あれこれと、体や気を使うこと。
「若い時の苦労は買ってでもせよ」
子供のときに味わう苦い経験、それが人生においてリスクヘッジの糧になる
が、今はそんなの非効率だ、そして、子供虐待だとなってしまう。
僕の父親はバカなくせに下手な考えをもっていたので、
いろいろと社会に迷惑をかけた人だった。
僕が高校の文化祭準備のときに
いろいろと物入りでそれぞれの生徒が得意分野で借りたり、
買ってこなくてはならなくなった。
立て掛け看板が僕の担当になった、それは
土木業をやっている実家のこともあり、
比較的交渉しやすいと自分も周りも思ったからだ。
人によっては寸胴とかあり、それよりはましだったのだが、
父にお願いしたが、父は協力してくれなかった。
責任感の強い僕は工事現場を周り、お願いをしまった。
雨の日、それを自転車で走り回って、肺炎になりかけた。
さすがに母が怒って、電話一本で容易に現場が貸してくれた。
父はものを借りるのは大変だと教えたかったみたいだが、
僕の父への信頼がなくなるどころか、
クラスメートから父は息子に協力せず、肺炎に追い込んだ虐待する親だ
と思われることなった。
父が思うほど社会は厳しいのではなく、
逆に非協力的な姿勢がバッシングを受けるということを
父は理解できていなかったというのが僕の結論だ。
他人を苦労をさせるのは、、愚かな判断だなあってつくづく思った。
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