全部という概念に対して
いろいろな環境、職場で味わった。
味わったというのは
僕の言葉通じないという意味で使っている。
全件
網羅
全量
悉皆
すべて、全部の意味なのだが、
その環境ごとに言葉通じないことが多く、
会話が成り立たない。
全部という言葉自体が全部でないし
悉皆という言葉が通じる環境もあれば
悉皆という言葉が日本語とみなさない環境もある。
環境を流転している僕が悪いのか、
自分たちの閉じた世界こそ正しいと思うのか、、
なんか、、ついていけない。
よく人間が安易に使ってしまう '熟語'をタイトルを挙げて、 その熟語に対して、 辞書的に意味、 現社会において意味が改悪されつつある事実、 について CEOとして、 自分の経験則として、 の見解を論じようと思う。
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