2018-12-11

幾分

いくつかに分けたうちの一部分。
感性な表現であり、それぞれの価値観で変わる。
人によっては、
全部でない以上は幾分
半分以上は大半、それ以下は幾分
1割以下は幾分
と言いかねない。
感性的な、、つまり定性的な量表現って曖昧で
感性、感情をくすぐり、諍いをおこしやすいんだろうな。

2018-12-10

育成

立派に育て上げること。
人手不足、それを一過性に考えるから現代日本は失敗している。
考えてほしい。
一昔前の医師不足という現象はその数年前に医学生枠を削減させた結果だ。
そのうえ、その医師不足に向けて有望な医学生を採用するようにした結果が
今の医学部受験の優遇処置につながっている。
医師不足にならないように、長期でかつ確実に自分の大学と連携できる医師を
育てたいからだ。

今の社会に起きている人手不足も同じことになりやすいかも?
出来る人材がいないから育成する方向に舵を切り、企業として育成を始めるが
その育成結果が自社がコストを支払って育てたのに、別の会社に転籍されては
と思うことは当然になる。

社会的育成、、自社の発展のための育成
育成を行う側の立場、育成を受ける側の理解が
かみ合わない以上難しいかな?

でもさーー、人生って日々成長であるべきで
教え方によってはずっと師事関係は続くので、転職とか考えなくてもよくなることあるのでは?

2018-12-07

見処

見る価値のあるところ。 今後を期待できる優れた点。将来性。
思うに、見せたい側の見処であるアピールポイントと
見ている側の評価ポイントって一致するだろうか?
価値の多様化、個人主義になっているので
自分の見処の押し売りとそれを否定しがる応酬になっている。
何をもって見処か、逆に相手が求めているものは、、
考えれば考えるほど、外しているような現代社会。
それって需要供給が成り立たないようになっていないかなあ?

2018-12-06

例示

例として示すこと。

人間具体的なものであればあるほど実感して理解できるが、
具体的あればあるほどその具体例そのものとしか理解できず
応用がきかなくなる。
物事を抽象化して、汎用的に理解しようとする意識、試みを
他人がしないという事実に気づいたのは高校生になってからだ。
だって、高校の勉強なんか、暗記すれば高得点という
理解ではなく記憶の世界で評価されることばかりだったので
勉強する気が失せてしまったのだから。

そもそも勉強するって、例示をもとに応用できるように
自分の中で抽象化させることだと悟っているのだが、
その事実を否定する現代教育とそれに学力、学歴が伴ってしまったことにより
日本の知力水準の低下になぜ日本人はわからないのか、、、
そうか、、評価されて現在教育を考えているとされる人たちがこの程度だからなのか。

2018-12-05

近郊

都市にごく近い郊外。
どこまでが近郊なのか、、それはそれぞれの主観であり、
他人には認めがたい価値観になりやすい。
「自分の住まいは近郊なので」
「あの田舎が近郊かよ」
で口論ばかり、、、自分の家が都会でありたいという思いは
日本人、、とりわけサラリーマンの思い。
しかし、だったら、、近郊ではなく都市に住めばいいのに。
でもそれができない日本の土地事情となっている。
近郊の概念が残り続ける以上、
日本のテレワークが進んでいないと思ってしまうことは
庶民は理解できるかなあ。

2018-12-04

目覚

睡眠から覚醒すること。
今の自分は目覚まし時計を使わないでも起きられる。
というか、目覚まし時計をセットすると気になって寝付けない。
でも思う。
おきることを意識して、眠りが浅いがちゃんと起きられること
熟睡をして健康であるが、起きられないこと
どっちが正しい生き方?
バカは、熟睡してすっきり起きられることがいいという。
、、、そんな理想的な状態が現代社会であり得るのか?

2018-12-03

転売

一方から買った物を、更に他に売り渡すこと。
個人転売行為が違法、、、でもオークションはOK。
うーん、日本の商法制度がわからん。
はっきり言えば、卸、GMSって転売そのものなのに、
言い訳して転売ではないとか言っていること自体からしてもう破滅的発想だ。

はっきり言おう。
商売とは転売することだ。
需要低いところから安価で仕入れて、需要の高いところに高価で売る。
その行為にやれ違法だ、個人が参入するなとかバカらしい論理をぶつけること自体。
既得権益にまみれた闇そのものが日本の市場そのものではないかって思ってしまう。