2016-08-31

原本

もとの書物・文書
一定の内容を示す確定的なものとして、最初に作った文書。

ある意味、権利、事象の根源ともいえる。
原本なくして、権利なし。
そのくらい、現代社会では原本重視主義といえる。

しかし、世の電子化、電脳化、
何をもって原本になるかわかりづらい。
原本と思ったものが実はあるもののコピー、加工品になりつつある。
それゆえ、自分の権利、正当性をどう立証するか
たぶん、この先の社会において
大きな抗争の火種になると僕は思うなあ。

原本、オリジナルをいかに主張し、それを他人に押し付けることが
嫌らしくもそして正しい社会になると悲しさが予見できてしまう。

2016-08-30

集会

多くの人が共同の目的で一時的に一定の場所に集まること。
狭義の意味では、集会活動とされるが、
広義では、打ち合わせ全般といえる。

集会を行うことは多くの意見をぶつけて
より良いもの、、アウフヘーベンを期待していることが旨だが、
現在は、自分以外の誰かがやってくれることを確認する場になりつつある。
会議が参加することに意味があると思っている現状ならば
集会を起こす必要はないと僕は考える。

考えてほしいが、個人能力主義というならば
集会、会議は無意味だと感じないか?
それでも会議をする事実に
僕は本当に日本のビジネスの将来が危ないなあって思っている。

日本よりもっと個人能力主義の欧米でも会議しているではないと突っ込む輩がいるが、
基本、自分の意見を相手にぶつけてその反応を確認する場であり、
日本のように参加するだけ人は参加していると思われていない事実を
外資系で体感したが、それを知らずに自分の思いを正当化させるのも
また日本人のビジネス破綻の兆しとまで感じてしまう。

2016-08-29

馬穴

バケツ。
バケツと言えばバケツ。
水を入れて運ぶことがしやすい取っ手ついているもの。
なんでバケツというか?
basket(バスケット)の英国訛りから
バケツと、、夏目漱石がそう呼んだからそうだ。

外国語だけど、日本人にしか通じず
それは明治の文豪の造語に近いのは
日本の加工文化の象徴のようなことと思ってしまう。

2016-08-26

今生

この世。この世に生きている間。
今生の別れとか言われる。

人間の一生とはなんだろうか?
心臓が動いている?
脳が働いている?
いろいろと生に対しての認識があるが、
自己認識できるのであれば、
肉体の存在が必要かも問われるかもしれない。

人間という存在、効率化を考えたら
意識だけでも問題ではないかもそれない。

今生が今生でなくなる概念がそろそろ出てくるような気がする。

2016-08-25

制裁

法律・道徳、また一般が認めた習慣や、
仲間のとりきめなどにそむいた者に、こらしめのため加える刑罰。

現代社会は制裁することがパワハラとか言い出している。
愚かしい。
組織運営、規律があってこその集団行動であり
それができない、正すために制裁を必須である。
やってはいけないではない、必須である。
人間はいくら口で言ってもわかるわけがない。
体で教え込まないとならない。
現代人はこれがないから、結局、集団行動、団体行動、
チームワーク、その根底である、コミュニケーション能力といわれるものが
ないとなぜわからないのだろうか?

もっと、体に教え込むようにしないと
本当にバカになってしまうよ、、、いやもう、、飛んで火にいる、、レベルか。

2016-08-24

愛玩

大切にしてかわいがること。
また、おもちゃにして慰みとすること。
ペットのことを愛玩動物という。

ひとつ問いたいのは、
あなたが愛玩と思っているものは
決して他人も愛玩と思っているいないということだ。

うちの家族はみんなペットの〇〇ちゃんをかわいがっているというが、
人それぞれの愛し方であり、その愛し方は自分以外の人間には理解できない癖もある。
それについて、自分の愛し方でないと納得いかない、他人の愛し方を
否定したり、他人が愛さないことに不快を言い出す人が当然のように存在する。

愛は尊いというが、愛玩など、人間の愛情はある意味偏っているので
他人からすれば愛ほど、扱いづらく面倒なものはないかもしれない。

2016-08-23

従順

ある意味、いい意味で使われる、隷属を強いる言葉。
日本的であり、多くの場合、好意的な表現に使われる。
ただ、これをよくないと感じる意見も多く台頭してきている。
個性、自己主張がないのはよくない。
うーーん、
そういう輩がシナジーを乱していると僕は強く感じる。
個性、自己主張とかは自己責任で行うものであり
その権能、能力を有しないものがむやみに使うものではない。

人間、組織に属する以上は従順でなくてはならない。
そして、その従順を辞めるということは
組織を手に入れて、自分の責任で多くの人間を従順にさせていく力を有するか
組織から離れるか
その二択しかないのである。

調子に乗って、組織内で改革とか言い出し
責任は自分ではないという輩を社会から排除することが
ある意味、今日本の経済発展には不可欠なことと悟っている。
それができないから、多くの大手、大型企業は衰退しているとその帰結を感じてならない。

2016-08-22

人工

人が作ること、人手が加わったこと。
天然と対義語とされる。
天然と比較されると、悪いイメージがあるが、
その考え方、早々に見直すべきと強く言いたい。

天然もののほうがいいという考えが人間をダメにしている。
何もしないからいいものという発想が
何も考えずに、そして責任を取らずにいる人間の悪習だといえる。
人工である以上、製造責任やその効能についていろいろと考える。
その結果が人間の進化、発展である。
人工であることは、人間の文化そのものであり、
それを否定するような論調は、人間社会に存在してはならないとまで言いたい。

どうも、社会に保護されているのに、それを安易に否定して
調子に乗っている人間どもが多くて腹が立つ。
人工という人の努力を何もしないで思い付きで発言させることは
罪とどうして気づけない?!

2016-08-19

妙齢

女のうら若い年ごろ。
ではいったい何歳前後のこと?
ここで間違えると、セクハラとか言い出す、愚かな社会。
逆に男性の年齢を女性が間違えるのはセクハラではないというのはどうだろうか?

どうも、現代日本社会の性差、年齢感覚に歪みを感じる。

年功序列があるから定年制度が成り立つのに、
能力主義といいながら定年制度は維持。

女性の社会進出って
男性側の稼ぎが少ないから女性も働かなくてはならないという
根本的な財の適正化ができていないことに気づかない。

今までの日本の常識を中途半端に残しながらも
へんなことをしているので、体制、風習、価値観が破綻していると思ってならないよ。

古来の価値観であれば
”妙齢で馨しい色香を漂わせている艶のある人”
という誉め言葉であるが、現代人は語彙力もなくただセクハラと感じるようだから
ほとほと、才がない庶民があふれていると思ってならない。

2016-08-18

功罪

てがらとあやまち
一般的な考え方だと、両極端なものと思っているだろうが、
それは実は同じものである。
他人からの評価だといえる。

例を挙げよう。
戦争で大きな武勲を挙げた。
自分の陣営では、大きな手柄とみなされるが、
相手側の陣営からすれば、最大の犯罪者とみなされる。

身の回りでいえば、営業成績をあげた。
会社という組織でいえば功績。
しかし、
同僚からすれば、出し抜きの活動
ライバル企業からすれば、邪魔な存在
そして、顧客からすれば、だました張本人
と、まったくもって評価が異なる。

ここまでくると、
自分以外の人の評価を気にする、
もっといえば、人間界の社会ルールでは何もできないという
結論にまで至ってしまう。

僕は本来の動物のあるべき姿って
自分さえよければどうでもいいではないかって考えるだけに
功罪という概念そのものが人間が犯した考え方の罪なのではって
哲学的に考えてしまう。

2016-08-17

大切

もっとも必要であり、重んじられるさま。
ただ、現代社会において、大切という言葉は大切にされない。
もっと大切
一番

などの表現がそれを凌駕するし、
そもそも、大切というものが絶対的ではなく、相対的な価値でしかないからだ。

大切なこととは何だろうか?
自分の思う大切は他人にとってどれくらいの価値か?

そう考えると、バカらしさを感じてしまうのは、僕だけか?

2016-08-16

金貸

日本の道徳観点では金貸はあまりいいこととみなさない。
困っている人に金を貸して、その困っている人から利息まで取り上げる。
そういう汚い商法とみなされてきた。

うーーん、、、バカな価値観だ。
そして、そのバカな価値観のくせに
上記行為を公的認められた存在には畏敬、あこがれをもつ。
銀行業や公的融資機関が挙げられる。
やっていることは、高利貸しなのに、、

僕自身
金を貸すことは権利かつ社会貢献だと思っている。
逆に、金を借りることこそ、
他人の金銭を懐にいれる負い目、責任、その代償を払わなくてはならない
罪の意識を持つべきだと言える。

その罪の意識が利息に繋がるし、その利息を払うために
しっかりしなくてはならないという責任感に繋がるのではと思っている。

どうも、日本の道徳観は
バカを守りすぎて、知恵や権利者を疎んじる
狂った感覚が根深くて困る。

日本独特のこの価値観を貫くなら
国際化など考えるべきではないのに
そこを曖昧にするから、ろくなことが起きていないと結論的に理解してしまう。

2016-08-15

瀟洒

すっきりとしゃれている様子。俗っぽさがなく、あかぬけしていること。
瀟洒な建物とかがいい使われようだが、、
はっきり言うが、この表現ってあまりにも主観すぎて
表現になっていないと言わざる負えない。
自分の思い込みを言葉にする必要があるのか?
逆にこの表現を使うことで、反感、いやな思いをする可能性があるのであれば、、
現代社会で廃れた言葉もあるが、あえて使うべきではない言葉もあるんだなあって思った。

2016-08-12

総合

本来の意味は、別々のものを一つにまとめる事。
そこから、様々な要素を含むという意味でも使われる。
かっこいい表現だと、almighty。

しかし、現代において総合の意味は、、掃きだめでしかない。
能力主義のバカ評価だと、専門性を重視する。純粋にそうであればいいが
人間の気持ち歪んでいる。
一つのことしかできない人はその技能にこだわるので
他人で、他のこともできるうえに、ひとつのことしかできない人より上手だった場合
ひとつしかできない人はいろいろな策や行為で自分のほうが優位と騒ぎ出す。
その結果、他でも活躍できるという理由で、別のことをするようにされる。
なんでもできるから、なんでもやらされる。
総合的な力は現代においてリスクでしかない。
なんか、おかしいこの歪みはそろそろ大きな変動を起こすと僕は読んでいるがね。

2016-08-10

係累

面倒を見なければならない家族たち。
扶養家族のことを係累という、、らしい。
小説とか見て初めて知った言葉。
文字数が少ないから
扶養家族手当なんて言わずに
係累手当のほうがいいのではと思ったが、
もう死語なんだろうな、、、って思うよ。

係累を含めて、死語っていつまで使えるのかなあ。。

2016-08-09

臨床

医療現場のこと。。
でも英語だと、、clinic そうクリニックのこと。
病人の近くで医療にあたることで、
研究、学術とは違うとされる。
とかく、現場重視主義が声高に言われ、臨床と騒ぐが
一歩引いて、一人の病より根本的な病魔に挑む研究のほうが
どれだけ効果的かと思うこともある。
現場とそのうしろの研究は両輪と思うべきなのだが、
庶民は時流で発言するのは困ったものだ。

2016-08-08

前捌

主要な事柄を順調に進めるため、あらかじめ行う処理。
ちょっと考えてほしい。
現代社会において、
実行、作業の多くは機械、低コストの第三国に委託するようになっている。
ある意味、主要な事柄は主要なメンバで行わないといえる。
そして、その主要な事柄への前捌は計画系、企画系とされて
ビジネスのコアメンバで執り行われる。
としたら、前捌とされることが、前ではなく、主務といえるのでは?
なんか、時代、技術の進化で付加価値の生産工程が変わっていることが
言葉の意味を傀儡にしていると思ってしまう。

2016-08-05

体系

個々別々の認識を一定の原理に従って論理的に組織した知識の全体。
この表現自身がある意味、体系だてていないといわざる負えない。
簡単にいけば、
相手が理解できるカタチにした伝達イメージである。

情報量の多さ
新しい概念が日々登場する技術革新
それゆえ、体系だてたものが必要なのだが、
自分の理解が正しいという思うことが弊害して
体系だてた考え方が一般化されないの実情。

自分の理解を捨てて
相手の理解に合わせていく。
それは、場合によってはレベル低下のような世界だが
相手が理解できないレベルにいることって意味があるのか?って
自問できない今が疑わしい社会に感じないのだろうか?

2016-08-04

探訪

社会の出来事や実態をその現場に行ってさぐり歩くこと。
実際に行ってみないとわからないという論理。
他方、現場にでしゃばるな、専門家に任せろ、
素人が現場を荒らすなってという意見もある。
どちらかというと僕は後者なのだが、、現代人のスキルが低すぎるので
わざわざ僕が現場に出向かなくてはならないと思うことばかりだ。

なぜ現場を探訪しなくてはならないのか?
現場とは何か、全く意識でないのでれば、
その仕事を生業にすべきではないと思ってならない。

2016-08-02

信者

その宗教を信仰する人。信徒。
日本はある意味、無神教に近い珍しい国なので
逆に信仰を持つ人間を毛嫌い、変な視線を送る。
これってある意味、最低な行為だと日本人は理解しているのか?
当人ではなく、その人間がすがる神への冒涜は
人として許されるべきではないといえるくらいのレベルである。

グローバルとか、国際交流を考えるとき
この信仰心への配慮がないのは、極めて致命的と思うべきと僕は考えるがね。

辣腕

てきぱき処理する能力があること。
僕は辣腕であって、敏腕ではなく剛腕でもない。
この腕の違いがわかることがある意味、腕の世界に行けると思う。

いろいろと考えて、もしくは的確に行うことが一番だが
そんなことを待っていてら、全然進まない。
僕は辣腕なのは、いいからやってしまおう、
やってみないと始まらないとして、失敗などを恐れずに
躊躇なく実行できる強みがある。
それが失敗だったときに、責任問題を言い出す輩がいるが
では、僕以上に躊躇なく実行できる人間などそう簡単にいないし
失敗したからといって、それを挽回できる可能性もまたこの辣腕でしかない。
僕はこの辣腕を市場に合わせて活用している。
こういう考えこそ、ビジネスなのだが、庶民にはなかなか理解できないだよなあ。

2016-08-01

快適

あいがよくて、非常に気持のよいこと。
快適は絶対というか、万人共通の感覚ではない。
人によって異なるどころか、全く逆に感じることになる。
温度で言えば
暑がり
寒がり
場の様子であれば
賑わい
静寂
と人によってどちらかが好きで、どちらかが嫌いが起こりうる。

それゆえ、人の集まりで、快適なものを見出そうとすると
結局、快適は得られない。
その人の集まりで発言権や多数決を得た意見が採用されやすい。
それが民意とかいうが、それに納得しない人が個人主義、能力主義と
言い出し始めているのが現代。

快適を得るために、他人に不快を与えることが当たり前で
それこそ、混沌で無秩序になっているような気がしている。