学力は伸びないと思ってならない。

2018-07-30

楽観

物事の先行きをよいほうに考えて心配しないこと。
心配するほどの事態でもないとして気楽に考えること。

世の中は悲観的な考えより、楽観的な考え方のほうを尊重したがる。
それは聞かされる側がその時点で気持ちが上がるか、沈むかであって、
話の内容から考えれば、どうでもいいことだとなぜ気づかない??
悲観だろうが、楽観だろうが、話の目的に有意義な情報が入っていればいいだけであり、
悲観のほうが今後起きるリスクに向けての事前予防すべきポイントが多いと思われるし、楽観のほうに本当にその実現性があるのか?不安にならないか?!

楽観を尊重しながらも現代人は
「なんか胡散臭い」
「考えていない人だから信じられない」
と言い出す。
悲観であれば、その態度を
楽観であれば、その内容を
批判するのが、現代人の本性と考えるべきだと言える。

2018-07-27

泡沫

水面に浮かぶ泡 (あわ) 。
転じて はかなく消えやすいもののたとえ。
泡沫自体は物理的な存在だが、転じて表現があてられるのは
形而上というか人の行為の結果ができない状態に当てられる。
自分の行為結果が泡沫と消えるということは
それは何らかの他人からの意図があるということであり、
本来は消えるではなく、消されると僕は思うが
それって被害妄想なのかなあ?

2018-07-26

出来

物ができ上がること。
成果が出現、表れ来るありさまを、出来と漢字を当てている。
出て来るものに対して、
出来がいい
出来が悪い
と言われるが、出来の基準がわからないといい、悪いと言いづらいはずなのでは?
その評価する人の意見や依頼の仕方の出来は?
いろいろと、世間の出来にクレームを感じてしまうのは
今の自分のやさぐれなのかなあ?

2018-07-25

周旋

売買や雇用などの交渉で、仲に立って世話をすること。
今では「斡旋」という言葉に集約されて、使うことが少なくなっている。
周旋は文字通り、周りを旋回するように、多くの関係者たちそれぞれに確認しまくる行為といえる。でも、斡旋の斡の字も回るという意味をもつので、、、やはり、周旋、斡旋は同義になってしまう。
このような表現はどの言語でもあり、decide / determine もある意味同じような用例といえる。一語一義ではないところが科学的ではない人間の感情とリンクしている言語の特徴なのかもしれない。



2018-07-24

体感

身体に受ける感じ。体で感じること。
この表現は定性的かつ主観的な認識で他人と共有できないといえる。
自分ではすごいと思っていても、他人はどうということもないということがある。
だから、言語による伝達がしづらいともいえる。
体感は直接当人が経験しないと理解されないということであり、
電脳、仮想化されている現代においては代替できない概念といえる。

体感を売りにしていくと、電脳では経験できないコト消費としてインパクトが大きいが
もし相手において納得性がないと移動時間、費用、疲れなど総合してがっかり、批判が大きいというリスクもありハイリスクハイリターンといえる。

2018-07-23

骨董

蒐集とか美的鑑賞とかの対象としての古道具・古美術品。
さて皆さんに問いたい。
人間が作るものはすべて、生産技術の影響を受けるので同じ用途のモノであれば
最新技術の製品のほうが高性能であることは事実だ。
骨董とされるものを具体的に言及してみよう。
食器などの器は材料加工、染料の洗練で、古い物よりも耐久性が高く、そして彩もきれいにできる。
絵画などの書物もデジタル加工、読みやすさにおいては現代の印刷物のほうがあからさまに情報伝達の効率は高い。

では、なぜ骨董に価値があるか、、
はっきり言えば、骨董はそのもの用途から異化されている。
器をモノを盛ることはなく、絵画は情報伝達をしたいためではない。
その骨董は、その時代のその作者が行った
「現代人では到底出来ない発想と技術、、ロストテクノロジーで生産されたもの」
に価値を見出しているからである。

みんなが出来るいいものは流行り、大量生産されるので、個々の価値は陳腐化される。
しかし、唯一、かつ非効率なモノは流行ることはないので、価値は陳腐化されない。
真の意味での付加価値を求めるならば、
効率化を目指してはいけないという事実を骨董から読み取れるのではないだろうか?

2018-07-20

存分

物事を思いどおりにすること。
満足のゆくまですること。また、そのさま。
社会制度がある人間界において、存分という行為は特別に許された状態である。
その存分のために、誰か他人が不利益を被ることになる。
あるときは親であり、あるときは管理者だったり。
存分とはある意味、特定の庇護下で許された贅沢な環境である。
しかし、現代人はこの点をわすれ、自己主張のもとに
存分=当然の権利となっている。
当然、他人との軋轢が起きるのは必須であり、もめごとが絶えない。
このように社会制度があるのに、個人主義を認めすぎて
結果的にchaosになっている事実にいつ人間は気づくのか??


2018-07-19

随分

程度が(それ相応に)著しいこと。
ちょっとこの文字には気になることがある。
随という漢字について、
多くの日本人は「遣隋使」から中国の過去の国家名と連想する。
しかし、随という一字には
「気まま」「成り行きにまかせる」
という意味がある。
となると随分、随所という言葉に内在する「多い、かけ離れた」という表現につながるのか?
自分が管理統制できない、自然の流れ、他人の動きは自分の想定を超えることになる。
それはある意味、計れるものではないという意味での随という意味に読み取れる。

漢字の語用は経緯などからいろいろと推測しないとならないから難しい。
これが日本語の難しさではあるが、だからこそ、アナグラムという
見ただけで連想できるという発想は日本人の漢字からの感性ではないかと思うなあ。

2018-07-18

擾乱

安寧が破れるほど(多人数が)入り乱れ騒ぐこと。
また、(たきつけて)乱し騒がすこと。
擾乱という言葉は全く使われなくなったといえるが、
ビジネス、新サービスの提供は擾乱状態だといえる。
~同じようなサービスが乱立
~ある企業から独立して別の立場でサービスを立ち上げ
~淘汰されてビジネス、サービスが衰退
現在のビジネス環境は入り乱れているといえる。

人間って面白いもので、自分がこの混乱した状態の当事者でいると
とても嫌がるが、そこから安全な立場、時代だとそれを競い合ったいい状況と言い出す。
今のビジネス環境も消費者側からすれば、よいものが安くなる好ましい状態という。
そして、擾乱の典型例は戦国時代、幕末動乱期なのだが、
現代人はその期間を好んでならない。
もし当事者だったら、いつ殺されるかわからない状況なのに、、

2018-07-17

愛想

人に寄せる愛情・好意。
しかし、「愛想笑い」「愛想がいい」という表現は
表面的な感情表現で本心とはかけ離れている意味をもつ。
人間の本質から言ってできるだけ他人から自分に対しては
敵意を向けないように、、というより自分の邪魔にならないように扱おうとする。
だから手っ取り早いのは、
こちらから敵意を示さない行為を行うことが社会的条理化されている。
されど最近は、自分中心な発想で愛想どころか他人の上下に関係なく
自分本位の敵意をむき出しにして、それが指摘されるとハラスメントと騒ぐのが多い。
愛想を示さず、敵意を示している輩は攻撃されるのは当然なのに
ハラスメントと騒ぐのはバカとしかいいようがないのに、なぜそれがまかり通るのか?
本当に現代社会って愚かにしか思えない。

2018-07-13

書取

書きとること
読み上げられた語句・文章をそのとおりに正しく書き写すこと
仮名書きで示されたものを漢字で正しく書くこと
今では漢字の書き取り試験ということばでしか、書取という言葉は使わない。
そのうえ、ここに記しているのもキーボードと変換ソフトを使っているので
ローマ字入力を漢字変換するのは僕ではなく、ディバイス側である。
漢字の書き取りという行為、いつまで残るのか?
逆に漢字を書くという行為はIT化、グローバル化の現代、近世においていつまで必須なのか?今後の日本語文化はそろそろ分岐点を迎えることになるのかな?


2018-07-12

仲介

商学用語では取引が行われる際に、
売り手と買い手の間に入って話をまとめて契約を成立できるようにすること。
現代社会において仲介業の存在が難しい立ち位置になっている。
インターネット普及、電子取引の安全性などから、
生産者と消費者がダイレクトで売買が容易にできるようになった。
それゆえ、卸の存在が中間マージンの搾取者とみなされた時期など経て、現在は在庫管理や物流統制などのビジネスモデルを変えてきた。卸業の業態というものが変わってきてしまった。
卸はモノの仲介業。対してコトの仲介業が今、これから問題になるだろう。
形而上で見えない、触れない、コトという存在における仲介。
存在しない対象に存在しない付加価値をつけることに、支払い先が納得するかどうかの説得力、立証力が求められる。
そして、消費者の発言力がSNSで高まっている昨今では、
仲介者という存在は
消費者からすれば、売り手側の一味
生産者からすれば、買い手側の代表窓口
とみなされて、矛先の対象になりやすい。
仲間とみなされて仲間ではない孤独感に耐えられるかが、
仲介を生業する者には問われるといえる。

2018-07-11

電化

鉄道路線の動力を電気に転換すること。今では人手の自動化はほぼ電化とみなされる。
電気なくして現代生活は成り立たない。
産業革命以降、石炭、ガス、石油などの直の火力動力より
電気は直接、火が身近になく動力を得られる安全性、効率性から
今のインフラが成り立っている。
電化製品というように、基本電気を動力とすることが大前提になっている。
たぶん、一世紀以上は電気を前提にした社会だと思う。
ただし、いつかは電気に代わるものが人類の動力になると思う。
そのとき、ここまで普及した電化の社会インフラはどうなるか?
なんて考えるのは、夢想の世界なのかな?


2018-07-10

不正

正しくないこと。正義・正当・正直でないこと。
では、正しいことは何だろうか?
権力など力のあるものから支配的に強制されることが正しいのが現代社会であり、その認識もハラスメント論理などで崩壊している。
つまりは自分こそ正しく、それに合わないものが悪い、不正ということになっている。
他人を自分の価値観で不正と騒ぐとその行為に対しても名誉棄損などで不正と逆に騒ぐ。
また技術、風習、文化の違いで今まで不正だったものが正しくなったりする。
正しさ、不正についてはあまり他人にぶつけるものではなく、個々人の矜持にすべきだと思うなあ。

2018-07-09

共感

他人の考え・主張に、全くそうだと感ずること。
現代における共感って自分からキック、主体的にいいことを言うことに対して共感されることはなく、それには対しては反感、批判ばかりになる。そして悲しいことに、反感、批判に人間は共感することが多くなっている。
また、キック、主体的になった側も共感を受ける場合も悲しいことに、反感、批判への対応が上手い場合に共感される。

コンピュータゲームではないけどクリティカルヒットは評価されず、カウンターに対して共感という評価する社会のようだ。先の先という自発的な行動より、後の先のように受け身の姿勢を良しとするのは現代、日本の固有価値観なのかねえ。

2018-07-06

便宜

都合のよいこと。よい機会。
とはいえ、「便宜を図る」という言葉が通例であるように、便宜は意図的に作られるものであり、都合がいいのではなく、都合を合わせてもらっているということ。
最近不思議に思うのだが、コミュニケーションができていて、今後の社会貢献や経済活動を効率化させるために、便宜を図っていることに対して、コミュニケーションができてない輩から、「癒着だ」「公正ではない」と騒ぐのはどうだろうか?
コミュニケーションが重要といいながら、その結果を批判する社会ってバカなの?

2018-07-05

愁眉

うれいを含んだまゆ。心配顔。
だからこの状態から解放されて安心することは
「愁眉を開く」という。
僕はいい言葉だと思うが、たぶん、その愁眉の元凶であった張本人は愁眉という言葉も知らないだろう。それだけ、現代人は博識を失っている。テストに出る問題のみの理解と自分たちの作り出した新しい表現に使っている現代社会だからだ。
現代社会を否定することは反体制と言われるが、否定しよりよくしていることが社会貢献という考え方には行きつかないのか?
まさに現代社会に愁眉を集めてしまうねえ。

2018-07-04

緻密

細かい所まで行きとどいていること。
頭がいい人ほど、緻密に物事を進める。それにより、失敗、手戻りがなくなるから正しいとされていた。僕からいえば、されていた、、つまり過去と言いたい。
考えてほしい。緻密な検討を他人から指示されたとき、人はそれを受け入れるだろうか?そしてその時の失敗を自分のせいと認めたり、その失敗を糧に成長するだろうか?
人は自分で考えて、そして失敗をして、その失敗から新たなものを学ぶ。この工程を他人任せにしてしまうと成長もモチベーションもなくなる。それは人として生きがいをなくている状態といえる。
現実問題、緻密な計画ほど実行されない。少しでも手戻りが発生するとその手戻りの原因ばかりの追究で、本来行うべき活動を忘れがちになってしまうのは、みなさんよく見ている活動だろう。それでどれだけの人間が仕事に嫌気をさしたり、ストレスをかんじているかは言わずもがな。
頭のいい人、それが考える緻密なもの、、必ずしも他人にとっていいもではないんだよね。

2018-07-03

機械

定義的には外力に抵抗できる物体を組み合わせ、動力によって一定の運動を起こし、その結果、有用な仕事をするもの。
設計通りの働きをするように人間が作り出した(物質の組合せによる)装置。
となっている。
しかし、現在、機械はすでに概念化している。
~機械的に行う
~機械処理
というように、言われたことをそのまま遂行できることを指すようになった。
人の動作より正確かつ精巧になった機械の動きに対して、人間の存在意義は機械を作る、動かすではなく、何を機械にさせるかという’機械’を使う’機会’作りになりつつある。
考えてみればアベコベだ。人手が足りなくて機械を使って楽しようという要求だったものがこの機械を使うためにはどうすればいいかを考えることが人間の価値になるとは。
これがSF小説にあった、機械に支配された社会なのかもしれない。

2018-07-02

奇異

普通と特に様子が変わっていること。
~価値観の多様化
~カスタマイズと言われる個人仕様にしやすい商法、商品
~個人主義の尊重
ということから、普通の概念が崩れている。
僕からみて面白いのは、
自分自身が奇異な状態になっているとしてもそれはおかしくないとしながら、他人が自分の思う普通と違う場合は、それを奇異と騒ぎ立ている。
個人主義の尊重は個人の行動の自由を認めるのではなく、自分が他人を責めたてることも個人主義の一部と思っていることが現代社会に多々見受けられる。
奇異の普通の概念が自分の思い込みになっている現代の状況、、歴史的にみて統制の効いていない奇異な時代と後世から言われるのだろうな。

2018-06-29

運気

自然の現象に人の運命を当てて吉凶を判断すること。また単に、運のこと。
科学的、論理的、因果性という近現代の発想からすれば定量化できないこの発想は認めるべきではないものかもしれない。
しかし、信仰、宗教、が人の心の糧、そして人権として認められ、それをよすがにすることに人は救われる価値観がある。そのうえ、神仏を心から拝んでいないが、寺社参拝、暦上の行事を行うことで、ご利益を求めるのは、まさに定量的評価以上に何か力を得たいがためといえる。
運命の因果律という概念もあるが、やはり運気というものによる引き合わせ、他人間において需要供給の一致タイミングは計算というより、その運気と思うしかない。
いくら計画を計算してもその通りにならない自然界で発生する事象。その事象を自分の都合にあうようにしてほしいと思うということは、運の存在を認めてそれが自分に向くことであり、近現代の発想がいくら進化しても心は進化しない、できないということか??

2018-06-28

首魁

悪事・謀叛(むほん)などをたくらむ中心人物。首謀者。張本人。
悪のリーダーのことなんだが、首魁と言われるということは
実質的な権能者であるが、肩書上はそうではない人に使われる。
悪事に関わらず、肩書と実質権能が違うことは人間社会ではよく起きる。
それは、肩書を決める時点の定点的な評価だが、社会、生命活動は刻一刻と新しい局面を迎え、それに個々人は対応することになり、その時点で必要な動きをしているに権能が集まるのは自明の理といえる。
首魁とされる存在については、、悪とみなされる側がそもそもどんな組織なのか分かっていないので、見えているところのリーダー格をそうみなす表現である。
であれば、現代社会は公開された組織、高度な計画を求めるくらい先読みができると思われているのだから、先を見越した肩書にしていないことがその組織の問題ではないどうか?

2018-06-27

発汗

汗が出ること。汗をかくこと。
人間は変温動物であり、汗をかくことで体温調整する。しかし、人によってはその量が違う。服の濡れ具合からはっきりわかるレベルだったりする。
汗を多くかくのは、いいこと悪いこと?というとこれもまたいろいろあり、運動不足、太りすぎだと汗をかきやすいとか、スポーツマンだと汗がすぐにでるとか、いろいろと矛盾しているような、でも科学的裏付けがあるような表現がいくつもある。
発汗にはいろいろとあるが、個人的にはこの多汗症ぎみの自分にとっては、夏の外出や運動後は、なんとも堪えがたい不快さを感じる。

2018-06-26

巧拙

巧みなこととつたないこと。じょうずかへた。
上手、下手と表現されるもの多くは、定量評価できず定性評価なものが多い。
文章
書き文字
描画
舞踏
が例で挙げられる。

上手って言われたいけどそれは評価する相手の価値観に左右されるのだが、日本の場合はなんか権力者が言ったものが上手の基準になり、権力者に求められないものが下手になりやすい。
何をもって上手いか、下手かの基準がないからこそ、自分の価値観に自信のない人間の逃げが権力者への責任転嫁と判断基準の属人化ではないかって思う。
ただ、子供に上手ということや子供から敬意の念で親の技巧をほめることが時代、民族に変わりなく行われていることで、本当の意味での上手とは親子関係ではないかって僕は考えることがね。

2018-06-25

満遍

残るところがないこと。全体。
禅宗で、平均・平等の意。
「満遍」で、全体、余すことなくという意味なのに
「満遍なく」とないという意味をつけても同じになっている。
否定しているのに、同じ意味って、日本語の難しさを感じてしまう。
ただ、満遍なくという表現しか残っていないだけに、
時代とともに言葉が変わった一つだといえる。
しかし、言葉ってどうやって変わっていくんだろうね。

2018-06-22

均整

つりあいがとれ整っていること。
バランスがいいとされる。比較的好意的に受け取られる言葉になっている。
ということは、無難にほめていない、使えない存在と思われているとも言える。
能力や個性とは、ある部分がずば抜けていることであり、それって均整とは言えない状態である。その均整が取れていない状態を求める機運がある現代において均整ということは価値があるのだろうか?
されど、時代は流転する。これだけ能力、個性によってハチャメチャになってしまった現代社会、均整のとれた無難な存在のほうがある種、うまく立ち回ることができる時代になりつつあるのかな?

2018-06-21

憶測

いいかげんな推測をすること。あて推量。
実は多くの人が見過ごしているが、憶測=嘘ということ。
当人としては、自分の持っている知識や情報で述べているので
嘘をついている自覚がないが、それを聞いた側がそれを事実と信じてしまうことが嘘の始まり。嘘とは真実ではないことを真実としてしまうことであり、真実ではない自分の思い描いた持論をが他人に伝わることで嘘は成立してしまう。
現代社会、この手の嘘、虚偽による事件が絶えない。
誰も嘘をついていない、自分の意見を述べただけ、、
そもそも、意見を述べるという自己主張は嘘でしかないということを
義務教育レベルから徹底的に教えるべきだよ、この日本という国家は。

2018-06-20

対等

地位・力量などが相手と優劣がなく、同じ程度であること。
現代人の多くが社会がこうなることを目指しているが、それって社会ではなく混沌である自覚はあるのか?混沌状態がやばいから社会を作ったという事実を忘れていないか?
社会的秩序を保つことは、人間を階層化、役割を持たせることが重要である。高度になればなるほど、同じ階層、役割を持つものは存在しなくなる。自分は自分しかいないという発想もそこから生まれるし、それゆえ機能的な個性の尊重と逆に機能的にかぶっている非効率的と批判される。

僕の神瞰で現代社会ををのぞくと
~対等ということで言うことを聞かない上下関係
~同じ部署に複数人管理職がいて、それぞれが「無駄なことが多い」と口にしている
と対等という発想が生み出した社会悪ばかりに見えてしまう。

2018-06-19

搭載

艦船・飛行機・貨車などに、人員・資材を積み込むこと。
転じて、機械本体にその部品として組み込むこと。 
最近は部品というより、動く機能があるかないかに転じてきている。
この言葉の意味の転じ方を見ると、形而下から形而上に向かい徐々に進化しているから見受けられる。
「何が入っているか」から、
「何をするものが入っているか」というになり、
「何ができるようになっているか」になっている。
より有用性に言及していることから、意味昇華されているなあって感じる。

2018-06-18

謳歌

声をそろえてほめたたえること。
転じて、自分の恵まれた境遇などを、他人にはばからず言動に表すこと。
「うたう」という行為は幸福の象徴かもしれない。
歌うことができるだけの余裕や歌うことで不幸を忘れさせてくれる。
歌の力というべきか、、
でも、僕は思う。
上記のように歌うことは「他人にはばからず」という表現があるように
基本自分中心の行為でしかない。つまり、歌っている、謳歌している人間に対して
他人は幸福を感じることは少ない。歌っている人間と親近感がなければないほど、
その行為に対して、不快さを感じるのが人間の本性だと言える。
そこにより、他人は不快さから相手の幸福を妬む、嫉むことになり、
幸福な状態から不幸に落とされるような行為を受けかねない。
歌い、謳歌する行動は自分の内に秘めるだけであまり表に出すべきではないと思うが、現代人は感情をそのまま表し、他人の妬み、嫉みを真っ向から向き合い、、結果コミュニケーション障害を生み出していることになんと自覚のないことか、、、

2018-06-15

干天

久しく降雨がなく日照りが続くこと。
現代、異常気象という発言が目立つ。
しかし、それは誤りだと言えないか?
干天という言葉や飢饉という事象が過去にあった。
それで多くの人間の命が失われた。
日照りの害は昔からあった。それも大量な命が奪われるくらいの。

現代では熱中症で倒れる人が毎年いる。
それを異常気象というのは?
過去の気象データがないだけであって、もともと日本の気象は
今とあまり変わっていないのでは?むしろ昔のほうがひどかったのでは?

科学技術を信じて、科学が捉えていることのみで発言、判断するのは
現代人の悪いところと言わざる負えないね。

2018-06-14

世代

次の世代の子を作るまでの周期または期間、同時期に存在する同系統の機械の型。
世代という言葉を使う理由は周りから見たら同じものに対して仕切り、区別をすることで
アイデンティティを示そうとしている意思、意図を感じる。
そもそも、世代という概念があると言うことは同種のものがあふれて、没個性、コモディティー化されている状態と言える。それゆえ、価値が見いだせないからこそ、自発的、内発的に世代という表現で自己の優位性を示そうとしている。

でもね。それってスペック表記でしかない。
だから、バカなものが
「新しいスマホとの違いについて性能、スペックを細かい文字で書いても自分ら世代には伝わらない、もっとどんなことができるか示すべきだ」
というお前らの世代ってなんだよ。作っている側の人間どどう違うかわからない、、もっとも発言レベルからして、世代という次元が違うかもしれないがね。

2018-06-13

山菜

山野に自生し、食用にする植物の総称。
経済、市場の観点から見れば、山菜は野菜に対して負け組でしかない。
野菜にカテゴリされず、栽培方法、品種改良もされないままだから。
ただし、それゆえの貴重性、そして汎化されない味ゆえに
高単価で取引されるのであれば、山菜の存在理由もあるだろう。

市場経済って、右肩上がりの成長だと数論理で薄利多売になるものが市場を支配するが
成熟そして衰退がはじまると質の論理で希少で高単価のほうが市場のゲームメーカーになる。
現在の市場においてこの製品は?って思うことがあるが、ふと思う。
食べられる野菜や山菜からすればどうでもいいこと。
食べられるのはいいけど、種が滅びない広がりがあるのであれば、、なんだろうなっと。

2018-06-12

焼売

豚の挽肉を小麦粉の皮で包み蒸し調理した中華料理の点心。
日本において、点心は得てしておかずになりやすく、
ワンタンや餃子などの一種ととらえられ、戦後の日本の食卓を飾ってきた。
ただ、餃子の市場規模に対して、焼売はちょっと寂しいのは事実。
でもそれって、、点心から日本食の焼き炒めるに進化できなかったからだと思う。
点心ではありえない、焼き餃子が日本では主流になっている。
対して、焼き焼売ってない。それが日本のコンロ調理には向かなかったのでは?

悲しいかな、文字的には焼き売りと書いて焼売。
実際には蒸すので焼かないために、日本の家庭料理に浸透できなかったかな?

2018-06-11

予防

悪い事態を生じないように気をつけ、前もって防ぐこと。
事前に対応しておくことが被害を最小限にするという発想だが、
僕は現代社会、いや現代人には予防をする必要はないと判断している。
確かに、予防で被害は最小限にできる。でも最小限であり、0ではない。
問題はここで、0ではないことに対して、予防を行っている側、支援者に
被害者は牙をむける。
~もっとできたはず
~わかっているなら自分がこうなる前からうやるべきだ
と最小限にした分、現代人という庶民はもっとという要求を言い出す。
そもそも、原因は自らの行為にあることを棚に上げて。

予防を受けた時点で予防側の免責がないのでは話にならない。
予防でコストを抑えるより、そのまま惨事を起こして巨額のリカバリを行ったほうが
感謝と支払いを受けられる事実を鑑みれば、現代社会において
他人に予防を施す意味がないと言わざる負えない。

もっとも、自分自身においては、、僕は予防以上に天眼があるので
最小限にしているがそれでも、0でないのでつらいのは事実だがね。

2018-06-08

本文

書物の本体となる部分。
日常生活、日々の業務で使われるとしたら
言いたいこと、伝えたいこととして用いられる。

本文をうまく説明できない、何が言いたいか、わからないとか言われる社会。
でも、これって難しいというか、何を本文かは相手の理解に関わる。

例えば
本文は
「ゴマちゃん買って」
と言いたい幼児。
でも親は
~ゴマちゃんって何?
~なんで買ってほしいの?
となる。
だから、幼児は
「ゴマちゃんはアザラシの赤ちゃん、アシベというテレビ番組にでてくる。
 アシベはNHKの夕方の、、、、」
「ママと『次のお出かけまでおねしょしなかったらおもちゃ買ってあげる』を守った、今日はお出かけの日だと思っている」
と説明しなくてはならなくなる。
この説明をしてしまうと
「何を言いたいの?」
と親に言われかねない。

幼児の説明も理解できない親が多いこの時代。
複雑なIT技術/ビジネスプロセスを本文だけで理解できない輩のために
その前提説明をしても、何を言いたいかわからないって騒ぐのだから
もはや、言いたいこと、伝えたいことなど、容易に理解できないと思うべきだろうな。

2018-06-07

豊穣

五穀がゆたかにみのること。
人間の営みにおいて、幸せの源泉だったといえる。
とりわけ、農耕民族においては、、狩猟民族とて、豊穣状態は獲物が肥え増えるのだから謝肉祭の呼び水として幸せに感じるだろう。
現代社会、農耕、狩猟を一次産業とひとまとめ軽視し、多くの人は知的産業にシフトしている。それにより、豊穣な状態は収穫期ではなく、日々生産できるような科学的な施策を求められるし、それが当然になりつつある。
それを否定する気はないが、人間のもつ歳時感覚。
秋の収穫が豊穣になるように向こう一年の行動を考えてきた。
その感覚がただの時間的節目になっている状況は、果たして人間は自然的、地球的に問題ないのかなあってまた哲学的に考えてしまった。

2018-06-06

先見

進路・趨勢(すうせい)の赴く先を見抜くこと。
ある物事について、それがはっきり現れないうちに、前もって見通すこと。
多くの場合は、結果が見えてから過去の行為を先見とみなすのがこの言葉の現代の用法だといえる。
現代社会は大量な情報と高度な分析から計画された行動を求めるので、すでに見えている結果になることに対しては先見とはまず言わない。
しかし悲しいもので、その計画どおりに進まないことばかり。計画より求められる結果を導くために遂行できる人材を揃えていることに対して、先見の明とか言い出す。

計画どおりできないことを見通しての対応を先見って、なら計画どおりにさせることや計画通りにならないことを見通しての行動には、、、まー組織や人間関係からわかっていてもできないのも現代社会か、、、

2018-06-05

中間

物と物、点と点、思想・政治などの間。
始点、終点は特定できるが、中間という場所の定義は感覚的、意図的に変えられる。
逆に言えば、始点でも終点でもないその間すべてが中間といえる。
だから、中間という発想は都合がよくて、そして、混乱を招く。
限りなく始点、終点に近くても中間だったり、どっちでもないものも中間である。
コンピュータは、0,1で動く。それゆえ、いろいろと計算や処理が速い。
だから、中間という概念はなく、計算上1/2はわかるだけである。
中間という概念が人間らしく、そして判断を鈍らせているのではないのかなあ?

2018-06-04

習合

幾つかの教義などを取り合わせ折衷(せっちゅう)すること。
有名なのは神仏習合となる。
この発想は日本の好きな曖昧さの表れ。
Aでもあり、Bでもある。
この発想だと正解も間違いもないので、ある意味考えの平等が成り立つ。
しかしだ、定義や教えの重要なポイントは
何が違うか、何が正解かを明確にすること。
それをしないでいることが今の日本の決められない、結論がよくわからない
ということになり、物事が進まない、誰の責任、どう改善させるかがわからない。
誰も傷つかない平等では、物事は進まない。
それゆえ、日本はグローバルという言葉でその慣習を払拭させていることが見て取れる。
習合を支えてきた日本人の2000年近い歴史は気づかずになくなりつつあるのか?

2018-06-01

一式

それについての全部。ひとそろい。
しかし、この表現には大きな問題がある。
それぞれの思っている一式に含まれるものが違うことが多い。
だから、当人からすれば十分でも他人からすれば、
まだまだ不十分とされることがある。

不十分と思っている側からすれば、中途半端な集め方と思うし
十分と思っている側からすれば、必要ないものも用意させる蛇足な見解と思う。
得てして、不十分と思っているものから十分と思っている側へのクレームになる。
現代社会、大いに越したことはないが
それを集めることで失う労力、時間もバカにできない。
不十分と思う側は、労力、時間は自分ではなく相手がすることだから
どうでもいいのだが、いざ自分になると、逆のことを言い出す。

一式という概念があるようでないと考えないと人間関係を壊しかねない。
すべてのアイテムを事前に確認することが求められることになるのだが、
根本的に事前に確認することができない関係だからこそ、一式という言葉を
容易に使ってしまうのではないかって現代の意思疎通のおかしさを感じてしまう。

2018-05-31

懐柔

まく手なずけ従わせること。抱き込むこと。
現代、、なんか悪い表現に使われることが多い。
しかし、これが仲良くなること、コミュニケーションではないだろうか?
現代人は自分に都合いい仲の良さを求めるときはコミュニケーションと言い出し、
自分がうまく接していない相手側には癒着、懐柔とか言い出す。
これって、社会全体的に餓鬼界になっていると思う。

2018-05-30

撹拌

かきまぜること。かきまわすこと。
かき混ぜる目的はなんだろうか?
異なる2つ以上の流動的な物質を簡易に均一な状態にさせることで
人間に有用なものにさせることといえる。
では、その意味を物質的なものから意見や議論に昇華させた
撹拌の意味は?
多くの意見を混ぜでアウフヘーベンさせることのようだが、、
最近の議論は撹拌しているようで、発散して先に進まないような結果が多い。
意見や議論での撹拌は物質の撹拌のように結果のイメージをわかって
行うようにすべきだと思うが、わからないこと撹拌させているという意見もある。
僕からすれば、そもそも撹拌すべき内容ではないことをしていないか、
水と砂でコンクリートというものが見えているが、あえて
砂と油を撹拌させているように見える。

2018-05-29

道程

形而下では、ある地点に着くまでの距離。
形而上では、ある境地・状態になるまでの時間。過程

モノの遷移を示す言葉。
万物は流転する。流転とは、時間、空間の移動を伴う。
そして、人間はその流転の様子に興味を示す。
それによって、科学を発展させてきた。
でも、、それによって、本来のある到達点への結果をおろそかにしているような、
ちょと哲学的に思った次第。

2018-05-28

手柄

人からほめられるような立派な働き。功績。功名。
現代社会、高度化しているせいか手柄の所在がわからない。
実際に行動を行った人には手柄はなく、
その作業をできるようにしたのは自分
それを指揮したのは自分
そいつらを雇っているのは自分
と実際に行動した人間の手柄を自分に帰属させようとすることばかりだ。
手柄をそのまま、行動した人間に与えればいいではないか!
その寛容さなどを評価すれば、、、??!!
そうか、、もうそういう寛容さは評価できない輩ばかりか、、
なら一層、失敗したときにはその人間どもの評価、命で賄わせるように
させるべきではって思ってならないよ。
現代社会、複雑になることは構わないが、
責任が不明確になることは違うし、身をもって責任をとることのなき社会が
社会っていえるのか??って思いしかない。

2018-05-25

事例

具体的な実例。

成功事例を分析してさぞ「成功する要素はあった」と他人の手柄を
自分の手柄のように分析結果を語る輩が多い。
それって結果前提の立証であり、これからの結果と関係ない話だといえる。
そもそも、成功事例を分析なんかしても意味がない。
それより失敗事例のほうこそ前向きな分析であり、その理由のほうが実用的だ。
しかし、真面目にバカ社会は失敗を蔑視していることが多く、
同じ轍を踏むことが多いのも事実。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
という諺があるが、実際問題、経験から学ばない愚者以下の人間ばかりで
逆に経験、歴史から学ぶことを否定する輩が多いのは進化か退化か?
僕は後者に感じてならない。

2018-05-24

草叢

草の茂った所。
ソウソウとも読むが、くさむらとも読む。
そもそも、草叢の叢だけでも、くさむらと読み同じ意味。
ある意味、草叢の草は接頭辞としての送り字。
漢字一文字でも意味をなすが、熟語にしたほうがわかりやすいという
日本独特の表現でもある。
とはいえ、、叢という字自体、すでに使わなくなっているので
この表現自体もう古語となるがね。

2018-05-23

常識

健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。
という意味であるが、実態は個々人の思い込みで一般人が共通して持つ知識などない。
「一般常識がない」と口にする人間が一般常識がないと結論づけたい。
なぜなら、一般常識という自分基準の思い込みを常識として
他人に押し付ける行為は非常識人と言えるので。

元来、人間には常識という概念はないに等しい、
それが画一教育を主是としてきたありし日の日本人には
みんな同一理解があったので、常識という概念が芽生えたにすぎない。
専門知識化、個々人の能力主義尊重により
在りし日の日本の思いは破綻したいえる。
常識を口にする人間を侮蔑することこそが、常識であるべきだが、
それもまた非常識と思うことになる庶民と自分の乖離は深いなあ。

2018-05-22

綿密

やりかたが細かくて落ちのないこと。
日本においては正しいやり方とされるが、
この発想が今の日本製品の衰退になっている。
綿密なこと、、それは現時点の自分視点でしかない。
しかし、市場は未来志向で顧客視点である。
顧客視点、自分たちが思いもよらない使い方などは
綿密に考えれば考えるほどその余地をなくし、結果使われないことになる。
ある程度のカタチで提案、市場に出すことを行い、
市場の評価や使用者の使い方をうけて、改善や新製品を出し続けることが求められる。
綿密に考え、完璧なものを提供するという思いは
正しい職人根性ではなく、思い上がりとみなされかねないのが現代だ。

2018-05-21

金物

金属製の器具・道具のこと。
今では言わなくなった言葉に近いだろう。
社会、技術の変化、進化がそうさせている。
言葉の発生は、日常品の多くが木製や石製のものばかりで
高温鋳造の金属製品など庶民には程遠い時代にその製品をみたときに
他と違うことを言い示す短い言葉として、金物となった。
その金物が産業革命や家内制手工業から工場大量生産で
手ごろな価格で手に入るようになったゆえ、木製などど分けることがなくなり
金物という言葉が日常から消えつつある。
まして、金物より使い勝手のいいプラスチック製品などが安価に出てきている今では
なおさらこの言葉を使わなくなる。
言葉はモノ、コトの盛衰に左右される。
その衰退でなくなる言葉に対して
製造ラインを辞めるからもう使わなくなると言い切れないため、
永続的に残り、辞書の注釈などを膨らますことになる。
言葉って言語を使い続ける以上どんどん膨張するものであり、
ひとりの人間が全部理解することはできないどころか
他の言語もある人間社会は、果たして時間、地域を超えて
意思疎通できているといえるのだろうか?
ただ自分はそう思っているだけで相手は全く異なる理解なのでは?
って思うほうが当然ではないだろうか?

どうも、他人との意思疎通にこの疑念がどんどん高まる不安やあきらめは
僕だけの問題?

2018-05-18

錬成

心身・技術などを鍛えて立派なものにすること。
判例としては、「軍隊を錬成する」ということになるが今の若者は
錬金術での錬成っていうことになる。
逆にいえば、錬成という言葉が現在使わないからこそ
現代社会にない錬金術の言葉と思ってしまう。

言葉は再起するが、その使い方が当時と違うことになっても。
それは和歌にある技法、本歌取りのように
昔使われた表現を現代にアレンジすることで
見聞きした言葉なのに、新しさを彷彿させるのは
読み手、聞き手に大きなインパクトを与えることができとても使い勝手がいい表現とえるね。


2018-05-17

沽券

人のねうち。体面。面目。
主に、自分の価値、プライドの意味で使われる。
現代社会における沽券は取扱いが難しい。
自分が思っているほど、こちらの沽券を他人はどうとも感じていない。
なぜなら、個人主義ゆえに。
しかし、沽券を抵触する行為、発言を受けたと認識すると騒ぎ始める。
なぜなら、ハラスメントや名誉棄損という概念が日常化しているからだ。

僕でいうならば、
他人の文章、言いたいことがよくわかないことが多いなか
他人から「あなたの表現、よくわからない」と言われる。
お前の文章のほうがわからないぞって思って言い返すと
失礼って言われることになる。
相手の見解の沽券のために、僕の沽券はどうでもいいとなる社会。
どうも理解しがたいが、だからこそ他人に意見を述べることはリスクと思うだと感じてしまう。

2018-05-16

差配

所有主にかわって貸家・貸地などを管理すること。
汎用化されて、指図してとりさばくこと。
似たような言葉に采配って言葉がある。
差配と采配、違いは
差配は個人、小人数
采配は組織、大人数
と読み取れる。
もともと采配は軍事用語、プロジェクトなどのように
組織運営に関わる言葉は軍事用語から転用されやすい。
まして、プロスポーツの世界などでの運営は
まさに疑似戦闘ゆえに転用されやすく、それがメディアに乗って伝播していく。
現代社会の組織運営は小規模なので
ある意味、差配レベルだけど、雰囲気、カッコよさで
采配なんて言ってしまうこともある。

ただし、差配は不動産など金融で使われることが多く
公用性はこちらのほうが格式高い。

言葉の語源などを理解して使い分けることが
知識や礼儀につながるが、、それを無視して
自分がわかるようにと強要する能力主義、、
能力があるのか、ないのか、、全くわからんねえ。


2018-05-15

和裁

和服を制作することやその技術のこと。
現代人の多くは和裁を学ぶ機会をなくしている。
洋服という言葉がすでに服という言葉なることで
日本の着物が普段着でなくなり、
家庭、学校でも和裁を学ぶということが一般から特殊になっているからだ。
和裁がなくなることに嘆くことは僕は違うと思う。
逆に今まで一般だったものが特殊になるということは
それだけ、付加価値、高騰するので、
和裁のスキルが高く評価されることにもなる。
ただし、それを今まで誰でもできたのに、安くていいという発想が
未だにあることが嘆かわしいと思うべきである。

2018-05-14

殺伐

平気で人を殺傷するように気風が荒々しいこと。
この表現が現代でも使われるが、
実際問題、現代人のもつ他人を殺す雰囲気って過去が示す殺伐とは異なっている。
そもそも、他人を殺すという好意自身がおかしいというが
それは平和ボケの日本の思い上がりで、全世界的にみて日本の価値観は異様だ。
先進国においても、この死生観、、認識の甘さは、、
逆に危険認識力の低さにもつながっているだろう。

殺伐という表現が未だに使えるということは殺人という行為が
身近でなくなって等しいからで、言葉自身の衰退が起きているといえる。
殺伐という実体験的なものがなくなっているは
安全と思うか、他国、社会情勢に目耳をふさいでいるだけか、、
それは今後の日本の国際的地位がそれをものがたるだろうな。

2018-05-11

自明

証明したり特に詳しく説明したりするまでもなく明らかなこと。
これは現代社会では成り立たない。
自明と思っていることはある意味、自分の思い込みでしかない。
それを知らない人に向かって自明と言い出すと、
差別、パワハラになるリスクがある。
個人主義ゆえ、画一した知識教育が必ずしもできるとは言えない。
高等教育、大学教育の差
専門知識の細分化による理解差
から、自分が知っていても他人が知らないことの差が大きい。
それゆえ、ここまでは自明と思っていることも他人が知らないことについて
そうなんだ!って思うべきで、そこの知識差を埋めるための説明が必要であり
知らないのか!っていうのは、他人の侮蔑になる。

この事実こそ、自明だと思うが、
知らないのか!っていう思い込みが自明であることが
現代社会のコミュニケーション問題の源泉のひとつと言える。

2018-05-10

我慢

辛い事を耐え忍ぶこと。
お気づきだろうか?2000年前後から、日本の価値観が変わり
我慢をすることへの経緯、美徳感が失われ、
それはしてはならない、させてはならないになっている。
個人主義の台頭がそれの根源なのだが、
我慢からくる譲り合い、そして我慢をしたから得られる代償が
社会秩序になっていたところもある。
でも、今は価値観の変わり目でもあり、
我慢をしているのに、って思う人に対して
そうしていない人が
「勝手に我慢しているだけ、自分は我慢なんかしない、だから利益は自分のもの」
と言い出すこともあり、相手を不快にさせることが多くなっている。

我慢と個人主義、、相反する価値観なのだが
それが共存している今は異常な状態という認識がないことが
現代日本人の大きな問題なのでは?

2018-05-09

後継

後を継ぐ、後継ぎ。
職人、中小企業の高齢化などで、
後継者がいないとか言っている。
後継者がいないということは、そのビジネスに魅力がないからといえる。
その後継者がいないことを嘆く人が多いが
その嘆くなら、その人が出資や労働を提供すればいいではないか!
現代人は他人事のように言いまくるが、
その発言を言う割には責任ない行動ばかりしている。
後継を望むなら、それに見合う対価、代償がなくては意味がない。

2018-05-08

再鑑

自分が出したお金をお客さんに返す前に別の人にもう一度数えてもらうこと。
転じて、金融業界などでは成果物のレビューのことらしい。
業種業態によって言葉の定義が転じやすいが
その環境に新しく入ってきた人間はその定義について
当たり前と感じると、その環境から離れたときに新しい環境に否定される。
逆に違和感を感じると、その環境になじまずに溶け込めない。
郷に入っては郷に従えというが、
それができるということは、自分の行ってきたことに自信がないというか
自分の価値がないとみなせるかどうかであり、この能力主義社会において
それを認めることは、、、、いろいろと難しい社会構造になっているなあ。


2018-05-07

瑞祥

めでたいしるし。
瑞という字は、めでたいという意味の漢字なのだが
現代人はこの字をあまり使わない。
正統にこの手の漢字が使われていれば、
「これ、やばい」
という用例どころか、もっと古い言葉遣いから考えれば
「有難し」
もなく、
「この結果、、、瑞だね!」
とか言うべきだったかもしれない。
定められた言葉、思うように使われなかったり、そしてすたれていくのは世の常だが、
そう考えると、言語的な理解の勉強って日々変わるから、
初等教育では意味がないのでは?
逆に日々更新するべき自習事項であるべきではないか??
って思ってしまう。

2018-05-02

苦労

あれこれと、体や気を使うこと。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」
子供のときに味わう苦い経験、それが人生においてリスクヘッジの糧になる
が、今はそんなの非効率だ、そして、子供虐待だとなってしまう。

僕の父親はバカなくせに下手な考えをもっていたので、
いろいろと社会に迷惑をかけた人だった。
僕が高校の文化祭準備のときに
いろいろと物入りでそれぞれの生徒が得意分野で借りたり、
買ってこなくてはならなくなった。

立て掛け看板が僕の担当になった、それは
土木業をやっている実家のこともあり、
比較的交渉しやすいと自分も周りも思ったからだ。
人によっては寸胴とかあり、それよりはましだったのだが、

父にお願いしたが、父は協力してくれなかった。
責任感の強い僕は工事現場を周り、お願いをしまった。
雨の日、それを自転車で走り回って、肺炎になりかけた。

さすがに母が怒って、電話一本で容易に現場が貸してくれた。
父はものを借りるのは大変だと教えたかったみたいだが、
僕の父への信頼がなくなるどころか、
クラスメートから父は息子に協力せず、肺炎に追い込んだ虐待する親だ
と思われることなった。

父が思うほど社会は厳しいのではなく、
逆に非協力的な姿勢がバッシングを受けるということを
父は理解できていなかったというのが僕の結論だ。
他人を苦労をさせるのは、、愚かな判断だなあってつくづく思った。

2018-05-01

扶養

自力で生活できない者の面倒をみ、養うこと。
扶養の概念は高度な知能を持った動物がもつ。
基本は育児の扶養であるが、
哺乳類の一部が身体的障害、高齢者を扶養する。
人間は扶養を論理的に考える。
育児は未来の種の繁栄のため
高齢者は今までの社会貢献への報恩
そして、障碍者には社会との責務ということで。
でも、扶養に論理をつける必要があるだろうか?
逆に論理的に考えると、扶養する意味があるのだろうか?
と思うこともある。扶養はただの無駄な行為?
扶養は論理というより、人間という動物の本能としてとらえるほうがいいのでは?
そして、論理的に考える最近の人類の傾向は本能を否定している
自然法則への冒涜ではないかってまで考えてしまう。

2018-04-27

開設

新しい施設や設備などをこしらえること。
また、新たにその運用を開始すること。

開設することは案外簡単で、逆に閉鎖するほうが難しい。
難しいから、放棄された状態になっていることが多い。
人間、新しいことには興味を示すからやる気になる。
しかし、終わらせることについては、全くやる気を示さない。

子供のお片付けではないが、結局、人間という動物は片づけをしないのである。
神瞰する僕から提言すれば、
開設するときは何かを閉鎖することを義務づけようにしないと
社会全体がいろいろな放棄状態で、開設する環境がなくなるのでは?

2018-04-26

業物

見掛けはどうあれ、切れ味の鋭い刀剣。
転じて、良品や名品に与える褒め言葉。
業物はわざものと読むが
技物とは書かない。
業と技との違いは?

技は、その結果が当人に付随するが
業は、その結果がコトモノに帰属するもの。

個人としては技を求めることはいいことだが、
社会という概念では、業を残すことが偉業となるので、、
僕みたいな孤高な生き方をしていると、技と業、どっちを目指すべきか?

2018-04-25

散文

定型や韻律を持たない普通の文章。
型にはまった文章に対しての散文。
しかし、現代社会、文章そのものになっていないものも多い。
散文と言えども文章であり、
文章を書くのと文字をつなげるのはちょっと違うのではって思うこともある。
散文でも文章を書くことは結構重要であり、
それが読むために、読解力につながり、最近でいえば
AIに勝て自分の存在の立証にもなる。

、、、のだが、、まーー、
人間の歴史、、話し言葉が文書を駆逐してきたから必ずとも言えないがね。

2018-04-24

来歴

物事が過ぎ経てきた次第。
どうしてそうなったか、、それを知ることが重要なのだが
情報化社会、そして多くのログ、断面がそのままに残る時代。
来歴ではなく、誤った情報として出回ることが逆に問題になっている。

来歴があるということは、来歴になっている情報は検討経緯であり
その内容は確定情報ではない。
しかしログがきれいに残っていて、それについて何も説明がない
第三者が見るとそれを来歴とみなさず、確定情報として行動をしていまう。
そして、この社会は自分の非を認めないことが評価につながる価値観。
「それが来歴とは思わなかった」
「自分が動いてしまう環境がおかしい」
と平気で言えてしまう。

来歴を残すことで過去を知りたくても
過去である事実と現代の区別がつかない情報量ゆえ、
ある意味、誤判断の温床になるのでは、意味がない。
来歴や検討経緯についていろいろと再検討すべきと思う。

2018-04-23

数方

小動物の数え方、、
日本人が勘違いしているのだが、匹、頭、尾は単位ではないこと。
そして、この数え方は日本語としてどうするかは大きな分水嶺だと思っている。
フランス語の名詞の性差、、と同じように論理ではなく、
国民性、、というかその国家の思い込み感性ゆえ他国から理解しづらい表現は
グローバルという観点からすれば、認めづらいところである。
フランス語のようにオリンピック公用語という地位を得れば、
その権威を振りかざすことはできるだろう。
しかし、日本の匹数のような数方、、
1匹
1頭
1尾
1羽
1体
~カピバラは匹、頭?
~マグロは、匹、尾、本!
~牛肉は肉としては1体で、部位は点?
と日本人でも理解できないものを
外国の方、そして未来世代に引き継がせることができるのか?
そもそも、それを引き継ぐことに意味があるのか?
日本語というものの本質、そして共通コミュニケーションとして
有様が問われるだろうな。

本来ならば、この数え方を正しく教えることが日本人教育なのに
英語の過去分詞(past participle)の語形変化が得点、評価対象になるこの日本において
得点ならない、数え方など価値がないとなるのは当然ともいえるので。

2018-04-20

引責

責任を自分の身に引き受けること。責任をとること。
現代社会において、引責になりやすいのは
情報を集めることといえる。
現代でなくても、法的には情報を得る=知る=悪意とされて
保護されないのは事実だ。
法的でなくても、知っているのにその情報を使っていないことは批判される対象
つまり引責につながる。
ただ、情報がとりやすい社会、そして、個人主義の社会
情報を集めて何もしないこと批判されても
「なんで批判されるんだ、知らないほうが悪いのに、批判することを批判する」
って徹底的に戦う姿勢を多くの人が示すようになっている。
社会、時代が変わっているという思いもあるが、
引責という概念がないとなると、責任、それに伴う信頼と期待も失われた
社会が社会といえるだろうか、、

2018-04-19

才女

才能のある女性。

女だからバカにしているのではなく、バカだから怒っているのだが、、
「女だからバカにして、男女平等のはず」
って言い出す。
男女平等だからこそ、バカを平等に怒るが、
この狂った現代社会、、女性であることを違う意味で武器に使うバカが本当に増えた。
ある意味、男女平等をうまく理解している才女は
相手が男性であること、自分が女性であることをうまく利用することができている。
「女なのに、差し出がましくてごめんなさいね」
って言われた男は逆に
「いえいえ、女性に指摘していただけるなんて」
って言わざる負えない。
これこそ、、女性で仕事ができる証拠だ。

大した能力もないのに、女であることを全面に出すバカを見ると、、
本当に何をもってセクハラか、、
女性と権利を濫用しているという逆セクハラがなぜ認められないのか、、不思議でならない。

2018-04-18

隆盛

栄えて盛んなこと。
音はリュウセイ、、でも訓読みはタカモリ。歴史の偉人になってしまう。
同音意義
漢字上は同じでも、一般意義と人名。
日本語に限らず、
言語というものは結構同じ文字列で別の意味を持つことが多い。
その理解、憶測の精度が高い人ほど、言語理解が高いといえるかも?


2018-04-17

通念

世間一般に共通して認められている考え。
でも、これって、個々人の思い込みであり、
それを全面に出してくる人間ほど、社会人として常識知らずといえる。
価値見解の多様化、国際化、技術の高度化で
通念という概念の普遍性は崩壊した。
当人がそう思い込んでいるという過去への執着、自己弁護の概念である。
その概念に付き合う人間は少なく、当人が疎外感を感じる。
世間一般に共通 という定義が 個人的で他に通じないって悲しいことになっている。

2018-04-16

辛味

刺激的な味。
激辛ブームとか言って、辛い物のみにフォーカスしているが、
生物学的に辛味の意味を分かっている輩はどれだけいるか?
ここにも書いてきたが、穀物、炭水化物は脳の栄養であり、
その穀物を多く栽培したところが人類文明の発祥の地になっている。
だから、穀物を多く摂取することは人間の進化につながると
本能的理解しているのである。
しかし、味わってみるとわかるが穀物単体だけでは摂取するには
味気ない。そして味覚的に飽きやすいのも事実。
米だけ、小麦粉だけの大量な摂取は難しい。
でも、穀物の炭水化物を多くとることをしたい人間は考えて味付けを覚えた。
辛味はある意味、刺激物という味覚は危険な味と認識している。
それを取り込み、生体的に中和させる反応から、多くの穀物摂取を試みる。
結果的に多くの穀物を摂取することになる。
それが辛味の正体である。

炭水化物ダイエット、激辛ブームでそれだけを口にする。
過去の人間からすれば、、愚かな行為でしかないのだが
それをわからず刹那な思い込みの現代人。
人の歴史、今まで積み上げてきたものへの冒涜と理解することはもう無理で
ある意味、種としての後退期なんだろうな。


2018-04-13

善意

他人や物事に対して持つ、よい感情・見方。好意。
だが、現在ニュースで使われるのは
法律関係の発生・消滅・効力に影響するようなある事実を知らないこと。
である。

知らないのだから、悪いことをしている自覚がないので
善意という意味だが、
周到な準備をしてきた人間に対して、
何も準備していない人間が
「何も聞かされていないのだから、優遇されるべきだ」
と当然にいいまかり通る社会は健全か?

情報化社会、意識すれば手軽にそれ相当な情報が手に入る。
しかし、それを怠っている人間ほど善意、情報弱者と強気に
言い張ることにバカらしさを感じる。

知らないと知ろうとしないは別ってことを
バカに示す方法は、、、やはり体罰ではないかなあ。

2018-04-12

均衡

幾つかの物・事の間のつり合い。
日本人は均衡を保つことを良しとする。
それがチェックアンドバランスって、、勘違いしているから。
能力主義などでは、一方を評価すると冷遇された側に温情を与えることを考える。
しかしだ、本当の均衡は信賞必罰でなくてはならない。
賞すべき功績のある者には必ず賞を与え、
罪を犯し、罰すべき者は必ず罰することが
善悪の均衡であり、人間としての均衡である。
温情と考える行為は、行為、結果で成り立つ社会の均衡を崩す。
それゆえ、社会全体のチェックアンドバランスがおかしくなっているのだが
それが国家レベルでわからないのが、、悲しい現代日本なのかなあ?

2018-04-11

文意

文章の表現しようとしている趣旨。
「そういう意味じゃないよ、ここに書いたのは」
なんて平気で言う。
、、、そう読みとられる文章を書いた側の責任で読み手を責めるのはおかしい。
最近どうも、書いた側が言い張ることが多く、
それがコミュニケーション障害ではないかって思う。
自分で伝えておいて、そうではないっていうこと自体が
すでにコミュニケーションとして問題なのに、
その当人が
「お前らとは本当にコミュニケーションとれないなーー」
って、、本当に言ったもの勝ちのコミュニケーション障害社会だなあ。

2018-04-10

手引

力添えをしたり、導いたりすること、
転じて、初心者を教え導くこと。手ほどき。
今の言葉で言えば、マニュアルがそれにあたる。

現在、業務マニュアルが見直されている仕事に多く関わる。
それは従業員への再認識、、というわけではない。
人手不足、そして、対人的抗争をできるだけ避けるために導かれた結論は
業務を従業員以外にさせることになっている。
読者の多くは、IT、機械による自動化、RPAとか思いつくかもしれない。
しかし、そうではない。
業務をするには、、、、顧客だ。
いかに、顧客に業務を代行させるのか、そのためにどう誘導していくか。
それが現代のIT化、モバイル化と言っていいだろう。
自分でやるから手数料の無料化、24時間対応を実現できるのは
ひとえに人件費の問題ともいえる。

手引、今までは従業員の業務成熟度向上だったものが
顧客が自ら業務を行うようにさせることになっている。

あれ?では人件費=給料はどんどん下がる方向なのでは?
物価上昇や賃金アップという表の顔と人に払わない裏の顔、
この経営者への思い、、なんか手引があるのでは?

2018-04-09

保母

あえて保育士という言葉を使わない。
それは保育をする母という意味で述べたい思いからである。

保母の妊娠の順番が問題になっている。
なんか、順番があること自体問題になっているが、
逆に、その順番を守って服務してきてこれから自分の番と思っていた
先輩保母の気持ちは?
ルールを破りに勝手に子づくりした人間が職場環境を乱すことが正しいのか?

職場にはそれぞれにルールはある。
そのルールは商法にあるように商慣習という内部ルールとして尊重される。
そのルールは他任から見れば、おかしいと思うこともその職場では正しい。
考えてみれば、クリエイティブな環境ではおもちゃで遊ぶこともOKというが
事務職の環境下でおもちゃで遊ぶことはしないだろう。
でも、それぞれの環境を批判することは、、、たまにバカ論議があるけど、、
それぞれを尊重していく傾向になっている。

保母という職は、子供が好きだからしている方が多い。
だから、自分も子供がほしいと思いの方も多い。
でも、自分が妊娠、育児に入ると
他の保母に仕事的な負荷、迷惑や
今面倒を見ている子供たちの親の気持を考えるべきという
職責、そして母性が働くのではないか?

この事実を無視して、自分の思いで子づくりをして、
それを謝れば、強いてはそのそのルール自体が問題だという発想は
職責だけでなく、親として子を育てることにかなり欠陥を感じる。

自己主張の正当化ばかり特集するが
公共の福祉、社会的責任を果たしている方々への経緯や
その行為を踏みにじる自己主張への糾弾をもっと表すべきでは?

2018-04-06

本領

本来の持ち前。
もとからの領地。代々伝えられた領地。の意味から
自分の住み慣れたところだから存分に力を出せるという意味に派生した。
これって日本語だけではなく、ホーム、アウェイって言葉が全く同じである。
日本語圏だろうか英語圏だろうが
人間は自分の領土が一番ということが本当によくわかるね。

2018-04-05

命令

上位の者から下位の者に言いつけること。
でも英語では、command。
プログラムの実行起動もcommand。
なんか、命令が悪い言葉になって久しいが、
命令をするされるということが、社会において必要不可欠である理解が
日本人は本当にできていない。
命令を出すから、その実行指示責任を負う。
そして、命令を忠実に実行することが評価対象であること、それを誇りに感じることが
民主主義の責任論だと思う。
日本人の多くが思っている
命令をせずに、お願いとか理解しあうとかいう発想。
、、、、、本当にバカではないか!!

2018-04-04

洋館

鎖国されていた日本において、珍しかった西洋建築の建物。
ある意味、お金持ちかつ治外法権の象徴的な存在だった。
現在において、逆に古めかしいゴシック建築の館を洋館と指し
骨董品扱いになっている。

洋館に住もうと思う感覚は現代人にあるのだろうか?
確かに憧れるかもしれないが、その維持メンテナンスそして
その建物作りからくる現代社会生活への不便さ、
暖房、電気、そして、ネット環境など。

憧れを実際にやることに難しさを僕は洋館の存在に感じる。
一度、洋館で過ごした時期があるだけに、、

2018-04-03

幼少

おさないこと。
最近の子供は
肉体的成熟の速さ
過剰なほどの幼児からの学習
そして、ネットが身近で幼き時から調べられる環境。

幼いから庇護すべき対象となるが、
「自分は幼児だから、守られるべきだ」
なんて口にしている子供に対して、
ガキだからしょうがないという意見もあれば、
わかっていて、あえてそう行動するのはもはや責任能力を問うべきともいえる。

昔は成人まで成長することが少なかったから幼少を守った。
そして、成長することがないかもしれないからたくさん子作りした。
でも、今は、、、だったら、幼少期だからって守る必要はないのでは??

2018-04-02

文治

武力によらず、教化・法令などによって世を治めること。
現代国家の有様となっている。
そう。なっているだけでそうではない。
そもそも武断なきところに治安なし。
国際的にも、なんだかんだで武力で押さえつけている。
今の日本をはっきり言えば、治安になっていない。
統制なき自由は、、ただの混沌である。
法令をなぜ守るか?
それは武力統制されて命を失うより、
その法令に従っていることが、身の安全を守ることにつながればこそで
今の社会では、法律は簡単にそのときの民意で覆されかねない。
武力統制がないから民意というものが幅を利かせているが
その民意なぞなんの力もないのに、、
地政学的、そして、人間のマインド的に
そろそろ平和、民意が崩れだす。
文治はそもそも破綻しているだけに、
その時に備えて、身の安全を守る手段と実行力を隠し持つか
それがこの先の本当に意味でのサバイバルと予見ができていまう。

2018-03-30

一双

二つでひと組をなすもの。一対(いっつい)。
一番使われるのは、、屏風となっている。
しかし、屏風、現代日本において、一双を置ける場所どころか
屏風そのものを生活から消えている。
屏風が防風機能から調度品になり、、、そして、今は存在そのものが消えてしまう。
存在そのものが消えた理由は、
一双と場所をとるからか、
それともその機能価値なのか?
気にあるのは、箸や靴など、一対で存在するものに対して
一双という単位を当てないことから、この一双という言葉自体に価値は
無くなりつつあるのかなって思ってしまう。


2018-03-29

胸襟

心臓=心とされるので、その心臓が格納されているのが胸元。
そこを他人に見せることを開くとしてうちあける。うちとける。
という意味になっている。

相手に胸襟を開く。それはある意味リスクになっている現代社会。
ちょっと前までは相手がそこまで自分に歩み寄ってきてくれたという思いが
日本の情緒だったと思う。
しかし、今は個人の思いの時代。
相手がどうしようと、自分は自分、
「歩み寄ってくれたから何?」
「自分はあの人と関係ない!」
という言い出すことが多い。

でもそのくせ、他人には、
「本心をいえ」
「こっちに打ち解けてこない」
という。

胸襟を開く、ではなく
胸襟を開かせるという思いでは
どんどん社会は閉鎖的になっていくだろうな。

2018-03-28

職権

職務上もっている権限。
主に権力に近い公務員がその力を濫用することが問題される。
職権を公私混同することが問題というが、
社会人である人間を立証するのは、その職業、所属を公にすることがよく見られる。
職権とはある意味、その人間の存在価値そのものかもしれないのだが、
逆説的に言えば、職権が自分の望む形になっていない非正規雇用者などから
その職権を示すことがハラスメントに感じることにつながったりする。
なんか、社会が機能しない、できないようになりつつあるなあって思ってならない。

2018-03-27

醸成

酒などをかもし出すこと。
転じて、ある機運・情勢をつくり出すこと。 
醸は発酵効果のこと。
あるものが変わっていく様である。
つまり、変わっていくことが重要である。
変わると言うことはプラスマイナスがあり、
プラスのように見えても、マイナス
マイナスのように感じても、プラスなことがある。
匂いだけを嗅ぐと臭いが味や栄養はいい納豆なども発酵、醸成である。
変わることがどうなるか、いやどうなっていくものをどう使うかが
人間の知恵そのものかな?って思う。



2018-03-26

鬱血

血栓などの様々な要因によって
臓器組織内の静脈や毛細血管内の血流が停滞し増加した状態。
内傷にあたり、結構やばいといえる。
血は体をめぐることが常の状態だからこそ、
そこにとどまることはその先の臓器、機関に栄養などを届けられなくなる。
鬱血という状態を知れば知るほど、人間、動物という存在は
静止することはなく、水のように流の状態こそあるべき姿って思ってしまう。
だから、じっとしていることとはある意味、あるべき姿でなく
なんか悪い事象をおこしかねないって勘ぐってしまうなあ。

2018-03-23

自学

自分で学ぶこと。
この言葉はありそうでない造語のようだ。
自学の反対語は他学なのか?そうとも言えない。
そもそも、学ぶとは何か?学習と勉強の違いもそうだが、、
辞書で調べると
勉強するとは、学ぶこと
学ぶとは、勉強すること
となっている辞書がいくつかあるくらい、定義できないとされる。
逆に英語の
study learn は明確で
study は研究となり、まだ知らないことを詰めていく行為
learn は学習であり、事実を覚え、習得して自分のアクションとできること
となっている。
deep learning というが、deep study とは言わないし
学生はlearner ではなく、student と研究、研鑽を存在となる。
学ぶという行為がそもそも、learnに近いのであれば、
学ぶそのものが自学という意味であり、あえて自学という言葉を当てる必要はないが
日本語の難しさ、添え字というものもあるだけに、、難しいなあ。

2018-03-22

一律

一様。同じぐあい。
現代人の特性は自分は特別、他人たちは一律を求める、強制したがる。
「なぜ自分がこんな目に合うのか?」
「他人はそれでいいが自分はそれでは困る」
「周りが同じような対応してくれないと自分が苦労してしまうではないか」
この発想にそろそろ飽きてきた。
自分が特別という発想が出た時点で
強制的に義務権利の失効をさせて、
弱肉強食の社会に変えるべきだと思ってならない。
カスタマイズ、、顧客志向のいいとこどり。
不便を感じているところ商機はあるが、
そもそも商機の目的である支払い、責任能力のないところに注力すべきではない。
一律で皆等しくというが、何のために他人より苦労して稼いでいるか?
それは特権を得る、、いや特権を買うためであり、
それが本来の資本主義経済の有様ではないだろうか?

2018-03-20

硬化

かたくなること。
しかし、硬化は脆くなる前でもある。
硬くするということは原型、そしてその存在そのものの末路になりかねない。
硬いということが真の価値である、ダイアモンドなどの鉱石、宝石であれば
それを維持することが重要だが、そうではないものはその硬化は致命的。
食べ物も放って多くと、水分が抜け、硬くなりそして脆くなる。
その食べ物は価値を損なってしまっている。
もちろん、これは形而下だけでなく、形而上である思い、考え方にも言えて
硬くなる、、強張る状況の次は精神破綻、泣きじゃくるという末路になる。
物事を柔軟にという言葉はまさしく、この破綻への予防というべきなのかなあ?

2018-03-19

嚆矢

物事のはじめ
矢という文字は、
物理的には弓から放たれた棒状の兵器といえるが、
論理的には戦を由来に、この矢が飛び交うことがスタートの意味である。
その名残か、スポーツ競技のスタートは矢から進化した銃声に変わっている。
人間の進化は戦争、、戦闘の歴史、
一太刀浴びせる
一閃
などの近距離で相手に食らわせる表現や
一矢報いる
狙い撃ち
という言葉のように、対象物に飛び道具を当てる表現など
日常生活に色濃く戦闘が文字として残っているのに、、
戦闘否定ってなんか人間の歴史否定に感じることは
暴力容認とか、批判される見解なのだろうか?
逆に、今の非暴力主義こそ人間らしくない狂った考えに感じるは悪なのか??

2018-03-16

寄与

役に立つ事を行うこと。
役に立ったかどうかは、その行為を受けた側の主観であるのだが、
~私はこの成功に寄与した
っていう輩が実に多くなった。
寄与したかどうかは客観評価のはずなのに、
本当に現代人は主観と客観がおかしい。
一昔前に若い女の発言に
「私、○○がダメなひとじゃないですか、」
って言っていたように、、
自分を客観的にみることを進めてきた社会要請、
でも、、客観的に言うべきではないね。

2018-03-15

踏台

高いものを取るための足場とする道具。
ネット技術の世界では
インターネットでのネットワークセキュリティ用語でサイバー攻撃の手法の一つ。
第三者のコンピュータを乗っ取り、サイバー攻撃などに利用することを、
道具の踏み台に例えて使用する。

なぜ踏み台という表現なのか?
そもそも、踏み台の真意は
自分の身体、能力では到達できない目的を達成させるための補助具である。
実際のものである踏み台は高度の問題であり、
ネット技術ではセキュリティーという安全柵を超えたいという意味で使う。
一昔前の人なら知っている
「俺を踏み台にした!」
も目的を達成するために、相手を踏んで跳躍したという点では正しいね。

2018-03-14

新入

新しくはいること。また、その人。
季節、年度の変わり目には組織に新しい人が入ってくる。
その人はある意味、何も知らないことが前提になる。
だから、ある程度、一から教えるべきなのだが、
大手、そして、個人スキル偏重であればあるほど、そいうことに
無意識になり、新入者に
~なぜ、やっていないの?
~なぜ、聞かないの?
~今、何をしているの?
なんて平気言い出す。
~やっていないと言われても、その行為をすることさえ聞いていない
~聞くと言っても、誰が自分の確認者すらわからない
~タイムスケジュールがどこにあるかさえ、知らない
ことが多い。

新入社員の定着率など、新たに入ってくる人間がすぐに辞めてしまうことが
問題というが、入ってくる人間の問題と同等に、受け入れる環境を作らない
今の組織そのものに大きな問題があると気づくべきだといえる。

2018-03-13

容積

立体が空間に占める量。体積。
算数、数学で習う概念だが、私生活で実によく出てくると思わないか?
~自動車の荷室の大きさ
~部屋の格納量
~冷蔵庫、箪笥の引き出しの量
といろいろと容積について確認する。

人間はなんでも収納したがる、できるだけ多くの収納量、容積を求める。
これは本能レベルかもしれない。ただ、容積が多きければ、大きいほど
しまったものを忘れることになる。これも本能か?!

2018-03-12

単元

主題を中心に行う学習活動の一まとまり。
現在では学習活動でなく、ビジネスにおいても検討する対象に用いる。
単元を履修の単位としてきた学校教育があり、
耳なじみな人も多い。
しかし、単元で切り分けられるようなことが人生、社会人、そして
業務において出てくるだろうか?
そうなっているという言い切る人は、仕事ではなく作業を行っているだけで
価値が低い自覚はあるだろうか?
学校教育そのものを否定するように感じるだろうが、
僕は実際問題、学校の授業って本当に生きることに何も役に立たない
と思っているだけに、、単元で卒業を一喜一憂している人も多いが
そこで悩むって本当に役に立たない悩みだこと。

2018-03-09

大儀

骨が折れること。苦労。転じて、面倒で、おっくうなこと。
大義名分の’大義’とは人偏違いで意味が全く異なる。
~今から出かけるのは大儀だ
なんて、例文があるのだが、現代人の理解はおっくうと理解せず、
理由がないって意味っと言い出すし、それを否定すると、
正しいことを言っているこちらがバカと扱われることも多い。

正しいことを伝えることは大義、
でも、この阿呆な社会にそうすることは大儀。
って例文を作りたいねえ。

2018-03-08

礼遇

礼をつくし,丁寧にもてなすこと。
同じ音で「冷遇」とあり、全く逆の意味になる。
文章であれば、この違いをわかるが、
会話の中では、その前後の文脈で理解するになるが、
逆に勘違いをさせてしまうリスクがある。
そう考えると、やはり日本語は意思疎通においては使いづらい言語なんだろうな。

2018-03-07

鋒鋩

1 刃物の切っ先。
2 相手を追及する激しい気質・気性のたとえ。
この言葉、ホウボウを使うことが鋒鋩を向けられる気がする。
難しい日本語を使うことは博識ではなく、
何を言っているかわからないとバカにバカにされる現代社会。
真面目に知識を高めることがこんなに価値がない時代になるとは。

2018-03-06

査証

渡航先の各国大使館や領事館で発行されるもの。
日本人の多くの海外旅行はパスポートのみで行けることが多いが
発展途上国への、からの渡航は査証(ビザ)が必要であり、
訪日外国人のそれなりの数の人は、ビザをもって入国している。
海外で活躍したいと思う日本人、
それはただ欧米圏でのことを夢見ているばかりで
実際問題、
企業側の思う海外の活躍とは
もう広げ切った欧米圏なんかより
査証をもって初めて入国し、
そして決められた期間、条件で成果をあげることであり、
そうではない人間の海外で活躍したいというのは
ただの経費の無駄遣いって思うことばかりとなっている。
庶民の思う海外の概念は
島国日本の幻想であり、
今、日本に来ている外国人たちは
それ相当の覚悟と地元ではエリート扱いされているかもしれない事実を
悟ることが、本当に意味でのグローバル感覚といえるのだがね。

2018-03-05

読破

難解な書物や大部の書物を終わりまで読み通すこと。
僕からすれば、読破することなど、全く意味がない。
逆にその文献から、自分の人生に役に立つフレーズを一つでも見つけることが
できた時点でその文献の価値はあったと言いたい。
文献、今ではインターネットで、情報データとしていくらでも
欲しいものは手に入る。
そして、SNS文化でいくらでも、その時の思いを発信できるようになっている。
しかし、だからこそ、読み物の価値は低下している。
どれも2日以上は人の記憶、思いに残らない内容になっているといえる。
読破することは無駄といえるが
人間の記憶、思いに残らず、アーカイブされていく
大量の文章ならざる言語表記もまた、、意味のない無駄な時代になっていると
思っていならない。

2018-03-02

通知

連絡のために、事実・意思を表立って知らせること。
情報化社会において、通知はすでにうざいメッセージになっているかも?
しかし、本来、認識忘れ、時間的なリミットを促すためのものであり、
この通知の本質を忘れてはならない。

これも、悲しいかな。
通知を出したがる者たちが
自分が自分がの個人主義の発想で
みんなが大量な通知を出してしまい
相手を不快にさせているものと理解すべきでは?

2018-03-01

上代

商品の小売価格として設定された価格(定価)。
店舗から家計、消費者向けの価格体系であり、
その価格自体の設定に、現在材料、生産者は知らないことが多いし
知らないことがビジネスお約束とまで言える。

だから、消費者が生産者に向かって
「高すぎる」
「この価格設定はなんだ!」
って言うこと自体、失礼なことと言える。

ある大手小売企業で
「お前の買値を知っているか!その分働け」
って言われ、その価格をみて驚いた。
僕の取り分の2倍だった。
それは多重派遣体質の業界ゆえの問題であり、
そのうえ、その大手企業自身がその多重派遣契約を強いてきたのに
この言いようはなんだ!って思った。
まーー、小売り企業のくせにこういうことをいう社員を雇っているということは
その企業のブランド力の低下のリスク込みで、財務体力的にその人材を
飼い続けられる価格体系を維持しているからなんだなあって思った。

まー僕自身、
その小売企業グループに
上代のままというか、財布を開くことは一切しなくなったけどね。

2018-02-28

毒舌

しんらつで皮肉な悪口を言うこと。

現代民主主義でバカらしく思うことは
毒舌、、つまり本音でしゃべっている人間を
政治家候補に祀り上げるが、実際に政治家になったときに
そのまま毒舌を続けていると問題視していること。

真面目に、
「バカなんじゃないか、民主主義って」
思う。
本音で語るということの大半は人の悪口でしかない
事実をなぜ現代人は認めない。
誰にでも当たり障りないのが民主主義って勘違い甚だしくないか?

2018-02-27

吐露

気持・意見などを隠さずに他人にうちあけ述べること。
概ね、自分自身のマイナスに関わる、
弱点、環境、出生などを曝け出すことと言える。

吐露するより、されるほうが人間関係が上手な人といえる。
相手から信頼を勝ち取ることができるからこそ、
その人だけに言うから吐露であって、公に言うことは吐露とは言わないからだ。
逆にされた側はその吐露された事実、情報をどう扱うかが試される。
それを第三者に躊躇なく使う人間には今後、他人は吐露しないだろうし、
そもそも、そういう心持の人には吐露されることはない。

しかしだ。
僕のような人間は
吐露する
吐露される
吐露させる
と考えることがあり、させるという状況を意識しなくてはならないと思う。
させるといういうことは、
させる側との信頼関係の他に目的を持っていることがあり、
その目的と吐露された事実、情報をどう扱うか?
それこそ、真の意味での情報処理士と感じてしまうがね。

2018-02-26

切羽

刀の鐔 (つば) の表裏が、
それぞれ柄 (つか) と鞘 (さや) に接する部分に添える薄い金具。
抜き身との接点という意味が転じて、
差し迫っていること。また、その場面。急場。どたん場を指す。

効率化、そしてコストカットが進む現代社会。
何から何まで、切羽詰まったような環境にさせられている。
他者から見て、動的ではない時間は無駄とみなす。
だから、見た目何もしていないようで、考え込んでいる時間は
無駄な時間とみなされかねない。
考える時間を許さないからこそ、すべての検討時間はオミットされる結果
判断が切羽詰まる状況に追い込まれる。
その結果、
迅速な対応が可能になるが、逆に判断ミスが生まれやすい。
バカほど、前述のメリットを声高に言うが、
長期、結果的には少しでもマイナスが起きれば
それは検討時間の短さゆえの判断ミスと言われかねない温床になる。

全く、現代社会は
社会人を追い詰めて、そして責任転嫁させる悪い方向になっているような。


2018-02-23

束子

ひらがなで書けば、、たわし。
わらやシュロの毛などを束ねて作った、器物などを洗うもの。

英訳すると、scourer / Scrub brush なのだが、
同じような機能をもつものに、スポンジたわしが存在する。
今の日本のキッチンでは、スポンジたわしのほうが普及しているといえる。

見た目、製法が全く異なるが
目的は同じものが同義の呼称されるのは、
人間の目的への思いが言語化されたものなんだろうか?

2018-02-22

烏合

烏(からす)の集散がばらばらであるように、統一も規律もなく集まること。
烏合の衆と、他の集まりを卑下した表現に用いられるが、
現代社会において、烏合の衆でないほうが難しい。
~終身雇用制度の崩壊と非正規雇用
~目的別時限組織(プロジェクト、ミッションチーム)の台頭
~ハラスメントや個人尊重による管理協力の欠如
から、
同じ方向、考え方を統一すること
ルールや制裁をする規律を遵守すること
ができなくなっている。

思ったのだが、
語源である中国の古典において
為政者が反抗勢力に向かって烏合の衆と揶揄したのだが、
現代社会の為政者である民主主義で選ばれる政治家は
~任期制の非正規雇用
~政党、派閥を自己判断で好きに変える
~政治家特権を行使してもメディアに潰される
まさに、、烏合の衆のそのもの、、、
語源の意味と現代の実態が逆転している珍しい熟語だ。

2018-02-21

経歴

今までに経てきた学業・仕事・地位などの事柄。履歴。
転職など、違うフィールドに移るときに自分の行動、社会貢献ログとして
書面化することを現代社会は求められている。
経歴を何のために書くか?
それは自分がどんなことをして今に至るのかを他人に説明するものだが
それを受け取る人間によって評価ががらりと変わる。

出向、転籍、転属、転職経験などいろいろと経験をしてきた人間が
履歴をみれば、単元ごとに何をどれくらい、どんなことをしてきたの
観点でみることが多い。
対して、研究者、若輩ものが見ると
単元のブランド力、期間の長さとあたかも杓子定規での観点で見たりする。

どっちの見方も間違いとは言えない。
しかし、履歴をもとに次に何をする、させるかを踏まえての
視点、観点であるか思慮の浅さが露呈しかねないがね。

2018-02-20

文通

遠く離れた知り合いや仲間などと手紙を通じてコミュニケーションをすること。
インターネットメールの普及から始まり
SNSの台頭
携帯電話、スマートフォンの普及により、
机に向かい、紙とペンでの手紙での文通はかなり衰退した。
ラブレターなんて言葉はもはや若い世代に通じないくらいだろう。

しかし、気軽にメールなどを短文で書くようになったからこそ、思う。
何を言っているがわからない文章が実に増えてきた。
電文の通信問題からなど、略称、記号化、スタンプが増えているので
日本語というより象形文字という先祖返りしているようなメッセージが
あふれているし、下手するとそんな文章でビジネスをするどころか
その文章が理解できないとビジネスにならないとか言い出す輩までいる。

確かに日本語での意思疎通は難しい。
でもだからと言って、この日本語が日本人の共通認識である以上
他人でも読める文章を書くことが日本国土に生きる
社会、コミュニティーに生きる条件ではないか?
閉鎖、仮想空間の思い込みを現実世界と同視するのは
社会として危ないとしかいいようがない。


2018-02-19

軟膏

皮膚疾患の治療の一つである皮膚外用療法に使用される医薬品の半固形の製剤である。
軟膏に代表される塗り薬は上記の定義通り、
皮膚という表皮における外的裂傷に効く薬剤であるということを忘れてはならない。
つまり、吹き出物のようなものは根本的には内臓疾患の結果が皮膚に悪性老廃物を
出しているのであり、その吹き出物にいくら軟膏を塗っても効果的ではない。
薬に代表される解決策については、根本的な原因を明確にし、その対処をならない。
いくら見た目、効果がありそうな行動をしていてもだ。

2018-02-16

借金

お金を借りること。あるいは、借りたお金のこと。
考え方、見方が対極的に存在する。
一つは
自分の自由にできる資産では足りずに
他人からの資産を借りないとならないくらい困窮している。
対して、対極なのは
相手が自分に貸しても将来を信用してくれているから
他人から借金ができるという信用保証。
となっている。

経営者観点であれば、
下記の視点をもって、将来性をアピールする。
それは借金ではなく、投資をさせているというイメージを作るべきかもしれない。
しかし法人といえども、人格。
他人を信用させて、その結果がでなかったときのリスクを考えると
どうしてもそこにまた踏み出せない。
そして、これからの社会、
仮想通貨、個人投資の広がりから
個人同士が貸した借りたで問題を起こすことが多くなり
大小さまざまな小競り合い、事件が天眼として見受けられる。
借金を信用ととらえる人ほど、
他人からの信用を過信し自分が見えていないことになりかねないので
僕はそこのリスクにはできるだけ触れずに、
無借金経営3年目を迎えて、続けていこうと思う。

2018-02-15

奇行

普通の人ならしない、変わった行い。
奇行は新しい価値観へのブレイクスルーである。
その奇行により、社会の認識が変わり
奇行とされていたものが、新たな革新行為になれば、
犯罪行為として法令制定へとつながることになる。

普通という無自覚、無思考の集合認識に対して
違和感を与える奇行をするということは
基本リスクになるが、そのリスクなくして
変化はないのも、社会という組織体の性なのかなあ。

2018-02-14

改悪

物事を改めて、かえって悪くすること。

自分たちにとって、住みやすい環境にしていく行為

他人にとっては、改悪を行う許すべきでない行為
という自覚がない現代人が実に多い。
自分の主張は主張であって、総意ではない。
この事実どころか
「自分にとって生きづらい社会は悪であり、それを改善していくことが正しい」
という教育、風潮が実に多い社会になっている。

ある人にとっては改善でも、別の人にとっては改悪。
改悪にされた側がまた自分の都合のいいように改善するということは、、

これは
アウフヘーヴェンになるのか?
エンドレスロープになるのか?
楽観主義者は上記に感じ、悲観主義者は下記に感じる。
でも、僕から見れば結局のところ、
どっちでもなく、コンフリクト、、いがみ合い、抗争になるだけって悟っている。

他人との関係を理想的、ご都合主義と考えて失敗を繰り返す人間は
本当に進化できないんだろうな?

2018-02-13

手入

直すこと、よい状態で保存するための、つくろいや世話。
抽象化させた表現でいえば
<最良の状態を維持するための行為?
といえる。

確かに手入れをする姿勢は重要であることを否定する気はない。
しかし、同じことをし続けることはどうだろうか?
~経年劣化
~技術の確認
~実施者の変更
などで、同じ行為を繰り返すことが手入れって言い切るのは問題だと思う。

日々手入れを行うことは、繰り返しではなく
手入れを行う行為そのものを進化、、
モノへの手入れから
行為そのものの常に見直していくことが
真の意味での手入れといえる。

だいたい、
「毎回、同じことを繰り返していたのに、なぜだろう?」
っていう不具合を起こしたときの手入れ側の言い訳って
見苦しいとしかいいようがないだけに。

2018-02-09

希求

得たいと願って求めること。
人間の本質、、そして経済を根源だと思う。
しかし、これって、欲望であり、
世界三大宗教の否定する感情ではないか!

思うに信仰と経済活動って矛盾しているような気がする。
確かに、矛盾しないって言い張る資産家、宗教家がいるが
教義を自己解釈の世界に陥り、
他者と共感できない理論、別宗派になってしまうことが多いようだし。

人が触れない禁忌かもしれないが
希求と欲望は同じで、信仰と経済活動は決して交わらないと立証していかないと
どんどん宗教と経済圏での抗争、戦争は拡大するのでは?

2018-02-08

研鑽

(学問などを)みがき深めること。
みがくとは、磨く、研く、身欠くという漢字が示すように
「余分な部分を取り去り、本質だけにしていく」
という行為である。

情報化社会において、
ネット情報という知識に当たるものは膨大に存在し
クラウドデータ管理により、蓄積が無尽蔵にできるようになった。
しかし、重要なのはその中から自分にとって必要な本質をいかに導けるかだ。
~知っていた
~情報なら持っている
では、意味がない。
今、必要な条件に合わせた本質的な情報をすぐにかつ有用に取り出せるかどうかが
求められている。

自己研鑽を例えるなら、
自分の脳と本棚に本をいっぱい入れるのではなく
自分の脳、ネット上の情報群からいかにまとえたページを
検索、索引、引用できるかとなっている。

と考えると、
現代の自己研鑽の中心である教育機関において
その登竜門たる受験システム、、、
バカな行為とか思えない。




2018-02-07

視点

物を見るために向けた視線がそそがれる点。
現代の使い方の多くは
肉眼での見えるという意味から
立場として事実をどう捉えるかというほうになっている。

自分の視点で見ているとついつい
~当然
~当たり前
なんて思うことが多いが
相手の視点に立つと
~よくわからない
~なぜ?
なんてことが多い。

そこが相手への納得性につながる、、コミュニケーションの重点だと思うが、
本当に現代人は
~なぜわからない、バカなのか?
~あいつの言っている意味がわからないから、もう話したくない
が蔓延していることが多い。

視点を変える、つまり相手自身、その取り巻く環境を理解することより
個人主義、自己中心に重きを置いているのは、
いろいろな意味での能力主義の弊害だろう。
でも、能力って他人に認められてこそって思うが、
その他人も自分が許すもののみになりつつあるところが、、、

2018-02-06

吸血

人間や動物の血液を吸う行為。
狭義の定義では
鮮血を啜り生きるだが、
医療的見地から吸血という行為を
広義の定義すれば
自らの命のために、他の生命の生命維持を犠牲にする行為という意味に
捉えるべきといえる。

日本人をグローバルで神瞰すると
この国民は吸血鬼である。といえる。
途上国からすればそう見えることになることにどれだけの日本人は自覚しているか?
~長寿国家
~健康余命も長い
~国民皆保険、医療設備の充実
~政府の出支の多くが医療、福祉費
~日本との貿易は結構アンフェアに感じる
などのことをあげれば

自らの寿命のために、国家レベルで動き
そして他国を犠牲して、自ら延命を求める。

他国の闇に触れていないだけで
日本人の健康、美容のために行われていることは、
エリザベート・バートリの行いの現代版と言われて仕方ないのだが、
エリザベート・バートリと同じマインドだから
「なぜ、悪いのか?自分の行いが間違っているわけがない」
と言い出す現代日本人はまさに、吸血民族って後世からも言われるだろうな。

2018-02-05

痛止

痛みの感覚を和らげる。
根本的に、痛みという感覚は本能的に体の部位が異常を伝える行為であり
それを無視することは生命維持に影響するので、痛みをなくすということは
生きていくことへの否定になる。
とはいえ、痛いのつらい。
ただでさえ、その痛みの元への対処だけでも肉体的疲弊があるのに
その痛みに耐えるのはできるだけ、、
だから、できるだけ緩和させたいという意味で
痛み止め、、鎮痛剤へ手を伸ばすことになる。

ただし、重要なのは、
痛み止めとは麻薬であること。
体をだますゆえ、禁断症状、より強い効能を求めやすくなるということ。
痛み止めを常用しているということは、麻薬患者と同義であり
本来の痛みの原因に直接向き合っていないのでは?って思う。

それって、別に個人だけでなく、組織、企業、国家レベルでも
いろいろな痛み止めを使い、、常用化していることがある。
何が痛みの元で、痛み止めを使うリスクを考えることが忘れないようにしないとね。

2018-02-02

閉店

店舗が商売をやめて閉じること。
でも意味として、
当日の時間的閉店
経営として営業停止として閉店
と二つの意味を日本語が持っている。
TPOで聞き手側が憶測しなくてはならない。
でも話題に上がるのは下記の営業停止のほうが多い。

閉店になるのは、経営問題を指摘する庶民が多いどころか
その店が撤退することに対して、平気で町の活気がとか言い出す。
そういう発言している庶民の手荷物がコンビニや都会の専門店の袋だとすると
いい加減にしろよって経営者視点で思ってしまう。

買い物はしないが、営業していることに意味があると思い込む庶民の発言に
どこまで振り回されなければいけないのだろうか?

閉店させない努力は経営者側というより
発言している住民側に大きな責任があると僕は強く言いたい。
経営には閉店の自由、決断する権利があり、
はっきり言えば、消費につながらない思い込み民意は
実に不愉快に感じてしまうだろうに。

2018-02-01

火急

火が燃え広がるように急なこと。一秒一分を争うほど急を要すること。
火急の知らせなんて使い方をする。
しかし、今の情報伝達は火急どころではない。
火は燃焼物があればそれを燃やし広がるが、、不燃物、、とりわけ水は超えられない。
しかし、ネットは一瞬で、海外まで情報が伝播する。
それも、秒レベルではなく、マイクロセカンドのレベルでだ。

火急的な速度で進むからこそ言えるのは
それを受け取る側の能力が試される。
意識してもその情報というものを掴めないということだ。
例えるなら、、高速で流れる流しそうめんを1本も漏らさずに掬えるかどうか?

情報化社会は配信改革以上に、それを捉え、処理する人間個々の能力が求められる時代になったといえる、、それも可及的速やかに、、ね。

2018-01-31

油田

地下に多量の石油を埋蔵している地域。
なぜ、田という字を当てているのか?
石油、原油の採掘はその埋蔵エリアに
油井という井戸を掘ってそこからくみ取る。
鉱石などと違い、
~平坦な土地
~液体を採掘
という液化土壌が、田んぼと同義できるからという理由となっている。
日本の土地には、油田は少ない。
まー日本は平坦な土地が少ないし、
田は田でも、稲田がメイン。
油田が大きく、多くあれば、
その分、農耕や機械技術の発展はしなかっただろうから、
それも日本らしさなのかもね。

2018-01-30

無茶

でたらめで、筋道がたたず、普通でないこと。乱暴な様子。
異常に程度がひどいこと。むやみ。

語彙としては、、常軌を逸脱したという意味といえる。

なぜお茶か、、、

調べると、、
無茶苦茶の語源には、
「無茶」が来客にお茶を出さないこと、
「苦茶」が苦いお茶を出すことで
共に常識はずれなことからといった説と
「無茶苦茶」はただの当て字なので、
漢字に語源をもとめること自体間違いという説で
仏教用語、、、

どっちの説にしても、、無茶苦茶な言い回しだなあ。
それが語源って日本語の危うさを感じてしまうよ。

2018-01-29

耐性

生物が病気,害虫,薬剤,高温・低温,乾燥のような不利な環境条件などに対して
対抗しうる性質。
生物的順応ともいえるし、免疫と耐性を同義に捉えてポジティブに考える傾向もある。
、、、、やばくない、この愚かな発想。
耐性を持つということは、その劣悪環境であることを受け入れることであり
そんな環境にならないようにする活動から逃げているだけ、
文明的知的な活動をせず本能レベルで克服しようとすることなんだが、
それを認めないことが、現代福利社会、現代医療の発展ではないのか?
その点を見誤っていることを問題視すべきなのでは?

2018-01-26

学友

同じ学校で一緒に学ぶ友達。
僕としては、学友という考え方が全人類的におかしいのは?
と思ってしまう。
学ぶ目的は、その知識や技能の習得であり、
たまたま同じ学舎にいる存在を友達と認識するのはどうだろうか?
ある意味、競争相手であり、真っ先にそこらの人間との差を示すべきである。
だいたい、教室環境などで
「仲良く競争して、切磋琢磨」
なんて論理的にバカな発想を持っているから
現代日本人はいろいろなところで不利益になっている。
仲良くするのは、
同じ目的に対して、それぞれの技能を相互活用して
享受する環境であって、学びの後の話である。

集団的活動、国民皆中流思想でGDP世界2位になったが、
その後、個人主義、グローバル展開と言い出したことが
日本人間の横のつながりを切る舵を切ったといえるのに、、、

なぜ、その理解をせずに、今まで同じような他人への思い込みで
生きているのだろうか?

2018-01-25

応援

力を貸して助けること。
でも、この定義では応援にはならない。
文字通り、「援助に応じる」ことでなくてはならない。
援助要請なく、勝手に力を貸してしまうから、問題になる。
「そもそも自分たちですべきだったことだ!」
「勝手に進めるな」
と当事者は言い出し、
逆に応援した側も
「このままではだめだったくせに」
「もし、うまくいかなかったら誰が責任をとるとおもっているんだ!」
と言い出しかねない。
応援行為、、根本的に人間関係を悪化させる行為に感じてならない。

2018-01-24

辺鄙

中心地から離れて開けていないこと。かたいなか。
が辞書的な意味なのだが、
当社事務所を
「辺鄙なところになるなあ」
って神奈川在住の人に言われた。
どうやら、自分が住んでいるところが一番都会であり
それ以外は田舎だそうだ。

最近、増えているなあ、
自分の思い込みで言葉を捻じ曲げる人、、
その人、、考え方が辺鄙なんだがね。

2018-01-23

蒐集

(趣味・研究などのために)ある種の物をいろいろ集めること。コレクション。
常用漢字では、収集と表現し、同義にしているが、意味が違うといえる。
収集は目的ではなく、手段であり、
ごみ収集、情報収集、と本来の目的は別にあるがそのために行われる。
対して、蒐集は目的である。
切手、アクセサリー、フィギュア、などを集めた後に何があるのではない。
集めること自体が目的である。
そこを同義でとらえるのは、画一教育や思想を押し付けてきた日本の歪みと
そして、中途半端な個人主義、オタクとか言う言葉を生み出した愚かな日本人の
極みと悟ってしまうなあ。

2018-01-22

胡乱

確かでなく、怪しいこと。うさんくさいこと。
悲しかな、胡乱(うろん)と言う言葉を使うこと自体が
胡乱と思われてしまう現代社会。

近現代の文豪の著作なんか、こういう言葉が平気で出てくる。
それを読むことを推奨している教育指針なのに
そこで覚えた言葉を使うことができない社会って
教育と実生活の乖離がひどくないか?!

2018-01-19

罵言

ののしる言葉。手ひどい悪口。
自分の気持ちのまま、罵言を吐くのと
相手を奮い立たせるために、こういうのでは違うと思うが、
現代社会では一概に、ハラスメント行為とみなされる。
罵言により、反骨心や危機感を煽るほうが
実際の結果、生命、幸福に関わる失墜になるよりましだと思うのだが。
現代社会は未来結果より現在の過程にばかり目が行く。
どうも視野の狭い刹那的な社会だこと。

2018-01-18

小火

ぼや。
大きくならないうちに消し止めた火事。

一昔前
ある工業地帯では生産性重視のために小火が多発していた。
そのため、地域内に消防設備を自警的に設置していた。
その設備があることで小火などの火災が事前に防がれていた。
当然のようにそれがあることになると
人間はバカになる。

「効率化から考えて、火災が起きていない今、消防設備費用が無駄である」

と言い出し始める。そして、消防設備コスト削減をすると
また小火が多発、そして大きな火事が起きることになる。

「なぜ、消防設備を撤去したんだ!何を考えているんだ!」

と言い出す。
面白いのは、、この「」は同一人物の発言だったりする。

そう人間は災害に対して、バカなのである。
予防的観点に鈍感なのは人間は身をもって経験しないと
理解でいない動物からなのだろうか??

2018-01-17

買控

買い手が買うことや買う量を控えること。
需要供給曲線ではなかなか説明できない。
「もっといいものがこの先出るかもしれない」
「もっと安くなるかもしれない」
という現状の供給に対して、求める需要が伴わない。
供給過多とはいえないといえる。
そして、これって人間の心理で、供給すればするほど
もっといいものがこの先にって期待値をどんどん釣り上げてしまう。
~ほしいけど、金額的に変えない
~希少すぎて、手に入らない
という今までの概念が通じないこの需要マインド。
逆に、
何を作っても売れない、
売れない以上、それよりいいものを作る原資がない。
という供給の実情。

もっといいものを待つという精神は
倹約とか市場競争効果をもたらすという過去の幻想は
国民全体で見直すべきなのでは?

2018-01-16

根付

江戸時代に煙草入れ、矢立て、印籠、小型の革製鞄などを
紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具。

現代では誰もも使っていない?
そんなことはない、形状、使用用途からすれば、、
そう、、ストラップだよ。
そもそも、根付をつける目的は
~大切なものをなくさないひっかりであること
~それを着物の中から手感覚だけですぐに取り出せること
であり、携帯電話や財布につけるストラップと同義である。

確かに、現代社会において根付って表現で販売すれば売れないから
あえて、ストラップと言い方になるだろう?
逆に、日本の根付を海外で
MP NETSUKE
って売り出したらヒットするかも?

人間、いつでも、どこでも、使用用途は同じことをするが
気持ちレベルで、何を、どんな感じ での受け取り方が違うだけって
よーくわかるなあ。

2018-01-15

癒着

皮膚・膜などが、炎症(えんしょう)などのためにくっついてしまうこと。
比喩的に、立場が違うのに利害を共通にする両者が、ぴったり結びつき合うこと。
コネクションと癒着とはどう違うのか?
また、そんな関係が悪いというのはどういうことか?
人を好きになることは博愛であり、美徳だとされる。
そんな好きな人からの頼みに応えることは悪いことか?
逆に、あまり好きではない、知りもしない人からの提案を同じ土俵で
比べることはできるのか?

社会なんてコネクションと親密な癒着が成り立っている。
それに対して
~公平
~便宜を図っている
とか言うのはどうだろうか?
面識がない人と交渉した結果、、、だまされた場合
~相手と密に相談していたのか!
~なぜ相手のことを知らなかったのか!
って平気で言い出す庶民の民意、、

はっきり言って、今の日本の民意は
他人の付き合いを壊すことに特化した破社会因子の塊で
社会的成熟と真逆にいる存在に感じてならない。

2018-01-12

名家

代々続いている伝統のある家のこと。名族。名門。
ここに生まれると対極的に2つの性格になりやすい。
~家の名を守るために、地味に
~家の名を利用して、不遜に
日本人は得てして、上記の性格を良しとするが
それは名家ではない者たちのほうが不遜だからである。

ある意味に人間は平等である。
現社会で現在の地位は先代から引き継いだものというものは平等ではないというが
その引き継いだものがあるからこそ、
他人より悩み、苦しむこともある。
それが有形資産ではない、家柄、名家であることは当人にとってはどうだろうか?
他人より優位な地位にいると思われる不平等と思われることは
当人からすれば、そうではない人から不平等に扱われていると思うだろう。
名家の生まれ、そうではない生まれにおいて
互いに平等ではないということが平等だと思うのは
哲学的な解釈と庶民は感じるのだろうか??

それぞれの言い分を聞けば聞くほど
人間はそれぞれ、比較できないことにおける独立性による全体的平等なのでは?
って悟ることが実に多いので。

2018-01-11

角度

角(かど)の大きさを表す量・測度のこと。大体は内角のことであり、
一般的には360°、数学的にはラジアンかな?

方角に基づき、角度をもって進行を決めることが多い。
絶対軸を示し、そこから共通認識単位での定量的な表現により
より具体化されるからだ。
ただし、、もし、大きな荒野、砂漠で北極星をもとに進む場合
1°でもづれていたら、どうなるだろうか?
計算上だが、
1kmで1.3m
10kmで130m
100kmで1.3km
も、づれることになる。
東京~成田間が約100kmなので、1°のづれで空港に近づけるかな?

定量的に示しても、ほんの少しの差異で大きなづれになる。
まして、経営的方向性、チーム運営の指針など
あいまいで定性的なものであればあるほど、
余計人間は同じ方向に進んでいるつもりで
実際には別のところに行きつくことになることになるだろう。
この事実を気づかず
「なんで言っていることがわからない」
「勝手な行動をするな」
って言う指針を示す側はやはり無能であり、
・定期的に再計測
・修正し方向、角度をより具体的に示す
ことこそ、マネージメントといえるのではとつくづく感じる。

2018-01-10

難題

解決のむずかしい問題。
思うのだが、答えがないことに挑むことは難題に当たってくれるといえるのか?
社会の複雑化、科学技術の高度化で
一見すると解決できないようなことも解決できているように感じる。
しかしだ、
こういう活動を、英語でいうと solution business という。
つまり解決ありきの業務といえる。
ちょっと日本人の勘違いがあるのは、
ソリューションビジネスについて、
日本人は課題、問題解決を行うとしているが、
本来の意味は、解決方法が決まっていて、その解決方法が
今回の案件に対応できるかどうかの業務である。
では、課題、問題解決?
それは、consulting であり、con/ solution  と
あくまでも共同で行うこととして、一方的な責任を負わないのである。

日本人は難題解決を他人に丸投げするビジネススタンスが見受けられるが
日本以外はかなり冷淡のような対応が、逆に当然なので
ある意味ビジネスのやり方が違うのでは?って思うなあ。

2018-01-09

陰膳

本来の意味は
旅行や出征その他に出た不在者のために、
その者が旅行中に飢えたり、危害を加えられ安全を脅かされたりしないように
祈り願って、留守番がその者のために留守宅で供える膳である。
安全祈願の風習。
現在では、、旅を冥府への旅ととらえ、
法事の際に、故人への配膳を意味するようになっている。

最近、どうも気になるが、バカな効率化の発想で、
~食べない分を作ることがもったいない
~そういう風習バカらしい
と当然にいう世代が実に多いということである。

確かに効率化、食べ物を無駄にしないという表面的な形而下の世界ではそうであるが、
この陰膳の意味そのレベルで言い出すと、、効率化と双璧をなす流行り言葉
グローバル化には対応できない。

古来の風習、信仰を重んじることが現在あるべきグローバル化であり、
この陰膳もある意味、故人を偲ぶ気持ちの表れで
大切にすべき、信仰行為である。

効率化の好きなバカどもは
クライアント先がムスリムだった場合、
礼拝時間を時間の無駄とか言い出したら、
罰当たりどころか、、ビジネスにならないことをわかっているのだろうか?
、、、、そうだ、、超大手の管理職がそれを口にして落ちぶれたことを思い出した。
やはり、日本人はグローバル化の真意を理解できないのだろうな。

2018-01-05

接木

植物体の一部分(枝,芽,根)を他の個体に接着させ,両者を癒合させる技術。
現在の生物科学のの研究からすれば、どの植物とどの植物との相性などを
導けるが、この技術は最近のものではない。

祖父は柿が好きだったが、柿には渋柿があり、渋柿ほど生命力が強い。
だから、渋柿の台に富有柿の穂を当てていた。
その技術が接木であることは知っていても、
太平洋戦争に出兵経験のある農夫である祖父においては
科学的な考察の結果ではなく
先人の知恵、そして何よりも自分の人生観でそうしている。
桃栗三年柿八年、柿を口にするまでのこの期間を何年も過ごしてきたからこそ
柿の接木について身をもって知っていた。

科学によって立証できるこの多くは
先人たちが行っていた経験則のことが多い。
上記の接木、そして、有名なのは腐っている健康にいいとされる納豆もそうだろう。
先人たちの行いについて、
「科学的根拠がないから、意味がない」とか言う前に
科学的根拠を探したその結論の論証してから言い切れよ。
何もせずにただそう思い込みを無責任に口にする現代人たちよ。

2018-01-04

風習

風俗習慣。
最近のクズは、地方の風習に対して経緯どころか、侮蔑を行う。
侮蔑の根拠が科学的検知や見た目の洒落のなさだとかいうが、
その発想自体に日本の劣化を感じる。
風習の多くは郷土愛やその土着信仰の表れであり、
モノによっては、無形文化遺産対象なりえるものである。
その精神の支柱にも近い行為に対して
~ださい
~意味がない
という発言をすることは、土着の人々、先祖への無礼であり
ある意味、エンシェントハラスメントであり、
罰を受けるべき行為だ。
まーー、日本古来、こういう罰を天罰として
地上代行者が行ってよかったのだが、それを許さない現代日本の狂い方が
本当におぞましい。
新しい年を迎えるということは、その新しさの源流である
古来への慈しみをもっと感じるべきではないかっと感じる。