弁論によって証明すること。
つまり、口頭で証明することで現代社会では重要とされる。
でもね、それって本当、結局は話しても無駄だと思う。
いくら証明しても、いろいろな切り口で
「納得できない」
と言い出したり、
自分が理解できない表現で証明されても
「何を言っているがわからない」
と聞く耳を持たないことが実に多い。
それに証明とは、、つまり持論を他人に強制させることである。
それを口頭でいくら説明し、それが証明していると言っても
抵抗できる力を持っている相手には無駄である。
僕は結論付けると
弁証には2つの条件がいる。
一つは
弁という言葉が互いに理解できることであり、
その理解の結果で、聞き手がどう行動するかを
聞き手側も弁証できること
そして、もう一つは
証という言葉の裏にある、証拠、根拠というものであり、
一般的には、科学的、物理的な物証を考えるだろうが
それはあくまでも一般的であり、人間である以上そんなものより
実効支配的な脅威があれば、人間というものは従うということ。
弁証はあたかも口頭で証明しているが
その裏には、圧倒的な力がない以上無意味である事実に
向かい合わなくてはならない。
「嫌だ」といわれる環境では言葉は本当に無力であるということを。
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