それについての全部。ひとそろい。
しかし、この表現には大きな問題がある。
それぞれの思っている一式に含まれるものが違うことが多い。
だから、当人からすれば十分でも他人からすれば、
まだまだ不十分とされることがある。
不十分と思っている側からすれば、中途半端な集め方と思うし
十分と思っている側からすれば、必要ないものも用意させる蛇足な見解と思う。
得てして、不十分と思っているものから十分と思っている側へのクレームになる。
現代社会、大いに越したことはないが
それを集めることで失う労力、時間もバカにできない。
不十分と思う側は、労力、時間は自分ではなく相手がすることだから
どうでもいいのだが、いざ自分になると、逆のことを言い出す。
一式という概念があるようでないと考えないと人間関係を壊しかねない。
すべてのアイテムを事前に確認することが求められることになるのだが、
根本的に事前に確認することができない関係だからこそ、一式という言葉を
容易に使ってしまうのではないかって現代の意思疎通のおかしさを感じてしまう。
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