戦争・天災、また人種や信条などでいためられて)困難におちいった人民。
人道的とか発言で受け入れることを議論しているが、
人間を俯瞰して、長期的、本能的なところをみれば
受け入れるべきではないといえる。
今時点において、困っている人を助けるという発想だろうが、
それって今視点でしか過ぎない。
仮に同人種の難民を万人単位で受け入れたらどうなるか、、
30年後、その国はその国家運営が危なくなる。
難民の子孫が発言力を持たないままだと
該当難民の子孫は
「難民あがりのくせに」
とあたかも奴隷制度が再び起きるだろう。
助けてやった側、助けられた側ということで格差が生まれる。
逆に難民の子孫が発言力を増したら
「この国をただし、支えているのは自分らだ」
と言い出して、既存の人種、民族に反旗を翻してしまうだろう。
難民たちの子孫は自分たちの土地であると主張したがる。
人間は今の視点でものを見るから
生まれ育った土地であれば、そこは自分の土地と思うものである。
それが親たちが難民として庇護された土地であっても。
そうならないようにすると今までの為政者は言ってきているが
プランテーション
ユダヤ人迫害
アパルトヘイト
とどの時代もこの手の人種の壁で人は争いを起こしてきている。
それは人間の本能であり、否定するものではない。
そうさせないため、未来のために今できることは
一時の自分の感情に流されないことをしないことだ。
それいう視点、、僕のような視点を持つものは、、
ノストラダムスのように指導者的なことはできないんだろうな、
一時の感情で成り立っていることが今の民主主義だけに、、
0 件のコメント:
コメントを投稿