2017-10-23

過信

自信を持ちすぎること。信用、または信頼しすぎること。
これが自分の能力であれば、自己責任だが他力本願なクズが多い。
~自分は認められないは社会のせいだ
~なぜ自分たちが救われないんだ
こんな発言が多すぎて、、、逆にこの言葉に応えないほうが悪いような風潮もある。
バカすぎないか?
他人を信じていないくせに、自分の意見を優先さえようとする自己中心主義。
過信をするのであれば、自分の能力以外すべて、外的要因と割り切って
利用、制御すべきであり、甘えた発言は一切あってはならない。
愚言を口にすることの愚かしさを教えない社会なのだから
それは身をもって、場合によってはその生命すら持って贖ってもらわないと
社会、、気球規模の自然淘汰の示しがつかないだろうに。

2017-10-20

資格

仕事上任務に就くために必要な条件として公にみとめられる能力。
日本の場合、資格試験ということで、公私の機関で認められた認定を求める。
、、、、これってどうなのかなあ?
資格の目的は、社会に高次元に高めることを促進するものであり、
その資格を持つことは責任のはずだ。
しかし、試験という形で、その資格を権利にしてしまうと
社会貢献どころか、その私的活用そして、試験に受かることが目的に
異化してしまう。
それが今の日本で、、資格を持っていても、試験にだけ強く、
その資格を使った技能が全く精通していない人間が実に多い。
逆に試験を受けずに、ずっと現場でその業務に従事している人は
試験勉強の時間がもったいないと思う。

技能はないのに有資格者、
技能を手に入れるために、試験を受ける時間をもったいないと思う無資格者、、、
ちょっと日本は狂っているなあ。

2017-10-19

歩道

車道に対し、人が歩くように区分された専用部分。人道。 
歩道は歩く道である。
だから、
~いきなり立ち止まること
~自転車が高速で走ること
~車が駐車すること
ありえないのである。それをするためには歩道から出るべきである。
現代人はこのあり得ないことを当然のように
逆にそれを指摘されると逆切れするバカになりすぎて本当に手に負えない。

~じゃあ、私は歩道で靴ひもを結びなおしていけないの!
~自転車に車道に走れっていうのか!
~道路に車を止めて駐車禁止で捕まったらどうしてくれるんだ!

バカすぎて話にならないレベルが蔓延しすぎ。

2017-10-18

収斂

縮むこと。縮めること。収縮
そこに集めること。

収斂という言葉の使い方は難しい。
意図的に収斂させていくことは結構難しいとか、
反対に無意識に収斂していくものを分散させていくことはもっと難しいとかね。

収斂という言葉を修練することが必要かもしれないが
その習練をする場なかなかないね。

2017-10-17

外典

ユダヤ教・キリスト教関係の文書の中で、
聖書の正典に加えられなかった文書。正典とは逆の意味である。

しかし、現代社会は外典であるApocryphaのようなものに価値を感じる。
メインテーマより、サブストーリー、隠された真実の糸口に人の思いは馳せられる。
人間の知的好奇心はみんなが知っていることよりも、
その隠された真実や多くの人が見ていないものに興味をもつ。

まーー、この知的好奇心は日本語ではすけべー根性といわれたりもするがね。

2017-10-16

空位

ある地位にだれもついていないこと。また、その地位。
でも、現在の社会情勢から考えて、
空位という存在を認めることこそ、その組織、統治体制が非効率的であるといえる。
数少ない、そしてコストマネージメントにうるさい現代社会で
空位の存在を認め、いつかはそこの地位を使うというゆとりを持たせることが
放漫経営としか言いようがないのだが、、、バカ経営、バカ管理は
全くわかっていないでその前提で、効率化とか言い出すから
手に負えないねえ。

2017-10-13

講座

ある程度まとまった講義、
その意味がいろいろと派生して、書籍、組織、団体にも使われ始めている。
しかし、講義、口座、授業の違いはなんだろうか?
まーこれは
授業 lesson
講義 lecture
講座 seminar
の和訳の時期、翻訳家の違いがこれを導いているので
英語の意味の違いをも理解したうえで、和訳に日本導入されてからの
意味の変遷を理解しないと明確なことを言えるものではない。
というより、日本人的な感覚で使い分けるしかない言葉になりつつある。
このことを考えると、やはり日本人は論理より感覚なんだろうな。って思う。
しかし、それが悪いと一概に言えない。
ブルースリーのジークンドー(截拳道)にある
~考えるな、感じろ、、Don't think! Do feel!
がある意味、日本人には正解かもね。



2017-10-12

子供

自分がもうけた子、親と対をなす言葉。
子供という言葉にはいろいろと言いたいことがあるが、
まずはこの言葉の生成である。
子供は、子と供とで成り立っている。
子は、子そのものの意味だが
供は、従者、複数人の意味であり、
本来であれば、1人に対して子供とは文法違反である。
しかし、その誤用が一般化して今では、子供たちと2重の複数形になっていたり
と間違いを無理やり正しくみなしている。
、、、この間違いを無理やり正しくみなすが、
日本における子供に対しての認識であり、
~子供の人権って、人権の劣化版のはずを、人権以上にとらえている
~他人に迷惑をかけるのに、料金が安く設定されている
~犯罪に対して、子供だからと免責になる
上記の内容が当たり前と思っている日本人の認識って
日本人の好きなグローバル基準からすると異常なのことを気づいていない。
ある意味、日本人の甘い考え方が世界レベルで子供なんだよなあーー。

2017-10-11

自律

自分の気ままを押さえ、または自分で立てた規範に従って、
自分の事は自分でやって行くこと

自律と自立の違いは?
結構難しい。上位互換とか言い出したりしたりするが、
こういうものは漢字の意味を追うしかない。
律は規律のように、正しくあり続けることである。対して
立は起立のように、独でバランスを保って直ぐ天に向かうさまといえる。

気持ちを上に向かうか、内面からを整えるか、、
いろいろな意味で自分をあるべき姿にあれということのようだ。
なかなか自分自身でそれができるようになるのは難しいということは
共通しているのかな?

2017-10-10

多忙

非常にいそがしいこと。
多忙で身が回らないと話を聞く。
でも、それはある能力の欠如ではないか?と思ってしまう。
それは、カプセリング。
いろいろとある仕事要素をいくつかにまとめる。
まとめる単位は
時間的
スキル的
そして、報酬的など
いろいろなパッケージ基準はその人の裁量になるのだが、、
そのうえで、
そのまとめたものパッケージをカプセルとして自分および部下に渡し
タイマー起動させればいい。

僕からすれば実に簡単なことなのだが、
それがわからないどころか、学力だけ高く昇進した人間は
その概念がなく、部下や社会をバカだバカだというだけで
ただ忙しいと言って仕事をスタッグさせている。。

いくら個人スキルが高くても
自分の時間配分
部下のスキル把握
顧客、上長への依頼タイミング
など測れずで、忙しくしている人間はバカ、クズ以外なんでもなく
彼らを助けることを求められることに対して、
下手に手伝って、僕の足元に及ばず文句ばかりだから
つぶれてくれるまで昼寝していることが社会全体的に適切と考えてしまう。
僕の神瞰視の良くも悪くもでもあるけどね。

2017-10-06

台帳

商店や企業で、商品の売買額や賃金などを記録しておく帳簿。
~なぜ台帳に記帳するのか?
これが台帳作成の目的である。
最近は、その目的を無視して
~いいからつけろ
という意見が蔓延して、行うべき活動より意味のない記帳活動が重視される。

台帳記帳の目的は大きく、移動推移、抽象的数値化、相対比較など、
机上で書面レベルで確認できることなのだが、
それを使う人の意思、記帳する人の意思の疎通がない現代社会ゆえに
意味がない、使えないことばかりだ。

2017-10-05

大事

重大な事件。容易でない事。大変な事。
「大事を取って、休みなさい」
とは、
もともとは、大事をとるとは、
軽々しく物事をしない。用心し、自重することであり、
その大事な存在を御身とみなしての言葉である。

何をもって、大事かは相対的としか言えないが、
大事という言葉を客観的に使う場合は
相手への気遣いがあるべきといえる。
基本、自分の大事なことという表現を他人にいうのは
無礼、恥さらしな表現なのだが、現代人の身の程を知らない振る舞いからすると
もう理解できないんだろうけど。

2017-10-04

領掌

受け取ること。
そして、承諾すること。了承すること。
リョウショウという音でこのふたつの漢字、そして同じ意味。
日本の漢字ゆえに起きやすいことかもしれないが
珍しいパターン。

ただ、この領掌という文字自体が使われることが減っている。
文字における淘汰ってこのパターンで起きるのかな?
同じあることが、ある意味紛らわしい、なら一方はいらない。
役割の重複は淘汰の始まりといえる。

2017-10-03

回答

似ている言葉に、解答があり
違いは
・「回答」→質問への返事
・「解答」→問題を解く事
では、質問と問題の違いは?
だって、面接試験の問いは、質問なの?問題なの?

どうも日本語の使い分けってそのものが曖昧だと思う。

2017-10-02

学者

学問を業とする人。
最近メディアをみていると、学者と名乗る輩が増えてきた。
そして、一言、批評家、評論家と何が違うの?
僕が属しているITの世界で言うところの
プログラマーとシステムエンジニア、ITコンサルタントと同じように
格付けを上げるために名乗っているに過ぎなく感じる。
これに対して、違うとかいう学者に言うとしたら
「うちの業界もそうだが、顧客、社会一般ではどうでもよく、
 ただ、一般相場と支払額を変えたいときに使うだけ」
としか思われていない。

そもそも、メディアでコメントする学者って
過去の引きこもりの学者と違い、
自分の好きなことを研究しているただのオタク芸人レベルだよね。