2020-12-29
虚報
2020-12-28
2020-12-25
会釈
2020-12-24
2020-12-23
豚汁
2020-12-22
会合
この行為がここまで評価逆転したものはないだろう。
2020-12-21
2020-12-18
接点
2020-12-17
原価
2020-12-16
2020-12-15
牛耳
2020-12-14
2020-12-11
遊興
2020-12-10
2020-12-09
2020-12-08
2020-12-07
2020-12-04
常套
2020-12-03
2020-12-02
善良
2020-12-01
2020-11-30
富豪
2020-11-27
略式
略式手続き
略式での開催
などで使われる。
本当は正しい形ですべきなのに、今回は特例の略式で、、、
というが、一度でも略式を認めてしまうと
その略式が正式になること活動が始まる。
「おはよう」
「こんにちは」
2020-11-26
2020-11-25
2020-11-24
2020-11-20
予算
収入や支出の計画や
一会計年度における(中央政府や地方政府の)歳入・歳出の計画。
予算配分を決めることを民主主義で行うことは愚行だと思う。
あらかじめの算定、、つまりは未来に向けてなので
これからどうなるか、その金額で足りるのかなんて、わからない。
天災、人災、突発イベント、などたった一年先でさえ見えないのだから。
それをみんなで考えた結果の予算をつけるということは
みんなで決めたという無責任にしたいだけ。
予算より昨年度の計画の反省、責任を問い詰めることが有益である。
そのために責任者、つるし上げ対象者が必要になる。
つるし上げになる覚悟をもつからこそ、その結果の成果もその人に帰属する。
これがある意味、成果主義である。
バカな予算論理をいつまで続けるのか、行政や大手企業は。
2020-11-19
2020-11-18
2020-11-17
早朝
2020-11-16
入浴
2020-11-13
心傷
恥ずかしながら、心傷=トラウマと思っていたが
言葉は時代とともに変わる。
しかし、語彙、語法が確立されている言語は
2020-11-12
2020-11-11
2020-11-10
琺瑯
鉄、アルミニウムなどの金属材料表面にガラス質の釉薬を高温で焼き付けたもの。
難解な漢字のため「ホーロー」と表記されることが多い。
英語では Enamel(エナメル)。
金属の特性を活かしながらも、見た目の美しさそして錆びないという加工は
人類の英知なんだろうな。
まして日本の琺瑯技術は結構なものだと思う。
素体、素材をそのまま使いこなすことは日本人は得意ではないかもしれない。
もともと国土、資源が少ないから潤沢に利用することがないから
もったいない発想があるように、、
その分、加工、整形はお手の物で今の日本が成り立っている。
付加価値という概念が欧米より根強いからこそ、今の地位があると感じたりする。
2020-11-09
赤色
赤い色。
どうしても解せない赤がある。
戦隊もののリーダーが赤ということ。
なぜ赤を選んだかと、スタッフに尋ねると
「当時、子供たちの好きな色と聞くと赤と答えたからだ」
と言った。、、、本当か?
昭和中期において、ランドセルが黒赤の時代、赤は女色とまで言われていた。
またオイルショック前後では、赤字、赤点と赤はマイナス表現の代名詞だったはず。
それが好きな男の子がいただろうか?
確かに歴史を思い返せば、赤揃えの鎧装は目立つので強さの象徴ではあった。
また赤飯などの赤は破魔、、転じて祝いの色ではあったが、、
赤色にはいろいろとプラスマイナスが入り混じっている。
、、そもそも、赤は血の色
血は命の証でもあると同時に、
赤を目の当たりするときは死を予見する、怪我、出産など。
それゆえ、生理をもつ女性は穢れとされて、富士登山や聖地に入れなかったこともある。
それだけ赤はいろいろと厄介な色かもしれない。
2020-11-06
2020-11-05
子育
子どもを育てること。子を産み育てること。
今の日本の子育て、、いや男女平等、、そしてその雇用制度そのものを否定する。
そもそも、社会制度、規模からしてそれが成り立たないことになぜ気づかない?
評論家など有識者とされる人たちは
「北欧の国々では成り立っている」
と言い出す。
しかし、北欧とされる国々は、、代表的ノルウェーを例に挙げれば
人口は543万人、、日本の兵庫県と同じ、東京都3分の1、
GNPに至っては日本13分の1でしかない。
そりゃー、人口把握規模と経済成長規模から考えて
子育てに特化した国家運営になるだろうよ。
それを見習うとは、GNPを下げてまで行うか
ノルウェーの子育て支援の予算規模を日本レベル、、
つまり、今の13倍にしてみたらどうなるか?
を考えて発言しているか、かなり疑問だ。
そこまで、現役世代、そして老人世代が自己犠牲をするか、、わけがないだろう。
今のままで、いいものねだりが人間の本性だからだ。
子育てねーー。
植物の成長とは根が地中にどれだけ広げられるかであり、
これ以上、根が広げられないとわかると自己成長、生命維持に変えて
生殖機能、、種子をつけるそうだ。
根=networkと考え、人間の自我をintelligenceと捉えると
子育て、老化、死の概念も変わると僕は思っている。
必ずしも、未来の世代に託すべき、ものだろうか?
今はSFじみた考えて捉えるだろうが、
近いうちにこの天眼の見解を庶民もわかるだろうけど。
2020-11-04
米国
黒船来航以来の付き合いから考えて、もういいのでは?
2020-11-02
新刊
新しく刊行すること。
出版不況なので、新刊はまずなく、廃刊、休刊が多い昨今。
しかし、、その認識が間違っていないか?!
出版社が発行するものが新刊という思い込みではなく
サイトを上げること自体が新刊なのでは?
刊行物の本質は情報発信である。
それが、紙媒体が主であり、また出版社であるという認識で
いろいろな仕組みが成り立っているが、その仕組み自体がナンセンスではないか。
当時はそれがよかったかもしれないが、
受け手の認識と有償価値の変化に合わせて
情報発信の意味づけをかえるべきでは?
もっとも、これは刊行物だけではなく、多くの常識、慣行ごとに言いたいがね。
2020-10-30
2020-10-29
2020-10-28
2020-10-27
売場
現在、その売場の存在が大きく変わってきている。
この事実にいろいろと否定的な意見をいう人や
インターネット販売では?と懐疑的な買い方をする人もいる。
しかし、現在の売場でモノを売るビジネスはそう歴史が古いわけではない。
むしろ、今までの売り方が歴史において一過性ではなかったのか?
商取引というものが成り立ったのも、19世紀。
そして、外商、御用聞き、と棚で商品を並べるビジネスは
越後屋三井商店から始まったものであったり、江戸時代以降の話だ。
過去の人から見れば
~そんなにモノがあふれていない
と過去の常識で不思議がるし
未来の視点からすれば
~他人が触ったものなど買う価値がない
2020-10-26
2020-10-23
2020-10-22
終電
最終運航電車発車時間の意味。
要は、日付跨りがあっても稼働日とされる時間内で最後にその駅から出る時間。
ニュース、報道のアーカイブと比較したら面白い。
2019/10 首都圏の交通機関の終電時間の延長
2020/10 首都圏の交通機関の終電時間の繰り上げ
になっている。
オリンピック期待とCOVID禍、、
たった一年でジェットコースター的に変わる社会情勢を反映しているといえる。
終電時間の繰り上げにより、飲食店が打撃を受けるというが
そもそも論として
終電まで飲む、飲ませることが健全な社会か?
都心で仕事、繁華街で飲んで帰る発想が一極集中の問題って言っていなかったか?
これから論として
仕事の食事も都心でするものではなく、地元還元型になる
終電まで働く、飲む、遊ぶなんて発想がもう時代としておかしい
という兆候ではないかと言える。
2020-10-21
憲政
憲法によって行う政治。立憲政治。
では憲法とは何か、
国の成立に係る統治の根本規範となる基本的な原理原則に関して定めた法規範。
となると、憲政を掲げることは改憲こととは矛盾しないか?
この論争に言い訳、水掛け論が多い現代社会。
僕からすれば代表民主主義制度そのものが過去の遺産、
もっと言えば、過去の人物がその時思いついた考えで作った憲法を
いつまで従順に従い続けるのか?
そこを直接全有権者に聞くことができる直接民主主義がデジタルで実現できるのでは?
と思うがね。
紙への記述投票のほうがインターネット経由での投票より
信憑性があるという思い込み。しかし紙による紛失、数え間違いなどもあるのに。
条文でしか理解できない法制度、ビジネスでは図解しないと理解されないと言われているし
そもそも、日本語の曖昧な表現ではグローバルに対応できないという昨今と乖離が大きい。
どうも、現代民主主義の進化のなさに憤りを感じてしまう。
2020-10-20
2020-10-19
下手
上手の対義語。
他より地位・能力が低いこと。
しかし、下手の定義ってある意味は発言者の思い込みで
これを発する人は、、正直バカである。
下手と発するときって、ある意味経済生産性と関係ないところ
それも僕から言わせてもらえばどうでもいい虚戯レベルで用いられる。
仕事が下手という表現を使っている場合は
その評価に責任を持てない無責任発言でしかない。
能力がないのであれば、市場から徹底を求められるので下手と言われることはないはず。
そして、その下手の定義も自分を中心にした思い込みでしかない。
例を挙げれば
運転が下手と言いだす人が多いが、
交通ルールを違反してない以上問題なく、
上手という人ほど、周りを押しのけて危険運転になっているギリギリを
評価したりしておかしい価値観になっている。
また、猫舌は食べるのが下手と言われる。
理由は熱さを感じる舌先で食べるからだと言い出しているが
逆に舌先に熱さを感じる器官があるのはそこで生命の危機をとっさに感じられるためであり
猫舌のほうが生存器官が発達しているので、生きるのが上手といえるのでは?
どうも、現代人の思い込み発言が闊歩しすぎて狂った社会になりつつあるが、
気づくのは、後世で生き残った評論家くらいなんだろうな。
2020-10-16
百均
100円ショップのこと。
今のIMEなどの漢字変換では出てこないが時期に、熟語として変換されるだろうな。
生活必需、そうでなくても欲しいものが手に入る社会。
基本、店舗やWEBサイトで目的に合ったものを探し購買するのだが、
それと同じようなものがそれも100円ショップで見つかるとちょっと思う。
購買したものの品質がいいものであっても、所詮消耗品。
いくつか買っておいて、おかしくなったら交換すればいいのでは?
モノ消費コト消費で考えれば、現在はコト消費の昨今。
モノオリエントではなく、コト、、つまり自分の生活パターン、効率化視点から考えたら
同じものが気兼ねなく使えるほうが充実しているといえる。
100円であることの安さより、100円でまた買えるだろうという安心感が
今の百均の価値なのではないだろうか?
2020-10-15
2020-10-14
2020-10-13
工夫
あれこれと考え、よい方法を得ようとすること。
また、その考えついたうまい方法。
はっきり言って、この定義は現代社会では当てはまらないと言える。
工夫とは、
本来あるべき姿で実行できないので、それに酷似していると思われる
別のやり方で代替させることである。
そして、工夫をすることは決して正しくない。
なぜなら、本来あるべき姿で実現していない前例主義、マニュアル主義の現代社会
にそぐわないから、後に否定される対応といえる。
この前例主義、マニュアル主義で得たものは
失敗しない、自己責任を負わない効率化で色づいた無脳人間の量産だ。
工夫、創意、失敗を数多くさせないだから。
新しい付加価値、経験則が導けないところに至っている。
この実態をおかしいと思わないのは、本当に衰退する国家の有様でしかないなあ。
2020-10-12
2020-10-09
判子
印材の平らな面(印面)に名前を彫刻した本体部分。
印鑑と判子、印章の区別が出来ていない昨今。
脱印鑑なのか、脱判子なのか、違いがなくただバカみたいにデジタルと言っている。
印鑑は押されたものであり、押す行為を行った証跡である。
判子はその印鑑を押す手段的道具。
脱印鑑とは押す承認行為を物理的なことであり、
脱判子は印鑑行為を無くすことと言える。
だから、脱判子であれば、署名、指紋、とデジタルでなくてもいいわけである。
今、脱印鑑と騒ぐ前に脱判子をしてから物事を進めるべきだ。
デジタルにする前に印鑑証明という制度を無くし、
外国人も含めて個人認証を統一する法制度を整える過程でデジタルというべきだ。
それを行わないでデジタル先行で進めるとまたバカが法解釈や違法とか騒ぐのだから、、
本当に民主主義の考える規制は愚かだなあ。
2020-10-08
2020-10-07
2020-10-06
2020-10-05
2020-10-02
手練
熟練したあざやかな手ぎわ。
「手練手管」という言葉があるのだが、
なかなか使わない四字熟語かな。
思うままに人を操り騙す方法や技術、
あの手この手で巧みに人をだます手段や方法なのだが,
これを優秀なセールスマンとみるか、詐欺師とみるかを
買い手である庶民に任せていること、そして一方的な見解をSNSで発信できるため
なかなか技術を磨けなくなっているのでは?
デジタル化の時代になると、デジタルスキルをフォーカスするが
実際はそのデジタルになっているもの、しようとしているものを
手練手管で説明、説得していくことが重要なことを忘れていないか?
どうも、評価傾向がおかしい現代社会に感じてしまう。
2020-10-01
2020-09-30
2020-09-29
2020-09-28
2020-09-25
2020-09-24
2020-09-23
2020-09-18
2020-09-17
理系
文系、理系と対峙する言葉。
僕はこの文系、理系という分類について学生時代から
疑問で試験、就職で苦しめられた思いがある。
ちょっと考えてほしいが
証明という行為は数学で習うが
その証明の組み立て方は論理構成、、文章力ではないか!
文系には数学がなく、
理系には国語がない、
そして、日常生活では使わない英語が文理とも必須。
なんだ、この国の教育制度は、、、。
国立大学入試は多科目の試験があるのだが、
そのくらいの試験科目や総合力を養わなないとならないのでは?
そもそも、教育機関で学んだことがそのまま使えない社会なんだから
何か役に立つきっかけを多く学ばせるべきだ。
2020-09-16
2020-09-15
風塵
視程(見通し)が一時的に遮られる現象
転じて、
きわめて軽いもののたとえやわずらわしい俗世間。
また、こまごました雑事を指す。
経済的には風塵な価値であっても、他人や社会全体として
その活動がないと成り立たないことがある。
だからその行動を強制的に、公共財を使って行うことがあるが
それさえも強制行為だの税金無駄遣いとか言い出す民意。
実際にその行為がなくなると、何も考えていない公権力と批判するのもまた民意。
僕からすれば、民主主義、民意を聞く行為そのものが風塵でしかないんだがね。
2020-09-14
恐慌
しかし、資本市場の社会になっている現代では
生産の急な低下、物価の暴落、支払不能、破産など
経済循環の支障をきたすことが多発していることをさす。
経済活動が人生ではないというか
国民の義務の一つが勤労であり、その勤労とは経済活動でないとならない。
そんな、、って思うかもしれないが、
もうひとつの義務である納税を満たすためには経済活動をしないとならない。
経済活動を伴わない勤労はある意味、趣味、ボランティアであり
それを勤労と認められるかは周辺の人たちの判断基準にされてしまう。
その判断基準が恐慌の源泉である。
経済活動を行わない人が多くなれば、
納税の義務を果たさない周囲とその結果、社会保障などで
自分の納税が使われるという憤りや無力感から恐慌的な発想になる。
恐慌は偉い人がおこすのではなく、
経済活動をしていない人が目につくと心理的に
恐れてあわてるから発生するという事実を
どれだけの人が気づいているのかなあ?
2020-09-11
2020-09-10
2020-09-09
2020-09-08
不信
信義がないこと。
要するに、対象者に対して気持ちが向かない状態。
そもそも論で言えば、自分以外に対して信じることがあるから
裏切りを思うわけだったり、いら立ちを覚える。
不信感を持つことは自己を意識すると同義だと思うが
こういうと哲学的に思われてしまう。
どうも人間は無駄に価値をつける動物のようだ。
他人を思うということに価値を感じたからこそ今の社会があるというが、
それゆえに自然破壊も永続的し続ける存在でもあるという背理も認めるべきなのに
そこは観ないことにするのはいかがなものか?
まー、人間を信じないからこそ見えている僕の眼だからこそか。。。
2020-09-07
2020-09-04
2020-09-03
2020-09-02
2020-09-01
2020-08-31
勘違
ある意味当人が他人への過失を行っているのだが、
自己主張表現の自由を強くしているせいでおかしなことが起きている。
勘違いして、力説したバカがその勘違いを指摘されると
「自分を勘違いさせたことが問題」
とか言い出す。
こんな発言が正当に扱われることが異常に感じない社会になっている。
いやいや、、力説した、指摘された、ということは
その内容に不快、強いては名誉棄損な要素があるはず。
そこを無視して、自分の保身で間違いを正当化、被害者面のはどうなんだろうか?
謝罪する、させる以前に自発的に訂正、謝罪することが出来ない社会って
欧米、大陸的なのかもしれないがそれゆえ、
日本の治安、秩序、思いやり文化が失われつつあることに気づかないのは
現代人の愚かさのひとつだろうな。
2020-08-28
2020-08-27
2020-08-26
2020-08-25
2020-08-24
2020-08-21
2020-08-20
設営
その意味が抽象化して、会合や集まりなどの準備をすることになっている。
企画ものにおける設営能力こそその趣旨だと思う。
人間は表面的な企画そのものを評価したがるが
アイデア、思いつきなんてものは誰でも口にできると言いたい。
それをいかに現実化、そして他人の満足のいく形にするのかは
設営能力であり、企画とは別の能力だ。
企画人間を評価して、実現性のない結果、企画倒れになっても
責任を取らず、反省せずにまた企画を起こし、負債がたまる一方。
設営力を評価する、、段取りなどを評価する傾向は出てきているが
企画そのものの評価を特別視することを辞めない以上
全く意味がないのではって歴史的、経営観点でも断言できるものだ。
2020-08-19
2020-08-18
2020-08-17
手作
自分、もしくは身の回りの人がわざわざ作ってくれること。
手作り料理論争とかなっている昨今。
親が子供のために料理することへの思い込みが激しい。
いろいろと言われているが、ちょっと待て。
古き良き、日本の商店街のお惣菜屋さん。
そこの料理を否定するのか?
そもそも、家内制手工業の町工場は家族みんなで働く、、いわば共働きの先駆け。
その状況で母親が料理することが難しいからお惣菜屋さんが
おかずを提供するする文化は昔からあり、それが連なるところが商店街になった。
手料理とかいうけど、汗水たらして工場を切り盛りする母親のかわりに
大鍋や焼き場で同じように汗水たらして料理してくれる総菜屋さんの料理で
育った人たちが今の日本の生産性を支えてきた。
別に母親の料理にこだわらなくてもいいはずだ。
それにその数々の労力を軽減することで、余暇時間と笑顔をくれている
現代経済を手料理にこだわり、逆行させる発想にバカらしさを感じるなあ。
2020-08-14
蝉声
蝉の鳴き声。読みはセンセイ。
子供のころは当たり前だった蝉の鳴き声。
ふと、コンクリートの都会でも泣きまくっていることにあれ?って思った。
蝉は成虫になるまでは土の中で過ごしているので
コンクリートの土地ではどうやって出てきているのか?
仮に、緑地といっても最近の都市開発で人工的に作られた日の浅いの造園下では
すぐに根付いていないはずでは?
など、いろいろと思った。
しかし、最近思う。高層マンションのベランダに干からびている蝉の死骸を日々見る。
これは生殖できずに死んでいるのでは?
そうなると、この蝉は遠くから出てきてここで生き果てたので、
造園緑地に卵を産めていないのでは?
生態系は長期的に変わる。
これから数年、数十年後には蝉声はなくなるのでは?って。
2020-08-13
2020-08-12
2020-08-11
過言
現代において、言いすぎると思うこと自体が失敗もしく負けである。
言いすぎることを反省することなく、
どんどん言い切っている人間ほど、
昇進や成功を自分の手に収めているのでは?
そして、言い過ぎだ、なんて言い方するんだって言う側は
結果的に負け犬として、文句を口にしているだけに成り下がっている。
過言であることはある意味、責任と決断を行っている。
そういうことで結果を出すことが命題になり
そのためにはどんなこともする。
そのどんなことに巻き込まれることになる人間が愚痴るが、
僕からすれば、その巻き込むまれることが嫌ならば
そちらも過言と思われる発言を行うべきだ。
それによっていろいろな結果が生まれるだろう。
その結果をずっと他人のせいにする負け犬の遠吠えより
過言のために、自己責任をとるほうがなんかその人が生きている証に感じるがね
2020-08-07
2020-08-06
2020-08-05
複雑
手続きが複雑になっている。
そのことにより、不正が出来なくなっているというが
むしろ、それが犯罪の温床になっていることに気づいているだろうか?
一般庶民は難しい手続きをどうにかして対応したいと思っている。
でも、自分には理解できない。
そこを付け狙って詐欺行為をする輩が増えている。
~オレオレ詐欺
~給付金詐欺
などは、司法、行政手続きがその詐欺の温床になっていることに
なぜ気づかないのか?
簡単にできるところに詐欺は生まれるわけがない。
そこに気づかずに、どうだって!公務員の考えるバカな手続きフローに
どれだけの犯罪が生まれていることか、、、
2020-08-04
代行
代行サービスに対して、する/使うでいつも不満しかない。
ビジネスにおいて、代行サービスを行えば
明確に契約時に作業範囲をあげているのに
それ以外の作業を当然のように代行させることに
何も悪気ないどころか、契約に基づいてクレームをあげれば怒り出す。
逆に、代行サービスをお願いすれば
代行すると言いながら、できなかったけどお金をもらう
って平気で言い出す。
まじめに代行って行為でのビジネスは成立しないと考えている。
代行という行為より、結果を高値で売るアクションでないと
ビジネスを成り立たない社会であることを多くの人は自覚すべきだと強く感じる。
2020-08-03
彫刻
立体物を作り出す技法は
マニュファクチャ(手工業)のときは引き算
産業革命、量産になると足し算になった。
手工業では立体物を作るとき、
材料となる塊から削り出すこと、引き算でしか生まれないので
ロスや歩留まりが多い。
対して、大量生産を求めることになると
原料を流体化すさせて成型する足し算になるのでロスなく、均一化が進む。
芸術と工業は生産活動というポイントでは基本的に同じだったのだが、
生活必需品から美術品となったことで造形芸術が彫刻となったといる。
そう考えると、芸術って効率化と経済性と対峙する存在なんだなあ。
2020-07-31
2020-07-30
割勘
僕からすれば、庶民の認識がひどい。
法の下の平等を口にするくせに
「年長者なのに、おごらない」
「普通、男が払うべきだ」
とか平気で言い出す。どこが平等だよ。
また、1円でも多く払ったほうが後日優位に話し出す。
たった、数円の違いなのに、、
基本、僕は割勘という概念を持たない。
会費ではないところは自分が出すようにしている。
それは経費で支払える以前からだ。
考えてほしい、割勘で金額を分配しところで
注文数、飲食料が同じということは絶対あり得ない。
だから、損得の感情をもって他人と割勘を行うことになる。
損得という考え方を持つからこそ、僕が支払いで思うのは
相手を優位に立たせないための支払い、イニシアティブをとるためで
人とて優しいとか、損をしているという概念ではない。
これに対して
「払わしてやっている」
という輩へは、
「器がちっさいなあ」
って言って言い返しても文句言われることはない、なら出せって言えるしね。
2020-07-29
2020-07-28
過失
過失予防策を聞いて納得はするか許せない見解がある。
「過失をしないために自分ではしないこと、つまり誰かにやらせるべき」
という見解を若手にも教育している企業をが見受けられる。
建前上、効率的そして技能的としているが
本質は、無責任、そして、上米跳ねの精神でしかない。
これが現代社会の企業構造になっていることが
いろいろなところで問題になっている。
誰かの責任にしたい。したいという思いばかりで
次の展開に進まないバカらしさに気づかない企業が跋扈していることに
経済停滞を感じる。
重責を担う経験、緊張感からいろいろな革新が生まれることに
多くの現代日本人は理解できないんだろうな。
そこをうまく利用することがこれからのビジネスモデルではあるけどね。
2020-07-27
2020-07-22
中核
ただ思う。中核という人材に権力が与えられていない。
そして、中核と言われる社員はある意味、労奴的に扱われている。
この新しい生活様式において、中核者を労奴的に扱い
上がりを管理職が跳ねるビジネスモデルがいつまでも通じるのか?
そもそも、管理職そのもの仕事がAIの登場でなくなりつつあり
そのうえ、COVID禍で人材の最適化が進めば進むほど。
まーー、フリーオフィス、リモートワーク、クラウドマネージメントを
先だって行ってきた僕からすれば、
中核でないビジネスマンに価値を感じていないから
やっと、社会が追い付いてきたかのか、って思うばかり。
2020-07-21
2020-07-20
豪華
という辞書的な表現のため、日本人の貧乏性から抜け出せない。
逆に日本とことん貧乏性でいくべきなのに、
欧米に感化されたグローバル化に騙され貧富の差を作ろうとしてのに、
富めるものを批判することが正しい価値観を拭い去れない。
質素倹約では現代経済は回らない。
金を稼ぐことを認めることは社会正義である。
そうしないと経済が回らない。
豪華であることは贅沢、、実際の生活が必要とする以上の、分に過ぎた消費ではない。
その分社会に富を還元をしているというべきだ。
そうやって、富める者が使うことを推奨することで貨幣流動性が生じるし
そのうえ、あういう富める人になって豪華に生きようと庶民に
目標設定することが社会活性化である。
安いものをありがたる価値観を根本から批判する覚悟なき日本は
この先、経済活性化は難しいだろうな。
いいものをどんどん高くすることはそう悪いことではない。
日本の物価水準が高くなれば、外国製品、原料を相対的に安く買える
円高によるビジネスモデルも活発化するだろうに。
2020-07-17
2020-07-16
2020-07-15
2020-07-14
投銭
何らかのパフォーマンスをする人への称賛を兼ねた
少額の金銭の投げ入れを行う行為の事
でもこれからは投げ銭=投資、購買に進化すると思う。
個人の価値観が認められすぎて、汎用的な供給では購買にならず
カスタマイズされた供給を見出すこと、準備ができない。
対して、物流改革、インターネットの普及、フィンテックなど金融の多様化で
メーカーとコンシューマーの接点が近づいた。
それゆえ、広告宣伝をマスメディアに行っていないメーカーでも
販路を広く設けることができるようになってきた。
欲しい人が欲しいものを探せる
作りたい人が自分のつくりたいものを表現できる
欲しいものと作りたいものが噛み合ったら、
それを生み出すため、もっといいものを生み出してほしいから
投げ銭を行うことが電子マネー、キャッシュレスでできる環境になっている。
これからは売る、買うから
応援を受けて、応援者にこたえたものを作る時代に、、、、あれ?
これってルネッサンス時代のパトロン制度では?
時代はやはり流転するなあ。
2020-07-13
一人
最近まで独りぼっちって侮蔑することばであったが、
COVID蔓延以降は、その状態がよしとされる。
集団社会という人間社会で能力主義って言っていることから
結局的には単独化する、群れ活動の放棄を意味していた。
それが曖昧になっていたので、神罰的にCOVIDが出てきたのでは?
って信仰論で言いたくなる。
人間は社会的動物というが、群れではないとか言い出したりする。
実際問題、群れ社会における生まれながらの役割がなく
自由に選べることから、すでに個々人の単独生活が前提なのでは?
だって、役割を果たさなくて、役割不足でも生きていけるなんて群れではないので。
2020-07-10
2020-07-09
2020-07-08
2020-07-07
2020-07-06
再演
作品のリメイクが多くなっている。
リメイクは再演なのか、新規作品なのかなど論争があるが、、
この論争は今に始まったことではない。
和歌の世界の本歌取りなんてものはその始まりのようなもので
歌舞伎や狂言、落語の名作、定番もそれにあたる。
時をかけて、同じ内容を行うが
それまでの固定概念や過去の価値観が現代社会とは異なることや
現在の生活様式と差で同じとなっていると限らない。
確かに昨年の舞台を今年も行う再演もあるが
その場合、演者や関係者も昨年一年間でえたノウハウなどを
反映せずに行うことはまずないだろう。
なので、再演は再演にあらず、、と言えるなあ。
2020-07-03
2020-07-02
2020-07-01
2020-06-29
2020-06-26
2020-06-25
診断
転じて、物事に欠陥があるかどうかを調べて判断すること。
診断をすることの背景には、それ以降にもっと大きな儲け話がある前提
いわゆる営業活動である。
医療行為にそういう表現をするのか?!冒涜だ!
って言う人がいるが、僕からすれば医療もただのビジネスでしかない。
あるビジネスを特殊、敬うこと自体が差別、ハラスメントに感じる。
どんな仕事でも相手に利益を与えて、対価を得るものは同じはずなのに。
診断を営業行為以外何物でもないことをわからない、理解できないから
この異常な国民皆保険や税負担もありながら、医療倒産というおかしなことが起きる。
そこがおかしいって医療業界自身に’メス’をいれないのか?
2020-06-24
2020-06-23
2020-06-22
復旧
また、その結果、もとどおりになること。
何か異常なことが起き、それを元に戻すことことになるのだが、
この異常を起こしていない人が復旧活動をしているのに
その人に向かって
「どうしてこうなったの!」
「責任をとって」
と言い出す輩がやたら多い。
復旧の副次として、原因究明があるかもしれないが
そこよりもまずは元に戻すことが重要でその活動を邪魔する説明責任を
復旧者に求めるのはいかがなものだろうか?
火事を出した家の者が消防士に向かって
「どうして火事になったの!」
「早く消してよ、責任取ってよ」
というのは、気が動転している以前に
その行動自体でもう犯罪者扱いにすべきと言える。
家に対しての善管注意義務違反でもあるのだから。
2020-06-19
2020-06-18
2020-06-17
2020-06-16
出稿
いや、最近では新聞・雑誌・テレビ・ウェブサイトなどに広告を出すことかな。
マスメディアといわれる世界に出稿して、宣伝効果を狙う。
もはや、過去のマーケティングとなりつつある。
みんなに知られる、誰もが買ってくれる。
そんなことありえない。
特定の上客に満足してもらう高付加価値なサービスを提供することが
現代市場ではセオリーだ。
みんな知っていても買ってくれないのであれば
どんどん値切る買い方をされては出稿コストもままならない。
出稿するに値しないマスメディア。
存在意義を考え直さなくてはならないのでは?
2020-06-15
小括
結論を急ぐ現代人
しかし、その結論について説明責任を求めてくるのもまた現代。
その説明を総括でしてしまうと、予備知識のない聞き手が納得しないことが多い。
力関係があれば、わからないほうが悪いって言いきれる。
もし言い入れるなら、説明責任などないはずなのでは?
ということは、基本、総括レベルでは納得しない聞き手、受け入れ先が多いといえる。
では長い説明文を用意して、それを読み上げたり
分厚いマニュアルを提示すべきか?
そうすれば、ますます聞き手は不快になるだろう。
説明責任とは、、、、ようはわかった感、興味を示すことまですればいい。
だから、総括より一つ階層を下げた小括を手元に持っておけばいい。
その小括の説明で納得が得られればよし、
それでももっと知りたいのであれば、それ以上は自己責任で
説明文、マニュアルを読む必要があり、
読む以上を受け入れることを交換条件にすればいい。
交換条件に従わず、説明をもっと求め納得しないと
契約しないというパターンがある?
そういう輩は契約しても、クレームや抗弁を使ってくるので
割に合わないのだから、早々に見切りをつけることもビジネスではないだろうか!
2020-06-12
2020-06-11
2020-06-10
2020-06-09
2020-06-08
2020-06-05
無効
その有効要件を満たさないため最初から効果を生じない状態
現代社会において、無効という言葉がかなり有効になっている。
「そんなの自分には無効だ」
「すべて無効になっている」
と自分の意見を通すために他人の権利批判を無効という表現を使いたがる。
権能を得るために、偉くなりたいということが
今までの人間のモチベーションだったが、こういう自己主張による
無効が有効活用されると何をやってもダメな気がする。
社会が権利への徳政令が出ているようでは
人間は何も行動しなくなることが明白だ。
何か生きる目的を失いつつあるようなリスクを感じる。
2020-06-04
治者
民主主義では選挙で選ばれた政治家となっている。
そもそも選挙というモノを愚行と思っている僕からすれば
選挙で選ばれた人が治者であることに納得性はない。
治世が成り立っていないという思いがある。
現に今の政治家に被治者たる国民が平気で
「庶民感覚がない」
と言いながら
「国を預かる発想で政治をしているのか」
と矛盾した批判が多すぎる。
治者は治者であって被治者は従うものである。
それが成り立っていないところに治世があるのだろうか?
企業のガバナンスを見ていると
全く民主主義ではないが社内治世を行う意図が明確なだけに
現世界の国家運営は、、
2020-06-03
2020-06-02
2020-06-01
2020-05-29
端緒
何事も端緒、、始点があるはずなのだが
その始点を明確にできないとみなすことが多い。
因果応報ではないが、始点が何かの成功の結果から始まっていたり
複雑な組みあわせの結果だとどこが始点とも言いづらい。
まして、責任論になると自分に責任をない立証をするために
作り上げる論理はますます問題を複雑にさせる。
「なぜここでこんなことをしているのか」
「なぜこういう指示をだしたのか」
「指示を出す人がなぜこの権限者なのか」
「こんな人をなぜ権限者にしたのか」
「誰が彼を採用したのか」
「そもそもこんな作業をしている会社が必要なのか」
と存在否定まで言い出す始末になる。
全くもってなんなだろうこの無責任社会は。
2020-05-28
2020-05-27
私語
授業中「私語を慎みなさい」
と注意される生徒。いや生徒たち。
生徒同士が近くにいるから私語が発生し、他の生徒への妨げになる。
今はオンライン授業に変わりつつある。
近くに生徒がいないのだから、私語はなくなる。
確かに授業中にSNSをする輩はいるだろうが、それは勝手にやっていて
別の生徒の受講の妨げにはならないという利点はある。
そう考えると、登校して授業を受けるリスクはないから
オンラインにすべきだ。
そして、悟ったのだが、学校に行きたいと騒ぐ輩は
授業などの学びではなく、ただ他人と話したいだけ。
受講を目的として学びとは目的が違うのである。
他人と話すことが社会性であるという幻想から
今回のCOVIDで気づいていない輩を隔離、絶滅させることが
長い目で見た将来性に寄与するという事実に人間は気づけるかな?
2020-05-26
思出
コンピュータ的に考えると主記憶領域にないけど補助記憶媒体にある状態。
当人の頭の中ではすっかり忘れていたことで
何かの契機で脳内の補助記憶から呼び出せること。
情報化社会は人の主記憶の容量を超える情報が飛び交い、
いきなり話しかけられてもその内容がわからないことがなくはない。
主記憶には自信がある僕とてそういうことが起きるようになっている。
だからこそ、会話において、それを悟らせまいとして
いろいろと探りをいれることが、大人のマナー、礼儀だと思うが、、
最近の社会人は自分が忘れていることに対して
「知らない」と言い出した後に、思い出した時に平気で
「そんなこと知っているよ」と言い出すのは、
その人が礼儀、恥じらいを主記憶から外しているから?!
2020-05-25
良品
とても抽象的、曖昧な表現である。
基本、主観的、、つまり自分にとっての良品でしかないのだが、
インフルエンサーに影響を受けやすい現代社会では
インフルエンサーに言われるとそれが良いもの、良品と思ってしまう。
インフルエンサーという言葉は最近の言葉だが
その存在は昔からあった。
芸能人、腕の立つ職人、名バイヤーなどが
自分の価値観でそのユースケースを説明すると良品としてその商品が売れていた。
今もSNSでユースケースの共感で、、、
うん?良品は品物がいいのではなく、その使い方、所作というライフスタイルに
憧れ、その行動がとれるということ。物の性能の良しあしは関係ないのか?!
2020-05-22
2020-05-21
2020-05-20
海苔
日本人なら誰でも知っている食材と言える。
では幅海苔って知っているか?
現在ではなかなか聞かない海苔といえる。
千葉ではよく食べられていた、お雑煮にかける海苔で
今の青海苔の地位ともいえる。
今から50年前は現在のような食料物流が発達していなく
地元の食材しか食べられないものが多かった。
逆に流通しているものは流通コストで高かった。
未就学児時代、
祖父と食事するとき
祖父は初孫である自分にパリッとする高級板海苔を与え
自分はボロボロのような見た目の幅海苔を食べていた。
「じいちゃんはこっちの海苔でいいから」
と言って。
祖父が他界してもう何年になるだろうか?
母と祖父を偲んで、雑煮に幅海苔でも入れて食べようと思ったら
正月でいいものは7000円もした。
相当な高級食材になっていた。
流通コストが劇的に安価になったこと
市場受けがしないので生産者がいなくなったことで
幅海苔の供給と需要が逆転してしまったようだ。
これはバカ貝と言われたアオヤギ、丸々とした鰯もそうで、
昔の高級食材は今の常備惣菜
昔の庶民の味ほど、今では高級食材
ということが多く見受けられる。
2020-05-19
建造
最近では解釈が変わってきて
ピラミッドを強制労働で作らせたという表現は消えてきたが
未だに奴隷に王が作らせたっていう見解を持っている人もいるだろう。
そうしないと、あんな建造物を土木建築機械がない時代に作れるわけがないから
という思い込みで。
それって価値観の違いかつおよび庶民発想でしかない。
建造は公共事業であることが多く、建てることより建てることによる雇用が重要だ。
雇用があれば、仕事がない時期に仕事と収入を発生させられる。
それを行い経済を回し、犯罪を実行させる機会を減らすことができる。
こういう発想で大型建造が行われて、強制労働ではない。
逆に強制労働だとモチベーションの問題でそう大きな成果にはつながらないだろう。
でも後世の庶民は自分の価値感で強制させられてと思い込む。
ピラミッドだと古代過ぎてイメージできないから近代で話そう。
前の東京オリンピック、
国立競技場の建設は大型公共事業であり、
今のような最新建築技術はないなか作り上げた。
土日休日一日8時間なんて今の基準はなく24時間交代制、
労災なんてなく、ただひたすらに工事を進めた。
完成直前のゆく年くる年の生放送中に現場監督にアナウンサーが話しかけた
「こんなときも頑張っているみなさんに家族もお喜びでしょう」
という発言は称賛されていた。
今では全く逆の評価になるだろうが、
その時の価値観で公共事業、建造は行われることを物語る証拠ともいえよう。
2020-05-18
2020-05-15
2020-05-14
屋号
現代社会、屋号を名乗ることはない、、、とは言えない。
例えば、父方の親族の集まりに参加した場合、
苗字に呼び合うだろうか?現民法では同じ苗字になるのでなかなか識別しづらい。
だから、住所で呼び合うことになったりするだろう。
千葉の
博多の
琵琶湖の
なんて、耳にしないか?
それが屋号であり、
昔は地名も戸籍も統一されていないから独特な屋号があった。
ある意味、アドレス単位で人を把握していた。
今のメールアドレス、ハンドルネームもある意味、屋号の一種化も。。
とはいえ、屋号も汎化すれば、、公になる藤原摂関家を軸にした屋号が
藤原邸の左にいた 佐藤
藤原邸の門番 衛藤
藤原邸の近くに 近藤
と多くの藤の性の発祥は、屋号が昇華したものだから、
今後、、、メールアドレス、、ハンドルネームも性の代わりになるのかな??
2020-05-13
2020-05-12
2020-05-11
2020-05-08
2020-05-07
他為
はっきり言えば、
他人のためという発想はこれからの社会では不要、いや批判される。
他人のためと思っていて行動しても相手側が自分中心な考え方だと
当然と思っていることになり、こっちの思いが通じない。
通じないって思いもまた自分中心であり、、この連鎖が永遠に続く。
これからの社会はsocial distance という言葉から
人と接しないことが求められることと、他人に無関心、むしろ
画面上の存在、ゲームで言えば、NPCと同じ、、
自分以外はどうでもよくなるだろう。
こんな社会で他人のためと思うことが自損につながるということを
理解しておく必要がある。
偽善者がその自損を褒めても、支援や援助を一切しないそれが現実だ。
2020-05-01
特番
ラジオ、テレビの放送枠で定例と異なる放送を流す企画であるが、
現時点のCOVID禍の以前から既存メディアの衰退が激しく
特別といいながら、新たな企画ではなくアーカイブス
つまり、過去作品の再編集を流していることが多い。
表題的には
「リクエストの多かったあのシーンを」
と言い出すが、既存メディアは双方向ではないのでそのリクエストの根拠はなく、
ただ自分たち制作サイドの思い込みという手抜きなチョイスである。
こういう過去にすがりだすことを始めると衰退がより加速する。
特別番組と銘打ち、あたかもすごいと思わせて名前負けの発想は
双方向メディアの台頭、一般人投稿が簡単なインフラの今では通じないことに
気づけないんだろうな。
2020-04-30
途端
前提動作に合わせるように、、それが意図、自発かどうかは別にして
前提動作に呼応動きが発生すること。
ビジネスにおいて、途端ということが非常に喜ばれる。
相手の動きに合わせて時間をおかずにリアクションをすること。
現代人はそのリアクションが遅く怒られることが多いが
僕の場合、そのリアクションがあまりにも早すぎて、場合によっては
先行して結果を出してしまうのでそれがまた蛇足になり怒られる。
ジャストのタイミングとは途端であり、
その途端に合わせて提供するための準備をしておくことが重要とは当然と思うが
リアクティブな現代人は言われない動けない、言われても動けないことに
緊張感や危機意識がないのはどうだろうか?
2020-04-28
2020-04-27
2020-04-24
非触
今、、いやこれからの対人は基本こうなるだろう。
人間は基本、他人に触れることは許されない。
暴力に始まり、
痛みを伴わない接触も精神的なものとして痴漢行為になり
当人ではなく接触されたことの不快の思い込みが優先されるハラスメントになり、
そして今は病気問題から、、、
昭和のときに
子供たちはいじめで
<名前>菌
と言っていたことがいじめの社会問題だったはずが
それが今、社会として当然になりつつある。
この先、
吐息がかかるだけでも問題になる社会になることも
天眼できる。
これって、、人類の崩壊につながらない?
非接触では生殖もままならない。
この時期に妊娠したら後日批判されるんだろうな。
丙午の子のように。
これで人間が内圧的に崩壊するんだろうな。
2020-04-23
販路
商品自体は同じでも販路を広げる変えることで事業は変わっていく。
法人、企業向けに売っていた商品を
家庭用、小売りにすることは大きな販路の拡大だ。
販路拡大は必ずしもメリットばかりではない。
確かにメリットとして
~業務用という実績が家庭向けにはブランドになる
~今までにない爆発的な供給が生まれる
もあるが
~個配にするための物流、梱包コストが高まる
~見えない客からのクレームで今までの実績が失墜しかねない
こともあり得る。
販路について、簡単に拡大を狙うのは
難しいことを前提しないでチャレンジというのはいかがなものか?
2020-04-22
2020-04-21
2020-04-20
針鼠
ハリネズミのジレンマというメタファーを知っているか?
調べると意味合いがいろいろと違い解釈になっている。
まず一例として
傷つけ合うことを恐れて距離を置くと、
今度は疎遠になりすぎて仲良くなることができないという意味
対して、別の例では
いくら親密になろうとしても、互いに傷つけ合うことになるのだから
一定の距離と根本的には一人で生きていくものだという意味
事象は同じなのだが、とらえ方の違いがある。
そして、この違いから
ハリネズミのジレンマについて話そうと他人と密に接して
見解の違いで互いに傷つくなんてことも起きるだろう。
結局、他人とは相いれない。
そして、現在起きているCOVID-19はあたかも
そのメタファーをリアルにしようとしているのではって未知の意思を感じるなあ。
2020-04-17
2020-04-16
2020-04-15
給付
なのだが、多くの場合は国民に行政、政府が金額的な援助を与えること。
現在、国民皆給付が取りざたされている。
一律に10万円とか、、
ちょっと考えればわかるのだが、
その10万円ってこの日本において財源は?
~将来の増税
~経済的にインフレーションを起こして、価格価値の低下
になるだけでは?
つまり、前借しているだけ。
まー皆給付の対象にならない自分としては
~将来の増税
~インフレによる現金価値の損失
と給付金をもらえないだけでなく、それ以上に未来の目減りもおきるのか?
って失望感しかないね。
2020-04-14
2020-04-13
2020-04-10
生産
が本来の意味なのだが、最近は生産性という言葉で、
成果につながる結果という意味で使われる。
生産性のある活動、生産性が低いなんて言われる。
とりわけ、テレワークに変わりつつある現代社会。
勤勉に出勤、参加することで評価されていたが
これからは生産性という言葉から、いいものを出せばいいということになる。
でもこれってなかなか難しい。
いろいろと検討しているが結果が分かりづらいアウトプットを
~いろいろな検討をしてくれたおかげで、判断材料になった
~いろいろと検討しているが、結果につながっていない
と同じものでも、主観性で評価が逆になる。
これの上長の好き嫌いだけの評価になることに
現代人はわかって生産性と言っているのか?
2020-04-09
2020-04-08
2020-04-07
2020-04-06
2020-04-03
2020-04-02
貸付
損料・使用料・期間などを定め、物品や権利を貸したりすること。
所有から使用にかわる消費価値観。
使用とはある意味、一時占有、、貸付を得てているということになる。
最近の人はちょっとだけ使うだけに消費して
所有を好まないとか言い出している。
それが新しい消費だと言い出す。
ということは、、経済活動が縮小することを認めるということだ。
例を挙げれば、
300万の自動車を買わずに
1万円で一日のレンタカーを数回すればいいとなると、
消費額は下手すると100分の一になる。
レンタカー企業が車を買うことでそれなりの数は売れると言い出すかもしれないが
それでも、個々が車を所有するより額は著しく下がっているだろう。
貸付で回す経済に果たして、日本の経済モデルが満足するのかなあ?
2020-04-01
2020-03-31
2020-03-30
野味
品種改良せずに自生している動植物の味。
なんか、健康的とか勘違いしているのでは?
最近やっと謎が解けた。
幼少期に食べて以来、ニラ玉で吐いた。
また、そのからみか野菜嫌いでもあった。
ただのニラ、卵なのに、、、
大人になって食べてみるとなんて事のない普通の味でむしろ、、
っで、老婆になった母が一言
「今の市販されている野菜は何一つえぐみというものがない
実家の野菜なんて、えぐみを処理しないと食べられたものではない
また、卵も無精卵は食べやすいねえ、変な触感や」
、、、、
そういうこと。
自分にニラ玉や野菜を食べさせたのは、母の実家の農家。
祖父母、曾祖母からすれば、日ごろ食べているものだが、
僕にとってはとてもきついものである。
今は市販するために品種改良や出荷時のチェックで
食べやすいものしか食卓には上らない。
見た目は同じでも野味がするものはとても食べられたものではない。
食べたことがない人にはわからないだろうし、
まして、それが普通と思っている祖父母たちからすれば
市販の野菜の味を知らないに等しいだけに、、
そう、今の食事に上がっている生鮮食品は生=野味どころか
ある意味、遺伝子操作、加工食品そのものといえるんだろうな。
2020-03-27
採択
文章的にはそういうが採択の真意は
一番否定的な意見がないものにしたということである。
僕から言わせてもらえれば
4択という4つから選ぶという発想は
いいものを1つ選ぶのではなく
ダメなものを3つ作り出すことである。
それが採択を検討するということ。
そんなことはない!
ちゃんといいものを選んでいるんだ!
と言い訳を言い出すが、
いいものということは相対的に他のものは劣っているということになる
事実に気づいているのかなあ?
無自覚な人ほど、検討理由が他人に納得させられないで
いろいろと揉めていることを目の当たりにしていないか??
2020-03-26
2020-03-25
2020-03-24
多幸
と漢字の文字そのものの意味の時もあれば
医療関係では
本人や周囲の客観的状況にそぐわず、内容のない爽快な気分の状態。
老年性認知症や薬物中毒・神経疾患などにみられることも多幸を使う。
一見すると、医療関係の使い方は全く逆の意味に感じられる。
しかし、「お前幸せそうだなあ」って表現を使うときはどうだろうか?
意味合いとして、褒めるより見下し、侮蔑の意味を込めて使うことになり、
医療関係の用例もそっちの意味合いである。
そもそも幸福を感じられる状態って、異常な状態ということ。
人生なんて生き地獄、必死に生きて抜いた様を後世で
あの頃は幸せだったと思い出すことはあったとしても
今が幸せと語っているときはある意味危ない証拠ではないだろうか?
2020-03-23
2020-03-19
瞑想
心を静めて無心になること、
目を閉じて深く静かに思いをめぐらすこと
用は、ひとり動かずに特定なことを意識し続けること。
現代社会はとかく、他人や他の存在とつながっていないといけないとなる。
それが社会だといういいだす。
しかし、個々がそれぞれ、新しいアイデア、気持ちをリフレッシュさせることで
社会全体が発展していく。
どうも一緒に行うことでそれができると勘違いしている人が多い。
そういう人ほど全くのノーアイデア、無責任、他力本願なこと。
瞑想行為により、今の自分、身の回りに環境、進むべき方向性などを
客観視することなどで違った発想がでてくるのではないか?
考え方や気持ちの入れ替えは、自己でするもの。
他人と一緒にできると思い込んでいることは瞑想の反対の妄想だ。
2020-03-18
2020-03-17
2020-03-16
違法
それは罰せられる対象になるのだが、
違法行為をした側よりさせた側のほうが悪いのに
結果、強いられさせられたもののみ罰せられる。
させた側は手を染めていないからいくらでも言い訳
「こういう意味で指示していない」
「そもそも自分たちは何もやっていない」
「自分たちを罰せる法はない」
とのたまうことを目にする。
法は何のためにあるのか?
そこを考えると、
既存法より自ら信念に基づく自然法、良心の赴くままにすべきではないかと思う。
それが混沌、chaos、無政府状態になってしまうというが
今がすでにそうなっていると気づかないのか?!
2020-03-13
物件
物、商品と物件の違いは?
日本人は現物主義、ここが大きな認識の齟齬になっている。
外国、欧米系の価値観では物は物、権利は権利と考えている。
だから、物は物だがそのものには
~所有権
~占有権
~貸借権
などの複数の権利が存在する。
それぞれの権利を取引することを物件と考えている。
たぶん、物件の件と権利の権は音が同じで当て字違いのレベルではという話。
一つの物に複数の権利関係は日本人は嫌がる傾向にあるが
欧米社会では寄ってたかってそこを取りたがり、
その価値観を国際基準にして、日本をはじめ多くの国は迎合している。
果たして、それでいいのかなあ?
2020-03-12
2020-03-11
2020-03-10
2020-03-09
信心
信仰の自由は万国で許されている。
対して、他人の信仰を否定する権限も否定されていない。
だから、自分の信仰が正しく、他人の信仰は違うということが
見解として起こりやすい。
それが現代社会の根本的な善悪の観点と言い切れる。
何をもって正しいのか?
それは自分の信じるものから得た価値観なのだが、
それに相いれないものは正しくない=悪になってしまう。
でもそれは他人からすれば、全く同じく相手をみなす。
正義のためという言葉、ただの信心のエゴでしか過ぎないことに
まだ庶民は理解していないのでは?
正しさなんてものはない、ただ自分のこそと思うエゴの強さが
社会を席巻しているだけということを。
2020-03-06
2020-03-05
2020-03-04
2020-03-03
2020-03-02
顧客
っと、辞書にあるが使えない辞書ばかりだな。
顧客の顧とは、かえりみる、、つまり贔屓、再買することであり
一般消費ではなく、定期購買、リピーターのことである。
お客様は神さま、お客さまは平等ってバカみたいなマーケティングではなく
必要としてくれている人の声を反映することが最優先させるべきだ。
そのためには、一般消費者を切ることが最優先。
古今東西、一般消費者をシャットアウトすることで成り立っているのが
一般消費者側が値を釣り上げてくるになることが実質ブランドではないか!
現代日本の価値観が根本的狂っていることをまともに公言できないからこそ
この凋落ぶりがいつまでも続く。
顧客志向は神様志向ではなく、資源の再分配そのものって気づくべきだ。
2020-02-28
2020-02-27
2020-02-26
2020-02-25
2020-02-21
2020-02-20
2020-02-19
机上
そもそも卓とはどういう意味か?
卓とは英語のtableと同義である。
ではtableとは?
table と disk との違いは?
答えは、、table とは縦X横のフラットであること。
食卓、麻雀卓、はフラットな一面であるが、
学習机や作業台は面を持つが機能的な傾きを持ったりしている。
卓上とはそのフラットな面の上において使えるという意味である。
そして、IT経験者なら気づいていると思うが
データの格納先をtableというのも、縦X横
つまり二次元アドレス管理をしているからだということなのだが、
どれだけ知っていたかなあ?
2020-02-18
遠隔
・東京一極集中による物価高騰
・通勤による感染、痴漢被害
など、人が集まることで起きる問題。
それに対して
・5Gなど通信の高速化
・テレワークを推奨する社会価値観の変化
・業務のアウトプットがもはや物理納品ではない
・通販の発達で商品購買がどこでもできる
ことから、個人が現場にいる必要はない。
これから遠隔操作を旨とした生活を考えるべきと言われている。
当社はもともと通勤概念がないままに操業したから
こう考えることに違和感はない、、、いや違和感を感じる。
遠隔操作が目的ではない、目的は脱人間と接触だと考えている。
最終的には人間を感じさせないことがあるべき姿と思っている。
人間という物理存在に固執しているからイノベーションしないとまで
掲げていることが最近の当社のビジネスモットーかな?
2020-02-17
操業
産業革命以降、マニュファクチャリングから機械化された生産活動。
今では機械なしに生産活動はないと言えよう。
業務=操業となっている。
この機械化により、
マニュファクチャリングで培われた専門工たちの仕事を失ったと言われる。
そして専門工の技術継承がなくなり、人間の技術が退化したともいわれる。
この考え方はAIにも言われ、危機を感じる技術者、職人がいる。
しかし、現在の半導体製造、人間の手が触れることのほうがおかしい。
そこに専門工の技術ではなく、その機器を設計する科学技術の発展こそであり、
人間個々の技巧にこだわるのはいかがなものか?
2020-02-14
滋味
転じて
豊かで深い精神的な味わい。
なかなか他者と共感しづらい表現と僕は感じている。
その食材の味と栄養を等しく評価できないものだ。
現代社会は脂質、糖質、甘味、塩味、辛味、をすべて否定する帰着ばかりだから。
その味を褒めれば褒めるほど、他者は対抗表現や嫌気を出しかねない。
その味わいで得られる栄養価も、他者にとっては取りすぎと思うことばかり。
同じように、精神表現においても
良かれと思う表現は他者には嫌味や軽蔑に感じ取られることも多い。
自分らしさと言えば言うほど、自己中心主義をひた走るコミュニケーション障害者
になるだけである。
滋味であることは自分の中にとどめておくべきかなあ。
まーそもそも他人と共感していること自体、滋味ではないと思うことが
僕自身の滋味の極めでもあるがね。
2020-02-13
童好
一見、好感が持てるように感じられるが現代社会では悪徳になりやすい。
他人の子供に優しくするとそれはロリコン、児童誘拐犯扱い
自分の子供本位で行動するとモンスターペアレント
と社会にとってあり得ない価値観になる。
ここに挙げている表現を極端と思っている方。
あなたが他人からそう思われていることの自覚がないだけと思うべきだ。
社会は他人にはそういう眼差しで見ている。
僕自身、子供に興味がないというより、自分の獣性に従っているようだ。
小動物や動物の幼体には一族性というか家長的父性で守りたいと思うが
その個体が大きくなると縄張り争いの対象と感じることが人間だけでなく
動物すべてに感じる。
知的に振舞うようにしているようで、僕自身のマインドはワイルドなんだなあ。
2020-02-12
旅行
モノ消費からコト消費になり、
思い出、経験に支出を回すことが当たり前になりつつある。
昭和世代の価値観、消えるものより残るものの発想は過去の価値観になっている。
たしかに経験を積むこととしては旅行などはいいものと言える。
いいだけに、自分としてはその経験の目的を定義してからでないと
行動しない、できない性分である。
だから、ただ行きたいではなく、
5W3Hが成り立っていないと行動しないことが多い。
それでは経験できないのでは?
と言われるが、旅行に出かけて必ずしも楽しい経験、勉強になる経験とは限らない。
~時間の無駄
~二度と行きたくない
~あの人の見たくない一面が出た
とか、知らなければよかったことも旅行には現れることを
軽視しないことはこれも僕の嫌な性分なのか、それとも天賦の才か。
2020-02-10
2020-02-07
2020-02-06
2020-02-05
2020-02-04
2020-02-03
入試
そもそも現代社会の教育について懐疑的であるが、
現代の入試については根本的に間違っている。
この入試があるからこそ、
身分差そしてそれ以降人間の学習力の低下につながっていると思う。
入試で求められているものは
その後の人生で役に立たない文字列を瞬間記憶させるという
本当にバカなスキルでしかない。
考えてみればおかしいだろう。
スマートフォンで調べられることをテストしていて、
スマートフォンで調べた受験生を罰するが
その4年後、社会人になったらスマートフォンで調べていないことを罰せられる。
瞬間記憶を1~3月の間に発揮して
その後の人生が決まるのに、その瞬間記憶はその後の人生では
役に立たないことのほうが多いというバカらしさを感じる。
これだけ通信技術が発達したのだから、
講義ごとに
~その講義前に、講義を聞くために体系的な理解があるかの確認
~その講義後に、講義内容を理解しているかの確認
で受講完了とさせればいいものを。
2020-01-31
親切
好意をもって人のためにあれこれと計ってやること。
辞書の意味ではこうなのだが、、、
昨日駅で遭遇したのだが、
見ず知らずの人が
「お金がないから家に帰れない、貸してくれ」
と話しかけてきたから
「駅員に話せば?」
と答えたら
「親切ではない人だ、なんて社会だ」
と言い放たれた。
借りて返す気がない人間に何をもって親切にすればいいのか?
最悪、「親切な奴がバカなんだよ!」って開き直るから
そういう行動をしているお前が社会から親切さを無くしているんだよ。
日本は元来に真摯に悩んでいるのであれば、助けたいと思う社会だったんだよ。
親切にされた人がその恩義をまた他人を助けることの循環があったんだ。
親切されて当然ではなく、して当然だった日本なのに、
相手の思いを踏みにじることがこういう社会になっている、、、
いや僕が思うにこれこそグローバル化だと思う。
無駄に自己主義な外国文化を取り込むから、、、こうなる。
見てみたまえ、グローバルを強要してきたアメリカが
移民排斥をしている事実に、だまされ続けられていることに気づけ、日本。
2020-01-30
2020-01-29
2020-01-28
2020-01-27
気概
やる気と言われ、昭和日本までは称賛されていたが、
個人主義、効率活動、働き方改革、により
やる気で時間を浪費すること意味を見出せないし
それをしているのでは、させられているということになっている。
やる気を示して行動していることに無駄はあるのか?
それが効率的でないという自覚があるから
効率的ということに恩恵、ありがたみを感じるものであって、
当たり前になっていることに何の感情もないどころか
それが存在しないことに怒りを他者にぶつけることになることに
社会悪を感じてならない。
気概を持ち、非効率なことも経験することが
モノの本質、ありがたみ、強いては人生の有意義を感じられるのでは?
効率化してありがたみを感じない人間を多くして
その先に何をさせるのだろうか?この社会は??
2020-01-24
開発
農場・工場・住宅などをつくり、その地域の産業や交通を盛んにすること。
新しい技術や製品を実用化すること。
知恵や能力などを導きだし、活用させること。
開発の意味はいろいろとある。
今までにないものを表に出すという表現なので多義語になりやすい。
なので、その行為が開発と言われたとしても本当に開発なのか?
疑いたくなる。
これだけグローバルな社会。
見たことがないといってもどこかであるかもって思うものを
開発したって言えるかどうか?
言い切ってしまうことにもまたいろいろと問題がある。
開発という言葉に難しさを感じるのは僕くらいなのか??!
2020-01-23
2020-01-22
2020-01-21
肝心
西洋医学がまだ浸透していない日本ではキモ、肝臓が一番重要な臓器とされてきた。
そして、魂というか人間たらしめるものは心で考えるとしていた。
つまり、心臓という臓器の心の意味は後付けに近いいうべきである。
肉体の中心、肝、人間の精神の拠り所としての心、その二つが一番という意味で
肝心という言葉になっている。
肝心なこと、肝心要と使われてきたが、最近聞かないなあ。
それは西洋医学の普及のせいか?
いや、肝心なものの定義が損なわれている昨今だからこそ、
つかわなくなったのか?
それとも、肝も心も人間たらしめるものではなく、
すでに肉体を逸脱した電脳を認め始めたから、、なんてね。
2020-01-20
使熟
あるモノを十分に活用できている状態をいう。
僕にとって現代人は本当に愚行極まりない。
無知な者が一定の理解で使っているレベルを基軸に
それより出来ないものを不器用、
そして、それ以上にいろいろと活用しているものをマニア、オタクと卑下する。
無知な発想を基準に他人に無礼な発言を容認するのはどうだろうか?
特に現代日本でのこの発想が
モノづくり能力の低下、生産性の欠如の日本を生み出したのでは?
うわべだけの機能理解でモノを使い、
また新しい機能のうわべだけで買い替える。
経済循環的にはいいかもしれないが、それを買う購買力があるのか
そしてその機能をうわべだけでなく
使いこなすことで本当は得られる生産性見合い結果に目をつぶることは?
いろいろと現代人の買い物価値観に疑問を感じてしまう。
2020-01-17
雑学
ひとつひとつは意味的なまとまりをもった知識であるが、
集められた知識はお互いに関連性が希薄な事柄で、
全体としてみて系統立っていないものを指す。
確かにそうだが、
雑学知識なくただ自分の得意な専門的なことを一方的話している人間が多すぎる。
専門となると、ちょっとでも違う領域、方向性だと拒否反応を起こすこともしばしば。
話すこと、ビジネスをするということは相手ありきで自分の独り舞台では
結果にならないという自覚がない。
雑学はある意味、相手、自分の得意なことではないことが多い。
しかし、互いに得意ではないということが共通点になり、共感性を得やすい。
そのために雑学の会話は本題と違っても会話をスムーズにさせる潤滑剤になる。
雑学を蓄えて、会話をうまく進める。
その意味で僕はいろいろと蓄えていたら、
雑学からその分野が得意になったり
雑学の話をしすぎて本来の会話内容がおろそかになったり
とまー弊害はあるけど、
雑学のおかげで会話を続けられるというに関してはなかなかの自覚はある。
2020-01-16
民放
民間の資本によって設立された放送事業者によって行われる放送のこと。
現在、「テレビがつまらない」って言われている。
これって日本の民放ビジネスモデルの崩壊っていうことだといえる。
日本の民放とりわけ地上波放送は
世界で稀に見る受益者負担ではないビジネスモデルである。
テレビ画面は広告塔と位置付けて
スポンサー企業からそのテレビコンテンツの制作費を出させ
その合間にCMを入れることで成り立っている。
視聴者からすれば、無料でテレビコンテンツが観れていたという
恩恵がwin-win-winとされてきた。
しかし、これは放送局、企業、視聴者の思いがづれ始めると取り返しがつかない。
視聴者:みたいコンテンツがないので観ない
企業 :視聴者が観ないのならば広告塔の機能がないので支払わない
放送局:金がないから、いいコンテンツを作れない
の悪循環に入ると抜け出せない。
今はある意味、その入り口に日本の民放は立っている。
そして、これから受益者負担の価値観が認められたり、
観たい視聴者と作る放送局が直接成約することがグローバル的、DX的に
容易になったので、企業の広告塔の意味合いはなくなっていくだろう。
そうなると、日本における民放という概念はなくなるだろう。
思うに日本の民放ビジネスモデルはおかしかった。
一方的な放送局の価値観に企業、視聴者も従ってきたが
双方向で視聴者からの見解を言えるようなDXの進化は
放送倫理を再認識させて、そもそも放送局の思い込みが
狂っていたって証明させているだけのような。
2020-01-15
補正
補っているということは主従で言えば、従側である。
しかし、現代社会はどうだろうか?
本来あるべき正常に合わせるために補正している行為こそが主になり
~この補正になぜ周りが合わせないのだ
~そもそも正常では動かないからこそ補正しているのであって、補正こそ正常であるべき
という見解が跋扈している。
距離感で例えるなら
はじめは正常への方向性に対して、たった1°のづれのつもりだった。
1mでは、d=1*sin1°=1*0.0175=0.0175(m)
1kmでは、17.5(m)
10kmでは、175(m)
100kmでは、1,750(m)
もづれてくる。1kmも離れると
すでに100kmの進んできた実績から
自分たちのほうが正しいとなるのが人間の性なんだろうな。
常に正しいほうに修正するとしても補正したことが正解と思っている以上
正常への回帰は無理ということが人間社会なんだろうな。
2020-01-14
予測
未来における実現すると考えられる特定の変数の値を想定すること。
「未来予測に基づいてリスク回避しよう」
ということは論理矛盾していると気づくだろうか?
もし予測どおりリスク回避できていたら、
そのとき言われるのは
「未来予測通りにならなかったな」
予測が否定される。
だって、リスク回避されたのリスクそのものが
わからない状況になっているので、当事者としては目の当たりしていないのだから
それは当たっていないということになる。
逆にリスク回避をしたいのに、予測通りになった場合は
リスク回避しても無駄なことだったのに、
「未来予測したのに、なぜリスク回避できなかったんだ」
と罵られる。
予測することは損でしかない。
それに気づかずに、毎年あたらない予測にお金をかけたり
胸を張って計算されたビジネスということに
非科学的な占いビジネスと何が違うのか?問いたい。
2020-01-10
2020-01-09
2020-01-08
国内
日本では日本国土内は範疇となる。
グローバル化している昨今、他者比較をするどころか
日本国内においても、アメリカ、中国基準の見解を押し通す輩が多い。
しかし、日本語、英語、中国語に
「郷に入っては郷に従え」
When in Rome、do as the Romans do.
『入郷而従郷、入俗而随俗』
という諺がそれぞれの母国語にある。
その諺通りにふるまうべきであり、
日本では日本の法律に従うべきだし、地域ルールを尊重すべきである。
もしできないのであれば、出国すべきもしくは国土民と接するべきではない。
そもそも、自国民でありながら、出国もせずに文句を言っている輩は
罰するか死するべきと思うことは社会秩序を重んじると言えないのはなぜか?
って国民に問いたい。
2020-01-07
理論
また認識を発展させるために、筋道をつけて組み立てたもの。
理論は理論であって実践しているものではない。
ビジネスにおいても
PDCA(OODA)
R.A.P.I.D
など新たな行動理論がWEBや書面を騒がすが
その理論を理論のまま、偉そうに語っていることに意味を感じない。
自己ではその理論を理解して
その理論をテンプレートにして、実践を行い
その結果でもって、実は理論を応用しましたということが
本当の理論の理解、伝播になるのでは?
書籍を読むことが多い時期だっただけに
読めば読むほど、理論の虚しさに感じてしまった。
2020-01-06
賽銭
現在、賽銭の電子通貨について無礼と声を上げる輩の存在が目に障る。
言い分として、そんな不浄な賽銭で神仏に失礼ではないかっと。
バカか、、、
そもそも、賽銭という行為自体が不浄であった。
本来なら、五穀豊穣の結果して青果、穀物を供物をささげていたが
社会構造の変化で農家ではないものや供物の物理的大きさや賞味期限から
供物ではないものをささげることに変わり、砂糖などがその例であった。
その後、、商業、市場の発達から人間の手で汚れた不浄な存在であるが、
汎用性の高いことで通貨を賽銭ということで認めて今に至る。
賽銭も不浄であるが、価値観が変わってきた一環である。
そうなると、電子通貨もあるべき姿である。
現状がそのものが不浄である事実に気づかず
自分が理解できないものを不浄として
紙に成り代わり失礼と言う発言、そのモノが不遜の極みではないだろうか。