2018-01-31

油田

地下に多量の石油を埋蔵している地域。
なぜ、田という字を当てているのか?
石油、原油の採掘はその埋蔵エリアに
油井という井戸を掘ってそこからくみ取る。
鉱石などと違い、
~平坦な土地
~液体を採掘
という液化土壌が、田んぼと同義できるからという理由となっている。
日本の土地には、油田は少ない。
まー日本は平坦な土地が少ないし、
田は田でも、稲田がメイン。
油田が大きく、多くあれば、
その分、農耕や機械技術の発展はしなかっただろうから、
それも日本らしさなのかもね。

2018-01-30

無茶

でたらめで、筋道がたたず、普通でないこと。乱暴な様子。
異常に程度がひどいこと。むやみ。

語彙としては、、常軌を逸脱したという意味といえる。

なぜお茶か、、、

調べると、、
無茶苦茶の語源には、
「無茶」が来客にお茶を出さないこと、
「苦茶」が苦いお茶を出すことで
共に常識はずれなことからといった説と
「無茶苦茶」はただの当て字なので、
漢字に語源をもとめること自体間違いという説で
仏教用語、、、

どっちの説にしても、、無茶苦茶な言い回しだなあ。
それが語源って日本語の危うさを感じてしまうよ。

2018-01-29

耐性

生物が病気,害虫,薬剤,高温・低温,乾燥のような不利な環境条件などに対して
対抗しうる性質。
生物的順応ともいえるし、免疫と耐性を同義に捉えてポジティブに考える傾向もある。
、、、、やばくない、この愚かな発想。
耐性を持つということは、その劣悪環境であることを受け入れることであり
そんな環境にならないようにする活動から逃げているだけ、
文明的知的な活動をせず本能レベルで克服しようとすることなんだが、
それを認めないことが、現代福利社会、現代医療の発展ではないのか?
その点を見誤っていることを問題視すべきなのでは?

2018-01-26

学友

同じ学校で一緒に学ぶ友達。
僕としては、学友という考え方が全人類的におかしいのは?
と思ってしまう。
学ぶ目的は、その知識や技能の習得であり、
たまたま同じ学舎にいる存在を友達と認識するのはどうだろうか?
ある意味、競争相手であり、真っ先にそこらの人間との差を示すべきである。
だいたい、教室環境などで
「仲良く競争して、切磋琢磨」
なんて論理的にバカな発想を持っているから
現代日本人はいろいろなところで不利益になっている。
仲良くするのは、
同じ目的に対して、それぞれの技能を相互活用して
享受する環境であって、学びの後の話である。

集団的活動、国民皆中流思想でGDP世界2位になったが、
その後、個人主義、グローバル展開と言い出したことが
日本人間の横のつながりを切る舵を切ったといえるのに、、、

なぜ、その理解をせずに、今まで同じような他人への思い込みで
生きているのだろうか?

2018-01-25

応援

力を貸して助けること。
でも、この定義では応援にはならない。
文字通り、「援助に応じる」ことでなくてはならない。
援助要請なく、勝手に力を貸してしまうから、問題になる。
「そもそも自分たちですべきだったことだ!」
「勝手に進めるな」
と当事者は言い出し、
逆に応援した側も
「このままではだめだったくせに」
「もし、うまくいかなかったら誰が責任をとるとおもっているんだ!」
と言い出しかねない。
応援行為、、根本的に人間関係を悪化させる行為に感じてならない。

2018-01-24

辺鄙

中心地から離れて開けていないこと。かたいなか。
が辞書的な意味なのだが、
当社事務所を
「辺鄙なところになるなあ」
って神奈川在住の人に言われた。
どうやら、自分が住んでいるところが一番都会であり
それ以外は田舎だそうだ。

最近、増えているなあ、
自分の思い込みで言葉を捻じ曲げる人、、
その人、、考え方が辺鄙なんだがね。

2018-01-23

蒐集

(趣味・研究などのために)ある種の物をいろいろ集めること。コレクション。
常用漢字では、収集と表現し、同義にしているが、意味が違うといえる。
収集は目的ではなく、手段であり、
ごみ収集、情報収集、と本来の目的は別にあるがそのために行われる。
対して、蒐集は目的である。
切手、アクセサリー、フィギュア、などを集めた後に何があるのではない。
集めること自体が目的である。
そこを同義でとらえるのは、画一教育や思想を押し付けてきた日本の歪みと
そして、中途半端な個人主義、オタクとか言う言葉を生み出した愚かな日本人の
極みと悟ってしまうなあ。

2018-01-22

胡乱

確かでなく、怪しいこと。うさんくさいこと。
悲しかな、胡乱(うろん)と言う言葉を使うこと自体が
胡乱と思われてしまう現代社会。

近現代の文豪の著作なんか、こういう言葉が平気で出てくる。
それを読むことを推奨している教育指針なのに
そこで覚えた言葉を使うことができない社会って
教育と実生活の乖離がひどくないか?!

2018-01-19

罵言

ののしる言葉。手ひどい悪口。
自分の気持ちのまま、罵言を吐くのと
相手を奮い立たせるために、こういうのでは違うと思うが、
現代社会では一概に、ハラスメント行為とみなされる。
罵言により、反骨心や危機感を煽るほうが
実際の結果、生命、幸福に関わる失墜になるよりましだと思うのだが。
現代社会は未来結果より現在の過程にばかり目が行く。
どうも視野の狭い刹那的な社会だこと。

2018-01-18

小火

ぼや。
大きくならないうちに消し止めた火事。

一昔前
ある工業地帯では生産性重視のために小火が多発していた。
そのため、地域内に消防設備を自警的に設置していた。
その設備があることで小火などの火災が事前に防がれていた。
当然のようにそれがあることになると
人間はバカになる。

「効率化から考えて、火災が起きていない今、消防設備費用が無駄である」

と言い出し始める。そして、消防設備コスト削減をすると
また小火が多発、そして大きな火事が起きることになる。

「なぜ、消防設備を撤去したんだ!何を考えているんだ!」

と言い出す。
面白いのは、、この「」は同一人物の発言だったりする。

そう人間は災害に対して、バカなのである。
予防的観点に鈍感なのは人間は身をもって経験しないと
理解でいない動物からなのだろうか??

2018-01-17

買控

買い手が買うことや買う量を控えること。
需要供給曲線ではなかなか説明できない。
「もっといいものがこの先出るかもしれない」
「もっと安くなるかもしれない」
という現状の供給に対して、求める需要が伴わない。
供給過多とはいえないといえる。
そして、これって人間の心理で、供給すればするほど
もっといいものがこの先にって期待値をどんどん釣り上げてしまう。
~ほしいけど、金額的に変えない
~希少すぎて、手に入らない
という今までの概念が通じないこの需要マインド。
逆に、
何を作っても売れない、
売れない以上、それよりいいものを作る原資がない。
という供給の実情。

もっといいものを待つという精神は
倹約とか市場競争効果をもたらすという過去の幻想は
国民全体で見直すべきなのでは?

2018-01-16

根付

江戸時代に煙草入れ、矢立て、印籠、小型の革製鞄などを
紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具。

現代では誰もも使っていない?
そんなことはない、形状、使用用途からすれば、、
そう、、ストラップだよ。
そもそも、根付をつける目的は
~大切なものをなくさないひっかりであること
~それを着物の中から手感覚だけですぐに取り出せること
であり、携帯電話や財布につけるストラップと同義である。

確かに、現代社会において根付って表現で販売すれば売れないから
あえて、ストラップと言い方になるだろう?
逆に、日本の根付を海外で
MP NETSUKE
って売り出したらヒットするかも?

人間、いつでも、どこでも、使用用途は同じことをするが
気持ちレベルで、何を、どんな感じ での受け取り方が違うだけって
よーくわかるなあ。

2018-01-15

癒着

皮膚・膜などが、炎症(えんしょう)などのためにくっついてしまうこと。
比喩的に、立場が違うのに利害を共通にする両者が、ぴったり結びつき合うこと。
コネクションと癒着とはどう違うのか?
また、そんな関係が悪いというのはどういうことか?
人を好きになることは博愛であり、美徳だとされる。
そんな好きな人からの頼みに応えることは悪いことか?
逆に、あまり好きではない、知りもしない人からの提案を同じ土俵で
比べることはできるのか?

社会なんてコネクションと親密な癒着が成り立っている。
それに対して
~公平
~便宜を図っている
とか言うのはどうだろうか?
面識がない人と交渉した結果、、、だまされた場合
~相手と密に相談していたのか!
~なぜ相手のことを知らなかったのか!
って平気で言い出す庶民の民意、、

はっきり言って、今の日本の民意は
他人の付き合いを壊すことに特化した破社会因子の塊で
社会的成熟と真逆にいる存在に感じてならない。

2018-01-12

名家

代々続いている伝統のある家のこと。名族。名門。
ここに生まれると対極的に2つの性格になりやすい。
~家の名を守るために、地味に
~家の名を利用して、不遜に
日本人は得てして、上記の性格を良しとするが
それは名家ではない者たちのほうが不遜だからである。

ある意味に人間は平等である。
現社会で現在の地位は先代から引き継いだものというものは平等ではないというが
その引き継いだものがあるからこそ、
他人より悩み、苦しむこともある。
それが有形資産ではない、家柄、名家であることは当人にとってはどうだろうか?
他人より優位な地位にいると思われる不平等と思われることは
当人からすれば、そうではない人から不平等に扱われていると思うだろう。
名家の生まれ、そうではない生まれにおいて
互いに平等ではないということが平等だと思うのは
哲学的な解釈と庶民は感じるのだろうか??

それぞれの言い分を聞けば聞くほど
人間はそれぞれ、比較できないことにおける独立性による全体的平等なのでは?
って悟ることが実に多いので。

2018-01-11

角度

角(かど)の大きさを表す量・測度のこと。大体は内角のことであり、
一般的には360°、数学的にはラジアンかな?

方角に基づき、角度をもって進行を決めることが多い。
絶対軸を示し、そこから共通認識単位での定量的な表現により
より具体化されるからだ。
ただし、、もし、大きな荒野、砂漠で北極星をもとに進む場合
1°でもづれていたら、どうなるだろうか?
計算上だが、
1kmで1.3m
10kmで130m
100kmで1.3km
も、づれることになる。
東京~成田間が約100kmなので、1°のづれで空港に近づけるかな?

定量的に示しても、ほんの少しの差異で大きなづれになる。
まして、経営的方向性、チーム運営の指針など
あいまいで定性的なものであればあるほど、
余計人間は同じ方向に進んでいるつもりで
実際には別のところに行きつくことになることになるだろう。
この事実を気づかず
「なんで言っていることがわからない」
「勝手な行動をするな」
って言う指針を示す側はやはり無能であり、
・定期的に再計測
・修正し方向、角度をより具体的に示す
ことこそ、マネージメントといえるのではとつくづく感じる。

2018-01-10

難題

解決のむずかしい問題。
思うのだが、答えがないことに挑むことは難題に当たってくれるといえるのか?
社会の複雑化、科学技術の高度化で
一見すると解決できないようなことも解決できているように感じる。
しかしだ、
こういう活動を、英語でいうと solution business という。
つまり解決ありきの業務といえる。
ちょっと日本人の勘違いがあるのは、
ソリューションビジネスについて、
日本人は課題、問題解決を行うとしているが、
本来の意味は、解決方法が決まっていて、その解決方法が
今回の案件に対応できるかどうかの業務である。
では、課題、問題解決?
それは、consulting であり、con/ solution  と
あくまでも共同で行うこととして、一方的な責任を負わないのである。

日本人は難題解決を他人に丸投げするビジネススタンスが見受けられるが
日本以外はかなり冷淡のような対応が、逆に当然なので
ある意味ビジネスのやり方が違うのでは?って思うなあ。

2018-01-09

陰膳

本来の意味は
旅行や出征その他に出た不在者のために、
その者が旅行中に飢えたり、危害を加えられ安全を脅かされたりしないように
祈り願って、留守番がその者のために留守宅で供える膳である。
安全祈願の風習。
現在では、、旅を冥府への旅ととらえ、
法事の際に、故人への配膳を意味するようになっている。

最近、どうも気になるが、バカな効率化の発想で、
~食べない分を作ることがもったいない
~そういう風習バカらしい
と当然にいう世代が実に多いということである。

確かに効率化、食べ物を無駄にしないという表面的な形而下の世界ではそうであるが、
この陰膳の意味そのレベルで言い出すと、、効率化と双璧をなす流行り言葉
グローバル化には対応できない。

古来の風習、信仰を重んじることが現在あるべきグローバル化であり、
この陰膳もある意味、故人を偲ぶ気持ちの表れで
大切にすべき、信仰行為である。

効率化の好きなバカどもは
クライアント先がムスリムだった場合、
礼拝時間を時間の無駄とか言い出したら、
罰当たりどころか、、ビジネスにならないことをわかっているのだろうか?
、、、、そうだ、、超大手の管理職がそれを口にして落ちぶれたことを思い出した。
やはり、日本人はグローバル化の真意を理解できないのだろうな。

2018-01-05

接木

植物体の一部分(枝,芽,根)を他の個体に接着させ,両者を癒合させる技術。
現在の生物科学のの研究からすれば、どの植物とどの植物との相性などを
導けるが、この技術は最近のものではない。

祖父は柿が好きだったが、柿には渋柿があり、渋柿ほど生命力が強い。
だから、渋柿の台に富有柿の穂を当てていた。
その技術が接木であることは知っていても、
太平洋戦争に出兵経験のある農夫である祖父においては
科学的な考察の結果ではなく
先人の知恵、そして何よりも自分の人生観でそうしている。
桃栗三年柿八年、柿を口にするまでのこの期間を何年も過ごしてきたからこそ
柿の接木について身をもって知っていた。

科学によって立証できるこの多くは
先人たちが行っていた経験則のことが多い。
上記の接木、そして、有名なのは腐っている健康にいいとされる納豆もそうだろう。
先人たちの行いについて、
「科学的根拠がないから、意味がない」とか言う前に
科学的根拠を探したその結論の論証してから言い切れよ。
何もせずにただそう思い込みを無責任に口にする現代人たちよ。

2018-01-04

風習

風俗習慣。
最近のクズは、地方の風習に対して経緯どころか、侮蔑を行う。
侮蔑の根拠が科学的検知や見た目の洒落のなさだとかいうが、
その発想自体に日本の劣化を感じる。
風習の多くは郷土愛やその土着信仰の表れであり、
モノによっては、無形文化遺産対象なりえるものである。
その精神の支柱にも近い行為に対して
~ださい
~意味がない
という発言をすることは、土着の人々、先祖への無礼であり
ある意味、エンシェントハラスメントであり、
罰を受けるべき行為だ。
まーー、日本古来、こういう罰を天罰として
地上代行者が行ってよかったのだが、それを許さない現代日本の狂い方が
本当におぞましい。
新しい年を迎えるということは、その新しさの源流である
古来への慈しみをもっと感じるべきではないかっと感じる。