僕自身、再起って言葉に新規より期待してしまう。
新規と違い
再起は今までのブランド、そして失敗を踏まえての新たな行動だけに
期待値、予測値がわかりやすいといえるからだ。
そこに期待する自分と反対に
もし自分が再起する側だったらと考える。
再起、、したくてするものではない。
過去の栄光があるのに、
今は堕ちてしまった状況
それをどう過去の栄光に匹敵するカタチで舞い戻るか
それは大きな賭けとプレッシャーを感じることになるだろうっと。
ある意味、
自分の期待と
その再起を狙う人への応援とをかけて
再起に財布を開きたいと思う。
再起でもダメだったら、それはそれで、送別費用でいいじゃないか。
そのくらいのゆとりと見守り感をもって現代社会を生きようよ。
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