2014-10-31

宴会

飲食を共にすることによりお互いのコミュニケーションを深める行為をいう。
通常2〜3人程度で行うものは宴会とはいわず、ある程度まとまった人数で行う場合に宴会という。

最近の若者は飲みに付き合わないとかいうが、
実際問題、若者は好きな輩と宴会、、パーティーを求めている。

飲み会は嫌がるが、宴会パーティーは好むという傾向に気づいているだろうか?

その根底には、
好き嫌い、我慢を放任した、愚かな日本の教育のせいでもある。

嫌なものはいや。
だから、好きなみんなと集まって楽しむもの。
という発想であり、
嫌でも付き合わなくてならない、
嫌なものを好きになる、、少なくても嫌いにならないようにする行為、努力が
日本だけでなく、社会には必要である事実を、
なぜ、強制的に若者に伝えなくなったのか?
それにより、腹の探り合いという概念がなくなり、
ビジネスが回らなくなった事実になぜ気づかないか?

本当に、僕には現代社会の発想が理解できない。

2014-10-30

兼務

本務のほかに他の職務を兼ねること。

僕は2パターンの人間しか見たことがない。

僕のように、両方を100%こなしてしまい、
結果的に、自分か周りかを過労にさせる者

「自分は兼務だから」といい何もせず
すべてを中途半端、、いや他人任せに肩書きだけを欲する者。

どっちもどっちという人間は
ほぼ下のパターン、使えない人間に属するだろう。

僕からすれば、兼務という概念がおかしい。
兼務ではなく、その兼務こそその人自身という発想になる。

それは属人主義という輩がいるが
すでに、時代は属人いやもっと深く個人帰属になっているのだ。
組織や工数という考え方で兼務とか言っている発想では
この先のビジネスが見えていない証拠と僕は言い切れる。
それだけ、これからの将来っでわかりやすく残酷といえるのだから。

2014-10-29

観点

 物事を考察・判断するときの立場。見地(けんち)。
結構、抽象的な表現であり、
頭の切れる人たちは楽しく使えるものだろうが、
作業、現場主義の人には理解しがたい、、いや怒らせる要因に成りかねないものだったりする。

考えてみればそうであり、
観点を言及して人たちは基本、自ら手を動かさない。
理論と効率化で人を使おうとしている立場で、
現場と相手先を納得させることが仕事となるからだ。

役割分担という言葉で言い切ってしまうこともあるが、
現場の人の動きを体で知っていないと
心意を込めて観点という言葉を使っているか伝わらないといえる。

現場を知らずに観点という言葉を踊らせているから
納期、見積もり、品質、そして組織運営がおかしくなっている。

多くの事業。
技術的、人力的に実現が難しくないことが多いのに
事業として成立しなくなるものが多い。
その理由は、概ねこのように観点などの問題で
決別になるからだ、

観点という概念自身。
事業成功からすれば、観点がづれているのではって思うことが多い。

2014-10-28

盥回

やったら負けである。

誰もやらないからこそ、
という気持ちで挑むことに
聖人君主のように言われるのはレアケース。

誰もやらないからこそ、それなりの理由があるし、
それゆえの盥回しなのであり、
多くはそこで手を挙げて実行したものが訴追される。
それが現代社会だ。

そのリスクを取るかの賭けに出たからこその
賞賛だという見解もあるが、あくまでも賞賛であり、
その勝算は実益が伴わない、強いてはリスクを呼び込むだけのもともいえる。

「そんな、、」
「盥回しをさせる社会なんて、、」
と言い出すが、、
そう思っている輩ほど
「なぜ自分だけ不幸になるのか」
「冗談じゃない、みんなやっていないではないか!」
と言っている実情に気づいているか?

盥回しをやめる方法。
簡単さ、
自由ではなく、強制させること、
自由を抑制することで得られる幸福もあるという事実がそろそろ台頭してきてもいいはずだ。

2014-10-27

有線

線があること。
気づかないかもしれないが
有線という言葉、無線という言葉の後にできたということはお分かりだろうか?
今まで、有線だったものが無線になったからこそ、
無線接続という概念の反対語の意味で、無線がないということから
有線といわれるようになっている。

新規の概念が出てくると
旧概念の名変更が余儀なくされるのは
日本においてはよくあることかもしれないが、、
それって本当に使いづらい言語って思ってならない一つの要因だなあ。

2014-10-24

寸暇

ちょっとした休み。
「寸暇を惜しんで行う」
なんて、いう表現に使われる。

しかし、これはある意味、日本の古き悪い表現。

今、昼寝などのちょっとした休み、、そして
休暇を強制的取らせることが重要になっている。

集中力回復、凝り固まった姿勢、マインドの解放が
後のビジネスに有用と考えられるようになったし、
その科学的立証も進んでいるからだ。

しかし、日本人には無理だろう。
~上記の諺
~もったいない思想
~担当、責任感
~自給計算の給料体系(残業が顕著)
からすると、下手に休むことが罪悪感を生む。
逆に罪悪感を感じないと組織からいろいろと圧力がかかったりする。
その結果が
長時間労働や有給消化率の悪さである。

うーーーん、
どうなんだろう。
休むことありき、休む時間は検討時間の一環という発想でビジネスを展開できないか?
僕はそうさせて、付加価値を高めているビジネスをしているが、
理解してくれるステークホルダーがなかなか少ないだけ、
派生できないのは、弊社の伝播努力の問題?
いやいや、社会全体としての改善意欲のなさを恥じないことが問題でしょうが。

2014-10-23

弾丸

銃や砲に使用され、それらから発射・推進して主に目標に物理的損傷を与えるもの。
丸というが、必ずしも玉ではない。
その事実について
現代日本では弾丸そのものを見た人はそう多くない。
日本において、銃を所持することは日常的ではないからだ。

確かに銃社会ではないからこそ、
治安が維持されているといえる。
しかし、それは天敵のないところの安全であり、
いざ外敵がきたときに絶滅させられないか?

オセアニアの動物が猟犬にかみこされたように、、

愚かな人ほど
「そんなことあり得ない!なぜなら、日本の平和は、、、」
と妄信を振りかざすが、その思い込みがあるときほど
一瞬で暗転するのが人間の歴史。

銃への弾丸の装填、トリガーの轢き方など
知っておいたほうがいいのではって最近は強く思う。
なんせ、生き残ったほうが死んだ側を
「あいつ、平和ボケだっただけだよ」
って言われることになるだけだからね。

2014-10-22

受容

受け入れて、とりこむこと。

その概念について、僕は現代社会に思うことが多い。
言葉、文字上では、受けての容量になっているが
そこよりも、<送流> のほうが重要だと。

送り手側の送り出し方、流量が現代社会は大きく狂っている。

自分が自分がの発想で、相手に叩きこんで
それが自分の思うようになっていないと
「なぜ、できないんだ!」
と騒ぎたてる。

いくら受容するとしても
それに見合う、送流を考えずに行う今の社会
少し見直すことを感じてならない。

送り手本位で考えるから
多くの交渉事でおかしくなっている事実になぜ気づかないって
本当に思ってならない。

2014-10-21

運行

バス・列車などが定まった道筋を動くこと。
運転と違い、自由意思がなく、定まったルートである必要があり、多くはそれに定時性を伴う。

日本の運行管理はトップレベル、、、いや次元が異なる。
なぜなら、
日本は定時発着率が悪いと言われることがある。
なぜなら、定時発着という概念があり、何分遅れているかを表明するからだ。
外国の多くは、発着した時間こそが定刻であり、
早い、遅れるという概念がないに等しい。

運行のように定まっているからこそ、
遅れるという概念を持つのは、、もしかしたら、
日本人の忘れ去れそうな美徳の一つかもしれない。

2014-10-20

新作

新しい作品。
言葉にするとこうなるが実際結構難しい。
新しいとはどこまでか?

出た瞬間は新作だろう。
しかし、いつから新作でなくなるかは定かではない。

時間的経過という定量的判断
類似作品が出てきたのことによる、定性的な価値の平準化から
そして、同じ作品元が次の作品を出すまでという送り手の意思
といろいろとあり得る。

とはいえ、
新作と言い切れる間は短いに越したことはない。
新作という評価は、ある意味付加価値でもあるが、
いつまでも言い続けるとその価値が大きく下がるリスクもある。

新しいことが価値として認められる資本主義経済は
いろいろと複雑な価値観が蠢いているなあ。

2014-10-17

武勇

勇ましい手柄。
しかし、それは時とともに逆に、損害事件に転化されることが多く見受けられる。

戦争における被災国の賠償
企業の功績と社会的責任
飲み屋で豪快にやって、後で請求書

武勇伝を口にする人の話って
逆にその人を陥れるいいネタになると強く感じてきた。

さあー、どこのバカが武勇伝を誇って語っているか、聞きたいものだ。

2014-10-16

視聴

観ている側、、
最近ではテレビ、ディスプレイの動画を見ている人を指すと言い切れよう。

ここに変容が表れ始めている。
多くの勘違いしているテレビサイドの輩は
テレビを観なくなったといいだすが、
そもそも、テレビ画面という発想がおかしい。

視聴者はいろいろと視聴している。
昔から舞台、コンサートなど観ていた。
その後の映画もそうだ、
しかし、統計という概念でいえば
それがテレビの普及で一般的になっただけだったということであり、
今はネットでそれ以上の統計が取れるようになり、
また、双方向かつ自由な時間で観れるとなれば
必然的にテレビでなくてもとなるだろう。

舞台、映画から視聴者を奪ってきたテレビ、
その座が奪われることに、テレビは躍起だが
視聴する側からすれば、観れればいいじゃん、その一言に尽きるのだがね。

2014-10-15

練度

訓練を積み重ねて得られる,熟練の程度。
何回も練習して、磨かれる技術。

、、、、、、本当かな?
数多く同じことを繰り返しても、、、
いや繰り返せば繰り返すほど、
同じこと、ルーティン化して、技能向上にならないでは?
毎朝、歯を磨くが人によっては毎日磨いているのに
虫歯になる人が実に多い。
それは何度も磨いているが、それをただルーティンとしてこなしているだけだから、
うまくなろうと思って、試行錯誤していないから。

同じことを繰り返すことを練度とみなすはどうだろうか?
逆にいろいろなことを試みるほうが練度育成になるのでは?
今の練習概念、組織的カリキュラム、
そして個々人の意識すべてを変える必要があるのでは?

2014-10-14

揚鳥

鶏肉を油で揚げた料理。
から揚げ
竜田揚げ
フライドチキン
など、
差異があるが、油で揚げた鶏肉には変わりない。

日本人の多くは
唐揚げ弁当が好きなのに
フライドチキンではごはんを食べない。
それってあまりにも企業戦略、洗脳されすぎ。
バカすぎる輩は
「何言っているの?フライドチキンでごはん食べるんなって異常だ」
お前こそ、異常だ。

外国からすれば
餃子でごはんを食べたり
ステーキにライスなんて異常だといわれかねない。
この事実は全くの無視で、自分こそ正しいという偏見の異常さである。

食文化の変遷やその国民、、いやその人の味覚については
あまりとやかく言うべきではないといえる。

2014-10-10

知事

都道府県の県政の長である。
あれって思わない?

村長
町長
区長
市長
なのに、、、
なぜ、、知事?

県長
道長
府長
都長

ではないのか?

辞書にあるのは
物事を治め司るという意味のサンスクリット語を漢訳した言葉に由来する。
とされているが、、、実は嘘。
嘘とは言わないが、、、

県庁
道庁
府庁
都庁

と同音の建物が先に定義されていたため、
それと識別するために、、
はじめは、長官、、県令、そして総督だったが、それが軍事用語っぽいから、、
GHQの要請もあり、知事を当てたが正解。

あまりにもひどい話しすぎてなかなか伝わっていないのは
なぜだろうか?

2014-10-09

同業

職業や業種が同じであること。
外国ではその業種でユニオンを作るくらい価値観が共有されている。
日本も見習うべき、、、とは全く思わないし、
それって、どうなんだ?って思う。

考えてほしい。
同業であるということは
自分の食い口を奪い合う敵ではないのか?
仲良くする対象だろうか?
そうやって、傷をなめ合うような関係を作るから
個々の能力は発達していないではないか!

マイスターという発想がなくなりつつ欧米だから
日本は、モノづくり とか言っている。
つまり、傷をなめ合う関係より
いち職人としてのプライドを高めてきたといえる。

最近、同業で団結をし始める傾向がある。
力が弱いからこそ、団結で!
とは愚かなことを口走る。

一騎当千
自分の腕一つでなしあがっている職人気質がないことに
恥ずかしさを感じる世の中に戻したいものだし、
そうしないから、経済的に落ちていくばかりではないかと。

2014-10-08

泰然

落ち着いていて物事に驚かないさま。

年を経たら、そうなりたいものだと思うが、
なかなか、、、というか、それは人格的、時代的に難しいかもしれない。
落ち着くということは
自分以外、自分のために手足のように動いてくれることだといえる。
それだけの体制、崇拝、そして信任を得る必要がある。
しかし、この欧米化した個人主義の世の中、
そんなことを目指すことが禁じられている。
そういう状況を作り出せば、
やたら、メディア等にバッシングされるし、そのバッシングが正当化される社会である。

俯瞰的にみれば、
現代社会は
落ち着きがなく
そして、統制のとれていない社会にみえる。
それはあたかも、、混沌、無秩序そのものであり
こういう状態を地球規模、神様的視点からして許されるものだろうか?
地球は神は泰然が当然なだけにね。

2014-10-07

新任

ある職務に新しく任ぜられること。

期の変わり目でよくおきる。
人事は変わるもんだから、それは仕方ない。
だからこそ、いなくなる人への惜しむ気持ちと同じくらい
新しく新任された人に迎え入れる気持ちが重要。

バカみたいにコミュニケーションと言っている割に
現代社会はおかしい。

新任者の挨拶を無視したり
前任者からの引き継ぎ課題を来たばかりの人に迫ったり
平気でする。

こういうことをするから
人の定着率が低くなり、人材不足という問題になるのだが、
そもそも論、
新任者をきちっと迎え入れて、ゆとりを持ってみんなで支援することをしっかりやれば
新任者が熟練者に育ち、定着率、人手不足はなくなるのではないか?
人手不足は
新任者ではなく、既存人間の人間性が足りていないということではないか!

2014-10-06

上陸

陸に上がるというより、
船舶又は航空機によって外国に入国すること
という意味と言い切ってもいいだろう。

外国生まれのものが日本に入ってくる。
日本生まれのものが外国に、、受け入れられないことをガラパゴスっていうが、、
考え方がおかしいと思わないか?

日本人は欧米のものを安易に受け入れすぎる。
そして、外国は日本規格に基本、嫌悪があるということを。
だって日本とて、中国、韓国製品に気持ち的に壁があるように
欧米諸国も同じである事実に目を向けるべきだ。

安易に上陸を許すことで門戸を開くことが
いいことと思っているが、
国産、、純血国内を守る気持ちのほうが
人減の本能に近く一般的と思うべきなのだがね。

2014-10-03

遅刻

機能していない組織を垣間見た。

自分が遅刻するから、
その旨を作業現場に電話したら、
誰もでなかった。

そのため、連絡なく彼は無断欠勤にみなされた。
不服に思って、
「自分は遅刻することを電話したのに誰も出なかった!
 これは自分には非がない!」
と主張した。

、、、、実はその組織、全員遅刻するが常習化していた。
そのことで、経営層から目をつけられ、
組織として直せと指摘をうけていた。
その指摘を受けて
「みんなこれから遅刻しないように、どうしても遅刻しそうなときは事前電話連絡をするように」
とした。
その結果、全員が電話をすればいいと思い
遅刻を正当化しため、
誰も現場にいなかったということだ。

そして不服に思って自己主張している彼こそ
「みんな、」
と言い出した組織の長であった。

言うまでもなく、その組織はとりつぶしになるのだが、、
この事例、
他人事ではないという自覚を持ったあなた、あなたの組織は大丈夫。
そうではない、あなた!
あなたの組織はもう手遅れと思うべきと僕は確信していまう。












2014-10-02

振返

物理身体的に振り向くというより、
過去に思いをはせることといえる。

最近、多く感じるのは
本当に人間はだめになってきている。
振り返りのあるべき価値は反省ではないかと僕は思うが
最近はよかったときの思い出話で、今はだめだと愚痴ることが実に多く見受けられる。
反省については振り返るべきとしようものなら
「つまらないことは思い出せるな」
という始末。

日本のプロパガンダ的には
・日本を取り戻す
・改善をし続ける
とか言っているが、現場サイドでは
・昔はよかった愚痴り
・反省するどころか、なかったことに
をしているのだから、、、
もう二度、、そもそも日本というもの価値はすでになくなっているのではないだろうか??
それこそ、振り返って自分たちを観てみるべきで、
新興国は決して日本なんか目指していないカモ?

2014-10-01

独特

そのものだけが特別にもっていること。また、そのさま。

が、そんなことは一切ない。
他人がそう言い切ってしまうだけである。
当事者、該当物は独特とは感じたことなどないはずなのだから。

独特という言葉自身も僕からすれば差別用語とみなすべきだろう。
発言者の思い込みで、その対象を区別してしまうのだから。

ぼくから、独特と言い出す人ほど、
独特の感性であり、他のものへの許容がないのではないかと思う。
独特という感覚って結構、バカげた偏見そのものと思うべきではないか?
そこに気づかないでグローバルとか、多様化とか言い出すなよって強く思う。