やったら負けである。
誰もやらないからこそ、
という気持ちで挑むことに
聖人君主のように言われるのはレアケース。
誰もやらないからこそ、それなりの理由があるし、
それゆえの盥回しなのであり、
多くはそこで手を挙げて実行したものが訴追される。
それが現代社会だ。
そのリスクを取るかの賭けに出たからこその
賞賛だという見解もあるが、あくまでも賞賛であり、
その勝算は実益が伴わない、強いてはリスクを呼び込むだけのもともいえる。
「そんな、、」
「盥回しをさせる社会なんて、、」
と言い出すが、、
そう思っている輩ほど
「なぜ自分だけ不幸になるのか」
「冗談じゃない、みんなやっていないではないか!」
と言っている実情に気づいているか?
盥回しをやめる方法。
簡単さ、
自由ではなく、強制させること、
自由を抑制することで得られる幸福もあるという事実がそろそろ台頭してきてもいいはずだ。
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