2013-03-29

海鮮


海の幸については、海鮮というが
山の幸は、、、と聞かれると??となるだろう。
しかし、採れたて、朝摘みということがそれにあたる。

違和感があるかもしれないが
それは日本の食生活の変化に現代熟語が対応しきれていない、
いや、日本語は進化しなくなったといえよう。

タンパク質という概念が皆無、希薄だったことに成り立った熟語だけに
山の幸には、肉食という概念が薄い。
それゆえ、植物系のものを当てているのだ。

今となってはご馳走には肉はつきものだが、
それはつい最近のこと。

海鮮とて、鮮の字にもあるとおり、
冷蔵、運搬技術がない昔は
なかなか鮮度の高いものを口にできなかった。

それだけ、海鮮の持つ意味は高価だった。

熟語が成立したときと今の生活がかなり違う。
この事実を考えると、日本語というものは
現代日本にそぐわなくなってきているといえるのだろう。

2013-03-28

妄執


自分の今までの認識と他人の認識の乖離と言うべきだろうか?

言葉の定義では
迷った心で,物事に深く執着すること
とされる。

しかし、
自分で自分が妄執になっているとは決して思わない。
他人から、妄執にとらわれていると評されるのである。
自分自身は、今までの行い、結果にもとづいて行動しているが
他人からすれば、その行為はすでに本題、主流ではないとされていることを
いつまでも続けている様なのである。

ルールにのっとり、歴史を鑑みて、正しく行動しているとしても
他人から、妄執にとらわれている 愚行といわれることは
実際問題、かなりの日常的なところでも見受けられるといえよう。

2013-03-27

仁道


日本の道徳観、、
それはある意味、ひとりよがりかもしれない。
今、道徳の教科化が焦点になっているが、
これから鎖国をするならいいが、グローバルという時代にどうだろうか?

日本の道徳に大きく影響を当てた儒教。
その儒教での統治のモデルは中国。
でも、今の中国に儒教の精神どころか
謝るという概念すらないという。

こういう時代に
仁を訴えることは、建前的にはいい。
それはこれから老いさらばえる立場ならいいが、
これから勝負していく世代にはどうだろうか?

道徳を身につけた日本人の気持ちは
外国人には
「自分から損する方向にいくんだから仕方ない」
「譲りあうっていんだから、もらっておこう、自分たちにはそんな馬鹿な考えはない」
といいきられたら、、結果泣き寝入りになるのが
このグローバルでの競争である。

仁の道は日本人の美徳という考え自体
ドメスティックであるという視点に立たない、、
いやだから、ディベートや主導権争いで負けてしまうのではないか?
もっと、現実をみるべきと、現代人の社会に思う。
生きることは辛く孤独であるという現実に、、、

2013-03-26

頓挫


計画や事業などが途中で遂行できなくなること。
僕は失敗ではなく、頓挫する原因は他人の意見を聞くということだと確信している。

ある意味、
人は他人の意見を聞いている時代ではなくなった。
意見を聞くという行為、そのものが阻害要因になっている。
悪いが、みんなを納得させることなど、当の昔にこの世界からなくなっている。
必ず、反対勢力が起きる、それは人間社会であるという立証ともいえる。

古来より、多くの人間がいいアイデアを出してきたが
それを実現できたことはほんの一握りである。
多くの場合は、反対勢力により、頓挫させられたものばかりだ。

教育の現場や若手育成では
「自分の意志を貫け」
というわりには、そうではなく頓挫させることばかり出ることに気付く。

それに、頓挫せずに行ってみても失敗することもあれば
それでも批判される。
それどころか、成功しても批判されるような社会になっている。

やってもやらなくても結局、批判させてしまうのなら
反対でもやってしまえ。と常に思っている。
頓挫させられるより、失敗したほうが何か得るものがあるといえるからでもある。

最近はもっと思う。
頓挫させる発想をもつもの、、その存在自体が、
人としての失敗作であり、それの存在を、、、と考えることは
心が病んでいるといわれるものだろうか??

2013-03-25

垢擦


最近はあまり見聞きしなくなった。アカスリ。
一時期ブームだったとき、
有名人がテレビで
「垢擦りっていうけど、あれは表皮を削っているだけのことなのに
 なんでお金を払うの?」
とコメントしていた。
それは正しい意見でもあり、間違った認識でもある。

垢のほぼ全部、皮脂である。
つまりは表皮であることは間違いない。
しかし、そもそも人間の表皮自体、死んだ細胞である。
他細胞生物はアポトーシスに従い、表皮細胞を殺すことで
生命維持をしている。

その表皮の循環させることで、細胞の活性化を促す。
それを新陳代謝といい、その新陳代謝を促進させるための行為が
垢擦りであった。

自分のチカラではできないことを他人にしてもらい対価を払う
それがサービスである以上、有名人の発言は自分の正しさを誇るだけで
経済効果を損なう社会への背任発言とみなせると僕は思っている。

どんなサービスにもそれだけの価値があることを認めないから
この不況が終わらないと万人が意識しないと先には進めないと強くいいたい。

2013-03-22

引継


引継という行為に、
する側
される側
ともに満足しないと統計結果が出たそうだ。
これを由々しきことと捉える人もいるが、
当然ではないかと思う。

世襲、年功序列、徒弟制度が破綻している現代社会において
個人能力を評価対象にしている以上、
自分の代替を認めることはできない機運になっている。

する側としても、
「なぜしなくてはならないのか、自分に落ち度はないはず」
「そもそも、やりたくなかった仕事なのに、なぜ引継をさせるのか」
というマイナス思考の立場であることが多い。

される側も
「自分のために、すべて教えてほしい」
「わざわざ自分がやらなくてならないというのだから、万全の体制を」
と平気で求める個人主義の今の有り様。

する側、される側の気持ちが噛みあう事は難しいのが実情である。

2013-03-21

食器


時代は少しづつ進化していることがわかる。
母が買う食器類では、僕のところでは使えないことが
実感できた。

IH対応
食洗機対応

でないと困る。

母からすれば、その概念すらないが
今の食器、調理器具にはその手の注意書きがあるように
日常雑貨においても進化、それに伴う注意書きがされてきていると感じた。

たまたま、気づいただけで
身の回りの多くのものが進化している、
その進化が注意書き等で垣間見れるというということかもしれない。

2013-03-19

懐疑


僕は世の中のすべてのことに懐疑的だ。
科学
健康
信仰
正義
すべてにおいてだ。

考えてほしい。
世の中で言われている
いいこと、それをしていればみんな幸福のはずなのに
全くそうなっていない。
健康や科学もそうなのだが
今までにない、
想定外
という言い訳で、今までのいいことを改訂するが
それはつまり、今までが悪いことだったということではないか?

それを当然のように言うのだから、
全く何を信じていれば、、いや
あまのじゃくのように全てに懐疑的に当たることが
ある意味、責任転嫁もしないまっとうな生き方になるって確信めいているから
今の僕の境地なんだろうなって感じる。

2013-03-18

脚色


「動物を虐待する近隣住民!!」
「迷惑ペットを可愛がるバカ飼い主!!」
この2つの見出しは全く同じ事象を
違う視点で述べているにすぎない。

人間と動物の垣根、躾が重要と思う厳格、頑固な人
自分のペットが一番とおもっていて周りの人もそうあるべきと思う人
という立場、見解から生まれているだけである。

世の中には情報があふれるようになった。
しかし、上記のように事象をそれぞれの主観に脚色してしまう。
脚色されない情報など、、実はない。
自分が直接視聴していなければ、誰かの脚色によって情報は伝わってくる。

溢れる情報をいかに選ぶと騒がれているが
そうではない。
脚色されている情報からいかに本質、本来の情報をうまく抽出するか
そして、、、いかに自分に都合のいい情報に脚色していけるか
それが今の人間には求められているという事実を悟ったもの勝ちともいえる。

2013-03-15

圧迫


押し付けることなのだが
圧をかけるということは攻撃するということになる言い切れる。
攻撃的行為は
突く
切る
叩く
と3つに分類され、どれだけ高密度での圧をかけるかということだろう。
そして、より低次元に近づくほど威力が高まる。

叩くは面での圧、、3次元
切るは線での圧、2次元
突くは点での圧、1次元

といえる。

圧、攻撃、次元を関連付けて考えるることは
日本人はかなり理解しづらいようだが、結構
料理、自衛、建築においては重要な視点とされているのだがね。

2013-03-14

実権

社会の関心が二極化しているような気がする。
ある集団では役職をみんなが欲しがるが
ある集団では役職を自分以外になすりつけようとする。

国会議員の大臣の椅子は欲しがるが
その議員の小学生時代は
学級委員長にはなるどころか
弱い奴に押し付けていた、、ということは当たり前のようなの話だ。

なぜか?
それは役職と実権が咬み合わないからである。
役職についても実権がないのであれば
やっていても全く意味が無い。やるだけそんな仕事にはなってしまう。
対して、実権がある場合はその実権のもと、やりたかったことができるので
その役職になることがある意味モチベーションにもなる。

ただでさえ、意味のない学校生活。
だったら、学級委員長に実権を持たせて
賞罰できるようにさせたら、
今社会が求めている
リーダーシップのある人材が育つと言い切れる。
実権を得たもの、得られなかったものがどうなるかを
身を持って知るから。

けど、
子供を見下す教育委員会、
罰が体罰とかでもめている
この日本社会では、、到底ムリな話だけどね。

2013-03-13

振幅

実に多様な使われ方をする。
物理的には、振り子のように弧を描く運動
実験的には、計測器の針が動き、事象が現れているさま
実力的には、いいとき、悪いときと安定しない有り様
と振幅という言葉だけでは一体どのような使われ方をしているのか
特定できない言葉といえる。

実際問題、
振幅という言葉が多義語として使われているというより
自分の伝えたい思いの表現として、振幅という言葉が使い勝手がよかったといえる。

多義語というものは基本
使い勝手がいいものだから、いろいろなところで使ってしまう。
しかし、、使い勝手がいいのは使う側であって、
それを使うように習う側になると、、厄介な言葉になっていることは
今の受験生の英語の多義語の勉強で、多くの人は経験済みだといえる。

2013-03-12

減点

人間は
自分については加点で採点、
他人については減点で採点、
これはいわば、本能的深層な考え方なんだろうなと思う。

自分をアピールするときは

「こんなこともできる」
「あれができるようになった」

というが、そう言っている当人が他人に接すると

「あれができていない」
「まだ言っている能力を出していない」

と言い出す。

具体的なところで査定の書類がその典型例で
自己分析は加点式書かせるのに
それへの評価は減点式で書かれるから
いろいろな意味でストレスが溜まる。

相手本位に考える時代といわれるが
実際問題、深層レベルで自分と他人への視点が違うことの自覚、それをどう変えるか
を自分なりに導くことができないと、、いや だから
コミュニケーションによるストレス過多になるということだ。

2013-03-11

外受


ある管理職が
「あいつ外受けはいいのに、内部だと」
「こんなに内受けがいいのに、、客には、、」
と嘆いていた。

、、、、、バカである。
そんなの当たり前になりつつあるし、
いつまでも両立できる社会だと勘違いしている。

ある外交担当の政治家は
国際評価が高いが、国内では不評な人がいる。
それは外国にいい顔をして、国内を犠牲にしている、、
つまり国益を害していると評されることになるからである。

顧客にいい顔をするということは
少なからず、内部側に辛くなることがあるだろう。
それを十分に満足させることなんて、、、もう無理である。
なぜ、無理か、、それこそ能力主義であるから、
得意ではない能力に力を注ぐ必要が効率的ではないとされるからだ。

嘆いていた管理職その事実を理解せず
「最近は、外にも中にもうまくやってくれる若者がいなくて困る」
といっていた。
、、、でも、その管理職の上司は僕の友人で
その上司は
「あいつは外でも、、中でも受けが悪いから本当にどうしようもない
 年齢だけで管理職にしたから、、、」
だそうだ。

もし、外も中も受けがいい人が部下に来たら
まず外内のために、その管理職を更迭すること
つまり、部下である事自体がありえないというのに、、

2013-03-08

気難


僕は気難しいと思う。

気難しいの定義的には
独特の考え方や感受性をもっていて扱いにくいとされるが、
これは文語表現、要は、
面倒で関わりたくない存在
それに限る。

でも思った。
気難しいと思っている人
そうではない人
の区別って、自分の支配レベルじゃないか?
自分にとって扱いやすい、使いやすい人でない人が
代謝的に気難しいといわれるのでは?

2013-03-07

衛生


衛生であることを突き詰めればつめるほど、
結果、衛生でないゴミを大量に出すことになる。
過剰包装による包
滅菌させるための医療医薬
検査立証のための印字
これらは、守るべきものを成り立たせるために、
ゴミになるために生まれたものである。
そのゴミが、、衛生を脅かすという皮肉なこの社会。

自分の衛生が他人、社会全体の不衛生の起源かもしれないって
なんか因果応報に感じてならない。

2013-03-06

小型


日本のお家芸とされる小型化。
英語で言えば、downsizing。
長期的な視点でみれば、今のエコ、人口増のスペース不足で
評価されている。
しかし、必ずしも順風満帆ではなかった。

今ではその典型例である自動車は
「子供のおもちゃじゃないか?
 これを自動車という日本だから戦争に負けるのだ」
と散々バカにされてきた。
しかし、今では、、

また、電化製品も
「小さいから壊れやすいに決まっている
 こんなニセモノは買うに値しない」
と言われ続けて、、

そうやって、日本は小型化というもので
それをもたらした欧米の技術を一蹴したものだった。

小型で、巨大市場を制したとも言えた。

栄枯盛衰、
今、欧米からされていることを
先進国にしていることが見受けられる。

それは長期的視点で見れば
やはり、、歴史はくり変えるといえる。

2013-03-05

陣容


軍隊の統制のありさま
組織構成員の顔ぶれ。

いかにも武力の臭いプンプンな表現である。
しかし、平常の今でもよくこの表現を使う。

武力、軍備を否定しても
軍事行為こそ、人を効率よく動かす研究のあらわれである。
以前、このブログで書いたように
プロジェクト、ロジスティクスなどはそもそも、
軍事用語である。

哲学的にいえば、
人は争いの中、存在を得る
ということは普遍的な事実かもしれないなあ。

2013-03-04

簡素


飾りがなく、素のままとされる。
この概念、真実であり、そして一番良くない状態といえる。

物事は何かを付加して価値になる。
それを付加価値というのだが、
簡素であるという概念がある意味、
その付加価値を否定することになりやすい。

簡素であることは、無駄を省いたカタチというが、
簡素であることを評価してしまうと
付加価値の市場経済を否定することになりかねない。

簡素であることを無駄を省いたカタチと声高にいうことは
周りめぐって、
自分の市場価値、存在そのものの否定になることになる事実を
理解すべきと強く思う。

2013-03-01

積年

長年と積年、違いを説明しろと言われた場合、
なんとなくわかっていてもそれを自分の言葉で説明するというと
なかなかできない。

僕なり考えれば、
長年は客観的な時の推移
積年は主観的に、ある事柄に注力した時間量

と答えるだろう。たぶん的を得ていると自負できる。

日本語の些細な違いを文章で説明するのは難しい。
同じ言葉なのに、と思うが
同じ言葉だけに、という感覚だろうか?

しかし、この違いの説明こそ
付加価値立証
経済効果、
市場活性につながるので、普段の努力が必要だと思ってならない。