2016-01-29

道連

いっしょに連れだって道を行くこと。
最近は悪い意味での使い方が多い。

でも本来は同じ道を歩む、同志、強いては婚姻の意味でもあった。

正しい日本語というが、なんか日本語がどんどんむなしくなっていることを
この言葉から感じることがある。

2016-01-28

日照

日照りによる飢饉が日本にあった。
それは歴史の教科書にも書いてあるように、
日本人の誰もが知っていることだといえる。
でもそれは歴史上の事件として認識しているが、、
それって今でもってなぜ気づかない?
異常気象、観測史上ありえない、、
なんて言うが、そういう気候が過去にあり、
それが飢饉を起こしていたと言えるではないないか!
つまり、温暖化とか言っていながら
実際問題、過去からずっと起きてきた事実である。
それを別問題として、全く勘違いな対処、
CO2抑制って、あまりにも金を動かしたい意図を感じてならない。

2016-01-27

塵紙

ティッシュペーパー。
日本人は当たり前、そしてとても低コストで利用している紙だが、
世界的に言えば、塵紙というものはそう簡単に使えるものではない。
極限まで薄くできる技術
そして、紙というものを気軽に捨てられる価値ではない
その点において、日本は裕福と言える。
しかし考えようによれば
エコではなく、そして衛生という言葉に騙された無駄遣いかもしれない。
なんせ、塵紙はリサイクルできないのだから。

ここを改善させようとすると変な抵抗勢力が現れるのは
日本の潜在悪ではないかと思ってしまう。

2016-01-26

勲章

主に国家或はその元首などが個人に対し、
その功績や業績を表彰するために与える栄典のうち章飾の授与を伴うもの。
みなさんの周りに勲章を叙勲された人はいますか?
多くの人はなかなかいないかもしれないと思うが
毎年、春秋に相当数の叙勲が行われている。
しかし、その人を見ないのは、、あまり勲章の価値がないのか?
それとも、自分たちの知らない人にばかり贈っているのか?
何か政治的意図を感じるのも不思議ではないし、
そもそも勲章って名誉ではなく、政治的なツールでしかないことは
日本という国の特徴なのかな?

2016-01-25

一代

生涯。生まれてから死ぬまで。
当人ともいえる。
僕からすれば、当人、つまり一代でスキルは終わるべきだが
一流の職人になると
やれ世襲
やれ後進育成
を言われ、それを十分ではないと批判される。

一流の職人が必ずしも、一流の教育者、指導者でないどころか
そうではないから、一流になったともいえる。
そんな人に多くの者を求めるなよ。
まーそういうことを書いているマスコミも一流の、、、、!!
一流のクズをちゃんと育ててることはすごい。
なんて社会だ、、

2016-01-22

脆弱

もろくて弱いこと。
簡単なようで、どういうものが脆弱か、言えるだろうか?
結構、主観的に思い込みで脆弱とみなすが
実際問題、そうではないどころか、言っている輩のほうが何をもって脆弱と言っているのか
わからないし、それを指摘すると逆切れする。
お前らこそ、、人生において脆弱ではないのかって思ってならない。

2016-01-21

元気

体の調子がよいこと。
いかんせん、定性的なものであり、自他の評価で異なる。
そして、この元気があれば、パフォーマンスそのものに関わる。
僕は思う。
他人の仕事を助けるという行為で一番重要なのは
元気、つまりモチベーション、やる気を高めることだといえる。
仕事を分担したり、免除するのはある意味、助けていることにはならないし、
元気にはならないと思ってしまう。
人間の根本的な生きがいそのものだといえる。

2016-01-20

信憑

信頼してよりどころにすること。
だからこそ、信用できないといえる。
信頼されるということは期待され、期待はコミットメントのようになり
裏切ることがありえないとなる。
それが不正の苗床ということはもう誰でも気づいている思うが、
なぜか社会は認めない。
まー認めてしまえば、何も信じられなくなるといえるからね。
でもね。
誰も信じないことこそ、その人が存在しているという意味だということも
そろそろ庶民は気づくべきだなあ。

2016-01-19

高架

高い所にかけわたすこと。
線路などを高くして、踏切などでの道路交通を塞がないもの。
狭い日本だからこそ、地下にしたり、上に挙げたり
土地を平面から立体に扱うのはお手の物。

そう考えると、人間はある意味不便なほうが進化すると思ってならない。
っと考えると、今の日本人では進化できないのではないかって思ってしまうね。

2016-01-18

勇敢

勇気があり、危険や困難を恐れないこと。
蛮勇つまり
理非を考えず、むやみやたらに発揮する勇気。向こう見ずの勇気 とは違うという。。
バカな発想だ。
そもそも、勇気という概念が現代社会は薄れている。
効率化、批判体質なこの現代で
あえてリスクを取ることに対して何とも愚かなことをしているか。

そのリスクに対して、
失敗すれば、それは予見できたと言い出し
成功すれば、そもそも成功するものだったと後付立証を始める。
勇敢とは程遠い発想で、古来日本なら卑怯そのものである。

こんな日本での勇敢な行為を蛮勇って批判するバカを罰するようにしないと
どんどん国家的、民族的価値が薄れてしまうだろうな。

2016-01-15

称賛

褒めたたえること。
ビジネスマンにおいて、称賛をするということは
ある意味、価値の譲渡であり、
譲渡できるだけの地位がなくてはならない。

組織的に地位のない人間が称賛を与えているということは
その人間は組織的、存在価値がないということなのだが、
読んで理解できない人ほど、その存在であるという悲しい現代社会に憂いまで感じるよ。

2016-01-14

啓示

さとし示すこと。
人知ではわからないような事を、神が現し示すこと。

現代社会では論理的ではないと否定しかねないことだが、
現在に至る多くの社会的決断は啓示であったことは否定できない。
逆に考えると、論理的に判断したことなど、大きな決断ではないともいえる。
いくら考えてもわからないからこそ、啓示というものが人に福音をもたらすんだろうね。

2016-01-13

悪事

悪い行い。
一言で言えば、こうだが、実際問題。
悪事とは何か?
結論から言えば、、他人の行いといえる。

ある婆が
「何よ、なんか私が悪いことしているみたいじゃない」

これが人間の本質であり、
自分の行動は基本的に、善事であり、悪事とは他人の行いという認識だ。
そして、他人の行いを悪事というからこそ、その行いが自分に当てはめれば
自分も悪事と認めるのだが、基本的に自分は正しいと思い込むのが、人間の本能といえる。

現代社会、上記の婆を責めると責めているほうが悪事ととらえかねない。
あたかも悪事を行っている婆が活かされることなる。
こういう社会をどう正すべきか、言葉言ってもわからないのだから、、そうだよね。

2016-01-12

暴食

度を過ごして飲食すること。
では、この度とはなんだろうか?
過去から見れば、今の日本の食生活はあたかも暴食ではないか?
~過剰な刺激味覚
~大量な廃棄
~食への感謝があまりにも薄い態度
これを暴食とは言わずして、、

過去から見れば進化しているようで、実は全くもって
悪化している典型例ではないかなあ?

真の意味で、旨みを意識できる日本人がどれだけいようか?甚だ情けない。

2016-01-08

基金

特定の目的のために準備された元手となる資金。
だけど、基金って本当にそうだろうか?
その目的のために本当に使われるのだろうか?
悪意だけでなく、時代の流れで目的達成が出来なくなったとき
その基金は,,そういう基金が多いし、それが多くの犯罪の温床になっていないか?
基金という概念、もう辞めたら、、っと思ってしまう。

2016-01-07

双肩

両方のかた。
物をになう場所であることから、責任・任務を負う所にもたとえる。

最近のビジネスの仕方だと、個人に責任を負わせるようなことはせず
専門性を求めて、分担を強いる。
僕はこれがダメだと思う。
すべての責任を自ら背負うからこそ、
真剣さ、
全体把握、
最適化感覚、
が養われるのではないか?

責任を明確にするといいながら、
部分部分に切り分けして責任が逆に見えなくなっている。

「君の双肩にかかっている」
と言われるだけでなく、言えるように部下、若者を育成しなくてはならないと強く思う。
それが、成功のチャンスと確信までしているからね。

2016-01-06

総意

すべてのものの意向。全員の考え。
みんな思っているという幻想。
そう、思い込みであり、みんなそう思っていると言い出している自己主張。
これだけ、個々人の意見がバラバラなこの時代に総意ってなんだろうね。
そう考えると、、、選挙ってなんて馬鹿な仕組みなんだろうって思ってならない。

2016-01-05

民泊

自分の住居を他人に貸して泊まらせること。
忘れてはいけないのは、これは日本では違法である。
旅館業法というものがある。
その定義に従った届け出をしていないこともある。

それにもっと忘れてはいけないのは
日本には、民宿という概念もある。
旅館業法に基づき簡易宿所営業の許可を得た
ある意味、昔からの民泊の元祖である。

バカみたいに外国人が多く来たからとか
国際的にはという言葉で踊らされて
違法を適法みたいに扱っているが、
それって、日本国家とは統制や治安を維持できるのか?!

これまで治安がいいとされてきた日本、
それは、くだらない国際化ではなく、日本古来のやり方を
従順に行ってきたからであり、今では治安がいいとはとても言えないというか
それを国際化と思うつまらない国になり下がったものである。

2016-01-04

来迎

仏や神がこの世におりて来ること。
なんか最近の庶民は、ご来光で初日の出をありがたがるが
本来は、ご来迎というものを信仰するものであったのだが、、

日本の場合、信仰が儀礼、そして流行りになってしまう傾向があり、
これは一神教、もしくは信仰心の強い国からすれば
なんとも罰当たりな国に感じられてしまう。

ご来迎の意味、有難さを深く理解していない国において
信仰の自由という権利は意味があるのだろうか?

進化や流行りで踊らされている日本に
道徳、信仰というものを見なすことができないことは
グローバルなんてことを口にすべきではないって強く言いたい。