物事が過ぎ経てきた次第。
どうしてそうなったか、、それを知ることが重要なのだが
情報化社会、そして多くのログ、断面がそのままに残る時代。
来歴ではなく、誤った情報として出回ることが逆に問題になっている。
来歴があるということは、来歴になっている情報は検討経緯であり
その内容は確定情報ではない。
しかしログがきれいに残っていて、それについて何も説明がない
第三者が見るとそれを来歴とみなさず、確定情報として行動をしていまう。
そして、この社会は自分の非を認めないことが評価につながる価値観。
「それが来歴とは思わなかった」
「自分が動いてしまう環境がおかしい」
と平気で言えてしまう。
来歴を残すことで過去を知りたくても
過去である事実と現代の区別がつかない情報量ゆえ、
ある意味、誤判断の温床になるのでは、意味がない。
来歴や検討経緯についていろいろと再検討すべきと思う。
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