2017-01-31

内政

国内の政治。また、国内行政。
現代社会、どこまでが内政なのかわからない。
領土内って言っても、市場経済はグローバルでつながっている。
また領内の人間も必ずしも、国民とは限らない。
参政権のある人間だけを守ることを考えると国際的にバッシングなどで
国民の蜂起などが起きる可能性まである。
内政、外交、経済などの分け方そのものが
もう過去の概念というべきではないかって思う。

2017-01-30

規律

人の行為の規準として定めたもの。
はっきり言うが、規律はこうあるべきではない。
こうしないと、どうなるかと人間を恐怖たらしめるものでなくてはならない。

規律が壊れる簡単な例を挙げよう。
規律管轄下に新たな人材が入ってきた。
その人材は規律を守っていないので、注意されたら
「自分は新人だからやり方をしらないのだから、仕方ない」
と言い出して、周りが多めにみた。
その後も規律を守らずにその人材は自分のやりたいようにしていた。
それに対して、等々注意をしたら
「今まで、これでやってきている、問題はない、規律が間違っている」
と開き直る。
これを許すと、他の人間も同じような論理を平気でいいだす。
規律なんて、自分さえよれば良ければって考えれば守るのはバカらしくなる。
他人のために行動を律する趣旨が理解できない人間に難しい。

現代社会は、性善説すぎることが多い。
しかし、すでに餓鬼と化している社会において
体罰、生命の恐怖がないと秩序、社会を考える人間という存在意義が
全く感じられないようになっていると思う。

2017-01-27

国敵

国家の敵。
多くの人は外国の人と思っている。
そして、それはいつ現れるかわからないって思っている。
いやいや、一番の国家の敵になる存在はよく目にする人と言える。
、、、、正解は、元為政者である。

考えてほしい。
元為政者って、当事者視点に立てば
国民からNOと言われた人であり、
そして、その国民のために今まで粉骨砕身で生きていたのである。
それに対して、裏切られたと思うからこそ、
今までの経験から国民どもをって思うことが多い。
多くの為政者のOBは外国に亡命したりして
それまで知っていた国家情報などを平気で渡す。
国民からすれば、売国奴と言われようが、
そもそもその国民どもが私に逆らったからだという思うである。

人間、敵は本当に身内にしかいないものであるなあ。

2017-01-26

芝浜

古典落語の演目の一つ。
最近では、これが十八番にできる噺家が名人扱いになっているとか、、
夫婦の愛情を暖かく描いた屈指の人情噺なのだと思う。
現代人は文章力も話もつまらない人間が多い。
作文の授業もセンスのない教師がてにおはを指摘するだけで
全く文章になっていない。

提案だが、義務教育中に一度、
落語の小話を暗記、実演させるくらいのことをすべきではないだろうか?
・語りの勉強
・日本人らしい言葉遣い
・感情表現
を学ぶことが今の学力偏重で失敗している庶民への救いだと思うがね。

2017-01-25

煌星

綺羅星の意味、きらぼしと読むが、きらぼしってどういう意味って?聞くと
適切な回答がなかなか出てこない。感覚的なものといえる。

きらきらと光り輝く無数の星。
地位の高い人や明るいものが多く並ぶようすのたとえ。
であり、ひとつ、一人に使わないのが正しいのだが、
綺羅星の如く、って使うことが多い。

本当の意味なんか、もうどうでもよく、スターという意味だけになっているようだ。

2017-01-24

鬼才

人間とは思われないほど、すぐれた才能。
では、人の能力ってどこまでのことを言うんだろうか?
人間に限界はないという発想もあるだけに
鬼と呼ばれるレベルってどういう領域なんだろうか?

基本的に人間は自分の認識、自分たちの想定を超えた結果は認めない。
それはズルをした。
そんなやり方は認めない
と言い出すことが多い。
だから、鬼才なんて表現を使わない。

人間が理解できる範囲でかつ、相当できるレベルを鬼才というだけで
本当の鬼のレベルであれば、、人間なんて存在に評価する、させることなど
ありえないのでは?と感じる。

人間、庶民の考える価値基準でいる以上、
人間は進化しない、そもそも人間の基準であること自体
才能は才能ではないって哲学的に思う、今日この頃である。

2017-01-23

枯花

枯れた花。
花はいつまでも美しくない。
逆に、その一時、旬があるからこそ、美しいともいえる。
その美しさゆえに、ある程度、許容されることも多々ある。
人間もいつまでも綺麗、優秀ではない。
若いうちは、綺麗になろうと、優秀になろうと努力し、もしくは個性で
その状態であり、、それゆえ許容されていたこともある。
しかし、枯れる。
努力などで、上昇志向で歩んできた人生、
それを認めどころか、理解することできず、
周りが許容しなくなることが、差別だの、いじめだの言い出す。
今までの特権だったことがわからないから。

小さいところでは、ジェネレーションギャップから始まり
いまは多くの、老害問題の根幹はここだったりする。

逆に、恵まれていない人ほど、
待遇が変わらないので生き方が一貫していて
好々爺になったりする。

能力主義に傾いた現代社会、団塊、バブル世代が今、この枯花として
社会をどれだけ悪化させるか、、そこから自分をどう守るかが
現役世代の大きな課題といえる。


2017-01-20

裏打

水彩画・水墨画・書など掛軸や額装において、
裏側にさらに紙や布などを張り、水分と乾燥による起伏をなくしたり丈夫にすること。
この補修方法は日本的な技術らしく、
海外のキュレーターたちはあまりこの手の技術を使わないそうだ。

いかにも日本的な発想だと僕は思う。
そのモノである表に一切触れずに、裏で価値を維持し続ける。
これは一見すると技術が施されていることがわからない。
評価しづらいスキルだったりする。
この能力主義に傾いた日本、こういう方法を評価しない、評価できなくなっていることに
日本本来の価値がなくなりつつあることに思うことはないのかなあ。

2017-01-19

氷瀑

滝などが氷結してできたもの。
水が流れ落ちるところが滝であるが、
その流れが凍るのは、日本のような四季があるような環境の特徴と言える。
でもこの状態って当事者においてはいろいろとあるといえる。

生活用水の観点では凍っている期間は水が供給されないので
その期間の水をいかに確保するかを考えることや、
滝が凍るくらいの寒さに耐えられる貯水技術が求められる。

逆にそれを観光資源ととらえれば、
いつから凍るか、いつまで凍るか
それをいかに観光客を招致するためにアピールするか
凍っている状態をいかに有効活用するか。

自然状況をいかに自分たちの生活の一部として受け入れるか
それが日本人の適応力だったと思うが、、最近の日本人は何事にも文句ばかり、、
置かれた状況を考えて、有効活用することにもっと頭をつかうことに
注力できないものか、、、




2017-01-18

不便

便利でないこと。
しかし、不便だからこそ、人は便利になるようなことを考える。
そこで頭を使い、手先を使い、行動をする。
それが人間の営みだといえる。
つまり、便利であることは人間の仕事が発生しない。
不便なことを便利にすることを探し、工夫することが仕事、ビジネスといえる。
現代社会、こう便利では人間がビジネスを成り立たせることが実に難しいのでは?

2017-01-17

疑獄

罪状がはっきりせず、有罪・無実の決定のしにくい裁判事件。
特に、高官などが関係している大がかりな贈収賄事件。

考えようによっては、罪かどうかを司る人たちのがその罪かどうかを問うことは
ある意味、その政治、統治そのものが疑われることでもある。
疑獄事件が起こるということは、その政治システムが破綻していると思ってならない。
歴史的本質からすれば、疑獄事件が起きれば、その後クーデターが行われるべき
といえるが、社会全体がそのクーデターを禁止しているのだから、、
不正かどうかではなく、どんどん悪くなるのではって思ってしまう。

2017-01-16

種子

種子植物で有性生殖によって形成される散布体。
この種子が土壌に定着して、好環境のときに発芽しそしてまた種子を生み出す
有性生殖できる個体になる。

種子自体はほぼ動かない。
だから、死んでいるのか、生きているのかって確認することは難しい。
長年放置されていたが、発芽した大賀ハスの件もあれば、
豆として食することができる状態にするどのタイミングでその豆は
生を失ったと示せるかという問いに悩むこともある。

そんな種子を暗喩的にとらえれば
この人は本当に芽が出るのか、花を咲かすことができるのか
と周りからみなされるような人も多い。
そもそもその人材は、種子に相当するものかどうかわからないだけに、、

どこで芽吹き、そしてどう大輪の花を咲かすかを
種子のように他力本願で過ごす人間を認めることは
すごく嫌な発想と感じることは、これも僕だけの思いなんだろうか??

2017-01-13

鳳凰

聖徳をそなえた天子の兆しとして現れるとされた、孔雀(くじゃく)に似た想像上の鳥。
日本人は
Phoenix
火の鳥
と同視する人も多いが別物と考えないとちょっと恥ずかしいと思ったほうがいい。
鳳凰のように日本人は
外国の想像上の概念を外国ということで同一認識してしまうのは
外国人からするととても嫌な発想だということに気づかない。
そのくせに、欧米人から
中国人
韓国人
と間違えられると腹を立てるのは、
他人のふり見て我がふりに直せって本当に言いたい事実だと思う。


2017-01-12

控除

金額・数量などを引き去ること。
多くの場合は、請求減額時に使われる言葉といえる。
控除が行われるということは事前に資格を有するが必要なのだが、
何もないくせに控除を求める輩が多い。
財政、景気の悪化から考えて
あえて、控除ではなく負担増を強いることが僕はあるべき為政ではないかって感じる。
農は納なり、
言いたいことを言わせ、それを控除というカタチで支援する時代は終わり
徹底した使役にしていかないとならないのではないかととよく思う。

2017-01-11

念白

この熟語、、実は中国語の セリフ という意味だそうだ。
日本の熟語ではないが、、
横文字が台頭し、そして現代人の語彙力のなさが顕著な今。
中国語の熟語だろうが、日本の熟語とみなしても
今の日本人のレベルだと違いに気づかないんだろうなって思う。
こんな現代だもの、僕がこれを日本語と言い張っても何も問題ないだろう。
なんせ、現代の略語の気持ち悪さときたら、、と言い切りたいので。

2017-01-10

截然

物事の区別がはっきりしているさま。
日本は截然を忌み嫌うところがあり、曖昧なことを寛容など評価している。
実はこれこそ、グローバル化の大きな障壁である。
基本的に、日本以外の国家の価値観は二進法、YES NO である。
だから、多数決という論理が成り立つといえる。
まじめに、少数意見や曖昧に決断を先延ばしにすることを
いい加減にやめないとビジネスというか地球規模での日本の信頼は失墜しかねない。

2017-01-06

胆識

決断力、実行力を有した見識のこと。

自信を持っていることは、僕は胆識が相対的に高いということだ。
知識、博識においてもそれなりであるという思いはあるが、
僕自身の強みはそれを使えるものとして実践できることだ。
知っている、見たことがあるで語る人が多いが
実際にそれを行って、失敗する、苦労することを経験したことは
知るという認識レベルとは比べ物にならない。

そして、重要なことはそれを行うことのできる勇気、胆力が必要である。
現代社会において、行動に起こそうとする人が実に少ないこと、、、
失敗のリスクやできないことをつたない言葉を並べるばかりことが
価値と思っているクズが多くて困る。
挙句の果てに、そんな無駄な議論をした結果、実行が時間の無駄と
言い出す始末まである。

実行する胆力ないものは語るにあらず。
そして実行し続けることもまた、、、
このブログも毎日続けて、もう2000を超えているのは
その実証でもあるかな。



2017-01-05

半吉

吉凶が該当期間を通して半々ある運。

初めて引いた。
というか、とてもレアなおみくじの結果だったらしい。
内容が内容だったので、巻いて帰ってきたが、
ガチャが流行っている現代社会。
こんなウルトラレアなものを引いたことこそ
ラッキーだったかもしれない。

例年、大吉を引いてもろくなことがなかっただけに、、
まー今年の人生、
ウルトラレアでラッキーか、
半吉通りになるか
こうご期待かな?



2017-01-04

異能

別人に例が無いほどその人に特有の能力。
現代人は能力主義というが
都合のいい一般人のどんぐりの背比べでしかない。
もしとりわけすごい能力をもっていたら、
能力主義にならないことは
X'men という作品がリアルに物語っているし、
それは、過去の魔女狩りなどが実際におきたことことで人間の本性が見える。
能力、才能があまりに常人と離れていると
その存在を人間というカテゴリから切り離し、
削除対象にしたがるのが人間という生物の本性である。

実際に能力が高めれれば高めるほど
常人の理解を超えてしまい、
常人とのコミュニケーションが煩わしくなったりするし、
常人はその人を認めることができなくなる。
それゆえ、討伐対象になりうる。

現在の能力主義の末路は戦争ではなく、
自分以外の存在への廃絶であり、種の崩壊だと僕は感じる。
もっとも、今すぐにはそれが明確におこるのではなく
いつの間にか、、変わってくる、、嫌、すでに変わりつつあるといえる。
それゆえ、対人関係を大切にする意味の本質を見失わないようにしないとならないということを僕はこれからの抱負に考えたいと思う。
それが異能を意識した人間の性と思って。