安価で手に入るもの。
安いものは長期利用だと壊れるので高いほうがとかいうあなた。
そもそもあなた自身が人として価値が安いんですよ。
考えてほしい。
高い買い物をしたら、それだけの出費だから丁寧に扱うし手入れもするだろう。
逆に安い物はまた買い替えられると思って乱暴にそして汚れ、痛んでも放置するだろう。
現代日本の商材において機能、素体において根本的に違うというのは、それは人間側の気持ではないだろうか?
金にいとめをつけず、どんな商品で平等に適当に扱っている僕の視点からすれば
高くて丈夫というものでも壊れ、とても安いものがもう何十年も愛用になっている。
僕自身の扱い方の問題であって、品質、ブランドはあまりと思ってしまう。
でも人は
「こんな高級なものを乱暴に扱うなんて」
「安いからこわれてしまうんだ」
って、思い込み甚だしい発言ばかりで、それを口にされても面倒な輩って思うばかりだ。
2019-02-15
2019-02-14
鎖国
江戸幕府がとった対外政策、、、、政策だったのか?
結果的に外国と付き合わなくなっただけ?
鎖国を政策として行ったのではなく、
国民気質として外国人、異文化を取り込めないことをなぜ認めない?
留学生、外国人社長、国内生産モデル
これらの言葉から未だ鎖国文化のままではないか!
普通に国籍の違う人が当たり前になる日本になんか
なれるわけがないことに気づかないのか?
僕の天眼では、
外国人労働者の受け入れを期に暗黙的、そしてすぐに公然と
「日本人であること」が重視されると思う。
いい意味では、外国人をもてなすのは日本人であるべきという付加価値
悪い意味では、他の日本人従業員のモチベーション維持のため、慣習を維持する
といろいろと企業論理、倫理感でそうなるだろうな。
、、、いいんじゃないの!
日本という国は特別な価値観でそこに入ること自体プレミアな国ということを
グローバルで意識づけることで、高級志向、高い治安が維持できることは
国力的に何か問題でもあるのか?
結果的に外国と付き合わなくなっただけ?
鎖国を政策として行ったのではなく、
国民気質として外国人、異文化を取り込めないことをなぜ認めない?
留学生、外国人社長、国内生産モデル
これらの言葉から未だ鎖国文化のままではないか!
普通に国籍の違う人が当たり前になる日本になんか
なれるわけがないことに気づかないのか?
僕の天眼では、
外国人労働者の受け入れを期に暗黙的、そしてすぐに公然と
「日本人であること」が重視されると思う。
いい意味では、外国人をもてなすのは日本人であるべきという付加価値
悪い意味では、他の日本人従業員のモチベーション維持のため、慣習を維持する
といろいろと企業論理、倫理感でそうなるだろうな。
、、、いいんじゃないの!
日本という国は特別な価値観でそこに入ること自体プレミアな国ということを
グローバルで意識づけることで、高級志向、高い治安が維持できることは
国力的に何か問題でもあるのか?
2019-02-13
調理
食材を加工し、料理を作る過程あるいは行為。
調理に対して、飽食日本人は大きく勘違いしていることがある。
調理はおいしくすることではなく、食べられるようにすることだ。
目的を勘違いしすぎである。
それにより、おかしな発言をしているのが耳障りだ。
「こんな調理ではおいしくない」
、、、、おいしくするのは別の問題だ。
郷土料理について考えてほしい。今となってはおいしいと思われているが
ほぼ飢えをしのぐために行われた調理の結果だ。
~青物がない冬、野菜類を食べるために煮込んだ鍋やホウトウなど
~腐ってしまわないように乾燥やあえて乳酸発酵させたもの
~そのまま食べると毒やえぐみが強いので、解体や他の食材と掛け合わせ
など、そのままでは食べられないものを調理という活動で食べられるようにしてきた。
今のようになんでも食べられるから、調理の意味を見失っていることは
過去からすれば、極楽のような生活なのだろうな。
食べ物への感謝というより
飢えずに生き抜く調理を行ってきた先人たちへの感謝といえるのでは?
調理に対して、飽食日本人は大きく勘違いしていることがある。
調理はおいしくすることではなく、食べられるようにすることだ。
目的を勘違いしすぎである。
それにより、おかしな発言をしているのが耳障りだ。
「こんな調理ではおいしくない」
、、、、おいしくするのは別の問題だ。
郷土料理について考えてほしい。今となってはおいしいと思われているが
ほぼ飢えをしのぐために行われた調理の結果だ。
~青物がない冬、野菜類を食べるために煮込んだ鍋やホウトウなど
~腐ってしまわないように乾燥やあえて乳酸発酵させたもの
~そのまま食べると毒やえぐみが強いので、解体や他の食材と掛け合わせ
など、そのままでは食べられないものを調理という活動で食べられるようにしてきた。
今のようになんでも食べられるから、調理の意味を見失っていることは
過去からすれば、極楽のような生活なのだろうな。
食べ物への感謝というより
飢えずに生き抜く調理を行ってきた先人たちへの感謝といえるのでは?
2019-02-12
血筋
血のつながり。血統。また、血縁。
現代社会は世襲や親族経営に対して批判的だ。
それは個人の努力ではないからだと、大義名分を掲げる。
バカらしい。
債権の引継ぎを否定するが、債務は継承させようとしている。
債務といっても、金銭だけではない。
「あの人、、○○の生まれなんですって」
「親はあんなことしたのに、よく平気で」
「子供をどう教育したら、あんな風になるのか」
と当人に関わる親族から社会的負債を継承してしまう。
この社会、
儲かっている人から権利を奪い
失敗した人間には関わる人間へ負債を押し付ける
ことを無意識に実行しているのに、
平気で大義名分を掲げ自分の行動を反省しない。
まったく神瞰視をする僕からすれば気持ち悪いなあ。
現代社会は世襲や親族経営に対して批判的だ。
それは個人の努力ではないからだと、大義名分を掲げる。
バカらしい。
債権の引継ぎを否定するが、債務は継承させようとしている。
債務といっても、金銭だけではない。
「あの人、、○○の生まれなんですって」
「親はあんなことしたのに、よく平気で」
「子供をどう教育したら、あんな風になるのか」
と当人に関わる親族から社会的負債を継承してしまう。
この社会、
儲かっている人から権利を奪い
失敗した人間には関わる人間へ負債を押し付ける
ことを無意識に実行しているのに、
平気で大義名分を掲げ自分の行動を反省しない。
まったく神瞰視をする僕からすれば気持ち悪いなあ。
2019-02-08
2019-02-07
2019-02-06
2019-02-05
右筆
中世・近世に置かれた武家の秘書役を行う文官のこと。
今でいうところの文書事務官僚。文官としての右腕ということだろうか?
誤解されてもいいという思いで書くが、
文書作りがうまい、成果物がしっかりしているという人はあまり企画、応用力がないと判断ししている。だからといって、その嫌悪、劣評価を与えるのではなく、その仕事をこなしてほしいと思うばかりだ。
しかし、現代社会は文書、成果物ができる人は企画、応用力もあるに違いないって思い込んで過度な期待をしていることが実に多い。
そんなことないことは歴史が物語っている、、、いや、庶民は教科書にある稀な天才もしくは歪められた人物像でしか歴史を見ていないからそう思い込んでしまう。
どうも他人への期待が高く、自分への評価は甘い庶民に踊らされた右筆系の人たちは自分およびその組織、そして社会をダメにしていく傾向があるなあ。
日本人のこの偏見どうにかならんものか?
今でいうところの文書事務官僚。文官としての右腕ということだろうか?
誤解されてもいいという思いで書くが、
文書作りがうまい、成果物がしっかりしているという人はあまり企画、応用力がないと判断ししている。だからといって、その嫌悪、劣評価を与えるのではなく、その仕事をこなしてほしいと思うばかりだ。
しかし、現代社会は文書、成果物ができる人は企画、応用力もあるに違いないって思い込んで過度な期待をしていることが実に多い。
そんなことないことは歴史が物語っている、、、いや、庶民は教科書にある稀な天才もしくは歪められた人物像でしか歴史を見ていないからそう思い込んでしまう。
どうも他人への期待が高く、自分への評価は甘い庶民に踊らされた右筆系の人たちは自分およびその組織、そして社会をダメにしていく傾向があるなあ。
日本人のこの偏見どうにかならんものか?
2019-02-04
画鋲
掲示物を壁面に固定する際などに使われる、金属・プラスチックなどの頭部に、
鋭い針を取り付けた器具。
技術、社会の発展から消えていくことになりそうなものといえる。
技術面においては、
掲示物、、情報をマスに伝えるものが壁紙、大型な貼り紙ポスターでは
掲載させる場所の確保
雨風による劣化
時期を見ての撤去
などの活動をより効率化させるために、電子配信化がすすんでいる。
わざわざ、そして訴求効果の薄い掲示方法と技術的にはみなされ始めている。
社会面においては、やはり安全性だろう。
展示する平面媒体を目線にあげるために画鋲を使って壁に貼り付ける。
それって
平面媒体の隅
壁そのもの
そして、画鋲が外れたときに人体へ
傷つけることになる。
これは関わっている人間が望んでいるというより、必要悪とみなしていたものだった。
でも、必要悪はやはり悪でだいたいできるのであれば。
今まで社会貢献していたものが廃れることにいろいろと思いがあると思うが
戦後のヒロポンとて、当時はそれなりに評価されていたが、今では規制品とされる。
社会発展は今までのお世話になった価値への批判は必ず起こるものと思うべきだな。
鋭い針を取り付けた器具。
技術、社会の発展から消えていくことになりそうなものといえる。
技術面においては、
掲示物、、情報をマスに伝えるものが壁紙、大型な貼り紙ポスターでは
掲載させる場所の確保
雨風による劣化
時期を見ての撤去
などの活動をより効率化させるために、電子配信化がすすんでいる。
わざわざ、そして訴求効果の薄い掲示方法と技術的にはみなされ始めている。
社会面においては、やはり安全性だろう。
展示する平面媒体を目線にあげるために画鋲を使って壁に貼り付ける。
それって
平面媒体の隅
壁そのもの
そして、画鋲が外れたときに人体へ
傷つけることになる。
これは関わっている人間が望んでいるというより、必要悪とみなしていたものだった。
でも、必要悪はやはり悪でだいたいできるのであれば。
今まで社会貢献していたものが廃れることにいろいろと思いがあると思うが
戦後のヒロポンとて、当時はそれなりに評価されていたが、今では規制品とされる。
社会発展は今までのお世話になった価値への批判は必ず起こるものと思うべきだな。
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