すぼまって狭いこと。また、そのさま。
基本、人間は他人を狭窄とみている。
簡単なことさ、自分の視点どおりに相手が見えていないことは
相手が視野が狭いと認識するのだから。
その認識もまた狭窄なのだが、
動物は自分で自分を見ることはできない。
見ようとする認識ができるのが知的レベルが高い動物だけのようだ。
狭窄の論理から考えると
自分すら見えてしまうくらいの視野であるということは
人間を超えた存在、神ということになるのだろうか?
論理の世界と精神論は共存できないのが常だが
狭窄の概念がその2つのねじれの位置の関係を
緩和させるものではないかと哲学的に考えてしまう。
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