2020-12-29

虚報

内容が事実でないしらせ。
「噂やデマに騙されないように」
と人は言うがそもそも自分の目で検証しない、出来ない人間の情報は
すべて虚報と思うべきだ。
なぜなら、当人は真実と思い込んでいることも
誰かからの情報であり、その多くは又聞きであり、その伝言ゲーム中に
いろいろと捻じ曲げられていることが多い。
そして、その思い込みを伝えることで、また虚報が拡散する。
今はSNSで一層早く広がってしまうが、
こんなこと、昔からあったし、それが教科書レベルの虚報である。
例えば
・電流はプラスからマイナスに流れるというが、電子はマイナスから
・武田信玄、足利尊氏のよく使う肖像画は、畠山義続、高師直
僕からすれば、虚報のまま現在に至り、未だにそれを行政レベル行っている。
人物論でいえば、21世紀の現在の認識でいうと
聖徳太子、織田信長、坂本龍馬は
現代人が思うほど大したことはしていない、いや口伝の実績は残っていないものが多い。
これは小説、ゲームの影響であると
まーー、人間の歴史の多くは事実と異なる口伝による虚報なんだろうけど。

2020-12-28

情感

人の心に訴えて来るような感じ。
???
感情と情感、、、どう違うの?
感情は自動、主体に
情感は他動、客体に
って言えばいいかな?
感情は状態、自分の視点な表現。
情感は訴求、他人に影響を与える表現。

漢字を逆転にさせた熟語で意味がちょっと違うというものを
どう説明すればいいか、難しいものだ。

2020-12-25

会釈

軽く一礼すること。
現代社会、挨拶もできない人間が増えているどころか
挨拶することに対して、文句を言い出す輩も出てきた。
同じ地域、建屋の住民が挨拶したことに
「不審者から声をかけられた」
「私生活に干渉しないでほしい」
だの言いだしている。
ましてこの手の見解を個人尊重という社会にまでなっていて
社会的常識が通じない輩を社会が擁護するという社会破綻している。
これに合わせて、自分もそうべきという思いもあるが
道義、価値観から同調できない自分としては最低限のアクションである
会釈に務めている。

非礼にならないように、ただし深く干渉しないようにするために
会釈をどううまく使いこなすかが、
New Nomalでの社会人マナーと天眼でみえているからね。

2020-12-24

太客

水商売などで多額の金を使う客を指す隠語・業界用語。太っ腹な客。
もう過去の表現になってしまうのかな?
COVID禍において、飲食、接客業への営業規制が目に映るが
実際はその前から、
企業交際費削減、
飲みニケーションへの否定、
アフター5は個々人趣味化
が進み、会社同僚での飲みが激減している。

逆に太客という概念が特定の趣味にお金をかけているマニアに当てはまる表現に
なってきてるかも。

2020-12-23

豚汁

豚肉と野菜を煮込んで味噌で調味した日本の料理。
具が多く、豚肉が入っている味噌汁の一種。
「おふくろの味」というものがあり、
子供のころに食べていたものを懐かしむところもあるが、
豚汁と聞き、味わうと「おやじの味」って思う。
亡父は決して料理を得意とする人ではなかったが
母が病、外出したなど、自分や僕らに食事をさせるために
料理をするとき、決まって豚汁だった。
ある意味、雑煮(ざつに)であり、技巧のある料理ではないのだが
なかなか幼少期からの味の記憶が残っている。
それは母の味、市販の味とも違うと思っているのだが
その当時、自宅にあった食材、調味料から考えて
違いがでるほどの味になることはないと科学的に悟ると
それは当時の味覚の記憶における「おやじの味」ということだろうか?
って思ってしまうがね。
寒くなり市場に豚汁がでる度に、亡父を偲んでしまうのは
親不孝か、それとも新しい供養かってね。

2020-12-22

会合

あつまり。集会。
この行為がここまで評価逆転したものはないだろう。
昨年まで定説のごとく
「人とのつながりが重要、会わないで済ませるなんて人間としてどうか」
「休日に自宅にいるなんて、なんて不健全」
と言っていたが、今日では
「まず他人に合わないことが重要、複数人で対面なんてもってのほか」
「まずは自宅にいること」
となっている。
偽善的な表現を毛頭する気がないのでいうが
ガジェット好き、在宅主義、人間嫌いの僕からすれば
この環境変化はCOVID経由かもしれないが、でもあるべき姿になったと思いたい。
一極集中による収入格差、集団活動でのいじめ、慢性的な交通渋滞など
あらゆる課題が気づかぬうちに解消されているのだから。
人が集まって会うことが必ずしも正ではないということに気づき始めたのかな?

2020-12-21

誌上

雑誌の誌面。
雑誌の記事、記載にある内容のことである。
紙メディア前提のい言葉であるので、ラジオ、テレビではこの表現は使わない。
しかし、、雑誌の電子化ではこの表現で違和感がない。
けれど、同様な内容でもWEB記事、ニュースだとなんか違和感が、
同じ電子媒体なのに、、、この先、新たな表現語が出てくるのかなあ? 

2020-12-18

接点

関わり、繋がり。 数学的には幾何学的な対象が一次の接触を持つ点。
接することはいろいろな事象の起因になる。
その接点発生機会が社会制度、COVIDによる衛生問題、そして個々の価値観で
ぐっと減ってきている。
これに対して、不安、危惧を抱く人も多いが
発生事象が必ずしもプラスとは限らない。
むしろマイナスになりやすいのではって僕は感じている。
接点を持つために準備、メリットを意識しているかどうか
偶然、思いがけずなんてことを夢見るのはどうだろうか?
漫画、アニメにあった
遅刻しそうなときに食パンをくわえて走っていると
道角で運命の人にぶつかるなんてことはなく、
ぶつかったら事故、互いに罵声に変わるのが現実なのだから。

2020-12-17

原価

商品をつくるのに使う一切の費用が、製品の単位当たり幾らになるかを計算値。
原価に利益を乗せて売る値が販売価格となる。
日本人は原価を原材料費と思い込みことが多い。
しかし、メインは人件費である加工、管理、運送費だったりする。
その原価が高いと言い出すが、、、、
それって、人間の価値が低いって言っていること
そして、他者の活動を評価しないという無礼な言動である。
そして、それを真に受けてその人件費に手を加える企業がブラック企業になる。
つまり、
日本人の原価認識の悪さ、値引き発想がブラック企業を生んでいる。
「もっと安くしないよ」「この会社ブラック企業なの?」
ってまーーよく言えたものだ。

2020-12-16

売値

売り手が受け入れる価格。
買い手はできるだけ安く買いたいと言い出し、それを消費者の声とか言い出す。
しかし、安くすればするほど、売り手側が苦しみ、その結果がブラック企業とかを
生み出し、経済循環を悪くする。
売り手サイドから見ると
100円で販売と120円で販売とあった場合は
「20円高く売れた」
ではなく
「20円分、払ってくれない客だった」
という認識を持つ事実を意識するべきだ。

消費者志向で成り立っているような今の日本。
その発想でいるから、企業価値や新しいワクワクするサービスが出ずづらいのでは?


2020-12-15

牛耳

集団などを、中心になって支配する。
由来として、古代中国では諸侯が集まって同盟の約束を結ぶ時、
牛の耳を切り落とし順番にその血をすするという儀式があり
血をすする順番は地位の高い人から、すると最初に血をすするのは盟主、
つまりその集まりのリーダーであって、この人が最初に牛の耳を手に取ることになる。
しかし、、この諺、、現代中国人には通じなかった。
その中国人がエリートか農民工上がりかは別として
その知識がなかったことは事実。
つまり、故事成語はそのもととなって中国では通じなくなっていて
すでに日本の文化になっていることを日本人はどれだけ気づいているのかなあ?

2020-12-14

縁起

他との関係が縁となって生起するということ。
縁起のいいものを身に着けるとか日常使いのある言葉である。
この縁起、科学的、非科学的なものが多い。
非科学的なものでもそれを否定するのはどうか?
ある意味、信仰の自由のひとつでその縁起を信じることで得られるもの、
精神の安定につながるなら、その効用は認めざる負えない。
縁起を担ぐという行為はある意味信心の現れ、宗教活動のようなものだなあ。

2020-12-11

遊興

面白く遊ぶこと。遊び興ずること。特に、料理屋・待合などで遊ぶこと。
現代社会でこの熟語を使うときは
経費計上か、遊興費として計上かというときかな?
行為が同じでもその結果、目的でその扱いが異なり
国家行政に認めてもらうかどうかとなる。
人によってはなんでだよって言い出すことになるが
自分の行為を他者に説明する必要性があるのが現代社会だ。
その説明の納得性さえあれば、、、、
逆に言えば、現代人ってこの説明に対して基本懐疑的であることから
すでに性悪説前提で他人を信じないことこそ国家根幹だということを悟れば
割り切りと自分の行為は基本他者には受け入れられないものだってわかるものだ。

2020-12-10

積上

物を高く積みかさねる。順々に物を積んで高くかさねる。
その有様から、今では未処理事案が累積していることを指す。
自分自身は積み上げになることを不快に思うので
できるだけ未処理状態を回避しようと心がける。
それはある意味、スケジュール管理を無視していると思うことになるのだが
結果的に受ける評価は、仕事が早いになる。
積み上がるの反対語が早いって、、日本語ってやはり難しいなあ。

2020-12-09

握手

挨拶として、相手の手を自分の手で握る行為。 
比較、万国共通のボディーランゲージだったのだが、
このCIVID-19でこの行為が否定された。
いろいろな意味でCIVID-19は常識、日常を変えてくるものだ。
たかが握手、それど握手。
外交の一番初めの挨拶を見ていると無難な握手ができないので
拳を出す
腕をぶつける
相手を拝む
などの行為が見受けられるがそれは他国からすれば
交戦の意思
死者とみなす
と行為になるから、今後の誤認識がありそうな雰囲気だ。

2020-12-08

逼迫

追い詰められて、ゆとりがない状態になること。
逼迫をひっ迫って表すのはどうだろうか?
常用漢字というが常用英単語がないので
アクセプタンスとアセスメントなど
説明できない英単語をどんどん使っているこの昨今に
常用漢字縛りってなんなんだ?
母国語表現を抑止して、外来語を多用する国家ってバカらしくないか?

2020-12-07

一皿

食べ物を出したり食べたりする皿。ワンプレート。
しかし、皿そのものを指すのではそれに乗っている料理のことを指す。
逆に、その皿と言いたいときには、一枚の皿となる。
英語言えば、a dish となる。
日本も英語も強調したい物体のためにあえて周りのモノでそれを表現するのは
言語の特性なのか?

2020-12-04

常套

ありふれた仕方。
お約束の行動、仕草であるが、
個人主義の現代社会、この常套句概念が通じないことが常套になっていないか?
自分では常套なことと思っていても
他人からすれば、異常な行動とみなされる。
こういう状況をみることが多くなってきているが、今ではそれ以上に
自分の常套さを前提に
「またここにも当たり前を理解できないバカがいるなあ」
って言い出している輩も多い。
見ようによっては自身が異常なのだが、
自分の世界が当然でそれ以外を異常とみなすことが
この考え方をする当人の常套手段となっていたり、、
なんか個人主義の考え方って結構危ない結末を迎える兆しを感じる。

2020-12-03

政局

政界のなりゆき。さしあたっての政治の情勢。
政治ジャーナリストと言い張る人がいるが
結局、政局ジャーナリストで政治家たちの噂話や愚痴で民衆を扇動させているのでは?
政治家ではないので責任を取ることはないし
自分の思い込みをとある幹部の意見とか言い出していもいる。
民主主義ゆえにこういうおかしな職業が当たり前のようにあることは
許されていいのか?
結局、愚民の愚民による愚民のための政治が民主主義で
何もよくならない、それを政局観点でいろいろな情報を錯綜させて
よりおかしくなっているのではっと現代民主主義に破綻を感じてならない。

2020-12-02

善良

善良な市民、、という言葉がある。
現代日本において、多くの人が自分はその範疇だと思い込んでいる。
しかし、
どこが善良か!
どこが市民か!
って見下してしまう。
市民という名詞にかかる善良とは庶民が思っている思い込みのいい悪いではない。
市民の定義は政治的主体性の構成員である。
ただ成人して選挙権を与えられた庶民ではない。
その定義における善良とは国家、治安に貢献していることである。
権利を主張したり国家から搾取するだけの存在は善良とはいい難い。
国家貢献のために自ら行為、権利を提供することがない現代
において市民はいるだろうか?

ただ、王権神授説に基づく市民であれば
王は神に国家安泰のために、民を生贄にすることは
国家貢献している市民だったりすることも過去にあり、
この考え方もまた現代庶民にはわからないだけに善良さの理解は難しい。

2020-12-01

猟虎

漢字で書くととても強そうな命名だが、、海のあのラッコである。
名前負け感もあるが、どうも自分と同族感、親近感を感じてしまう。
ラッコと表すから、英語かな?って思うが
英語ではsea otter 海のカワウソ となる。ある意味 海ウソということか。
いろいろな意味で、ラッコの命名は変だなあ。

2020-11-30

富豪

多くの財産がある人。金持。
日本人はなんか変な勘違いをしている。
「お金持ちなのに、ケチだ」
「お金持ちなら、もっと品行方正に」
とか言い出す。
これって、貧乏人のバカ発言。
貧乏ならケチでいいのか、粗暴でいいのか?
富豪であることに、noblesse obligeを求める。
しかし、これはフランスの貴族的な発想であり
日本人の好きなアメリカ人には全く通じない。
逆に、ケチであったり、
人のことを考えないことがチャンスと言い出し、その結果が富豪になっている。
アメリカ人にnoblesse obligeを求めたら、バカにされることも知らずに、、
どうも金を稼ぐことへの考え方が
根本的にグローバリゼーションになっていないことを
もっと教育することを考えないのであれば、やはり国際化は辞めるべきではないだろうか?


2020-11-27

略式

正式の手続きを一部省略して、簡単にしたやり方のこと。
略式手続き
略式での開催
などで使われる。
本当は正しい形ですべきなのに、今回は特例の略式で、、、
というが、一度でも略式を認めてしまうと
その略式が正式になること活動が始まる。
根本的に今の儀礼、マナーなどは略式の才たるもので、
正式が略式を塗り替えていくことになる。
考えてみよう、出会いがしらの挨拶の挨拶ってなんなのか?
「おはよう」
「こんにちは」
とは、
「朝早くからお会いできることを喜んでいます、今回はよろしくお願いします」
「今日はお日柄もいいときに、相まみえることを、、、」
という、出会いの賛辞の略式なのだが、その正式を誰も理解していない。
略式とは、本質の意味を忘れさせる忘却の魔法のようなもの。

2020-11-26

機転

物事に応じて、とっさに心が働き、うまい考えがわくこと。
機転が利くとかの使い方がある。
その場の状況をよく見極めて臨機応変な対応ができる心遣いことであり、
ある意味、個人主義ではなくその場を意識した能力者である。
機転が利くことは自己主張をしている人にはなかなか使わないことに気づいているかな?
個人主義=能力主義ではないといえる貴重な実証事例のように思う。
無駄な個人能力主義を嫌う僕からすれば、機転が利く現場掌握力を重視してしまう。

2020-11-25

深淵

深いふち。abyss
ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの著作『善悪の彼岸』146節の言葉である
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」
という言葉がある。
まさに真理ではないかって。
例えば、対峙する立場それぞれと懇意にしていると
「あいつのあの態度では、、、絶対、他人から嫌われている」
と言い出す一方に対して、対峙する側も
「あいつは自分のことが見えていない、他人からバカにされている自覚はないのか」
ってね。
abyssを深いうちと訳しているが、
これは物理的地点ではなく、精神的局所ということがよくわかる。



2020-11-24

機軸

くみたて。方式。方法。転じて、活動の起こる中心。
機軸と基軸は同じ音で漢字表記も似ているので間違えてしまうが
結構、意味合いが違う。動と静の違いなのだが、、、、
機軸は動力の起点、動き始め
基軸はそれを定点に定めて、見定めるスタートポイント
これで、意味合いの違うを感じてほしいが、、
平行、並行を使い分けられない庶民には無理か。

2020-11-20

予算

収入や支出の計画や
一会計年度における(中央政府や地方政府の)歳入・歳出の計画。
予算配分を決めることを民主主義で行うことは愚行だと思う。
あらかじめの算定、、つまりは未来に向けてなので
これからどうなるか、その金額で足りるのかなんて、わからない。
天災、人災、突発イベント、などたった一年先でさえ見えないのだから。
それをみんなで考えた結果の予算をつけるということは
みんなで決めたという無責任にしたいだけ。
予算より昨年度の計画の反省、責任を問い詰めることが有益である。
そのために責任者、つるし上げ対象者が必要になる。
つるし上げになる覚悟をもつからこそ、その結果の成果もその人に帰属する。
これがある意味、成果主義である。
バカな予算論理をいつまで続けるのか、行政や大手企業は。



2020-11-19

唐竹

中国産の竹で、節間が長く見た目が美しいとされる。
からたけ、トウチク、どっちの読みが正しいのか?
ちょっと昔、剣技で唐竹割りってあったが、今はなかなか聞かなくなった。
というより、唐竹をみたことがあるか?
庭や竹林が身近でなくなった今、竹の存在と唐竹という言葉が消えていくのかな?


2020-11-18

邦貨

わが国の貨幣。
日本においては円貨にあたるのだが、
邦貨なんてわざわざ言わないだろう。
邦という漢字が、国、自国土を表す漢字なんだがその意義は廃れつつある。
グローバリゼーションもいいが、
このような漢字文化をどうする曖昧過ぎるような思いがする。

2020-11-17

早朝

朝の早いうち。
定性的な表現なので、日の出あたりとしよう。
この時間帯、人間の行動はそれぞれにエゴが見え隠れする。
・早起きは三文の徳と言わんばかり行動を開始する者
・早朝トレーニングをして健康促進を狙う者
・定常稼働のために深夜作業をして帰る者
・接待の結果、終電を逃して始発で帰宅する飲んでいた者
など、その時間帯は、始まりでも終わりでもある。
そして、自分がの行為が正しいという発想でもある。
自分が正しいと思うときに人間は他人を悪とするのもまた必定。
だから、自分以外の行動者を蔑んで扱うことが多々見受けられる。
・こんな朝からまだ寝ている人の迷惑を顧みず
・朝帰りなんてなんて不健全
とか、、、、
「そんなことはない、すがすがしい朝は人間はもっと好意的ですよ」
という人ほど、どれほど他人を見下しているかを知っているだけに、、
朝はすがすがしいより、ドロドロに感じてしまうのは社会を直視出来ている証拠なんだがね。

2020-11-16

入浴

主に人が身体の清潔を保つことを目的として、
湯や水・水蒸気などに身体を浸すことを指す。
現代日本において、入浴をすることは普通な認識だが、
古今東西、今の日本ほど入浴が一般的なところはない。
平安時代においては、湯舟につかるという概念はないし、
女性の入浴などありえなかった、となっている。
インドではガンジス川の水が聖水であり、
流れていない水は不浄の認識だったりする。
また、西洋を挙げれば
ヨーロッパで有名な作曲家ベートーヴェンは
髪はボサボサ、服装はボロを着ていたと言われている。
しかし、彼は入浴が好きで頻度よく入浴していたとされる。
当時の価値観では、作曲家の地位や生活習慣から
服装、化粧をしているほうが、入浴を頻度よくするより清潔とされていた。

何ももって清潔なのは時代と衛生科学の発展によって変わるが
なんか時代を先駆けてる人たちは先見性をもって入浴しているような気がするのは
僕の偏見かな?

2020-11-13

心傷

心を痛めること。悲しく思うこと。
恥ずかしながら、心傷=トラウマと思っていたが
正確には違い、トラウマ=心的外傷がそれにあたるそうだ。
なかなか難しい。
ただし、日本人の会話、口語癖は略語であり
うるさいを’うざい’
有難しを、’ありがとう’
と変化させてきた。
今後もどうせ、省略して、心傷=トラウマになるんだろうな。
言葉は時代とともに変わる。
しかし、語彙、語法が確立されている言語は
時代が変わっても使え、国際標準語になりえるが
この日本語はいくら覚えても、、なかなか意思疎通がしづらいうえ
この略語、外来語を容易に受け入れるから、、、
外国人の日本語習得がどれだけ多くの人にトラウマを与えたことか、、

2020-11-12

深化

深くなること。深刻になること。また、(理解などを)深めること。
音で聞くと、シンカのため、進化と聞き間違えてしまう。
意味もある程度、類似しているため、どっちで使ったかで伝わりが変わることは少ない。
ただ正確には
進化は対象自身がする、させる、
深化は対象と自分の状態がする、させる
との違いがあるのだが、、、、、と言っても、難しい。
どっちでもいいか、日本語なんて!なんて言いたくなるね。

2020-11-11

旬味

旬の味。
その食材が1年の中で最高の味を出しているとき。
この概念は日本国内で成り立っていた。
日本人が日本の四季においてそう感じるものである。
しかし、科学技術の台頭で、生産性の向上、生産時期の通年化。
またグローバル化による地軸の逆からの仕入れとその反対で輸出、取り合い。
旬まで待っていると、他国に持っていかれるこの有様。
本当の旬はいつか、、という雅な概念はなく
いかに相手より先に手に入れるかがグローバルになっている今、
旬をどう語るべきか、、それを正として他国批判することが正しいのか
いろいろと議論が起きる時代と感じている。

2020-11-10

琺瑯

鉄、アルミニウムなどの金属材料表面にガラス質の釉薬を高温で焼き付けたもの。
難解な漢字のため「ホーロー」と表記されることが多い。
英語では Enamel(エナメル)。
金属の特性を活かしながらも、見た目の美しさそして錆びないという加工は
人類の英知なんだろうな。
まして日本の琺瑯技術は結構なものだと思う。
素体、素材をそのまま使いこなすことは日本人は得意ではないかもしれない。
もともと国土、資源が少ないから潤沢に利用することがないから
もったいない発想があるように、、
その分、加工、整形はお手の物で今の日本が成り立っている。
付加価値という概念が欧米より根強いからこそ、今の地位があると感じたりする。

2020-11-09

赤色

赤い色。
どうしても解せない赤がある。
戦隊もののリーダーが赤ということ。
なぜ赤を選んだかと、スタッフに尋ねると
「当時、子供たちの好きな色と聞くと赤と答えたからだ」
と言った。、、、本当か?
昭和中期において、ランドセルが黒赤の時代、赤は女色とまで言われていた。
またオイルショック前後では、赤字、赤点と赤はマイナス表現の代名詞だったはず。
それが好きな男の子がいただろうか?
確かに歴史を思い返せば、赤揃えの鎧装は目立つので強さの象徴ではあった。
また赤飯などの赤は破魔、、転じて祝いの色ではあったが、、
赤色にはいろいろとプラスマイナスが入り混じっている。
、、そもそも、赤は血の色
血は命の証でもあると同時に、
赤を目の当たりするときは死を予見する、怪我、出産など。
それゆえ、生理をもつ女性は穢れとされて、富士登山や聖地に入れなかったこともある。
それだけ赤はいろいろと厄介な色かもしれない。

2020-11-06

電動

動力源として電気を利用すること。
現代における家庭、、いや生活支援物のほぼすべてが電動といる。
自動車は?確かに主動力はガソリンによるエンジン駆動だが、
そのエンジンより発電させて、エアコンや社内照明などをつけてきたし、
今はEVも出てきた。
電気無くて現代生活は成り立たなくなってきた。
エジソン、ニコラ・テスラに感謝と言える。
そして、日本人に聞きたいのは、電動とデジタル化の違いをどう説明できるか?
全く違う?根本は同じ?説明できるかな?

2020-11-05

子育

子どもを育てること。子を産み育てること。
今の日本の子育て、、いや男女平等、、そしてその雇用制度そのものを否定する。
そもそも、社会制度、規模からしてそれが成り立たないことになぜ気づかない?
評論家など有識者とされる人たちは
「北欧の国々では成り立っている」
と言い出す。
しかし、北欧とされる国々は、、代表的ノルウェーを例に挙げれば
人口は543万人、、日本の兵庫県と同じ、東京都3分の1、
GNPに至っては日本13分の1でしかない。
そりゃー、人口把握規模と経済成長規模から考えて
子育てに特化した国家運営になるだろうよ。
それを見習うとは、GNPを下げてまで行うか
ノルウェーの子育て支援の予算規模を日本レベル、、
つまり、今の13倍にしてみたらどうなるか?
を考えて発言しているか、かなり疑問だ。
そこまで、現役世代、そして老人世代が自己犠牲をするか、、わけがないだろう。
今のままで、いいものねだりが人間の本性だからだ。
子育てねーー。
植物の成長とは根が地中にどれだけ広げられるかであり、
これ以上、根が広げられないとわかると自己成長、生命維持に変えて
生殖機能、、種子をつけるそうだ。
根=networkと考え、人間の自我をintelligenceと捉えると
子育て、老化、死の概念も変わると僕は思っている。
必ずしも、未来の世代に託すべき、ものだろうか?
今はSFじみた考えて捉えるだろうが、
近いうちにこの天眼の見解を庶民もわかるだろうけど。


2020-11-04

米国

言わずと知れたアメリカ合衆国。
黒船来航以来の付き合いから考えて、もういいのでは?
開国強制から始まり、、なんかいろいろとやられてきた。
原爆を落とされて戦後は占領されて、価値観を強制させられて
貿易摩擦でバッシングを受けてきた。
アメリカから恩恵を受けているというが、それは今の枠組みだからそうなる。
属国が本国から影響を受けないわけがない。
価値観の強制から戦後復興の憧れ、目指すべき国として今に至るが
・自己主張、No.1でないと許さない
・理由をつけて戦争をしたがる
・差別、暴動が頻繁に起こる
・選挙運動が蔑みあい
何を見なうべきか?
パクスアメリカーナはすでに終わっていることを自覚して行動すべきでは?

2020-11-02

新刊

新しく刊行すること。
出版不況なので、新刊はまずなく、廃刊、休刊が多い昨今。
しかし、、その認識が間違っていないか?!
出版社が発行するものが新刊という思い込みではなく
サイトを上げること自体が新刊なのでは?
刊行物の本質は情報発信である。
それが、紙媒体が主であり、また出版社であるという認識で
いろいろな仕組みが成り立っているが、その仕組み自体がナンセンスではないか。
当時はそれがよかったかもしれないが、
受け手の認識と有償価値の変化に合わせて
情報発信の意味づけをかえるべきでは?
もっとも、これは刊行物だけではなく、多くの常識、慣行ごとに言いたいがね。

2020-10-30

薬価

薬の値段。
薬価が高いか適正か?
使う側は原材料、生産コストベースで高い高いっていいだすが
そこに至るまでの研究にかかった費用、それまでダメになった試作
などのコストを考えたら、、、安すぎるって思うかもしれない。
医療系のものは人の命という現代社会では絶対とされる基準で
高価、そして高い品質保証を求める。
しかし、、、そんなに人間の命って大切か?
命ではなく家、名誉のほうが価値が高かった時代がすごく長かった時代があるのに、
どうも命の重さといいながら、その重さに便乗した価値観が社会を
ゆがめていないか?

2020-10-29

楽理

音楽の理論。
面白いものだ。
学生時代、音楽授業をさぼっていた輩がロックバンドをはじめ
ギターに触れる。それで真面目にギターを学ぶのだが
それなりにうまくなると楽理がないといい音にならない。
なら初めから音楽の授業を受けていればいいのでは?
なんて思ってしまう。

楽理を含めて、勉強なんてものはそんなものだ。
しかし、逆に考えて必要もないのに汎用的に教えるのはどうだろうか?
それも無理やり、もしくは表面的に。
そんな苦痛と時間の無駄では?
そんな義務、幼少教育がおかしく感じるなあ。

2020-10-28

類稀

たぐいまれ、
漢字で書くとこうなる。
類い、、類うとは、並ぶということで
稀というのはレアケース。
という意味。
でも、、この表現と同じような表現多くない?
~国士無双
~ダントツ
~右に出るものはいない
~勝るとも劣らない
特別性を表すのに、その表現がいろいろとチープに感じるのは??
どうかな?


2020-10-27

売場

商品などを売る場所。
現在、その売場の存在が大きく変わってきている。
この事実にいろいろと否定的な意見をいう人や
インターネット販売では?と懐疑的な買い方をする人もいる。
しかし、現在の売場でモノを売るビジネスはそう歴史が古いわけではない。
むしろ、今までの売り方が歴史において一過性ではなかったのか?
商取引というものが成り立ったのも、19世紀。
そして、外商、御用聞き、と棚で商品を並べるビジネスは
越後屋三井商店から始まったものであったり、江戸時代以降の話だ。
売場に陳列させて手に取ってもらうことが今生きている人からすれば当たり前だが
過去の人から見れば
~そんなにモノがあふれていない
~買える身分ではない
~そもそも価格が決まっているとは
と過去の常識で不思議がるし
未来の視点からすれば
~他人が触ったものなど買う価値がない
~自分用にカスタマイズされていないにお金を払う意味がわからない
~そもそも、なぜ自分が買いに行かなくてはならないのか
などという意見も上がってこよう。
今の商取引のカタチをあるべき姿と捉える発想が
すでに過去の人間に分類されてしまうのがビジネスの世界ではないだろうか?

2020-10-26

難関

そこを越えて通り抜けるのがむずかしい所。
現代社会では移動における物率的な問題から、
活動、考え方の抽象的、課題的なものになっている。
難関な課題、難関受験と表現されるように、実際の移動ではなく
工程における思考的、技術的高度なスキルが求められる箇所、
人生において分岐になる事案
に使われる。
難関を突破できるかがその後の未来、将来を変えることは事実だが
その難関を避けてもいい時代になっていることもあり、
難関が本当に難関であり、そこで得られるものが果たして、、って疑念が浮かぶ。

2020-10-23

慰安

なぐさみをして心を休ませること。
しかし、現代日本社会ではこの言葉自身が一番慰安できない言葉になっている。
国際的な慰安婦報道。
国内では慰安旅行を企画すれば、それはそれ自体がパワハラになりえる。
現代人における慰安とはなんだろうか?
まーー、休むこと自体、僕からすれば愚行、もったいない時間しか思えないがね。

2020-10-22

終電

最終運航電車発車時間の意味。
要は、日付跨りがあっても稼働日とされる時間内で最後にその駅から出る時間。
ニュース、報道のアーカイブと比較したら面白い。
2019/10  首都圏の交通機関の終電時間の延長
2020/10  首都圏の交通機関の終電時間の繰り上げ
になっている。
オリンピック期待とCOVID禍、、
たった一年でジェットコースター的に変わる社会情勢を反映しているといえる。
終電時間の繰り上げにより、飲食店が打撃を受けるというが
そもそも論として
終電まで飲む、飲ませることが健全な社会か?
都心で仕事、繁華街で飲んで帰る発想が一極集中の問題って言っていなかったか?
これから論として
仕事の食事も都心でするものではなく、地元還元型になる
終電まで働く、飲む、遊ぶなんて発想がもう時代としておかしい
という兆候ではないかと言える。


2020-10-21

憲政

憲法によって行う政治。立憲政治。
では憲法とは何か、
国の成立に係る統治の根本規範となる基本的な原理原則に関して定めた法規範。
となると、憲政を掲げることは改憲こととは矛盾しないか?
この論争に言い訳、水掛け論が多い現代社会。
僕からすれば代表民主主義制度そのものが過去の遺産、
もっと言えば、過去の人物がその時思いついた考えで作った憲法を
いつまで従順に従い続けるのか?
そこを直接全有権者に聞くことができる直接民主主義がデジタルで実現できるのでは?
と思うがね。
紙への記述投票のほうがインターネット経由での投票より
信憑性があるという思い込み。しかし紙による紛失、数え間違いなどもあるのに。
条文でしか理解できない法制度、ビジネスでは図解しないと理解されないと言われているし
そもそも、日本語の曖昧な表現ではグローバルに対応できないという昨今と乖離が大きい。
どうも、現代民主主義の進化のなさに憤りを感じてしまう。


2020-10-20

静謐

静かで安らかなこと。世の中が穏やかに治まること。太平。
静謐なんて表現は滅多に使わなくなった。
逆にいえば、現代社会は静謐ではないということでもある。
平和で穏やかではない。
戦時下という状態はいつからだったか、後世になって定義されるわけで
生きている今はわからない。
だから、現在も静謐ではなく、とても不安定で危険が始まる、始まっていたと
後世かいわれるかもしないと。

2020-10-19

下手

上手の対義語。
他より地位・能力が低いこと。
しかし、下手の定義ってある意味は発言者の思い込みで
これを発する人は、、正直バカである。
下手と発するときって、ある意味経済生産性と関係ないところ
それも僕から言わせてもらえばどうでもいい虚戯レベルで用いられる。
仕事が下手という表現を使っている場合は
その評価に責任を持てない無責任発言でしかない。
能力がないのであれば、市場から徹底を求められるので下手と言われることはないはず。
そして、その下手の定義も自分を中心にした思い込みでしかない。
例を挙げれば
運転が下手と言いだす人が多いが、
交通ルールを違反してない以上問題なく、
上手という人ほど、周りを押しのけて危険運転になっているギリギリを
評価したりしておかしい価値観になっている。
また、猫舌は食べるのが下手と言われる。
理由は熱さを感じる舌先で食べるからだと言い出しているが
逆に舌先に熱さを感じる器官があるのはそこで生命の危機をとっさに感じられるためであり
猫舌のほうが生存器官が発達しているので、生きるのが上手といえるのでは?
どうも、現代人の思い込み発言が闊歩しすぎて狂った社会になりつつあるが、
気づくのは、後世で生き残った評論家くらいなんだろうな。


2020-10-16

百均

100円ショップのこと。
今のIMEなどの漢字変換では出てこないが時期に、熟語として変換されるだろうな。
生活必需、そうでなくても欲しいものが手に入る社会。
基本、店舗やWEBサイトで目的に合ったものを探し購買するのだが、
それと同じようなものがそれも100円ショップで見つかるとちょっと思う。
購買したものの品質がいいものであっても、所詮消耗品。
いくつか買っておいて、おかしくなったら交換すればいいのでは?
モノ消費コト消費で考えれば、現在はコト消費の昨今。
モノオリエントではなく、コト、、つまり自分の生活パターン、効率化視点から考えたら
同じものが気兼ねなく使えるほうが充実しているといえる。
100円であることの安さより、100円でまた買えるだろうという安心感が
今の百均の価値なのではないだろうか?


2020-10-15

出血

血液が血管外に流出することである。
血が出るということは生命の危機を示し、
企業としてその覚悟をもって利益度外視の販売を出血大サービスと言ったりする。
となると、出血大サービスを行う企業って危なくないか?
そもそも、サービスという意味が安売り、無料と勘違いしている日本語の認識。
グローバル経済の観点から、出血大サービスって全く理解できない考え方で
あるべき姿ではないということを意識すべきだと思う。

2020-10-14

破格

 世間並みの格を破っていること。
では「格」とはないか?
基準、枠組み、クラスというべきかな。
人間は比較、同類で物事を整理認識する。
その整理認識に合わないものを破格、規格外としていったん、
その判断を避けている。
その避けている行動を畏敬と捉えるか、相手にされていないと捉えるか
は個人認識の違いだが、、現代社会では個人主義を尊重しているように見えて
実際は自分の理解範囲外の人を遠ざけている傾向があるだけに
破格をいい意味で捉えるのはちょっとリスクではって感じる。

2020-10-13

工夫

 あれこれと考え、よい方法を得ようとすること。
また、その考えついたうまい方法。
はっきり言って、この定義は現代社会では当てはまらないと言える。
工夫とは、
本来あるべき姿で実行できないので、それに酷似していると思われる
別のやり方で代替させることである。
そして、工夫をすることは決して正しくない。
なぜなら、本来あるべき姿で実現していない前例主義、マニュアル主義の現代社会
にそぐわないから、後に否定される対応といえる。
この前例主義、マニュアル主義で得たものは
失敗しない、自己責任を負わない効率化で色づいた無脳人間の量産だ。
工夫、創意、失敗を数多くさせないだから。
新しい付加価値、経験則が導けないところに至っている。
この実態をおかしいと思わないのは、本当に衰退する国家の有様でしかないなあ。

2020-10-12

分類

ある基準に従って、物事を似たものどうしにまとめて分けること。
巷で流行っているAIにおいて、この分類のどう学習させるかが精度につながる。
同じか、違うかを幾度もののパターンで教え込み、
その分類の精度から予測などを行う。
、、、でもこれが現代社会の格差、差別の起因ではないか?って思い始めた。
AIを進めれば進めるほど、技術問題に社会問題が入ってくるのでは?
とまた天眼してしまった。
人間と同じ過ちそして、その苦労を技術も追随するのだろうかって。

2020-10-09

判子

印材の平らな面(印面)に名前を彫刻した本体部分。
印鑑と判子、印章の区別が出来ていない昨今。
脱印鑑なのか、脱判子なのか、違いがなくただバカみたいにデジタルと言っている。
印鑑は押されたものであり、押す行為を行った証跡である。
判子はその印鑑を押す手段的道具。
脱印鑑とは押す承認行為を物理的なことであり、
脱判子は印鑑行為を無くすことと言える。
だから、脱判子であれば、署名、指紋、とデジタルでなくてもいいわけである。
今、脱印鑑と騒ぐ前に脱判子をしてから物事を進めるべきだ。
デジタルにする前に印鑑証明という制度を無くし、
外国人も含めて個人認証を統一する法制度を整える過程でデジタルというべきだ。
それを行わないでデジタル先行で進めるとまたバカが法解釈や違法とか騒ぐのだから、、
本当に民主主義の考える規制は愚かだなあ。

2020-10-08

屈指

 数多くの中から特に指を折って数え立てられるほど、
すぐれていること。指折り。
ちょっと冷静に考えると、この表現は定性的かつ主観的で評価基準が全くない。
しかし、屈指という表現を使うときに周りから批判されることは少ない。
これは日本人の価値観、評価認識が近いからなのか?
ちょっと調べたくなる事実ではあるかな?


2020-10-07

協奏

 複数の構成要素が連携し合うこと。
協奏、、、キョウソウ、、面白い。
「ここはキョウソウしていこう。」
と言われたら、多くの人は’競争’だと思うが、
特例の価値観集団だと’協奏’となる。
その価値観集団との数の論理で返答が変わる。
協奏だと信じてやまない価値観集団の人数が
多い時は
「バカじゃないの、なんで競うの!」
少ない時は
「協奏なんて表現、、世の中にはないに決まっている!」
ってなる。
言葉の使い方、いや使われ方、共有数で人間の立ち位置は
いろいろと流転するものだ。

2020-10-06

穴太

なんて読む?
建築に関わる、、もしくは戦国時代フリークなら読めるかも。
応えは、あのう、、、あのう衆という石垣づくりのエキスパート集団。 
また、三重や滋賀にもある地名。
漢字の読みは、音、訓読みだけでなく、組み合わせによる読み方と
多岐にわたり、結構難しい。
そして、人名、地名に使われていることなどから
間違えると失礼になる日本文化ゆえ、リスクがあるときは触れない、、
つまり他者とのコミュニケーションを避けることで今の日本の文化が成り立っている。
それに対して、議論やら積極性を求める今の風潮はなんか頭がおかしく感じるがね。

2020-10-05

尾根

尾根と聞いて言葉で説明、
もしくは、実際の山岳地のどのあたりを指すか?
わかっている現代人は1%以下ではないかって思う。
言葉で定義すれば
山頂と山頂とをつなぐ、みねすじ。また、谷と谷の間の突出部の連続。
これをイメージできるだろうか?
農林業の世界から離れ、
道路を舗装道しか知らない人口ばかりになっている以上
これを理解するほうが難しい。
尾根をある意味、専門語、古語になっていると言えよう。

2020-10-02

手練

 熟練したあざやかな手ぎわ。
「手練手管」という言葉があるのだが、
なかなか使わない四字熟語かな。
思うままに人を操り騙す方法や技術、
あの手この手で巧みに人をだます手段や方法なのだが,
これを優秀なセールスマンとみるか、詐欺師とみるかを
買い手である庶民に任せていること、そして一方的な見解をSNSで発信できるため
なかなか技術を磨けなくなっているのでは?
デジタル化の時代になると、デジタルスキルをフォーカスするが
実際はそのデジタルになっているもの、しようとしているものを
手練手管で説明、説得していくことが重要なことを忘れていないか?
どうも、評価傾向がおかしい現代社会に感じてしまう。



2020-10-01

改定

 (今までの決まっていた事を)改めて、決め直すこと。
よく見るのが改定と改訂を間違っていることだ。
~その文章をカイテイしておいては改訂なのだが、
平気で改定と言い出す。
悪いが、その程度の文章は改定に値しないなーって思ってしまうが、
自分が間違っていないって感じでいる人のその考え方を改定したいものだ。

2020-09-30

蓬萊

古代中国で東の海上にある仙人が住むといわれていた仙境。
存在するようでしない土地。ある意味、極楽、理想郷、ユートピア。アバロン。
古今東西、こういう土地を心に抱いている。
人間は現世の苦悩から解放されるところを心のよりどころして生きている。
ある意味、虚地信仰ともいえるが人間がそれを抱き、信じることで
今を生き抜けるのであれば、その存在もまたあるべきものか?
逆に科学的にその存在を否定するのは、科学的立証かもしれないが
信仰の自由を迫害する人権侵害かもしれない。

2020-09-29

瑣事

 あえて昨日の表現に基づいて、、
瑣事、些事は異表記で同音、同義。
これを些細なこととみなすか、日本語の混乱さを嘆くか、、
人それぞれだと思うが、日本語という言語このままだと、、
漢文
古文
そして、近代文
と学科が増えそうだ。現代文という概念がすでに現代の文章と
表記、感性がづれているだけに、、このづれは瑣事、些事とは言えないレベルだけに。

2020-09-28

些事

 小さな事。つまらない事。小事。
どのレベルが些事になるのか?
個人主義の現在、自分が重要と思っていても他人には些事に映るかもしれない。
その認識の違いで人は争うことが多くなっている。
どんなことでも重要とみなすか、自分を含めてなんでも些事と思うべきか?
人間の器の大きさを問われそうだが、、些事であることかどうかは
当人の興味でしかなく、それに関わるかどうかであり些事であるかは
どうでもいいのかも?些事かどうか悩むこと自体、些事なことか。。


2020-09-25

叫喚

 大声でさけびわめくこと。
現代社会、叫喚するような場面は滅多に出くわさなくなった。
これってある意味、社会が安全である証拠なのだが、
僕からするとそれにより人間の危険への感度が薄れ
生命の危機を感じないきわめて危ない状況であるのでは?って思う。
叫喚する場面を経験した人間は行動が慎重になるし
適度な緊張感をもって生活する。
これが生命としてあるべき姿ではないかって思うのだが
これを理解できない現代社会だから人間は愚行を繰り返すのかな?

2020-09-24

介護

身体や精神が健全でない状態にある人の行為を助ける世話。
高齢化社会では介護するされるが大きな問題とされている。
楽観視している言われるかもしれないが
近い未来、介護の概念が変わると僕は見ている。
医療、サイバー、ネットワークの発展は
身体的制限を開放すると思われる。
移動する概念が
徒歩~動物利用~水運~機械機関~空運、、そして、VR
となったように、移動する手段、目的がどんどん異化したように
介護もそうなることは予測される。
身体的制限や加齢がどんどんなくなる未来はいいのか、わるいのか?は別として。



2020-09-23

口角

上下の唇の合わさるところ。
口角をあげることで、
表情を温和にさせたり、
若々しく見えるようになる。
ちょっと不思議に感じるのは
老化による皮膚のたるみは好々爺のような優しい見た目になるのに、
口角をあげることで笑顔になる。
人間の休まる表情とはなんだろうか?
いろいろと表情や心情をつかむのは難しいものだ。

2020-09-18

峻別

きびしく区別を立てること。その区別。
判断、英断とは峻別のことである。
そして、弱者のマジックワードは峻別を差別と言い出し社会混乱を起こさせる。
物事を変える、進めるということためには切り捨てが必要になるし、
その切り捨てを明確化させるために峻別が事前に行われる。
その峻別は明確なほうが正しいのだが
明確であればあるほど既得権益、現状至上主義者は峻別した側へ
自分たちが正当であるように、差別という言葉を使う。
差別そしてハラスメント、、僕かすれば
能力主義を認める以上はこの表現を社会から峻別しなくてならないと思うがね。

2020-09-17

理系

自然界を研究の対象とする学問。
文系、理系と対峙する言葉。
僕はこの文系、理系という分類について学生時代から
疑問で試験、就職で苦しめられた思いがある。
ちょっと考えてほしいが
証明という行為は数学で習うが
その証明の組み立て方は論理構成、、文章力ではないか!
文系には数学がなく、
理系には国語がない、
そして、日常生活では使わない英語が文理とも必須。
なんだ、この国の教育制度は、、、。
国立大学入試は多科目の試験があるのだが、
そのくらいの試験科目や総合力を養わなないとならないのでは?
そもそも、教育機関で学んだことがそのまま使えない社会なんだから
何か役に立つきっかけを多く学ばせるべきだ。

2020-09-16

碓氷

碓氷峠で有名な地域名。
これで、うすい と読むのは難しい。
同じ音で雨水は 水 なのに、この碓氷は 氷 なんだから。
ただ語源をたどると
臼井、碓井、碓日 を当てていた事実。
そして、万葉集の「日の暮に宇須比」で
ウスヒ は8℃を指すように、、そこから寒い冷たいからの当て字とも。
、、、日本の漢字も難しい、、そのうえでその漢字でも当て字をする地名人名は。
日本語はやはりグローバル言語には向かないだろうな。

2020-09-15

風塵

強い風によって地表面にあるちり・ほこりや砂などが空気中に舞い上がり、
視程(見通し)が一時的に遮られる現象
転じて、
きわめて軽いもののたとえやわずらわしい俗世間。
また、こまごました雑事を指す。
経済的には風塵な価値であっても、他人や社会全体として
その活動がないと成り立たないことがある。
だからその行動を強制的に、公共財を使って行うことがあるが
それさえも強制行為だの税金無駄遣いとか言い出す民意。
実際にその行為がなくなると、何も考えていない公権力と批判するのもまた民意。
僕からすれば、民主主義、民意を聞く行為そのものが風塵でしかないんだがね。

2020-09-14

恐慌

恐れてあわてること。
しかし、資本市場の社会になっている現代では
生産の急な低下、物価の暴落、支払不能、破産など
経済循環の支障をきたすことが多発していることをさす。
経済活動が人生ではないというか
国民の義務の一つが勤労であり、その勤労とは経済活動でないとならない。
そんな、、って思うかもしれないが、
もうひとつの義務である納税を満たすためには経済活動をしないとならない。
経済活動を伴わない勤労はある意味、趣味、ボランティアであり
それを勤労と認められるかは周辺の人たちの判断基準にされてしまう。
その判断基準が恐慌の源泉である。
経済活動を行わない人が多くなれば、
納税の義務を果たさない周囲とその結果、社会保障などで
自分の納税が使われるという憤りや無力感から恐慌的な発想になる。
恐慌は偉い人がおこすのではなく、
経済活動をしていない人が目につくと心理的に
恐れてあわてるから発生するという事実を
どれだけの人が気づいているのかなあ?

2020-09-11

長考

長く考えること。
将棋で次の手を考えていることを長考という。
おや?
長考と悩むはどう違うか?
全く違うと輩、、、、バカだからもっと長考、悩め、その思慮の浅さを。
基本的に脳内でシミュレートしていることがあり、
その答えが出ても出なくてもそうしている状態でしかない。
そうこうシミュレートすることが脳内刺激になっていいことだが
それをストレスとかもっと効率的に時間を使うとか言う発想が
現代人をバカにしているとつくづく感じてならない。

2020-09-10

潜在

外にあらわれず、内にひそんで存在すること。
あたかも、うまく隠れていたように言っているが
捜査能力のなさ
問題解決力のなさ
を隠している表現でしかなく、
無能である事実をうやむやにしているだけである。
潜在的なという表現が出てきたときは
当事者たちの無能さを理解しないとまた、
大好きな潜在的という表現にぶつかるだろうな。

2020-09-09

逡巡

決心がつかず、ためらうこと。しりごみすること。
なかなか使わない表現だが、この状態の人って身の回りにかなりいる。
能力主義と言いながら、相手の上げ足をとる現代社会。
その上げ足をとられないように逡巡してしまっている。
逡巡はリスクヘッジなのか、価値、結果を出さない無駄な時間なのか
それは当人に帰着するのだが、僕としては、、まーいいか。

2020-09-08

不信

信用しないこと。
信義がないこと。
要するに、対象者に対して気持ちが向かない状態。
そもそも論で言えば、自分以外に対して信じることがあるから
裏切りを思うわけだったり、いら立ちを覚える。
不信感を持つことは自己を意識すると同義だと思うが
こういうと哲学的に思われてしまう。
どうも人間は無駄に価値をつける動物のようだ。
他人を思うということに価値を感じたからこそ今の社会があるというが、
それゆえに自然破壊も永続的し続ける存在でもあるという背理も認めるべきなのに
そこは観ないことにするのはいかがなものか?
まー、人間を信じないからこそ見えている僕の眼だからこそか。。。

2020-09-07

惨禍

いたましいわざわい。
天変地異、異常気象ということで、最近は災害が多いと言われる。
果たして多いのだろうか?
過去の記録が詳細に残っていないが
伝承などで、神、龍、ナマズ、鬼の話や
治水や怪奇事象の多くは異常気象、自然災害だったのでは?
と思う。
また規模の論理で今のほうが多いというかもしれないが
人口比率、救済医療技術からすれば、
過去のほうが惨禍具合は高かったと相対評価できるのでは?
まー、人間は自然、ジオグラフィーには贖えないことは
技術の進化でも無理ってことかな。

2020-09-04

怠慢

なまけて、仕事や義務をおこたること。
ジョブ型、成功報酬というカタチで仕事を行う時代である。
怠けるという行為は、皆勤そして命令が前提であり、
能力評価と直結していない。
怠慢であっても結果を出していることは
勤勉であっても結果を出さないとことでは
結果を出さないほうが悪い時代になっている。
日本の道徳心からすると、これは結構危ない傾向、
道徳心があるから犯罪率が低かったのに、
成果結果の果てに、犯罪の増加は受け入れられる日本なのか?

2020-09-03

無難

これと言った特色はないが、格別非難されるような点もないこと。
平凡でまずまず無事といったものであること
果たしてこの時代において、無難に価値があるのか?
庶民が無責任に批判できる社会では
無難と評価されるモノが
「なんか価値を感じない」
「存在する意味がない」
「期待を裏切った」
と平気でいいだし、その風説の流布で無難が最低の評価になりやすい。
無難であることがリスクとなるとは
判断基準の混沌化、、無秩序な社会になっているともいえ
ある意味、危険な社会になっているともいえるのでは?

2020-09-02

助合

助け、助けられる。
ただ、、この言葉は甘えと成り下がっている。
~ボランティアが来てくれない
~譲ってくれない
など、助けられることが当然のようにと、、何を言っているのか?
それもわからず、助けないことが悪いと当然のようにいうバカ社会。
自助努力
能力主義
個人評価主義
を尊重する社会になったんだから
助け合いということは否定されるという事実があるのに、
それを認めないには現代人の行動原理が理解できない。

2020-09-01

霍乱

日射病をさした語。
鬼の霍乱の時にしか使わないが
現在日本で起きている熱中症はこの霍乱そのものだろう。
現代医学の識別での日射病と熱中症の区別が
漢方では出てきたとはいえないので。
となると、熱中症は現代病ではなく、古来からのでは?
なんか異常気象というが
古来から川の氾濫、熱中症はあったいえ、
統計を取り始めた今の情報があまりにも薄いのでは?っと思ってしまう。

2020-08-31

勘違

物事をうっかり間違って思いこむこと。
ある意味当人が他人への過失を行っているのだが、
自己主張表現の自由を強くしているせいでおかしなことが起きている。
勘違いして、力説したバカがその勘違いを指摘されると
「自分を勘違いさせたことが問題」
とか言い出す。
こんな発言が正当に扱われることが異常に感じない社会になっている。
いやいや、、力説した、指摘された、ということは
その内容に不快、強いては名誉棄損な要素があるはず。
そこを無視して、自分の保身で間違いを正当化、被害者面のはどうなんだろうか?
謝罪する、させる以前に自発的に訂正、謝罪することが出来ない社会って
欧米、大陸的なのかもしれないがそれゆえ、
日本の治安、秩序、思いやり文化が失われつつあることに気づかないのは
現代人の愚かさのひとつだろうな。

2020-08-28

様式

ある範囲の事物・しかたに共通に認められる、一定のありかた。
フォーマットとヨコモジでは言う。
様式は
・時代
・文化
・組織
・基盤
などが少しでも変われば異なる様式になりやすい。
例えば、「行為を休む」ということついて様式によって
・口頭、電話、書面、電子
・連絡要素に、理由があるか
・申請、承認、許可
など、いろいろな様式があり、その場その場でやり方が若干異なる。
だから、転職などをしたときは
その休むの仕方で様式にあっていないことで
いろいろな軋轢が生まれたりする。
人間が考え出した効率化と排斥の論理の温床だね。

2020-08-27

検証

実際に調べて証拠だてること。仮説を実証すること。
検証が必ず正解、結論になるとは限らない。
とりわけ、仮説の立証だからだ。
しかし、効率化と結果主義の現在。
検証活動を見ているだけの人は検証結果が想定と異なることを見て
「憶測で行動するな」
って言い出している。
未知への試みから新しい価値につながるがもしれないが
そうでないことがR&Dの世界だが
直接利益しか見ていないことに未来はあるのか?
とりわけ、R&D専門機関でなくても
業務、運用改善でのR&Dはあり、そこを認めないのはいかがなものか!?

2020-08-26

威容

いかめしく、厳かな姿。重々しく立派な姿。
でも威容って、音ではイヨウ。
同じ音で異様がある。
あのイヨウな姿って
威容なのか、異様なのか、
それで意味が大きく変わるし、伝え方が悪いと、、
本当に日本語は難しい。

2020-08-25

鉄分

鉄、原子番号26の元素が入っていること。
赤血球をつくるのに必要な栄養素。
ヘモグロビンが酸化することで酸素を体中に回すために。

そう考えると、人間って内外を鉄に頼っている。
鉄は血液の要
鉄は産業の米
人間の生存は鉄に依存しているんだなあ。

2020-08-24

編隊

集団が隊形を組むこと。
今は、二機以上の航空機で組んだ隊形。
航空機が登場する前にはあまり使われていなかったのか?
いやそうではない。
歩兵や艦隊でも使われていた。
しかし、太平洋戦争以降、軍事放棄を守っているとされる日本では
軍隊をしめす言葉をつかわなくなっているからあまり使われなかった。
しかし、東京オリンピックでの空に五輪を描く航空機の隊列を指して
編隊と言われるようになっている。
まーーたった2機でも編隊っていうことに
航空機の戦闘力の畏敬、そして人間の武へのあこがれは
人間の本能ではないかって思ってしまうなあ。

2020-08-21

顕現

(神仏などが)はっきりした形をとって現れること。
この言葉霊験あらたかな存在にしか使えない。
オバケが顕現するとは言わない。
ある意味、宗教語に近いといえ、信仰心からそう見えるという表現に近い。
他人の信仰心を尊ぶのだが、その思いが強くて
こちらに強制を求める姿勢が見えるとちょっと引く。
「あそこに顕現しているわよ」
「見なさい、あの顕現の仕方を」
は、、、、心の声で叫んでほしいなーー

2020-08-20

設営

ある仕事をするための施設・建物を、前もって造り設けること。
その意味が抽象化して、会合や集まりなどの準備をすることになっている。
企画ものにおける設営能力こそその趣旨だと思う。
人間は表面的な企画そのものを評価したがるが
アイデア、思いつきなんてものは誰でも口にできると言いたい。
それをいかに現実化、そして他人の満足のいく形にするのかは
設営能力であり、企画とは別の能力だ。
企画人間を評価して、実現性のない結果、企画倒れになっても
責任を取らず、反省せずにまた企画を起こし、負債がたまる一方。
設営力を評価する、、段取りなどを評価する傾向は出てきているが
企画そのものの評価を特別視することを辞めない以上
全く意味がないのではって歴史的、経営観点でも断言できるものだ。

2020-08-19

放棄

投げ捨ててかえりみないこと。
自分の権利・資格などを捨てて行使しないこと
いや、責任逃避ではないかって思う。放棄活動。
ペットを段ボールに入れて泣きながら「いい人に拾われるのよ」
「こども食堂がないと困る」と訴える親。
お前たちの飼育、育児責任をどう考えている。
自分たちの自己責任を被害者ぶって話し、他力本願を口にするな。
「ペットを飼うな、ペットに子供を作らせるな」
「子供を産むな、無計画な生殖をするな」
いくら生活環境、社会問題を掲げても
自己責任で成り立って今があることを事実認識を放棄するな。

2020-08-18

甘辛

 甘くて辛い味。
味の複雑さを楽しむ味付けだということはわかっている。
しかし、僕個人としてはその味付けを好きになれない。
辛味、塩味はおかずとして
甘味は菓子、おやつという思いをもっていて
食事をしっかり味わうためには甘味をアクセントというよりも食事としては障害。
甘味を食後、間食のお供に感じている。
偏見であることはわかっている。
ただ、甘味、糖質の吸収は脳に影響するからこそ
取り方にこだわるのは、僕の才の根拠ゆえ、思の思いを改善するにはなれないな。

2020-08-17

手作

 自分、もしくは身の回りの人がわざわざ作ってくれること。
手作り料理論争とかなっている昨今。
親が子供のために料理することへの思い込みが激しい。
いろいろと言われているが、ちょっと待て。
古き良き、日本の商店街のお惣菜屋さん。
そこの料理を否定するのか?
そもそも、家内制手工業の町工場は家族みんなで働く、、いわば共働きの先駆け。
その状況で母親が料理することが難しいからお惣菜屋さんが
おかずを提供するする文化は昔からあり、それが連なるところが商店街になった。
手料理とかいうけど、汗水たらして工場を切り盛りする母親のかわりに
大鍋や焼き場で同じように汗水たらして料理してくれる総菜屋さんの料理で
育った人たちが今の日本の生産性を支えてきた。
別に母親の料理にこだわらなくてもいいはずだ。
それにその数々の労力を軽減することで、余暇時間と笑顔をくれている
現代経済を手料理にこだわり、逆行させる発想にバカらしさを感じるなあ。


2020-08-14

蝉声

 蝉の鳴き声。読みはセンセイ。
子供のころは当たり前だった蝉の鳴き声。
ふと、コンクリートの都会でも泣きまくっていることにあれ?って思った。
蝉は成虫になるまでは土の中で過ごしているので
コンクリートの土地ではどうやって出てきているのか?
仮に、緑地といっても最近の都市開発で人工的に作られた日の浅いの造園下では
すぐに根付いていないはずでは?
など、いろいろと思った。
しかし、最近思う。高層マンションのベランダに干からびている蝉の死骸を日々見る。
これは生殖できずに死んでいるのでは?
そうなると、この蝉は遠くから出てきてここで生き果てたので、
造園緑地に卵を産めていないのでは?
生態系は長期的に変わる。
これから数年、数十年後には蝉声はなくなるのでは?って。

2020-08-13

星座

天球を赤経・赤緯の線に沿った境界線で区切った領域。
まさに星の席次にあり、それは人生、人間の寿命レベルでは変化を把握できない。
ゆえに星座に意義を持たせる。
西洋では神話に、東洋では占いや統治根拠にと。
今では星座、、星の位置は地球からの一面的な観測ではなく
後年距離数や星の寿命まで計算できるようになっている。
星の有様をつまびらかにすることは果たして、
古来の意義持たせによる精神的拠り所にさせることより効果的なんだろうか?

2020-08-12

棕櫚

ヤシ目ヤシ科シュロ属の樹木の総称。
小さなヤシの木のようなもの。
日本においてこの樹木を植える理由は3つあった。
一つは日本にない南国気分の観賞用
一つは真っ直ぐ自立する適当な高さなので、防風用に
そして、最後にこの木の不燃性から、防火対策として。
植木にいろいろと意味を持たせる日本人。
それだけで実に効率的だったと思うのに、逆の西洋の効率化を狙うから
なんか相殺して悪く見えているのは僕だけか?



2020-08-11

過言

言いすぎること。
現代において、言いすぎると思うこと自体が失敗もしく負けである。
言いすぎることを反省することなく、
どんどん言い切っている人間ほど、
昇進や成功を自分の手に収めているのでは?
そして、言い過ぎだ、なんて言い方するんだって言う側は
結果的に負け犬として、文句を口にしているだけに成り下がっている。
過言であることはある意味、責任と決断を行っている。
そういうことで結果を出すことが命題になり
そのためにはどんなこともする。
そのどんなことに巻き込まれることになる人間が愚痴るが、
僕からすれば、その巻き込むまれることが嫌ならば
そちらも過言と思われる発言を行うべきだ。
それによっていろいろな結果が生まれるだろう。
その結果をずっと他人のせいにする負け犬の遠吠えより
過言のために、自己責任をとるほうがなんかその人が生きている証に感じるがね

2020-08-07

定礎

土台石をすえること。建物の工事を始めること。
街を歩いているとビルやマンションなど大きな建物の下にはよく、
この2文字が掘られていたり、書かれたプレートを目にする。
上記定義からすると
建物建造工事開始を意味するので
定礎の文字の周りにある年月日はそのはずなんだが
実際には竣工日、完成日だそうだ。
、、、、、こうやって意味が変えられていくから
日本語はおかしくなるのでは?

2020-08-06

定理

ある理論体系において、
その公理や定義をもとにして証明された命題で、それ以降の推論の前提となるもの。
いろいろな検討は定理が前提である。
先人がすでに行った定理を用いて新たな命題、、次の定理を導く。
定理とは人間の検討の歴史のようなもの。
そう考えると、定理そのものより、
定理をどうやって導いたのか過程(歴史)のほうが気になるのは、
僕の悪い癖なのかなあ。

2020-08-05

複雑

物事や性格がこみ入り、要素のからみ合いが入り組んでいること。
手続きが複雑になっている。
そのことにより、不正が出来なくなっているというが
むしろ、それが犯罪の温床になっていることに気づいているだろうか?
一般庶民は難しい手続きをどうにかして対応したいと思っている。
でも、自分には理解できない。
そこを付け狙って詐欺行為をする輩が増えている。
~オレオレ詐欺
~給付金詐欺
などは、司法、行政手続きがその詐欺の温床になっていることに
なぜ気づかないのか?
簡単にできるところに詐欺は生まれるわけがない。
そこに気づかずに、どうだって!公務員の考えるバカな手続きフローに
どれだけの犯罪が生まれていることか、、、

2020-08-04

代行

本人に代わって物事を行うこと。
代行サービスに対して、する/使うでいつも不満しかない。
ビジネスにおいて、代行サービスを行えば
明確に契約時に作業範囲をあげているのに
それ以外の作業を当然のように代行させることに
何も悪気ないどころか、契約に基づいてクレームをあげれば怒り出す。
逆に、代行サービスをお願いすれば
代行すると言いながら、できなかったけどお金をもらう
って平気で言い出す。

まじめに代行って行為でのビジネスは成立しないと考えている。
代行という行為より、結果を高値で売るアクションでないと
ビジネスを成り立たない社会であることを多くの人は自覚すべきだと強く感じる。

2020-08-03

彫刻

木、石、土、金属などを彫り刻んで、物の像を立体的に表すこと。
立体物を作り出す技法は
マニュファクチャ(手工業)のときは引き算
産業革命、量産になると足し算になった。

手工業では立体物を作るとき、
材料となる塊から削り出すこと、引き算でしか生まれないので
ロスや歩留まりが多い。
対して、大量生産を求めることになると
原料を流体化すさせて成型する足し算になるのでロスなく、均一化が進む。

芸術と工業は生産活動というポイントでは基本的に同じだったのだが、
生活必需品から美術品となったことで造形芸術が彫刻となったといる。

そう考えると、芸術って効率化と経済性と対峙する存在なんだなあ。





2020-07-31

感冒

体を急激に寒気にあてた際などに起こる呼吸器系の疾患の総称。
かぜ。風邪.
風邪薬=感冒薬
なんだが、なかなか使い分けが難しい。
というか、風邪の定義がないからこそ、こうなうなっている。
風邪と感冒、二つの言葉があるほうが悪いのかも。

2020-07-30

割勘

参加者の同等割にして代金を支払うことである。
僕からすれば、庶民の認識がひどい。
法の下の平等を口にするくせに
「年長者なのに、おごらない」
「普通、男が払うべきだ」
とか平気で言い出す。どこが平等だよ。
また、1円でも多く払ったほうが後日優位に話し出す。
たった、数円の違いなのに、、

基本、僕は割勘という概念を持たない。
会費ではないところは自分が出すようにしている。
それは経費で支払える以前からだ。
考えてほしい、割勘で金額を分配しところで
注文数、飲食料が同じということは絶対あり得ない。
だから、損得の感情をもって他人と割勘を行うことになる。
損得という考え方を持つからこそ、僕が支払いで思うのは
相手を優位に立たせないための支払い、イニシアティブをとるためで
人とて優しいとか、損をしているという概念ではない。
これに対して
「払わしてやっている」
という輩へは、
「器がちっさいなあ」
って言って言い返しても文句言われることはない、なら出せって言えるしね。


2020-07-29

過分

分に過ぎること。身分不相応。
自分に過分という表現を用いることを謙遜、謙虚となるが
他人に対して過分を用いることは、不遜、侮蔑になる事実。
日本語の敬語表現、尊敬語、謙譲語、丁寧語が難しいというが
根本的にどういうときにどう表現するかを理解せず
ただ言葉の暗記になっているから難しいのでは?
受験問題でいつも思うが
経験していない行動、表現についての知識を
子供に一時的に暗記させて合格とさせることが
社会人になって問題になっている事実になぜ理解できないのか、、
あえて言おう。
現代人は過分な扱いを受けすぎだ、と。

2020-07-28

過失

不注意でしでかす思わぬ過ち。
過失予防策を聞いて納得はするか許せない見解がある。
「過失をしないために自分ではしないこと、つまり誰かにやらせるべき」
という見解を若手にも教育している企業をが見受けられる。
建前上、効率的そして技能的としているが
本質は、無責任、そして、上米跳ねの精神でしかない。
これが現代社会の企業構造になっていることが
いろいろなところで問題になっている。
誰かの責任にしたい。したいという思いばかりで
次の展開に進まないバカらしさに気づかない企業が跋扈していることに
経済停滞を感じる。
重責を担う経験、緊張感からいろいろな革新が生まれることに
多くの現代日本人は理解できないんだろうな。
そこをうまく利用することがこれからのビジネスモデルではあるけどね。

2020-07-27

繊細

かぼそく優美なさま。
微妙で感じやすいこと。
これはもう間違った語用であろう。
正しくは、我儘である。である。
「あの人、繊細だから」
「繊細な神経の持ち主」
とは、ただ自分の思いを押しとおしたい現れを他人が遠回しに言っているだけ。
まーー言い換えれば、
繊細という表現を周りから使われるようになったという地位の現れ。
ある種の敬語表現に近い。
言葉の定義を正しくしていかないとならない。
これを理解しないから、また敬語問題論争になることも見え見えだね。

2020-07-22

中核

物事の中心にある重要な部分、、転じて組織の中心人物。
ただ思う。中核という人材に権力が与えられていない。
そして、中核と言われる社員はある意味、労奴的に扱われている。
この新しい生活様式において、中核者を労奴的に扱い
上がりを管理職が跳ねるビジネスモデルがいつまでも通じるのか?
そもそも、管理職そのもの仕事がAIの登場でなくなりつつあり
そのうえ、COVID禍で人材の最適化が進めば進むほど。
まーー、フリーオフィス、リモートワーク、クラウドマネージメントを
先だって行ってきた僕からすれば、
中核でないビジネスマンに価値を感じていないから
やっと、社会が追い付いてきたかのか、って思うばかり。

2020-07-21

鎮定

乱をしずめおさめること。乱が静まって世間が穏やかになること。
別に戦争、占領、侵略行為にだけに使われる言葉とは限らない。
買収した企業先に出向いて、不平分子に対処すること。
まとまりのない組織になっている人々を抑え込むこと。
これもまた鎮定である。
ここで考えてほしい。
鎮定されることは周囲からは懇願されて行われることだ。
しかし、鎮定される側は自分の自己表現、個人主義を行っているだけ。
つまり、鎮定させることは個人主義の否定を多数決で行う行為ともなる。
個人主義は鎮定されるものである。。この認識を持たない人間が多いなあ。

2020-07-20

豪華

ぜいたくで、はでなこと。
という辞書的な表現のため、日本人の貧乏性から抜け出せない。
逆に日本とことん貧乏性でいくべきなのに、
欧米に感化されたグローバル化に騙され貧富の差を作ろうとしてのに、
富めるものを批判することが正しい価値観を拭い去れない。

質素倹約では現代経済は回らない。
金を稼ぐことを認めることは社会正義である。
そうしないと経済が回らない。
豪華であることは贅沢、、実際の生活が必要とする以上の、分に過ぎた消費ではない。
その分社会に富を還元をしているというべきだ。
そうやって、富める者が使うことを推奨することで貨幣流動性が生じるし
そのうえ、あういう富める人になって豪華に生きようと庶民に
目標設定することが社会活性化である。

安いものをありがたる価値観を根本から批判する覚悟なき日本は
この先、経済活性化は難しいだろうな。
いいものをどんどん高くすることはそう悪いことではない。
日本の物価水準が高くなれば、外国製品、原料を相対的に安く買える
円高によるビジネスモデルも活発化するだろうに。

2020-07-17

雲霞

雲と霞 (かすみ) 。転じて 大勢の人が群がり集まるたとえ。
大勢の人が集まること、、、これがまた起きることはいつなのか?
もう過去の事実になるのか?
社会の価値観が変わるってこういうことなのか?
言葉と一緒に行動も廃れることを目の当たりにするとなんか思う。

2020-07-16

錯簡

とじ違いなどによって、
書物の紙の順序が狂って、誤っていること。
また、文字・文章などが乱れていること。

ステーブル(ホッチ○スは商品名)での綴じ方でそうなった場合
「錯簡しているよ」
って通じないんだろうな。
難しい言葉を使うことが
旧来の日本では、知的として憧れから
現日本では、コミュニケーションの取れない人
と扱われるようになっている。
これは、
コモディティー化なのか?
社会全体の無能化なのか?
僕は後者に感じてならないが、、

2020-07-15

心証

心に受ける印象
法律上では裁判官が訴訟事件の審理において、
事実認定について心の中に得た確信または認識。
とても非科学的なものなのに、人々を納得させるイメージを持っている。
心証、情に訴える。
これを許すと、、ある意味演技力と物語創作力があれば
事実を捻じ曲げられるのでは?
少なくても僕はそう動くべきと思うがね。

2020-07-14

投銭

大道芸やストリートミュージシャンのような、
何らかのパフォーマンスをする人への称賛を兼ねた
少額の金銭の投げ入れを行う行為の事

でもこれからは投げ銭=投資、購買に進化すると思う。
個人の価値観が認められすぎて、汎用的な供給では購買にならず
カスタマイズされた供給を見出すこと、準備ができない。
対して、物流改革、インターネットの普及、フィンテックなど金融の多様化で
メーカーとコンシューマーの接点が近づいた。
それゆえ、広告宣伝をマスメディアに行っていないメーカーでも
販路を広く設けることができるようになってきた。

欲しい人が欲しいものを探せる
作りたい人が自分のつくりたいものを表現できる
欲しいものと作りたいものが噛み合ったら、
それを生み出すため、もっといいものを生み出してほしいから
投げ銭を行うことが電子マネー、キャッシュレスでできる環境になっている。

これからは売る、買うから
応援を受けて、応援者にこたえたものを作る時代に、、、、あれ?
これってルネッサンス時代のパトロン制度では?
時代はやはり流転するなあ。


2020-07-13

一人

人数が1であること。一個の人。
最近まで独りぼっちって侮蔑することばであったが、
COVID蔓延以降は、その状態がよしとされる。
集団社会という人間社会で能力主義って言っていることから
結局的には単独化する、群れ活動の放棄を意味していた。
それが曖昧になっていたので、神罰的にCOVIDが出てきたのでは?
って信仰論で言いたくなる。
人間は社会的動物というが、群れではないとか言い出したりする。
実際問題、群れ社会における生まれながらの役割がなく
自由に選べることから、すでに個々人の単独生活が前提なのでは?
だって、役割を果たさなくて、役割不足でも生きていけるなんて群れではないので。

2020-07-10

縁者

身寄りの者。親類。
どこまでが縁者なのか?
何親等まで?血はつながっていないが血族の伴侶は?
いろいろと思う。
しかし、最近の思うのは血のつながりってどうなんだろう。
絆とか言いながら、結局は一番近くの他人であったり、
遺産を取り合う最大の敵になっていたりする。
「血は水よりも濃い」
というが、その濃さは因縁の濃さではないかって思うばかり。

2020-07-09

余剰

必要量を越えた余り。
ただ思う。それが余剰になる前提でそろえていない。
余剰在庫
余剰人員
と言われるが、もともとは必要の前提で揃えられたのだが、
結果が余剰になっている。
ある意味、余剰と言われる対象の責任ではなく
そこに揃えた責任者の無能さなのだが
それを言及せずに、余剰側を敵視するのはいかかがなものか。

2020-07-08

窮地

追い詰められ、のがれようもない、苦しい立場。
窮地こそビジネスの有様と思うことがある。
そこでどうするか、そこを超えたら、、なんて思い苦しむことが
生を感じる、仕事をしているということではないだろうか?
刺激がなく無責任で窮地を意識しないことを生きていると言えるのか?
<武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり>
まさにここに気持ちが至る。

2020-07-07

奇術

間の錯覚や思い込みを利用し、実際には合理的な原理を用い
てあたかも「実現不可能なこと」が起きているかのように見せかける芸能。
英語ではmagic、日本語では奇術、手品、手妻、、、魔術とは呼ばない。
科学的に立証できない奇妙なものをmagic と呼ぶのが西洋的な発想。
日本は科学という概念が薄いこと、、そして魔術は悪意認識が強い。
奇をてらう、、という言葉から、人の思い込みに反する行為が奇であれば
手品に変わらず、多くの行為が奇術かもしれない。
ただ、芸能といわれると手品以上の奇術はむずかしいけどね。

2020-07-06

再演

同じ芝居などをもう一度上演すること。
作品のリメイクが多くなっている。
リメイクは再演なのか、新規作品なのかなど論争があるが、、
この論争は今に始まったことではない。
和歌の世界の本歌取りなんてものはその始まりのようなもので
歌舞伎や狂言、落語の名作、定番もそれにあたる。
時をかけて、同じ内容を行うが
それまでの固定概念や過去の価値観が現代社会とは異なることや
現在の生活様式と差で同じとなっていると限らない。
確かに昨年の舞台を今年も行う再演もあるが
その場合、演者や関係者も昨年一年間でえたノウハウなどを
反映せずに行うことはまずないだろう。
なので、再演は再演にあらず、、と言えるなあ。

2020-07-03

株価

当該の株式に関して株式市場において実際に約定があった価格のこと。出来値。
その企業の社会的価値とされるが、どうも恣意的に感じる。
マスコミと政治にいいように利用されている数字遊戯、マネーゲームに。
だって、アメリカの企業の時価総額って一瞬でマイナスになる企業もある。
中国の企業がいきなりアメリカ市場から徹底させられる。
社会的価値ってそう簡単に変えられていいものだろうか?

2020-07-02

無念

くやしくてたまらないこと。
あれ?
念が無いのに、悔しい?
なんか漢字の表記と意味が逆なような。
日本語ではよくあること。
近年では、ヤバいかな?
やばいは、もともとあやぶい、危険の意味だったが
強調表現になり、今では、最高にいいという意味で使う。
使われるうちに、意味が逆転してしまうのは、、
言語習得者には好ましくない用例だけどね。

2020-07-01

切取

一部を切り取ること。
区切ってその部分を焦点にあてること。

煽り運転が法規制された。
しかし、それは事実の切り取り方で
被害者と加害者を逆転させる悪法になりやすい。

自動車でも歩いていても
自分中心で危険運転、ぶつかり歩行をしていて
他人に迷惑をかけていることに自覚がない人。
そういう人に良心、公序良俗から
注意を促す行為が、、煽りとみなされることになる。
迷惑なほうが正しいとみなしていいのか??
そうすれば、ますます人間は悪化する。

どうも、21世紀の法が悪法ばかりに感じるのは
僕の中にテロリズム精神があるからなのか、、

2020-06-29

奨励

ある事柄を、よいこととして、それをするように人に強く勧めること。
国家、政府が奨励し、それに基づいて動くことで経済が回る。
確かにその方向に支援金や規制緩和がされることが多い。
しかし、その流れに乗り続けると、、結構失敗をしてしまう。
バブル、オリンピック特需、どれだけの企業がそれで傷ついたか。
今回のVOVIDに対する景気対策に乗ることは、、
僕からすれば結構のリスクだし、その支援を受けたことが後々
負債につながることがどうしても天眼で色濃くイメージが見えてしまう。

2020-06-26

僉議

多人数で評議すること。また、その評議。衆議。
多くの人が納得する=正しいというのはいかがなものか?
富は一部の人間に集中しているということから
みんなが納得したところで得られるものはたかが知れている。
民意、合議というには正しさより、
無責任さしか呼ばないことにそろそろ気づくかな?
COVIDで他人との距離をとることは物理的以上に
精神的な距離感は同意、協調をなくしていくことになるので。

2020-06-25

診断

医者が患者を診察して病状を判断すること。
転じて、物事に欠陥があるかどうかを調べて判断すること。
診断をすることの背景には、それ以降にもっと大きな儲け話がある前提
いわゆる営業活動である。
医療行為にそういう表現をするのか?!冒涜だ!
って言う人がいるが、僕からすれば医療もただのビジネスでしかない。
あるビジネスを特殊、敬うこと自体が差別、ハラスメントに感じる。
どんな仕事でも相手に利益を与えて、対価を得るものは同じはずなのに。
診断を営業行為以外何物でもないことをわからない、理解できないから
この異常な国民皆保険や税負担もありながら、医療倒産というおかしなことが起きる。
そこがおかしいって医療業界自身に’メス’をいれないのか?

2020-06-24

虚業

堅実でない方面の事業。
モノ、コトが見ずらいビジネスと意味は転化されている。
生産活動、肉体労働でないものを虚業と言ったりするが
生産を人自ら行うことを非効率、非衛生、というこの時代。
虚業というものこそ、実業ではないだろうか?
とりわけ、DXを促進するということは業務の虚業化するのだが、
虚業という概念を真に受ける人ほどビジネスを理解していないのでは?

2020-06-23

啖呵

鋭くて歯切れのよい言葉。
啖呵を切るとは、鋭く相手をやっつける言葉をはくことをいう。
啖呵の啖の時はタンと読むので、間違えてしまうのが痰である。
啖は食らわすの意味
呵は発するの意味
まさに口撃という意味である。
思うに日本語で啖呵を切ることはもはや現代社会では難しい。
外来語、カタカナ言葉で啖呵を切るのはなんか、、って思ってしまう。
歯切れのいい日本語って結構難しいものだなあ。

2020-06-22

復旧

いたんだりこわれたりしたもの等を、もとどおりにすること。
また、その結果、もとどおりになること。
何か異常なことが起き、それを元に戻すことことになるのだが、
この異常を起こしていない人が復旧活動をしているのに
その人に向かって
「どうしてこうなったの!」
「責任をとって」
と言い出す輩がやたら多い。
復旧の副次として、原因究明があるかもしれないが
そこよりもまずは元に戻すことが重要でその活動を邪魔する説明責任を
復旧者に求めるのはいかがなものだろうか?
火事を出した家の者が消防士に向かって
「どうして火事になったの!」
「早く消してよ、責任取ってよ」
というのは、気が動転している以前に
その行動自体でもう犯罪者扱いにすべきと言える。
家に対しての善管注意義務違反でもあるのだから。

2020-06-19

古参

ふるくから仕えていること。そういう人。
ずっと以前からその職にいること。
古参である以上、
長く関わっているのでノウハウが溜まっているはずである。
終身雇用ではそれが成り立っていたとみなされ、付加価値となっていた。
個人能力主義で古参であることにすでに価値はない。
古参となるまで関わっているのであれば、
得られる機会を意識しないまま、
のうのうと日々を過ごさないようにしないと。

2020-06-18

筋力

筋肉を働かせて出す力。
日本語の体力って英語に訳しづらい。
文脈から
力強さは、strength
持続力は、vitality
となるのだが、両方とも、体力があると表現をしているからだ。
体力=筋力になっていること
力強い人は持続力もあるというべき論の大まかな認識が
日本文化だったような気がする。
これをどんどん細かくしていくことで欧米化の価値観に傾倒するのも
いかがなものかって思う気持ちもあるがね。

2020-06-17

出納

出し入れ。支出と収入。
でも、この文字を覚えるタイミングはお金のことではなく
「すいとう」という読みが問われる、高校受験のときといえる。
試験問題は例外用例を求めることが多い。
しかし、実際の社会において例外用例は効率化の名のもとに
無くすほうに傾くことが多い。
例外的な運用をフォーカスする受験問題ってどうなんだろう。

2020-06-16

出稿

原稿を印刷所などに出すこと、、、
いや、最近では新聞・雑誌・テレビ・ウェブサイトなどに広告を出すことかな。
マスメディアといわれる世界に出稿して、宣伝効果を狙う。
もはや、過去のマーケティングとなりつつある。
みんなに知られる、誰もが買ってくれる。
そんなことありえない。
特定の上客に満足してもらう高付加価値なサービスを提供することが
現代市場ではセオリーだ。
みんな知っていても買ってくれないのであれば
どんどん値切る買い方をされては出稿コストもままならない。

出稿するに値しないマスメディア。
存在意義を考え直さなくてはならないのでは?

2020-06-15

小括

総括に対して全体の内のある部分についてとりまとめて締めくくること。
結論を急ぐ現代人
しかし、その結論について説明責任を求めてくるのもまた現代。
その説明を総括でしてしまうと、予備知識のない聞き手が納得しないことが多い。
力関係があれば、わからないほうが悪いって言いきれる。
もし言い入れるなら、説明責任などないはずなのでは?
ということは、基本、総括レベルでは納得しない聞き手、受け入れ先が多いといえる。
では長い説明文を用意して、それを読み上げたり
分厚いマニュアルを提示すべきか?
そうすれば、ますます聞き手は不快になるだろう。
説明責任とは、、、、ようはわかった感、興味を示すことまですればいい。
だから、総括より一つ階層を下げた小括を手元に持っておけばいい。
その小括の説明で納得が得られればよし、
それでももっと知りたいのであれば、それ以上は自己責任で
説明文、マニュアルを読む必要があり、
読む以上を受け入れることを交換条件にすればいい。
交換条件に従わず、説明をもっと求め納得しないと
契約しないというパターンがある?
そういう輩は契約しても、クレームや抗弁を使ってくるので
割に合わないのだから、早々に見切りをつけることもビジネスではないだろうか!

2020-06-12

色褪

色が薄くなる。色のつやがなくなる。
褪せる理由は日光による日焼け、時間による経年劣化、風化などいろいろある。
ある意味共通するのは、
何も手入れを行わない、
状況に合わせたメンテナンスをしていない
ということだと思う。
これは人間の内外面も同じか、、、
ゆえに、人にも色褪せるって表現を使うからね。

2020-06-11

悪習

悪い習慣。悪弊。
どこをもって悪習となるのか?
他人を不快にさせる?
・体臭が臭い
・高級な香水をまとう
どっちも他人を不快にさせているのに
香水の香りを不快と思う方が悪習とみなされる。
・他人の意見を聞かない傾向がある
・集中しすぎて周りが見えなくなる
どっちも同じなのに、他人の意見を聞かないことを悪習とされる。
何をもって悪なのか、考えれば考えるほど、他人をどんどん悪とみなすようになるのでは?

2020-06-10

公務

公の職務。
公務員って難しい公務員試験に受かったのに
なぜこんなに仕事が出来ない人ばかりなのか?
民間ではあのレベルであれば、派遣契約を延長してもらえない程度だ。
無駄に権力をもった無能って社会悪でしかないなあ。

2020-06-09

在証

アリバイ。
自分が現場にいなかった、別のところに存在していた証明。
このアリバイは他人の見聞が有効とされていたが、
昨今の引きこもり、、在宅勤務。
これにより、ほぼアリバイを立証できない。
身内には立証能力がないだけに、、、
これでますます人間は猜疑心の中心に向かっていくんだろうな。
他人を見たら、犯罪者と思え。
触れるな、関わるな、が今の理想的な価値観となったので。

2020-06-08

堅実

てがたく、確実なこと。しっかりしていて、あぶなげがないこと。
って言うが堅実であることを堅実に立証できないではないか!
立証ではなく結果として堅実な行動をしていたとみなされるだけだ。
未来は不確かなので、そこに対しては堅実ということは
統計的、確率論で判断していることであり、そこで予想外、大穴がでたとき
堅実な行動をしていた人は、堅実と評価されず、
そもそも論や人間性を否定されることが多い。
堅実であることとは他人の結果を無難に評価する安易な言葉だこと。

2020-06-05

無効

法律行為や意思表示があったものの、
その有効要件を満たさないため最初から効果を生じない状態
現代社会において、無効という言葉がかなり有効になっている。
「そんなの自分には無効だ」
「すべて無効になっている」
と自分の意見を通すために他人の権利批判を無効という表現を使いたがる。
権能を得るために、偉くなりたいということが
今までの人間のモチベーションだったが、こういう自己主張による
無効が有効活用されると何をやってもダメな気がする。
社会が権利への徳政令が出ているようでは
人間は何も行動しなくなることが明白だ。
何か生きる目的を失いつつあるようなリスクを感じる。

2020-06-04

治者

国を治める者。統治者。主権者。
民主主義では選挙で選ばれた政治家となっている。
そもそも選挙というモノを愚行と思っている僕からすれば
選挙で選ばれた人が治者であることに納得性はない。
治世が成り立っていないという思いがある。

現に今の政治家に被治者たる国民が平気で
「庶民感覚がない」
と言いながら
「国を預かる発想で政治をしているのか」
と矛盾した批判が多すぎる。

治者は治者であって被治者は従うものである。
それが成り立っていないところに治世があるのだろうか?
企業のガバナンスを見ていると
全く民主主義ではないが社内治世を行う意図が明確なだけに
現世界の国家運営は、、

2020-06-03

旬刊

十日ごとに刊行すること。そういう刊行のしかたの雑誌・新聞。
上旬、中旬、下旬だからである。
!!食材の旬の旬の時は同じ。
ということは、旬って10日間ってことか!
些細なことだけど、こういうことで言葉の定義する範囲が分かったりするんだね。

2020-06-02

事物

ものごと。
??
物事、、、事物が同じ意味。
となるとこれは異音同義の言葉になってしまう。
言葉、言語で重要なのは表記、音声で
共通認識を瞬時で持てることが求められる。
こういうあいまいな表現があると使いづらい言語に感じてしまう。
美しい日本語という古語礼賛より
使い勝手のいい日本語への改革を進める活動はないのかねえ。

2020-06-01

団欒

集まってなごやかに楽しむこと。
親しみある楽しい集まり。
これからの社会では物理的団欒はなくなるんだろうな。
今はCIVIDだが、今後は準ずる新型インフルエンザ、新ウィルスなどに
警戒が当然となり、人は人を遠ざける。
団欒は進化した動物の生態であるが、
あれ?団欒が一時的に成り立つ、、つまり生殖と子育てだけで
それ以外は他の同種を警戒するって
野生の動物と変わらないのでは?
これこそ、地球規模の自然淘汰なのか?

2020-05-29

端緒

物事が始まる、または解決するいとぐち。手がかり。
何事も端緒、、始点があるはずなのだが
その始点を明確にできないとみなすことが多い。
因果応報ではないが、始点が何かの成功の結果から始まっていたり
複雑な組みあわせの結果だとどこが始点とも言いづらい。
まして、責任論になると自分に責任をない立証をするために
作り上げる論理はますます問題を複雑にさせる。
「なぜここでこんなことをしているのか」
「なぜこういう指示をだしたのか」
「指示を出す人がなぜこの権限者なのか」
「こんな人をなぜ権限者にしたのか」
「誰が彼を採用したのか」
「そもそもこんな作業をしている会社が必要なのか」
と存在否定まで言い出す始末になる。
全くもってなんなだろうこの無責任社会は。

2020-05-28

指南

教え導くこと。教授。指導。
なんで、南?
語源は黄帝の指南車、霧に隠れる蚩尤を討伐する軍隊の統制をとるために
常に南を示す車に基づく指示で行ったから。
的確な指示を出す、指南車から転じて今の意味になっている。
しかし、その指示や指導がハラスメントなどで適切にできなくなっているし
そもそも集団行動をすることがCOVIDでなくなる新しい生活様式。
他人から指南を受けるという概念すらなくなり
そして、指南という言葉もなくなるんだろうな。

2020-05-27

私語

黙っているべき情況の中で小声で話をすること。
授業中「私語を慎みなさい」
と注意される生徒。いや生徒たち。
生徒同士が近くにいるから私語が発生し、他の生徒への妨げになる。
今はオンライン授業に変わりつつある。
近くに生徒がいないのだから、私語はなくなる。
確かに授業中にSNSをする輩はいるだろうが、それは勝手にやっていて
別の生徒の受講の妨げにはならないという利点はある。
そう考えると、登校して授業を受けるリスクはないから
オンラインにすべきだ。

そして、悟ったのだが、学校に行きたいと騒ぐ輩は
授業などの学びではなく、ただ他人と話したいだけ。
受講を目的として学びとは目的が違うのである。
他人と話すことが社会性であるという幻想から
今回のCOVIDで気づいていない輩を隔離、絶滅させることが
長い目で見た将来性に寄与するという事実に人間は気づけるかな?

2020-05-26

思出

思い出す。
コンピュータ的に考えると主記憶領域にないけど補助記憶媒体にある状態。
当人の頭の中ではすっかり忘れていたことで
何かの契機で脳内の補助記憶から呼び出せること。

情報化社会は人の主記憶の容量を超える情報が飛び交い、
いきなり話しかけられてもその内容がわからないことがなくはない。
主記憶には自信がある僕とてそういうことが起きるようになっている。
だからこそ、会話において、それを悟らせまいとして
いろいろと探りをいれることが、大人のマナー、礼儀だと思うが、、
最近の社会人は自分が忘れていることに対して
「知らない」と言い出した後に、思い出した時に平気で
「そんなこと知っているよ」と言い出すのは、
その人が礼儀、恥じらいを主記憶から外しているから?!

2020-05-25

良品

良い品物。
とても抽象的、曖昧な表現である。
基本、主観的、、つまり自分にとっての良品でしかないのだが、
インフルエンサーに影響を受けやすい現代社会では
インフルエンサーに言われるとそれが良いもの、良品と思ってしまう。
インフルエンサーという言葉は最近の言葉だが
その存在は昔からあった。
芸能人、腕の立つ職人、名バイヤーなどが
自分の価値観でそのユースケースを説明すると良品としてその商品が売れていた。
今もSNSでユースケースの共感で、、、
うん?良品は品物がいいのではなく、その使い方、所作というライフスタイルに
憧れ、その行動がとれるということ。物の性能の良しあしは関係ないのか?!

2020-05-22

恭順

つつしみの態度で従うこと。
相手にひれ伏している状態。
僕からすれば、ガバナンスという意味では重要なことなのに
それを高圧的、ハラスメントに通じるととらえる現代価値観。
恭順の順は順番、順序のように立ち位置を決める意味であり
立ち位置を決めてそれの役割を果たすことが秩序なのだが
なんか現代社会は恭順に基づいた秩序で成り立っているのだが
ハラスメントはそれを否定していてことは社会崩壊の一歩にしか感じないなあ。

2020-05-21

裏方


舞台の裏側で働く人。表立たず、陰で実質的な仕事を引き受け、すすめる人。
表方の反対語であり、地味なイメージがある。
それゆえ、この個人主義、能力主義になっているこの社会では矛盾を感じる。
裏方である必要があるから、表方が活きているのだが、
評価を表方にしたがる能力評価になっているゆえ、裏方が報われない。
それゆえ、個人主義ゆえに裏方をしたがらないものが多くなり
表方の質がどんどん落ちている。
こういう社会的劣化に気づかずに
「昔のほうが質が良かった」なんていうのはどうだろうか?

2020-05-20

海苔

食用とする藻類の総称。
日本人なら誰でも知っている食材と言える。
では幅海苔って知っているか?
現在ではなかなか聞かない海苔といえる。
千葉ではよく食べられていた、お雑煮にかける海苔で
今の青海苔の地位ともいえる。
今から50年前は現在のような食料物流が発達していなく
地元の食材しか食べられないものが多かった。
逆に流通しているものは流通コストで高かった。

未就学児時代、
祖父と食事するとき
祖父は初孫である自分にパリッとする高級板海苔を与え
自分はボロボロのような見た目の幅海苔を食べていた。
「じいちゃんはこっちの海苔でいいから」
と言って。
祖父が他界してもう何年になるだろうか?
母と祖父を偲んで、雑煮に幅海苔でも入れて食べようと思ったら
正月でいいものは7000円もした。
相当な高級食材になっていた。
流通コストが劇的に安価になったこと
市場受けがしないので生産者がいなくなったことで
幅海苔の供給と需要が逆転してしまったようだ。

これはバカ貝と言われたアオヤギ、丸々とした鰯もそうで、
昔の高級食材は今の常備惣菜
昔の庶民の味ほど、今では高級食材
ということが多く見受けられる。



2020-05-19

建造

建物・船など大きな構造物をつくること。
最近では解釈が変わってきて
ピラミッドを強制労働で作らせたという表現は消えてきたが
未だに奴隷に王が作らせたっていう見解を持っている人もいるだろう。
そうしないと、あんな建造物を土木建築機械がない時代に作れるわけがないから
という思い込みで。
それって価値観の違いかつおよび庶民発想でしかない。
建造は公共事業であることが多く、建てることより建てることによる雇用が重要だ。
雇用があれば、仕事がない時期に仕事と収入を発生させられる。
それを行い経済を回し、犯罪を実行させる機会を減らすことができる。
こういう発想で大型建造が行われて、強制労働ではない。
逆に強制労働だとモチベーションの問題でそう大きな成果にはつながらないだろう。
でも後世の庶民は自分の価値感で強制させられてと思い込む。
ピラミッドだと古代過ぎてイメージできないから近代で話そう。
前の東京オリンピック、
国立競技場の建設は大型公共事業であり、
今のような最新建築技術はないなか作り上げた。
土日休日一日8時間なんて今の基準はなく24時間交代制、
労災なんてなく、ただひたすらに工事を進めた。
完成直前のゆく年くる年の生放送中に現場監督にアナウンサーが話しかけた
「こんなときも頑張っているみなさんに家族もお喜びでしょう」
という発言は称賛されていた。
今では全く逆の評価になるだろうが、
その時の価値観で公共事業、建造は行われることを物語る証拠ともいえよう。

2020-05-18

接収

国家など公権力が所有物を取り上げること。
民主主義において個人財産の保証は必須とされてきた。
僕からすればそれは過去形で構わないと考える。
シェリング、サブスクリプションで個々人がモノを所有、占有することへの
価値、執着がなくなりつつある。
逆に持っていることがリスクになる考え方がこれからの社会に考える。
持っているからこその接収リスク、
物を取り上げられるより、
取り上げられるという事象を起こした社会信頼の低下のほうが
大きなリスクなっている時代なおんだから。

2020-05-15

躍起

なんて読むか?
やっき
躍起になって、、、つまり、ムキになるということ。
漢字はおどりおきるというなんかポジティブな意味に見えるが
躍起になるというときはシリアス、ネガティブに感じるのは
現代で意味が変わったからか?
言葉、語彙に正解はないのに、、、
現代文では思い込み採点をするのは、、なんかおかしく感じる。

2020-05-14

屋号

一門・一家の特徴を基に家に付けられる称号。
現代社会、屋号を名乗ることはない、、、とは言えない。
例えば、父方の親族の集まりに参加した場合、
苗字に呼び合うだろうか?現民法では同じ苗字になるのでなかなか識別しづらい。
だから、住所で呼び合うことになったりするだろう。
千葉の
博多の
琵琶湖の
なんて、耳にしないか?
それが屋号であり、
昔は地名も戸籍も統一されていないから独特な屋号があった。
ある意味、アドレス単位で人を把握していた。
今のメールアドレス、ハンドルネームもある意味、屋号の一種化も。。
とはいえ、屋号も汎化すれば、、公になる藤原摂関家を軸にした屋号が
藤原邸の左にいた  佐藤
藤原邸の門番    衛藤
藤原邸の近くに   近藤
と多くの藤の性の発祥は、屋号が昇華したものだから、
今後、、、メールアドレス、、ハンドルネームも性の代わりになるのかな??


2020-05-13

難問

解答・解決のむずかしい問い・問題
あれ?
難題とどう違うの?って思ってしまう。
ある説明では
お題があるのが、難題「この件で一言」
内容を問うのが、難問「この件をどうするか」
とのこと。
、、、よくわからん。
難問、難題の定義こそ、難しい問題だ。

2020-05-12

襤縷

読めますか?襤縷、、、読みは、、、ボロ。
♪襤褸を着てても心は錦♪
逆に、、錦ってどういう意味かイメージできますか?
読めない襤褸と
イメージできない錦
に現代日本人の共通概念の希薄を悟ってしまう。

ちなみに錦は二色の音から錦、
単色ではない複数の色糸で編まれた織物のこと。
色合い、光沢、縫製がしっかりしているものが錦、
対して、色あせ、ほつれ、綻びがあるものが襤褸ということ。
まー、現代社会の人間関係などすべて襤褸と呼ばれても仕方ないものだな。

2020-05-11

自粛

自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと。
この言葉もボランティア(自発行為)と同じで自己満足な意味になっている。
自粛は自分に向けて行う行為。
それを他人に強要させているのが日本社会。
~自粛せよ
~ボランティアに協力してください
って意味が分からないが、当然と思うようになっている日本に怖さを感じる。

2020-05-08

早生

早生まれ、1月~3月に生まれた人のことを指す。
4月開始の日本の制度制度前提での考え方であり
9月スタートの学校開始の議論でこの言葉も変わるのか?
それ以前に、、なぜ早生まれっていうのか?
ちょっと振り返ってほしい。
早生まれの同級生って、同じ年とされるが、西暦的に一年遅く生まれた者たちであり、
同級生たちの中では遅生まれではないのか?
この言葉、そもそも問題だったのでは?

2020-05-07

他為

他人のため。
はっきり言えば、
他人のためという発想はこれからの社会では不要、いや批判される。
他人のためと思っていて行動しても相手側が自分中心な考え方だと
当然と思っていることになり、こっちの思いが通じない。
通じないって思いもまた自分中心であり、、この連鎖が永遠に続く。
これからの社会はsocial distance という言葉から
人と接しないことが求められることと、他人に無関心、むしろ
画面上の存在、ゲームで言えば、NPCと同じ、、
自分以外はどうでもよくなるだろう。
こんな社会で他人のためと思うことが自損につながるということを
理解しておく必要がある。
偽善者がその自損を褒めても、支援や援助を一切しないそれが現実だ。

2020-05-01

特番

特別番組。
ラジオ、テレビの放送枠で定例と異なる放送を流す企画であるが、
現時点のCOVID禍の以前から既存メディアの衰退が激しく
特別といいながら、新たな企画ではなくアーカイブス
つまり、過去作品の再編集を流していることが多い。
表題的には
「リクエストの多かったあのシーンを」
と言い出すが、既存メディアは双方向ではないのでそのリクエストの根拠はなく、
ただ自分たち制作サイドの思い込みという手抜きなチョイスである。
こういう過去にすがりだすことを始めると衰退がより加速する。
特別番組と銘打ち、あたかもすごいと思わせて名前負けの発想は
双方向メディアの台頭、一般人投稿が簡単なインフラの今では通じないことに
気づけないんだろうな。

2020-04-30

途端

ちょうどその時。はずみ。ひょうし。
前提動作に合わせるように、、それが意図、自発かどうかは別にして
前提動作に呼応動きが発生すること。
ビジネスにおいて、途端ということが非常に喜ばれる。
相手の動きに合わせて時間をおかずにリアクションをすること。
現代人はそのリアクションが遅く怒られることが多いが
僕の場合、そのリアクションがあまりにも早すぎて、場合によっては
先行して結果を出してしまうのでそれがまた蛇足になり怒られる。
ジャストのタイミングとは途端であり、
その途端に合わせて提供するための準備をしておくことが重要とは当然と思うが
リアクティブな現代人は言われない動けない、言われても動けないことに
緊張感や危機意識がないのはどうだろうか?

2020-04-28

勃興

急に勢力を得て盛んになること。
勃興する企業を予測できるわけがない。
もし予想出来たら、勃興といわれることはないからだ。
基本、勃興が起きるのは超経済的な人類不安の後と言える。
災害、戦争、テロなど、経済循環の過程というより
現社会秩序の崩壊が成り立ってからだといえる。
考えようによっては勃興する企業は既得権益者からすれば
認めづらい存在でしかないが、それが社会構造改革でもあり、
考えようによってはそれが人間への自然淘汰の一環かもしれない。

2020-04-27

必需

それがないと困ること。必ず要(い)ること。
本当に必要なのだろうか?
それこそ、自分たちの自己アピール、、付加価値の立証になっていないか?!
一昔前における、新聞定期配達の軽減税率。
なぜ新聞が軽減税率、生活必需なのか?
それはそうロビー活動したからである。
最近ではCOVID下でのホームセンターでの家具
「衣食住の一つ、住だから」と胸を張るが
食である飲食業は自粛しているのに、、、

必需というは欲しい側げはなく、供給側の思いと政治力で決まっているのが
日本なんだろうな。



2020-04-24

非触

触れないこと。
今、、いやこれからの対人は基本こうなるだろう。
人間は基本、他人に触れることは許されない。
暴力に始まり、
痛みを伴わない接触も精神的なものとして痴漢行為になり
当人ではなく接触されたことの不快の思い込みが優先されるハラスメントになり、
そして今は病気問題から、、、

昭和のときに
子供たちはいじめで
<名前>菌
と言っていたことがいじめの社会問題だったはずが
それが今、社会として当然になりつつある。

この先、
吐息がかかるだけでも問題になる社会になることも
天眼できる。

これって、、人類の崩壊につながらない?
非接触では生殖もままならない。
この時期に妊娠したら後日批判されるんだろうな。
丙午の子のように。
これで人間が内圧的に崩壊するんだろうな。

2020-04-23

販路

商品を売りさばく方面。
商品自体は同じでも販路を広げる変えることで事業は変わっていく。
法人、企業向けに売っていた商品を
家庭用、小売りにすることは大きな販路の拡大だ。
販路拡大は必ずしもメリットばかりではない。
確かにメリットとして
~業務用という実績が家庭向けにはブランドになる
~今までにない爆発的な供給が生まれる
もあるが
~個配にするための物流、梱包コストが高まる
~見えない客からのクレームで今までの実績が失墜しかねない
こともあり得る。
販路について、簡単に拡大を狙うのは
難しいことを前提しないでチャレンジというのはいかがなものか?

2020-04-22

煩悩

心身にまといつき心をかきみだす、一切の妄念・欲望。
道徳の観点から煩悩にはマイナスのイメージがある。
しかし、僕の価値観から煩悩こそ経済活動の原点であり
煩悩のない社会はある意味、極楽、そう人として生きる価値のないところと感じる。
人の煩悩をどれだけ刺激して支出を促し、経済循環させるか?
それが現代人の性である。
輪廻させるは六道ではなくバリューチェーン
数年後に僕のこの言葉が価値をもつとここに記しておく。

2020-04-21

払底

入れ物の底まではたいて出し切ったように、
必要なものが非常に乏しくなっていること。品切れ。
現代社会は平時ではモノがあふれている飽和状態だった現代。
しかし、ちょっとでも歯車が狂うと払底になりやすい。
効率化、過剰在庫抑止がこの状況を招いている。
ただ、日ごろから救急時対応を意識したという発言が出るが、
もしかしたらは、コストでしかないことは
平時に戻るとまた騒ぐので、払底させることが
ある意味、経済的、社会的、、いや自然に必要なことだと僕は感じる。

2020-04-20

針鼠

言わずと知れたとげとげの動物。
ハリネズミのジレンマというメタファーを知っているか?
調べると意味合いがいろいろと違い解釈になっている。
まず一例として
傷つけ合うことを恐れて距離を置くと、
今度は疎遠になりすぎて仲良くなることができないという意味
対して、別の例では
いくら親密になろうとしても、互いに傷つけ合うことになるのだから
一定の距離と根本的には一人で生きていくものだという意味
事象は同じなのだが、とらえ方の違いがある。
そして、この違いから
ハリネズミのジレンマについて話そうと他人と密に接して
見解の違いで互いに傷つくなんてことも起きるだろう。
結局、他人とは相いれない。
そして、現在起きているCOVID-19はあたかも
そのメタファーをリアルにしようとしているのではって未知の意思を感じるなあ。

2020-04-17

連環

輪をつらねること。輪をつらねたようにつなぎ合わせること。
、、、、、鎖、チェーンを思い浮かべると正しい。
チェーンというカタカナ文字が一般化して
もう連環なんて言葉は使わなくなった。
また、その状態を抽象化した表現も難しい。
こうやって、言葉は消えていくんだろうな。

2020-04-16

安寧

社会が穏やかで平和なこと。
理想的なことなんだけど、そういう状況ってまずありえないと気づかないか?
情報が膨大化されることで事実と予測が混同し
脅威と不安しかない。
また、安全ですと宣言することが一番不安を煽ることになったり
その発言への責任を取らされることのリスクが高い。
安寧なことなどない前提で生きるべきでは?

2020-04-15

給付

債権の目的を、すなわち債権に基づいて債権者が請求することのできる債務者の行為
なのだが、多くの場合は国民に行政、政府が金額的な援助を与えること。
現在、国民皆給付が取りざたされている。
一律に10万円とか、、
ちょっと考えればわかるのだが、
その10万円ってこの日本において財源は?
~将来の増税
~経済的にインフレーションを起こして、価格価値の低下
になるだけでは?
つまり、前借しているだけ。
まー皆給付の対象にならない自分としては
~将来の増税
~インフレによる現金価値の損失
と給付金をもらえないだけでなく、それ以上に未来の目減りもおきるのか?
って失望感しかないね。

2020-04-14

通分

覚えていますか?通分とは?
2/3 と 4/7 どっちが大きいかを調べるために行うこと
通分すると14/21 と 12/21 となり、2/3のほうが大きいとわかる。
効率化と言い出している現代社会はいかに約分、素因数分解という行為をしている。
できるだけ要素にしたがる。
しかし、人間間のコミュニケーションは通分させることでしか成り立たない。
その通分を忘れている現代人なので、なかなか意見がかみ合わないことも
なんか理解できるなあ。

2020-04-13

禍々

縁起が悪く、不気味なさまを意味する表現。
まがまがしい
とは最近使わないが、コロナ禍という表現がメディアに出ていた。
「なんて読むの?」
「どういう意味?」
とただ混乱させることになった。
読み:ころなか
意味:COVID-19が蔓延している状態
と読みも意味も日本人同士でも通じないことに
いろいろな意味で日本語の用例が禍々しく感じるなあ。

2020-04-10

生産

自然物に加工して、生活に必要なものを作り出したり、効用を増したりすること。
が本来の意味なのだが、最近は生産性という言葉で、
成果につながる結果という意味で使われる。
生産性のある活動、生産性が低いなんて言われる。
とりわけ、テレワークに変わりつつある現代社会。
勤勉に出勤、参加することで評価されていたが
これからは生産性という言葉から、いいものを出せばいいということになる。
でもこれってなかなか難しい。
いろいろと検討しているが結果が分かりづらいアウトプットを
~いろいろな検討をしてくれたおかげで、判断材料になった
~いろいろと検討しているが、結果につながっていない
と同じものでも、主観性で評価が逆になる。
これの上長の好き嫌いだけの評価になることに
現代人はわかって生産性と言っているのか?

2020-04-09

在来

これまであったことや、行われていたこと。今までどおり。
在来、普通であることを疑う時代になっている。
いや、そもそも人間の歴史は在来ということを否定するから歴史であり、
在来通りだったら、歴史を積み重ねる意味はない。変わらないことを
後世に伝える必要はないからだ。
今、身の回りに起きていることは変えていかなくてはならない、変わることがなる
前提で生きていることのほうが’在来’なことかもね。

2020-04-08

普段

いつも、日ごろからそのような状態である。
普段と違う日常と言い出すが、その人にとっては違うかもしれないが
他人からすればそれが普段なことということになる。
僕からすれば、普段という言葉を使う人間の発想が異常だと思う。
普段という思い込みが偏見や差別を生んでいるのでは?

2020-04-07

親分

なかまの間でかしらと仰ぐ人。
現代社会に親分と言われる存在が極めて減った。
その結果、責任感も技術の向上もなくなってしまった。
技術の進化というが、それは一部の人間の発展で
個々の人間の器用さ、努力的向上は全く見られないに等しい。
徒弟、ギルドのように個々の技術を高めようとする輩に
父性のもとに指導、激昂することで人間は反骨や使命感で技術向上に勤しんだ。
そして、クライアントに対しても
親方が子分たちの面倒をみることで、統制、品質を守ってきた。
働き方改革とかいうが、そもそも改革すべきポイントがづれているのでは?

2020-04-06

転換

物ごとの方針・傾向などが、今までと別な向きに変わること。また、変えること。
基本、人間は転換を望まない。
「いい方向への転換であれば人間は望むのでは?」
というがそれがいい方向への転換とわかるのは変わった後の結果批判でしかなく
不安のほうが強い。
でも、転換を望む声がある。それは?
簡単なこと、
別の転換が起きる可能性が高いのでその転換よりましな転換を望んでいるだけ。
根本的に変えたいというのも、今のまま行われる転換方針よりましな転換を思い立っただけ。
人間はそんなもの。プラス思考なんてことはまずないのだ。


2020-04-03

此岸

この世。現世(げんぜ)。
反対語は彼岸(ひがん)お彼岸で有名な表現。
此岸と彼岸、しがんとひがん、
江戸っ子には発言できないのかな?
もう江戸っ子っていえる人も少ないから問題ないのか。。

2020-04-02

貸付

約束手形や借用金証書をとって資金を貸したり、
損料・使用料・期間などを定め、物品や権利を貸したりすること。
所有から使用にかわる消費価値観。
使用とはある意味、一時占有、、貸付を得てているということになる。
最近の人はちょっとだけ使うだけに消費して
所有を好まないとか言い出している。
それが新しい消費だと言い出す。
ということは、、経済活動が縮小することを認めるということだ。
例を挙げれば、
300万の自動車を買わずに
1万円で一日のレンタカーを数回すればいいとなると、
消費額は下手すると100分の一になる。
レンタカー企業が車を買うことでそれなりの数は売れると言い出すかもしれないが
それでも、個々が車を所有するより額は著しく下がっているだろう。
貸付で回す経済に果たして、日本の経済モデルが満足するのかなあ?

2020-04-01

寸分

ごくわずかなこと。
寸というのは日本古来の単位。
その単位をもう使わず、今では日本はメートル法。
メートルという横文字に違和感なく対応し
今ではメートルという言葉が一般的になった。
こういうところも日本のカタカナ、外国基準への対応の良さか。
カタカナが多いと言われる日本語の会話だが
そもそも外国からの言葉に寛容なのだから、仕方ないのでは?

2020-03-31

渾然

別々のものが一つにとけあって、差別のないさま。
では混じるの混で、混然のほうが漢字として合っているのでは?
実は同じようで、コントンという言葉は
混沌、渾沌と二つの表記が認められている。
今の漢字変換では渾然一体となるが、言葉の推移、変化では
混然一体になることも不思議でもない。
まー渾然一体という表現が使われず
マージ、ハイブリッドっと言い出しているから変わることはないだろうけどね。

2020-03-30

野味

野性味。
品種改良せずに自生している動植物の味。
なんか、健康的とか勘違いしているのでは?

最近やっと謎が解けた。
幼少期に食べて以来、ニラ玉で吐いた。
また、そのからみか野菜嫌いでもあった。
ただのニラ、卵なのに、、、
大人になって食べてみるとなんて事のない普通の味でむしろ、、
っで、老婆になった母が一言
「今の市販されている野菜は何一つえぐみというものがない
 実家の野菜なんて、えぐみを処理しないと食べられたものではない
 また、卵も無精卵は食べやすいねえ、変な触感や」
、、、、
そういうこと。
自分にニラ玉や野菜を食べさせたのは、母の実家の農家。
祖父母、曾祖母からすれば、日ごろ食べているものだが、
僕にとってはとてもきついものである。
今は市販するために品種改良や出荷時のチェックで
食べやすいものしか食卓には上らない。
見た目は同じでも野味がするものはとても食べられたものではない。
食べたことがない人にはわからないだろうし、
まして、それが普通と思っている祖父母たちからすれば
市販の野菜の味を知らないに等しいだけに、、
そう、今の食事に上がっている生鮮食品は生=野味どころか
ある意味、遺伝子操作、加工食品そのものといえるんだろうな。

2020-03-27

採択

ある意見・案などを、よいものとして選び取ること。
文章的にはそういうが採択の真意は
一番否定的な意見がないものにしたということである。
僕から言わせてもらえれば
4択という4つから選ぶという発想は
いいものを1つ選ぶのではなく
ダメなものを3つ作り出すことである。
それが採択を検討するということ。
そんなことはない!
ちゃんといいものを選んでいるんだ!
と言い訳を言い出すが、
いいものということは相対的に他のものは劣っているということになる
事実に気づいているのかなあ?
無自覚な人ほど、検討理由が他人に納得させられないで
いろいろと揉めていることを目の当たりにしていないか??

2020-03-26

細心

細かい所までよく気をつける、綿密な心・やりかた。
~細心にこだわる、
~細心にまでチェックして、、
というのは、たいてい既存概念への固執であり、
ブレイクスルーを求められる現場ではただの阻害要因にしかならない。
気づいてほしいのだが、
細かいところにこだわり続ければ続けるほど
新しい概念や根本的な失陥に気づけなくなる。
そして、他人はその細かさを求めていないことのほうが多い。
細心の注意をすべきはあくまでも自己満足でしかないのだ。

2020-03-25

平準

平らにすること。平らなこと。
物理的に平らにすることより、全体を平均値に近づける意味合いが多い。
ただこの平準発想、これから通じるだろうか?
求められるのはとびぬけた才能となる。
現代社会の事なかれ主義前提の平準発想できたこの日本。
とびぬけた才能者に向かって他の評価軸で平準でできていないことを
指摘することを管理としてきた管理体制。
平準を根拠に自分の優位性をだして管理をしてきたが
それでは才が伸びないと認めだしてきた今
もはや平準の効能は皆無という前提で新しい管理をどうするのかなあ、庶民は。

2020-03-24

多幸

非常に幸福なこと。よいことが多くあること。
と漢字の文字そのものの意味の時もあれば
医療関係では
本人や周囲の客観的状況にそぐわず、内容のない爽快な気分の状態。
老年性認知症や薬物中毒・神経疾患などにみられることも多幸を使う。

一見すると、医療関係の使い方は全く逆の意味に感じられる。
しかし、「お前幸せそうだなあ」って表現を使うときはどうだろうか?
意味合いとして、褒めるより見下し、侮蔑の意味を込めて使うことになり、
医療関係の用例もそっちの意味合いである。

そもそも幸福を感じられる状態って、異常な状態ということ。
人生なんて生き地獄、必死に生きて抜いた様を後世で
あの頃は幸せだったと思い出すことはあったとしても
今が幸せと語っているときはある意味危ない証拠ではないだろうか?

2020-03-23

悔恨

後悔し残念に思うこと。くやむこと。
僕は思う。悔恨無くして成長なし。
効率化とか無理させない活動を推奨しすぎて
何も考えない輩、出来ないことを他人ごとにして努力や工夫をしない輩ばかりだ。
社会発展のためには、根本を知り、
その根本をいろいろと試行錯誤、失敗を繰り返すことから
いろいろなブレイクスルーが起きたりするものなのに、、
なんか発展性のない環境だこと、、

2020-03-19

瞑想

心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること
心を静めて無心になること、
目を閉じて深く静かに思いをめぐらすこと
用は、ひとり動かずに特定なことを意識し続けること。
現代社会はとかく、他人や他の存在とつながっていないといけないとなる。
それが社会だといういいだす。
しかし、個々がそれぞれ、新しいアイデア、気持ちをリフレッシュさせることで
社会全体が発展していく。
どうも一緒に行うことでそれができると勘違いしている人が多い。
そういう人ほど全くのノーアイデア、無責任、他力本願なこと。
瞑想行為により、今の自分、身の回りに環境、進むべき方向性などを
客観視することなどで違った発想がでてくるのではないか?
考え方や気持ちの入れ替えは、自己でするもの。
他人と一緒にできると思い込んでいることは瞑想の反対の妄想だ。

2020-03-18

焼魚

魚を焼いた料理。
僕の好物であり、いたってシンプルかつ奥深い。
肉と違い、下手に下味をつけずに、、いやつけないほうが
本来かつその塩味を味わえる。
ただ焼くだけで料理ではないという見解もある。
その身の新鮮さ、焼き加減で総合的良しあしを判断できると思うが
こういう話をしても興味のない味バカにはわかるまいって思うしかない。
SNSに映えるもの、、それで成り立ってきている現在の飲食業。
味わえないバカ舌に食の未来を託せようか?!

2020-03-17

果敢

決断力に富み、大胆なこと。
最近、果敢という表現だけでなく、そういう人を見ないなあ。
確かにニュースに出ているリーダー、トップクラスは果敢だろうが
それって果敢というより、裏での合議が垣間見れる。
果敢であることがワンマンとなる現代社会。
そう行動することでSNSで叩かれて委縮する、させるのはどうかなあって思うなあ。
果敢な自己責任を行動結果であり、過程、振る舞いは責任、批判対象ではないのでは?

2020-03-16

違法

法に背くこと。
それは罰せられる対象になるのだが、
違法行為をした側よりさせた側のほうが悪いのに
結果、強いられさせられたもののみ罰せられる。
させた側は手を染めていないからいくらでも言い訳
「こういう意味で指示していない」
「そもそも自分たちは何もやっていない」
「自分たちを罰せる法はない」
とのたまうことを目にする。
法は何のためにあるのか?
そこを考えると、
既存法より自ら信念に基づく自然法、良心の赴くままにすべきではないかと思う。
それが混沌、chaos、無政府状態になってしまうというが
今がすでにそうなっていると気づかないのか?!

2020-03-13

物件

物品。品物。物品などの動産のほか、土地・建物などの不動産についてもいう。
物、商品と物件の違いは?
日本人は現物主義、ここが大きな認識の齟齬になっている。
外国、欧米系の価値観では物は物、権利は権利と考えている。
だから、物は物だがそのものには
~所有権
~占有権
~貸借権
などの複数の権利が存在する。
それぞれの権利を取引することを物件と考えている。
たぶん、物件の件と権利の権は音が同じで当て字違いのレベルではという話。
一つの物に複数の権利関係は日本人は嫌がる傾向にあるが
欧米社会では寄ってたかってそこを取りたがり、
その価値観を国際基準にして、日本をはじめ多くの国は迎合している。
果たして、それでいいのかなあ?

2020-03-12

変種

普通のものと違っている。
同種の人の集団の中で、普通の人とは違った特色や経歴をもつ人。異色の人。
普通とは何か?
普通=無価値、無能ではないのか?
普通を中心に考えてきた現代社会において
相手を変わり種と言い出して蔑んできたことから全く逆の価値観でないと
新しい企画は出てこないのでは?

2020-03-11

発奮

これから大いに励もうと精神をふるいおこすこと。
なかなか発奮するような活動が少ないなあ。
それは自分の感受性が鈍化したのか?
それとも社会全体として企画が面白くなくなった?
と思う。
IT技術の発展で情報過多で
新しく知り、経験することへの喜びが薄れている。
これにより、冒険心、好奇心をそいでいるのではって感じることもあり
やる気を起こさせるのには情報は邪魔と感じることもある。
それって、自己批判にもつながるけどね。

2020-03-10

運航

船や航空機が決まった航路を進むこと。
対して、電車とバスには運航という言葉を使わず、運行となる。
違いは路が整備されているかのようだ。
陸海空において、領土にあたる陸は整備しやすいが
海空はなかなか難しい。そして領土と違い領空、領海はいつも曖昧でもめる。
運航の航の字は命がけの意味もあるようで、そのくらいの覚悟が必要ということか、、


2020-03-09

信心

信仰心。また、信仰して祈ること。
信仰の自由は万国で許されている。
対して、他人の信仰を否定する権限も否定されていない。
だから、自分の信仰が正しく、他人の信仰は違うということが
見解として起こりやすい。
それが現代社会の根本的な善悪の観点と言い切れる。
何をもって正しいのか?
それは自分の信じるものから得た価値観なのだが、
それに相いれないものは正しくない=悪になってしまう。
でもそれは他人からすれば、全く同じく相手をみなす。
正義のためという言葉、ただの信心のエゴでしか過ぎないことに
まだ庶民は理解していないのでは?
正しさなんてものはない、ただ自分のこそと思うエゴの強さが
社会を席巻しているだけということを。

2020-03-06

休校

学校保健安全法(昭和33年法律第56号、旧称・学校保健法)に基づき、
学校の設置者が感染症の予防上必要があるときに、
臨時に学校の全部あるいは一部の授業を取りやめること。

これって、
感染症の予防上必要と言いながら
学生生徒への責任を学校側とらなくなることって言えないか?
つまり、一定時間、空間に押し込めている学校という箍を外して、
社会に学生生徒を放し飼いにするということでは?
学校いないから余計感染症になりやすいところに出かけるのでは?
どうも今の施策に懐疑的になるなあ?


2020-03-05

言及

その事柄に言い及ぶこと。
問題について言及すると言いながら、何を言っているのかわからない人が多すぎる。
問題の本質
問題への解決策
問題を起こしたことへの言い訳
問題への個人的見解
言えば言うほど、混乱させることが言及といえるのか??

2020-03-04

引籠

仕事や学校に行けず家に籠り、
家族以外とほとんど交流がない人の状況を指す。
社会として、こういう状態の人をやめさせようとしてきた。
そして、そういう人を卑下しても来た。
そうしたら、現在起きている新型コロナで
日本中総引籠りを推奨する事態に。
これは呪いか、はたまた、人間のあるべき姿の末路か、、、

2020-03-03

発熱

病気や疾患に伴う症状の一つ。
自己防衛として、体温をあげて病原菌に対抗している。
ある意味、免疫を発動させているので疾病状態ではないのでは?
と思うが、発熱があること自体が病気とみなされる。
まー、それにより、休養をさせてくれるのであればいいが
今の社会では、仕事に穴をあけて、、いわれることもあるから
なんか解せない思いもある。

2020-03-02

顧客

自社の商品やサービスを販売する対象のこと。
っと、辞書にあるが使えない辞書ばかりだな。
顧客の顧とは、かえりみる、、つまり贔屓、再買することであり
一般消費ではなく、定期購買、リピーターのことである。
お客様は神さま、お客さまは平等ってバカみたいなマーケティングではなく
必要としてくれている人の声を反映することが最優先させるべきだ。
そのためには、一般消費者を切ることが最優先。
古今東西、一般消費者をシャットアウトすることで成り立っているのが
一般消費者側が値を釣り上げてくるになることが実質ブランドではないか!
現代日本の価値観が根本的狂っていることをまともに公言できないからこそ
この凋落ぶりがいつまでも続く。
顧客志向は神様志向ではなく、資源の再分配そのものって気づくべきだ。

2020-02-28

趣旨

ある目的で行う物事のねらいである中心的なおもむき。趣意。
高度化する社会構造、ビジネススキーム。
それに対応しているつもりで全くできていない庶民。
それゆえ、趣旨が狂っていることに気づかない。
いや、その程度の庶民レベルの趣旨が当然になっている。
報告書、、
事象を正しく示して、再発防止や今後の方向性の一助になることが趣旨なはず。
しかし、今の実態は
~フォーマットどおりに書かれているか
~てにをはが正しいか
~○○さんの思う結論になっているか
と確認ばかり
、、それって趣旨なのか?バカらしい。

2020-02-27

席替

定常的に座席配置と構成人員が決定されている集団において、
その座席の順番を変更することである。
常に決まっている組織構成上で数少ないリフレッシュのポイントなのだが
席替したときに近隣者の無能、失敗への引責を求めるのはどうだろうか?
たまたま近くに座っただけなのに、
「なぜ助けないのか」
「隣なんでしょ」
と無責任に言い出すのは日本独特の悪徳に感じてしまう。
そのくせ、成果は当人に帰属するくせに、、


2020-02-26

天気

ある時刻もしくは一定の期間の、地表に影響をもたらす大気の状態。
難しく言えばこうだが、口語レベルだと
外が晴れ、曇り、雨、雪どれなのか、、という意味と
晴れであることを指す。
天気にあたる英語は、weather と Sunny と二つある。
これは日本語の特徴だと思う。
全体意義と代表意義を持つ単語というもの。
他には
御飯 は meal と rice
などが挙げられる。
英語の多義語と同じようにこういう意味を持つ日本単語は
外国人には難しいんだろうな。

2020-02-25

電源

電力供給の源、またはそれから供給される電力そのもの。
電化製品をなくして現代生活は成り立たない。
いや、電化製品を使うことが生活と言い切れるのでは。
電力供給をいかに行うかが今の電化製品の永遠の命題
→高出力から家庭電源レベルに省力化
→コンセントから距離をとれる電力コード
→電池によるコンセントから脱却
→充電池による高出力でもワイアレス
とどんどん進化している。
これからもどんどん電源からの進化が進むだろうが
近い将来
エリア内ワイアレス供給ができるようになれば
電源という概念もなくなるか、、、

2020-02-21

歓談

うちとけた楽しい話し合い。気持よく心を割って話し合うこと。
飲みニケーションといわれるものにおいて
もっとも期待と効用を求められることであり、
人間が楽しいと思う時間である。
うちとけるということは互いの存在を互いに認めあうことであり
自己存在の肯定を実感できることが楽しさということが
既読スルーの反対意義で理解できる。
でも自己存在の肯定っていろいろな意味で怖い一面もあるというのは
やはり僕が社会を穿っているからなのかなあ?

2020-02-20

倦怠

物事に飽きて嫌になること。
年のせいにするのは無責任な証拠なのだが
自己責任の人生から考えると倦怠期になっていることは否定できない。
自分としては新しいこと興味のあることを模索しているが
前に行ったような
結局は先が見えている感が否めない。
それでももがくことが人生の醍醐味かもそれないが
ちょっともがくことすら倦怠を示してしまう

2020-02-19

机上

机・テーブルなどの上。
そもそも卓とはどういう意味か?
卓とは英語のtableと同義である。
ではtableとは?
table と disk との違いは?
答えは、、table とは縦X横のフラットであること。
食卓、麻雀卓、はフラットな一面であるが、
学習机や作業台は面を持つが機能的な傾きを持ったりしている。
卓上とはそのフラットな面の上において使えるという意味である。
そして、IT経験者なら気づいていると思うが
データの格納先をtableというのも、縦X横 
つまり二次元アドレス管理をしているからだということなのだが、
どれだけ知っていたかなあ?

2020-02-18

遠隔

遠くへだたっていること。
・東京一極集中による物価高騰
・通勤による感染、痴漢被害
など、人が集まることで起きる問題。
それに対して
・5Gなど通信の高速化
・テレワークを推奨する社会価値観の変化
・業務のアウトプットがもはや物理納品ではない
・通販の発達で商品購買がどこでもできる
ことから、個人が現場にいる必要はない。

これから遠隔操作を旨とした生活を考えるべきと言われている。
当社はもともと通勤概念がないままに操業したから
こう考えることに違和感はない、、、いや違和感を感じる。
遠隔操作が目的ではない、目的は脱人間と接触だと考えている。
最終的には人間を感じさせないことがあるべき姿と思っている。
人間という物理存在に固執しているからイノベーションしないとまで
掲げていることが最近の当社のビジネスモットーかな?

2020-02-17

操業

機械などを動かして作業をすること。
産業革命以降、マニュファクチャリングから機械化された生産活動。
今では機械なしに生産活動はないと言えよう。
業務=操業となっている。
この機械化により、
マニュファクチャリングで培われた専門工たちの仕事を失ったと言われる。
そして専門工の技術継承がなくなり、人間の技術が退化したともいわれる。
この考え方はAIにも言われ、危機を感じる技術者、職人がいる。
しかし、現在の半導体製造、人間の手が触れることのほうがおかしい。
そこに専門工の技術ではなく、その機器を設計する科学技術の発展こそであり、
人間個々の技巧にこだわるのはいかがなものか?

2020-02-14

滋味

栄養があって味のいいこと。
転じて
豊かで深い精神的な味わい。
なかなか他者と共感しづらい表現と僕は感じている。
その食材の味と栄養を等しく評価できないものだ。
現代社会は脂質、糖質、甘味、塩味、辛味、をすべて否定する帰着ばかりだから。
その味を褒めれば褒めるほど、他者は対抗表現や嫌気を出しかねない。
その味わいで得られる栄養価も、他者にとっては取りすぎと思うことばかり。
同じように、精神表現においても
良かれと思う表現は他者には嫌味や軽蔑に感じ取られることも多い。
自分らしさと言えば言うほど、自己中心主義をひた走るコミュニケーション障害者
になるだけである。

滋味であることは自分の中にとどめておくべきかなあ。
まーそもそも他人と共感していること自体、滋味ではないと思うことが
僕自身の滋味の極めでもあるがね。

2020-02-13

童好

子供好き。
一見、好感が持てるように感じられるが現代社会では悪徳になりやすい。
他人の子供に優しくするとそれはロリコン、児童誘拐犯扱い
自分の子供本位で行動するとモンスターペアレント
と社会にとってあり得ない価値観になる。
ここに挙げている表現を極端と思っている方。
あなたが他人からそう思われていることの自覚がないだけと思うべきだ。
社会は他人にはそういう眼差しで見ている。
僕自身、子供に興味がないというより、自分の獣性に従っているようだ。
小動物や動物の幼体には一族性というか家長的父性で守りたいと思うが
その個体が大きくなると縄張り争いの対象と感じることが人間だけでなく
動物すべてに感じる。
知的に振舞うようにしているようで、僕自身のマインドはワイルドなんだなあ。

2020-02-12

旅行

よその土地へ行くこと。たび。
モノ消費からコト消費になり、
思い出、経験に支出を回すことが当たり前になりつつある。
昭和世代の価値観、消えるものより残るものの発想は過去の価値観になっている。
たしかに経験を積むこととしては旅行などはいいものと言える。
いいだけに、自分としてはその経験の目的を定義してからでないと
行動しない、できない性分である。
だから、ただ行きたいではなく、
5W3Hが成り立っていないと行動しないことが多い。
それでは経験できないのでは?
と言われるが、旅行に出かけて必ずしも楽しい経験、勉強になる経験とは限らない。
~時間の無駄
~二度と行きたくない
~あの人の見たくない一面が出た
とか、知らなければよかったことも旅行には現れることを
軽視しないことはこれも僕の嫌な性分なのか、それとも天賦の才か。

2020-02-10

欺瞞

人の目をごまかし、だますこと。
頭の体操をしよう。
~真実をいうことは正しい。
~嘘をつくことは罰せられる。
これは子供のころから言われている当たり前のことのレベルである。
ではこの前提で
「バカにバカって言ってなんで怒られる」
「私はバカではないから、名誉棄損だ」
ということが社会でまかり通っている。
バカはバカでしかない、真実だ!
そのバカは自分ではバカではないっていうことは嘘をついているではないか!
どうも社会ルールが

2020-02-07

拉麺

言わずもがな、ラーメン。
これってもう日本食になっている。
カレーもまた同じ。
元は中国、インドから入ってきた食事だったのだが、
日本人用に試行錯誤されもはやそれは本場とは全く違う日本の味になっている。
まー、、肉じゃがとて、元はビーフシチューをもう一度食べたいと思った
東郷平八郎が艦内料理長に作らせたという都市伝説?もあるくらいなので
日本ナイズされることもわかる。

拉麺にはじまる日本人の味覚は
他国を受け付けないのか?
それとも美食への探求なのか?


2020-02-06

通牒

書面で通知すること。また、その書面。
最後通牒という言葉で使うくらいしかない。
そもそも、牒の字が律令制度に時から使われている言葉であり
行政用語だったようだ。
しかし、最近の行政はカタカナ語ばかりだから
こういう文字はもう使わないんだろうな、、、
逆に何百年はこのカタカナ語もそうなるかも、、

2020-02-05

正鵠

弓の的の中心にある黒点。
転じて、本題、本質、要点という核心の意味になっている。
正鵠を得るという表現は脳裏にイメージできるけど
音で、セイコクヲイルという言葉が耳に入るだろうか?
日本語として意味があっても、最近はカタカナ言葉を覚えるほうが多い。
正しい日本語という言葉もあるが、
正しい日本というものは、時代の優勢国の意向に従うことと言え、
今までは中国語に倣い漢字、
今は欧米つまり英語に倣いカタカナ語
ということが正鵠を得た表現なのかもね。

2020-02-04

鬱滞

血流などが静脈内などに停滞した状態。
鬱病といい、この鬱(うつ)の字は常用漢字ではないが使われることが多いのでは?
こういう漢字は代替漢字、略漢字になるはずなのに、そうならないのはなぜ?
それだけ漢字を使わなくなったってことでもあるのかなあ?

2020-02-03

入試

学校が志願者の中から入学を許可するために課す試験のことである。
そもそも現代社会の教育について懐疑的であるが、
現代の入試については根本的に間違っている。
この入試があるからこそ、
身分差そしてそれ以降人間の学習力の低下につながっていると思う。

入試で求められているものは
その後の人生で役に立たない文字列を瞬間記憶させるという
本当にバカなスキルでしかない。
考えてみればおかしいだろう。
スマートフォンで調べられることをテストしていて、
スマートフォンで調べた受験生を罰するが
その4年後、社会人になったらスマートフォンで調べていないことを罰せられる。
瞬間記憶を1~3月の間に発揮して
その後の人生が決まるのに、その瞬間記憶はその後の人生では
役に立たないことのほうが多いというバカらしさを感じる。

これだけ通信技術が発達したのだから、
講義ごとに
~その講義前に、講義を聞くために体系的な理解があるかの確認
~その講義後に、講義内容を理解しているかの確認
で受講完了とさせればいいものを。


2020-01-31

親切

思いやりが深く、ねんごろなこと。
好意をもって人のためにあれこれと計ってやること。
辞書の意味ではこうなのだが、、、
昨日駅で遭遇したのだが、
見ず知らずの人が
「お金がないから家に帰れない、貸してくれ」
と話しかけてきたから
「駅員に話せば?」
と答えたら
「親切ではない人だ、なんて社会だ」
と言い放たれた。

借りて返す気がない人間に何をもって親切にすればいいのか?
最悪、「親切な奴がバカなんだよ!」って開き直るから
そういう行動をしているお前が社会から親切さを無くしているんだよ。
日本は元来に真摯に悩んでいるのであれば、助けたいと思う社会だったんだよ。
親切にされた人がその恩義をまた他人を助けることの循環があったんだ。
親切されて当然ではなく、して当然だった日本なのに、
相手の思いを踏みにじることがこういう社会になっている、、、
いや僕が思うにこれこそグローバル化だと思う。
無駄に自己主義な外国文化を取り込むから、、、こうなる。
見てみたまえ、グローバルを強要してきたアメリカが
移民排斥をしている事実に、だまされ続けられていることに気づけ、日本。

2020-01-30

練度

訓練を積み重ねて得られる、熟練の程度。
これって人間のスキルなのだが、
効率化、電脳化を前面に出れば練度は否定されているに等しい。
ただ、人間のスキル評価って練度、、try & error で得られるのだが
もうすでに人間そのものの評価制度そのものが変わっている、、、破綻しているのでは?

2020-01-29

渾身

からだ全体。満身。
多くの場合、力いっぱい、自分のできる限界という意味で使う。
渾身を込めることは是か非か。
いつも全力投球で活動すべきと評価するか?
力を出し切って後続活動に支障をきたさないようにペースを保つべきか?
現代社会の個々の価値観の相異、そしてそこが評価の不満になると感じる。

2020-01-28

粗食

粗末な食物しかとらないこと。
これは美徳か貧しさか?
粗食という言葉は
貧困な時には貧しさを象徴。
飽食のときには、健康志向の現れに使われる。
なんか都合よく言っているが
食いたいときに食えることこそ、生物の幸福ではないだろうか?
そこを人間が否定し始めた段階で人間自身の自然界への冒涜
そして絶滅の兆しに感じるのは考えすぎ??


2020-01-27

気概

困難にも屈しない強い意気。気骨。はり。
やる気と言われ、昭和日本までは称賛されていたが、
個人主義、効率活動、働き方改革、により
やる気で時間を浪費すること意味を見出せないし
それをしているのでは、させられているということになっている。
やる気を示して行動していることに無駄はあるのか?
それが効率的でないという自覚があるから
効率的ということに恩恵、ありがたみを感じるものであって、
当たり前になっていることに何の感情もないどころか
それが存在しないことに怒りを他者にぶつけることになることに
社会悪を感じてならない。

気概を持ち、非効率なことも経験することが
モノの本質、ありがたみ、強いては人生の有意義を感じられるのでは?
効率化してありがたみを感じない人間を多くして
その先に何をさせるのだろうか?この社会は??

2020-01-24

開発

土地・鉱産物・水力などの天然資源を活用して、
農場・工場・住宅などをつくり、その地域の産業や交通を盛んにすること。
新しい技術や製品を実用化すること。
知恵や能力などを導きだし、活用させること。

開発の意味はいろいろとある。
今までにないものを表に出すという表現なので多義語になりやすい。
なので、その行為が開発と言われたとしても本当に開発なのか?
疑いたくなる。

これだけグローバルな社会。
見たことがないといってもどこかであるかもって思うものを
開発したって言えるかどうか?
言い切ってしまうことにもまたいろいろと問題がある。
開発という言葉に難しさを感じるのは僕くらいなのか??!

2020-01-23

善人

善良な人。
善とは何だろうか?哲学的になるが、
結論からすれば、悪であること。
善とは一方的信念、妄想であり他人からすればそれは悪そのものである。
法話的に解けば
鎌倉幕府の圧政を断罪した日蓮上人として善人と扱われている。
しかし、法と秩序を守ることこそ善の統治と考える鎌倉幕府からすれば悪である。
何をもって善なのかは、その立場によって変わるし、
善というものを掲げる人を近くで見ると
異常な狂信者、悪の権化に感じるのは僕だけではないだろうか?!

2020-01-22

素養

平素の修養によって身につけた教養や技術。
現代社会でこれを求めていいのか悪いのか?
素養がない相手にはいちいち前提から説明をしなくてはならないので
時間がもったいない。
しかし、素養がないと蔑むと、ハラスメントで訴えられる。
でも、ビジネスの世界というか、あるべき世界では
素養がない時点でビジネスかた退場させられることも多い。
だから、日々勉強これにありって思うが、、
知らないことで他人に怒りだす姿勢を容認する現代日本は
どうも落ちぶれていく姿そのもののような。

2020-01-21

肝心

とりわけ大切であること。
西洋医学がまだ浸透していない日本ではキモ、肝臓が一番重要な臓器とされてきた。
そして、魂というか人間たらしめるものは心で考えるとしていた。
つまり、心臓という臓器の心の意味は後付けに近いいうべきである。
肉体の中心、肝、人間の精神の拠り所としての心、その二つが一番という意味で
肝心という言葉になっている。
肝心なこと、肝心要と使われてきたが、最近聞かないなあ。
それは西洋医学の普及のせいか?
いや、肝心なものの定義が損なわれている昨今だからこそ、
つかわなくなったのか?
それとも、肝も心も人間たらしめるものではなく、
すでに肉体を逸脱した電脳を認め始めたから、、なんてね。

2020-01-20

使熟

読みとしては、つかいこなす。
あるモノを十分に活用できている状態をいう。
僕にとって現代人は本当に愚行極まりない。
無知な者が一定の理解で使っているレベルを基軸に
それより出来ないものを不器用、
そして、それ以上にいろいろと活用しているものをマニア、オタクと卑下する。
無知な発想を基準に他人に無礼な発言を容認するのはどうだろうか?
特に現代日本でのこの発想が
モノづくり能力の低下、生産性の欠如の日本を生み出したのでは?

うわべだけの機能理解でモノを使い、
また新しい機能のうわべだけで買い替える。
経済循環的にはいいかもしれないが、それを買う購買力があるのか
そしてその機能をうわべだけでなく
使いこなすことで本当は得られる生産性見合い結果に目をつぶることは?
いろいろと現代人の買い物価値観に疑問を感じてしまう。

2020-01-17

雑学

興味本位で面白さを重視しているため、
ひとつひとつは意味的なまとまりをもった知識であるが、
集められた知識はお互いに関連性が希薄な事柄で、
全体としてみて系統立っていないものを指す。

確かにそうだが、
雑学知識なくただ自分の得意な専門的なことを一方的話している人間が多すぎる。
専門となると、ちょっとでも違う領域、方向性だと拒否反応を起こすこともしばしば。
話すこと、ビジネスをするということは相手ありきで自分の独り舞台では
結果にならないという自覚がない。
雑学はある意味、相手、自分の得意なことではないことが多い。
しかし、互いに得意ではないということが共通点になり、共感性を得やすい。
そのために雑学の会話は本題と違っても会話をスムーズにさせる潤滑剤になる。

雑学を蓄えて、会話をうまく進める。
その意味で僕はいろいろと蓄えていたら、
雑学からその分野が得意になったり
雑学の話をしすぎて本来の会話内容がおろそかになったり
とまー弊害はあるけど、
雑学のおかげで会話を続けられるというに関してはなかなかの自覚はある。

2020-01-16

民放

民間放送(みんかんほうそう)の略で
民間の資本によって設立された放送事業者によって行われる放送のこと。
現在、「テレビがつまらない」って言われている。
これって日本の民放ビジネスモデルの崩壊っていうことだといえる。
日本の民放とりわけ地上波放送は
世界で稀に見る受益者負担ではないビジネスモデルである。
テレビ画面は広告塔と位置付けて
スポンサー企業からそのテレビコンテンツの制作費を出させ
その合間にCMを入れることで成り立っている。
視聴者からすれば、無料でテレビコンテンツが観れていたという
恩恵がwin-win-winとされてきた。

しかし、これは放送局、企業、視聴者の思いがづれ始めると取り返しがつかない。
視聴者:みたいコンテンツがないので観ない
企業 :視聴者が観ないのならば広告塔の機能がないので支払わない
放送局:金がないから、いいコンテンツを作れない
の悪循環に入ると抜け出せない。
今はある意味、その入り口に日本の民放は立っている。
そして、これから受益者負担の価値観が認められたり、
観たい視聴者と作る放送局が直接成約することがグローバル的、DX的に
容易になったので、企業の広告塔の意味合いはなくなっていくだろう。
そうなると、日本における民放という概念はなくなるだろう。

思うに日本の民放ビジネスモデルはおかしかった。
一方的な放送局の価値観に企業、視聴者も従ってきたが
双方向で視聴者からの見解を言えるようなDXの進化は
放送倫理を再認識させて、そもそも放送局の思い込みが
狂っていたって証明させているだけのような。



2020-01-15

補正

補って、ぐあいの悪い所を直すこと。
補っているということは主従で言えば、従側である。
しかし、現代社会はどうだろうか?
本来あるべき正常に合わせるために補正している行為こそが主になり
~この補正になぜ周りが合わせないのだ
~そもそも正常では動かないからこそ補正しているのであって、補正こそ正常であるべき
という見解が跋扈している。

距離感で例えるなら
はじめは正常への方向性に対して、たった1°のづれのつもりだった。
1mでは、d=1*sin1°=1*0.0175=0.0175(m)
1kmでは、17.5(m)
10kmでは、175(m)
100kmでは、1,750(m)
もづれてくる。1kmも離れると
すでに100kmの進んできた実績から
自分たちのほうが正しいとなるのが人間の性なんだろうな。

常に正しいほうに修正するとしても補正したことが正解と思っている以上
正常への回帰は無理ということが人間社会なんだろうな。


2020-01-14

予測

一般に、あるデータに基づいて、
未来における実現すると考えられる特定の変数の値を想定すること。
「未来予測に基づいてリスク回避しよう」
ということは論理矛盾していると気づくだろうか?
もし予測どおりリスク回避できていたら、
そのとき言われるのは
「未来予測通りにならなかったな」
予測が否定される。
だって、リスク回避されたのリスクそのものが
わからない状況になっているので、当事者としては目の当たりしていないのだから
それは当たっていないということになる。
逆にリスク回避をしたいのに、予測通りになった場合は
リスク回避しても無駄なことだったのに、
「未来予測したのに、なぜリスク回避できなかったんだ」
と罵られる。

予測することは損でしかない。
それに気づかずに、毎年あたらない予測にお金をかけたり
胸を張って計算されたビジネスということに
非科学的な占いビジネスと何が違うのか?問いたい。

2020-01-10

公正

かたよりがなく正当なこと。
はっきりしていて正しいこと。

~公正な判断をしてほしい
~公正な裁判を行ってほしい
って発言する人間の言う公正とは
自分に都合のいい、恣意的利己主義なことであり、
自分に都合の悪いことを不正と騒ぐ。
そう、公正という人ほど公正とはかけ離れている事実が人間社会の本質だ。
そもそも、公正なんてものはない。
その時の政治権力、民意、に左右されるものであり、
ある意味、左右されている現時点のトレンドが公正となり、
自己中心的な価値観はこの定義からは不正と言えるのではないだろうか?!

2020-01-09

習慣

ある事が繰り返し行われた結果、その事がしきたりになること。
いわゆるルーティン。
ルーティンを軽んじなかれ。
ルーティンは知らず知らずに効率化、最適化された動作になっている。
そして、その行為を好き嫌いなく行うことをしないとなんか気持ち悪くなる。
このブログとて、文章が苦手だったから始めたようなもの。
うまくなったかどうか別として
書くことで他人でガタガタ言われる筋合いはないっていう自信にはなっている。
それが習慣の結果かな?

2020-01-08

国内

自国内での見解。
日本では日本国土内は範疇となる。
グローバル化している昨今、他者比較をするどころか
日本国内においても、アメリカ、中国基準の見解を押し通す輩が多い。
しかし、日本語、英語、中国語に
「郷に入っては郷に従え」
When in Rome、do as the Romans do.
『入郷而従郷、入俗而随俗』
という諺がそれぞれの母国語にある。
その諺通りにふるまうべきであり、
日本では日本の法律に従うべきだし、地域ルールを尊重すべきである。
もしできないのであれば、出国すべきもしくは国土民と接するべきではない。
そもそも、自国民でありながら、出国もせずに文句を言っている輩は
罰するか死するべきと思うことは社会秩序を重んじると言えないのはなぜか?
って国民に問いたい。

2020-01-07

理論

個々ばらばらの事柄を法則的・統一的に説明するため、
また認識を発展させるために、筋道をつけて組み立てたもの。

理論は理論であって実践しているものではない。
ビジネスにおいても
PDCA(OODA)
R.A.P.I.D
など新たな行動理論がWEBや書面を騒がすが
その理論を理論のまま、偉そうに語っていることに意味を感じない。
自己ではその理論を理解して
その理論をテンプレートにして、実践を行い
その結果でもって、実は理論を応用しましたということが
本当の理論の理解、伝播になるのでは?
書籍を読むことが多い時期だっただけに
読めば読むほど、理論の虚しさに感じてしまった。

2020-01-06

賽銭

神仏に参詣(さんけい)してあげる金。
現在、賽銭の電子通貨について無礼と声を上げる輩の存在が目に障る。
言い分として、そんな不浄な賽銭で神仏に失礼ではないかっと。
バカか、、、
そもそも、賽銭という行為自体が不浄であった。
本来なら、五穀豊穣の結果して青果、穀物を供物をささげていたが
社会構造の変化で農家ではないものや供物の物理的大きさや賞味期限から
供物ではないものをささげることに変わり、砂糖などがその例であった。
その後、、商業、市場の発達から人間の手で汚れた不浄な存在であるが、
汎用性の高いことで通貨を賽銭ということで認めて今に至る。
賽銭も不浄であるが、価値観が変わってきた一環である。
そうなると、電子通貨もあるべき姿である。
現状がそのものが不浄である事実に気づかず
自分が理解できないものを不浄として
紙に成り代わり失礼と言う発言、そのモノが不遜の極みではないだろうか。