2020-01-21

肝心

とりわけ大切であること。
西洋医学がまだ浸透していない日本ではキモ、肝臓が一番重要な臓器とされてきた。
そして、魂というか人間たらしめるものは心で考えるとしていた。
つまり、心臓という臓器の心の意味は後付けに近いいうべきである。
肉体の中心、肝、人間の精神の拠り所としての心、その二つが一番という意味で
肝心という言葉になっている。
肝心なこと、肝心要と使われてきたが、最近聞かないなあ。
それは西洋医学の普及のせいか?
いや、肝心なものの定義が損なわれている昨今だからこそ、
つかわなくなったのか?
それとも、肝も心も人間たらしめるものではなく、
すでに肉体を逸脱した電脳を認め始めたから、、なんてね。

2020-01-20

使熟

読みとしては、つかいこなす。
あるモノを十分に活用できている状態をいう。
僕にとって現代人は本当に愚行極まりない。
無知な者が一定の理解で使っているレベルを基軸に
それより出来ないものを不器用、
そして、それ以上にいろいろと活用しているものをマニア、オタクと卑下する。
無知な発想を基準に他人に無礼な発言を容認するのはどうだろうか?
特に現代日本でのこの発想が
モノづくり能力の低下、生産性の欠如の日本を生み出したのでは?

うわべだけの機能理解でモノを使い、
また新しい機能のうわべだけで買い替える。
経済循環的にはいいかもしれないが、それを買う購買力があるのか
そしてその機能をうわべだけでなく
使いこなすことで本当は得られる生産性見合い結果に目をつぶることは?
いろいろと現代人の買い物価値観に疑問を感じてしまう。

2020-01-17

雑学

興味本位で面白さを重視しているため、
ひとつひとつは意味的なまとまりをもった知識であるが、
集められた知識はお互いに関連性が希薄な事柄で、
全体としてみて系統立っていないものを指す。

確かにそうだが、
雑学知識なくただ自分の得意な専門的なことを一方的話している人間が多すぎる。
専門となると、ちょっとでも違う領域、方向性だと拒否反応を起こすこともしばしば。
話すこと、ビジネスをするということは相手ありきで自分の独り舞台では
結果にならないという自覚がない。
雑学はある意味、相手、自分の得意なことではないことが多い。
しかし、互いに得意ではないということが共通点になり、共感性を得やすい。
そのために雑学の会話は本題と違っても会話をスムーズにさせる潤滑剤になる。

雑学を蓄えて、会話をうまく進める。
その意味で僕はいろいろと蓄えていたら、
雑学からその分野が得意になったり
雑学の話をしすぎて本来の会話内容がおろそかになったり
とまー弊害はあるけど、
雑学のおかげで会話を続けられるというに関してはなかなかの自覚はある。

2020-01-16

民放

民間放送(みんかんほうそう)の略で
民間の資本によって設立された放送事業者によって行われる放送のこと。
現在、「テレビがつまらない」って言われている。
これって日本の民放ビジネスモデルの崩壊っていうことだといえる。
日本の民放とりわけ地上波放送は
世界で稀に見る受益者負担ではないビジネスモデルである。
テレビ画面は広告塔と位置付けて
スポンサー企業からそのテレビコンテンツの制作費を出させ
その合間にCMを入れることで成り立っている。
視聴者からすれば、無料でテレビコンテンツが観れていたという
恩恵がwin-win-winとされてきた。

しかし、これは放送局、企業、視聴者の思いがづれ始めると取り返しがつかない。
視聴者:みたいコンテンツがないので観ない
企業 :視聴者が観ないのならば広告塔の機能がないので支払わない
放送局:金がないから、いいコンテンツを作れない
の悪循環に入ると抜け出せない。
今はある意味、その入り口に日本の民放は立っている。
そして、これから受益者負担の価値観が認められたり、
観たい視聴者と作る放送局が直接成約することがグローバル的、DX的に
容易になったので、企業の広告塔の意味合いはなくなっていくだろう。
そうなると、日本における民放という概念はなくなるだろう。

思うに日本の民放ビジネスモデルはおかしかった。
一方的な放送局の価値観に企業、視聴者も従ってきたが
双方向で視聴者からの見解を言えるようなDXの進化は
放送倫理を再認識させて、そもそも放送局の思い込みが
狂っていたって証明させているだけのような。



2020-01-15

補正

補って、ぐあいの悪い所を直すこと。
補っているということは主従で言えば、従側である。
しかし、現代社会はどうだろうか?
本来あるべき正常に合わせるために補正している行為こそが主になり
~この補正になぜ周りが合わせないのだ
~そもそも正常では動かないからこそ補正しているのであって、補正こそ正常であるべき
という見解が跋扈している。

距離感で例えるなら
はじめは正常への方向性に対して、たった1°のづれのつもりだった。
1mでは、d=1*sin1°=1*0.0175=0.0175(m)
1kmでは、17.5(m)
10kmでは、175(m)
100kmでは、1,750(m)
もづれてくる。1kmも離れると
すでに100kmの進んできた実績から
自分たちのほうが正しいとなるのが人間の性なんだろうな。

常に正しいほうに修正するとしても補正したことが正解と思っている以上
正常への回帰は無理ということが人間社会なんだろうな。


2020-01-14

予測

一般に、あるデータに基づいて、
未来における実現すると考えられる特定の変数の値を想定すること。
「未来予測に基づいてリスク回避しよう」
ということは論理矛盾していると気づくだろうか?
もし予測どおりリスク回避できていたら、
そのとき言われるのは
「未来予測通りにならなかったな」
予測が否定される。
だって、リスク回避されたのリスクそのものが
わからない状況になっているので、当事者としては目の当たりしていないのだから
それは当たっていないということになる。
逆にリスク回避をしたいのに、予測通りになった場合は
リスク回避しても無駄なことだったのに、
「未来予測したのに、なぜリスク回避できなかったんだ」
と罵られる。

予測することは損でしかない。
それに気づかずに、毎年あたらない予測にお金をかけたり
胸を張って計算されたビジネスということに
非科学的な占いビジネスと何が違うのか?問いたい。

2020-01-10

公正

かたよりがなく正当なこと。
はっきりしていて正しいこと。

~公正な判断をしてほしい
~公正な裁判を行ってほしい
って発言する人間の言う公正とは
自分に都合のいい、恣意的利己主義なことであり、
自分に都合の悪いことを不正と騒ぐ。
そう、公正という人ほど公正とはかけ離れている事実が人間社会の本質だ。
そもそも、公正なんてものはない。
その時の政治権力、民意、に左右されるものであり、
ある意味、左右されている現時点のトレンドが公正となり、
自己中心的な価値観はこの定義からは不正と言えるのではないだろうか?!