本来の意味は
旅行や出征その他に出た不在者のために、
その者が旅行中に飢えたり、危害を加えられ安全を脅かされたりしないように
祈り願って、留守番がその者のために留守宅で供える膳である。
安全祈願の風習。
現在では、、旅を冥府への旅ととらえ、
法事の際に、故人への配膳を意味するようになっている。
最近、どうも気になるが、バカな効率化の発想で、
~食べない分を作ることがもったいない
~そういう風習バカらしい
と当然にいう世代が実に多いということである。
確かに効率化、食べ物を無駄にしないという表面的な形而下の世界ではそうであるが、
この陰膳の意味そのレベルで言い出すと、、効率化と双璧をなす流行り言葉
グローバル化には対応できない。
古来の風習、信仰を重んじることが現在あるべきグローバル化であり、
この陰膳もある意味、故人を偲ぶ気持ちの表れで
大切にすべき、信仰行為である。
効率化の好きなバカどもは
クライアント先がムスリムだった場合、
礼拝時間を時間の無駄とか言い出したら、
罰当たりどころか、、ビジネスにならないことをわかっているのだろうか?
、、、、そうだ、、超大手の管理職がそれを口にして落ちぶれたことを思い出した。
やはり、日本人はグローバル化の真意を理解できないのだろうな。
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