2019-12-09

防衛

防衛という言葉は守っているのではなく
自分の意見に従えというただの威嚇攻撃でしかない。

「防衛は相手が攻めてきたら、対抗する」
という論理で成り立っている。
その論理だと、どういう相手が攻撃してきたら倒していいという論理だ。
一見正しいように感じるし、欧米人の発想はこの程度だ。
しかし考えてほしい。
この発想だと、相手に攻撃させるようにさせれば何をやってもいいことになる。
だから、今のアメリカのように自分たちの言い分が通じない相手は
今後アメリカに攻撃するかもしれないから防衛のために倒す。
というとんでもない論理で今の平和が成り立っている。
これで、先住民をインディアンとみなして
先に勝手な言い分で土地を奪っておいて、
それを取り返しに来た先住民から防衛という名の殺戮をした
結果で作り上げたアメリカ合衆国。
これはおかしい!
そもそも相手を怒らせないように自分たちの行動を戒めようということが
真の平和ではないか?!
軍略ばかり考えている僕でさえも簡単にわかることだ。
まー僕は平和なんて求めていないことが根本的にこの論理が分かるのかもね。

2019-12-06

年少

年が少ないこと。若いこと。幼いこと。
最年少記録という言葉が持ちはやされる。
でもそれって最年少というより
そう教育してきた親の功罪ではないかと。
子供の可能性を尊重とは
~ある一つを極めようとさせる
~いろいろな汎用的なチャンス
どの可能性なのか。
僕としては、その可能性という不確実なものに
なんとなく違和感を感じるがね。
可能性という表現から、親の子供への所有権論につながるだけに。

2019-12-05

定規

直線や曲線、角を引くために用いる文房具。

昔は定規の品質が悪く目盛りが連れていることが多かった。
母が買ってくれたものは小学校学校指定でない定規のために
7cmに対して、僕は6.9cmで×になった。
合っていると定規をもって担任の先生に言ったが、
「指定の定規を買わないほうが悪い」と言われた。
今そんなことを言ったら、教師失格だが当時はそれが普通で
その結果が成績表に反映される時代だった。
母も母で世間の価値観を嫌っていて
「なら定規の会社に文句を言うべきだ」
っていうがそれを担任には言ってくれなかった。

それが今の自分の学歴にも影響しているのだから、
僕の学歴と学力の差は生活環境で起きていると思ってしまうなあ。

2019-12-04

花崗

火成岩の一種。流紋岩に対応する成分の深成岩。
学説的にはマグマが固まったものと言われている。
最近、花崗岩と書くようになっているが、
一昔前は花こう岩と書き、
地学、理科の教科書でただ覚える単語だったような。
~地上デジタル波での高解像度放送
~とある人気のTVロケ番組
で絶景風景を放映する以上、
それを形成する岩、花崗岩は頻繁に登場する。
花崗岩という表記も日常的に使われ始めている。

もっとも、、花崗岩は、日本人にはなじみのある御影石という
呼称もあるんだけど、それが同じものって気づいているのかなあ?

2019-12-03

御身

相手の体をうやまって言う言葉。
健康、健常であることへの願いの現れである表現。
何をするにも体が資本というのだが、
最近、その体についてもいろいろと思うことあり。
人工知能や電脳化が進めば進むほど、人間の肉体がいらなくなるのでは?
肉体があるから食事、運動という非効率概念、それに伴い
健康管理、治療が必要になるのでは?
僕の見解は、SFじみているというかもしれないが
そのSFはSpace Fantasy ではなく、science Fiction  という
科学的根拠に基づいた創作活動という見解から
近未来の可能性としては十分あり得る。

御身を大切にするということがなくなる時代、なさそうですぐ来ると僕は考える。

2019-12-02

流血

負傷、病気等により、人体もしくは動物等の血液が体外へ流出する現象。
現在の価値観だと、流血の描写を放送で流すことを忌む。
また、流血させることを悪徳に扱われる。
それって全く持って逆に間違っていないか!
生き物であるということは、脈が体中をめぐっている。
動物の多くはそれが血である。
流血をするということは、その生命への危機を如術に表している。
そういうことになるからこそ、どうすべきか!
をショッキングでいいから、、いやショッキングに伝えることが
生命危機回避、行動の本質的な対処になるのである。
流血シーンを目の当たりしない者がいざ事故災害にあったときに
初めて見て気が動転して役に立たないというバカらしいことや
どれくらいの暴力で流血するかもわからない愚かな子供のいじめの言い訳が
「まさか血が出るとは思わなかった」
という愚言に同情する社会に落ちぶれていることに危機感がないのだから
どこまで社会の価値観は変わる?いや狂うのだろうか?

2019-11-29

語彙

ある範囲の、あるいは広く一言語についての、語の総体。
知っている単語の量とでも言おうか?
語彙の多さは理解とされてきた。
例えば、英単語の語彙力の多さは受験時の長文読解時に読めない単語のせいで
読み進めることが難しくなることを無くしてくれるとか。
しかし、それは本当に受験に特化した、、社会では使えない語彙力だった。
語彙の多さがいかされるのは、、ずばり多数の人たちへの説明の場だ。
育ち、経験、考え方の違う人たちには特化した用語や口語を使って生きている。
そのほうが自分の人生において効率的かつその生活圏ではそれが当然だから。
しかし、仕事においてはその範囲内では他人には伝わらないことが多いので
同じことでも違う単語や用例を用いて会話する必要がある。
その際に語彙が多ければ多いほど、いろいろな言い回しができることを
この年でやっと気づいてきたかなあ。