2012-10-31

市場

いちば、、
今では、しじょう、と呼ばれるようになっている。

売買が集まるところの意味である。
言葉ができた時は
物々交換を特定の場所、時間で行うことを意味したが
時代が進むと
・通貨
・常設店舗
・統一価格
・形而上商品(サービス、権利)
が市場に登場されてきた。

今では、株、証券取引の場所を市場(しじょう)と呼び、
実際の商取引のローカルエリアは、市場(いちば)としていると言える。

人の商取引の進化に限りはない。
今は株、証券取引まで、
ある意味、店舗そのものの所有権そのものを取引している。
店舗=法人=疑似人格
であるから、将来は、、人格、、人そのものを取引、、、
あれ?
それって、奴隷取引?
進化ではなく、流転していくのかなあ?

2012-10-30

前例

日本においては、安全の根拠とされる過去の経験、前例。
対して、外国は前例があることは、すでに誰かに導かれたものであり
それに対して、安全と思うことは少ない。

この発想の違いには長短があると言える。

前例を踏まえての行動は
「同じ轍を踏まない」
という諺のように、失敗リスクを軽減できて、
効率的といえる。

前例を評価せず、自らという発想は
新たな技術、革新的な企画を導いて
社会変動の原動力となるだろう。

日本において、
新たな技術が発祥されないと嘆くが、
それは無理に近い。
諺が示すように国民性からして、前例重視主義である以上、
新たなものを考えること
それを評価して活用する姿勢
がないのだから。


2012-10-29

憧憬


現代人は憧れというモノから縁遠くなった。

憧れなくても満たされる人生観になったというプラス思考というか
肯定的な意見もささやかれるが、それは鈍感すぎる。
目的を見失っている、
自己実現という行為に努力しなくなったというほうが正しい。

無気力な状態は呆けていると同義という自覚がないと、
何もしていないままに時は過ぎてしまう。

憧れること、
それを目指して行動すること
昭和のときの<ど根性>を否定して平成の価値観があるようだが、
その姿勢も、もはやセンスのない発想と
言い切れるときになったっと言い切りたいね。

2012-10-26

明察


相手を敬って、その推察をいう語。
ご明察の通りとは
相手の推察が正しいという意味である。

何事も正解を導くにはその工程がある。
直感という人もいるが
直感とはその人の人生経験という工程が導いているとも言える。

考えるという行為、
導かれた結果というものは
他人から考えが正しい、、明察と認められたということになる。

だから、自然科学的に絶対的真理であっても
それを自分以外が理解できないもので
明察と評価されなければ、正解と言えないということでもある。

2012-10-25

未明


0時から6時のことといわれる。
この言葉自体、過去の遺物になりつつある。

みんなが寝静まっていて
正確に明らかな時間がわからない時間帯という意味であったが、
0時まで起きていることは現代社会では当たり前、
24時間営業の店舗も多く
概念として、26時という表現も普通に使える時代であり、
深夜遅くという概念ももはやということになるだろう。

表現として
深夜未明という言葉は
正確に把握していなくお茶を濁している
’逃げ口上’とみなされることになるだろうともまで思われる。

2012-10-24

難読

読めたらすごい、読みづらい言葉。

平仄がその例だ、ひょうそくと読む。


「平仄を整える」と言う使われ方をし、「てにをはを整える」の意味になる。
「平仄する」という使われ方もして、「矛盾点を訂正する」の意味になる。

読者のなかで、読めた人、そして、上記2つの意味を理解していた人は
とても少ないと思われる。

この状況で、僕がこの平仄という言葉を、文中、および会話のなかで使用したら
現代人は
「なにちんぷんかんぷん、言ってるの?」
「日本語になってねーー」
とクレームがくるだろう。

悲しいかな、
クレームされる発言、文章こそ
てにおはができていなかったり
日本語を知らないほうが、日本語を語っている内容だったり
している。

正しく難解な言葉を理解し会得することは
以前であれば、敬意にされるが
現代は、倦厭される対象になり、
割に合わないようである。

こうして、効率化のもと、
言葉や表現は衰退していくのだろうと思ってしまう。


2012-10-23

手前

かなり理解の難しい多義語。
辞書的には
・目の前
・自分自身
・力量
・所持物
・近親
・生計
そして、
・相手

と使い方が多いし、自分だったり、身の回りのことだったり、
そして相手のことだったりする。

なんだ、この表現熟語は?!
となるが、、手前とは、今風にいえば、ワールドといえる。
当人のワールド、つまりは当人の領域、、当人自身といえる。

自分が自分であるという立証は
・自分の持っているもの
・自分が他人の貢献できること
・自分を知っている人
・自分の購買履歴
ということでしか、立証できない。

自分のワールドが存在ししているから自分が立証できるわけで
まさしく、自分の手が前に出て行ったことが自分が存在している証拠なのである。

手前が多義語になっているというより、
自分が自分であることを立証する手段の多様化が
これらの意味を導いたのだろう。

2012-10-22

当前


「そんなこと当たり前だ!」
という発言にある。

当たり前というものは、、、実は一個人の思い込みからつくられるものであり、
当たり前という概念すら当たり前ではない。

ある強い発言力の個人が自分が正しいと言い出す。
その個人に逆らえない取り巻きがそれに共感するようなことを口にする。
の取り巻きを含めた人数から、多くの人に支持されていることと思ってしまう。
これが当たり前の成り立ち。

ファッションなど、一部の人間で構成された価値観の中で当たり前と言われていることは
そこに従事していない人間からすれば、
「そんなの当たり前、常識」
と言われれば、その価値観の中ではそれが正しいだろうなと思ってしまうが
必ずしも、そうではないと僕は言い切れる。

もっと言ってしまえば、
日本人の道徳感なんてものは、
全人口の5%でしかない概念、、20人中1人しか支持しないそんな
当たり前
である事実を考えると、
当たり前という言葉自体、当たり前なわけではないと思って
他人からの言葉も聞く必要ないとかんじてしまうものだ。

2012-10-19

焼物


役という行為は実に不思議だ。

食材を焼くと、やわらかく旨味をだすが
鉱物を焼くと、堅く口に触れても味がしなくなる。

焼くという行為はいろいろな意味で
関数ということになるだろう。

あるモノを一定の温度、状態に投入すると
別のモノに変えてしまうというポイントからそう言える。

それはその都度変わるというが
基本的に条件を補正すればも飛べるべき結果になるのは
自然科学の論理から導かれている。

火を制したから、人は進化したというが
火がまさに科学の元そのものと思ってならない。

2012-10-18

炭化

炭を作る、
この概念は現代人においては、全く理解できない行為になっているが、
省エネ、エネルギーの大切さを声高に言っている昨今、
炭作りについて、温故知新すべきと思う。

科学的に言えば
物質を加熱する際に、酸素の供給を遮断して
燃焼させずに行うことである。

出来上がった木炭、石炭は
燃焼しないから、長時間熱を帯びることが可能な存在になり
人の生活における、熱量供給物、燃料になる。
また、竹炭は材質上、燃料にはならないが
その材質ゆえ、浄化作用物として多岐に用いられている。

炭を作る行為は
ある意味単純だが根気のいるいる行為である。
長い間、熱いところで、ただ見ている。

現代人が無駄や効率化で、炭、そして炭作りをなくしていった。
その成長が今の発展を導いているが
炭を使っていた期間と使わなくなった今の期間では
1000年近いの差がある。
1000年もの間に何もしてこなかったという指摘と同時に
炭が最適だったのではないかという視点もある。

もしかしたら、炭には何かあるのではという思いで
少し調べたり、、火鉢に興味をしめてしまう気持ちになっている。

2012-10-17

冊子

糸で綴(と)じた本。また、書物一般のことをいう。
書に対して、実に多くの表現がある。
本、図書、書籍、文庫とあげればきりがない。

それぞれの用法を分けて理解している人、、というより
分ける必要性すら意味がわからない人のほうが多いだろう。

言語、イメージというものを可視化して、
それを他人に伝えるためその人の手を離れたものが
その類であるだろう。
では、手を離れないものは、、<記>という表現が用いられるのは別段としよう。

冊子という表現を用いるときは
ちょっと微妙なときだろう。
多くの人に見てもらう読み物で
枚数がかさむものであるから、製本に近い綴じる工程をたどる。
しかし、読み手は不特定多数に向けてではなく、
あくまでも知り合いレベル。

うーーん、今様にすれば
同人誌=冊子ということになるのかなあ。


2012-10-16

対話


コミュニケーションを語る書籍に
メールより直接対話をという件(くだり)が多いこと、多いこと、、
それって矛盾ではないか、
不特定多数にメールする行為が出版であり、
筆者たちの説得力の無さを露呈させているように感じてならない。

僕は対話、対談は現代社会において、一番のリスクだと思っている。

思いが伝えられるというが、逆で
対話の即興性から、
思いとは異なる受け取り方、もしくはコミットを取られてしまう可能性もあるからだ。

対話は一人でするものではない、相手がいるものだ。
相手が自分と同じ思いとは限らない。
むしろ自分と違うという者であるという認識でいるべきだと思う。
だから、こちらの思い通りにならないという覚悟がいるべきである。

僕からすれば
「自分の思いは必ず通じる」という熱血な発言と
「今回の交渉でどうにかここだけを勝ち取る」という策謀めいた発言とでは
策謀めいた発言のほうが善で、熱血な発言はむしろ悪意の塊にしか感じない。
どれだけ、自己中心的な思いを相手にぶつけて迷惑を導くか全然理解していないことへの
強い悪意を感じるからである。

対話について、人はここだけ、だましてでもという思いを持たないと
相手への利害での交渉にならないという感覚を研ぎ澄ますべきだと強く思う。

2012-10-15

外出


現在の市場経済において、外出=出費と考えるべきだ。
確かに散歩というお金のかからない行動もあるが、
散歩を外出というカテゴリに入れるかどうかの問題が上がるくらい
対象としづらい行為と言えよう。

外出に目的が伴わないと浪費が続くともいえる。
ある女性がウィンドウショッピングを繰り返していて
ほしいものを眺めているけど、なかなかそれを買えない。
それは自分が不幸だからといいだした。

しかし、リサーチすると
ウィンドウショッピングをする際に、
・交通費
・飲食
・雑貨
で出費をしているために、細かくお金が流れ、ほしいものを購買する蓄えに繋がっていないことが分かる。

不幸というより、
行動そのものが無能ということであり、
外出を繰り返すことで、目的に近づいていないことが分かる。

外出、、
物理的に目的に近付いているかもしれないが
経済、精神的にその目的から遠ざかっているのではないかと思う行為に感じる。

2012-10-12

議事

会議の内容のことで、
この内容を文書に落とし込むのが、議事録となっている。
会社によっては、若手に議事録を書かせることで
会議をした実績の納品物と若手のOJTになると思っている。

これはもう過去の認識といえる。
議事録は成果物でもなければ、それでコミットにもならなくなってきた。
僕からすれば、議事録はすでにリマインダーメモになっているといえる。

会議の議事をコミットメントと思っている認識だと
ビジネスにおいて衰退している証拠といえる。
会議は決まったことをみんなに伝える場にしなくてはならない。
そのスピード感で仕事をしないとならない。

みんなが集まって考えようではなく、
みんなを集めて理解させるという思いで挑まなくてはならない。

この思いが高飛車、自分勝手と思いと感じる人ほど
会議中に居眠り、上の空で挑んでいることが多い。
居眠り、上の空って議事とは全く関係なく、
それこそ自分勝手な振る舞いではないかといえるのだが、、

2012-10-11

無垢

けがれのない清浄なこと
それが転じて
建築では
一本の木から取れるつなぎ目のない材木
服飾では
表裏同色の無地の共布で仕立てた長着
という意味になっている。

無垢、、漢字的にいえば、垢(アカ)がないという意味になり、
純度が極めて高いでの理解だろう。
だから、上記の派生転用になっているといえる。

純度が高いことが価値の証であり、
ただ純度が高いと言わず、その純度の高さは
反対の意味へ打ち消すことでその立証に充てている実に意味深い表現だ。

その意味深さも外国の言葉と同じ意味のようで解釈が違うことがある。

白無垢とは花嫁衣装であり、
ウェディングドレスと双璧であり、
花嫁=白 という意味を導いている。

しかし、その意味合いが両衣装異なるそうだ。

ウェディングドレスの意味は
何色にも染まっていない白であるから
これから、伴侶の色に染まる決意である。

対して、白無垢はそもそも
死に装束(切腹時は白いものを着る日本の習慣)
であり、この家に一生捧げるという決意の意味だそうだ。

純度の価値を
これからいくらでも加工できるという外国の発想と
純度が高いことを維持し続ける日本の無垢の発想。
結果的に、価値は認めていてもその意味合い、用途が異なることが読み取れている。

外国のre;発想     (リストラ、リサイクルで価値の創設)
日本の保全発想    (維持、保全で今のままを永続的)

の根源をここに見ることができるともいえるなあ。

2012-10-10

鮭児

鮭の子の意味のようで、ちょっと違う。
言葉を悪く言えば、
生殖機能が未発達の成魚ということになる。
本来、
筋子、白子をもつのだが、
その筋子、白子が体内にない状態である。
でも成魚である。

それゆえに、
成魚になったということは
その分の栄養を生殖機能に回さないで
自分の身のなかに残っているから
全身トロ状態ということになる。

なるほど、
生殖しない生体は脂がのっている、
エネルギーをもて余しているのか、、
戦前の価値観は
英雄色を好むとされていたが、
それは何の根拠もないし、
実証的には、、その手の英雄は短命だったことから、、
ある意味、鮭児の事象は
今の日本のような気がする、いろいろな意味でね。

2012-10-09

梃入


テコこれ、、、
一時隆盛を極めたものが落ちた、もしくは落ちる前に改良や改善をすることをさすが、
多くのテコ入れは失敗する。
はっきり言えば、成功したテコ入れというものが存在しないからである。

成功したテコ入れは、テコ入れとは言わずに
新しい価値に生まれ変わっているからで、
今までの価値を捨てることが自他ともにできている場合である。
その認識ではテコ入れという概念はなくなっているだろう。

失敗したから、テコ入れと後で言われるものと言える。

安易に
価値の延長、今風のトレンドを取り込んでいくテコ入れという概念で
昔取った杵柄 を求めると
改良、改善は
改悪、醜態につながると言える。

テコ入れを模索するのではなく、
引き際をどう定めるかがあるべき姿なのではと思ってならない。

2012-10-05

高配


他人を敬って、その心配りをいう語なんだが、
何人くらいこの言葉を知っているだろうか?

用例は
「御高配を賜りありがとう存じます」

という使い方しかないくらいしかない。

思うに、敬語の中にはこのように文語調の言葉が多く存在する。
これら言葉は時代とともに失われていくだろう。

個人主義
フランクな関係をよしとする社会
外来語の普及

これらの要因で、敬語の意義そのものが失われつつあり、
逆にこの手の古式な表現を使うと周りから疎まれるくらいになりつつある。

相手を敬う日本古式の表現を正しく用いて、疎まれるとは。

何かおかしいと感じてきている。
敬語を使う意義、、
組織運営において個より序列の大切さ、
を軽視してるから、無秩序で経済成長の鈍化を導いているのではと思う。

古典で会話するとまで言わないが
古来の表現を理解し、
その意義、用例を心得ておくべきだ。
考えてみれば、
中高で古典の授業をやっている意義も
これ以外の社会での使い道はないだろうに、、
今では入試のためのクイズになり果てている事実はどうなんだ?



2012-10-04

定常

一定していて変わらないこと。

これって現代市場社会では
理想であり、悪であるという相反する二面を持つ。

理想とされるのは
不安定ではなく、一定の見通しが立っているという認識から
主に収益においてはこれを求める。

悪であるのは
固定費、無駄かどうかのポイントとしてみなされる。

面白いもので、
ある特定の定常サービスは
売り手においては、理想であり
買い手においては、悪になる。
売り手としては、その定常サービスが理想かつ前提と思っているが、
買い手からすれば、見直し、削減対象になる。

買い手側企業が発する
「経営、業務効率の改善、無駄の排除を徹底する」
とは、
売り手企業としての
「既存サービスより一層の充実」
と反することになる。

そんな市場社会の矛盾を感じてはいるが
鴨長明の方丈記にある

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」

という言葉に、定常の本来のあるべき姿勢を
温故知新の思いで感じている。


2012-10-03

陳腐

古くさいこと。ありふれていて、つまらないこと、
現代社会の新製品と言われるものは
必ず陳腐を迎えるものともいえる。

新製品は出た時点で、
カウントダウンのように陳腐化に向かうというものだ。

斜に構えた人によっては、
「結局、どんなものでも陳腐化してしまうだから、、」
という否定的な口調で発言するが、
陳腐化というものは
英語でいうところの

commodity

が進んでいること、、
良い技術がすべてにおいて共通化、標準化されていくものである。

日本語では
陳腐というとマイナスイメージだが
commodityというと
最先端技術が身近な当たり前なものになるという前向きな表現に聞こえる。
同じような事象を捉えるとしても、言語的なところで
姿勢がちがうと改めて感じる。

2012-10-02

茗荷

茗荷を食べ過ぎると物忘れがひどくなる。
これはただの迷信にすぎない。
釈迦の弟子である周利槃特の逸話がその風説に繋がっている。

かなしいかな、
茗荷のように
イメージでつけられた迷信はなかなか払しょくされない。
いくら科学的に立証されたとしても
迷信のほうが優先されてしまうのが巷というものだ。

茗荷のように
害がなく、アクセントになる食材にこの迷信はあまりにもと思う反面、
人の食に対する危機意識の現れを本能的に感じ
リスク回避する力は科学を超えるんだなあって思うこともある。

茗荷という食材をみるとこんなことを考えてしまうが、
実際問題、茗荷に意思があれば

「なんで種子を子孫反映もできずに、食われてしまうだ!」

という人間への恨みしかないんだろうなって苦笑してしまう。

2012-10-01

護身


護身とは身を守ること、、
???
守る、、護る
どっちも同じまもるという読みで意味の違いは、、
辞書的には
守るが常用漢字で
護るは常用外だそうだ。

実につまらない理由だ、
なら護身術を守身術と言い換えることもすべきではないか?
護衛艦も同じように、、、

基本、これが日本語教育、統制の甘さといえる。
理解しやすいように
簡単なほうを選んだつもりだが、
既存の用法は捨てきれない
だから、ダブルスタンダードになり、
理解しづらくなっている。

護身という表現から、
日本人の日本語理解すら護れなくなっているように感じてならない。

強いては、同じ意味でのディフェンスというカタカナも出てきたり
同義語が多くなっているし、自分の使い方が正しいと言い張る人が多くなると
結果として意思疎通は困難になるだけだ。