真偽はともかくとして、何らかの現象や法則性を説明するのに役立つ命題。
最近、仮説&検証という言葉がちやほやされていた。
僕からすれば、それは昔からの研究開発以外何者でもないと確信している。
仮説検証って結構都合がいい。
それを行っている人はその検証結果に
◯ならば、「仮説は正しかった」
☓ならば、「なぜダメか分かった」
と言い張る。
しかし、それは当事者の言い分であり、
その仮説検証を観ている側からすれば
◯ならば、「そんなわかりきったをなぜわざわざ行う」
☓ならば、「無駄な時間を使いやがって」
となる。
仮説検証を行う場合
それを誰からも邪魔されない権限と予算が必要であり
景気が良くなっているからと言って、、
いや、景気が良くなっているからこそ、
そういう訳のわからないところにリソース配分することはできなくなっているといえる。
結局、仮説検証行為と言われることも
それはだたトップダウンでの研究開発費にすぎない。
現場サイドの思いではないという事実を常に意識しなくてならないといえる。
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